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予防接種と無花果のタルト 2



シヴァルを求めて、予防接種会場を若手の獣医の多い第二会場から第一会場へ移動したネア達は、待ち受けていた光景の壮絶さにごくりと息を飲んだ。


封印庫前の予防接種会場は二つあり、若手の獣医達の集まる第二会場については、ネア達も勝手知ったる場所であったのだが、考えてみれば第一会場に足を踏み入れるのは初めてだ。


呆然とそちらを見ているのはネア達だけでなく、近くにいた、恐怖のあまりに石像のようになっている首巻鼬の使い魔を連れた男性も、同じような顔で第一会場を見つめているではないか。



「こ、これは……………」

「…………竜種の予防接種も同時にやっているとはな」


いっそ静かな程のアルテアの声に、ネアはこくりと頷いた。


「竜も予防接種をするのかい?」

「………ええ。このような形で見るのは初めてなので、獣たちと一緒にやってしまうのはウィームくらいだと思いますが、……………凄い光景だな」



ウィリアムがそう言うのも無理はない。

第一会場は大まかに言えば二分されており、向かって左側を竜種の予防接種会場に、そして右側を獣たちの予防接種会場にしているようだ。

石畳の上に敷かれた絨毯も、繊細な織り模様のあるものではあるが、左側が赤、右側が青と色が分かれている。


予防接種を嫌がる獣たちが、鳴き叫び暴れたり、石畳にへばりついて一歩も動かないぞと踏ん張るのもいつもの光景だろう。


中には飼い主の手を振りきって脱走する獣もおり、銀青色の狼のような獣が脱走して、慌てた係員に捕縛されているのが見えた。



(でも、……………一番の問題は、左側の竜さんの予防接種会場の方なのだ……………)



そこには、竜姿の者達から人型の者まで、多くの竜達が集まっている。


一様に顔色が悪いのは、右側の獣たちの区画と同じように、泣き叫んで脱走しようとする竜がいるからだろう。


見ている間にも、艶やかな紫色の長衣を纏った美麗な男性姿の竜が、突然わぁっと声を上げると、がむしゃらに走り出すという痛ましい事件があった。

突然逃げ出した仲間を、同族だと思われる竜達が必死に止めているが、何しろ竜種の体は大きいのでかなり苦戦している様子だ。


ばさりと翼を広げて竜姿に戻ってでも逃げようとしているので、ネアはその必死さに慄くばかりである。


ふるふるしながらディノの腕に掴まり、あえてウィリアムとディノの間にぴったり収まる。

もしあの中の誰かが投げ飛ばされて来たら、ネアは、簡単に粉々になってしまうだろう。



「あんなに上品で綺麗な竜さんが、あそこまで徹底的に抵抗するのですね…………」

「竜種は体が頑強だからこそ、注射針を刺されることに拒絶反応が出るらしいからな」



その理由は知っていても、予防接種の現場を見たのは初めてだというウィリアムも、かなり衝撃を受けたようだ。

本来であれば、竜種ごとに集落や王宮で予防接種を受けるので、他種族がその様子を知る事は稀なのだと教えてくれた。



「……………皆さんが暴れると、大変なことになるのでは……………」

「だからこそ、竜の為に作られた城でやるんだろうけれどな。…………本来は、他の種族の生息域に出てボラボラに接触する可能性のある騎士達や、かぶれて倒れたりしてはいけない王族達が受けるものなんだが、階位の高い竜程、注射を嫌がる傾向にあるらしい」

「この土地を気に入って暮らしている竜の多いウィームだからこそ、公共の場で行われるのかもしれないね……………」



そう呟き、ディノは、しっかりと羽織ものになってくる。

これはご主人様を守る為の覆いでもあるが、同時に怯えた魔物がへばりつく時の体勢でもあるのだ。



(……………そう言えば、)



ネアはここで、以前に氷竜の姫がボラボラにかぶれて寝込んだことを思い出した。

このような話を聞いて初めて想像出来ることだが、そのお姫様は、予防接種を嫌がって受けなかったのかもしれない。


「とても悲しい気持ちになりましたが、もし竜さんに虐められたら注射で反撃すればいいのですか?」

「注射で……………」

「……………やめておけ。本気で襲い掛かってくるぞ」

「むむぅ……………」




アルテアの腕に抱かれた銀狐は、けばけばを通り越してとげとげの木彫りかなと思うくらいになってしまっているので、竜達の荒ぶりように相当驚いたらしい。


中身は塩の魔物とは言えそれも仕方のない事で、どかーんと音がして、また別の場所で飛び立とうとする竜が現れ、獣医の一人が慣れた様子で投網を投げかけている光景は壮絶なものだ。


引き摺り落とされ泣き叫ぶのは、人型に戻れば美しいお嬢さんなのだから、高位の魔物達が途方に暮れるのも納得の光景ではないか。




「………我々は右側ですよね」

「……………嫌な予感がする。お前はここで待っていろ」

「なぬ。暴れ出しそうな竜さんがいるのですか?」

「お前がいると、大抵妙な事故が起こるからな。あちらの区画も厄介な獣達が集まっているようだから、近付くなよ」

「解せぬ」



こちらを見てとても苦々しい表情を浮かべたアルテアは、ネアにこの場で待つように言うと、ムギャムギャ大騒ぎも出来ずに固まったままの銀狐を連れて、一人で一般の獣の予防接種区画に向かってしまう。


足早に立ち去るアルテアの後ろ姿に、ネアは、へにゃりと眉を下げた。


取り残されたネアの側には、羽織りものの魔物と、きっと竜が飛んで来たら守ってくれるであろうウィリアムがいるので心配はないだろう。

しかし、戦場とも言えるこの会場から、果たしてアルテアと銀狐は無事に帰ってきてくれるだろうか。



「ノアベルトは大丈夫かな………」

「まぁ、ディノもすっかりしょんぼりです。………竜さんが、予防接種でここまで激しく荒ぶるとは知りませんでした。前に狐さんの予防接種の話をした時、ダナエさんやドリーさんは平気そうだったのですよ?」

「あの二人は、そのようなものに耐性があるのかもしれないね。祝い子と呼ばれる個体より、禍子や悪食の資質も持つ者達の方が、種族的な嫌悪感を感じ難いとされるから」



そんなディノの言葉に、ネアは、祝福の子供と言われる事もあるドリーもその区分に入ってしまうのだと驚きかけ、そう言えばヴェンツェルに出会う前までは塔に封じられていたのだと思い出した。


ドリーは元々優しい竜だが、同族を含めた多くの者達が、何の枷もなく外に出しておくには危険だと考える程の力を持っている。

火竜は愛情が深い反面、激情に身を晒し易いとも言われる竜なので、ドリーがヴェンツェルに会えないまま生きていたら、いつか、災厄と言われる程の力をどこかで振るうような悲劇も起きたかもしれない。



(でも、もうドリーさんには、ヴェンツェル様がいるのだわ……………)



契約の子供であり竜の宝でもあるヴェンツェルに出会えたドリーは、今はもう封印される事もなく自由に暮らしており、ディノのお誕生日に素敵な贈り物をくれる優しい竜だ。



そんな事を考えながら、予防接種の順番待ちを見ていると、ぎゃーっと恐ろしい悲鳴が響き渡った。


さっとそちらを見れば、たった今注射されたばかりの竜の男性が、恐怖のあまりになのかぱたりと倒れて動かなくなってしまっている。


獣医なのか、竜医なのか分からない男性が、手際よく倒れた竜の腕にぺたりと注射跡の保護術符を貼り付けてやっていて、ネアはその形がくまさんだと知り、また少しだけ震えた。


慌てて周囲を見れば、人型である竜達にだけ貼られる保護術符は、星や花の形のものもあるようで、なかなかにファンシーである。




「そして、今の叫びで怖さが振り切ってしまったのか、一斉に逃げ出す竜さん達がいます……………」

「ネア、危ないかもしれないから、離れないようにするんだよ」

「ふぁい。…………死に物狂いという言葉を、言葉通りの状態でこんなに見たのは初めてです……………」

「……………っ!」



ここで、その死に物狂いを体現してしまった一人の竜が、明らかに仲間か家族だと思われる相手をえいやっと投げ飛ばした。

びゅんとこちらに飛んで来たのはそこそこ体格のいい男性だったが、さっとネア達の前に立ったウィリアムが飛んできた男性を片手で受け止め、ずばんと会場の方に投げ返してくれる。



返却された男性は、目をぱちくりさせていたが、それよりも逃げ出した仲間を捕まえなければと思ったのか、再び捕獲と説得に戻るようだ。



「ほわ……………」

「予防接種は、しなければいけないのかな……………」

「あそこまで荒ぶるのなら、もはや自己責任で受けないという選択肢もあるのではないでしょうか。ボラボラの危険と、本日の騒ぎで怪我をするのと、どちらの方がいいのか悩ましいですね………、むむ!シヴァルさんがいました!」



相変わらず荒ぶる竜会場の凄惨さはそのままに、予防接種に連れていかれた銀狐は、無事にシヴァルの列に並べたようだ。


ネア達の場所からはそちらの会場がよく見えず無事に見付けられたのだろうかとハラハラしていたので、ネアは、ほっと肩の力を抜いた。



けれども、運命とは皮肉なもので、そうして油断をした瞬間を狙って危険を投げ込んでくるのだろう。




その直後、思いがけない事が立て続けに起こった。




まずは、そこまで予防接種が嫌ならどうやってここに連れて来たのだろうと考えざるを得ない激しさで、風の塊のようなものを撃ち放った竜のせいで、突如として強風が吹き荒れた。


びみゃんとスカートも髪の毛も風に飲み込まれ、ネアは咄嗟に目を瞑ってしまった。



「ぎゃ!」

「……………っ、シルハーン!」

「……………無効化したから大丈夫だよ」

「むぐ……………。ウィリアムさん?!」



よりにもよって風が直撃する場所に立っていたネア達は、危うく遥か彼方に吹き飛ばされるところだったが、ディノが魔術を無力化してくれたらしい。


けれども、災難はまだ続くらしく、今度は竜姿の巨大な誰かがぶんと投げ飛ばされてきたのだ。


目を開いた時にはもう目前に迫っていた竜の体に、ネアは咄嗟にディノが潰れないように手を広げた。

ウィリアムまでを守るには時間が足りないが、せめて伴侶くらいは守って果てようと思ったのだ。



「ぎゅ?!」



どすんと、鈍く鋭い音がした。

直撃の恐怖に目を瞠ったネアの視線の先で、美しい白紫紺色の竜が、飛んできた深緑色の竜を体当たりで吹き飛ばしたのだ。


投げ飛ばされただけでなく、今度は体当たりでどこかに吹き飛ばされた竜からしてみれば惨憺たる思いだろうが、竜にぺしゃんこにされるという最期を回避出来たネアは、震える息を吐く。



「……………ご無事でしたか?」



しゅわりと光の粒子を纏うように人型に戻り、こちらを振り返ったのは、何とワイアートだ。

目を丸くして頷いたネアは、少ししか見えなかったものの、かなり白い竜姿が見えた気がすると目をしぱしぱする。


漆黒の装いでひらりとケープを翻したワイアートは、クッキー祭りの時と同じような擬態に軍服風の装いである。

気遣わしげにこちらを見た眼差しは柔らかく、思わず微笑みかけようとしたネアは、とんでもない言葉を聞く事になる。



「見付けたぞ!ワイアート!!」

「……………っ、リドワーン?!」

「逃げ回っていても仕方がないだろう!!」



なぜか髪の毛をくしゃくしゃにして大剣を構えたリドワーンが、会場の方から憤怒の形相でこちらに駆けてくる。

振り返ったワイアートは、ぎょっとしたように体を竦ませると、慌ててどこかに逃げ出そうとするではないか。


むむっと眉を寄せたネアは、おもむろに腕輪の金庫から取り出した輪っかを作ってある縄をひゅんと回すと、投げ縄の要領でワイアートにひっかけてしまった。



「…………っ、ネア様?」

「さては、予防接種から逃げている悪い竜さんですね!助けてくれてとても助かりましたが、強い竜さんは受けないといけないらしいので、予防接種から逃げてはなりません!!」

「……………はい」

「ひどい、ネアが竜を捕まえる……………」



か弱い人間に投げ縄で捕まえられてしまった事で冷静になったのか、ワイアートは、呆然と瞳を揺らした後、なぜか目元を染めてこくりと頷く。

体にひっかけられた投げ縄をきゅっと握り締めると、とても大人しくなった。



「申し訳ありません。ワイアートを捕まえていただき、……………っ、ネア様。その、ご無沙汰しております」

「リドワーンさん、お久し振りです。ワイアートさんはすっかり大人しくなっていますので、今のうちに連行してしまうのが良さそうです」

「ええ。何と羨ま……………、どうか、この縄を引くように、お命じいただけますか?」

「……………なぞめいております」

「……………こうして捕らえていただけるのであれば、予防接種など真面目に受けなければ良かった……………」

「たいへん不可解な主張が出てきましたので、どうぞ、この縄を引いて早々にお引き取り下さい!!」

「はい!」



ネアはとても身勝手な人間らしく、不都合な事は聞かない主義だったので、さっと縄の持ち手をリドワーンに預けてしまい、まだ恥じらっているワイアートは、大人しくリドワーンに引かれて予防接種会場に戻っていった。



「……………私は何も見ませんでした」

「……………竜は縄が好きなのだったかな」

「むむ、ベージさんがそんな事を仰っていましたね。もしや、縄でちょっぴり心が弾んでしまったのかもしれないです。そしてこの隙に、ウィリアムさんが脱走者を何人か捕まえてしまっています」

「……………ああ、こちらに走ってきたからな」


爽やかに微笑んだ終焉の魔物だが、その足元には脱走竜達が倒れて積み重なっている。

それぞれの保護者や仲間たちが、お礼を言いながら引き取りに来ており、一人で来ていた竜は会場の係員が引きずって診察台の方に連れていくようだ。



石畳を引き摺っていって大丈夫なのかなと思っていると、獣用の予防接種の会場の方から、ムギャーという銀狐に違いない鳴き声が聞こえてきた。



はっとそちらを見たネア達は、自分の順番の一つ前で恐怖のあまりに叫び声を上げた銀狐の姿を見る事になった。


よく見れば、銀狐の前に並んでいたらしい平べったい餅猫のような生き物が診察台の上で恐怖に儚くなっている。

これまでは竜達の荒ぶりように呆然としたまま大人しくしていたようだが、その様子を見て我に返ってしまったらしい。



「まぁ、狐さんも荒ぶり始めましたね」

「……………あれは、本当にノアベルトなんだよな?」

「とうとうウィリアムさんが、偽物の疑いをかけ始めました…………」

「ノアベルト…………」



しかし、遠目で見ていてもシヴァルはやはり優秀な獣医のようで、順番の来た銀狐をアルテアと協力して素早く押さえると、ぷすりと注射を刺してしまっている。


注射されてしまった銀狐はムギャムギャ大騒ぎをしようとしたようだが、シヴァルがしっかりと口元を押さえてしまっているので騒げずに尻尾をけばけばにしている。


なお、そんな銀狐の飼い主ポジションのアルテアは、既に無の境地の遠い目をしていた。



「………今年の秋の予防接種も、無事に終わりました」

「……………念の為に聞くが、毎回この騒ぎなのか?」

「はい。狐さんはいつもあのように………」

「ノアベルトは、いつもああなってしまうんだよ」

「………そうなんですね。その、予防接種がどのようなものなのか、それすら忘れてしまうのでしょうか?ノアベルトは、特別そのようなものが苦手だという事もありませんよね?」

「忘れてしまうのかな…………。うん、ノアベルトは人型の時は、注射は怖くないようだよ」



それを聞いたウィリアムは、とても複雑そうな顔をしていたが、ネアが、ちびふわになったアルテアも、酔っぱらってしまうのに甘いものが食べたくて荒ぶると聞けば、片手で目元を覆ってしまった。


どうやら今日は、終焉の魔物にとって刺激の強い事が多かったらしい。




そんなウィリアムをディノと二人で労っていると、けばけば涙目の銀狐を連れたアルテアが、こちらに戻ってきた。

こちらも若干草臥れているが、無事に終わったという安堵の方が強いようだ。




「アルテアさん、有り難うございました!」

「あの男は、今回だけ代理でこちらの会場に来ているらしい。春の予防接種の時には、元の会場に戻るそうだ」

「そうなのですね、ほっとしました。そして、春の予防接種と聞いた狐さんが、驚愕のお顔になっています……………」

「いや、さすがにもう慣れるだろう。予防接種なのだから、そこまで痛くもないんじゃないのか?」

「ウィリアム……………」



どこか真摯な眼差しのウィリアムに、そうはならないと知っているディノが、とても悲しい目をする。


銀狐は、そんなに辛くないのでは疑惑をかけられてしまい、ムギーと声を上げてじたばたしていた。

アルテアはこれ以上の抜け毛は無理だと判断したのか、そんな銀狐を地面に下ろしたので、銀狐は前足でウィリアムの爪先をぎゅうっと踏みつけていた。



「さて、無花果のタルトのお店に行きましょうか。みなさんが一緒に来てくれたお陰で、無事に生き延びられましたので、無花果のタルトは私の奢りです!」



予防接種会場が命がけなのも解せないが、ふんすと胸を張ったネアに、なぜかアルテアがすっと瞳を細める。


訝しげな眼差しにネアはすすっと目線を逸らしたが、そんな事で追及の手を緩める選択の魔物ではなかったようだ。



「まさか、自分で支払いをすれば、二人前のセットを頼めると思ってはいないだろうな?」

「な、なぬ。けっして、だいまんぞくいちじくごろごろににんまえせっとをたのもうとはしていません……………」

「さっき、ジャガイモのケーキを食べたばかりだろうが。普通の一人前にしておけ」

「ぎゅ……………。竜さんが飛んできてびっくりしたので、とうにあのジャガイモのケーキ分の力は使い果たしたのです」

「忘れているようだから言っておくが、朝食からのあのケーキで、無花果のタルトの後は昼食なんじゃないのか?」

「むぐぅ」



ネアは、無花果ごろごろの具合が知りたいのだと抵抗したが、体にも悪いと言いくるめられた伴侶がいつものように甘やかしてくれず、予防接種のあれこれですっかり弱ってしまったウィリアムも往路のように助けてはくれなかった。




柔らかな木漏れ日が落ちるテーブルに、かちゃりと音を立てて茶器が置かれた。


テラス席は満開の花を咲かせた花壇と並木道の間にあり、素晴らしい目隠しで落ち着いてお茶とケーキを楽しむ事が出来る。


道の向こうに見える歌劇場の屋根と、木の間から覗く、店々の看板が連なる小道の賑やかさが目にも楽しい。


客席に優しい影を落とす街路樹は、プラタナスに似た雪楓の木だ。

滑らかで鉱石のような幹が特徴的で、華やかな花は咲かないが、ネアのお気に入り街路樹の一つである。



花壇の花はストックに似ていて、初めて見たぞと興味津々なネアがくんくんすると、青林檎のような爽やかな香りがした。

これは好きな香りであると眉を持ち上げたネアに、アルテアがたらふく草だと教えてくれる。



「たらふく草……………」

「品種改良で作られた食福と豊かさを司る、祝福の多い花だ。飲食店用の鑑賞植物だが、花壇で育てるには手入れが難しい。よほど花の管理に自信があるんだろう」

「祝福魔術の動きが顕著だね。客が良い気分で休めるようにと、ここに植えたのかな」

「満開のお花に囲まれて、木陰の風も涼しくて気持ちがいいので、幸せな気持ちで無花果のタルトがいただけそうです。…………狐さんも、お疲れ様でした」



銀狐を見るなり大歓喜の店員により、銀狐は今、素敵な青い天鵞絨の子供椅子に乗せてもらい、ネア達と同じ目線でテーブルを囲んでいた。

銀狐サイズの無花果のタルトは、お店の方で一口サイズにカットしてくれており、ネアが一口ずつ口に入れてやっている。


紅茶のいい香りも漂い、ここに来るまでは一生懸命ディノに予防接種の悲しみを訴えていた銀狐は、良きにはからえな至福の表情でとろんとしていた。



テラス席でお茶をするのにいい天気なので、お店はなかなか賑わっている。

二つ隣の席は予防接種を終えた竜達のようで、しくしく泣きながら美味しい無花果のタルトを食べているようだ。




「そう言えば、竜さんはどうしてこの時期に予防接種なのですか?」

「春夏の系譜の竜達が冬眠に入る前で、秋冬の系譜も外に出られるようになってくる時期だからな。風竜達のハレムにも、年に一度予防接種の為に医師が来ていたが、彼らは滅びかけた種族だけあってその手の事に前向きで、予防接種を嫌がらないんだ」

「まぁ、サラフさん達は、あのように荒ぶらないのですね」

「ボラボラに触れてもかぶれて寝込むくらいだが、そうして弱っている時に他の種族に狙われる事もあるだろう?」



(ああ、それでなのだわ……………)



なぜ竜達があそこまでの思いをして予防接種を受けるのかと言えば、ボラボラそのものよりも、弱体化している状態を作らないようにする為なのだと、ネアは漸く理解した。


かぶれるだけではなく、氷竜の王女のように熱を出して寝込んでしまう事もあるので、場合によってはそれが命取りになりかねない。



であればとても必要なものではないかと頷いたネアは、向かいの歩道を走って逃げて行く竜の男性を、恋人か伴侶とおぼしきご婦人が投網で捕まえる様子に、遠い目になった。


今迄は竜も予防接種をしているのだと気付かずにいたが、あの会場は脱走防止の為に、動線的に街の決まった側にしか抜けられないような位置にあり、たまたま予防接種の日にそちら側の区画を訪れていなかったことで、逃げ出す竜達を見ずにいたらしい。




「……………むぐ。美味しい無花果のタルトですね」

「うん。ネアが可愛い………」

「これを毎回やっているのか………」

「ウィリアムさんは、まだ驚きが抜けないようです………」



(でも、……………なんて穏やかな時間で、何て気持ちのいい風なのだろう)



こうして、四人と見た目は一匹な仲間たちと、のんびりテラス席でお茶をするのはあまりない事だ。

ネアは、むふんと頬を緩めてこっそりディノがお裾分けしてくれたタルトの欠片をいただきつつ、今年の戦も無事に終わった事を感謝したのだった。




なお後日、雪竜からの正式な書面がリーエンベルクに届き、ワイアートが、ネアが縄をかけてくれれば予防接種を嫌がらないと話しているので、同行してくれないかという提案があったが、そちらについては丁重に辞退させていただいた次第である。









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