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92. 厄介な事になりました(本編)




「ぎゅわ。とんでもない事になりました」



ネアはその日、己の欲求について見直しを図らねばならないような事件に遭遇していた。


この事件は、仕事帰りのお買い物に端を発する。

ネアはこの日、とある異国の修道院で売られている、ウィームでも噂のバタークッキーが食べたくて仕方なかったのだ。


何しろそのバタークッキーは、クッキーモンスターである見聞の魔物が、目元を染めて大好きと呟く至高のクッキーなのである。

仕事で近くに来たからには、多少無理をしても手に入れるのが人間というものだ。



そして今回、その選択は裏目に出た。

いや、とてもとても裏目に出ている。




「状況を整理しましょう。ここは、ヴェルクレアですらない異国のガゼッタというガゼットカルナの後継国の、異国人は立ち入り禁止な修道院です。何らかの特殊な魔術によりこの修道院は閉ざされており、よく推理小説にある密室の状態にあります。……………ふむ。まず間違い無く、凄惨な事件が起こりますね」

「キュ………」




ここはガゼッタの、アクテーと呼ばれる天上修道院である。


細長い岩山の天辺を削って平面にし、その土地いっぱいに修道院を建てるという特殊な立地で隔離されており、来訪に転移魔術は禁止されていた。

来訪者は王都にいる特別な飛竜を使うか、岩山の内側をくり抜いた長い階段を登ってゆくしかなく、修道院に暮らす人々は岩山の上だけで自給自足で暮らしている。



年に数回だけ開放されるその階段は、今は、固く閉ざされていた。


本来なら開放されているべき時期に階段を封じたのは、この修道院に展開されている防衛魔術だ。

聖堂魔術の最上位にあたるその展開のせいで、修道院にいた人々は今、陸の孤島のような岩山の上に閉じ込められている。



「防衛魔術が展開したのは、修道院内部における深刻な危険を察知したからなのだとか。………ディノは、それを武器狩りの開始によるものだと思うのですよね?」

「キュ!」

「ディノが元の姿に戻れないのは、防御魔術を刺激して我々が隔離捕縛されないようにですが、幸いにも私の開発したばかりの、ムグリス用ちび鉛筆がありました。開発が間に合って本当に良かったですね………」

「キュ!」



欲望のままにバタークッキーを買いに来たところで、修道院に足止めされる事になったネア達は現在、同じようにここから帰れなくなった人々と共に修道院の空き部屋に強制宿泊させられる羽目になっていた。



与えられたのは、来客用の簡素な部屋だ。

そして残念な事に、同じようにこの場所に閉じ込められている顔触れは、確実に事件が起きるなという事件率の精鋭揃いである。


重たい溜め息を吐いたネアがかりかりという音にテーブルに置いたノートを見ると、ムグリスディノが、抱えたちび鉛筆で一生懸命に文字を書いてくれていた。

そんな場合ではないが、ネアはあまりの愛くるしさに胸が苦しくなる。



“この修道院が防衛魔術を発動させた瞬間が、武器狩りの開始だったのだろう。他の武器持ち達も、武器狩りが始まっていると話していた。今は、ここに紛れている襲撃者に、不必要に目をつけられないようにしておいで。待っていれば、当事者達がどこかで武器狩りを始めるだろう”



ここまで書いて、ムグリスディノは肉体労働が過ぎたのかぜいぜいした。


ピスピス息をついているムグリスディノのむくむくの背中を撫でてから、ネアは首飾りの金庫の中から小皿に雪解け水を出してやり、ぐびぐび水を飲んでいる伴侶が落ち着くのを待った。



ネア達が帰れないと知らされたのは正午だったが、窓の外はもう、すっかり夜になっている。


かつては修道士が使っていたという小さな部屋には、燭台が一つしかないので部屋は薄暗い。

きっと、外に出て月の光を浴びた方がよほど明るいのだろうが、敷地の狭いこの場所には自由に散歩の出来る庭園などというものはないのだ。


石山の上に建てられた石造りの修道院に贅沢さなど望むべくもないが、ざらりつるつるとした独特な石質の石壁と、そこに彫り込まれた百合の花の祭壇を、けれどもネアはとても気に入っていた。


キルトのかけられた大きめの寝台に、小さな書き物机と木の椅子。

今は客室になっているとは言え、修道士達が使わなくなった区画を開放しただけのこの部屋にあるのは、たったそれだけだった。



机の上に広げたカードでは、ウィリアムを介してエーダリア達とのやり取りが続いている。

お陰でこの修道院に閉じ込められた者達の素性や特性も知れたので、つくづく、このカードには感謝しかない。


最初にカードの存在を教えてくれたドリーのお陰で、ネアは何度の危機を乗り越えられただろう。



“ネア、アルテアからはまだ連絡がないのか?”


そう尋ねたウィリアムに、ネアの手元でムグリスディノが小さく足踏みをしている。

今回、ウィリアムがやり取りを中継してくれているのは、ディノがここにいて、アルテアとの連絡が取れないからだ。



“残念ながらまだ応答がありませんので、もしかしたらお仕事中なのかもしれません。ただ、擬態中とは言えディノは一緒ですし、……………信頼出来るかどうかは謎ですが、一応、知り合いはいます”

“アンセルムがその場に滞在している事情は、ナインに確認中だ。商人については、アイザックではない事は確認が取れているが、ジルクの所在についてはダリルが追いかけてくれている”

“せめて、あの如何わしめな商人さんが、ジルクさんであればいいのですが…………”



一人ぼっちの伴侶を慰めようとしたのか、水を飲んで落ち着いたムグリスディノが、ネアの手にもふもふの体を押し付けてくれる。

そっと抱き上げて頬ずりすると、むくむくの伴侶は、ちびこい三つ編みを少しだけへなへなにした。



(そう。……………ここには、アンセルム神父がいる……………)




意気揚々とバタークッキーを買いに、期間限定で開放されている死の階段を登ったネアは、本日の正午前にこの修道院に到着した。


昨晩の仕事では、隣山にある修道院にかつてガレンに所属していたという魔術師を訪ねており、その修道院に隣接された宿屋を今朝出た足で、こちらを訪ねたのだ。


エーダリアから交渉を任された魔術師は、なかなか気難しい御仁なので泊りがけの対話になるだろうと言われていた。

しかし、その魔術師との交渉はあっけない程にすぐに終わってしまったのだから、ネアは、昨晩の内にウィームに帰る事も出来たのだ。



(この修道院のバタークッキーがどうしても食べたくて、前払いだった宿代を無駄にしない為にも泊まることにしてしまったのは、私の判断ミスだわ……………)



今回の仕事は、ヴェンツェル王子から直々に確認のあった案件で、エーダリアとダリルで相談して、ネアに使者として白羽の矢が立った出張任務である。



いよいよ武器狩りの開戦が近いとなったところで、ガレンを出奔したものの、ガレンにまだ籍のある先述の魔術師が、厄介な呪いを持つ武器持ちである事が問題になっていたのだ。



(今回、武器狩りに於いて重要な役目を果たす魔術書は、ガーウィンにあるのではないかという噂がある……)



そんなガーウィンの武器持ちが、出奔したまま行方不明になっているガレンの魔術師を狙っているという情報がリーベル経由で入り、ウィームとしてではなくガレンの長として、エーダリアは対応を余儀なくされていた。


どんな理由と目的で、ガーウィンの武器持ちがガレンに籍のある魔術師を狙うのかは分からなかったが、ガーウィン側がそれを許容しているという事が不安視されたのである。



(本来なら、国内の武器持ち同士での削り合いは、体面的にも避けられる筈なのだ……………)



おまけに、そのガレンの魔術師は、過去に二回の武器狩りに参加した経歴があり、どちらの回でも多くの武器持ち達を殲滅しているかなりの手練れだ。


つまり、簡単に武器を奪えそうな人物ではない。


また、彼の持つ武器は強い呪いを持ち、持ち主の意思に呼応し呪いを深めるものである。

国としては、初回の武器狩りで愛弟子達を殺されて以降、復讐以外の俗世への興味を失っているとされる現在の持ち主を変えたくはない。

現在の持ち主は、ヴェルクレアとしてもウィームとしても、望むべくもない程に良識のある使い手なのだ。



(ヴェンツェル様とダリルさんは、国から離反されてもいいので、その方に武器を持っていて欲しいという事だったから、エーダリア様も本人が忘れているだけであろう、ガレンとの雇用契約を破棄してやって欲しいという意向だった…………)



ガーウィンが非公式ながらも件の魔術師への襲撃を黙認する模様だということと、武器狩りの魔術書がガーウィンに隠されていたという予測を組み合わせると、こちらはどうしてもその思惑に乗る訳にはいかない。


ガーウィンの武器持ちの方を秘密裏に排除してしまう事も提案されたのだが、武器狩りの前に事を荒立てたくないなどという諸々な事情から、まずは出奔している魔術師に接触し、穏便にガレンとの契約を正式に破棄しようではないかという事となった。


魔術師当人の力量だけで、充分にガーウィンの武器持ちは排除出来ると考えられている。


であれば、何らかの思惑の鎖とされかねない、その魔術師とガレンとの繋がりを絶ってしまえば、政治的な思惑は跳ね除ける事が出来る。

そのような作戦だったのだ。



「お仕事が思っていたよりも簡単に済んでしまったので、すっかり油断していましたね………」



接触した魔術師は、エーダリアの予測通り、ガレンとの雇用契約をまだ破棄していない事を忘れていただけだったらしい。


是非に持っていて欲しい武器を手放す気配もなく、積極的に武器狩りに参加してヴェルクレアへの脅威となる様子もなかったので、ネアは手筈通りに契約破棄の書類に署名を貰い、ではお元気でと別れて宿に戻った。



「キュ…………」

「接触出来るのが深夜だという事もあり、恐らく私の脳内には、バタークッキーを買いに行く大義名分が出来てしまっていたのです。エーダリア様の、お宿を取ってくれていた優しさも裏目に出ました。…………そんな優しさに後押しされてまんまと寄り道をしてしまい、密室殺人の舞台に上がる羽目になったのです」

「キュキュ?!」



密室殺人という文言にムグリスディノは動揺してしまったが、何らかの条件付けによって密室状態になった施設に、武器狩りの開始早々複数名の武器持ちが偶然集まってしまったのだ。



これで、何もないと考える方が無理がある。




「まずは、コゴールの疫病を退けたという聖女さんご一行です」

「キュ……」



昨年末のあれこれがあり、今年のガーウィンでの潜入調査もあり、ディノは聖女という響きがあまり好きではない。


幸いにも今回は、このガゼッタ国の聖女であるが、それでもあまり関わりたいものではないだろう。

そんな栗色の髪に水色の瞳の愛らしい少女には、この国の、第二騎士団の団長と四席の騎士が護衛で付き添っている。


彼女がこの修道院を訪れたのは、同じ武器持ちである修道士に武器の扱いを学ばんと訪ねたからで、少なくともその二人は、武器持ちながらも敵対関係にはないと言えるのかもしれない。



「あの、セレンさんという聖女様が疫病から王都を守れたのは、疫病の盾という武器をお持ちだからなのですよね………」

「キュ」

「もうひと方のサスペア修道士さんは、謎めいた植物の系譜の槍をお持ちのようです。お二人の武器については公表されていますので、武器狩りが勃発するとしたら、他の滞在者がそれを狙っているのでしょう………」



このアクテー修道院には、階段が封鎖された事で何組かの外部者が滞在している。


修道院側としては、守護を司る魔術が反応して封鎖に相成った以上は、この部外者の中に修道院を脅かす者が紛れているのは承知の上だろう。



「キュ………」

「その中でも、田舎貴族のお嬢さんという肩書きを捥ぎ取りながらも、か弱い乙女がなぜか一人でいる私はとびきりの怪しさですよね…………」

「……キュ」


ネアがとても暗い目になり、己の浅はかな選択を悔いているのも当然と言える状況は、まさにそこであった。



「こちらに足止めされている外部者は、まずは、アンセルムさんの機転により異国人だとばれずに済んだものの、まさか、貴族令嬢があの階段を一人で登って山の修道院にバタークッキーを買いに来る筈がないと、とても怪しまれている私です」

「キュ」

「バタークッキー欲しさに、二時間かけて死に物狂いで階段を登った事が完全に裏目に出ました」

「キュ………」



なぜこのような令嬢が一人であの階段を登ったのだろうと怪しまれたものの、その場に居合わせたアンセルムが、かつて派遣されていた教会のミサでよく見かけていた男爵の娘であると臨時の肩書きをつけてくれなければ、ネアは容疑者として尋問を受けていた可能性もある。


ネアの存在を訝しんだのは、騎士達である。

この国用の仮の身分と領地名を設定して貰わなければ、自国民ではないことくらい、簡単に吐かされていただろう。


勿論、実力行使で逃げ出す事は出来るが、今回の足止めは武器狩りの開始に起因する。


よりにもよって武器持ちであるネアは、武器狩りというイベントにおいて、限りなく空気でありたいのだ。



(逃げ出す事で、疑いの目をかけられてはならない…………)



ディノが擬態を解かないのもその為で、こうして修道院を守るための強固な魔術が展開されてしまっている以上、ディノが擬態を解けばその瞬間に、ネア達は魔術異変として守護魔術に拘束されてしまう。


ディノがそれを無効化する事は容易いが、周囲に公表しているだけでも四人の武器持ちがおり、更には他にもいるかもしれないと思えば、その一瞬の拘束ですら避けなければならない。



(ここの隔離結界を魔術を揺らさないようにこっそり突破出来るとしたら、ノアか、アルテアさんかグレアムさんくらい………)



そのノアは、武器狩りが始まった今、リーエンベルクを離れる訳にはいかない。

今回の事故は、ネア達が任務で訪れた先で起きているのだ。

ノアをリーエンベルクから引き離す為の陽動である可能性も、捨てきれないではない。


武器狩りでは最も激戦区となるカルウィの統括を務めるグレアムも今は統括地を離れられず、唯一の頼みの綱のアルテアは音信不通ときている。



これは、なかなかに困った状況と言えた。



「聖女さんとご一緒の第二騎士団の団長さんと四席さんは、いかにも聖女さんに心酔しきっているという感じでしたね。聖女さんについては、優しくて素直な良い子だという印象もあるのですが、正直なところあまり得意ではない気質の方です」

「キュ!」



聖女という肩書きを得てはいるものの、元は、市井で育ち伯爵家の養女となったばかりの少女である。

疫病の系譜の祟りものが王都を襲った際、よく遊びに行っていたという森の遺跡で疫病の盾を見付け持ち手に選ばれたという彼女は、良くも悪くもまだ幼い。


ネアの目には、聖女であるという立派な自負が、思春期の美しい少女の未熟さと不安定さを、より危ういものにしてしまっている気がした。


(見当違いな正義を振りかざすような子ではないのだけれど、聖女なのだからみんなが自分を特別扱いするべきだとは思ってしまっているからなぁ……)



ネアとしては、それはそれで良いと思う。


まだ親元で大事にされていてもいい年齢の少女なのだし、年齢に対して夢見がちなところがあれど、ちょっぴり注目されたい我が儘なお年頃というものは誰にでもあるものだ。


しかし今回は、そんな聖女の忠犬のような二人の騎士達が同行しており、その騎士達がたいそう盲目的で横暴である事が問題なのだった。


女性が一人であの階段を登りきるなんて怪しいと、危うくクッキー欲しさにここにいるだけなのに魔女裁判のような糾弾を受けかねなかったネアが、そちらのチームを好きではございませんの区分けに放り込んでしまうのは、致し方ないと思っていただきたい。


やられる前にやってしまえと、あの騎士達を踏み滅ぼしていないのは、ひとえに、閉鎖的な空間内で面倒ごとに巻き込まれたくないネアの事なかれ主義による。


ネアとしては、うら若き乙女に対し、武器を持っていないかどうか調べる為に衆目の中で服を脱げと命じた男達は、今も命があることを感謝して欲しいくらいだ。



「……………しかし、私はとても執念深いので、あの方々の名前と所属は決して忘れません。ほとぼりが冷める一年後くらいに、毛だらけになる呪いをかけてやるのだと心に誓っています……………」

「キュキュ!」

「そちらはさて置き、商人さんとそのお客様達も少し怪しいですよね。あの商人さんの得体の知れなさはかなりのものですし、如何にも無害そうなバタークッキー購入ツアーの一般のお客様達の中にだって、武器狩りの悪い奴が紛れていても不思議はありません」



二組目は、ガゼッタの王都にあるという有名商店に所属する商人と、その十五人のお客様達である。


こちらは、添乗員役の商人以外となると、名前と顔の一致も難しいどこにでもいそうな買い物ツアーの皆さんだが、敢えてその他大勢に紛れるのも襲撃者の定番と言えよう。


商人の男は、きついウェーブの黒髪に青い瞳の美しい壮年の男性で、美醜で言えば、前述のいつか毛だらけにする二人の騎士達も、如何にも貴族らしい整った顔立ちをしている。



「更には、私と同じ一人でバタークッキーを買いに来た枠の、第一騎士団の騎士団長さんもおりますが、どうやらこの国では第一騎士団は魔術に長けた個人主義の騎士さんの集まりであり、ちょっと得体の知れない厄介者達という扱いのようです」

「キュ………」



図らずも、こんな山の上に第一と第二の騎士団長が揃った構図だが、ガゼッタでは第二騎士団こそが王道の騎士組織であるようだ。

第二騎士団の団長であるサヌウは、第一騎士団の団長であるヴァルアラムを警戒しているように見えた。



(でも、サヌウさんがあの人を警戒するのは分かる気がするな……………)



第一騎士団の団長であるヴァルアラムは、人間の群れの中に紛れた狡猾で冷酷な悪魔がいるとすればこの人物だろうというくらいには、人並み外れた人物であった。


ゆったりとした口調には色めいた軽薄さがあり、その眼差しには人外者達によく見る、人間を睥睨するような冷淡さがある。


はっとするほどの美貌もどこか人間離れしており、銀貨色の髪にラベンダー色がかった水色の瞳は、人を弄うような飄々とした言動の中で、ずっと冷ややかなままだ。


ネアは、かなりの高確率で一般人ではないぞと目星をつけていたのだが、この人物も武器持ちを公表していると知ると、どのような立ち位置なのかが途端に分からなくなった。



(だから、ディノ達とも面識のある筈のアンセルムさんを、信用しきれなくなってしまったというか……………)



どこかにいる良くないものの配役に、誰もが事足りそうで少し足りない。


そうなると、上手く擬態して依頼先の土地に向かう途中の派遣神父を装ったアンセルムほど、分かりやすい不安要因はいなくなる。


顔見知りだからといって、それが信用に繋がるとは言えないのは人外者の常だ。



「死の精霊さんで、ガーウィンにお住まいがある筈なアンセルムさんが、なぜガゼッタの神父様のふりをしてここにいるのでしょう。今回の武器狩りはガーウィンが黒幕的な怪しさなので、そのような意味では最も疑わしい人物です…………」

「キュ」



武器狩りが始まったというだけでも大変な事なのに、こんなところでエーダリア達の足を引っ張ってしまったことが情けない。


ネアはその惨めさにくすんと鼻を鳴らすと、心配そうにこちらを見上げたディノを指先で撫でた。



「怖くはないんですよ。ディノが一緒にいてくれますし、いざという時にはディノは元の姿に戻れますから。………ただ、自分の身勝手さでエーダリア様達が念入りに警戒していた場所に踏み入る事になってしまい、とても情けないのです……………」

「キュ!」

「勿論、いざとなれば、ここにいる全ての方を滅ぼせば良いのですが…………」

「……………キュ?!」

「きりんさんと……………不本意ですが、歌います。幸い密室ですので、ここで全滅させてしまうのならそれはそれでありでしょう。間違いなく無関係の方も巻き込まれますが、私はとても身勝手で臆病な人間なので、我が身可愛さに酷いことが出来てしまうのです」



ここで、自分のせいで巻き込まれておきながら、この手を汚したくないと思うのはあまりにも我が儘だ。


本当に家族を守る為の覚悟があるのなら、必要ならばどんな事をしても、大切なウィームに厄介なものを持ち帰らないようにしなければ。



びゅおるると風が鳴り、窓をがたがたと揺らした。



ネアの部屋は幸いにも角部屋ではなかったが、岩山の頂上いっぱいに建てられた修道院は、角部屋の窓を開けると恐怖の断崖絶壁となる。


ネアは、高所恐怖症ではないのだが、あまりにもギリギリにまで建てられた修道院を見ると、対戦闘においては怖い建物だなという感想であった。

武器狩りの戦いが始まれば、岩山の上の修道院は、簡単に吹き飛んでしまいそうである。



(だからこそ、この修道院を守る為の魔術が武器狩りの開始に反応したのかもしれない)




「とは言え、魔術異変を察知するのですから、他の皆さんも大きな魔術を使えないのは同じ条件なのですよね」

「キュ」

「武器狩りの対象になるような武器というものは、扱うのに大きな魔術を使うのだとも聞いています」

「キュ!」



信仰の系譜の防衛魔術はとても複雑で、特定の条件下で発動された場合は、条件付けが解けるまでは解術は望めないのだそうだ。


でもそれは、あくまでも前提だ。

例えばこの修道院の修道士たちだけは、自由に魔術を使える可能性もある。



「……………それに、騎士さん達はそもそもの身体能力が高そうです。突然に襲いかかられたら堪りません」

「…………キュ」

「ディノ、…………私の理解出来る範疇では、皆さんがとても胡散臭いのですが、この場所では誰が、……………あくまでもこの中ではという範疇ですが、一番信用出来そうですか?」

「キュ!」



そう問いかけると、ふかふかのムグリスな伴侶は、ネアが書き出した名前表の上をすたすたと歩き、アンセルムの名前を素通りして、なぜか第一騎士団の団長の名前の上にたしんと足を置いた。



「……………なぬ」

「キュ!」

「な、なぜこやつなのでしょう。寧ろ、今回の事件の黒幕ではなくても、一番近付きたくない雰囲気の方ではありませんか」

「キュ!……………キュ?」



しかし、ネアがその理由を問いかけようとすると必死に首を傾げているので、ムグリスディノにも理由は分からないらしい。


むくむくの体でまたちび鉛筆を抱えると、机の上の紙に文字を書き始めてくれる。



“…………彼だと思ったのだけれど、魔術的な制限がかけられていて、私にも理由が伝えられないんだ。でも、彼は君を傷付けることはないだろう。………多分”

「むむ、多分……………」

“アンセルムは、少し様子を見ようか”

「はい。あの方の考えた偽装身分を使う事で、そちらの計略に利用されていない事を祈るばかりです…………」



かたかたと風に鳴る窓を眺め、ネアは小さく溜め息を吐いた。


ネアの体は今、修道院に辿り着くまでに登った階段の長さですっかりよれよれになっている。

寝る前に肉体疲労を取る為の魔物の薬を飲むつもりだが、頑張って階段を登っただけの一般人を装う為にも、今はまだ筋肉痛を治さずにいた。



(明朝なら、元気になっていても、一晩寝て回復したと言えるもの…………)



ウィリアムと分け合ったカードには、新しいメッセージはない。


けれど、カードの向こうでは、同じようにこの時間まで起きてくれているリーエンベルクの家族達が、自損事故で厄介ごとに巻き込まれた愚かなネアの為に、あれこれと調べ物をしてくれているのだろう。



「武器狩りが始まったという事は、他の武器持ちの方々にも伝わるのですよね?」

“うん。武器を持たなくても、ある程度の階位があれば察せるものだよ”

「ふむ。であればやはり、始まってしまったのなら先手必勝という感じで、早々に当事者同士が潰し合ってくれるのを祈るしかないのでしょう………」

「キュ」




しかしネアは、その時にもまだ、ここにいる外部者を客観的に見た場合、自分が最も怪しいのだという自覚が足りなかったようだ。



だから事態は、ネアが寝台に入る前の真夜中に動いた。




こつこつと部屋に響いたノックの音に、ネアは、ぎくりと固まる。


寝てしまったふりを使う手もあるが、有事の場合は応対せざるを得ないし、ネアの在室確認が出来ていない時間にもし誰かが襲われでもしたら元も子もない。

あっという間に重要参考人に逆戻りだ。



なのでネアは、手にきりん札とパンの魔物符を握りしめて、訪問者に応じる事にした。


守護的な意味では、擬態で隠しているもののディノの指輪もあるし、滅ぼすのであれば戦闘靴もある。




「はい。どなたですか?」

「シャニウッツです。用があるので、扉を開けるように」

「……………はい」



残念ながら、ネアはここでシャニウッツさんがどなたなのかをさっぱり分かっていなかった。

先程皆で顔合わせをした際に名前の確認をしたのだが、全員をフルネーム紹介された訳ではない。



胸元に隠れたムグリスディノと顔を見合わせたが、ディノもその名前には心当たりがないようだ。



(となると、扉を開けさせる為に、敢えて紹介の際には名乗らなかった家名を出したのかもしれない)



扉を開けるようにという言い方は横柄だが、扉越しに聞こえた声は、どこか飄々としているようにも聞こえた。


ネアは少しだけ躊躇い、けれども成す術もなく重たい真鍮の鍵を外して扉を薄く開いてみる。


そして、扉の向こうに銀貨色の髪が見えた時、とても後悔する羽目になったのだった。







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