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嵐のちびふわと祝い嵐 1



ぴかりと窓の向こうで雷が光る。


ぴしゃん、ごろごろと響く鈍い音を窓に向けた体で聞きながら、ネアは、思いがけない妖精達の反乱が起き、大忙しになったエーダリア達が消えていったリーエンベルクの廊下を歩いていた。



(祝い嵐の中で踊りたいのでと、遮蔽結界を破壊してしまうのも困ったものだわ……………)



懸念のあった麦畑ではないが、豆畑の反乱という仮の呼称を既に与えられたその事件は、森の妖精達が祝い嵐の中で輪になって踊る会場として開けた豆畑に目を付けてしまったことで勃発した、畑の持ち主やその近くの町の騎士達と妖精達との仁義なき戦いである。


踊らせるのだと荒れ狂う妖精達に、踊らせてなるものかと激高する人間達は、現在、嵐の中で熾烈な戦闘に身を投じているのだそうだ。


おまけにそこに、何だか知らないが楽しそうだぞと参加してしまった豆の精達もいて、現場は収集がつかなくなってしまった。


それはもう、エーダリア達は執務室に籠るしかないし、応援で駆けつけるリーナもとても辛いだろう。

実は似たような事件が過去の祝い嵐の際にも起きており、もはや第二次豆畑戦争とでも呼びたいくらいな有様である。



ノアはそんな事件の対応に苦慮するエーダリア達を補佐するべく、エーダリアの執務室に入り、ディノは、その騒ぎを受けてリーエンベルクの周囲も警戒し直そうとゼベルと共に見回りに出てくれた。


グラストとゼノーシュは嵐に備えて幾つかの農業地帯を回るそうで、そんな皆の為に今夜の晩餐には急遽、美味しいシチューが加わった次第だ。




ざあっと、窓に雨が打ち付けられる。

風が強くなってきたことで、そこまでの雨量ではないものの、窓を叩く雨音が響くようになってきた。



「なので今は、私と使い魔さんなちびふわでお留守番なのですよ」

「……………フキュフ」

「ディノが、ちびふわ符の効果が切れていなくても、有事の際には元の姿に戻れるようにしてくれたのに、まだ拗ねているのですか?」

「……………フキュフ」

「仕方がありませんねぇ。そんなつんつんしたちびふわは、尻尾の付け根を沢山撫でてあげましょう」

「フキュフ?!」



目を丸くしてみっとなったちびふわを、ネアは容赦なく撫でてしまった。


暫くすると、ちびちびふわふわした白い塊は、撫で尽くされてへたへたになってしまい、ネアの腕にだらんと引っかかっているだけになる。

ぴくぴくしている毛皮を落ちないように抱き直したネアは、小さな毛皮の生き物がぐんにゃりしている愛くるしさを、心ゆくまで楽しんだ。



「ちびふわは、すっかり甘えたになりましたね」

「フキュフー!」

「むむ、また撫でて貰いたいのですか?」

「フキュフ?!」



やり取りだけ聞いていると弄んでいるかのようだが、尻尾の付け根を撫でていると必死に逃げ出そうとじたばたするのに、ぴたっと手を止めてみると、そろりとこちらを窺う素直ではない生き物である。


だが、はふはふと呼吸を刻みくたりとしていたちびふわは、ふと、自分が魔物であったことを思い出してしまったのかもしれない。

みっと鳴いて謎にけばけばになると、ちびこい手足でばたばたした後、ネアの腕の中からしゅばっと逃げ出してしまう。



「ちびふわ?……………むが!尻尾で前が見えません!!」

「フキュフ……………」



脱走ちびふわに頭の上によじ登られてしまったネアは、顔にかかったふかふか尻尾で前が見えなくなってしまい、慌てて犯人を捕まえようとした。

しかし今度は、あっという間に肩の上に逃げられてしまう。


すぐに手を伸ばしたものの、首裏の髪の毛の中に隠れてしまうちびふわは、ネアが捕まえようとしても巧みに逃げ回る。


最初は本気で捕まえようとしていたのだが、首元をふわふわしたものがててっと素早く走る可愛さに、ネアはちびふわを追いかけるのが楽しくなってしまった。



なのでその時のネアは、すっかり前方を見ていなかったのだ。




「ぎゃ!」



不意に濡れた縄のようなものを踏んで、ずるりと滑ったネアは、すてんと尻もちをついた。


転び方によっては後頭部を強打しかねなかったが、肩に乗ったちびふわを圧死させてはなるまいと腹筋と背筋を駆使し、上半身を起こしたまま転ぶことが出来たのだ。


しかしその分、お尻はしたたかに打ってしまい、ネアは暫し無言で身悶える。



「……………っ、うむぎゅ……………」

「フキュフ……………」

「……………むぐぐ。私が足元を見ていなかっただけなので、そんなに悲しい目をしてけばけばにならなくても、ちびふわのせいではありません。ですが、私のお尻はもう、未来永劫平面になったかもしれません……………む?」



じんじんと痛むお尻に体を丸め、自分が踏んだのは何だったのだろうと先程の踏み締め地点を見たネアは、床に落ちている濡れそぼった紐のようなものは兎も角、なぜ廊下の窓の一ヶ所が開いたままなのだろうと眉を寄せた。



大抵の場合、リーエンベルクの廊下の窓は閉まっている。



魔術的な遮蔽をすることで堅牢な要塞にもなるこの建物において、嵐が来ているというのに窓が開いているというのは明らかな異常事態ではないのだろうか。




(床の絨毯が少し濡れている。……………あの縄のようなものが、窓にぶつかってこちらに飛び込んで来てしまったのだろうか……………?そんなに上手くいくとは思わないけれど、もし人為的なものであれば、あの窓を開けた誰かがいるのかもしれない……………)



そう考えるとぞくりとしてしまい、ネアは慌てて周囲を見回した。

けれども嵐の風雨の影を映した廊下には、ネア達以外には誰の気配もない。


ぴかっと光った雷に、ネアは何もこんな時に限って家事妖精もいないなんてと急に不安になってしまう。

嵐の日に窓が開いているのを見付けてしまうだなんて、典型的なホラーの序盤展開ではないか。


痛むお尻を気遣いながら何とか立ち上がると、ネアはよろよろと何歩か後退した。



ちびちびふわふわしていても、中身は選択の魔物な生き物もそう思ったに違いない。

ネアの肩からえいっと廊下に飛び降りると、するすると窓のカーテンを登って開いている窓に近付く。


恐らくその時のちびふわは、小さな体で開いている窓を押し、ばたんと閉めてしまおうとしてくれたのだろう。


しかし、そんな健気な生き物が予測していなかったのは、自分の体の軽さであった。

中身は選択の魔物でも、体はネアの手のひらサイズのふわふわなのだ。




「フキュフ?!」



吹き込んだ雨に濡れた硝子で、小さな体がつるんと滑った。

あっと思った時にはもう窓の桟の部分に乗っていた体がかくんと傾いていて、ぞっとしたネアは慌てて駆け寄ろうとする。



だが、間に合わなかった。



ちびふわの体が傾いたのと、ごうっと強い風が吹き込んだのは同時だったと思う。


ネアの心臓が止まりそうになったその一瞬で、嵐が巻き起こしている強い風に空中に巻き上げられたちびふわが、嵐らしくごうごうと畝り向きを変えた風に、しゅぽんと窓の向こうに吸い出されてしまったのは、ネアが悲鳴を上げる間もないほんの一瞬のことであった。




「ち、ちびふわ!!!」



悲痛な声を上げてネアが窓に手をかけた時にはもう、ちびふわの姿はどこにもない。

嵐の屋外に、飛ばされてしまったのだ。



真っ青になって慌てて外に出ようとしたネアは、けれども庭に続く硝子戸に手をかけてからぐっと奥歯を噛み締めて立ち止まる。


ここでネアが二次遭難したら余計に事態を混乱させてしまう。


しかし誰かを呼ばねばならないと決意したネアは、ここでまた少し混乱してしまった。



(ディノを呼ぶべきなのか、アルテアさんの名前を呼んで元の姿に戻って貰うべきなのか、どちらがいいのだろう……………?)



「ノア!!」


結局ネアは、ノアを呼ぶことにした。

ディノを呼ぶと、慌てた魔物が見回り中のゼベルを一人で森に置いてきてしまいそうで、そちらも危険だと思ったのだ。



勿論、ネアの義兄はすぐさま転移してきた。

転移にも制限のあるリーエンベルクで、今や塩の魔物は最上の権限を与えられている。



「ネア?!」

「ノ、ノア!!ちびふわが、窓から風に飛ばされてしまいました!!なぜか開いていた、この窓を閉めてくれようとしたのです…………」

「……………え、アルテアが?!」



ぎょっとした様子のノアは、開いたままの窓を訝しげに一瞥すると僅かに眼差しを鋭くする。

無言で歩み寄るとネアをさっと抱き上げてしまい、魔術通信端末を使ってヒルドに警戒を呼びかける。


更には魔術証跡を調べて窓を閉じるまでが、流れるような早さで完了された。



「シルを呼ばなかったのは、ゼベルの為かい?」

「ええ。……………くすん。ちびふわが…………」

「本人の判断で擬態を解ける筈だから、危険はないと思うけれど探しに行こう。でもその前にまず、シルとゼベルを呼び戻した方がいいね」

「……………ふぁい」

「それと、この雷鳴カワセミはどうしたの?」

「……………びしょ濡れの縄ではなく……………?」

「うん。雷鳴カワセミだね。かなり凶暴で足元から雷撃を放って気絶した獲物を食べるんだけど、……………わーお。踏まれたのかな」

「こやつを踏んで転んだのです。私のお尻はぺしゃんこになりました」

「ありゃ。僕の妹のお尻が無事かどうかは、お兄ちゃんが診てあげるよ」

「……………む?!」


子供抱っこの姿勢で抱き上げられたまま、いたって普通にお尻を触られ、ネアは目を丸くした。

しかし、荒ぶろうにもノアはまだ真剣な目をしているし、じんじんと痛んでいたお尻がたちまち楽になる。


ネアはじっとりした目で暫し考え、これは治療の一環として受け流すことにした。



「……………ちびふわは、もう隣街くらいまで飛んでいってしまったでしょうか?」

「うーん、アルテアの筈なんだけどなぁ。まぁ、僕も人の事は言えないから、あんな感じかもね」

「ネア!」

「おっと、シルが間に合ったみたいだね」



ここでネアは、突然ゼベルを連れて現れたディノに、ぎゅうぎゅうと抱き締められた。

もはや構わないと思ったのかノアごと抱き締めたディノに、ノアは意味不明の言葉を呟くとなぜか少し照れている。



「………シル、魔術探索だから僕が出た方がいいだろう。窓が開いていたのが気になるんだよね。リーエンベルクと僕の妹を任せていいかい?」

「アルテアは、擬態を解かなかったようだね…………」

「ちびふわな使い魔さんは、なぜかその姿のままで窓を閉めようとしてくれて、つるんとなってびゅんと飛ばされてしまったのです……………」

「アルテアが……………」

「……………ち、ちびふわがいなくなってしまったら、どうしましょう。私が助けてあげられなかったせいで、嵐の中に一人で飛ばされているなんて……………」

「ネア、魔術的な変動や損傷の気配はないから、アルテアは無事だと思うよ。ほら、こちらにおいで」

「……………ぎゅわ」



ネア達の隣では、頭に奥さんを乗せたゼベルが、あんな滑らかな転移は初めてだと、胸に手を当てたときめきの乙女ポーズで固まっている。

けれど、出て行くノアに声をかけられると、はっとしたようにきりりとしていた。



「ノア、ちびふわを宜しくお願いします」

「うん。すぐに見付けてくるよ。……………ありゃ、ネア?」

「ぎゃ!べっしょりお化けが!!」



その時、ぴかっと光った雷に逆光になるようにして、窓辺にびしょ濡れの毛の塊が立ってる事に気付いたネアはディノの腕の中で飛び上がった。


灰色だか土色だか分からない塊は、祝祭で見かける紙容器の精にも似ているが、雨の流れる窓から見えるものが不明瞭なので、詳細は定かではない。


震え上がったネアに対し、ノアはあれっと短く声を上げると、躊躇う様子もなく窓を開けてその生き物を掴み取った。




「……………フキュフ」

「ちびふわ……………?」

「良かったよ。自力で帰ってきたみたいだね。地面に落ちたのか泥だらけだけど、魔術階位的にはこの姿でもアルテアの方が上じゃないのかなぁ……………」

「あ、この庭の花壇の土であれば、今回の祝い嵐で妖精達が悪さをしないように祝福の階位を上げてありますよ」

「ありゃ、それか」

「……………フキュフ」



(……………でも、窓が開いていた理由はまだ分からないままなのだ)


そう考えると、ひたりと不安が落ちるのだが、まずはちびふわの無事を祝おうではないか。


ネアは慌てて金庫からふわふわ高級タオルを引っ張り出すと、泥水でびしゃびしゃのまま大人しくノアの手の中にいるちびふわをしっかり包んでやった。

泥水でぐっしょりだったちびふわは、ぽたぽたと滴る泥水で目をしっかり開けられなかったようで、まずはざっと拭いてしまうとほっとしたようだ。



とは言えすっかり冷えてしまっているので、まずはお風呂に入れなければならない。


魔物達と相談し、ネアは予定通りに自室に戻りちびふわをお湯に浸けることにし、ノアはリーエンベルク内部を、ディノとゼベルと手分けして見回ることになった。


なお、雷鳴カワセミについてはノアが持っていってくれるそうで、このカワセミが今回の事件にどうかかわったのかを調べるのだとか。



「ちびふわが、嵐に連れ去られてしまわないで良かったです。まずはお風呂に入りましょうね」

「フキュ……………プシ!」

「まぁ、くしゃみまで可愛いのですが、これはいけません。急いで温める為にも、走りますね!」

「フキュフ?!」

「ご主人様が逃げた……………」

「ディノ、見回りが途中になっていることもあるので、急いで部屋に戻りますね!」



ネアはタオルに包んだちびふわを抱き、送り届けな伴侶の魔物と共に部屋まで走って戻ると、大急ぎで浴槽にお湯を溜めた。


浴槽はしっかり浸かる用であるし、疲労困憊していると小さなちびふわはお湯に浮かんでしまうので、まずはタオルごと洗面台でお湯溜まりに浸ける。


しゃばしゃばとお湯に打たれて気持ち良さそうにしているちびふわをそのままにし、見回りに行くディノを見送ったネアは、ボディソープをじっと見つめた。

ネアには魔術洗浄をするだけの技量はないが、自分の手や体を洗えているのであれば、泥だらけのちびふわを洗うくらいのことも出来るのではないだろうか。


小さく唸ってから少しだけ手に取ると、お湯の中でほわんとしているちびふわの尻尾を、試しにあわあわにして洗ってみる。


この様子からすると、たっぷり水を含んだ泥の中にべしゃりと落ちたのだろう。


泥沼事件に近い惨状であるが、幸いにも花壇の泥なので悪臭などはしない。

時折水に混じる砂金のようなものが、畑に撒いた祝福結晶だろうかと思いつつ、ネアはこそげ取った泥を流して、尻尾洗浄を続けてみる。


「……………むぅ。泥を落とすことは出来ても、真っ白なちびふわは、メランジェ色のままです……………」

「フキュフ」

「こうなるともう、そろそろ魔物なアルテアさんに戻っても良いのではと思いますが、さては、泥だらけのまま魔物さんな姿に戻りたくないのですね?」

「……………フキュフ」


ネアの疑念にさっと目を逸らしたので、ある程度綺麗になるまでこの生き物はこのままでいることを心に決めたようだ。



であるならばと、ネアは、ちびふわの全身をあわあわにしてしまった。


もこもこの泡に包まれ、目立つ泥汚れを何とか洗い流してゆけば、真っ白な毛並みは取り戻せていないものの、メランジェ色の新たなるちびふわが生まれる。

これはもう泥染めちびふわとでも呼ぶべきものではなかろうかと考え、ネアは新たなるちびふわを眺めてみた。


「ふむ。小花柄から水玉模様まで色々試してきましたが、このメランジェ色ちびふわも悪くないですね」

「……………フキュフ」

「しかし、ボディソープと綺麗な土のいい匂いの混ざった、謎めいた香りになっています」



匂い問題に気付きけばけばになったちびふわは、暗い眼差しで溜まったお湯の中でじたばたした。


「そろそろ、浴室に運びますね。ちょっと待っていて下さい!」


ネアは、ちびふわと同時洗いをしたタオルを浴室の方で素早く濯ぎ、硬く絞る。

ネアの可動域では洗濯も出来ないが、洗濯妖精に出すにしても泥は落としておかねばなるまい。



(これは後で洗濯籠に入れて…………)



香草と檸檬の香りに土の香りを添えたものはお気に召さないらしく荒ぶるちびふわを、ネアはやっと浴槽に移動させる。



「もうひと洗いお手伝いしましょうか?」

「フキュフ」


何やら渋い顔で首を振っているので、このあたりで魔物の姿に戻って自分で体を洗いたいようだ。


「念の為、消毒も兼ねて薄く張ったお湯には浄化作用のある薬湯が入っています。一度その中に浸かってから体を洗うといいかもしれませんね」

「フキュフ」

「なお、薬湯はそちらの棚の青い瓶に入っていますので、お湯を張り直す際にはご自由にどうぞ。いい匂いの入浴剤もありますよ」



ネアの使った薬湯は、可動域のないネアが、万が一誰もいない時に汚れてしまった場合を見越して、ディノがリノアールで買ってくれたものだ。

浸かるだけで簡単な魔術消毒が出来る優れものだが、幸いにも過保護な魔物のお陰で今迄あまり利用する場面がなかった。



(でも、思いがけずここで活躍してくれて良かった……………)



「タオルはこちらの棚にあります。バスローブはもうすぐお部屋に届きますから、来たら入り口のところにかけておきますね」

「フキュフ」



念入りに薬湯にくぐりながら、いまだに渋い顔のちびふわが答える。

自分で出来そうなのでもう大丈夫そうかなと思い、ネアは一度浴槽に身を乗り出すと、今はちょっぴり土の匂いのするちびふわの頭を人差し指で撫でた。



「私も一緒だったので、慌てて窓を閉めようとしてくれたのですよね。そんなちびふわなのに、すぐに助けにいけなくてご免なさい。どうか、ゆっくり温まって下さいね」


ネアの静かな謝罪に、ちびふわは赤紫色の瞳で呆れたようにこちらを見上げた。


気にしていないと伝えようとしてくれたのか、小さな舌でネアの指先を舐めてくれたのだが、残念ながらその指先には先程のボディソープが付着していたらしく、みっと鳴いて顔を顰めるとけばけばになってしまう。



(ふう、何とか少し落ち着いただろうか。後は、どうして窓が開いていたのかが判明すればいいのだけれど……………)



しかし、まだまだやる事は沢山あった。


ネアは洗い物のタオルを汚れ物専用の遮蔽袋で密閉して洗濯もの籠に入れ、洗面台の周りを綺麗に掃除した。


そうこうしていると、バスローブが届いたので家事妖精にお礼を言って受け取り、浴室の側の扉にハンガーごとかけておく。


浴室とは続き間になっているが、模様彫りのある泉水晶の扉があるのでこちらからは見えないのだ。

ちびふわにしては重たい水音が響き始めたのをこっそり確認し、魔物姿に戻ったようだと一安心したネアは、自分の服をくんくんして眉を寄せてから着替えることにした。


ディノはすぐには戻ってこないだろうと判断した大雑把な人間は、そのままえいやっと脱いでアンダードレス姿になってしまい、何となくだが、そこはかとなく土の香りがする服も洗濯もの籠に入れておく。



ネアがそのままアンダードレス姿でうろうろしていたのは、庭と禁足地の森に面した窓に、風で飛ばされてきた木の枝がぶつかったからだ。



ぎくりとしてそちらを見たが、小枝が窓に当たった音がしただけで窓に傷がついた様子もない。


吹き荒れる風に雨はヴェールのようにたなびき、木々が激しく揺れて葉っぱが千切れ飛ぶ。

祝い嵐の今回は風に金色の煌めきが混ざるので、目を凝らしたままネアは見入ってしまった。


暗い灰色と黒と灰青と灰緑の風景の中に、きらきらと光る祝福の色は何て不思議なのだろう。

思わず惹き込まれるようにして窓の方に向かった時に、ずだんと鈍い音がした。


「……………アルテアさん?」


慌てて浴室に引き返したネアが見たのは、初めてお目にかかるとても弱った選択の魔物であった。

しっかりと髪迄洗ったのかいい匂いがしてほこほこ湯気を立てているが、足元がおぼつかなくなぜか目元が微かに赤い。


「まぁ、すっかり冷えていたので、風邪をひいてしまったのでしょうか?」

「……………くそ、魔術酔いだ。土の祝福と祝い嵐、その上で薬湯とカッタランの氷酒の全部だな」

「………っ、ここで倒れたら頭を打ってしまいます。私が介助すれば歩けますか?せめて寝台に行きましょう」

「おい、お前は何でその有様なんだ。早く何か着ろ」

「む、むむぅ。着替えの途中だったのですが、バスタオル一枚の湿ったアルテアさんを支えるのであれば、このままで良かったようです。さぁ、移動しますよ!」

「……………シルハーンとノアベルトに伝えておけ。雨に妙なものが混ざっているぞ。……………恐らく、酒だな」

「なぜお酒混じりの雨なのだ。お祝い嵐ですので、無責任に浮かれたどなたかの所為な気がしてなりません……………」



アルテアの顔もとても暗かったが、ネアもとても遠い目になった。

ただの雨ではないお酒混じりの雨が降ってしまった場合、この嵐がウィームに及ぼす影響は如何程となるものか。



(とは言え今は、よれよれの使い魔さんを寝台に運ばねば……………!)


幸いにも、この場で倒れてしまいそうな程ではないにせよ、よろよろする男性を支えて歩くのは、思ったよりも大変な作業だった。


今は立っているが、濡れたままの髪や体を乾かす余裕もないくらいなので、かなりぎりぎりの状態なのだろう。

こんな状態で、ひとまずバスローブを着ましょうとも言えず、ネアは一番近い、本人が使ったことはほぼないものの、ディノの寝室として用意されていた部屋に向かう。



(む……………)


寝台に崩れ落ちた際に、アルテアが腰に巻いていたバスタオルが落ちた気がしたが、病人看護の現場なので気にしていても仕方がない。

ネアは心を無にして見なかったことにした。


苦心して何とか患者を寝台に横にならせると、視線を一定より下には下げないようにしつつ、湯冷めしないように火織りの毛布を持ってきて丁寧にかける。

このような場合、全裸的な状態にさしたる警戒のない魔物は、たいへんな危険物となるので、自分の身は自分で守らねばならないのだ。


もう一度浴室に戻ってタオルを持ち帰り、濡れた髪の水を吸わせるべく頭の下に敷いてやる。

頭を持ち上げる際に手を差し込むと、いつもより体温が高いような気がした。



「……………ふむ。後は、ディノかノアに来て貰って、乾かしましょうね」

「……………お前もさっさと上を着ろ」

「だとしてもまずは、この状態で拭けるだけ拭いてしまいます」



ネアは、魔術通信端末を駆使してアルテアの身に起きた異変を魔物達に伝えつつ、祝い嵐にお酒が混ざっていることを各方面に伝えた。


大事なウィームにお酒混じりの雨が降っていると知ったエーダリアはかなり動揺していたが、幸いにもヒルドがヴェルリアで似たような経験をしたことがあるらしい。

その時は、船の魔物にご機嫌な事があったようで、酔っ払って海嵐にお酒を撒いたのだそうだ。



(……………大きな問題にならなければいいけれど……………)



微かな不安を押し殺し、ネアは、ぐったりと目を閉じているアルテアの髪をタオルで拭いてゆく。

ごうごうと唸る風の音を聞いていれば、嵐の本番はまだまだこれからのようだ。









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