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王子とグリムドール 2




「……………綺麗」



ネアが思わずそう呟いてしまったのは、宮殿の中のような壮麗な広間だ。


薄闇に包まれた広間には大きなシャンデリアの柔らかな琥珀色の光が落ちていて、広間の真ん中には、長方形の大きなテーブルが置かれている。


奥へ奥へと続くそのテーブルの上には、魔術の火を灯した燭台と、ふんだんに白薔薇を生けた花瓶が並んでおり、扉のない装飾的なアーチ状に象られた壁を経て、隣の部屋に続いてゆく。


最奥には僅かな光を採り込む窓があり、奥の壁には立派な書架が見えた。


左右の壁には飾り棚が並んでいて、瓶そのものが宝石のような薬品が収められているようだ。

ここまで沢山の薬瓶が並んでいても医局のようにならないのは、瓶に施された彫刻や装飾の華やかさが醸し出す優美さ故だろう。



(壮麗な広間だけれど、まるで隠し部屋のような密やかさがあって、とても居心地のいい場所だわ……………)



半円状の天井には天井画もあるが、威圧感のない控えめなものであった。

上の町の人々がこの階段を下りて来てしまわないのかと尋ねたネアに対し、ウィリアムは、階段は町の亡霊達や、門をくぐる資格を持たない者には見えないのだと教えてくれた。



「…………これが、門だ。ここを抜けると庭園があり、……………その奥に図書館がある」



(おや……………?)




そう教えてくれたウィリアムの言葉に、あまり感じた事のない嫌悪感にも似たものが揺れた気がして、ネアは眉を寄せる。


しかし、視線を向けたウィリアムの横顔には、声に滲んだ感情の揺らぎはない。

階段の上に広がる災厄の土地の事を思い出していたのだろうかと考え、ネアは触れない事にした。



「ウィリアムさんは、ここにも何度か来たことがあるのですよね?」

「ああ。図書館の奥にも別の道があって、そちらは、疫病の門にもなっているんだ。地上にまだ出すべきではない疫病を封じる門の一つとして、念の為に毎年この日には見回るようにしている」

「む、むぐ。……………疫病と聞いてしまうと、肌を水玉模様にされた悲しみが蘇るので、ウィリアムさんが一緒にいてくれて良かったです……………」

「ああ。ネアに、疫病を触れさせる事はないから、安心してくれ。寧ろ、ここまで下りれば問題が無いことは分かるから、必要以上に近付く必要はない」



優しく微笑んでくれたウィリアムに、ネアは悲しく頷いた。


命にかかわるような重篤な症状が出ないのだとしても、淑女の肌を水玉模様にしたあの事件は決して忘れられるものではない。

ネアはあの日の悲しみを、今でも鮮明に覚えている。




(もう二度と、お腹を水玉なんかにしたくない……………)



ふわりと頬に落とされた口付けは、ウィリアムがネアの守護を持ち上げてくれたのだろう。

出会った頃は終焉だからと直接の守護は控えられていたものの、ネアにディノの指輪が重なり、伴侶となった今は当たり前のように分けてくれる。




(……………やっぱり、少し表情が固いような。階段から下は上の町とは関係のない後付けの道のようだけれど、…………もしかして、ウィリアムさんはこの先にも憂鬱なものがあるのだろうか……………?)



賑やかな町を歩いていても、誰もそこにいるのが死者の王だとは気付かなかった。

けれども、ウィリアムの横顔はその賑わいを嫌悪するかのような冷ややかさだったので、ネアは、密かに早く図書館に辿り着ければいいのにと考えていたのだ。


それなのになぜか、注意して見るとやはり、ウィリアムの眼差しは先程よりも怜悧なくらいではないか。

ネアは、なぜなのだろうと小さく首を傾げる。



(もしかすると、疫病の門というものの存在が原因なのかもしれない?)



「……………ネア、ここで一度下ろすが、絶対に俺の手を離さないようにしてくれ」

「はい。……………ウィリアムさん、その、………大丈夫ですか?」

「ネア………?」

「顔色が悪いような気がするので、少し休んでいきます?」



そう問いかけたネアに、ウィリアムは困ったように淡く微笑んだ。



「……………やはり、俺は君の前だと表情に出てしまうんだな」

「むむ、やはり具合が良くないのですね?早くお届けものを終えて、帰りましょう」

「ああ。……………そろそろ受け流せるかと思っていたが、やはり慣れないものらしい。すまない、心配させてしまったな」



どこか苦しげな微笑みに、これはもう、町に留まること自体が負担になっているに違いないと眉を下げたネアは、次の瞬間、ばたんという大きな音に飛び上がった。





「ウィリアム!」




喜びに弾むような美しい声に、ネアは慌てて振り返る。



奥にあるという庭園に続く扉を乱暴に開けて走って来たのは、ふわりとウェーブのかかった白灰色の髪と、柔らかな新緑の色の瞳を持つ美しい青年だ。

本来は冷たい印象なのかもしれない美貌を、大切な人に久し振りに会えて嬉しくて堪らないという喜びで全開にしているので、ウィリアムとは知り合いなのだろう。



(ダリルさんに聞いていた特徴と一致するという事は、もしかしてこの方がグリムドールさん……………?綺麗な方だし、素敵な笑顔で排他的な感じは少しも…)



「ウィリアム!今年も来てくれたのだな!」

「ぎゃ?!」


こちらに走ってきた青年の表情を微笑ましく見ていたネアは、突然どんと突き飛ばされて目を丸くした。

危うく吹き飛んでしまいそうになったが、すかさずウィリアムが繋いだ手で引き止めてくれたお陰で、硬い石床に吹き飛ばされる危険は回避する。



「っ、ネア、大丈夫か?!」

「ウィリアム、人間の獲物なんて死者の行列に任せてしまえばいい。醜い人間をあなたがその手で連行する必要なんてない」

「グリムドール!彼女は俺の友人だ。………っ、ネア!」

「……………ぎゅ。今度はなぜ、私の爪先の上にグリムドールさんが乗っているのでしょう?」

「邪魔だ。彼の手をいつまで握っているつもりだ?これだから女は図々しいと言われるんだ」

「いい加減にしないか!」


冷ややかにそう言われてネアはとても困惑したし、すぐさま、ぎょっとする程乱暴にネアの爪先からグリムドールを蹴りどかしてくれたウィリアムも、片手で頭を抱えている。



「……………すまない。相変わらずの状態だったとしても、俺が君を抱き上げているよりは穏便に済むだろうと思っていたが、まさかこうなるとはな…………」

「……………なぜ、一介の配達人が、とても虐められているのでしょうか。解せぬ」



呆然としたままウィリアムに持ち上げられ、踏まれた爪先を痛かったなと撫でてもらいながらも、ネアはまだ事態が飲み込めずに首を傾げてしまう。


幸い、ネアの爪先をぺたんこにするには、グリムドールの体は軽かったようだ。


訳あって嫌われるのであれば仕方のない事だが、初めましての一秒後にここまで激しい敵意を向けられたのは、初めてであった。

途方に暮れてその理由を尋ねようとし、ネアは、はっと息を飲む。



(まさか……………、)



「そうか。可動域も低そうな人間だが、頭も愚かさが過ぎて、私の憤る理由が分からないようだな」

「グリムドール。黙っていろ」

「なぜこのような人間を連れている?確かに毛色の変わった生き物だが、あなたがその手で触れる価値もない生き物ではないか」

「グリムドール」

「ウィリアム、私はあなたの特異さをこの上なく愛しているが、だからこそあなたの怒りは恐ろしくはない。このようなみすぼらしい……………まぁまぁ見られなくはないが、…………そんな人間を私の前に連れて来た事は、とても不愉快に思っている」

「むむ、もうひと方のグリムドールさんを、私が踏み殺してしまった事を怒っているのではないようです……………」

「……………お前は馬鹿なのか?恐らく、私が名前を譲った獣の事だろうが、あれは踏み殺せるようなものではないぞ」



怪訝そうに瞳を眇めた青年は、とても美しかった。


理知的だが神経質そうにも見える冷ややかな美貌は、出会った頃のエーダリアに少し似ているが、羽先を内側に向けて下げるように広げた大きな翼が、人ならざるものらしい容貌を際立たせている。



(明らかに十文字以上は会話をしてくれているけれど、全く好意的じゃない……………)



寧ろ凄く喋るくらいの印象なものの、これは、嫌な方向に振り切った想定外ではないか。

ウィリアムも、こんなに喋るのは珍しいなと呻いているので、ネアへの不快感のあまりに饒舌になっているとしか思えない。



「ウィリアム、なぜこんな人間を抱き上げているんだ?」

「グリムドール、彼女は配達人だ。ウィームの書架妖精から依頼された物を、君に届けに来たに過ぎない。品物を受け取るといい」

「ふふ、冷たい声のあなたも素敵だな。足元にけぶる終焉の魔術の何と美しいことか。良い茶葉があるんだ。あの夜のように私の部屋でお茶をしてゆかないか?」

「あの夜……………」



思わせぶりな発言に、ネアは思わずその言葉を反芻してウィリアムを凝視してしまい、抱えた人間からの分かりやすい疑惑の眼差しに、終焉の魔物が珍しく顔を顰める。



(もしかして、この方はウィリアムさんの恋人さんで、私と手を繋いでいる事に荒ぶってしまったのでは……………)



突然の展開に混乱のあまり理解が遅れたが、思えば、グリムドールはウィリアムに対して、愛しているという言葉を使ったような気がする。


どう考えてもこの二人は知り合いのようだし、これはもうかなり深い関係と見て間違いないのではなかろうか。


ここに来る迄にウィリアムが打ち明けてくれなかったのは寂しいが、お相手が美青年となるとさすがの終焉の魔物も言い出し難かったのかもしれない。


ふむふむと頷いたネアに、ウィリアムはなぜか、深い溜め息を吐いた。



「……………ネア、明らかに勘違いで頷いているから言っておくが、彼とは、紅茶を飲んで会話をしただけたからな?それも、五十年以上前のことだ」

「むむ?ウィリアムさんの恋人さんではないのですか?」

「ネア?!」

「私はこれでも、性別を超えた恋にも理解がある方なので、そのようなお相手であれば、遠慮なく打ち明けて下さいね?」

「……………いいか、それは絶対にない」



暗い目をした魔物の第二席に真剣に見つめられ、ネアは、ぴっとなると慌てて頷いた。

ぞくりとするような重たい精神圧と共に、もう二度とそのような疑いを持ってはならないという言葉にならないメッセージが、ネアにも、しっかりと伝わったのだ。



「下世話な勘繰りをするあたりが、まさしく人間らしい。とは言え、私と彼が、特別な絆で結ばれているのは確かだ。恋情などよりも強い、魂の唯一無二だと言えよう」

「……………グリムドール?」

「ウィリアム、剣を抜いて私を斬るつもりか?私は、あなたの剣に触れられるのであれば、それでも一向に構わないが………」

「……………だろうな」

「ほわ、ウィリアムさんがくしゃくしゃに………」

「……………ネア、預かったものを早く彼に渡してくれ。一刻も早くここを去りたい」

「は、はい!」



力なくそう呟いたウィリアムに、ネアは、魔術金庫型の隠しポケットから、慌てて迷路帳を取り出した。

ちらりとこちらを見た深緑色の瞳が、ああそれかと呟く。


ネアの訪問の目的はお届け物だったのだが、グリムドールにとっては、ウィリアムの訪れの方が重要なのは間違いない。

何ともぞんざいに対応され、ネアはますます眉を下げる。



「ウィームのダリルダレンの書架妖精、ダリル様からお預かりしているものです。どうぞお納め下さい」



これは、ネアにとっては正式な仕事だ。


ウィームの外部協力者でもあるグリムドールに、年に一度の届け物をするのに相応しい状態ではない。

とは言え、ウィリアムに持ち上げられたままの体勢もどうかと思いつつも、もはやこのまま渡すしかないようだと諦めた。


なお、敢えてこのような口上を用い、ただの訪問資格を持つ配達人かのように振る舞うのは、ネアがグリムドールの余計な関心を引かないようにという措置であったのだが、この様子では必要ないような気がしてならない。



「……………確かに受け取った。いいか、小娘。彼がお前をある程度丁重に扱っているのは、お前が真っ当な生者であり、ダリルの庇護を受けたウィームの配達人だからなのだろう。ダリルは優れた書架妖精だからな。ウィリアムがその使者に便宜を図るのは仕方あるまい」

「……………ダリルさんの事は、評価されていらっしゃるのですね」

「当然だ。彼は潤沢な知識と類い稀なる頭脳を持ち、何よりも冷たく美しい。私の興味を掻き立てるウィリアムがいなければ、彼の魂を求めただろう」

「魂を……………」



当然のようにそう告げられ、ネアは思わずもう一度ウィリアムの方を見てしまった。

つい先程までは凄艶な程に魔物らしい鋭さだった白金の瞳は、今や完全に光が入らなくなってしまっている。



(ボラボラに囲まれた時の、アルテアさんみたいだ……………)



そんなウィリアムは、ネアの視線に気付くと、どこか虚ろな微笑みを浮かべ、用事は済んだなと呟く。



「そろそろ帰ろう。グリムドールが門まで来ていたお陰で、長居をせずに済んだ」

「ウィリアム?!今夜は私の屋敷に泊まってゆくのだろう?」

「……………君の屋敷には一度も泊まった事はないし、これからも泊まるつもりはない」

「その小娘が邪魔であれば、私が……」

「グリムドール?」



ネアですらぎくりとするような静かな声に、グリムドールもさすがにぴたりと黙り込む。

しかし、目元を染めて口元をむずむずさせているので、ウィリアムの狙った効果通りの反応でもなさそうだ。



(こうなるから、いつものように対応しなかったのだろうか……………)



いつものウィリアムなら、自分にとって本当に不愉快なものであれば、もっと早くにこうして然るべきだ。

それをしなかったのは、実は案外仲がいいのか、この反応が嫌だったからに違いない。



「ここを訪れるのはまた来年だ。……………いいな?」

「ウィリアム、あなたがそう言うのであれば仕方ない。だが、いい加減、私を焦らすのはやめてくれ」



ぽっと頬を染めてそう呟いたグリムドールに、ウィリアムは、暗い目をしたまま無言で背を向けた。



終焉の魔物に抱えられまま、あれだけ、こんな生き物なのでという話をしていた最古の獣と対面したものの、ぶつかられて足を踏まれて貶されただけの短い邂逅で終わったネアは、まだ少し呆然としたまま、美しい広間を抜けて帰路に就く。



(楽しみにしていた地下庭園や、図書館を見ることすらなかったなんて………)


翼のある狼の姿も持つのなら、こっそりもふもふ出来るだろうかだとか、内向的な賢人風の素敵な孔雀と、案外仲良くなれたりするかもしれないというわくわくした思いは、ほんの僅かな時間の間に粉々になってしまった。



こつこつと靴音を立てて階段に戻ったウィリアムに、ネアは、これは振り返ってもいい事はない場面だと直感して前だけを見ていた。


その間に、あまりにも情報が多過ぎて混乱している頭を、なんとか整理しようと試みる。



「……………すまない。びっくりしただろう」



明らかに往路よりも長い階段の途中で、ウィリアムが漸くそう呟いた時、ネアは、追い詰められた獣のような気配を帯びた終焉の魔物の頭を撫でるかどうかで悩んでいるところだった。



「……………あの方は、ウィリアムさんに恋をしておられるのですか?」

「ネアの考えるような恋情ではないんだ。グリムドールは、魔物としての俺の成り立ちや、その存在に並々ならぬ研究心を抱いている」

「なぬ。研究心……………」

「ああ。最初はいい友人だったんだが、いつかの蝕明けの夜にここを訪れた事があってな。…………魔術の転換の残滓が残っていた事で、………興奮したらしい」

「こうふん……………」

「俺を研究し、その魔術の神秘とやらを解体するのは自分だと信じているようだ。……………そろそろ、諦めたかと思っていたが、……………昨年と同じ状態だったな」



ウィリアムは、おもむろに立ち止まると疲れたように溜め息を吐いた。


先程は剣を抜きかけていたが、激昂や憎しみの気配はなく、ひたすらにうんざりとしているくらいで、ネアはその反応を不思議に思う。



「困った方ですが、嫌いではないのですね?」

「グリムドールが住み着いた事で、この奥の疫病の門は安定している。………頭はおかしいが、学者としての才はある。疫病の門に戻した術式や呪いの番人としても機能しているから、出来れば殺したくない」

「……………むむ、殺してしまいそうになる事もあるようです」

「あの男について真剣に考えると、我慢出来ずに殺すしかなくなる。そうならないように、あまり彼の嗜好については考えないようにしているんだ」



ネアは、ここまで強烈な人物だと知りながらなぜ教えてくれなかったのだろうと考えていたが、どうやらウィリアムは、グリムドールの人となりに触れたくなかっただけであるようだ。


確かにあまりにも憂鬱で触れたくない話題というものもあるなと考えかけ、心の中の固く閉まった扉の前に立ってみる。


用途不明の縄めいたものがはみ出しているが、これは決して開けてはならない扉なのだ。



「ネアにとっての、アルビクロムの縄の授業のようなものだと言えばいいかな」

「……………にゃ、にゃわわ」

「ああ。…………話しておかなくてすまなかった。君に彼の事を伝えずに済み、この一年で彼の興味の矛先が別のものに向かっていればと思ったんだが……………、都合のいい逃避だったな」

「……………むぎゅ。にゃわわの扉は開いてはいけません……………」



図らずもウィリアムから閉じていた心の扉を揺さぶられる羽目になったが、ネアとて、開いてはいけない扉があるという事はよく知っている。


言い出せないと言うより、その話題に触れたくもなかったに違いないウィリアムの葛藤は理解出来た。


そして、ウィリアムもグリムドールがあそこまで感情を見せたのは予想外だったらしい。

当初の予想では、ウィリアムへの執着はそのままでも、ネアのことを気に入ったとしても、もっと淡白な対応だと思っていたのだとか。



「だが、彼の言葉を考えると、ネア自身への評価はそこまで低くなかったみたいだな。俺が一緒でなければ、あんな対応はされなかったかもしれない………」

「私の方こそごめんなさい。お届け物のせいで、ウィリアムさんをこの場所に連れて来てしまいました」

「……………いや、それは気にしないでくれ。この影絵の管理の際には、グリムドールの所在確認もしなければならないんだ。住処を変えられていた場合は、疫病の門の管理者を派遣しないといけないからな」

「ふと思ったのですが、疫病の門と言う事は、ウィリアムさんではなくローンさんでも見回り可能なのでは?」

「……………俺の前は、ローンが標的だった。尾と耳のあるローンに対し、グリムドールは獣型の姿の時の自分との間に……………いや、これ以上はローンの名誉の為に言わないでおこう。……………兎も角、ローンは俺よりも酷い目に遭ったからな。ふた月程寝込んだ事もあって、任せておけなくなった」

「……………どんなむごい事が起きたのだ……」



ネアは、美麗な災いの木の獣が、これだけウィリアムを追い詰める研究とは何なのだろうと考えたが、目元を染めていたグリムドールの姿に思考が行き着いたところで、これ以上考えてはならないと判断した。


総じて優秀過ぎるものは変態に寄るという意見もあるが、何だかとても危険な回答が潜んでいるような気がしたのだ。



「……………ウィリアムさん、歩けますか?弱ってしまったのなら、私は自立して階段を登りますので、下ろして下さいね」

「寧ろ、ネアを抱いていることで、戻ってグリムドールの首を落としたい衝動を避けられるからな。このままでいてくれると助かる」

「好きなだけ持ち上げていて下さい……………」



ふうっと溜め息が落ち、ウィリアムは何とかして平常心に戻ろうとしたらしい。

持ち上げられているネアに顔を寄せた終焉の魔物を、ネアは堪らずにそっと撫でてやった。


だが、何とか再び歩き出したウィリアムは、幅広の壮麗な螺旋階段を何段か登ったところで、ぴたりと立ち止まる。



「……………訪問者とは珍しいな。終焉の系譜以外でこの階段を使うとなると、グリムドールの客だろう。ネア、しっかり掴まっていてくれ」



上を見上げてどこか厳しい眼差しでそう言ったウィリアムに、ネアは慌ててその肩に掴まる腕に力を込める。

確かに、柔らかな靴底でゆっくりと階段を下りてくるような、軽やかな足音が聞こえてきた。



階下に戻る訳にもいかないので、このままでは階段のどこかでその客人と擦れ違う事になるのだろう。

緊張を強めながらウィリアムの腕の中にいたネアは、すぐにその靴音の主に対面する事になった。



「あれ、この階段で人に会うのは珍しいな。こんばんは、お二人さん。お客の数だけ長くなる階段は、あなた達の訪問で伸びていたみたいだね」

「君は、グリムドールの客か………」



階段を下りて来たのは、先程、上の店で目が合ってしまった男性だった。

よりにもよっての人選にネアはひやりとしたが、にこにこしている朗らかな表情には敵意はない。



「そうだよ。毎年、あのグリムドールと食事をするようにしているのだけれど、今年は仲間達と過ごしていたら時間を取り過ぎていて、訪問が遅くなってしまってね。…………妹さんかい?可愛い女の子だね。………ふふ、そんなに警戒して、私の事が怖いのかな?」

「…………先を急ぐので、失礼する」



話題を振られてぎくりとしたネアは、無防備な程にこちらの瞳を覗き込んでくる男性に、思わず背中を強張らせてしまう。


やはり、人間に見られているというよりは、人外者に覗き込まれているような感覚だ。



「ああ、ちょっと待って。………うん、やっぱりその子は可愛いね。ねぇ、君。私の後妻になるつもりはないかい?」



(え……………?)




初対面だというのにあまりにも突然のその求婚に、ネアは、ぴしりと固まった。



ダリルの想像のようにグリムドールに気に入られる事は終ぞなかったが、なぜか初対面のカルウィの王子には気に入られてしまったようだ。



呆然と瞳を瞠ったネアに、ソロモンという名前の男性はにっこりと微笑んだ。








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