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83. 山車祭りで車輪に出会います(本編)



さわさわと風に街路樹の枝葉が揺れる。



博物館前通りは再び静かになったが、耳を澄ませば、遠くから山車人形との交戦のものらしき鬨の声が聞こえてきた。

引き続きどこかで、脱走した山車人形と戦っている人達がいるのだろう。


出来ればより多くをそちらで捕まえていただき、遭遇せずに済みたいものだと思うばかりのネアであったが、大抵の場合そうはいかないことも知っている。


山車人形は焚き上げてしまえば祝福を貰える灰になるので、どうやらネアの持っている収穫の祝福が縁を繋げてしまうらしい。


とは言え大事な祝福を手放すつもりはないのだから、今日という日は頑張って乗り越えるしかないのだ。




「開始早々の不幸な出会いはありましたが、また静かになりましたね…………」

「昨年のように、手のかかる一体がいなければ、騎士達で押さえられるものなのだろうね」

「はい。エーダリア様からもそう聞いています。ただ、ごく稀にとても隠れるのが上手な山車人形さんがいるらしいんです。そうなると、夜まで捜索が続くのだとか……………」

「夜にかかると、豊穣や収穫の祝福を持つ者は悪変しやすくなるから、陽のある内に焚き上げた方がいいのではないかな」

「まぁ、夜になるとよくないのですね……………」



夜まで捜索が続いたという話をしてくれた時、エーダリアはとても暗い目をしていた。

ネアは、てっきり心の傷になるくらいに捜索が大変だったことを思い出しているのだと考えていたが、捕縛そのものでも苦戦したのかもしれない。



(その時はまだ、バンルさんに山猫の使い魔さんがいて、エーダリア様と一緒に山車人形と戦ったのだとか……………)



ネアは時々、エーダリアが大好きだったというその山猫の使い魔に、もう決して会えないのに会ってみたくなる。

そうして、そんな山猫の使い魔の為にお葬式をして送ってあげたバンルを、それだけでとても素敵な人だと思うのだ。



「私の生まれた世界でも、収穫祭などの夜は少し仄暗く怖い印象がありました。境界が繋がるという、そんな伝承も多かったように思います」

「向こう側のあわいと、こちらのあわいの観念が同じならば、そこには何かの繋がりがあるのかもしれないね。君の育った世界には魔術はなかったけれど、同じ思想や同じ素材を基盤にしていなければ、まるで違う文化でもいいのだから」



ディノにそう教えて貰い、ネアは、珍しく穏やかな気持ちで家族のことを思い出した。

自分が幸せになったからと言って、無残に奪われたことへの悲しみが癒えはしない。

強欲な人間にとって、それとこれは別の問題なのだ。



けれども、小さなネアに一生懸命たくさんのおとぎ話を読み聞かせてくれた父が、夏至祭やサーウィンの日に橋を渡る時には気を付けるようにと教えてくれた母がいるからこそ、ネアはこの世界を好きになれたのだと思う。



もし、どこにも行けないと知っている筈だけれど本当にどこにも行けないとしか思えなかったら、ネアは、ディノが見付けてくれるまで、生きられなかったかもしれない。


ネアをあの世界で息苦しくした美しいおとぎ話が、けれどもあの無残な日々の最後のともし火だったのだ。



「ふふ、もしどこかで、繋がる部分があったのだとしたら、何だかわくわくしますね」


そう微笑んだネアは、こちらを見たディノの瞳が僅かに鋭くなったことに気付いた。

あ、と唇を薄く開き、ネアは大切な魔物の袖をくいくいと引っ張る。


「…………ディノ、向こう側と繋がる何かがあったとしても、私は、ディノを置いてどこかへ行ったりはしませんし、好んでちくちくするセーターの下へ戻ろうとも思いませんよ?」

「ネア……………」

「私は今の生活を気に入っているので、これを強欲に抱え込み、誰にも渡したくはないのです。……………ただ、向こうの世界で私を生かしてくれた子供のような願いの中に、こちらの世界に通じる欠片があったのだとしたら、何だか素敵だなと思ったのでした」



そう宣言し厳かに頷いたネアに、ディノの唇の端が持ち上がる。

そろりと伸ばされた手に、ネアは内心はっとしたものの平静を装い、当たり前のように大事な魔物と手を繋いだ。


こうしてディノが手を伸ばしてくれたのが嬉しかったし、こんな風に手を繋げる相手がいることが弾みたい程に嬉しい。

ディノだけでなく、他にもたくさんの大切な人達がここにいて、ネアは夜告げ草に叫んだ通り確かに満腹で過ごしているのだった。



そう思いながらご機嫌で捜索を続けていると、歩道に先程の花籠の乙女の人形を焚き上げたのだと思われる痕跡があった。



「さすが、グラストさんとゼノですね。そこにトルチャさんまでいるのですから、あっという間に焚き上げてしまったようです」

「僅かに混ざり物の気配がするから、君が見た足はどこかから奪って来たのだろう。…………山車人形ではなさそうだね」

「……………生きている誰かからであれば、凄惨な強奪事件が起きているのでしょうか?」

「いや、人形は人形の領域でしかそれを繋げる事は出来ない。ましてやこのように逃げてしまうのだとしても、まだ悪変などはない祝福を受けたものだからね。………どこかで、山車人形ではない、他の人形の足を奪ったのだろう」



石畳の足元には既に灰が僅かに残るばかりで、それも、今、灰を集めている何人かの観客たちが持ち帰ればおしまいだ。

この灰は混ぜてしまっても良いらしく、灰を持ち帰る予定のある者達は皆、小さな蓋つきのバケツのようなものを持っていた。



(最後の灰を集める、小さな刷毛箒のようなものは、最後に灰を貰う人が使うのだわ……………)



そんなお作法が暗黙の了解であり、多くの人達がその刷毛を持っているのも何だか素敵ではないか。

なお、その刷毛は灰だけを集められるものであるらしく、山車祭りだけではなく様々な場面で有用なのだとか。


安価なものは、市場で林檎二個ほどの金額で売っているが、職人街に出て拘りの刷毛を買おうとすると高価なものもあるのだそうだ。

なお、職人街にはアルテア御用達の、筆屋がある。

ウィーム領主の支持者で、エーダリアに害を成す者は全て滅ぼせというなかなかの過激派なのだとか。


なぜかその筆屋には、魔物たちが近付けてくれないので、ネアはきっとお友達になりたい系の可愛らしい女性が営んでいる筆屋だと信じてやまない。



はらはらと、落ち葉が風に舞う。

紅葉する樹木の落ち葉ではなく、その前に葉を落としてしまう木々が一足早く冬支度に入るのだろう。

もう少しすれば、ウィームは燃えるような紅葉に染まる短い秋が来る。


そして、ネアが心を奪われるイブメリアの季節がやって来るのだ。


花籠の山車人形が焚き上げられた場所から進み、また歩くと、少しだけ気の早い焼き栗屋台が見えてきた。

噂は聞いていたが、店を見かけるのは初めてだったので、ネアはしゃっと駆け寄り、一口焼き栗という三個程を小さな紙袋に入れてくれるものを二人分買った。



「むぐ」

「……………かわいい」

「なぜディノは、私が焼き栗の皮を剥くと、はしゃいでしまうのでしょう?」

「ネアが、一生懸命で可愛いからかな………」

「なぞめいています」


そんなディノもはふはふほくほくと初物の焼き栗をいただき、二人はむふんと秋の香りの息を吐いた。


ウィームでは秋から冬に多く見かけられる焼き栗は、秋の系譜の祝福があればいっそうに甘くなるので、多くの屋台は秋告げの舞踏会が終わり、正式に秋の系譜が表に出てから店を出し始めることが多い。


しかし、この早秋の甘さ控えめの焼き栗も、季節の味として好む人達は多い。

栗としては今年の初物の扱いになり、旬のものをいただくということも、祝福が得られる行為なのだ。



まだ時期ではないからか焼き栗落ち葉などかさかさ達は現れておらず、栗の皮と紙袋はウィームでは珍しくない公共のゴミ箱に捨てた。


魔術の繋ぎや侵食などの影響から、常設のゴミ箱の存在はなかなか繊細なのだが、ウィームではそのような懸念点を克服した、高性能な魔術仕掛けのゴミ箱が設置されている。


常設のものは、他領の人々からすれば驚きの光景であるらしく、観光客が感動するものの一つなのだとか。




(む……………?)


焼き栗も食べてしまい、すっかり大満足のネアが引き続き博物館通りを流していると、ふと、何かの欠片のようなものがぱらぱらと降っている事に気付いた。


午後の光の筋に照らされ、柔らかな金色の雨のように見えるそれに手を伸ばすと、はらりと手のひらに落ちたのは、どうやら崩れた麦穂の残骸であるらしい。

ぱりぱりに乾いた麦穂が、粉々に砕けたものが頭上から落ちてきているのだろう。



(頭上……………)




僅かな予感を胸にそっと上を見上げ、ネアは、そのまま凍り付いた。


いきなりぴたりと立ち止まったネアに、おやっと目を瞠ったディノがこちらを見る。

そして、ネアの視線を辿る形で、立派な書店の壁にへばりついているものを見ると、慌ててネアを持ち上げてくれる。


しかし、それもいけなかった。



「きゅっ」



頼もしい魔物の腕の中は安心なのだが、結果として視線がよりその物体に近付いてしまったネアは、そのままかくりと項垂れてしまった。


悲しい事に、完全に無防備な状態での出会いだった為、ネアは真正面からその山車人形を視界に入れていた。

まさか、ウィームでも有名な老舗書店の看板の影に、手負いの山車人形が隠れているとは思わなかったのだ。



「ネア、………………ごめん、持ち上げない方が良かったね」

「ふぇっく。……………ぐぐんと、山車人形さんとの距離が近付き、突然の大接近に心の防壁が間に合いませんでした……………」



顔の仮面がひび割れ、中身の麦穂の束が覗いている様子は、ホラー以外の何物でもない。


一度、しっかりと視界に焼き付いてしまってるので、これはもう確実に夢に出てくるだろう。

ご縁を司る何かのあまりの仕打ちに、ネアは小さく震える息を吸い、金色の雨のようなものが落ちてきていると、無邪気に手を伸ばしてしまった自分の幼い浅はかさを呪った。


ネア達に見付かってしまったことに気付いたからか、長い髪を振り乱した山車人形は、じりじりと壁を後ろ向きに上がってゆくようだ。


ぎしぎしみしみしという音が遠ざかってゆくのは嬉しいのだが、ネアの立場としては、捕縛するべき物でもあった。



「ディノ、……………捕まえることは出来ますか?」

「出来るけれど、……………大丈夫かい?」

「もはやしっかり見てしまった以上は、諦めて職務を全うすることにしました。こちらで捕縛しておけば、後はもう焚き上げるだけですものね……………」


残念ながら、それでもネアは、涙目でディノの肩をぎゅっと掴んでしまっているのだが、魔物はそんなご主人様が可愛いと目元を染めて恥じらっている。


どうも、ディノにとってのホールルは、珍しい表情をする伴侶を沢山鑑賞出来るお祭りとして認識されているようだ。



「では、こちらで捕縛してしまおう。動きは滑らかだけれど、力が強いものではなさそうだから、捕縛した後は、焚き上げの会場に送ることも出来るよ」

「むむ、であれば焚き上げ会場に持ち込んだ方が良さそうですね。あちらが空っぽだと、早朝から場所取りをしていたお客さんもがっかりされるでしょうし……………」

「うん。では、送っておこう。……………ああ、エーダリア達が対処していた山車人形は、もう捕縛されたようだね」

「なぬ。そんな事も分かってしまうのですか?」

「祝祭の魔術を纏うものだ。儀式として必要だからこそ、それが結ばれると魔術が煌めくんだよ」

「……………み、見えません……………」



ネアは慌ててエーダリアに魔術通信をかけ、焚き上げ会場に手負いの山車人形を送ると伝えておいた。

会場での焚き上げの数が増えると知り、エーダリアはほっとしたようだ。

受け入れの準備を整えておくと言ってくれたので、後はもう、こちらの山車人形を発送するばかりになる。


乾いたものをぎゅっと抑え込むようなみしみしという音がすると、不可視の魔術に捕縛された山車人形がぎゃあっと吠えた。


その声にまた竦み上がってしまい、ネアはじわっと涙目になる。


しかし、すぐに軋むような音がしなくなると、ふっと何か大きな質量が消え失せた気配があった。

そろりと顔を上げれば、先程の山車人形の姿は既になくなっている。


涙目でじっと無言の問いかけを向けたネアに、まだ恥じらっているディノが微笑んで頷く。



「エーダリアに連絡を入れて焚き上げの陣を緩めて貰ったから、その中に入れてあるよ」

「ほわ、そんな凄い事が出来てしまうだなんて、私の魔物はやはり特別なのですね…………」

「ずるい……………」



(これで、行方不明の山車人形は残り一体の筈…………)



その一体にも出来るだけ早く見付かって欲しかったし、ネア達が発見した山車人形の数を思えば、そちらはそろそろ別の誰かに担当して貰いたいところだ。



「ひとまず、これで焚き上げ会場には三体の山車人形がいますので、会場のお客様達も許してくれると思います。後はもう、どこかでどなたかに捕縛されていることを祈るばかりです」



しかし、この最後の一体の捜索が難航した。



焚き上げ会場では無事に三体の山車人形の焚き上げが行われ、今年は精霊などの妨害もないのに地味に作業量が増えてむしゃくしゃしている焚き上げの魔物による儀式の荒々しさには、会場に集まった観光客も熱狂したらしい。


焚き上げ会場では、領民も観光客も平等に灰が配られるのだが、騎士達から袋詰めした灰を貰いたいが故に、敢えてそちらの会場に集まる者も多いのだそうだ。



「むぅ。最後の魔術師の山車人形がしぶといのです。どこに逃げたのだ………」

「川沿いの方へ逃げて、それから街に戻ってきたのだよね」

「はい。そこまではゼベルさんが追いかけ、途中でリーナさんとロマックさんと交代したらしいのですが、よりにもよってその山車人形はお散歩中のご婦人の使い魔を熊質にして逃げたのです」

「くまじち…………」

「幸い、熊さんはすぐに開放されましたが、稼いだ距離を上手く利用してどこかに隠れてしまったのですから、なかなか狡猾な山車人形と見ました」



こうなってくると、山車人形とは何だろうという気持ちにもなってくるが、ウィームの日没は早いので残された時間はあまりない。


困ったなと思いながらうろうろしていると、もう一度戻って来た博物館通りの公園で、長い黒髪の特徴的な後ろ姿の人物を発見した。


さらさらと、風に黒髪が揺れる。

何やら興味深げに足元を見ているが、欲望の魔物が山車祭りに参加しているということはあり得るだろうか。



何を気にしているのかが気になるので、ネアはそちらに行ってみる事にした。



「おや、シルハーン様、ネア様、ご無沙汰しております」

「お久し振りです、アイザックさん。何か探し物ですか?」

「ええ。こちらに面白い証跡がありましてね。祝祭の魔術という物は、時として愉快な変化を遂げる」

「…………もしや、それは山車人形絡みでしょうか。実は行方不明のものが一体いるのですが、行方などをご存知だったりしませんでしょうか?」



このような場合のアイザックは味方かどうか分からないので、ネアはまず、ウィーム領民としてのお喋りのような気軽さで尋ねてみた。

すると、今日も漆黒の装いのアクス商会の代表は、薄く微笑んで事も無げに教えてくれる。



「リノアールの大屋根の上でしょうね。……………ほら、ここに幾つかの魔術痕跡があります。あの山車人形は、己が魔術師を模したものであることを利用し、ここから魔術の道に入っている」

「山車人形さんが、魔術の道に……………?」

「ええ。今日ばかりは祝祭の恩恵を受け、魔術階位を上げますからね。低階位の魔術師の使う道を発見し、それを利用しようと考える事も出来たのでしょう」



余談だが、リノアールの屋上には小さな庭園がある。


アイザックが大屋根と称した月光水晶と森結晶の天蓋細工がレースの覆いのようで美しいと、ウィームっ子は恋人との語らいに使い、観光客にも人気のある場所だ。


ロマンチックな雰囲気の場所だからと未婚の男女の出会いの場になっており、恋のお相手を探す妖精なども潜んでいるので、ネアには立ち入り禁止命令が出されていた。


少し残念な気もするが、ヒルドが一緒なら問題はないそうなので、いつかヒルドがお休みの日に一緒に出掛けて貰おうと思ったまま、未だに足を踏み入れていない場所だった。


そして今回、山車人形が使った魔術の道は、そんなリノアールの屋上庭園をご愛用の誰かがそこに直結させた違法な道だったのだから、話がややこしくなってくる。



「……………つまり、恋を語らいたくなるような素敵な庭園のどこかに、脱走した山車人形が潜伏しているのですね?」

「恐らくそのようになっているのではないかと。いやはや、欲望が成す違法術式の道ですが、人間というものは実に面白い。権利魔術で幾重にも閉じられた空間に誰よりも早く到着したいという思いが、この道を造り上げたのだと思えば、妄執と言ってもいいくらいの作品ですね」



成程そんなものが隠されていたのかと頷き、ネアはすぐさまエーダリアに一報を入れた。


あらましを聞いたエーダリアは呆然としていたが、迅速な手配で騎士達がリーエンベルク同様に閉鎖されていたリノアールに向かったようだ。

庭園を傷付けずに焚き上げるのは難しいので、何とか捕縛して外に出すしかない。

それだけでも、かなり骨が折れる仕事になるのは間違いなかった。




「とは言え、これで全てになるので、もう屋台を楽しんでいいのではと思うのですが……………」

「今年は、リースを買おうかな……………」

「ふふ、リボンのついたものですよね?」

「ご主人様……………」



アイザックにお礼を言って別れ、ネア達は屋台が集まる博物館前の広場に向かっていた。

そしてそこで、奇妙な光景に出会ったのだ。



一人の男性が、茂みの方を向いて剣を構えているではないか。

周囲の人々はそれを遠巻きにし、肩を押さえて介抱されている街の騎士の姿もある。



まさか、リノアールに潜んでいる筈の山車人形がこちらに逃げてきているのではと戦慄し、ネアはディノと顔を見合わせた。



そして慌てて駆けつけると、剣を構えている人物が知り合いだと気付き目を瞠る。




「むむ、ベージさんです!」



懐かしい氷竜の姿に、ネアはぱっと笑顔になった。

剣を構えたまま何かと対峙していたベージも、驚いたように振り返って微笑んでくれる。



「ネア様、お久し振りです」

「今年はクッキー祭りにもいらっしゃらなかったので、今日こそお会い出来るかなと思っていたんですよ。その後、お体の調子は大丈夫でしたか?」


ネアがそう言えば、ベージの微笑みが深くなる。

ディノは浮気なのか体調を案じたのかが見極められず、そっとこちらに三つ編みを差し出すばかりだ。



「一族の中で幾つか組織の改編があり、今年は外に出るのが遅くなりましたが、ええ、お陰様で色々と身に馴染んできました」


ベージは、ネアにとって大好きな竜の一人だ。

さっそくそちらに行こうとしたところ、はっとしたようにベージが短く首を振る。



「……………ベージさん?」

「実はここに、……………山車祭りの山車から外れたらしい木の車輪がおりまして。かなり気が昂っているようなのであまり近付かない方が良いでしょう」

「……………木の車輪なのですよね?」

「ええ。装飾車輪ですので、山車人形が逃げる際に祝福結晶を編み込んだ麦穂の束を引っ掛けたようですね、ホールルの祝福を得てしまい自我を持ったようです」

「なぬ、車輪が……………」

「車輪が自我を持つのだね……………」



色々な遭遇はあったものの、今年は大きな事件はなかったなと内心余裕でいたことが良くなかったのか、帰り道で荒ぶる車輪と出会う運命を用意されてしまったネアは、もう一つ疑問の段階を上げて、ホールルとは何なのだろうという高尚な謎に行き当たっていた。


(でも、車輪……………?)



形状の想像はつくが、状態が思い描けずに困惑していたネアは、すぐにその荒ぶる車輪を目撃することになる。



次の瞬間、何やら丸いものが茂みからしゃっと飛び出し、ベージが剣でがきんと跳ね返したのだ。

しかも、ベージの受け止め方を見ると、かなりの衝撃なのだろう。

竜であるベージがずざざっと力押しされるのだから、普通の人間では吹き飛ばされてしまうに違いない。




「メェェェ!!」



これはと思い気を引き締めたネアは、荒ぶる車輪の鳴き声にもう一度驚いた。

なぜ、車輪がその鳴き声を得たのかを、誰かに論理的に説明して欲しい気持ちでいっぱいになる。



「鳴き声にいっそうの謎が深まりました。ホールルの最後に、よりにもよって感の強い謎車輪に出会ってしまいました……………」

「申し訳ありません。一人で対処出来ると思っていたのですが、思っていた以上に頑強でして」

「車輪に麦穂の円環で、偶然かなり強い魔術が結ばれてしまったようだね。私が押さえることは出来るのだけれど、これも焚き上げた方がいいのかな……………」



首を傾げたディノに、ネアはきりりと頷く。



「エーダリア様に聞いてみますね。ただ、リノアールの捕り物に同行されていたら、そちらの作戦で対応出来ないかもしれませんね……………」



とは言え、これまでの記録にないものが生まれてしまったのだから報告は必須である。

ネアはピンブローチの魔術通信端末を指で弾き、エーダリアが応答出来るかどうか様子を見てみることにした。



(もし出られないようであれば、ディノからノアに連絡して貰って……………)





「ネア、どうした?」

「む、すぐに応答しました。リノアールの一件でお忙しいと思いますが、実はご相談があるのです」

「いや、リノアールについては、リノアールの屋上庭園の管理者達がたいそう腹を立ててな、こちらに協力をしてくれる事になった。ヒルドが指揮を取り、グラスト達が対処しているので問題はない」

「まぁ、それは良かったです!そしてこちらは博物館前の広場なのですが、…………山車から外れた車輪がホールルの祝福を受けて自我を持って暴れています」

「車輪が……………」

「はい。ですので、焚き上げた方がいいとは思うのですが、壊してしまっても良いですか………?」

「すぐにそちらに向かう。それまで押さえておけるだろうか?」

「エーダリア様?も、もしかして、こやつは、大変なものなのですか?」

「ネア、エーダリアは珍しい現象に興奮しているだけだから、心配しなくていいよ」

「ノア!」

「……………っ、すまない。だが、すぐに向かうので少し待っていてくれ」




ネアは通信を切ると、ディノとベージに、動く車輪に食いついたウィーム領主がこちらに来てしまう旨を伝えておいた。



「ノアも一緒だと思いますので、心配はなさそうなのですが……………」

「ああ、広場での焚き上げが終わったので、正式な儀式は残っておりませんからね」



ウィームに暮らすからには、領主の気質を知っているのだろう。

ベージはそう笑っていたが、ネア達には、それまでこの車輪を逃がさないように、尚且つ、捕獲の方法を探るという任務がある。


ぎゃるんと回転して飛び出してくる勢いは凄まじく、車輪の間に何かを通して固定しなければ、捕まえるのは難しいだろう。



「であれば、私がやりましょう。捕獲であれば可能ですよ」

「では、ベージさんにお願いしてしまってもいいですか?」

「勿論です。少しだけ、下がっていて下さい」



ベージはそう言うと、ひゅんと剣を水平に振るい、茂みの中の車輪を刺激した。

案の定、攻撃されると思ったのか、怒り狂った車輪がメェメェ鳴いて飛び出してくる。


その直後、じゃきんと硬質な音が響いた。



「まぁ!」



肌に触れるのは、ひやりとした空気だ。

ベージは、地面から氷の棘のようなものを育て、それを車輪の間に通してしまい、見事に固定してみせたのだ。



「このように、捕まえる事は出来るのですが、あまりにも硬く、壊すとなるとなかなか………」

「だから、剣を持たれていたのですね」

「ええ。あの奥で手当てを受けている街の騎士も、一度は取り押さえる事に成功していたのですが、あまりの硬さに倒しきれず、反撃されてしまったようですね」


ベージがそう教えてくれていたところで、今日は漆黒の魔術師風の装いのノアが、エーダリアを抱えるようにして転移してきた。


ふわりとした魔術の風がたなびき、思わぬ領主の登場に周囲にいた領民達がわあっと歓声を上げる。



「……………これだな」

「むむぅ。エーダリア様の瞳が、きらきらになっています」

「わーお、本当だ。……………それにしても、僕の可愛い妹は、またとんでもないものを見付けたなぁ」

「街の騎士さんが倒れ、ベージさんが押さえていてくれたところに出会ったのです」



そう伝えたネアに、エーダリアはこくりと頷き、そんなウィーム領主とノアに、ベージがお久し振りですと挨拶をしている。

氷狼の一件では、リーエンベルクに泊まったベージとは、以前よりは近しい空気になっている。




「………ホールルの魔術が、車輪の円環を通り、……………っ、尚且つ車輪にひっかけられた麦穂束も、束ねる事で輪の形になって二重術陣が完成しているのか……………。まさか、このような事が起きるとは……………」



途中で一度、荒ぶる車輪の攻撃があったが、エーダリアは珍しい現象に夢中のようだ。


ノアが防壁を立ち上げて守っていたが、勿論、エーダリアもガレンの長として自分でもその攻撃くらいは凌げただろう。

とは言え、あまりにも観察に夢中でノアは心配になってしまうらしい。


しかし、そんなエーダリアの楽しい観察の時間も、あまり長くは続かなかった。

度重なる脱走と往生際の悪い山車人形達に、本日は少々お怒り気味の焚き上げの魔物がこちらに到着してしまったのだ。



「ムイ……………」



とてててと軽い足音が聞こえ、愛くるしい容姿から漏れる低い声に、ぎょっとしたようにエーダリアも振り返る。


もしゃもしゃとした煤色の小さな体から、車輪よお前もかという禍々しい気配が漂い、ぴっと振るう爪楊枝のような杖には、目の前の獲物を絶対に焚き上げてみせるという強い意志が揺れていた。



「トルチャ……………」

「ムイ」

「そ、そうだな。宜しく頼む……………」

「ありゃ、怒ってるぞ」

「早く帰りたいようだね……………」



聞けば、焚き上げの魔物であるトルチャは、ホールルが終わった後は、祝祭の恩恵を受けられる内に酒場に繰り出し、ウィームの領民達と楽しく酒盛りするのだそうだ。


そんな楽しい時間を、昨年のように大きな事件もないのに地味に削られることにご立腹なのだとか。


ベージの氷の魔術で固定された車輪はメェメェ鳴いて怒り狂っていたが、トルチャもまた怒り心頭の、敵を燃やす気満々である。



「……………ほわ」



すっかり慄いてしまったネアは、さっとディノの影に隠れてしまい、ディノも車輪と戦う焚き上げの魔物の姿に少しだけ困惑しているようだ。



「ムイ!!」




ホールルの祝福を得た車輪は、力強く杖を振ったトルチャによって容赦なく焚き上げられた。



ネアの所感では、地崩れの花の精霊入りの山車人形の時より、昨年の襲撃犯を諸共焚き上げた時より、遥かに壮絶な圧倒的火力であった。




その夜ネアの夢に出て来たのは、手負いの山車人形でもなく、蝶の体を持つ怖い山車人形でもなく、ごうごうと燃え盛る業火で車輪を焚き上げながら歌い踊るトルチャだった。


炎に照らされ篝火色の瞳を暗く光らせ、ちびこいもしゃもしゃが踊る光景をひたすらに見ているという夢から覚めたネアは、あまりの恐ろしさにびしょりと汗をかいており、夜明け前にシャワーを浴びる羽目になってしまったのだから、やはり山車祭りは侮れないと言うしかないようだ。



来年は、山車の車輪への引っ掛け防止策も議論されるのかもしれない。







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