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不確かな棘と大雨の夜




昔から嫌いな魔物が一人いた。



トムファリドは、多くの魔物達にも、魔物ではない者達にも人気のある男だったが、どうしてだかずっと嫌いで近寄りがたい人物だと思っていた。





「僕は、君とは気が合わないけれど、それについては賛成だね」




がやがやと煩い真夜中の舞踏会で、葡萄酒の入ったグラスを手にそう笑ったのはノアベルトで、ノアベルトが言うのであれば、もう間違いないだろう。


仲がいいとは言えないし、日常的に女性関係は派手で何かと騒ぎを起こしているようだが、自身の欲求が絡まない限り、塩の魔物はその手の印象を間違えることはない。



だから今日も、トムファリドを褒める誰かの言葉を聞き流し、善人に見える男の中に潜んだ、もしかしたら本人も気付いていないかもしれない悪意や歪さに目を凝らす。




風の渡る草原に設けられた夜会の場で、満月の下に月光でけぶるその眼差しが、向かい合った誰かの話に笑いに細められる。


高位の魔物同士であれば気にならない造作も、彼の階位であれば際立った美貌だと言えるだろう。


望まれることで身に宿す魔術階位を上げ、トムファリドは、汎用性の高い魔物のひと柱として、階位に見合わない美貌を持ち派生した魔物だった。


甘やかな美貌の彼は、僅かに目尻が下がって親しみやすい微笑みを浮かべることが多く、ふさふさとした肩口までの髪は豊かな銀髪で、蕩けるような黄緑色の瞳が美しいのだという。


そう語ってくれたのは大事な友人の一人で、彼女がそう言うたびに、胸の底がざわりと揺らぐのだ。




(……………あの魔物は、やめて欲しいな)




毎日のようにその魅力を語る彼女に、微笑んでその言葉を聞きながら、心の内側が澱んでゆくようだ。



何しろ、堪らなくあの男に感じてしまう違和感のようなものに気付いているのは、自分の他にはせいぜいノアベルトくらいである。


信頼している友人や、この城で相談役を務める賢いと噂の妖精も、その歪さには気付かない。


そもそも、彼はその微笑みを翳らせることもなければ、言葉を荒げて誰かを傷付けるようなこともしないではないか。


であればこの嫌悪感は、ただのやっかみや相性の悪さのせいかもしれない。

何度もそう考えかけては、果たしてそうだろうかと首を捻る。



いや、やはり。

あの男はとても苦手だ。



また違う夜会で見かけたトムファリドは、小さな妖精の少女に微笑みかけていた。



しかし、いつも朗らかだが、彼は決して品行方正な男ではない。

とは言えそれが魅力なのだと、多くの者達は言う。


愉快な話を沢山知っており、自分の偏屈さを笑ってみせることもある。

友人達と飲み歩く夜があっても、そんな夜も伴侶の為に必ず家に帰ったし、伴侶との記念日には贈り物を沢山買って帰るらしい。



愛妻家なのだと噂に聞き、それはそうなのだろうと素直に思う。

トムファリドが伴侶を愛しているのは間違いなく、恐らく伴侶を失えば崩壊もするだろう。



でも、だからといって彼が無害な男だとは言えないではないか。


ああ、そうなのだ。


トムファリドは、善人だとしても無害な男ではない。



声を殺して泣いている友人を抱き締め、ぼんやりとそう思う。


大切な友人を泣かせたのはトムファリドだが、彼は自分がそんな事をしたとは思っていないかもしれないし、彼女は彼が自分を泣かせたのだとは思わないだろう。



けれど彼はいつも、その微笑みと言葉で、誰かの心に鋭いナイフを突き立てる。

朗らかに、穏やかに。

時にはいたずらっぽく笑ってみせ、或いは親切めかして。



泣いている友人を慰める言葉すら見付けられない自分が、こんな風に彼を憎むのは間違っているだろうか。


でも、どうしても譲れない事が一つあるのだとすれば、それは、自分があの魔物が大嫌いだという事だった。




「ほら、やはり彼は人気者だわ」

「愉快な男らしいな。それに物知りだとも聞く」



そう話している魔物を見て、少しだけ落胆した。


彼までがそう思うのであれば、やはりトムファリドの事を嫌う者など殆どいないのかもしれない。


この焦燥感と不快感をどうやって誰に伝えればいいのか分からなくて、思わずノアベルトを探してしまったが、彼は奥の方で誰かと踊っているようだ。

あの様子だと遠からず姿を消してしまうだろうと思い、ノアベルトと話をするのは諦めた方が良さそうだと溜め息を吐く。



それに彼は、トムファリドの話をしても楽しくはないだろう。

だからきっと、そんなことに無駄な時間を切り分けることはしない。



「やぁ、トムファリド」

「トムファリド、今夜はこちらでもお喋りしましょうよ」

「おや、トムファリド。君に会いたい者はいくらでもいるのに、君は滅多に顔を出さないんだから」

「トムファリド!ずるいわ。今度は私と踊りましょうよ。夫の愚痴を聞いてちょうだい」

「はは、妻の愚痴はきっと、俺が流星雨の夜を忘れて寝てしまった事だと思うよ。こっちで皆と飲まないか?」




席次の高さから畏怖と情景の視線を集める者達とは違う、トムファリドを呼ぶ声。

それは暖かく軽やかで、そんな風に響く音はとても好きだ。



トムファリドは、魔物だけではなく、妖精や精霊、竜や人間に大勢の友人達がおり、彼等はみなトムファリドをいい男だと褒め称える。


弱いところもあるが情深く気のいい男で、時々頑固になるが意地悪ではないのだと。

彼が困っていれば手を差し伸べる者達は多かったし、彼がそうして誰かに手を差し伸べることも多かったように思う。



彼がそんな友人達に笑いかけ、談笑の輪から上がる楽しそうな笑い声を聞きながら、腕の中で泣いていた友人の涙の温度を思い出した。


抱き締めた手のひらに落ちた涙は、彼女が、涙を奪われるなどと考えもしないくらいに、自分を信頼してくれているのだと教えてくれた。


それが嬉しくて、そんなルイザがあんなに泣かねばならなかったのが腹立たしくて、視線の先で笑っている男を殺してしまいたくなった。



トムファリドを初めて見たのは、いつかの新年の舞踏会でのことだった。



万象や終焉の魔物達には優雅に腰を折り、汎用性が高いばかりの田舎者ですのでと困ったように笑うトムファリドに、どのような人物なのだろうかと首を傾げた。



どちらから声をかけたのかは、覚えていないが、紹介してくれたのは、氷の魔物だったのを覚えている。



別に個人的に親しくはないようだったが、顔見知りと顔見知りが揃ったので、会話を繋げたという感じだったのだと思う。




「君は、人間の伴侶がいるんだよね」

「これはこれは、初めてお目にかかります、雲の君。ええ、私の伴侶は人間なんですよ。か弱く無力な妻ですが、私は彼女が可愛くてならない。伴侶を持っておられるあなたであれば、それがどれだけ愛おしいものかはお分かりでしょう?」

「そうだね。僕もポコが一番可愛いね。ルイザから、君の話をよく聞くんだ。仲がいいのかい?」

「おや、彼女をご存知なのですね。妻の守護妖精と仲が良く、何度か四人で食事にゆきました。不幸な生い立ちではありますが、美しく聡明で優しい女性です」

「……………僕は、ルイザを不幸な生い立ちだと思ったことはないよ。だって、ルイザは、霧雨の妖精だからね」



その時はまだ、不快感を覚えるというよりは、この魔物はあの家族を知らないのだろうと思うばかりであった。


霧雨の妖精達がどのように寄り添い、どれだけ幸福であるのかをこの男は知らないのだ。

そう思い、自分の考えを伝えたのだが、なぜか目の前の黄緑色の瞳の男は寂し気に微笑む。



「かもしれませんが、魂の質は変えられませんからね。……………何か、違和感を覚えたり、理解されずに苦しむこともあるかもしれません。彼女の孤独を知っていることが、我々の務めなのではないでしょうか」



それは即ち、違うということが不幸だと言いたいのだろうか。


けれど、ヨシュアはそうは思わなかった。


違うものばかりが集まった霧雨の一族だが、違うからこそ皆で輪になり幸せそうだ。

それに、元々同じ種族や家族の中であっても、気質や嗜好というものはそれぞれなのだから、取り替え子である事が不幸に繋がるとは思えない。



(君の伴侶は人間だし、僕の伴侶だってポコなんだよ?)



それでもポコは世界一可愛いし、トムファリドだって伴侶を愛している筈なのに。

自分とは違うその伴侶を、彼は共に在って不幸だとでも思うのだろうか。



「僕の伴侶はムグリスなんだ。君は、それも不幸だと思うのかな」

「いえ、まさか。あなたが愛する方なのですから、きっとさぞかし美しい奥方なのでしょう。…………そのように仰られるという事は、もしや、無責任にお二人の事を噂する声が届いてしまったのでしょうか?」

「そんな噂は知らないよ。別に興味もないからね」

「はは、さすが白持ちの方は豪胆だ。ですが、どうぞ奥方様には気を付けて差し上げて下さい。女性というものは、自分が愛する者に不相応だと言われると堪えるものです。そして、そんな事を見逃してしまう男を容易く見限ってしまう。いや実はこれは、私が自分自身に言い聞かせてもいる事なのですが」

「ポコは、僕がポコがいいと言えばそれでいいと思うよ」



どうして豪胆だと言われたのかも分からないが、ポコとは毎晩沢山の話をしているので、誰かに虐められたら教えてくれる筈だ。


勿論、ムグリスだから他の誰かとは違う部分はあるし、ムグリスの身である事で叶わない事も多いが、それはポコがポコであることに繋がるので何の問題もない。



「そのように言えるあなたが羨ましい。私は、………いや、一般的な男はそうもいきません。世の中の多くの女性達は、冷酷なくらいに我々を簡単に捨てますからね」

「君の周りはそうなのかい?」

「はは、情けない事に。そして私は妻を溺愛しておりますので、そうならないように努力しなければならない。奥方と喧嘩をされたりはしないのですか?良い仲直りの方法をご存知でしたら、教えていただきたい」

「喧嘩は、しないと思うよ」

「これは羨ましい!しかし、それがある日を境に変わりますから、どうぞご覚悟下さい」



私はどうしても、時折言葉が足りずに伴侶を怒らせてしまうのだと苦笑したトムファリドに、ポコは変わらないよと答えたかったが、彼は今、一般的にはという話をしているに過ぎない。

しかし、この男と会話を交わせば交わすだけ、心の奥がもやもやしてくるのはなぜだろう。


トムファリドはにこやかにしており、その瞳を覗き込めば、彼がわざと不快な余韻を残すような言葉を選んでいるのではないと分かる。


しかし、それでも彼の言葉には、しっかりと敷き詰められた棘が鋭く並ぶのだ。



「だが勿論、あなたであれば、そのような変化もさらりと乗り切ってしまうでしょう。なぜなのか、そう思わせてくれる方ですから。私や世間一般の男達のように苦しまずにいると思えば、やはり上位の方々の有り様というのは無尽蔵で羨ましい限りです」




この男はそう言うのかと、あの日に知った。

姿の見えないその他大勢の話をして、それが普通でそこから先は違うのだと会話の間に挟み知らしめてくる。



だから、ヨシュアの大事な友人には、普通の美しい女性は木を殴らず、普通の男性は自分より獰猛な女性を愛する事は決してないと言うのだ。


その全てを恋に破れたルイザへの忠告や、それ以外のお喋りの中に織り交ぜて語り重ね、ルイザはすっかり心を弱らせてしまった。




「僕はそうは思わないよ」



結局、どうやって説明をしたらいいのかも分からず、自分の抱えた不快感も含めてその全てをルイザに話した。



瞠った瞳からまた涙が溢れて、ルイザは力なく微笑む。



「………………トムファリドの言葉が、嘘だと言う事にはならないわ」

「ルイザは、僕を信じないのかい?」

「でも、ヨシュア。…………彼は、もしかしたら本当は、愉快で優しいばかりの人ではないのだとしても、正しいのよ。だって、とても幸せになっていて、皆んなに愛されている人の言い分なのだもの。少なくとも、いつも失敗してどうしても誰かの特別な恋人になれない私より、彼の方が正しい在り方を知っているとは思わない?」

「…………僕も幸せだよ。だったら、僕の言葉を信じればいいんだ。その他大勢の価値観の裏付けが欲しいなら、君の家族だって僕と同じ事を言うよ」

「まぁ、…………困ったヨシュアね。それは、みんなが私の家族で、ヨシュアが私の古い友達だからそう言うのよ。私が最初に教わったのだって、親し過ぎる人達からの評価は、身内贔屓であてにならないと言うことだったもの」



困ったような、けれども愛する家族に向ける愛おしさも滲ませたその眼差しには、既にしっかりとトムファリドの思想が根を下ろしていた。


あの男は、それを自分の失態として語った。

親しい仲間達からの評価を受けて自分を過信していた事で、危うく大切なものを失いかけたのだと言う風に。


だから外周の評価をしっかりと聞いて自分を知らなければと諭す彼は正しいかもしれないが、その正しさがルイザの場合には当て嵌まらない事を知らない浅慮さと、それが今の彼女を震え上がらせ、ここまで傷付けてしまうのだと知らない事が問題なのだ。




「僕はそう思うんだ。それなのに、シルハーンも彼が好きなのかい?」



そう尋ねたのは、人々が行き交う夜会にひっそりと佇んでいた万象で、こちらを見た彼は、相変わらずの微笑んではいるが心内の伺えない瞳に温度のない微笑みを重ねる。



大きなシャンデリアの下ではなく、一人で窓際に立っていた万象は、夜の光の中から明るい広間を見下ろし、何を思っていたのだろう。



「好きということはないと思うよ」

「トムファリドが、話していたよ。最近は何度か会う事があるんだって。お気に入りにしていただけたのなら光栄だが、仕損じて粛清されないように気を付けなければって。………その言い方は嫌じゃないのかい?僕は何だか好きじゃないよ」

「……………どうなのかな。私は多分、そのようなものだからね。彼がそう思うのも当然だろう」

「気に入っているから、それでいいのかい?」



シルハーンもルイザのように、彼を気に入ってしまったのだろうかと首を傾げると、長い虹持ちの髪を揺らして、万象は薄く笑った。



「……………私が彼の話を聞くのは、彼が話す事が普通の事だから、なのだと思うよ」

「………ほぇ、普通…………?」

「私の知り得ない、私が触れる事の出来ないものばかりだからね。彼は、それを手に出来ない私を憐れに思うのだろう。…………あれはね、身近な愛着というものだけではなく、大衆の悪意も司るものだ。君の言うような資質もありはするのだろう」

「それを知っているのに、不愉快には思わないんだね」

「……………不愉快だと感じた事はないかな。グレアムも、彼と会う事で気が滅入るのならもう会わない方がいいと言うのだけれど、…………私には、あまりそのような事は分からないんだ。…………それに、彼の話してくれるような事を、私は何も知らなかったからね」




トムファリドは、シルハーンに何を話し、その心にどんな“普通”を滴らせているのだろう。



何も知らないシルハーンが、それを本物の普通だと考えてしまって、ルイザのように、普通ではない自分は正しくないのだと考える事はないだろうか。



少しだけそんな事を考えたが、例えそうなるのだとしても、トムファリドの資質を理解しているシルハーンが選ぶのなら、それを止める権利はない。


それに、シルハーンなら、ルイザのように泣かされてしまう事はないだろう。




(そっか、…………シルハーンは知っているんだ。僕だったら自分を憐れむ相手といるのは嫌だけど、そういう事はどうでもいいのかな……………)



気付いている者が増えたのは嬉しいが、不愉快な男だと考えるノアベルトと、そのような資質だから構わないと考えるシルハーンはまるで違う。

なぜなのだろうと首を傾げ、城に戻った。



それはもしかしたら、トムファリドが手にしている物への羨望があるかどうかの違いなのではないかと教えてくれたのは、ポコだった。



「そっか。…………うん、そうだよね。自分の欲しいものを持っていたら、ルイザのように、それでも彼の言葉を聞きたいとなるかもだね。やっぱりポコは、僕より色々な事を知っているんだね。……………僕が、トムファリドの言葉なんて一つも欲しくないのは、君がいてくれて、ルイザやイーザ、それにハムハムがいるからかな」



そう言えば、ポコはこちらまで飛んでくると頬に柔らかな毛皮を押し付けて心を蕩けさせてくれた。


小さな小さなムグリスに魔物の指輪は贈れなかったけれど、ポコの為に作った指輪は、ポコの宝物箱の中にある。


小さなものではなくて、普通の大きさのものでいいと言うので、そのようにして作った指輪を二人で暮らし始めた日に贈った。



自分がトムファリドの言葉に魅力を感じないのは、愛おしい伴侶が毎日隣にいてくれるからだろう。



欲しいものは沢山あるけれど、ポコがいればとても幸せだから、トムファリドの言葉に惹かれる事もない。



(ルイザがトムファリドに憧れるのは、彼が伴侶を得て、仲睦まじく暮らしている魔物だからかな。シルハーンがトムファリドの知識に興味を持つのは、彼が、シルハーンとは違う階位の低い普通の魔物で、それでも幸せそうに暮らしているから…………なのかな?もしかすると、シルハーンも伴侶が欲しいのかもしれない……………)




そう考えている内に、また時間が流れた。



ルイザは幸いにも立ち直ったようで、けれどもイーザには、トムファリドの言葉はルイザには合わないかもしれないと話してある。


イーザは少し考えていたが、それが善良な友人であっても、昼と夜や冬と夏のように、資質として折り合えないものがあるのかもしれないと納得してくれた。



資質なのか。

そう思えばそうかもしれないけれど、時として、はっとするような鋭い言葉を選ぶトムファリドに、本当に悪意はないのだろうか。



資質であれば寛容にならざるを得ないのだとしても、そこに僅かな悪意や愉悦があれば、なんの躊躇いもなくトムファリドを壊してしまえるのにと少しだけ思う。



ああ、自分はあの魔物が嫌いなのだなと感じ、嫌いならば嫌いだというだけで壊してもいいかなとも思う。





もう随分昔に思える、ある日の事だった。

とある人間の国で久し振りに会ったトムファリドは、すぐに駆け寄って来た。



真っ直ぐにこちらを見た黄緑色の瞳には、痛みを堪えるような様子が見て取れる。

君と話したい気分じゃないんだと冷たく言えば、分かっていますと項垂れた。



「ですがせめて、お悔やみを言わせていただきたい。伴侶を喪う事がどれだけのご心痛か、お察しします。…………我々は、普通ではない相手を伴侶と決めた時から、共に居られる時間は只でさえ少ない。誰もがそうするように、頑強な同族を伴侶とすれば、このような悲劇には至らなかったでしょう。それでも彼女しかいないのだと選んだその相手を、このような事故で喪う苦痛を、多くの者達は理解しませんが…」

「君の言葉は聞きたくないよ。ポコは僕にとって普通ではない伴侶ではなかったし、一緒に居られた時間が短かったのはポコのせいじゃない。僕は君が大嫌いだ。みんながそうするから僕やルイザがそうしなければ幸福になれないと言いたくて堪らない君は、僕達を、それにシルハーンの事も不幸にしたくて堪らないみたいだ」




褒めそやし、けれども親しげに立ち並び、そして、それでは普通ではないのだと棘を刺す。




一度だけ、どんな話をしているのだろうとシルハーンと一緒にいるところを見に行ったが、それは例えようもなく不愉快な光景だった。



『……………ええ。愛する者を得ると、その者が自分の愛する者であると示す為に、また、その思いを返して貰えているのだと知る為にも、こうして手を繋ぐのです。…………ですが、あなたのような方に、そうして愛情を示せる者はいないかもしれませんね。不用意に近付けば死んでしまう者が殆どですし、万象に一般的な手法で愛を伝える事が出来る傲岸不遜な者など、この世界にいるかどうか。あなたに相応しい女性であれば、もっと洗練された忠誠と信頼でより尊い愛を誓うのかもしれません』

『………そういうものなのかい?』

『私は、あなたにも愛する者を得る幸運を知って貰いたいと思います。けれど、私の知る限りの愛情の形は、やはり普通であるからこそ手に入るものに過ぎないのでしょう。我々のように生きる者の多くが当たり前のように手に入れる幸福ですが、特等の方々の資質にはそぐわないのかもしれません』



手に入れられないだろうと言いながらも、トムファリドはシルハーンに一般的な愛情の形を幾つも教えた。

シルハーンもまた、自分がそれを手に入れる事はないだろうと信じているから、彼の言葉を否定せずに教えられる事を素直に聞いている。



それでも多分、欲しくて欲しくて堪らないから、心を殺して棘だらけの言葉を飲み込み、いつか誰かと出会えたならその普通の在り方を模倣するべきだと思いながら、真摯に耳を傾けているシルハーンを見ていられなくて、その場から立ち去ったあの日。



そんな様子を見てしまい胸が悪くなったし、ルイザが、トムファリド達との食事会に行く度に、自信を喪失して青白い顔で戻ってきていた理由が嫌という程に理解できた。




(あれは、シルハーンだけじゃない。いつかのルイザの姿でもあるんだ…………)



狡猾にもトムファリドは、沢山の愉快な話をしたり、甲斐甲斐しく面倒を見たりしながら、そんな言葉を織り交ぜていた。



(僕には、僕達が普通ではないのだからと共に引き摺り落とそうとし、ルイザやシルハーンには、普通ではないのだから幸運を得るのは容易ではないと何度も言い重ねてゆく…………)



それは、大衆の悪意なのだと、シルハーンは話していた。

だから彼の言葉はいつも無責任で高慢で、それが普通という事であれば、その浅はかさには吐き気がする。




「二度と僕や、僕の庇護する者達の前に現れないことだよ」




それだけを言い残して呆然としているトムファリドに背を向けた日を境に、何回か不愉快な噂も聞いた。


ポコとのことで何かを話していたらしいトムファリドを、ルイザが殴り倒して友情を解消してきてくれたことには驚いたが、それでも彼は、一方的に嫌悪感を示したこちらを罵るような言い方はしていなかったという。



「でも、私は我慢ならなかったの。ポコは私の大事な幼馴染だったと知っているのに、あの魔物は大馬鹿だわ!」

「…………ほぇ、ルイザ、泣いてるのかい?」

「ああ、もう嫌になっちゃうわ!!何もあそこでトムファリドを殴り倒してしまわなくても良かったのに、私はやっぱり我慢出来ないの。冷静にその言い方はないんじゃないと言う事も出来ないこんな女だからまともな男性と恋が出来ないのだと思ってしまうのも、あの男のせいかもしれないのに、それでも自分が愚かで普通ではないものに思えて悲しいのよ…………」



ぼろぼろと涙を流しているルイザを、一緒にいたイーザが抱き締める。

膝の上にいたモスモスが、大事な家族の涙を背中で受け止めていた。



「とまぁ、このような様子なのだ。因みに、娘は、自分があの男との友情に固執したせいで、あなたがトムファリドに出会ってしまい、結果として何回も不愉快な言葉を聞かされたのではないかと思っている」


そう教えてくれたのは霧雨の妖精王で、まだ泣いているルイザの背中を撫でてやっていた。



「どうしてそんな風に思うんだい?僕が、同じ魔物のトムファリドと会う場所は幾らでもあるし、僕は、友達を泣かせるあの男が嫌いなんだよ」

「だそうだよ、ルイザ。友人だと思っていた男がヨシュアを傷付けたのが、悲しくて悔しかったのだろうが、ヨシュアは君を案じてくれている。沢山泣いたら、そんな不愉快な男のことはさっぱり忘れて沢山幸せになるんだよ」

「……………お父様………っく、」

「ほぇ、でもルイザが伴侶を得たら、誰がイーザのいない日にも僕と一緒にいてくれるんだい?」



少しだけ心配になってそう言えば、顔を上げたルイザが、困った魔物ねと微笑んでくれた。


ここにいる仲間達がいるから、自分は狂乱しなかったのだ。

大切なポコの幼馴染でもあるイーザとルイザは、ずっと一緒にいるからとこの手を引いてくれた。






ある夜に、小さな国を洗い流してしまう程の大雨が降ったのは、それから一年ほど経ってからの事だった。


長雨から始まった人間の戦で、包丁の魔物の伴侶は命を落としたらしい。

後を追うように崩壊したトムファリドは、確かに愛妻家であり、愛情深い魔物だったのだろう。




「でも、僕は大嫌いだ」


そう言えば、また久し振りに会ったノアベルトは鋭く細めた青紫色の瞳に歪んだ微笑みを浮かべた。



「何だ、ヨシュアが先に破滅させたのか。大切な女の子を喪った僕に、あれこれと訳知り顔で言い寄って来たから、僕が殺してやろうと思っていたのに残念だな」

「今回はウィリアムにも怒られなかったよ。ウィリアムも、包丁の魔物が嫌いだったみたいだからね」

「うーん、嫌いと言うか、劣等感を刺激されて苦手なんじゃないかな。シルハーンと違って、ウィリアムはよく分からないけれど不愉快だから斬り捨ててみようかなとは考えていたみたいだけれどね」



そう言って少し笑うと、ノアベルトは舞踏会の人波に姿を消してしまった。

昔のように陽気に騒ぐ事はなくなり、今は、人間嫌いの残忍な魔物として有名になっている。




会場を見回したが、シルハーンの姿はなかった。


何人かの魔物達を殺したグレアムが崩壊して、それ以降、シルハーンの姿をこのような場所で見る事はなくなっている。

会場で会ったウィリアムに、最近見かけないシルハーンはどうしているのと聞いたところ、何やら真っ青になってどこかへ行ってしまったので、もしかするとまた近い内に会えるかもしれない。




シルハーンが人間の伴侶を得て、その子に強引に手を繋がれているのを見るのは、それから、ずっと先のことだった。










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― 新着の感想 ―
ヨシュアの本質的な賢さが良くわかる話 1度目の時にこの話でヨシュアが大好きに なったお話 ヨシュアもネアの中にポコみたいな 本質の鋭さみたいなものを見る力を感じたから 勝てないと思うのかな
シルハーンのこと、ボケたおじいちゃんみたいで気持ち悪いやつだと思っていたけど、手を繋ぐことで弱っちゃうのはそれが自分には不相応な事だと教えられたから。かわいそうになってしまった。
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