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王子とグリムドール 4




小さな国にあるサラミの専門店は、国内外で有名な老舗だ。



初代のサラミの魔物が作ったという砂色の古城の全てを店舗兼厨房としている為に、敷地内に入るとぷわりといい匂いが漂う。


残念ながら、サラミや肉の加工品などが苦手な者には厳しい環境となるが、サラミ好きな者達には求められし至高の庭園と呼ばれており、ネアも勿論後者にあたる。



「まぁ。明かりを灯したお城がなんとも幻想的ですね」

「夜の間は店を開けていると聞いていたが、思っていたよりも賑わっているな……」



皆の思いがけないサラミ欲に驚いたものか、ウィリアムは困惑しているようだ。

この店を訪れるのは二度目だというグレアムも、最初は驚くよなと苦笑している。


お城のサラミ屋さんと聞けば、可愛らしい石造りのお城を想像していたが、ネアは、目の前のお城がどちらかと言えばサラミの育成機関的な物々しいお城風である事に驚いた。


おまけに、そこから出てくる者達は皆、くったり満足げに微笑んでいるのだから、一刻も早く中に入って調査するしかない。



「グレアムさんが来た時も、こんなに賑やかだったのですか?」

「ああ。俺が前に来た時もこのくらいかな。夕刻から真夜中までの営業だから、ちょうど買物客が多い時間なんだろう。普段の客足はこれくらいで、季節の新作の発売初日はもっと大変な事になるらしい」

「今夜が、その日という訳じゃないんだな……………」

「ウィリアムは、そうあってくれという顔をしているが、二週間前に売り出されたと聞いているから、落ち着いた頃かもしれないな。………ああ、あの看板だろう。秋の限定サラミは右翼側の棟の売り場にあるらしい」

「そ、そちらから見てもいいですか?限定サラミは残っているでしょうか?」



ずる賢い人間は、ほんの少しの時間も無駄に出来なくなってしまい、限定サラミへの思いを募らせた。


慌てて繋いでいたウィリアムの手を引っ張ったネアに、なぜかウィリアムは口元を片手で覆ってしまう。


順路を変えるのは嫌なのかなと見上げていると、ふっと微笑んで頭を撫でてくれたが、呼気とやらを借りてからウィリアムの反応が時々不可思議なものになることに、魔術的な因果関係はあるのだろうか。


こてんと首を傾げたネアに、少し思案顔をしたグレアムが、眷属になったようなものなので身内感が堪らないのだろうと教えてくれた。

全く気付いていなかったが、何と一時的に臨時眷属であるらしいネアは、ここにおわすは、終焉の系譜であるとふんすと胸を張る。


可動域が増える訳ではないのだが、気配を纏いその内側に入れて貰うというのも乙なものではないか。



「では、限定の商品から見ようか」

「ぎゃ!ウィリアムさんに繋いだ手をぶんとされると、体が浮きました!!」

「うーん、ネアは軽いんだな」

「ネア、ウィリアムは少し…はしゃいでいるようだから、こちらの手は俺と繋ごうか。転びそうではらはらする」

「………手を塞ぐと、戦えないのでは……………」

「今夜の買い物は、戦いなんだな?」

「限定品が残り一つだった場合は、私はお二人とて容赦しません。醜い覚悟ですが、どうしても譲れないのです」



悲しくそう告げたネアに、グレアムはその場合は譲るよと微笑んでくれた。


秋の限定品から制覇する事にしたので、正面玄関を通り過ぎたネア達は、案内板を頼りに小さな庭を抜け庭園内の小道に出る。



(………小さいけれど、とても綺麗な庭だわ……………)



秋の風に、さわり、さわさわと大きな木が揺れる。

小さな星屑のような花を咲かせた金木犀の甘くほろ苦い香りに、夜の中で光るような檸檬色の薔薇。

色づいた木々の葉は真っ赤に燃えるようで、秋鐘草と呼ばれる淡いピンク色の釣鐘草のような花には、花の周りに妖精達が集まっていた。


木陰や花壇の横にベンチがあるので、買ったばかりのサラミを丸ごと美味しく齧る竜がいたりと、この敷地内で飲食も可能であるらしい。


そっと息を吐きたいような美しい秋の夜の佇まいだったが、ネアの脳内は九割がサラミになってしまったので、凝視して記憶に焼き付けながらも早足で通り過ぎた。



「あの扉でしょうか?」

「みたいだな。ネア、買い物の間も、俺かグレアムのどちらかの側を離れないようにするんだぞ」

「まぁ、お二人は私の動きに付いてこられます?」

「ん?相当早く動くつもりなんだな……?」

「目をつけたサラミが残り一つだった場合は、とても俊敏に動くのでご容赦下さい」

「ネア、その場合はウィリアムに頼んだ方が、的確に手に入れられるんじゃないか?」

「…………は!確かにそうでした!!」




ぴしゃんと、水面に水滴の落ちる音がする。

ブーツで踏んだ古い石畳の道は、並んだ石のふちが欠けて、その間にはふかふかの苔が生えていた。

水路にかかった小さな跳ね橋を渡ると、半地下に下りるような階段の向こうに、店の入り口が見えてくる。


うきうきしながらその扉を開けると、丁寧に作られた美味しいサラミの上質な脂と香草の香りが広がった。



(これが……………!!)



目の前に広がる楽園を眺めれば、念願のサラミ専門店を訪れている実感が押し寄せて来て、ネアは、うっとりと周囲を見回した。

大人げなく小さく弾んでしまうネアに、ウィリアムは、唇の端を持ち上げて笑いかけてくれる。


辛うじてサラミ以外のものに目をやれば、窓際に飾られたローズヒップと秋の花のリースが、何とも華やかで美しい。



「見た限り、品薄そうなサラミはないみたいだな」

「……………梁に通した木の棒から、サラミが沢山吊るされています!こ、これを自由に取っていいのですか?」

「だと思うが………、」

「それぞれの品物の区画に、試食妖精がいる。食べてみて気に入ったものは、掛け棒の妖精に頼んで外して貰うか、他の商品を落とさないのであれば自分で取って籠に入れるんだ」

「ふむふむ。ここで、グレアムさんの経験から戦法を得たので、思う存分戦えます」

「それから、各商品ごとの売り場に包み紙があるから、複数のサラミを買う場合は、それに包むといいらしい」



その指南におざなりに頷き、ネアは店の一点を凝視する。


赤い結晶石で作られた可愛らしい林檎のディスプレイがあるので、その奥こそが噂に聞く林檎サラミの売り場に違いない。


期待に高鳴る胸をそっと押さえれば、災いの町で出会ってしまった獣など、もはや簡単に踏み滅ぼせそうな気分だ。




「……………ぎゅ、林檎のサラミを発見したので、私は必ずやあの場所に辿り着き、試食してきますね…………」

「はは。ネア、足元がふらついているぞ?」

「む、むぐ、次はどちらの足を前に出せば………」

「ネア、まずは俺が試食を貰ってこよう。あの林檎のものでいいんだな?」

「グレアムさん!」


くすりと笑ったウィリアムに転ばないように腕を掴んで貰ったネアは、グレアムがすぐに試食妖精から貰ってきてくれた試食サラミをぱくりと食べ、かっと目を見開いた。



(こ、これは…………!!)



ふわりと香る林檎の薫香に、しっとりとしたサラミは旨味と塩気が抜群の調和を見せている。


果実系の香りのものや、干した果物を入れたサラミには甘めのものもあるが、このサラミは一般的な味わいなので最初の試食にぴったりである。


そして、甘い香りだがしっかりサラミという組み合わせは、まさにネアが憧れていたものだった。




「三本買います!!」

「早速気に入ったようで良かった。…………これは確かに、……かなりいい味だな。砂漠のテントで夜を明かす時にも良さそうだ。俺も一本買って帰ろう」

「…………うん。これは一本欲しくなる味だな。ウィリアム、俺の分も頼む」



一番背の高いウィリアムが、大振りな五本のサラミを、天井に渡した木の棒から取り外してくれ、林檎サラミの試食担当の老女姿のふくよかな妖精は嬉しそうににこにこしている。


明らかにウィリアムとグレアムは擬態した高貴な人外者なので、そんなお客の買い上げが嬉しいのだろう。


買い占めておいて食べずに捨ててしまった王様が出入り禁止にされたという逸話もあるくらいなので、城に勤める者達にとって全てのサラミが自慢の商品なのだろう。



「グレアム、その籠を持って行くのか?」

「おっと、買い物籠を忘れていたな。ネア、一番大きなものにするか?」

「はい!ちびこい籠では三本くらいしか入りません………」



ネア達が手にした林檎のサラミのようにごろりと太いサラミもあるので、その言葉には店内にいた他のお客達も思わずといった様子で重々しく頷いた。

周囲を見れば、殆どのお客が一番大きな籠を手にしている。



(あの硝子戸の棚に入っているのが、グレアムさんの話していた包み紙かな……………)



ピクニックに行くような藤籠に買い上げるサラミを入れると、会計時に箱詰めし簡易版の状態保持魔術で包んでくれるのだが、沢山買う予定のお客は、その前に自分で各商品の傍に置いてあるワックスペーパーに包む事が出来る。


まずはサラミを外してしまい不慣れにも順序が逆になってしまったネア達は、後からワックスペーパーを貰いに行ったのだが、その紙のデザインがまた可愛くて、ネアは目を輝かせた。


つい先程までの不安の反動か、林檎サラミの包装紙が可愛いというだけで気持ちが弾んでしまう。


林檎の木が生い茂る絵柄の中央に、装飾文字で店の名前が描かれたこの図案は誰が考えたのだろう。

絵本の一頁のような繊細さに、ネアは店に併設されているというこのサラミ専門店のオリジナルグッズを売るお店にも、きっと素敵なものがある筈だと確信してしまった。


サラミの包み方はいたって簡単で、ワックスペーパーの真ん中にサラミを置いてくるりと巻いた後に、両端を捻るキャンディ包みである。


会計時に箱も貰えるので、あくまでもサラミ同士がくっついてしまわない為の包み紙なのだ。



「か、可愛いです。その上で美味しいのですから、これはもう奇跡なのでは…………」

「ネア、端を捻る前に、一度こうして摘まんで畳んでからの方が、綺麗に見えるぞ」

「むむ、さすがグレアムさんはお上手です!」



包み方を教えて貰い、ネアはおおっと眉を持ち上げる。


そう言えばそこで働いていたのだったなと、まだグレアムの秘密に触れて日の浅いウィリアムが呟いている。


ザハのおじさま給仕が犠牲の魔物である事はトップシークレットなのだが、その対価の基盤と真実に気付く事が出来れば、他の対価についても自由に話せるようになるのだ。



「薔薇の祝祭限定の、店の焼き菓子の包装で学んだからな」

「……………薔薇の祝祭限定の、焼き菓子……………?その、入り口近くのカヌレやパウンドケーキのことですか?」



ネアはここで、ザハには薔薇の祝祭限定のお菓子があるという恐ろしい事実を知ってしまった。


ザハは高級ホテルのカフェなので、他の菓子店のように大々的に季節のお菓子の宣伝などをしない。

その薔薇の焼き菓子は、まかないで出すような家庭的なもので、薔薇蜜を使い、薔薇の絵のある包み紙でキャンディのように包むのだとか。


街歩き用の簡単なお菓子なので、安価な為に売り切れも早い。



「……………そんな素敵なものがあっただなんて、ちっとも知りませんでした」

「そうだったのか。前日には用意を済ませるから、来年の祝祭の前には幾つかリーエンベルクに届けよう」


そう言ってくれたグレアムに目をきらきらさせたネアは、来年の薔薇の焼き菓子を十個入りの一箱で予約させて貰った。


「いつも、入り口近くのケースにあるパウンドケーキか、薔薇の形をした木苺のチョコレートの乗ったケーキばかり見ていました……………」

「ああ。他のケーキを買っているから、てっきり焼き菓子にも気付いていると思っていたんだが、当日だと小さな焼き菓子の方が売り切れるのが早いからな……………」



ネアは、まさか大好きなザハの焼き菓子に知らないものがあったなんてとくすんと鼻を鳴らし、けれども視界の端には鋭く次なる獲物を捕らえていた。



(あちらの、青い包み紙のサラミは何だろう……………)



こちらの林檎のサラミよりも一段低いところに吊るされているサラミは、ネアの肘下くらいの太さのあるどっしりとした林檎サラミに対し、指二本分くらいの太さの少し小さめのもののようだ。


しかし、夜霧の蒸留酒のサラミと書かれているので、是非にこちらも試食しなければならない。


先程の林檎サラミで確認したが、元々かなり日持ちするものであるし、値段も前の世界で見ていたサラミの値段より少し安いくらいなので、ここはある程度の支払いは覚悟しよう。



「夜霧の蒸留酒を使ったものなのか……………。ネア、次はあれにするか?」

「ふふ、ウィリアムさんと同じ品物を見ていたようです。はい。あのサラミも是非に試してみますね」

「夜霧の蒸留酒か。現物を知っていても、まったく想像がつかないな……………」

「夜霧の蒸留酒は、いい匂いのするお酒なのですか?」



ザハ勤めの給仕らしく、グレアムはお酒にもかなり詳しい。


そう尋ねたネアに、吊るされたサラミの下に立てられている小さな説明書きの板から、お酒の特徴を教えてくれる。



「あの部分に、琥珀と書かれているだろう?夜霧の蒸留酒には何種類かあるが、琥珀のものは、香りなどはあまりない筈なんだ。酒そのものの風味をつけたものか、或いは、蒸留酒に感じられる夜霧の温度を移したものかもしれないな」

「まぁ、夜霧の温度を感じられるお酒なのですね」

「ああ。琥珀の酒は、夜霧の温度を楽しむ為の蒸留酒で、口に含むと、夜霧の中を歩いているような冷たさを頬に感じられる。そのせいか、冬の夜に温かい部屋で楽しむ愛好家が多いらしい」



グレアムの説明ですっかり試食が楽しみになってしまったネアは、今度はウィリアムが貰ってきてくれた試食サラミをぱくりと食べ、シンプルなサラミそのものの味を噛み締めて緩めた頬が、ひんやりとした空気に包まれて目を丸くする。



「むぐ!ひんやりする美味しさです!冷たい霧の日に、ぽかぽかの屋内で温かな紅茶といただくお夜食にぴったりですね」



ネアはこの夜霧の蒸留酒のサラミもすっかり気に入ってしまい、お土産に買って帰ることにした。

エーダリアにも一本お土産にして、ヒルドやノアとの夜の集いで食べて貰うことにする。



(エーダリア様は、普通に美味しいサラミも勿論だけれど、こんな風に魔術の仕掛けがあるものの方が喜んでくれそうだもの)



しかし。まだ二つの商品しか見ていないのに、籠はこの重さで大丈夫だろうか。



更なる散財の予感がしたネアは、エーダリアへのお土産でヒルドとノアも楽しんで貰い、自分で買ったものを一本、皆での飲み会で出そうと考える。


また、このお店に立ち寄るのであればと、リーエンベルクの料理人からプレーンなものを一本頼まれているので、それも忘れないようにしなければいけない。



(一口サラミの詰め合わせもあるようだから、それをダリルさんに一つ。お世話になったウィリアムさんとグレアムさんには、ディノに相談してからお礼をするかどうか決めよう…………)



ウィリアムとグレアムについては、あまりお礼をし過ぎるのも余所余所しいので、応相談といったところだ。

何かを贈る場合は、またあらためて買う事にしよう。



なお、表層ごとばりっと剥がせる擬態を付与してくれたノアには、そのお陰で怖い思いをせずに済んだので、ネア用に買ったサラミで、お部屋飲み会への招待予定とした。


一番喜んでくれるのは新しいボールなのだが、あまりにも増やしてしまったので、リーエンベルクでは、現在ボール新調禁止令が発動されている。



「……………これも美味しいな」

「あら、ウィリアムさんも、夜霧の蒸留酒のサラミもお買い上げですか?」

「ああ。この店のサラミは、どれも好みに合うらしい。……………グレアム?」


ぎょっとしたように隣を見たウィリアムに、ネアも目を丸くした。

いつの間にか、グレアムが夜霧の蒸留酒のサラミを六本も籠に入れていたのだ。



「…………あ、いや。これは、友人達へと思ってな。俺から贈る場合、魔術の繋ぎを切る必要があるから、良縁などの祝福の果実系の薫香ではないサラミの方が向いているんだ」

「まぁ、それでだったのですね」



照れたように大量買いの理由を説明してくれたグレアムに、ネアは、贈り物の素敵さに少しだけ思いを馳せた。



前の世界では、サラミはなかなか身近な割には少々高価な食べ物だった。



薄く切って大事に食べるのだが、ネアはその気になれば一人で一本食べられるくらいなので、大事に食べるというよりは、少し贅沢に食べたいものなのである。


そんな抑圧されたサラミ欲を満たすべく、自分の欲望のままに自分の為のサラミを沢山買う予定だったのだが、グレアムの買い方を見ていると、狩りの獲物を売り捌き懐が少々豊かになった今だからこそ、このサラミを誰かに贈る贅沢を得るのもいいのかもしれない。



一度考えるとそちらの方が素敵な生き方に思えてきてしまい、ネアはそわそわと周囲を見回した。

ほこり用のお土産と、最近また葉っぱの手紙を貰ったトトラにも、サラミを贈ってあげたくなったのだ。



(アルテアさんにも、一本買っておこうかしら……………?)



となると、森に帰ったままの使い魔にも、一本買っておくべきかもしれない。


考えるときりがなく、ネアは、沢山買わなければという気持ちだけが前のめりになってしまい、はぁはぁと息を荒げた。




「ネア、一度落ち着こうか」

「……………ウィリアムさん。私も皆さんにお土産が買いたくなってしまい、胸がいっぱいです……………」

「籠は俺が持つから、好きなだけ買うといい。在庫が沢山あって良かったな」

「ふぁい!」



ネア達の会話が聞こえたらしく、通りがかった店員の妖精が、限定品の在庫は本日から補充されたばかりなのだと教えてくれた。

だいたい三日くらいで品薄になるので、ちょうどいい時に買いに来られたようだ。



それから、ネアは続き間になっている果実のサラミの部屋で、無花果サラミと、黒苺のサラミを買った。

外廊下を通ってまた別の商品の部屋にゆけば、今度はお酒の風味のあるサラミが並んでいる。


ネアはこちらでは、噂を聞いていた杏のお酒のサラミと、薄く切られているのであまり日持ちはしないものの、食べ比べセットを籠に入れた。


すっかりサラミの虜になってしまったものか、ウィリアムも強い夜と寂寥の酒のサラミを買っている。

こんな風に買い物をしているウィリアムは珍しいので、眷属が出来た事で備蓄したい欲が出てきてしまったのか、実はサラミが好物なのかのどちらかなのだろう。



(食べ比べセットも色々あるけれど、やっぱり一本で欲しくなってしまう………)



商品棚を見ていると、衝動的にサラミを籠に入れたくなってしまうのには、食べ方の嗜好もある。


ネアは、薄く切り過ぎて固めの食感と油分が気になるサラミではなく、少し分厚く切ってはぐはぐと食べるサラミが好きなのだ。



「後は、プレーンのお部屋ですが、そこに最も多くの種類があるようですね……………」

「おっと、まだあるのか」

「ザハの料理人達にも、買ってゆくか………。珍しいものだが、何か理由をつければ渡せるだろう………」



そんな話をしていた時の事だった。



突然、ピンポンパンポーンと音楽が流れ、ネアは目を瞬く。

まさか、サラミ専門店の中に、店内放送があるとは思っていなかったのだ。



そして、続けて流れたお客様へのご案内を聞いたネアは、呆然としてウィリアム達と顔を見合わせる事になった。



「…………ほわ、まさか」

「ネア、買い物籠を見ていてくれるか。俺が迎えに行ってくる」

「は、はい!グレアムさん、宜しくお願いします!」



焦ったように走り出して行ったグレアムを見送り、ネアは、聞いたばかりの迷子放送の内容をもう一度反芻した。



(ご主人様をお探しの、長い三つ編みに綺麗なラベンダー色のリボンの綺麗な伴侶さん……………)



名前などは放送出来ないので、職員も苦心して聞き取りをして、呼び出しの為の内容を考えてくれたのだろう。


個人の特定には情報が足りない気もするが、なぜかそれだけでもう、ディノだという気しかしないし、迷路帳の配達を終えてここに立ち寄ると伝えてあるので、心配性の魔物が迎えに来てしまっても不思議はない。



「……………ディノでしょうか?」

「グレアムの反応からすると、間違いないな。ここは、サラミの保管の為に魔術遮蔽されているが、グレアムは魔術探索が上手いんだ」

「となると、ここまで来たはいいものの、その遮蔽で外からは探れず、あまりにも店内が広いので私達を探して迷子になってしまったのですね……………」



そんな魔物は、すぐに保護されてこちらにやって来た。




「ご主人様……………」

「まぁ、へなへなになってしまった私の魔物は、ここまで迎えに来てくれたのですか?」

「うん……………」



やっとご主人様に会えてめそめそしている魔物は、待合室でサラミの精に囲まれてしまってとても怖かったらしいが、ふくよかな試食妖精は、すぐにご主人様に会えますよと言ってくれてとても優しかったようだ。


ディノは迷子ではなく、サラミを求める気持ちがなかった事でお客外選別されてしまい、館内に入れなかったのだとか。


幸運にも、荷運びで通りがかったサラミの精が保護してくれたのだが、建物の前でおろおろしている美しい魔物の姿は、悪さをしに来たのではなく本当に誰かを探しているようだと信じて貰い易かったようだ。



「ネア、君が怖がっていた方のグリムドールは、アレクシスが対処したから問題ないよ」

「むむ?アレクシスさんが、ですか……………?」



すっかり羽織りものになり、一緒にリーエンベルクの料理人に頼まれたサラミを選んでくれている魔物は、ネアが仕事が完了したことを伝えたカードに、ソロモンが苦手だと書いたので、怖がっていないだろうかと案じてくれたらしい。


合流したディノから、今回のお使いはソロモンと引き合わせておく事も目的の内だったと教えて貰い、ネアは驚いてしまう。



「まぁ。そうだったのですね……………」

「ダリルから仕事の説明をした際に、それは伝えられていなかったのかい?」

「ええ。代理の配達人のお仕事であることと、グリムドールさんは少し面倒な気質なので、ウィリアムさんの傍を離れずに用心するようにという諸注意だけでした」

「ダリルは、君がソロモンという名前で遭遇したグリムドールの気質から、彼が君を気に入ることを見越して、万全の備えの上でこちらから引き合わせてしまおうと思ったようだ。アレクシスが迷路帳の中にいたことは私も後から聞いたのだけれど、もう二度とあの獣が君を煩わせないようにしたそうだから、安心していいよ」



ただ引き合わせるだけでなく、ネアに興味を示したソロモンに制裁を加える迄がダリルのシナリオである。


ネアは、どうしても苦手なので意外に思ってしまうのだが、相性の悪いものには近付かない臆病さも、実はあの獣の特性なのだそうだ。


ソロモンがネアを認識しなければ、魔術的な誓約は取れないので、こうしてソロモンを騙し討ちにする形で、相性の悪いアレクシスをぶつけてしまい、今後の安全を確保したのが事の次第だった。



(ダリルさんの把握していないところで偽物のグリムドールさんがいたことと、ウィリアムさんの認識にずれがあったことでややこしくなったけれど、終わり良ければ全て良しだわ…………)



なお、迷路帳に潜んで制裁担当をしてくれたアレクシスには、今回の作戦に協力してくれるだけの理由もあったようで、実は、以前からグリムドールという食材を入手出来る術を探っていたらしい。


ダリルとの知識共有の提携が結ばれている相手なのでと、これ迄は狩らずに我慢してくれていたようだが、今回の公式な機を得て、やっと念願の食材を手に入れられることになる。



「……………ソロモンさんは、どうなってしまったのでしょう」

「……………必要な存在なので殺しはしないと話していたけれど、……………少しスープになるのかな?」

「スープに……………。鶏出汁になってしまうのです?」

「鶏……………」




グリムドールが、ソロモン王子として過ごしていた事は、最近までダリルも知らなかったらしい。

グリムドールの気質とカルウィの繋がりという最悪の組み合わせを知った事で、今回のような措置が必要になったようだが、このような形であれ、丁寧に事件の芽を摘んでいてくれるダリルには感謝しかない。



「ディノは、私がソロモンさんのお名前で遭遇した方のグリムドールさんこそを、ご存知だったのですね…………」

「うん。だからノアベルトとも、あの擬態をかけようという事になったんだ」



おまけにグリムドールは、その内容までは明かされていないものの、アルテアとの魔術契約下にあるらしい。


ウィリアムの読み通り、中身の入れ替えを可能にした魔術は、アルテアのものだったようだ。



「ウィリアムさんが、なぜか入れ替わりを認識出来ていなかったのは、アルテアさんの仕業なのでしょうか?」

「認識の魔術の阻害となると、恐らくは、アルテアなのだろう。手をかけておいて、失念していた可能性もあるけれどね」

「やれやれ、後でしっかりと話をしておいた方が良さそうですね……………」

「むむむ、森に帰ったままのアルテアさんも、お仕置きされてしまいそうです………」

「森から帰ってくるかな……………」



今回は、ウィリアムが本物のグリムドールを誤認していたことで事態が拗れたが、全てが計画の上で行われた顔合わせは、無事に終了したと言えるだろう。



ネアは、お会計の列に並びながら少しだけあの悍ましい影を思い出したものの、お買い上げの皆さまに、軽く表面を炙ってクラッカーに乗せた試食がふるまわれると知り、そんな記憶をあっさり投げ捨てた。



怖い思いをしたネアを労ってくれようとしたのか、サラミは全てディノが買ってくれたので、寧ろ幸福な夜の結びであると言ってもいいくらいかもしれない。




なお、ソロモン問題は解決したものの、ウィリアムはリーエンベルクに泊まってゆくことが決まった。

ウィリアムを研究したくて堪らない方のグリムドールとのやり取りは、思っていた以上に終焉の魔物の心を損なったようだ。



「本日は、有難うございました」

「いや、俺こそ買い物を楽しませて貰った」


ウィームにある古城で仲間達との宴席があるというグレアムとは、リーエンベルクの前で別れた。


その席でお土産サラミを渡したりもするようなので、美味しいお酒のおつまみとして、さっそく食べてみたりもするのかもしれない。


ネアも、エーダリア達へのグリムドールの報告の席で、お土産サラミを一本切るつもりで今からわくわくしている。



「そう言えば、ウィリアムさんの呼気はどうしましょう?」

「ああ。後で取り戻しをしようか」

「……………取り戻し」

「ネアがウィリアムになってる……………」

「ディノ、その落ち込み方は誤解を呼ぶので、やめましょうね?」

「ずるい……………」




勿論、ネアが切った林檎のサラミは大好評だった。

特にエーダリアが気に入ってしまい、これはもう常備品にしようぞと、ノアがリーエンベルクの備蓄用に沢山買ってきてくれるらしい。



そんな嬉しい報せを聞きながら、サラミをぱくりと口に入れて、もぎゅもぎゅと美味しい味と林檎の香りを噛みしめる。



かくして、災いの町が目を覚ます夜の、ネアのお使いは無事に終了したのだった。







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