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湖畔の村と情緒の配分




そこで夜を過ごすのは、半年に一度の慣習であった。

深い深い砂の底にある小さな庭園は、かつて万象の障りを受けて滅ぼされた町の対岸のあわいにある。


湖に囲まれた森の中の村にしか見えないが、この場所は魔術特異点としての恩恵と、災いの町を盾にした堅牢さが稀有な均衡を保っていた。

魔術的な凪の時期が数ヶ月だけ訪れることもあり、この地に工房を構えることを憧れとする魔術師は多い。



現在は三つの工房と、一つの農場があり、その全てが魔物のものだ。


選択と欲望、通り雨とイチイの木である。


特にイチイの木の魔物の農場では、年に五十本しか売らないイチイの実の酒が作られており、欲望の魔物は、それを優先的に入手する為だけにこの地に工房を構えたと言われていた。



枝から枝にかけた夜結晶の鈴が鳴り、魔術灯に火が入る。


ざざんと、森を囲んだ湖に大きな波が立ち、深い青色だった湖面が鮮やかな青緑色に染まった。


湖の色が変わるのは、この地を囲む魔術に変化があった証で、湖がこの色に染まってから三月後の真夜中から土地が凪になると言われている。

その日を忘れぬように取り出した手帳に印をつけ、ふうっと咥えていた煙草の煙を吐いた。



「災いの町の崩落が始まったか………」



魔術的な対岸とは言え、影絵に面している以上はその影響を僅かに受けるのだが、災厄についてはこちらに届かないよう万全の手を打ってある。


凪の為に構えた工房だが、この夜には他の特別な意味を持つ場所でもあった。



何しろこの工房は、多くの者達に、とある魔物の本邸の一つだと思われているのだ。


仮面の魔物ではなく選択の魔物だと知ってはいても、ここが王城の外に十二ある工房の中で、最も滞在の長い土地の一つだと、信じている者は多いだろう。

実際には年に二週間いるかどうかだが、それを知る者は誰もいない。



(特定工房だと思い込ませられる土地は、存外に少ない。招き入れて観察させるのなら、尚更だ)



だからこそ念入りに整えておき、疑念を持って向けられた眼差しを受け止めるに至るだけの魔術の厚みが、一方で土地の薬草や果樹園を豊かにするのだから、決して割りに合わない投資ではない。



この村のそれぞれの区画は、工房や牧場に面した森と湖が含まれる。


手を伸ばして黒革の手袋で金花水晶の蛇口を掴むと、地下から汲み上げた魔術の祝福が、地下に下ろした管を通る振動が伝わってきた。

循環の魔術は狂いなく機能しているようで、庭に作られた薔薇園には、小さな汚染の染み一つもない。



(まずまずだな。………橋がもう少し頑強なら、黄金水晶の水車を作ったんだが……………)



あわいを渡る為に湖にかけられた橋は、この土地へ通う為の大切な魔術回路だ。

なんとも脆弱な橋をかけたものだと呆れるばかりだが、これを何とか維持しなければならない。


例えば、隣接する災いの町で大きな亀裂や崩壊が起これば、魔術の揺らぎが押し寄せ、こんな小さな橋はすぐに流されてしまうだろう。


このような土地の魔術の理により、橋をかけ替えることは出来ないので、この工房を購入した際には、橋の補強も行わねばならなかった。


大きく枝がせり出した木の下から出ると、音を立てて降っている雨の中に、ばさりと音を立てて黒い傘を広げる。


雨の雫がきらきらと光って見えるのは、庭園を抜ける石畳の歩道には月光水晶が育っているからで、この様子だと今年の林檎の収穫は期待出来そうだ。

とは言え今夜は雨なので、収穫はまたの訪問に持ち越さなければなるまい。


雨の中で、庭園は水を含んだ草の花の香りがした。

どこかに落ちてきているものか、薄荷のような流星の香りと、少しだけ記憶にない水煙草の香りもする。


それに気付くと、瞳を細めて、傘の持ち手を指先で撫で、蓄えた術式の幾つかを半覚醒にしておく。

村には他の魔物達の工房もあるが、近所付き合いをする程に近くはない。



となると、この水煙草の香りの主は、わざわざこの工房を訪れたという事になる。

身を隠す様子はないので、招いてはいないにせよ、正門の側だろう。



(ターレンの水煙草の一種だな。好んでいたのは確か、……………ラジエルか)



であればこの雨も頷けるので、収穫を先延ばしにしてくれた苛立ちに顔を顰めて表門に回った。

案の定、そこには聖職者のような服を着た通り雨の魔物が立っている。



靴音に気付いてこちらを見たが、上階位の魔物の工房に前触れもなく訪問した事を謝罪する気配はないようだ。


行動としては相変わらずとも言えたが、このような場合は無作法にこそ非がある。


本来なら魔術対価を取れるような好機でありながらアルテアがそれをしないのは、単にこの魔物との接触を出来る限り減らしたいからだ。



「……………何の用だ。お前の区画は二つ奥だろうが」

「私の獲物が少し欠けましたので、何かご存知かと思いまして」

「獣………?雨降らしに手は出してないぞ」

「いえ、グリムドールですよ。かの獣の魔術錬成を模写したものに変化がありまして。思えば、あなたはグリムドールと面識があったようだ。何かご存知ではありませんか?」

「グリムドールがそもそもお前の獲物なのかは議論の余地があるが、それも俺ではないな。気になるなら、災いの町に行って見てこいよ」

「この時刻ですともう、シルハーンの障りが始まる頃でしょう。腐り落ちた人間達が蠢く町になど、入りたくもない」

「だったら諦めるんだな」

「……………頑なに認めようとしない。絶対にアルテアの筈なのだ」



追い返そうとしたラジエルが何かをぶつぶつと呟いているが、聞こえなかったふりをして背を向けた。

悲観的で激昂しやすいこの男の不満に真剣に取り合っても、鬱陶しい思いをするだけだ。


庭に戻る道中で出会った魔物の姿をもう一度思い返してから、ラジエルの眼鏡が変わったことに気付いた。

通り雨の魔物が眼鏡を変えることはあまりないのだが、何か体に馴染んだ道具を変えなければいけない理由があったのかもしれない。


誰かに会った後は、別れたすぐ後に必ずその場面を思い返すようにしている。

そうする事によって、惑わせる術界で誤認させられているものが見えることが多く、簡単な手順ながら忘れないようにしている一手間だ。



(その場で認識出来なかったということは、術式で隠していたな……………)



そうなると不本意ながらも愛用の道具を失った可能性が高いので、ラジエルの周囲を注視しておいた方が良さそうだ。

何しろ、リーエンベルク近くの森には、高位の雨降らしが住んでいる。




「客人だったのか?」


そう尋ねたのは、裏門から入ってきたナインだ。


今晩はこの工房で、幾つか重要な打ち合わせがあり各部門の幹部達が集まる予定になっているのだが、相変わらずこの男の到着は早い。



「ラジエルが押しかけてきただけだ。道中でレヴァンを見かけたか?」

「武器部門は暫く見ていないな。アルビクロムにも証跡がなかったと聞いたが、不確定要素であれば早めに手を打とう」

「いや、週報は届いているから、故意に姿を隠しているだけだろう。とは言え、アイザック絡みだと厄介だ。前々からあいつを引き抜こうとしているからな。念の為に後任を考えておいた方が良さそうだな」

「武器と言えば、ラマンメディウムの書が世に出たらしい。武器狩りが始まるかもしれないと聞いたが、世の中には出ている情報だろうか」

「………いや、こちらには聞こえてきていない。教会関係者だけが握っている情報となると、きな臭いな。去年は蝕で、今年は武器狩りか。収穫の季節が厄付き始めたか…………」



裏庭を抜けて工房の入り口で傘を閉じると、敷かれた魔術が傘の雫を綺麗に落とした。

淡く深藍に光って消えてゆくのだが、この際に雨の成分分析なども同時に行うような防壁魔術も添付済の仕掛けにしてある。


魔術師にとって、工房は一種の魔術具だ。

それは魔物であってもさしたる変わりはなく、作業の為に道具や基盤を整えた工房を失うのは、甚大な損失と言えよう。

多少非効率であっても過分な備えをしておく方が、長期間に渡って工房を維持する上では手堅くなる。


魔術遮蔽で雨を弾いていたナインは、漆黒に染め上げただけの枢機卿服という装いだったが、死の精霊はなぜか好んで聖職者の装いをする者が多く、実際にナインが枢機卿の責務を負っていると考える者は稀だろう。


それは、彼が外では従順さなど微塵も見せないからなのだが、死の精霊達の中には自分を組織の長とせずに働く者達が意外に多い。



鍵束を出して扉を開けていると、前回、工房を閉める際に焚いておいた魔術香の煙が僅かに残っていた。

その煙を術式で無効化すると、工房内の燭台に魔術の火が入る。



「やれやれ、雨とは珍しいわ。ラジエルあたりでも怒らせたのではなくて?」



そこに、鮮やかな薔薇色の傘を閉じながら入ってきたのは、紙などの部門を統括する赤毛の女だ。

紙工房の魔物らしく、水に濡れるのを警戒しており、払った雨粒をじっと見ると、ほっとしたように息を吐いた。



「良かった。魔術的な作用のある雨ではないみたいね。それをやられると、私はあっという間に弱ってしまうから。それと、誰かレヴァンを見ていない?」

「……………お前もか」

「あらやだ。アルテアも探しているのね?となると、本気で隠れているのかしらね」

「あいつは、何かやったのか?」

「それこそ、お隣さんに聞くといいわ。どうやら、イチイの木を怒らせたみたいなのよ。武器関係の揉め事だと思うけれど、それもあって今夜は来られないかもしれないと話していたから」

「カルウィ西部での成果を報告しろと伝えてあったが、この様子だとそちらも作業を終えていない可能性もあるのか………」




内扉を開けて室内に入れば、各々が手慣れた様子で席に着く。


作業用に天井を高くしてあるこの部屋には、聖堂魔術の影響で、どこからともなく部屋には無い筈のステンドグラスの影が落ちる。


大きな夜柳のテーブルには作業中のメモなどが置かれてはいるが、テーブル自体が大きいので邪魔にはならない。


話題に出たイチイの木の魔物の工房も近いので、イチイの木を使った魔術錬成もあった。




「調香と調律は来るかしら?」



そう尋ねた紙工房に、本人の背後を示してやる。


「調律ならそこにいるだろ」

「………っ?!やだ!今度こそ気配を掴もうと思ったのに!」

「はは、次回こそは俺の到着に気付くと話していたが、さっぱり気付かないからなぁ」



すっかり寛いで座っているだけではなく、どこからか取り出した茶器を使い、淹れたての紅茶を飲んでいる調律の魔物に、紙工房は顔を顰めて片手を振っている。


どうやら、気付けるものではないからと今後の挑戦は諦めるようだ。


実際、紙工房の魔物は調律よりも二段階位が低い。

魔術的な貴賎において本来は気付ける筈もないのだが、どんなことでも一度は試して魔術の動きを測ってみるというのがこの女の流儀でもあった。



会合では、その肩書きや司るものの名前を呼称とする事が多い。


とは言え、アルテアとナインのように司るものを公にしたくなかったり、レヴァンのように本来の属性を隠している者は、限られた者に対してのみ名前を使うことを許している。



「調香は少し遅れるかもしれないな。同じ船に乗ってこちらに来る予定だったのだが、船着場に咲いていた雨だれの花に夢中になっていたから、置いてきてしまった」

「あら、またなのね。頼んでおいた香水は持ってきてくれたかしら。最近はまた香りのする便箋が流行り始めているから、幾つか試作品を作りたいのだけれど」

「妖精達に出回っているのは、コロールの紙工房の作品だな。一通り揃えたが、いい仕事をしている」

「…………あーあ、そうなのよ。あの紙工房は何十年かに一度、これぞという売れ筋商品を出すのよね。連続的に商品の品質を安定させられるのなら仕事の話をしたいけれど、それ以外の時はなんの面白みもない草臥れた紙しか作らないし」

「紙と言えば、聖櫃の紙漉きをまたやると聞いたが…………」



ナインが話し始めたところで、胸ポケットから取り出したカードを開いた。

ネアには、暫くはこちらの仕事にかかりきりになると話しておいたが、すぐに事故るあの人間がいつ何時連絡をして来るとも限らない。



「……………は?」



しかし、案の定メッセージが届いていたものの、開いたカードに浮かび上がった文字を読むと、眉を顰めざるを得なくなった。


他の者達がこちらを見たが、共有するべきものではないようだと判断すると、すぐに元の会話に戻る。




“アルテアさんは森にお帰り中ですが、お知り合いかもしれないので、念の為にご共有を。実は先程、ソロモンさんなグリムドールさんと、図書館暮らしのグリムドールさんにお会いしました。後妻に来るように言われましたがお断りし、その後、グリムドールさんはちょっぴりアレクシスさんにスープにされてしまったようです”



頭が痛くなりそうなメッセージだが、一番気になるのは、どうやら今夜、ネアが災いの町を訪れていたようだという事だ。


恐らく、ラジエルが話していたグリムドールに起きた異変というのは、アレクシスの下りに違いない。

ラジエルの管理に反応があったということは、スープにされたのはソロモンの方だろうか。



(災いの町に、シルハーンは入れない筈だ…………)



であれば他の誰が同行したのだろうと考えたが、災いの町の見回りを常としているウィリアムか、魔術の遮蔽や擬態に長けたノアベルトあたりだろう。

そして、どちらが同行していても騒ぎになったのは想像に難くない。



(ウィリアムには代役の使い魔が反応するだろうし、魔術を司る魔物に心酔しているソロモンが、ノアベルトを見過ごす筈もない。……………だが、あいつに興味を示したのだとすれば、……………ソロモンの方だろう。となると、ノアベルトが同行していたという線はないな)



解決したようなので返事はしなかったが、夜が明けたらソロモンの状態を確認しておいた方が良さそうだ。


元々は、ダイアナの手元からグリムドールの鎖を持ち帰る為に近付いた獣だが、魔術書の再現に纏わる魔術式の構築の為に提示した賭けに乗り、徐々に良い仕上がりになってきたところだ。


ここ五十年程代理を務めているあの使い魔も、疫病の門の内側にウィリアムを近付けない為の良い障害になっている。

だが、今回の事で本物のグリムドールではないと露見した可能性は高い。


疫病の門の後方域が最もこのあわいに近いので、凪を持つ貴重な空間に、出来れば終焉の要素を近付けたくはないのだが。




(ウィリアムへの障壁代わりに、乗り換えを助けてやったもののあまり長く使えなかったか……………)



だが、そちらはまた違う手を考えればいいだけだ。

グリムドールについても、残っているのであればまだ使いようはあるだろう。

残りものの状態が悪ければ、他に手をかけている別のものに同じような役割を与えるばかりだった。



それよりも問題なのは、あの人間がどういう経緯で求婚されるに至り、なぜスープの魔術師がソロモンをスープにするに至ったかである。



ソロモンは、知識の獣としてウィームの書架妖精と知識提携を結んでいた筈だ。

多少は損なっても構わないという判断をダリルがしたのであれば、報復という行為である可能性が高い。

ただ、あの狡猾な妖精が、今後の懸念を見越した上で事前に手を打ったと考えることも出来る。


また妙なものを増やしていまいかと溜め息を吐いたところで、じっとこちらを見る紙工房の魔物と目が合った。



「……………何だ」

「あなたでも、思い悩む表情を表面に出してしまうことがあるのね。びっくりだわ……………」

「…………放っておけ」

「恋文用に、素敵な便箋をあげましょうか?今は沢山試作品があるの」

「何を勘違いしているか知らないが、工房の排他結界についての問題だぞ?」

「誰がその問題にかかわっているかにもよるだろうな。だが、それ以上のことは彼の個人的な問題だ。私は黙秘させていただこう」



ナインがわざとらしい沈黙を守ったせいで、調律と紙工房は顔を見合わせて黙り込んでしまった。


おまけに、よりにもよってな話題の時に、遅れていた調香が到着したようだ。

涼やかな花と氷の香りが漂い、どこかの放蕩貴族のような装いの男がえっと声を上げている。


こちらを見て興味津々に目を輝かせた男は、爵位持ちの魔物らしく見目は整っているが、伯爵位の魔物にしては庶民的な面立ちともいえる。

そのせいで、何度か頭の弱い人間の貴族に間違われ、身代金目的で誘拐されたようだが、勿論魔物であるので大事には至っていない。


調香の魔物は同時に何柱かの派生が可能な魔物であり、今代には他にも調香の魔物がいる。

当初、ナインから他の堅実な気質の調香を雇うべきだと言われたこともあったが、今のところは思っていた以上に成果を上げているので口を出さないことにしたようだ。



「え、なに?もしかして、アルテアの恋愛話?僕のいない間に、凄く面白そうな話をしているなんてずるいよ!…………あ、アルテア。湖の畔に星食いがいたから駆除してしまったよ。害獣だから構わないよね?」

「星の匂いがすると思ったが、やはり流星が落ちていたようだな」

「星を食べた後の星食いは、いい匂いがするんだよね。夜露草や勿忘草の香水との相性が良くて、そこに一滴の薔薇や、芍薬でもいいかなぁ。ああ、それとそれと、ローズマリーっていうのも悪くない。他にもね、実は氷雨水晶の香りや、薬煙草の香りもね。……………ってあれ、何でみんな黙るの?」



淡いオリーブ色の瞳を丸くして、調香は不思議そうに首を傾げている。


何やら系譜の上で祝福過多な事象があったらしく、今代の調香の魔物は先代より階位を上げて派生した。

まだ派生して二年程だが、頭の回転も早く知識も豊富で気に入っているのだが、調香について語り始めると終わらなくなる。


迂闊に相槌でも打とうものなら、二時間は喋りっ放しになるので、早々に切り上げさせるしかない。



「ええとそうだ。アルテアの恋の話だったよね。両想い?片思い?略奪愛もいいよね。僕さ、最近イチイの木の為に、誘惑の調香をしたんだ」

「もしかして、レヴァンとの仲を取り持つ為じゃないでしょうね?」



そう青ざめた紙工房に、調香は目を瞠ってから首を横に振った。

深みのある金色の巻き毛は、飾り気のない髪紐で一本に縛ってある。



「そういうのじゃないよ。僕の知り合いが、イチイの木と仲良しでね。伴侶探しを始めた彼の為に、贈り物をしたいって言うんだ」

「………レヴァンじゃなくてほっとしたわ。でも、ありがちな展開で言うなら、その友人とやらが自分とイチイを結ぶ為に使うのではなくて?」

「はは、それもないって。彼によくイチイの弓や毒を都合しているから、そのお礼のつもりみたいだね。イチイは口数が少ないから、恋に破れて崩壊しやしないかと心配しているみたいなんだ」

「やめさせろよ。崩壊を危ぶまれるような奴が、そもそも無理だろうが」

「そりゃアルテアは女性達に人気があるけれど、そうじゃないけれど出会いが欲しい男だって沢山いるよ。応援してあげたいじゃないか」

「そういうお前はどうなんだ?」

「おお、ナインに僕の私生活について質問されるとは思わなかったなぁ!僕は、まぁ上々ってところだと思うよ。いつもいい匂いがするから、女の子は沢山集まってくれる。でもなぜか、調香の仕事については階位の低い調香の魔物達の方が人気があるんだよねぇ」

「そちらの方が口が堅いからではないの?女性の香水は、秘密があった方が魅力的だわ」


そうなんだねと真剣な目をして頷いた調香に、手帳を使って誰かとやり取りをしていた調律が顔を上げる。


「そりゃそうだろうな。……アルテア、ザルツで記録にない旋律が記録されたようだ。新しい音楽というより、楽器ではないだろうか。久し振りに名器が現れたかもしれないな」

「魔術効果を調べておいた方が良さそうだな。生まれたての楽器は、最初の主人に固有の祝福を与えることが多い」

「それを手にする者如何によっては、斜面を転がる雪玉になりかねないな。帰りに、ザルツに寄ってみよう」

「ザルツであれば、管理は徹底している筈だ。恐らく楽器協会に登録はしているだろうが、あまりにも階位の高いものだった場合は、政治的な思惑も働きかねない」



そのやり取りを皮切りに、様々な仕事上の議論が始まった。



一時間程したところで機織りと庭師も到着し、そちらの分野の情報共有もなされる。

普段は通信で事足りるものも多いが、半年に一度はこうして集まり、会話の中から生まれる議論を持つようにしていた。


階位や属性の違う彼等は、このような機会を持たなければ本来は共に働くこともない。

魔術に於いて知るということに優位性がある以上、そうしたものを繋いでおけば、当然新しく得られる事もあるだろう。


それこそが、次のものへと繋がるのだ。



議論は朝まで続き、その間に何回かカードを確認していたが、新しいメッセージはないようだった。

カードを開くたびにナインが小さく笑うのが癪だったが、工房の排他魔術関連だと言ってあるので特に何も言わずにおく。


しかし、西方の戦乱と真夜中の座の治めている人間の国での流通などについて議論している内に昼近くになり、眠りこけている調香を調律が起こしているところで、カードに新しい文字列が浮かび上がった。




「アルテア、そろそろお開きにしないか。……アルテア?」

「おい、そいつを叩き起こせ」

「まさか、調香が何かしでかしたのか………?」



どうやら調香とは親しくしているらしい調律は、不安そうにしながらもぐっすり眠っていた友人を起こした。


「あれ、……………僕。眠ってたかぁ………… ふぁぁ」

「調香、イチイの木の友人だと話していたのは、肉屋の息子だな?」

「あれ、何でアルテアがそれを知っているんだい?ネイアと知り合いなの?」

「……………そういう事か。だが妙に続くな。ったく。一度、あいつの狩りの獲物用の金庫を調べさせた方がいいか……………」



顎先に手を当てて考え込めば、調香は不思議そうにこちらを見ている。



「何かあったのかい?」

「個人的な問題だ。お前達はさっさと帰れ」

「……………やっぱり、恋煩い用の香水もいる?」

「いらん。何度言わせるつもりだ」



重ねて何かを言い募ろうとした調香は、無言で立ち上がった庭師に抱え上げられ、そのまま運び出されてゆく。

機織りと紙工房は商品の話をしながら帰路につくようで、一番最後に来た獣使いは優雅に一礼してから退出した。



扉を開けた者達の様子から、雨は完全に上がったようだ。

まだ帰ろうとしない最後の一人を一瞥すると、わざとらしくゆっくりと立ち上がる。



「新しい楽器の調査に、彼女を同行したらどうだ。あの人間は音楽が好きらしいぞ」

「必要性が皆無だな。ザルツの一件に、お前が噛む必要もない。そもそも、市街地であいつを歌わせると、無差別の殺戮になる」

「やれやれ、となると次にあの歌声を聴けるのはいつになるのだろうな………。レヴァンについては居場所の確認を進めておこう。武器狩りが始まる影響だと厄介だ」

「最初の前兆は、終焉の系譜から始まる。その影響であれば、お前かウィリアムのところに真っ先に情報が入るんだろうが、レヴァンの場合は最前線に転がり込みかねないな」

「ああ。向こう見ずな魔術師だからな」




方針だけまとめてしまい、漸くナインも追い出すと、一息吐いてからまずは厨房に向かった。



食材を確認すると、月光鱒のオイル漬けに昨日収穫したばかりの湖水フェンネルが目についた。

購入したばかりの棘牛のチーズもあるので、それで簡単にパスタでも作ればいいだろうと考えながら、全ての幹部達が敷地から出たかどうかを調べておく。


全員が橋を渡ったことを確認すると、道を繋いだ魔術を絶ち、閉鎖と隔離の魔術を幾重にもかけ直した。



調理の準備をしながら、もう一度だけカードを開く。



“以前お仕事で知り合ったお肉屋さんに、美味しいベーコンを買いに来たところ、イチイさんという方に求婚されました。それは勿論お断りしたのですが、美味しいお酒を横流ししてくれたのでそちらはディノと相談の上、有難くいただいたのです。なお、私が貰ったのは、接ぎ木の魔物さん用のものとアルテアさん用の予約分だったそうです。美味しくいただきますので、一本足りなくても我慢して下さいね”



一本足りないも何も、一本しか予約していない酒である。


受け取るなと言いたいところだが、イチイには崩壊されては困るのでひとまず受け取るだけは受け取らせることにした。



“二刻で合流する。いいか、絶対に勝手に開けるなよ”




そう返事を書いてから、忙しい一日になりそうだと溜め息を吐いた。

どうやらあの人間には、事件を起こす頻度にすら情緒が欠けているらしい。









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