獲物の森
「ディノ、昨日のサラミ祭りからの、本日のお昼はベーコン祭りです」
その日の朝、魔物に厳かに本日の予定を告げたネアに、ディノは真珠色の睫毛の影を落として目を瞬いた。
巣に持ち込もうとしていたらしいお菓子袋のリボンを手に持っていたので、ネアは素早くリボンのスクラップブックを持ってきたところだ。
こちらに蓄えましょうねと言えば、魔物は少しだけ残念そうにこくりと頷く。
 
「ベーコン祭り……………」
「美味しいベーコンを公費で買えるという、とんでもない企画なのですよ」
「仕事なのだね」
「はい。実は以前のお仕事で伺った、お肉屋さんに高位の魔物さんが出没しているという情報が入り、買い物ついでに様子を見てくるお仕事なのです」
「……………ネアが浮気する………」
「まぁ、なぜ荒ぶってしまうのでしょう?」
どうやらディノは、お肉屋さんの息子さんについて、以前のネアが下した評価を忘れていないらしい。
理想の男性像にとても警戒しているので、ネアは少しだけ思案した。
ここは、ずる賢い人間の知恵の使いどころである。
ネアはにっこり微笑むと、ご主人様が仕事に出ないように三つ編みを渡してきている魔物に、こう提案してみた。
「でも、その方よりも私はディノを選んだのです。ディノ、このお仕事に行ってみて、ネイアさんに私が結婚報告をしたらきっと安心出来ますよ?」
「あの人間に、…………結婚、………報告をするのかい?」
「結婚という言葉だけで、息も絶え絶えですね。ええ。私から、大好きな魔物の伴侶になりましたと伝えておけば、もうあの方との浮気は絶対にありません。ほら、とても素敵な事だと思いませんか?」
「……………そうなのかな」
「人間は、時としてそうしてお相手を威嚇するのですよ。けれども今回は、心配しているのはディノなのですが、私からの報告ですので、より高度な浮気防止策となります」
「ご主人様!」
水紺色の瞳をきらきらさせた魔物に、ネアは凛々しく頷いた。
仕事に私情を持ち込んではならないので、何とか魔物を説得出来てほっとしたのだ。
晩秋の森は、ふくよかな彩りに満ちていた。
鮮やかな紅葉は少しだけ渋い色味を帯び始め、冬への蓄えを急ぐ毛皮の生き物達が、地面に落ちた木の実をせっせと拾い集めている。
中には、蓄えを頑張り過ぎたのかまん丸になってしまった妖精栗鼠などもおり、ネアにとっては眼福の季節であった。
「ディノ!こやつを狩りました」
「ご主人様……………」
「木の枝で出来たお人形のような不思議な生き物ですが、高く売れるでしょうか」
「それは、森残照の妖精だよ。人間を森に迷わせて食べてしまう生き物の一種だ。森歩きの災い除けになるから売れるのではないかな」
「まぁ、悪いやつだったのですね。かさかさ足元に寄ってきたので、爪先でちょいっとやったら簡単にお亡くなりになりました」
「……………うん」
「それから、王様カワセミも捕まえたんですよ。この森では初めて見ましたが、なかなか立派です」
「……………またカワセミを狩ってる……………」
ネアは、腕に引っ掛けておいたぺらぺらリボン生物をディノに見せ、誇らしげに頷く。
これは人間目線だととても悪い生き物で、尚且つ多少の乱獲ではいなくならない生き物なので、生態系を崩さず安心して狩れるのだ。
ディノに報告した獲物をいそいそと金庫にしまうと、またディノの三つ編みを持たされて森を歩き始めた。
秋の森には、様々な生き物達が集まっている。
特にこのあたりの森は古く豊かな森で、あのネイアが日々狩りをしていても獲物がいなくならないくらいなのだから、ネアとてはしゃいでしまう。
木漏れ日がレース模様のように足元を照らし、グミの木のような赤い実をつけた立派な木の横を通る。
木の下の茂みで星屑に似た黄色い花をつけているのは、星霞草だろうか。
ふくふくとした栗鼠姿の妖精達が、木の枝の上で見事な森結晶を抱えて大騒ぎしているのは、冬篭り用の木のうろの中に、照明代わりにどうやって設置しようかと議論してのことのようだ。
歩くたびに、足元でぱりぱりと落ち葉を踏む。
時折、はっと目を惹く程に綺麗な色の落ち葉があり、ネアは持ち帰りたい欲をぐぐっと堪えた。
前の世界に暮らしていた頃のネアであればまず間違い無くお持ち帰りしたのだが、宝物の増えた今は、落ち葉までコレクションしたらとんでもないことになってしまう。
でも、我慢出来ずに一度拾い上げると、目の前に翳して美しい色を楽しんだ。
(気持ちのいい日だわ……………)
はらはらと、蝶が舞うようにして色づいた葉が落ちてくる。
ネアは晩秋のこの落葉が大好きで、森のそこかしこで降っている美しい雨を眺めた。
木漏れ日として差し込む陽光が、あちこちで光の筋を森に投げかけ、その光の輪に照らされた場所では森結晶や不思議なキノコがしゃわしゃわと光る。
「むむ!」
「ネア?」
「ディノ、平ぺたもしゃもしゃを狩りました!これはまるで、……………ドアマットのような」
「ドアマット……………」
次にネアが狩ったのは、ドアマットのような不思議な生き物で、落ち葉の中に隠れていて噛み付こうとしたので、えいやっと踏んでしまった次第である。
ずるりと引っ張り出して持ち上げると、何というか銀杏の葉の形に見える生き物だ。
「もしゃもしゃですが、高く売れるでしょうか?」
「詳しくは知らないけれど、秋の系譜の精霊のようだね。階位の高い生き物だから、高く売れるのではないかな……………」
「ふむ。このまま行けば、ザハの秋のランチセットをもう一度食べておけそうですね」
「ネア、食べたいものがあれば、いくらでも食べさせてあげるのに」
悲しげにそう呟いた魔物は、昨晩、ネアに沢山のサラミを買ってあげたことで、大歓喜のご主人様を見てしまったばかりだ。
すっかり味をしめてしまい、ご主人様に食べ物を買い与えたくて堪らない様子である。
この森に来る前も、最寄駅の入り口にある売店で、焼き栗風味の紅茶を奢ってくれると、ネアが美味しく飲む姿を見ながら目をきらきらさせていた。
(嬉しくて仕方ないみたいだし、こんな時はきちんと甘えておこうかな。今回のお仕事では、少しだけ無理も言っているもの……………)
 
またしてもずる賢さを発揮した人間は、ここでも一計を案じ、手にした三つ編みをくいくいっと引っ張ってみる。
三つ編みを引っ張られた魔物は目元を染めてずるいと呟いているが、本題はここからなのだ。
「……………ディノ、一つお願いがあるのですが……………」
「何でも言ってごらん。食べたいものがあるのかい?」
「帰りに、この近くにある揚げパン屋さんに寄りたいのです。以前に、これから向かうお肉屋さんにチラシが貼ってあったので、場所はそちらで聞けば分かると思うのですが、どうやらその揚げパン屋さんがとても美味しいらしいのですよ」
「おや、では帰りに寄ってみようか」
「はい!」
その揚げパン屋さんの噂は、ネイアの特別指南を受けた騎士達が口にしており、以前、ゼノーシュが噂の真偽を確かめてくると出かけていったものである。
結果、とても美味しくいただけたそうなのだが、人気の揚げパン屋さんなので、その場で食べる一つとお土産用の一つしか買えないのだとか。
これは、森の中の揚げパン屋さんらしく、森に住む生き物達がやっと貯めた硬貨などを握り締めて買いに来るので、品物を誰かの大量買いで空っぽにしないようにしているらしい。
ネアは、この世界の、土地の生き物達との共存の仕方も大好きだった。
またさくさくと落ち葉を踏みながら歩いていると、ネアは、生き物の気配に目を細めて鋭く木の上を見据えた。
(……………何かいる?)
少し先にある古木の大枝になかなか大きな生き物が潜んでいる上に、恐らくその生き物はこちらを見ている。
獲物を狙っていると言っても良いくらいの不躾な視線を感じ、ネアは、靴が少しきついふりをして一度しゃがむと、ブーツの紐を緩めてブーツをがぼがぼにしておいた。
暫し歩き難くなるが、獲物を狩るために必要な手順である。
がぼがぼと音を立てながら少しだけ歩き、木の枝の上にいた生き物が身動きしたところを狙って、もう一度靴を履き直すふりをして脱いだブーツをえいやっと投げつけた。
「てい!」
「ネア?!」
ぎゃあと恐ろしい悲鳴がして、大きな塊がぼさりと木の上から落ちてくる。
どうやら獣の類ではなく、人型の生き物だったようだ。
「…………まぁ。木の枝の上にいたので、てっきりお腹を空かせた獣さんだと思っていました。殺してしまったでしょうか……………」
「……………生きているみたいだね。ネア、このような形をした魔物は、君を狙っているものであれば壊してしまって構わないけれど、あまり狩らないようにするんだよ」
「……………ふぁい。こやつめが、木の上からこちらを見ていたので、何かをされる前に狩る事しか考えていませんでした……………」
「ご主人様……………」
少々獰猛過ぎる伴侶に、ディノは少しだけふるふるしながら地面に落ちた獲物をひっくり返してくれた。
苦しげに顔を歪めて失神しているが、面立ちは男性らしい涼やかな美貌の持ち主である。
(何となくだけれど、騎士さんや狩人さんが似合うような面立ちのような……………)
黒緑の装いは騎士服にも似ている。
そうなると、この森を守る人だったらどうしようかとネアは不安になってきた。
手を伸ばしてゆさゆさ揺さぶろうとしたが、ディノがとても嫌がったので、拾ってきた棒でつついてみる。
近くの木の枝の上には、ムグリスらしきもの達が集まり、この事件をじーっと見ているようだ。
「……………っ、……………くっ、」
「目を覚ましたようです。生きていたと分かった後はもう、この場にそっと置いてゆきましょう」
「……………イチイのようだね」
「いちい?」
「赤い実をつける木だよ。熟した実以外には毒があって、木の枝や幹からは武器が作られる。子爵位の魔物だね」
「まぁ、子爵位の魔物さんだったのですね…………」
しかし、目の前で頭を押さえ小さく呻いている男性は、侯爵のグレアムが、その上の公爵な魔物達を凌ぐほどの力を持つのと同じように、生来の器用さから爵位に似合わない力を持つ魔物であるらしい。
魔物達が好む酒を作ることもその一因で、数多くの生物達がこのイチイの木の魔物を傷付けないように、協定を結んでいる。
イチイの木のお酒は素晴らしい果実酒で、毎年予約殺到の、幻と呼ばれる人気のお酒なのだとか。
そう聞いたネアは、数いる魔物な支持者達に復讐されたらどうしようかと、へにゃりと眉を下げた。
「ディノ、ここはこの方の心象を良くしておかねばなりません。支持者の方たちから逆恨みされるのは避けたいです」
「ネアが浮気する……………」
「ぐぬぅ。偽装工作の間だけは、荒ぶるのをやめるのだ」
勿論このような時は、ネアは、ご愛用のおやつを取り出すのだ。
しかし、がさがさと音を立てて森の仲間のおやつを出したネアに、今度はディノが荒ぶってしまった。
「……………あなたが、俺を殴り落としたのか」
「ぎゃ!間に合いませんでした!」
「ロビシャ、この子は君が自分を狙っている獣だと勘違いしてしまったんだ」
「……………っ、我が君?!」
ブーツの当たった頭を押さえ、低い誰何の声を上げたイチイの魔物は、ネアの隣にいるのが万象だと、擬態をしていてもすぐに気付いてしまったらしい。
慌てたように飛び上がると、ふらつく足で背筋を伸ばして立ち、優雅な臣下の礼を取る。
その姿もまるで騎士のようで、ネアは密かなる大興奮で、おおっと目を瞠った。
「御前にて、醜態を晒しました。ご無沙汰しております」
「久し振りだね。君がこのようなところにいるのは珍しいのではないかい?」
「近くに友人の家族の営む店があるので、そこを訪れる途中でした。擬態をしておりましたが低階位ではない魔物の気配を感じ、木の上に身を潜めていたのです。しかし、それが却って、シルハーンが連れている女性を不安にさせてしまったようですね」
(騎士さんだわ……………)
イチイの木の魔物の声音は、硬質だが柔らかいという素晴らしい均衡を保っている。
普段の冷徹そうな気配を残しながらも、どうやら互いに面識があるらしく、目元を僅か柔らかくしているのだから堪らない。
背は高く、細身ながらもしなやかで強靭そうな肉体と、秋の森に良く似合うラベンダーがかった茶色の髪に、瞳の色はラベンダーの虹彩を持つ木苺のような赤色。
騎士らしい実用的な装いだが、どこか禁欲的な雰囲気が逆に色めいて見えるという危うい印象でもある。
これまでのところ、ネアの騎士図録では、ベージが最も憧れの騎士像に近い印象だったが、場合によってはそれを脅かしかねない人材が現れてしまった。
「靴を投げつけてしまって、ごめんなさい。痛いところがあれば、傷薬もありますからね」
「……………いや、女性を怖がらせてしまったのは、俺の方だ。すまないことをした」
「むむ、………怯えています」
「……………っ、……………そうではないのだが、………あまり女性と話すことがないので、おかしなところがあっても容赦して欲しい」
突然そんな告白をされ、ネアは、ディノと顔を見合わせてしまった。
どうやらイチイの木の魔物は、女性への免疫がないようだ。
聞けば、近くに来たネア達を見て、良くないものではなさそうだと理解しながらも木から降りて来なかったのは、女性の姿にとても緊張してしまったからなのだそうだ。
「………君は、夜会で、何人かの女性と過ごしていなかったかな」
「……………ええ。以前は何も気にしていなかったのですが、伴侶探しを始めてから、どうも……………上手くいかなくなりました」
「もしかすると、女性の方を意識し過ぎるようになってしまったのかもしれませんね。一緒にいて楽しければ伴侶にしようかなくらいの、少し鈍めの感覚に戻されてみては?」
「…………すぐに伴侶にするのではなく?」
「性急過ぎますね」
「性急なのか……………?」
ディノの話を聞けば、ロビシャは夜会などで女性に人気のある魔物だったらしい。
以前はさして女性を意識していなかった事から普通に振る舞えており、ディノ曰く、夜会でのウィリアムくらいの対応はしていたとの事だった。
ネアは例題にされたウィリアムの様子も知らないので首を傾げたが、ディノから見ると夜会上手の一人だったらしい。
(でも確かに、……………なんというか不思議な色っぽさのある男性らしい美貌となれば、ご婦人方からかなり人気がありそう……………)
この手で木の上から撃墜してしまった事で顔を合わせた魔物だが、そんな事情を聞いてしまうと、何だか放っておけなくなった。
決して、理想の騎士風でちょっといい匂いがするからではないし、イチイのお酒を狙ってはいない。
(ウィリアムさんも求める雰囲気にかなり近いのだけれど、少しだけ気配が高位過ぎるというか、騎士さんというよりは軍服の素敵さが際立ってしまうから………)
騎士というものの大前提には、臣下的な気質も含まれるのだが、ウィリアムだとその要素は少々控えめなのだ。
じっと見つめてしまったからだろうか。
なぜか、ロビシャがこちらを見て目元を染めている。
「俺の、伴侶になってくれないだろうか」
「ロビシャなんて…………」
「突然過ぎるお話ですが、私は既婚者なのでお断りさせていただきますね。ここにいるディノが、私の大切な伴侶なのですよ」
「……………っ?!我が君の……………、申し訳ありません。撤回いたします!」
うっかり王様の伴侶に求婚してしまったイチイの木の魔物は力なく蹲ってしまったが、これこそ性急過ぎる求婚の弊害なのではないだろうかと、ネアは眉を寄せる。
とても警戒している伴侶の魔物は、すっかりネアの羽織物になってしまった。
とは言え、ロビシャに制裁を加える様子はないので、すぐに謝ったのが良かったのだろうか。
「……………その、やはりお喋りなどをして仲良くしつつ、独身かどうかを探ってから求婚するべきなのでは………」
「……………そうだった。性急過ぎると言われていたのを失念していた。久し振りに女性と話したので、……………その、舞い上がってしまった。おまけに君は、狩りが上手い」
「まぁ。私が狩りの女王なのはその通りなのですが、この程度で盛り上がってしまうとなると、相当深刻に女性の方とお喋り出来ていなかったようですね………」
「友人からは、もはや男性でもいいのではと言われ、知り合いの青年を紹介されたが、それはどうしても嫌なんだ」
「…………ご自身が無理だと思った場合は、絶対に無理な方向なので、そちらは諦めましょう」
ネアが、揚げパン屋さんには早めに行きたいのに困ったなと、考え込んでいた時の事である。
がさがさと音がして振り返ると、懐かしい人が立っていた。
ネア達を見るとおやっと眉を持ち上げたのは、かつてワンワンと鳴く呪いを受けてしまったお肉屋さんの息子さんだ。
こちらを見た表情から、ネア達の事を覚えているのが伺えた。
「まぁ、ご無沙汰しております」
「その節はお世話になりました。友人が悪さでもしましたか?」
「………あら、もしかして、お二人はお知り合いなのですか?」
思いがけない展開に目を瞠ったネアに、仕事で出会った時には回復するなり森に飛び出して行ってしまったので、そう言えば、こんな風に言葉でのやり取りを殆どしていなかったネイアが頷く。
「ええ。彼とは、僕の弓を作ってくれた事が縁で、友人になったんです。ただ、僕も人の事は言えないのですが、狩りとなると周囲が見えなくなるので、何か問題が起きたのでなければいいのですが…………」
「…………木の上に潜んでおられたので、私が靴を投げつけてしまっただけなのです」
「そう言えば、あなたも狩りの名手だと聞いています」
羽織りものの魔物が精一杯威嚇しているのを宥めながら返したネアの言葉に、ネイアは、目を瞠ってから淡く微笑んだ。
しかし、何かに気付いたようにぎくりとすると、その微笑みをさっと曇らせ、友人の方をそろりと見る。
「まさか、ロビシャ……………」
「……………ああ。我が君の伴侶の方だとは知らず、求婚してしまった」
「この方は、昨年末にご結婚されている。それに、こうして男性と二人でいる女性に求婚するのは失礼だろう!」
「………そうなのか?」
「普通に考えたら、恋仲の可能性が高いからな。兄妹だとしても、兄の目の前でいきなり求婚されたら、上手くいくものも上手くいかなくなる」
「………それは考えていなかった。気を付けるようにする」
そんな二人のやり取りを見て、ネアは、このお肉屋さんの息子は、なかなか真っ当な恋愛観を持っているのだなと感心してしまった。
狩り狂いの様子ばかりを聞いていたので、もう少し変わった人かなと考えていたのだ。
(そして、お肉屋さんの周囲をうろついている人外者さんは、ロビシャさんで決まりみたいなので、後はもうベーコンを買って帰るだけで済みそう………)
事件ではなさそうだと一安心し、ネアは羽織りものの魔物にもそう耳打ちする。
耳を押さえてへなへなになった魔物の腕を掴み、知っていたのなら今更ながらも、ネイアに、この魔物と伴侶になったのだとお伝えしておいた。
「そうなると思っていました。魔物の生態はあまりよく知りませんが、あの時の威嚇は、ムグリスが伴侶を奪われそうになった時の威嚇に似ていましたから」
「あら、そこまで分かってしまうのですね……………」
「ネアは渡さない…………」
ネアが、そう言えばベーコンを買いに来たのだと告げると、ネイアは、しょんぼりしたロビシャの背中をばしんと叩いてから、笑顔で店まで案内してくれた。
道中、ネイアからひそひそと指摘を受けたらしいロビシャは、はっとすると、慌ててこちらに来てディノに何か伺いを立てている。
音の壁を作っていたようでネアにはそのやり取りは聞こえなかったが、ディノは少しだけ考えると小さく頷いたようだ。
立ち止まり、こちらを見て深く一礼したロビシャに、ネアはこてんと首を傾げる。
しかし、求婚してしまったことをディノも含めてあらためて謝罪したいのかなと思っていたネアは、思いがけない提案に目を丸くした。
「その、詫びと言ってはなんだが、イチイの酒を贈ってもいいだろうか」
「勿論です!………は!……し、しかし、贈り物の魔術などがあるといけませんので、ディノに渡していただいてもいいですか?」
「ああ、勿論そうさせて貰う。不快な思いをさせて申し訳なかった。俺が趣味で作っているものだが、人気があるようなので美味しいと思う。自慢出来るものは、それくらいしかないからな」
 
そう苦笑したロビシャに、ネアはぶんぶんと首を振った。
狙ってなかったとは言わないが、手に入らないと言われる幻のお酒を二本も貰ってしまった喜びに、ディノに渡された綺麗な水色の瓶を見て唇の端を持ち上げる。
どれだけ特別なお酒なのかを聞いたばかりだったので楽しみでならないし、ネアは、元々果実酒は大好きなのだ。
「そう言えば、イチイの木の魔物さんのお酒は、とても貴重で予約待ちだと聞いていましたが、良いのですか?」
「ああ。接ぎ木の魔物と選択の魔物の予約分だが、別に構わない」
「………本当に構わないのかなという疑問は残りますが、私はとても幸せなので、有難く頂戴する事にします」
「ご主人様……………」
なんと、ロビシャは、そんな選択の魔物の工房の近くに住まいがあるらしい。
毎年注文を受けるご近所さんなので、今年はいいだろうと話していたからには、交友もあるのだろう。
であればと、ネアは受け取ってしまうことにした。
お肉屋さんでとっておきの燻製ベーコンを塊で買うと、今夜は婚活市場について語り合うらしい二人に手を振り、ネア達は森のお肉屋さんを後にした。
友人と過ごす時間を邪魔したくはないし、お肉屋さんは営業時間内である。
それに、ネア達にはこの後にも大事な任務が控えているのだ。
なお、揚げパン屋さんの行列に並びながら、アルテアにも、カードからイチイの木のお酒を貰ったという話をすると、とても焦った様子だったので相当に美味しいものだと確約されたも同然ではないか。
森に帰っていた使い魔が戻ってきてしまうくらい、イチイの木のお酒は素晴らしいものであるらしい。
あつあつかりじゅわの美味しい揚げパンを齧りながら、ネアは、上質な揚げ油とお砂糖の妙なるハーモニーに身を任せ、今夜はサラミとベーコンとイチイの木のお酒かなと自堕落な喜びに酔いしれたのだった。




