魔物の家出と魔物のお見合い
祝い嵐が通り過ぎ、綺麗に晴れた秋の日のことであった。
残念ながら綺麗に色付いた落ち葉は地面に落ちてしまい、リーエンベルク前広場の並木道はふかふかとした鮮やかな絨毯を敷いたようになっている。
もう少し紅葉が彩る木漏れ日を見たかったが、これはこれで美しい。
ネアは、風向きの関係で葉が落ちなかった場所の木を楽しむことにして、小さく痛んだ胸を押さえた。
(……………ずっと昔)
大切な大切な庭木が枯れた時、子供のようにわあっと声を上げて泣きたかったことを覚えている。
大切で大切なネアのものが、そこでも一つ取り返しのつかない事になり、永劫に失われた。
その翌年には近くの雑木林が近隣住民の苦情から伐採されてしまい、ネアは、生まれた時から大木だった木の切り株を見てさめざめ泣いた。
大きな木々が風にざわめく音を聞くのが、何よりも大好きだったのだ。
だからネアは、お気に入りの並木道の葉がすっかり落ちてしまっているのを見た時、無残に失われたものを思い出して胸がぐぐっと苦しくなったのだが、そんな苦しさを打ち消してくれた光景が今は目の前に広がっている。
(可愛い……………)
先日の祝い嵐が降らせた祝福の欠片を探している小さなもこもこの生き物達が、今日もまだそこかしこにいて、一匹の栗鼠妖精が金の粒のようなものを見付けて喜びに弾んでいた。
落ち葉の影や、少しだけ残った水溜りの底に、あの祝い嵐の雨が降らせた黄金の雫が今もまだ残っているらしい。
小さな生き物達は、それが欲しくて欲しくて堪らないのである。
「ふふ、可愛いですね。皆さん一生懸命に祝い嵐の祝福の欠片を集めている姿を見ていると、幸せな気持ちになります!」
「……………ネアが、また毛だらけの生き物に浮気する」
「眺めて愛でているだけなので、どうか落ち着いて下さい。ただでさえ、我々はこれから様子のおかしい人に対面しなければならないのです」
「わーお。ばっさり行くなぁ。でも、アメリアの報告通りなら、相当に厄介なのは間違いないね」
薬作りの仕事をしていたネア達が、ノアと一緒にリーエンベルク前広場に出てきたのには理由がある。
仕事を終えたら美しい秋の日を堪能する為にお散歩をしてもいいかなと思っていたところ、のんびり気分を打ち砕くような思いがけないお客が訪れたのだ。
「……………ぐるる」
その姿が見えた途端ネアが既に威嚇してしまう相手は、以前に会った時と同じ執事然とした服装の額縁の魔物だ。
黒髪をゆるく結び、刃物の輝きのような水色の瞳をしている。
そしてその手には、大事そうに抱えられた一斤食パンの姿があった。
額縁の魔物に抱きかかえられていることは、じたばたしているモスモスにとっては不本意なのだろう。
しかし、辛辣な物言いの記憶しかないエドワードは、そんな暴れるパンの魔物を大事そうに抱きかかえて離そうとしない。
(アメリアさんからの報告通りだわ……………)
これこそが、ネア達がリーエンベルク前広場に出てきた理由であり、騎士達をたいへん困惑させたお客の正体である。
(正体と言うよりは、状態と言うべきだろうか……)
リーエンベルクの正門を守る騎士達に、そちらを訪問しようとしているパンの魔物を保護したので、連れて来たと告げたのは、ディノ達を知っているとうっかり油断してしまいがちだが、それなりに高位な額縁の魔物である。
実はモスモスは諸事情から家出中であり、リーエンベルクではそんなモスモスの受け入れが決まっていたので、見知らぬ高位の魔物に恐縮しながらお礼を言い、騎士がモスモスを引き取ろうとしたところ、なぜか額縁の魔物が荒ぶり出したのだ。
対応した騎士曰く、恋する人に他の男が触れるのを許さない狭量な男そのものだったと言う。
勿論、そんな報告をアメリア経由で受けたネア達は心から困惑した。
対応した騎士も困惑したに違いない。
そして今、とは言えどうにかしなければならないと、ネア達がモスモスを引き取りに来たのである。
「ご無沙汰しております、我が君」
「エドワード。不用意にリーエンベルクの者達にかかわらないようにと言わなかったかな?」
「ええ。敬愛する御身のご指示に背く事、お詫び申し上げます。然し乍ら、伴侶になる者を一人で歩かせる訳にはいきません。それは例え、我が身がそのお怒りで損なわれるとしてもです」
「……………伴侶に、なるのかい?」
ディノの事を大好きな筈の魔物の返答を聞き、聞きしに勝る状態異常に、ネア達は顔を見合わせた。
困惑して少しだけ途方に暮れてしまったディノに、当事者の一人であるモスモスは、きっぱりと首を横に振っている。
多分、この動きはそれで間違いないだろう。
ネアは、モスモスは決してびちびち跳ねているだけではなく、エドワードの言葉を拒絶しているに違いないと読み解く事にした。
(それなら、早く解放してあげないとだわ……………!)
見ず知らずの魔物に捕獲されてしまい、モスモスはとても怖かっただろう。
だが、力尽くで奪い取る訳にもいかないので、どうにか穏便に引き渡していただこう。
そう考えたネアは、エドワードがモスモスをどんな立場での伴侶候補として見ているのかさっぱり分からなかったが、ともあれ、交渉相手が女性であれば態度を軟化してくれるのではと考えた。
(そもそも、ただの付き添いなのに、なぜモスモスさんを離さないのだ。結果として、モスモスさんの邪魔をしているのでは……………)
「お久し振りです。モスモスさんを保護していただき、有難うございました。後はこちらで引き取りますので…」
「失礼ながら、あなたに彼女の悲しみが癒せるのでしょうか?」
「…………む。面倒くさい返しが来ました。そしてモスモスさんはお嬢さんだったのですね」
「ネア、パンの魔物に性別はないから、どちらでもいいんだよ」
「まぁ、それは知りませんでした。そしてこの様子からすると、エドワードさんは、モスモスさんをとても気に入ってしまったようです」
民間の魔術文書通信会社経由で、モスモスから連絡が入ったのは本日の午前中のことであった。
どうやら事情があって霧雨の妖精の城を家出してきたらしく、リーエンベルクに泊めて欲しいというのだ。
攫われたり轢かれてしまうといけないので、ヒルドの判断でその訪問はすぐさま許可された。
迎えに行くと伝えたのだが、モスモスはウィームはとても綺麗なので歩いて行きたいと伝えて通信を切ってしまったらしい。
文書通信なので、咄嗟に通信切断を止められなかったのが災いしてしまった。
そこから、ヒルドがイーザに一報を入れたのだが、探していた家族の消息を漸く掴み、安堵と感謝に声を震わせていたイーザ曰く、モスモスは、オズヴァルトに失恋して家を出たらしい。
それは、どうやら随分前からの秘めた恋であったらしい。
とは言え、イーザと霧雨の妖精王と精霊王は知っていたようで、モスモスとその問題について話もしてたという。
加えて、モスモスは元々とてもオズヴァルトに懐いていたようなので、パンの魔物のその行動が恋するが故だと考える者がいなかった事も、モスモスがどれだけ思い詰めていたのかに気付かず、事態の発覚を遅らせた一因になったのかもしれない。
モスモスは事情を知る家族には、オズヴァルトはやはりあまり好みでなかったと伝えており、今迄は健気にルイザとの婚約を祝福していたものの、やはり幸せそうな二人を見ているのが辛くなってしまったようだ。
今回は、オズヴァルトの失言が原因でそんなモスモスの心がぷつんと切れてしまったようで、自分が原因を作ってしまった事を知ったオズヴァルトも、モスモスが心配でならず霧雨の妖精の城に泊まっているらしい。
なお、家出の理由は、モスモスが手紙にしたためてイーザ宛に残してあったのだとか。
実はまだオズヴァルトへの恋心が残っており、その結果、心が波立ってしまったので、少し頭を冷やして冷静になったら戻ると書いてあり、そこで初めて、イーザ達はモスモスの恋が終わっていなかった事を知ってしまったのだ。
そこまでを聞いたネアは、きっとモスモスは、イーザ達を心配させないように巧みに自分の恋心を隠していたのだろうなと、切ない気持ちになった。
家出をするにあたり、本音を伝えるのは勇気がいる事だっただろう。
惨めな気持ちにさえなりかねないその状況でも、モスモスは理由を伝えてゆくだけの冷静さを残していたのだ。
それは例え、一人で家を出てしまうという行為が、とても軽率なのだとしても。
(切っ掛けになった、最初に出会ったのは君だったという言葉を、オズヴァルト様はルイザさんに使ってしまった。でも、モスモスさんにとっては、オズヴァルト様と最初に出会ったのは自分なのだもの。ただでさえ恋に破れたばかりのモスモスさんが、ちょっとしたきっかけでわあっとなってしまうのは当然なのかもしれない…………)
ネアには経験がないが、家族で同じ人を好きになってしまうというのは、例えようもなく悲しくてやるせない事だろう。
ましてやお相手の男性はその内の一人を選び、モスモスはそんな二人を祝福することになった。
ネアは、モスモスの家出の理由になった失恋について聞かされた時、頑張って明るく振舞っていたに違いないモスモスを、出来ればリーエンベルクで預かってあげたいとエーダリアに申し出た。
それよりも前にヒルドは友人の家族を保護すると決めていたが、ネアからもそう伝えた事で、エーダリアはほっとしたようだ。
(でも、てっきり私が賛同すればディノも説得するから安心したのかと思っていたけれど、それなら間違えて狩らないだろうと言われたのはなぜなのだ………)
ほっとしたエーダリアの返事は少々解せないものであったが、ネアは、ディノの為に崖に咲いていた花を持ってきてくれた優しいモスモスの為に、ゆっくりと自分を甘やかして失恋の傷を癒す時間を持って貰おうと思っていた。
「エドワード、……………彼女は、こちらを訪ねてきたのだろう。私達で引き取るよ。送り届けてくれて有難う」
「シルハーン、傷付いている彼女を一人にしたくありません。俺も、一緒にいさせて貰ってもかまいませんか?」
「リーエンベルクは排他結界で関係者しか入れないようになっている。君をこの場所に入れる事は出来ない。どうしても彼女と一緒にいたいのなら、本人と話をして、本人の了承を得た上でどこか別に場所を用意した方がいいかもしれないね。ただし、不都合な結論を出されても、本人の意思を曲げてはならないよ」
「であればそうしましょう。勿論彼女も、俺と一緒にいたい筈です」
「エドワード……………」
しかしモスモスは、とんでもないと言わんばかりにじたばたしているので、残念ながらエドワードの片思いのようだ。
「ありゃ、嫌がってるけど?」
「黙れ、ノアベルト。これは、照れ隠しだ」
「いやいやいや、どう考えても全力で嫌がってるようにしか見えないよね。シル、やっぱりそのパンの魔物は、僕達が引き取った方が良さそうだよ」
「そのようだね。………エドワード、もうすぐ家族の妖精がこちらに来るから、どうしても共にいたいのなら、彼にあらためて訪問予定を入れてはどうだろう」
そんなディノの言葉に、モスモスがぎくりと固まったので、ネアは、こちらに来るのはイーザで、モスモスがリーエンベルクに暫く滞在してもいいとこちらから提案したところ、イーザも同意してくれていることを伝えておいた。
強引に連れ戻されないと知って安心したのか、モスモスは、体の前方を折り曲げるようにして小さく頷いている。
と言うか、きっと頷いたに違いない。
「家族を厭い、家出をしてきた彼女への面会を、その家族に取り付けろと?」
「諸事情から暫し距離を置く為にこちらを訪ねてくれましたが、モスモスさんは、家族思いの優しいパンの魔物さんです。その関係を知らない方が、ご家族の問題に踏み込むのは控えて差し上げて下さい」
「あなたは黙っていて下さい。これは彼女と私の問題です」
「なぜ、一番の外野の方が張り切ってしまうのだ……………」
憮然としてそう呟いたネアに、エドワードの腕の中のモスモスも疑問でならないのか、必死に首を傾げている。
モスモス本人としても、まずい人物に捕まってしまったと理解しているようで、とても助けて欲しいというメッセージが伝わってきていた。
「……………ええと、他人の話を聞かないんだろうなぁっていう事はさて置き、一目惚れでもしたのかい?」
「そのような軽薄な言葉で俺の思いを語るのはやめていただきたい。彼女と出会ったのは運命です」
「……………ありゃ」
「怖っ!」
「ご主人様……………」
ネアはもう、あんまりなことをきりりと宣言するエドワードに蒼白になるばかりだが、ディノやノアがあまり慄かないからには、このような恋の形が元々魔物にはあるからなのだろうか。
気持ちが同じ形に揃ったので事なきを得たものの、ディノとネアの出会いも、最初の頃はかなり危うい関係性だったと言わざるを得ない。
(でも、失恋の傷を癒そうとしているところで、興味のない人から強引に言い寄られてしまったら、ますますモスモスさんの心がくしゃくしゃになってしまうのでは……………)
本来であればそのような事も踏まえてエドワードを説得したいのだが、残念ながら額縁の魔物は他人の話を聞かない。
軽んじられているネアだけでなく、ディノにも反抗的な態度を取っている以上はもう、穏便にモスモスを取り戻すという任務はかなりの困難を極めそうだ。
何しろパンの魔物はふかふかとした柔らかな体をしていて、今はしっかりとエドワードに抱き締められている。
無理やり引き離そうとして体が千切れてもいけないし、エドワードが転移で逃げてしまってもいけない。
おまけに魔物は、愛する者と強引に引き離されると荒ぶる傾向にある。
こんなリーエンベルクの正面で、失恋の上で狂乱されても迷惑なのだ。
「ふと思ったのですが、エドワードさんは思いを寄せるモスモスさんをかなりぎゅっと抱き締めています。モスモスさんの綺麗な長方形がぺしゃんこになりそうで、見ていてはらはらします」
「……っ?!す、すまない!痛かっただろう?」
はっとしたように短く息を飲んだエドワードが慌てて手を緩め、モスモスを覗き込んだ時の事だった。
さらりと揺れた黒髪と、水色の瞳を不安に揺らした美貌の魔物に顔を覗き込まれたモスモスに、ネアは、パンの魔物が恋に落ちる瞬間を初めて見てしまった。
「ほわ……………」
「……………っ、体が!!」
一拍置いて、少しだけぼすんと爆破してしまったモスモスに、動転したエドワードが悲痛な声を上げる。
何も知らない額縁の魔物は、自分がしっかりと抱き締め過ぎた結果、モスモスが爆発したと思ってしまったらしい。
「わーお。両想いになったぞ………」
「爆発してしまうのだね……………」
「あ、エドワードさん、モスモスさんは気持ちが昂ると爆発してしまうので、欠片を集めてくっつけてあげて下さいね」
「ど、どうやって接着すればいいのだ!愛しい彼女の体に、万が一のことがあったら…………」
「平面に寝かせて牛乳か水を刷毛で塗り、そこに欠片を乗せておくと元通りになりますよ。落ち着くまでは、濡れた布などをかけておくと良いでしょうね」
まさにそのタイミングで現れたのは、モスモスの訪問の連絡を受けて駆け付けた霧雨のシーだった。
例えモスモスもその恋に落ちるのだとしても、家出中である以上は、素性がはっきりしていても素行に問題があるかもしれない魔物に預けることは出来ない。
モスモスはネアにとっても、リーエンベルクにとっても、大事な霧雨の一族の一人なのだ。
そう思っていたネアにとって、ここでのイーザの到着は頼もしい以外の何物でもなかった。
これで建設的な会話が持てるのではと、ほっと胸を撫で下ろしたネアに、家族がご迷惑をおかけしましたと一礼したイーザは、いつもの優しい微笑みではなく、無計画に家出してしまったモスモスを叱る為の厳しい顔をしている。
「モスモス、皆がどれだけ心配したか分かりますか?」
静かなイーザの言葉に、モスモスがくしゅんと項垂れる。
エドワードはそんな愛する魔物を守ってやりたいようだが、並木道に集まっていた毛皮の妖精達に奪われない内に、モスモスの欠片を集めなければいけないのでそれどころではない。
いつかに武器として使っていた巻尺のような道具で近くを囲い、幾つかの魔術を立ち上げている。
もっと一括回収的なやり方で拾えないのかなとネアは思ってしまうが、魔術にも様々な制限がある以上は、我が儘な人間の思うようにはいかないのかもしれない。
「小さな妹達は、モスモスが馬車に轢かれてしまったり、竜に食べられてしまったらどうしようと泣いていました。以前に滞在したことがあり、親切な人々の多いウィームだとしても、心無い旅人があなたを傷付けたかもしれない。一緒にウィームに滞在した時と、一人で訪れるという事は違うのですよ」
「手厳しいけれど、正論だね。実際に、エドワードに捕まった訳だし」
「シルハーン様とノアベルト様におかれましても、お手を煩わせてしまい申し訳ありません。せめて城を出る前に、家族が気付くべきでした」
「まぁ、でもこっちを頼ってくれて良かったよ。僕達も君達には世話になってるから、モスモスを預かる分には問題がないからね。ただ、今度からは事前に連絡をくれて、誰かに送り届けて貰うか、迎えを待つかにした方が良さそうだね」
ヒルドがそう言っていたんだよと微笑んだノアに、イーザは、ほっとしたような顔をした。
モスモスは人型ではないにせよ、魔物は自身の領域を侵す者を倦厭する気質が強い。
特にモスモスは魔物でもあるので、今回の訪問で魔物達を不愉快がらせてしまうことも懸念していたのだろう。
(そういう意味では、ディノとノアは少し特殊なのだと思う……………)
霧雨の大家族と親しいヨシュアですら、何の催しもない日に、自分の城に入れるのはイーザやルイザくらいなのだそうだ。
イーザとの魔術通信で、多分ディノは怒らないだろうと言ったネアに対し、イーザがたいそう恐縮していたのもそのような理由からだろう。
モスモスは、欠片が飛び散ってしまうのでじっとしていてくれと必死に宥めているエドワードの腕の中で、じたばたしながらイーザに何かを訴えている。
そもそも鳴き声や会話などを持たないパンの魔物なので、ネアはどうやって意思疎通をするのだろうと疑問に思っていたのだが、この様子であればやはりボディランゲージなのかもしれない。
「………ルイザは怒っていませんよ。それどころか、大事な弟を泣かせるなんてと、オズヴァルトに頭突きをしていました」
そこでなぜか、ぴっとなったディノがじっとこちらを見るので、ネアは只今頭突きは受け付けておりませんとアナウンスしなければいけなくなる。
(ルイザさんの中では、モスモスさんは弟なんだ……………。そして、ルイザさんはかなりの怪力だった筈だけれど、オズヴァルト様は無事だろうか……………)
勿論婚約者なので加減はするだろうが、ひと殴りで木を倒せるルイザなので、ネアは、こっそりひやひやしてしまった。
「…………そしてあなたに、今迄その想いに気付かなかった自分が何か無神経なことをしていたのなら、羽を譲ると言っていましたよ」
ネアにはさっぱりその行動の深刻さが分からなかったが、魔物達がひゅっと息を飲んだので、相当な事なのだろう。
モスモスも震え上がってしまい、必死に首を横に振っている。
そんなモスモスの様子を見たイーザはふっと優しく微笑み、手を伸ばしてモスモスの頭をそっと撫でた。
それは、モスモスを抱いて離さないエドワードも受け入れてしまうくらい、優しい優しい家族の労わりの手だ。
「まったく。どうして、もうどうでも良くなったのだと嘘をついたんです。私はそんなにあなたの兄として不甲斐ないですか?」
その言葉に、まだモスモスが弾む。
すると今度は、イーザがぴしりと固まった。
「イーザさん…………?」
「……………ネア様、」
思わず声をかけたネアに顔を上げたイーザは、とても動揺しているように見えた。
そしてなぜか、モスモスを抱いたエドワードが頬を染めて僅かに恥じらっている。
「ありゃ。新しい恋について報告しちゃったかな」
「……………ほわ、また爆発しました」
「っ、これ以上欠けないでくれ!大切な体が……………!!」
「伴侶になるのかな…………」
「うーん。まぁ、魔物同士だし本来の寿命も同じくらいだからね。欠片が残れば失われやすくもないし、案外いい組み合わせなのかも」
「エドワードが……………」
いつも冷静なイーザは、失恋で家出していた筈のモスモスの思いがけない次の恋のお相手にとても動揺してしまい、その場はノアが仕切ることになった。
まずは、モスモスは霧雨の城に一度帰る事になり、心配をかけた家族達を安心させてやりつつ、爆発してしまった部分を治す事に専念することになる。
この帰宅と治療についてエドワードは抵抗したが、初めて治療にあたるエドワードではモスモスを綺麗に治せないのではと言われると、愛する人のためなら我慢すると大人しく引き下がった。
その後、霧雨の一族にかかわりの深いヨシュアの立ち会いの下、霧雨の妖精王と精霊王、そしてイーザと当事者の二人で、これからの話をする事になる。
リーエンベルクに滞在する筈のモスモスが、やはり帰ることになったと聞かされたエーダリア達は、ネアからその理由を聞いてとても驚いたようだ。
「私もそちらに出れば良かったですね。………後で、イーザとも話してみましょう」
「人間の貴族達がやるお見合いのような形式で、顔合わせをするみたいだよ。霧雨の一族は既にヨシュアの庇護下にあるから、その点においては魔術の理でエドワードも手を出せない。ヨシュアの方が階位も上だしね。イーザに会って、恋人の……………ええと、もう恋人でいいのかな?……………の、家族としては認めたみたいだから、エドワードも上手くやるんじゃないかな」
「……………その、……………高位の魔物が、パンの魔物を見初める事もあるのだな」
「うーん、僕は初めて見たかな。シルは、見たことある?」
「これまでにはなかった事だと思うよ……………」
「そう言えば、以前お会いした時に、エドワードさんはパンの魔物さんはいい匂いがすると褒めていました。今思えば、その頃からパンの魔物さんがお好きだったのかもしれませんね」
「エドワードが……………」
都合のいい話だが、モスモスに新しい恋人が出来れば、ルイザやオズヴァルトも気持ちが楽になるだろう。
モスモスも胸を痛める事なく二人を祝福出来るようになるのだろうが、如何せん展開が早過ぎたのと、まさかの相手にネアも動揺が隠しきれない。
(でも、いつも優しくて頼りになる霧雨の皆さんが、悲しい思いをしたり我慢をしたりせずに、幸せになれそうで良かった……………)
ネアは、混乱したまま取り敢えず頭突きをして欲しいと強請ってくる魔物を撫でてやりつつ、呆然としながらも、モスモスの今後を案じるエーダリアとヒルドを見る。
そして、パンの魔物は花嫁衣装を着るのだろうかと考えた。
ノアも驚きの展開に動揺はしたらしいが、そこは恋に開放的な魔物らしく、誰よりも受け入れるのが早かった。
「それにほら、ヨシュアの伴侶もムグリスだったし、エドワードはパンの魔物の言葉が分かるみたいだからね」
「なぬ。言葉が分かる方もいるのですね……………?」
「パンの魔物の言語は、習得が難しいみたいだね。属性や系譜も関係あるから、僕やシルは分からないんだ。うーん、アルテアはいけるかな?イーザや、霧雨の妖精達は分かっていると思うよ」
「ボディランゲージではなく……………」
「ぼでぃらんげーじ……………」
「私も学ぼうとしてみたが、挨拶くらいしか覚えられなかったな」
「まぁ、エーダリア様は、パンの魔物さんの挨拶が出来るのですか?!き、聞いてみたいです!」
「ネア、パンの魔物の言語は音で成すものではないのだ。魔術の色と光で言葉を作る事で、読み取ると音が思考内に再現されるのだが、……………その、お前の可動域では見るのは難しいだろう」
「思いがけず難解なシステムに驚くばかりです。欠片からも復活出来ますし、実は、とんでもなく高度な生命体なのでは……………」
その後、モスモスは霧雨のお城で額縁の魔物とお見合いをしたそうだ。
二人は無事に結婚を前提に付き合い始め、一年後には伴侶になる。
婚約期間を長めにと決めたのは、とは言え失恋したばかりのモスモスで、エドワードが本当に自分を受け入れてくれるのかを見極めるのだそうだ。
ヨシュアとの兼ね合いで霧雨のお城には入れないエドワードは、妖精の国に小さな家を買って、少しでも多くモスモスに会いに行くらしい。
エドワードも多忙な魔物の一人なので、毎日会いに行くとは言えないそうなのだが、それでも週に二度は必ずデートをしてゆくのだそうだ。
二人が伴侶になった際には、エドワードの在宅時には二人はその家で暮らし、エドワードが家を空ける際にはモスモスは霧雨のお城に戻るのだとか。
(と言うか、二人でいいのだろうか。一人と、……………一斤?)
因みにモスモスは、エドワードの顔に恋をしたのだそうだ。
恋に落ちる瞬間までは、抱えられてしまっていたので全くエドワードの顔が見えていなかったそうで、覗き込まれて初めて、自分に熱烈に求愛している魔物の美貌を知ったらしい。
ネアは顔から始まる恋愛は大丈夫だろうかと少しだけ不安だが、幸いにもエドワードがかなり献身的なのでモスモスの恋は順調なようだ。
なお、ルイザがモスモスを弟だと考えていたのは、これまでのモスモスの恋愛遍歴が、全て可愛い女の子か雌だったからだという。
それを聞いたネアは、額縁の魔物の恋が成就するよう、ついつい祈ってしまったのだった。




