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89. それは曇り空の日でした(本編)




その日は、朝からずしりとした重たい曇り空で、死者の日に相応しい空模様と言えた。



秋の最後の収穫祭という言葉の印象からは、からりと青い空を覗かせる晴れでもいいのだが、死者達が地上に戻ってくるこの日は、出来るだけ陽光が差し込まないことが望ましい。


美しい灰色の濃淡をつけた雲が空を流れてゆき、その複雑な色合いにネアは目を凝らした。

リーエンベルクに飾られた麦穂のリースには、白緑色の小さな秋夜想の小枝が差し込まれていて、災い除けの細やかな煌めきが薄暗い風に散らばる。



クロウウィンと呼ばれる収穫祭では、ウィームの街のそこかしこに、束ねた麦穂をくるりと巻き綺麗なだいだい色のリボンをかけたリースが飾られていた。


リーエンベルクでも、日常的に出入りに使われる扉や、正門前にはこのリースが飾られており、クロウウィンの祝福を蓄えている。



(何でもない素朴なリースの筈なのに、どうしてこんなに美しいのだろう………)



ネアはいつも、クロウウィンの度にそれが不思議でならない。


束ねた麦穂を巻いただけのリースと、そこにかけられたリボン。

それだけのリースである。


確かにリボンの橙色は、その色味の中のとっておきのものを選び出したような絶妙な色合いだ。

こっくりとした上品な色合いは、深みがあって光の加減で黄金色にも見える。


自分に似合わないからか、陽光の系譜の色だからなのか、実はあまりこの系統の色合いが得意ではないネアも、何て綺麗な色だろうとわくわくしてしまう。

艶々とした人間の根源的な幸福感を司る小麦の束に、このリボンがまた、よく映えるのだ。



「ディノ、こんなに素朴なリースなのに、ふっと目を奪われる程に綺麗に見えてしまうのは、魔術が宿るからなのでしょうか?」

「この祝祭を宿すものだからね。グレイシアがイブメリアに最も美しく見えるのと同じ理由だよ」

「と言うことは、このリースを残しておけば、正反対の資質の季節には弱々しく見えてしまうのです?」

「役目を終えたリースは、相応しい片付け方をしないと魔術が濁ってしまうんだ。どこかに取っておいてはいけないよ?」

「そ、そうでした………」



こちらの世界の心弾むような祝祭は、その殆どが優しく愉快なばかりのものではない。

やってはならない事や、やっておかなければならない事が、風習として沢山残されている。



(それなのに、どうして人間はいつも、自分達が決めてきた戒めを破ってしまうのだろう。物語でもいつも、すぐに言いつけを破ってしまうのは人間なのだわ………)



秋の収穫への感謝を示す日である今日は、新しい命を育むことは禁忌とされているのだが、昨年のクロウウィンに子供を授かってしまった夫婦がザルツにいたらしい。


その結果、クロウウィンに育まれた子供が最も命を落としやすいと言われる今日、エーダリアはザルツでの祝祭の儀式詠唱をする事になっている。

滅多にない、ザルツでの領主主導の祝祭儀式の為に、リーエンベルクは、朝から騎士達が忙しなく行き交っていた。



「今日は少し冷えますね………」

「陽が差さないだけではなく、死者達が地下から上がってくるからね」



さくさくと落ち葉を踏むのは、綺麗に掃き清められた庭の中の歩道ではなく、禁足地の森との境界のあたりだ。


森との境界のあたりをくまなく歩き、ネア達は、朝食後から一刻くらいの時間をかけて、リーエンベルクの外周に魔術的な異変がないかどうかを丹念に調べていた。



これは本来なら、三席までの騎士の誰かが受け持つ仕事なのだが、今はその三人の手が埋まっているので、ネア達が引き受けた次第である。


グラストからの各所からの連絡などの引き継ぎを終えた後は、リーエンベルクにはゼベルが残るそうだ。




(エーダリア様が、クロウウィンをザルツで過ごすのは初めてなのだとか………)



正午にはこちらでの儀式もあるので、それ迄には帰ると聞いているものの、前例がないと聞けば不安にもなる。


何しろ、ザルツの伯爵はあまり好意的とは言い難い御仁で、そのような人物が筆頭となる土地に、よりにもよってクロウウィンの障りを受けて生まれた子供が引き起こすかもしれないという災厄封じで出かけてゆくのだ。



(無事に終わると良いのだけれど………)



災厄封じそのものは、エーダリアの技量があれば成功は間違いないとノアから教えて貰った。

しかし、常に緊張を強いられるこの忙しい日だからこそ、ウィーム領主を損なおうとする誰かが現れても不思議はない。


ただ、そう考えるのは勿論ネアだけではなく、ザルツ行きの同行者は厳選されており、ヒルドとノア、グラストとゼノーシュの他、四名のリーエンベルクの騎士が同行することになっていた。




「ネア、エーダリア達は心配ないよ」



そう声をかけられ、ネアは、曇天の薄闇の中で光を孕むような水紺色の瞳を見上げた。


ふと、この魔物はネアと出会ってからの日々で、こんな風に案じてくれるようになったのだなと、感慨深くなる。



そして、ディノが安心させてくれようとしたから、ネアはやっとエーダリア達のザルツ行きの不安について触れる事にした。



「豊穣に感謝をする日に、休息を得るべき豊穣に労働を強いるような新しいものを芽吹かせることは、豊穣の系譜の方々に対しての失礼にあたるのですよね」

「ジアートより階位が高ければ、そのような事をしても問題はない。ただ、人間では難しいかもしれないね」

「その日に育まれてしまったお子さんは、障りを受けた子供と呼ばれるようになるとは言え、呪われてしまうような事はないそうですが、………本来であれば、子供が産まれるのは喜ばしい事なのに、何だか少し寂しいですね………」



クロウウィンに育まれた子供は、クロウウィンの障りを受けた子供と呼ばれるようになる。


何も知らずに生まれてくる子供が、その無垢な身に呪いを背負うのだと思えば、ネアは、見ず知らずの誰かなのに遣る瀬無くなってしまう。

ついそんな風に言ってしまったネアに、ディノは思案深げな目をした。


ディノは優しい魔物だが、人間の愚かさで産み落とされるクロウウィンの障りの子供は、決して無害ではない。


だからこそ、ディノの老獪な眼差しは、自分の伴侶が無責任な同情でその障りに触れようとしないかどうかを冷ややかに観察しているのだろう。



「障りを受けるという話は、死者の子から来ているのだろう。クロウウィンに子を成すことを禁じる風習が、古くは、死者との交わりを禁じる為の措置でもあったようだ。豊穣の系譜への配慮は、生まれた子供が豊穣の恩恵を受けられなくなることが知られてから、広がった理由だと聞いているよ」



そう言われれば、人間達が、敢えてそちらの理由を前面に掲げた意図は読めるような気がした。



禁術までを使い死者と子を成すのは、儀式的な呪いや災いとされる。

魔術的な探求心や、最愛の人との再会で箍が外れてしまうなど様々な要因があれど、その顛末は無残なものにしかならない。


特に後者はウィリアムが苦心して手を打ち、今は殆どなくなったそうだが、それでも数年に一度は死者の子を成す事例が報告されるのだそうだ。



(それが、亡くなった人を惜しんで手を伸ばされたものだとしたら、そんな誰かを諫めなければならない人達もまた、とても苦しいのだろう……………)



だから人々は、豊穣の祝福を得られなくなるからとそれを声高に禁じ、もう一つの悲しい禁忌を裏側に封じたのではないだろうか。


ネアの生まれた世界でも、さわりのない理由の裏側に、陰惨な史実が封じられている風習は幾つもあった。



死者には原則子供は成せないが、呪いを幾つか併用する事によって可能にもなるらしい。

産まれた子供は三日で土くれになってしまうが、その土くれからは、特等の災厄に等しい怪物が生まれると言われている。


そうなる前に対処をするのが終焉の魔物の仕事なのだと言えば、ウィリアムがどれだけ非情な選択を強いられるのかも分かるというものだ。




「ネア、ここにいたか」


ネアがクロウウィンの子供達について考えていると、ぎいっと庭に面した扉が開き、声がかけられた。

振り返ったネア達のところにやって来たのは、祝祭仕様の装いに着替えたウィーム領主だ。


豊穣を祝う祝祭では続いて訪れる雪の白さを連想させない装いが好ましいそうで、エーダリアの本日の服装も、淡い色を避けて黒を基調としたものになっている。


美しい夜を思わせる黒い服地に、シュプリの泡のような淡い金色が良く映えた。

刺繍に縫い留められた豊穣や晩秋の結晶石の煌めきで、こちらを見るエーダリアの瞳は金色がかったオリーブ色に見える。



そしてその表情にはやはり、僅かばかりの緊張が見て取れた。



「エーダリア様達は、もう出られますか?」

「ああ。その前に、お前達とも話をしておきたかったのだ。朝から見回りを任せてしまってすまないな」

「いえ、リーエンベルクは大切なお家なので、是非に見回りさせて欲しいです。そして、お出かけ前でお忙しいのですから、こちらから伺えば良かったですね」


ネアの言葉にほわりと微笑むエーダリアは、髪結いの魔物を呼んだのか、いつもとは違う髪型になっている。


一筋の髪を左耳の後ろに残し、そこにつけた髪飾りは、恐らくノアの持たせた塩の祝福石だろう。

ネアは少しだけ、毛髪に塩の組み合わせは大丈夫だろうかと考えたが、祝福石なのできっと問題ない筈だ。



「そろそろ出かけようと思う。ザルツでの儀式を終え、そのままこちらでの儀式に向かう予定だ。ヒルドから聞いているだろうが、今回のザルツ訪問は騎士達も連れてゆくからな。こちらの人手が足りなくなる分、負担をかけてしまう」

「こちらにはディノがいますし、もうすぐウィリアムさんも来てくれますので、安心して任せて下さいね。エーダリア様、きりんさんは持っています?」

「あ、ああ。今日は念の為に持たせて貰った。ノアベルトも一緒なので問題はないと思うが………」


そう聞けば、他の開発中の武器もどっさりと持たせてしまいたくなるが、エーダリアやヒルドには、ノアの守護があるだけでなく、有事の際にその場から安全な場所に転移させる脱出方法も魔術添付されている。


あまり過剰に反応して不安がらせてもいけないので、ネアはぐっと我慢した。



「ヒルドさんは一足先に現地入りしたのですよね。困ったものはまだ現れていなさそうですか?」

「今はまだ、あわいの揺らぎが少ないのだろう。だが祝福食いが現れるのは時間の問題だからな……………」



今回、エーダリア達がザルツでのクロウウィンの儀式に参加するのには理由がある。


クロウウィンに育まれてしまった子供は必ず、生まれた年のクロウウィンで祝福食いと呼ばれる怪物に襲われるのだ。


豊穣の祝福を持たない子供は、祝福を欠き派生した貪食の祟りもの達と同じ属性に転がり落ちる。

同じ属性を持ちながらも健やかに育つ赤ん坊を彼等は許さず、その赤ん坊を探し出し、庇護する者達の祝福を剥ぎ取りに来ることから、祝福食いと呼ぶのだという。



(得られないのは豊穣の祝福だけなのだけれど、それは、生き物にとって大切な資質なのだわ………)



だからこそ、クロウウィンに育まれた命はどれだけ真っ当に生まれても長くは生きない。



こうしてウィーム領主自らがザルツでの儀式に足を運び、祝福食いを退ける為に香を焚いて儀式詠唱を授けても、どれだけその子供の親達が心を砕いて大事な我が子を守ろうとしても、得られないばかりの小さな魂は常に危険に晒され少しずつ摩耗し壊れていってしまう。



でも、だからこそのこの儀式なのだ。



領主自らが直接儀式を行う事で、生まれて持った資質は変えられずとも、その子供はひと時の注目を得る。


そうして得た注目が続く間であれば、クロウウィンに浮かれた妖精や精霊達が、無垢な子供に情けをかけることがあるのだ。


幸い、ザルツの子供は貴族の娘で、人外者好みの金髪の巻き毛の美しい子供であるらしい。

妖精や精霊の祝福が得られれば、転がり落ちた系譜を立て直して祝福を新しい系譜として上書きする事が出来る。


つまり、祝福食い達に追われることもなくなるのだ。




「そのお子さんに、いい出会いがあると良いのですが………」

「身に持つ色や造作は、妖精好みの子供のようだな。父親が子爵だという事もあるが、助かる可能性があるからこそ儀式への招待依頼が来たのだろう。先に会場に入ったヒルドからも、今回は可能性が高いという一報が入った」



禁を犯し生まれた子供でも、幼い子供には罪はない。


大人たちがそんな子供を救おうとするのは当然なのだが、それがここまで大掛かりな対処となったのは、祝福食いに襲われるであろう家族がザルツの上位貴族であったことも理由に上がる。


ザルツとしても、当人たちの落ち度はあるとは言え簡単に見捨てられない一族であり、エーダリアの代理人のダリルも、ザルツに恩を売る形で協力を快諾した。


また、クロウウィンに生まれた子供が祟りものに殺されると、殆どの場合は人間の祟りものになる。

特にまだ言葉を理解しない乳飲み子の祟りものは、相反するようだが誕生の祝福がある為に高階位の祟りものになるのだとか。


そちらの点からも放置出来ず、今回は、領を挙げての対策となるのだった。


美しい刺繍のケープを翻して戻っていったエーダリアを見送り、戸口で待っていたノアにいってらっしゃいと手を振った。


ノアはリーエンベルクの騎士に擬態しているが、漆黒の装いに銀髪を黒いリボンで結んだ姿は、さぞかしご婦人達の目を引くだろう。




ざわざわと木々が揺れる。

生き物のように動きうねる森は、どこか見知らぬ場所のようにも見えた。



「風が少し出てきましたね。森の奥がぐっと暗くなって、見たこともないくらいに妖精さん達が光っています………」

「雨が降らないのに雨待ち風が吹いていたら、森に近付いてはいけないよ」

「そうなのですか?」

「クロウウィンの日は、人間を欲しがる妖精達が紛い物の死者の扉を作ることがある。その前兆となることが多いんだ。ほら、ああして妖精達が光っているだろう?君が見ている光は、人間を招き寄せるためのものなんだ」



森の奥の光が綺麗だなと思って見ていたネアは、そこに紛い物の死者の門があると知ってぞくりとした。


その罠がある時に不思議な風に誘われて森に迷い込んでしまうと、偽物の門の向こうから懐かしい家族の声が聞こえてきて、門の手前で足を挫いたので手を伸ばして欲しいと言われるのだそうだ。


うっかり手を伸ばしてしまうと、怖い妖精に捕まってしまうのはこの世界の定番である。




「中庭を抜けて南門の方を見回ったら、中に入ろうか」

「はい。………む、持ち上げられました」

「紛い物の死者の門があるということは、クロウウィンの魔術に妖精の国へのひび割れがあるということなんだ。恐らく、クロウウィンの障りの子が生まれたこともあるのだろうね」

「まぁ。…………ザルツからはだいぶ離れているのに?」

「それでも地名の魔術の上では、ここは同じウィームという基盤の上だからね。妖精達の噂話は、あっという間に広がってしまう。その子供を見に行くもの達も多いだろうが、こうして、人間達が罪を犯したと、人間達の心の不安定さを狙って罠を仕掛ける妖精達も現れ始めるんだ」



(ああ、だからなのか…………)



禁忌の子供は、人知れず殺されてしまう事も多いと聞く。


祝福食いといい、この妖精達の反応といい、禁忌の子供を巡る災いの訪れが家族だけで済まない事が、無垢な子供達をより生き難くするのだろう。


全ての人たちが、自分や自分の大切な家族を犠牲にしてまで、他人を守りきれるものではない。

今回のザルツの子供は、ウィームが対策を講じた上でも揺らがない程の安定した土地であったことでも救われている。


それでも、妖精達に好まれるような容姿でなければ、ここ迄のことはしなかっただろうとさえ言われているのだ。


危険を齎す命である以上、当然ながら一人の子供よりも、ウィーム領主の命の方が重い。

助かる見込みのない子供の為には、エーダリアは動かせないと考えられるのは仕方のない事だ。




「……………ディノ、あれは?」


見回りの途中でネアが見付けたのは、不思議な黒い鳥だった。


鴉に似ているが尾羽が長く、真っ黒な体の中で頭の冠毛だけが白い。

身に白を持つのだから高位なものだろうと考え、ネアは俄かに不安になる。


どこかぞくりとするような不穏な気配があり、あまりいいものには思えなかったのだ。


案の定、そちらを見たディノは厳しい眼差しになる。



「死告げ鳥だね。あまり良い前兆ではないものだ。………どこかで、非業の死を遂げる者が現れるという前兆なのだけれど、……………ネア、その報せは変えられるから怖がらないでいいよ」

「……………ふぁい。ゼベルさんにもお伝えしておきます?」

「うん。ノアベルトには私から伝えておこう。………ネア、怖いなら顔を伏せておいで」

「むぎゅ。ここに住んでいる方達も、みんな私のリーエンベルクの一部なのです。誰かを傷付けるものが現れたら許しません!」



突然、トゥリリリと、死告げ鳥が鳴いた。


想像していなかった美しい鳴き声に、けれども体感気温が下がるような異様な感覚がある。

ぞっとしてこくりと息を飲んだネアは、すぐ背後にばさりと衣擦れの音を聞き、ディノの腕の中でぴっと体を竦ませてしまう。



「シャックウィーター、ここは駄目だ。悪いがここは、俺の守護を受けているからな。予兆を回収して、他の土地に去れ。言っておくが、この先の道に広がる街も俺の領域だからな?」


けれども、ひやりとするような静かな声が落ちれば、ネアは先程の衣擦れの音が、頼もしいウィリアムのケープのものだったのだと気付きぱっと表情を明るくした。


ウィリアムにそう声をかけられた黒い鳥は、つんと澄ました横顔を崩してこちらを見てぎゃっという顔になると、ばたばたと羽ばたいてあっという間にその場から飛び去ってゆく。



「ウィリアムさん!」

「ちょうど俺が来た時で良かった。シルハーンでも対応出来たが、俺が追い払うのが一番手っ取り早いからな。………シルハーン、随分とあちこちに歪みがありますね」

「うん。やはり禁忌に触れると少し歪むようだね。ただ、クロウウィンの障りだけにしては少し反応が強いのではないかな。もしかすると、何か他の障りが重なっているのかもしれないよ」

「確か、禁忌を犯したのはザルツの貴族でしたよね?そのような事の回避に長けている筈の貴族が、最も有名な禁忌に足を掬われるのも気になりますね………」



(これは……………、)



何やらひと波乱ありそうな会話にネアが眉を下げていると、ディノがふわりと頭を撫でてくれた。


「ひとまず中に入ろうか。死告げ鳥のこともあるし、早目にノアベルトと話をした方が良さそうだ」

「はい。………ディノ、ザルツの子爵家のご夫婦が狙われるのではなく、標的はエーダリア様の可能性もあるのではないでしょうか?」


ネアがそう問いかけると、そうだねと頷いてくれると思っていたディノは、なぜか不思議そうな顔をした。


屋内に運ばれながらではあるものの手早く確認をすれば、なんとネアと魔物達とでは、生まれて来る子供の資質についての認識の相違があるではないか。


司るものから派生する魔物達は、人間のように両親の身体的特徴から可愛い子供が産まれるに違いないという予測は立てられていなかったのだ。



「………人間は、生まれてくる子供の見込みを立てられるのだね。であれば、今回のことが意図的に仕組まれたものである可能性もあるかもしれないよ」



(こんな風に、思わぬところで種族の違いが出るのかもしれない………)



危うく取り零しかねなかった危険に息を詰め、ネアは、ノアと何やら魔物流のやり取りをしているらしいディノの様子を見る。


魔術の繋ぎを予め設定しておくことが必要なので、よほど親しくない限りはやらないものの、二人の間には、便利な専用回線があるらしい。

長距離のやり取りを可能にする高位の魔物達が、直接の回路を作るのは稀有な事例なのだそうだ。



屋内に入ると、ネアは大急ぎで騎士棟のゼベルに連絡を取り、事の次第を伝えた。


シャックウィーターが現れたと聞いたゼベルはかなり動揺していたが、終焉の魔物が追い払ったと聞いて落ち着きを取り戻したようだ。



「助かりました。となると、リーエンベルク内での死者は出なさそうですが、シャックウィーターが出現する程の状態なのだと知れて良かったです。街の騎士達にも共有しておきます」

「はい。何かあればこちらにも連絡を下さい。お力になれる事もあるかもしれません」

「…………シャックウィーターということは、大聖堂にも連絡をした方がいいかもしれませんね。教会同士で連携が取れるので、ウィーム内の各所に一報を入れてくれますから」



ネアがゼベルとのやり取りを終える頃には、ディノはもう、ノアとの連携も、ゼノーシュやダリルへの連絡も終えていてくれた。


幸い、ノアから話を聞いたヒルドは確認に時間をかけるような事はせず、ゴーディアを通して子爵夫妻からその時の事を素早く聞き出してくれたようだ。



「やはり、本人達も普段にはないことだったと話しているようだ。何かの企みがあるのかもしれないね」

「エーダリア様達に何もないといいのですが…………」

「状況さえ把握出来れば大事にはならないだろう。ザルツには、ダリルの弟子から増員が入るようだ」

「シルハーン、しかしザルツが陽動だとすると……、」

「うん。不愉快なことだけれど、その可能性もあるだろう。こちらに残ったダリルや、象徴としてのこの建物。街そのものに加えてこの子が標的である可能性もないとは言えない」

「そうなると、寧ろ何かが起こってくれた方がまだいいですね。祝福食いの襲撃は苛烈ですが、正攻法で防げるだけましだったな………」



(苛烈……………?)



ネアはここで、ウィリアムの零したそんな言葉に鋭く息を飲んだ。


祝福食いという厄介なものが現れるとは聞いていたが、ノアとヒルドがいれば問題ないくらいのものだとすっかり高を括っていたのだ。

しかし、終焉の魔物であるウィリアムをもって、苛烈と言わしめる存在なのだとすれば、ネアの想定にはかなりの修正を入れなければならない。



「…………ウィリアム、死者の国の様子は問題なさそうかい?」

「ええ。こちらに早めに合流したかったので、数日前から調整しました。その期間内で大きな鳥籠事案があれば危うかったですが、今回は上手く重ならずにすみましたからね」



ネア達は当初、昼過ぎまではエーダリア達の代わりにリーエンベルクに留まり、エーダリア達がウィーム中央で行われるクロウウィンの儀式に入った辺りで、昼食をいただく予定であった。


夕方からは街に出て、クロウウィンのあれこれを堪能する計画なのだが、この様子ではそんな風に悠長に構えている余裕などないかもしれない。



「ディノ、………今回のことが、武器狩り絡みということはないのですか?」

「昨年の段階では、武器狩りが今年になるという情報はなかった筈だ。関連はないように思うけれど、断言は出来ないかな」

「そうなのですね………」



窓の外は薄暗く、今もまだ森の奥では妖精の光が瞬いている。


死者の国を回ってからこちらに来たというウィリアムが、ふうっと息を吐いて軍帽を脱いだ。

魔物達は椅子に座る時にあまり音を立てないが、深々と腰かけて片手で前髪を掻き上げる姿にも疲労が滲んで見える。



(クロウウィンの子供の儀式に出る間こちらに来れないかと言われて、ウィリアムさんは無理してこちらに来てくれたのだ………)



そんなウィリアムの為に、ネアが冷たい紅茶のポットを持ってくると、終焉の魔物の白金色の瞳にほっとしたような微笑みが浮かんだ。



「すまないな。ちょうど冷たいものが飲みたかったんだ」

「少し落ち着いたら、温かい飲み物やスープもありますからね」

「はは、甘やかされているな」



淡く苦笑したウィリアムが、ふっと窓の向こうに視線を向ける。

片手でグラスを持ち紅茶を飲みながらであるので緊急性はないのだろうが、気になる何かがあるらしい。


思っていたよりも大規模なものかもしれない祝福食いの襲撃といい、今日はネアが思うよりもあちこちが危ういのだろうか。



「シルハーン、もし可能であれば夜にはミカの手を借りたいのですが、声をかけても?」

「やはり、あの門が気になるかい?」

「紛い物の死者の門であることは間違いなんですが、……随分と魔術の輪郭が鮮明ですね」

「君もそう思うのであれば、ミカに声をかけよう。この子との縁もあるし、あわいの調整は彼が一番長けているからね」



ゆっくりゆっくりと陽が翳るように、はらはらと降り積もる不安の欠片に、ネアは膝の上で重ねた手を緩く握り締めた。


その途端、横からすっと伸ばされた手が体を持ち上げ、ネアは伴侶な魔物の膝の上に乗せられている。



「ディノ……」

「今日は、美術館に行くのだろう?」

「……………ふぎゅ」



優しい声にへにゃりと眉を下げたネアに、ディノはそんなことは簡単に叶えられるよという風に微笑んでくれた。



「警戒をしなければならない要素は過分にあるけれど、君を怖がらせるような事にはならないよ。祝福食いへの対応としては、ノアベルト程の適任もいないからね」

「ふぁい。悪い奴の企みなど、見つけ次第くしゃぼろにしてやります………」




そう宣言し、ネアは心に固く誓った。

全てを恙無く終わらせ、クロウウィン限定の屋台の飲み物を、絶対に心穏やかに飲んでみせるのだ。











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