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88. タルト作戦を決行します(本編)




「ここで再会するとは、ますます縁があるようだな」



ネアは今、とても困っていた。

密かに四個目を狙うフォアグラと赤い実のタルトを取ろうとする軌道上に、よりにもよっての天敵の出現が確認されたのだ。


銀髪を揺らして薄く微笑んだ死の精霊は美しかったが、どこか意味ありげな表情は、ネアがこのタルトをこっそり許された割り当て以上食べていると知っているかのようではないか。


その事実を声高に指摘されると、淑女の評判は地に落ちてしまう。


伴侶であるディノには告白済みだが、背後でウィリアムと話をしているアルテアにも、今夜のファンデルツの夜会でとても良くしてくれている真夜中の座の精霊達にも知られたくないことなのだ。



(せ、せっかく、ディノに事情を話して目立たないように一人でさっと取りに行く段取りを取り付けたのに、……………!!)



なぜネアが一人で料理を乗せたテーブルのところにいるのかと言えば、ディノが一緒に動くとあまりの白さで目立つからなのだ。


なのでディノには、今はさりげなくグレアムと会話をしながら目隠しになって貰い、その隙にネアはフォアグラのタルトを略奪してくるつもりだった。

勿論、ディノには魔術でしっかりと繋ぎを取り、万が一がないように守護を強めて貰っている。


ご主人様からタルト作戦の為には、頼もしい伴侶の協力が必要不可欠で、それは伴侶にしか出来ないことなのだと言われた魔物は、目元を染めて恥じらい作戦の支持を表明してくれたばかりなのに。



「ぐるるる…………」

「……………ほお、このタルトが取れなくてもいいのか?」

「……………むぐ?!」



すっと紫の瞳を眇めて微笑むナインに、ネアは鳩羽色の瞳を瞠って絶望に顔を歪めた。


こちらを見ている死の精霊を退けるには、恐らくウィリアムかアルテアの手を借りるのが一番だが、そちらにもネアの目的を知られたくない事情がある。

せめて、ウィリアムがアルテアと話をしていなければと、ネアは心の中で地団駄を踏んだ。



「……………私に何のご用でしょうか。ご存知の通りに先を急いでいますので、手短にお願いいたします」

「ファンデルツは音楽と舞踏の夜会でもある。私がここを訪れるのは、新たな才能の発掘と堪能の為にでもあるのだが、如何せん、貴女に出会ってからそれ以上の才能に出会えない」

「……………嫌な展開になってきました」

「ここでなくとも構わない。そうだな、後日どこか落ち着いた環境であの歌声を披露すると約束するのなら、ここを通してやろう」

「か、かいめつしていません!」

「いいのか?」

「あなたなど、ディノかウィリアムさんに虐められたと言いつけて、くしゃぼろにしてやるのです……………」

「ほお、ではここでそのタルトが何個目なのかを、大仰に驚いてみせても?」

「ぎゅ?!」



要するに、この歪んだ趣味を持つ死の精霊は、ファンデルツを訪れた目的が達せられなくて不機嫌なのだ。

立派な紳士淑女のお客達に対してそのような資質を求めるのもどうかという気もするが、どうやらこれ迄にはそれなりに彼を満足させる獲物がいたらしい。


それがなぜか、今年に限ってはその楽しみが得られないという事を、よりにもよってナインは、ネアにぶつけてきているのである。



「私が責められる筋合いはありません。今回は運がなかったと、諦めてお帰り下さい」

「誰のせいで参加者が精査されたと思っている。今年の参加者達は、ウィームのとある交友網にかかる者達ばかりではないか」

「……………なぬ」

「であればその責任の一端は、貴女にもあるだろう」



(それはまさか、ミカさんがお友達を沢山呼んでしまった結果、リシャードさんの好むような少し特殊な才能を持つ方々が訪れる余地がなくなってしまったという事なのでは……………)



となると犯人はミカなのだが、ネアは折角仲良くなれそうな優しい精霊を売る気にはなれなかった。

つまりのところ、やはり追い詰められたままになる。


更に言えば、タルト食べ過ぎ問題を悟られぬよう、真夜中の座の精霊達が見えない瞬間を狙った事も明らかに裏目に出ている。



「おのれ、何と我が儘な精霊なのだ!」

「我が身の強欲さと、運のなさを嘆くのは自由だが、そろそろアルテアが気付くぞ?」

「……………むぐぅ。私とて、こんな羞恥と引き換えに、精霊さんに歌ってはいけない事くらい分かるのです…………」



ネアの言葉に微笑んだナインは、それはそれでも構わないのだろう。



要するに、八つ当たりに来たのだ。




「おや。美味しそうなタルトですね。お嬢さん、一緒に如何ですか?」



その時の事だった。

一人の青年がふらりと料理テーブルの横に現れると、こちらを見てにっこりと微笑む。


深い真夜中の色の髪は、毛先に光が当たると滲むような青色を透かす黒に近い瑠璃色で、鮮やかな青色の瞳が何とも清廉な光を湛えている。

艶やかさと怜悧さを併せ持つ美貌は、この青年が決して穏やかな気性ではないと知らしめるに相応しい。


ところが、そんな印象を柔和な表情一つで容易く崩し、尻尾を振って近付いてきた大型犬のような雰囲気になっているのだから、驚いてしまう。



「……………む?」

「おっと、皿に取り分けてしまったが、これは僕の苦手なものだったようだ。魔術の繋ぎを切るので、代わりに引き受けて貰えませんか?」

「……………むぐ、フォアグラのタルト」

「ええ、フォアグラのタルトです。ご迷惑でなければ、是非。僕は食べ物を粗末にするのが耐えられないんですが、苦手としたまま食べるのも料理に失礼だ。あちらにいらっしゃる万象の王にお渡ししますので、そちらで魔術の繋ぎを切っていただきましょう」

「……………サフィール」

「やあ、ナイン。お久し振りですね。戦場でお会いする事は少なくなりましたが、相変わらずの悪趣味さのようで。こんな可愛らしい女性に強請り紛いの事をするなど、……………もしや、趣味を口実に近寄り誘惑しようとしているんですか?」



(サフィールさんだわ……………!!)



宝石妖精の持つ色は、その場の光の具合に左右される事もあると以前に聞いていた。

タジクーシャで出会ったときより髪色が暗く感じていたのですぐに彼だと気付かずにいたネアは、ぱっと顔を輝かせた。


ダンスの後に、ミカが真夜中の座の精霊達に訊いてくれたのだが、今夜は見かけていないと言われてしょんぼりしていたのだ。



「誘惑?……………この、人間の子供の可動域すら持たない相手にか?」

「……………お、おのれ。私の可動域は、とても上品なだけなのです。ですが、相手にして欲しい訳でないので今回は見逃して差し上げましょう」

「おかしいな。誘惑したいのでもなければ、こんな絡み方はしないでしょう。まるで、好きな女の子を虐めるような振る舞いですよ、ナイン」

「馬鹿馬鹿しいにも程がある。これを見てよくも言えたものだな。特出した才能は賞賛しているが、女としては全く私の趣味ではない」

「どうでしょうね。これはもう、そちらの系譜の王か、万象の王にご報告しなければ。…………そうですね、あなたがこちらの女性に対して如何わしい欲望を向けていると伝えるのがいいかもしれません」

「興味を持たれずにいて幸いなのですが、なぜかとてもずたぼろにされている気分です。解せぬ……………」



そんなやり取りをしていれば、勿論ディノもこちらの異変に気付いた。


ふわりと魔物の香りがしたと思ったネアは、背後からしっかりと抱き締められてその腕の中に収められてしまう。



「ディノ!」

「ネア、どうしたんだい?」

「ナインさんに絡まれていたところ、偶然こちらにお料理を取りに来たサフィールさんが助けてくれました」


ネアの説明に、サフィールはディノを真っ直ぐに見据えても物怖じしない凛々しさで、また穏やかに微笑んだ。


タジクーシャでも思ったが、高位の魔物であるディノに対して全く揺らがない相手というのも珍しい。


ヒルドにその話をしたところ、特殊な武器などには、そのように敢えて恐怖や畏怖の感覚の一部を潰されて派生する者がいるのだと教えて貰った。


恐れるべきものをそのように認識は出来るが、敢えて恐れ過ぎないように調整されている、人造のものから派生した人外者のみの特質だと言う。



そんなサフィールはこちらに歩み寄ると、僅かに声を潜める。



「万象の王、ご無沙汰しております。ナインに邪魔をされて、彼女が料理を上手く取れずに困っていましたので、僕が代わりに。このままお渡しは出来ませんので、一度あなたにお渡ししても宜しいでしょうか?」

「おや、そのような事があったのだね。であれば受け取ろう。……………ナイン、私の伴侶を困らせていたのかい?」

「いえ、まさか。社交の場での軽い戯れ、ご機嫌伺いの会話を持っただけですよ。ただ、彼女がこの料理をこっそり取りたかったのを知らずに、結果としてこのようになってしまい、申し訳ない」

「むぐるる!分かっていて邪魔したのに、言い逃れは許しません!!」

「騒ぎになるが、いいのか?……………アルテア」



ふっと笑ったナインが視線を背後に向け、ネアはぞっとした。


タルト食べ過ぎ問題に一番気付かれたくなかったアルテアが、とうとうこちらの騒ぎに気付いてしまったのだ。



「おい、何の騒ぎだ。お前は少しも大人しくしていられないのか」

「む、むぐ……………」

「ネア、ナインに何かされたのか?」

「ウィリアムさん………。その、虐められるには虐められたのですが……………」



ここで理由を言えば、アルテアにタルトを食べすぎだと叱られるだろう。

叱られるくらいなら構わないが、何としてもお口に入れたいタルトを取り上げられるのは困るのだ。



(しかも、沢山余っているのではなくて、他の招待客にも人気で、残りがサフィールさんのお皿の二つを除けば、あと三つしかないなんて……………)



残り物であれば、勿体無いのでという言い訳も出来るが、今回のネアは、誰かが食べられなくなるかもしれないと理解した上で罪を犯そうとしており、だからこそナインにも付け込まれてしまった。


アルテアに知られるのは避けたいのだと必死に言い訳を探したが、アルテアの視線が、ダンス終わりにこちらに立ち寄り、白持ちの多さに慄きつつも件のタルトを貰って行った招待客の後ろ姿を見ているので最早言い逃れは出来そうにもない。




「……………まさか、お前の食い意地のせいで揉めたんじゃないだろうな?」

「そんなことはございません」



ネアはにこやかに微笑んで首を横に振ったが、くすりと意地悪な微笑みを浮かべたナインの爪先は、ここで踏み滅ぼしておくべきかもしれない。


本日は夜会用の靴でいささか心許ないが、それでも、もしもの時に備えてウィリアムの祝福は貰ってある。




「ネア、せっかくだから食べるかい?」


しかし、ネアが孤独な戦いを強いられている間に、サフィールは宣言通りの事をそつなく済ませておいてくれたらしい。


ネアの強張った心を柔らかくする言葉と共にディノが差し出してくれたのは、先程、サフィールが手にしていたフォアグラと赤い木の実のタルトの乗ったお皿である。



「い、いただきます!」


ネアは慌ててそちらに駆け寄ると、アルテアに取られないようにディノにお皿を持っていて貰い、念願の一口タルトをぱくりと食べてしまった。



(美味しい……………!!)



甘酸っぱい果実と、濃厚なフォアグラの美味しさにむふんと頬が緩んでしまう。


上質なフォアグラはしっかりと調理もされており、臭みなどは一切なく、お酒の香りがして濃厚ながらも軽やかな味わいだ。

タルト生地の部分まで美味しくてさくさくほろりと甘いのだから、近年稀に見る良作と言わざるを得ない。


すっかり幸せになってしまい、甘い息を吐いているネアの隣で、ご主人様が可愛いとディノも目元を染めている。


なお、ディノの隣にいるグレアムも、ザハのおじさま給仕として、お気に入りの食べ物をしつこく何個も食べたいというネアの偏食を知る心強い味方だった。




「お前な。控えろと言わなかったか」

「……………む?」

「いえ、これは僕の所為なんですよ。見た目に惹かれて皿に盛ったものの、香りで苦手なものだと気付いてしまい、とは言え、派生元の関係で食べ物を粗末にする事が耐えられず、万象の王に相談させて貰いました」



朗らかに笑ってネアを擁護してくれたサフィールに、伴侶にはとても甘いディノもこくりと頷く。

ネアも、世界のためにも食べ残しなど滅ぶべしというメッセージを示す為に、重々しく頷いて見せた。



「ふふ、サフィールさんのお陰で、美味しいタルトをあるべき所に収める事が出来ました!」



もう一つのタルトがお皿に残っている事を確認しつつ、ネアは万感の思いでそう宣言する。


ナインが、これは計画的な犯行であることを主張しかけていたが、共犯になってくれたサフィールが上手に躱してくれたことと、こちらも好きなものを好きなだけ食べてもいいと考える甘やかしの魔物であるウィリアムが、ネアを虐めたナインを追い払ってくれた。



「……………ったく。で、あいつはお前に何をさせるつもりだったんだ?」

「……………むぐ。私がまたタルトを食べようとしている事を黙っている代わりに、後日、どこかで歌うようにと言うのですよ。何て悪い精霊さんでしょう」

「ほお、食べようとはしていたらしいな」

「……………なんのことかわかりませんので、もくひします」



ディノとグレアム、そしてウィリアムとも和やかに話をしているサフィールは、かつて、使用には大きな対価を必要とするものの、その一つで戦況をひっくり返すとまで言われた伝説の武器であったらしい。


ネアはタルトのお礼と、貰った手紙がとても素敵だったので、返す返事の手紙にまたお返事を下さいと伝えておいた。


ディノと二人で楽しく読んだのだと言えば、サフィールはくすりと笑うと、また手紙を書くと言ってくれる。



アルテアは顔を顰めていたが、少し考え込んだ様子のウィリアムが、カルウィの牽制も兼ねて知り合っておくといいと言えば、反対する事はなかった。




「サフィールさんは、カルウィへの牽制になるのですか?」

「今から百五十年ほど前に、カルウィでも歴史的な大戦があったんだ。その戦場に持ち込まれ、当時の先王の軍勢を滅ぼしたのは、彼の派生元となった武器だからな。元はウィームで採掘された宝石を核に作られた武器だ。そう言う意味でも問題はない」

「まぁ、サフィールさんはウィーム生まれなのですね」

「カルウィでは、災厄として語られる武器の一つだな。使い手を含めた十八人の魔術師の命を贄にして、先王部隊を壊滅させた青い炎は、有事の際にはかなりの効果があるだろう」

「グレアムさんもそう仰るのなら、是非にまたお手紙を貰って仲良くしておきましようね、ディノ」

「……………うん」



そう言われたディノがもじもじしてしまうのは、青玉の宝石妖精からの手紙を読んだネアの反応目当てで、決してサフィールと仲良くなりたいからではないのだが、ウィリアムやグレアムは誤解したようだ。



(さて、もう一つのタルトを…………)




「ぎゃ!アルテアさんに食べられました!!」



しかし、流石に食べ過ぎだと思ったのか、最後のタルトは、素早く手を伸ばしたアルテアにさくりと食べられてしまった後だった。


じわっと涙目になったネアは、慌てたディノに慰めて貰い、デザートのテーブルに移動する事になる。




最後に、主催の真夜中の座の精霊達からの粋な計らいがあり、ネアの大好きな曲をオーケストラがもう一度演奏するというサプライズがあった。



ネアは、素晴らしい真夜中の座の夜会の全てを記憶に焼き付けて帰るべく、美しい夜の深さと豊かさを眺め尽くしておく。


タルト事件の恨みを晴らすべく、ナインともう一度遭遇したら爪先を踏んでおこうかなとも思ったが、帰り際に真夜中の座の精霊達から、フォアグラと赤い木の実のタルトを一箱、お土産で持たせて貰ったので、ネアの心の中の邪悪な復讐心は綺麗に霧散した。


アルテアから、一日に二つまでという魔術をかけられてしまったが、ネアとてお土産のタルトは一人で食べるつもりはない。

エーダリアやヒルド、ゼノーシュとグラストを交えてみんなでいただく予定なのだ。




「ディノ、とても素敵な夜会でしたね!」

「君が気に入ったようで良かった。再来年にはなるけれど、また招待状を貰えるそうだよ」

「はい!楽しみにしていますね。…………ウィリアムさんとアルテアさんも、今夜はご一緒して下さって有難うございました。なお、アルテアさんは私の最後のタルトを食べてしまったので、早急に再現レシピを完成させて下さいね」

「何でだよ」




王座に戻るミカに退出の挨拶をして、出口に向かう。

その会場の出口では、レカに抱っこされたもさもさの真夜中の座の王族が招待客のお見送りをしてくれており、ネアは、人見知りの王様と踊ってくれたからと、タルト以外にも沢山のお土産を貰った。



お土産まみれで帰りの馬車に乗りながら、ネアは温かな歓待をくれた真夜中の座の精霊達に手を振る。

ミカのあの穏やかな優しさは、こんな仲間達がいるからに違いない。




「今日はとても素敵な一日でした」




そう呟き、隣に座ったディノにこてんと寄りかかると、魔物はずるいと呟いてくしゃくしゃになってしまう。




そうしてネアの、初めてのファンデルツの夜会への参加は幕を閉じたのだった。











台風の影響もあり、本日も引き続き少なめの更新となりました。

明日、10/14の通常更新はお休みとなります。

TwitterにてSSを上げさせていただきますので、宜しければそちらをご覧下さい。

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