85. 真夜中の演奏を聴きます(本編)
しゃらりと音を立ててあるかなきかの穏やかな夜の風に揺れるのは、見事な夜の木だ。
立派な葉っぱは楓に似ていて、艶々ざらりとした幹や枝は割った水晶の断面のよう。
咲いている白い花はアストランチアに似ていて、よく見れば小さなさくらんぼのような実もなっている。
夜の天井を見上げるのがすっかり気に入っていたネアも、こちらの木陰も同じくらいに素敵だとにこにこしてしまう。
木陰にはこれまた素晴らしい座り心地の長椅子が置かれていた。
そこにふかふかぽふんと座って優雅な気持ちで演奏を楽しめるのだから、この上ない贅沢ではないか。
「ほお、指揮の魔物を呼んだか。今年の夜会はかなり力を入れているな」
「あの燕尾服の男性の方が、指揮の魔物さんなのです?」
「ああ。我が儘で偏屈な男だからな。才能はあるが、滅多に大きな舞台には出てこなくなっていたんだが、誰かが引き摺り出す事に成功したらしい」
「…………であれば、真夜中の座の第八席だろうな。指揮の魔物と親しいらしい」
「グレアムさん!」
背後からの声に、ネアはぱっと振り返った。
席を探している人達も多いのに、なぜかネア達の後ろの席が空いていると思っていたが、そこにはグレアムとベージが座るらしい。
そうなると、ネア達の周りは知り合いばかりになるので、この上なく安心して演奏を楽しめそうだ。
「ネア、いい夜だな」
「はい。食べ物も美味しくて素敵な会場で、すっかりここが気に入ってしまいました」
「そうか。それは良かった。ネアが好みそうなものが多い夜会だからな」
「ふふ。夜会に伺って、演奏会まで楽しめる美味しさなのですから、幸せでいっぱいです」
期待のあまりに小さく椅子の上で弾んだネアに、夢見るような瞳を細めてグレアムが微笑む。
今夜は、白灰色の装いの多かったグレアムも漆黒の盛装姿で、細身のクラヴァットに瞳と同じ色の宝石の飾られた細い鎖の飾りを付けている。
それ以外には一切の装飾のない装いは、光を集める白灰色の髪や瞳を宝石のように引き立てていた。
その隣に腰を下ろしたのは、同じく黒衣のベージだ。
「ベージさんも、今夜は黒い装いなのですね」
「ええ。ファンデルツの夜会を訪れたのは初めてなのですが、皆が黒衣なのも壮観ですね」
「ふふ。ここで黒を使う服ではないのは、真夜中の座の精霊王さんとディノだけなんですよ。………むむ、しかし向こうに鮮やかな檸檬色のドレスの方がいます」
「……………ああ。黎明の座でしょう。真夜中の座の精霊達が話していました」
ちらりと見えた鮮やかな色のドレスは、一人だけ目立って美しいというよりも、どこか無粋な気がした。
すぐに見えなくなってしまったが、黒髪の男性がエスコートしていたようだ。
ネアとベージがまったくもうと顔を見合わせている間に、ディノとグレアムは、今夜の夜会について話をしていたらしい。
前列の椅子と後列の椅子に座っていての会話なので、グレアムがこちらに体を寄せている様子が王の参謀めいて見え、どちらかと言えば物語では騎士や参謀に心惹かれることが多かった邪な人間はむむっと目を瞠る。
さらりと揺れた白灰色の髪に隠された表情が、どこか秘密めいていてとても宜しい。
「シルハーン、真夜中の座の者達はどうです?」
「うん。真夜中の座の者達はこの子にとても好意的なようだ。とても良い夜会だと思うよ」
「真夜中の座の精霊達であれば、ネアを好むであろう系譜の者達ですからね。ウィリアムやアルテアとも相性がいい」
それは、ネアも聞いていた。
相性がいいと言うことは、その関係も良い事が多い。
このような場では、そのほんの少しの良質さが大切なひと匙なのだとか。
ここで、僅かに首を傾げたのはアルテアだ。
「アイザックを見かけたが、同伴者は黎明の座か?」
「ああ。今夜は彼には近付かない方がいいだろうな。仕事で同伴を務めているらしいが、彼は時々その資質から危うい事をする」
「…………やりかねないな。ネア、今夜はアイザックに近付くなよ」
「ふむ。皆さんの素敵な装いを見たいところですが、アイザックさんはいつもと変わらない黒なので、さしたる興味はありません」
「……………ご主人様」
「まぁ、なぜディノが震えてしまうのです?」
ネアは近付かない理由を率直に述べただけなのだが、なぜか魔物達はそれが衝撃だったようだ。
ひたりと張り詰めたような空気が漂い、ネアはなぜだろうと眉を寄せる。
唯一そうですねとにこにこしていたのはベージだけで、ネアは、こちらの氷竜のお腹を撫でようと襲った過去などないこととして、謎ですねと微笑みを交わしておいた。
「……………始まるみたいだな」
「ふぁ。演奏会が始まるのですね。どきどきします…………」
「…………っ、ネア」
「むむ、三つ編みがないので手をぎゅっとしてもいいでしょう?素敵な音楽に興奮してしまうかもしれないのです」
「ずるい。可愛いことばかりする………」
恥じらうディノの手をぎゅっと掴んでしまったネアに、ディノはもじもじと指先を丸める。
その時、じゃじゃんと始まりの音が揺れた。
(わ、……………)
始まりの音は強く、華やかで期待に満ちていた。
きっと素晴らしいものなのであろう楽器達が一斉に掻き鳴らされ、ふくよかで心を震わす音を溢れさせる。
ネアは最初の音からもう心を奪われてしまい、掴んだディノの手をぎゅっと握り締めて爪先までぐぐっと力を込めて体をぴんとさせるばかりだ。
音楽は艶やかで華やかだった。
物語に満ちていて、心を揺さぶり目頭を熱くした。
ネアはすっかり酔いしれ、音の中に体を委ねて至福の溜め息を吐く。
「……………ネア」
あまりにも夢中で聞いていたからか、ディノにそっと呼びかけられ、頬に片手を当てられてから目を瞬いた。
どうやら、いつの間にか演奏会は終わっていたらしい。
「……………まぁ。もう終わってしまったのですか?」
ぽかんとしてそう呟けば、こちらを見た水紺色の瞳がふつりと微笑む。
髪を下ろしているからか、その眼差しの人ならざるものらしい美しさに、音楽に柔らかくされたばかりの胸が、とくりと震えた。
「とても気に入ったようだね」
「はい。すっかり夢中で聴いていました。…………今迄の人生の中で一番素敵な演奏会だったと思います」
ネアがそう言った途端、近くにいた一人の男性が口元を覆っておいおいと泣き始めた。
さすがにぎょっとしたが、苦笑したグレアムが、その男性は真夜中の座の精霊の一人で、恐らく今夜の演奏会の手配などに尽力した人物なのだろうと教えてくれる。
泣きじゃくる男性は、仲間とおぼしき精霊達と飛び上がって拳を振り上げているので、よほど思い入れのある夜なのだろう。
「では、可能であればまた来ようか。君は、このファンデルツの夜会そのものも気に入ったのだろう?」
「また、連れて来てくれます?」
「うん。時間や季節のように均衡が求められるものには、続けて出かけることは出来ないけれど、一年おきくらいであれば問題ないだろう。また連れて来てあげるよ」
「や、約束ですよ?」
「……………可愛い」
興奮のあまりに弾んでしまったネアに、魔物らしい微笑みを浮かべたディノが目元を染めてしまう。
取り付けた約束に大興奮のネアに、こちらを見たウィリアムも微笑んでくれる。
「その時には、俺も同行しよう。ファンデルツの夜会は、出ている事が多いからな」
「まぁ!ウィリアムさんとも一緒に行けるのですか?嬉しいがもう一つ重なってしまいました!」
「勿論だ。ナインやアンセルムが近付くと厄介だから、その為にもな」
「……………ぐぬぅ。あやつと踊る羽目になったのを思い出しました。或いは、ダリルさんお手製の、毛だらけの呪いをかければ、もふもふだと思って踊れるかもしれません」
「やめろ。どれだけ不愉快だろうと、あいつは終焉の系譜では欠くことの出来ない資質の一人だ。事故になるような事はするな」
「むぅ。であれば、意地悪な事を言われる前に、ぱっと踊ってぺっと捨てて来ます」
「ご主人様……………」
(あ、……………あの辺り、光ってる)
あまりにも素晴らしい音楽の祝福を受けたものか、ネア達の頭上に茂る枝葉や天井から、きらきらと祝福の煌めきが降っている。
ネアは、天井から差し込むようなシャンデリアの光の筋に揺れるダイヤモンドダストのような輝きに触れたいと思ったが、ここからは少し遠い。
けれど、そんな煌めきが見られた事が嬉しくて、ネアは唇の端を持ち上げた。
(いい夜だわ……………)
何て気分のいい夜だろう。
そう思い、ネアはますますご機嫌になった。
演奏会が終わると、ここからファンデルツの夜会は舞踏会としての様相も帯びてくる。
ネアの予定は、最初に伴侶であるディノとダンスを踊り、次にウィリアムと踊ってひと休憩し、その後でアルテアと踊るようになっていた。
演奏会と美食の側面がある事で、男女二人での訪問が必須ではないからこそ、踊りたい相手と伸びやかに踊れるのもファンデルツの良い部分である。
その後、たいへん遺憾ながらナインとも踊らねばならず、更にはもう一人、真夜中の座の精霊と踊っておけばファンデルツの祝福を得やすいと言われている。
ネアとしては、独特の柔らかで繊細な雰囲気が心を落ち着けてくれるミカがいいなと思っているのだが、せっかくの夜会なので、恋路の邪魔をするような真似はしたくない。
こちらは、指名せずに空いていれば是非、という感じだろうか。
「さて、少し踊ろうか」
「はい!先程の演奏会でとても素敵な気分なので、この楽しい気分のまま、大切な伴侶と踊れるのですね」
「……………うん」
小さく弾んだネアにディノは若干よれよれしながら頷き、二人は、ダンスを楽しむ人々のいる広間の中心に向けて歩き出した。
ここで、グレアムやベージ、ヨシュアとイーザとはお別れだ。
グレアム達は知り合いに挨拶に行き、ヨシュア達はもう一度料理のテーブルに向かうと言う。
ネア達が踊っている間に、ウィリアムとアルテアもそれぞれの知己と会ってくるようだ。
ゆっくりとディノがネアの背中に手を当てると、また新しい音楽が始まる。
さわさわと揺れる囁きは、万象の魔物を讃えるものが多いようだ。
男性達が優雅に腰を折って一礼し、女性達は同じようにしながらも瞳を煌めかせた。
(さぁ!)
大切な伴侶と寄り添い、確かなホールドに体を預けて音楽に合わせステップを踏めば、ネアはまた音楽の中にいた。
くるりくるりと軽やかに回り、ターンではふわっと体が浮かぶようだ。
すっかり楽しくなってしまい微笑んだネアの耳元に唇を寄せ、ディノが、真夜中の座の精霊達が時間の座の中の最高位である理由を教えてくれた。
「この世界は、前世界の終焉を経て真夜中から始まったんだよ。だから時間の座では真夜中が最高位であるし、終焉の系譜と真夜中の座は繋がりが深いんだ」
「それは知りませんでした。…………ディノ、あの方が真夜中の座の精霊王さんですか?」
「……………いや、彼は真夜中の座の王族ではあるけれど、王ではないね。人間の伴侶を得て、北方の夜が豊かな国を治める精霊だ」
「ふむ。真夜中の座の精霊さんの国が、そちらにあるのですね」
ネアが、それはどんな国だろうと思い呟けば、ディノがそうではないのだと教えてくれた。
「彼が治めているのは人間の国だ。人間の王族より上位に、信仰と忠誠の対象として人ならざるものが君臨する珍しい例だね。特別な事になるし、やり方を間違えると世界の均衡が揺らぐということで、そのような事を始める際に、私にも挨拶に来た」
流れる曲はいつの間にかワルツに変わり、ディノとのダンスは三曲目に入ろうとしている。
とは言え、夏至祭の夜に膝が爆散するまで踊ったことのあるネアからすれば、これは子供の遊戯のようなものだ。
今夜の為に用意された靴も、ぴったりと足に馴染んで空気を纏うようではないか。
「政治に関心のある方なのですか?」
「自分の伴侶の為だと聞いているよ。その国で虐げられていた者を見初め、その国を罰した。そうして今は、生まれた国を惜しむ伴侶の為に、そこを管理しているようだね」
「……………であればあの方も、私のように宝物を持つ方なのですね」
「君のように、かい?」
「ええ。これは秘密の話なのですが、私はディノという伴侶の魔物を宝物にしているのです。誰かに取られたら困るので、くれぐれも内緒にして下さいね?」
「ネアが虐待する……………」
ダンスのステップに合わせて、ディノの緩やかに巻いた真珠色の髪が揺れた。
そんなディノを見てくらりとしたまま倒れてしまうご婦人や、性別は関係ないのか目元を染めてふるふるしている男性もいて、ターンでふぁさりと広がったケープに感動しながら、ネアは万象の魔物と呼ばれるものの美しさを思う。
大切な魔物を見上げてしっかりとその手に収まっていれば、ふっと視界が翳り、柔らかな口付けが落とされる。
ばたんと音を立て先程の男性が倒れてしまう程、長い髪のヴェールに翳った美貌は仄暗く凄艶だ。
毎日こんな魔物と共に暮らしている筈のネアまで、背筋がぞくりとし、胸の底がざわざわしてしまう。
絡め取られてよろめくと言うよりは、大きな風にぴゅんと吹き飛ばされるような気がして、ネアは、指先を預けたディノの手のひらをむぎゅっと握ってしまった。
「……………っ、」
「……………可愛い」
「ず、狡いです。いつもとは違う雰囲気で、どきどきしてしまいました。これはもう慣れておかないと困るので、また今度、髪を下ろして私と踊ってくれますか?」
「幾らでも踊ってあげるよ。君となら、何度でも」
「儚くなってしまいません?」
「ご主人様……………」
「この曲ももう終わってしまいました。楽しい時間は、どれもこれもあっという間に過ぎてしまいます…………」
「……………ああ、ウィリアムが来たね。床石の祝福が練られてきたから、出来ればこのまま始めるのがいいのだけれど、続けて踊れるかい?」
「はい。この靴のお陰で殆ど疲れないので、このまま踊ってしまいます。ディノは……」
「アルテアも戻ったようだから、彼と話していよう」
そう言われて見れば、ディノとのダンスの前に姿を消したアルテアは、ダンスの場の外周に立っていた。
ネアとディノのダンスが早めに終わることも見越して、このくらいの時間に戻ってくれていたのだろう。
(アルテアさんがいれば、安心かしら…………。なぜか、ディノと二人の時には事故らないもの)
そんなことを考えながら、ネアはこちらに歩いて来てくれたウィリアムを見上げる。
「では、シルハーン。ネアをお預かりします」
「うん。真夜中の座の祝福が練られてきたようだから、君と踊れば、この子の足元も安定するだろう」
「ウィリアムさん、お願いします」
ネアの言葉に、ディノに代わって手を取ってくれたウィリアムが微笑む。
いつもとは違う髪型にしなやかで強靭な肉体を示す黒衣のウィリアムは、これぞ死者の王という鋭い雰囲気なのだが、軍服というものの素晴らしさをよく知るネアは喜んでしまうばかりだ。
かつりと靴音が鳴り、ウィリアムの両肩に留めたケープがふわりと広がれば、ディノと踊るよりも周囲から隔絶される気がする。
ケープの裏側には見事な漆黒の模様織りの裏地があり、襟元の漆黒の羽飾りが何とも艶やかだ。
ネアと目が合うと、ウィリアムは小さく目を瞠り、ふっと表情を綻ばせた。
「やはり君は、夜の資質が肌に合うんだろうな」
「ええ、そうなのかもしれません。それに、ディノやウィリアムさんやアルテアさんと一緒で安心して楽しめますしね」
「それなら、俺も、君が楽しめるようにひと工夫しよう」
「む。……………むきゃ?!」
そのダンスは、華やかで軽やかなターンから始まる。
ばさりとケープが揺れる音がして、ネアはウィリアムにしっかりと腰を抱かれ、ふわりとターンさせて貰う。
引き続きワルツかなと思っていたので驚いてしまったが、ウィリアムと踊るのならばこんな華やかなターンも安心して身を任せる事が出来る。
男性主導の艶やかなステップに、おおっと溜め息が漏れるのは、踊りの輪に加わらない者達が終焉の魔物のダンスに見惚れているからだろう。
くるりくるりと、今度は優雅にステップを踏むというよりも軽やかに華やかに視界が切り替わる。
すたんと踏み込む凛々しいステップに、はっとする程に艶やかな仕草。
これはまさに軍服仕様な装いのウィリアムにこそ似合うダンスで、ネアは、白金色の瞳に浮かんだ柔らかな熱を見上げて微笑む。
ステップが華やかで力強い分、女性は男性パートナーにしっかりと体を寄せて支えて貰うのだが、完璧なエスコートのお陰でネアは少しも大変ではなかった。
(自分の足でもステップを踏んでいるのに、ウィリアムさんに回して貰うメリーゴーランドに乗っているみたい…………!)
「……………ふぁ、楽しいです!」
「ああ。俺も楽しい」
「ふふ、ウィリアムさんがそう言ってくれるのなら、安心してぶんと振り回して貰えます」
「舞踏会で、あまり楽しいと思う事はないんだがな。ネアと来るといつも気分がいい」
「まぁ、そんな事を言ってしまうと、調子に乗った人間がますますはしゃいでしまいますよ?」
「はは、大歓迎だよ」
次のステップで、ぐっと体を寄せる。
耳元に唇が触れるような位置で、ウィリアムが愉しげに、幾らでもと呟いてくれた。
ぴったりと体を寄せてもぐらりともしない肉体は、鍛錬で作られたものではなく、魔物らしく生まれた時からそのままなのだろう。
それでも、この魔物が日々どれだけの戦場を巡り歩いているのかと思えば、唇の端を持ち上げて微笑むウィリアムを見るのはとても楽しい。
(この前、風棘牛を食べに来たウィリアムさんも、とても疲れていたみたいだから……………)
休みの日にはゆっくり休んで欲しいとも思うのだが、こんな風に笑っていてくれると安堵する。
終焉の系譜の王だからこそ、決して容易ではない終焉ばかりを見てしまうこの魔物には、沢山心を寛げて欲しいのだ。
「……………む。あっという間に終わってしまいました」
「うーん、早かったな。…………ネア、足元を見てみるといい」
「……………まぁ。きらきらしています。星屑が纏わり付いているみたいなこやつは、祝福の光なのですか?」
「ああ。ファンデルツの夜会では、こうした舞踏会のダンスで、純度の高い夜結晶の床に祝福の星雲が生まれるんだ。とは言え、全ての参加者が星雲を作る事が出来るとは限らないが」
「……………何て綺麗なんでしょう!まるで、星空で踊っているようですね」
くるりと回ってみると、ドレスの裾に散らされた星雲がきらきらしゅわりと光る。
この祝福を得られると、夜の愛し子として幸福な夜を過ごせるようになるらしい。
災いを避けるような祝福ではないのだが、幸福度を高める祝福というものも悪くない。
ウィリアムに手を取られ、星屑を靴先に纏わせたままネアが帰ってくると、ディノも夜の祝福を得られて良かったねと喜んでくれる。
「これは、夜の系譜の者達に好かれないと、貰えない祝福なんだ。やはり君は真夜中の座と相性がいいらしい」
「ディノ、この祝福は、夜に食べ物が美味しく感じたり、音楽を心地よく聴けたりもするらしいのですよ!ウィリアムさんが、最初にディノと続けて踊ったことで、祝福が生まれ易いように床石の魔術が定着したのだと教えてくれました」
「うん。君の好きな物かなと思ったんだ」
「きらきらしゃりんとしていて、こやつを足元に纏わせていると誇らしい気分になってしまいます!……………これで、お夜食がとても美味しくなるのですね。じゅるり」
「……………相変わらず、お前の情緒は空だな」
「解せぬ」
次はアルテアとのダンスなのだが、折角の祝福を蹴散らしてしまわないように、一曲分は、飲み物休憩となっていた。
誰が呼ぶでもなく、踊り終わったネア達の元に給仕がやって来ると、冷たく冷えた飲み物を選ばせてくれる。
きらきらと光る足元の祝福は、爪先からネアの体に浸透してゆくようだ。
じんわりと染み入る心地よさと高揚感に、ネアはきりりと冷えた果実水を男前にぐいぐい飲んだ。
こんな時なのでシュプリでも良かったが、あまりにもこの会場の空気が心地よいので、ほろ酔い過ぎると感覚が鋭敏にならない気がして果実水を選んだのだ。
今回のダンスでは、夜の系譜の者らしき男女が、やはり足元に星屑のような祝福を纏っている。
真夜中の座の精霊達と踊ったものは例外なくその祝福を得られるようだが、夜の系譜から離れる程にそれを得るのは難しくなるらしい。
(こうして、会場を見ているのも素敵な気分だな……………。まるで絵のように美しいのだもの……………)
薄いグラスに唇を寄せ、美味しい梨の果実水を飲みながらお喋りをしていると、奥の方でわぁっと小さな歓声が上がった。
お祝い事かなとそちらを見ていると、ディノが、ネアの視線を辿ってその理由を教えてくれる。
「真夜中の座の魔術が安定したのだろう。このような夜会はやはり、魔術の儀式的な側面もあるからね。君がアルテアと踊ってこちらに戻る頃には、真夜中の座と挨拶が出来ると思うよ」
「あの賑わいは、王様が席を立ったからだったのですね……………」
「真夜中の座の精霊王は、夜の系譜の信仰も集める存在だ。彼に礼を贈りたい者は多いのだろう」
精霊の最上位は死の精霊だが、そちらは信仰というよりは畏怖に等しい。
それに対し、多くの心地よい感性を司る夜の系譜が傅かれ望まれることが多いというのは、こうしてすっかりファンデルツの夜会が気に入ってしまったネアにも納得の理由である。
「さて、そろそろ出るぞ」
「はい。アルテアさん、宜しくお願い致します」
「春告げじゃないからな。足を踏むのは構わないが、事故だけは起こさないようにしろ」
「まぁ、今はもう萎んでしまいましたが、私の足元のきらきらが見えないのですか?」
「ほお、今迄のことを忘れたのか?」
「そんなに不安なら仕方ありませんね。私の大事なパイ職人は私がしっかり守りますので、どうか安心して踊って下さい」
「やめろ。ろくなことにならない予感しかしない」
「我が儘なアルテアさんですねぇ…………」
アルテアには怪訝な顔をされてしまったが、ネアはまだ真夜中の座の精霊王にお礼を言っていないし、素敵な手紙をくれたサフィールにも会っていない。
どこかに落ちたり攫われたりする訳にはいかないので、ここは是非とも無事に踊り切らなければいけなかった。
しかし、これはもうどこかに因果律の混線でもあるものか、やはり一筋縄ではいかないのがこの使い魔とのダンスである。
ダンスの輪に加わった直後に、ネアは先程迄のダンスでは目撃しなかった異変に気付き、目を丸くすることになった。
大型台風接近の影響を受け、明日からの更新は、暫くの間、短く切り分けてのものとなりそうです。
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