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花明かりとハンモック




「今日はいい夜でしたか?」


そう尋ねたネアに、ディノは目元を染めてこくりと頷いた。

さっそく贈り物のストールを羽織ってしまっているが、まだそれ程肌寒くはない筈なのだ。



さわさわと風に揺れるのは深い森の木々で、けれどもリーエンベルクの一室であるここには、綺麗な雪瑪瑙の丸テーブルと、湖水結晶の小さなグラスに入った冷たい雪解け水がある。


水差しの中には幸福の結晶がころりと入っていて、夜の光りを投げかけてくれる星と月の空には、花盛りの大きな木の枝がかかっていた。



「素晴らしい絵だな。夜の光で肌を洗うようだ」

「…………ええ。これを描いた画家は、実際にはどのような森を見たものか」



エーダリアがぐぐっと体を伸ばし、滑らかな夜を紡いだハンモックに体を埋める。

こうして皆が揃う場では珍しく、ヒルドも、寛いだ様子で体を伸ばしていた。


このハンモックは、かつて騎士達からエーダリアに贈られた十五枚組みのもので、着任したばかりの頃のリーエンベルクのそこかしこが修繕中だったからこそ、必要だったものなのだそうだ。


魔術で浮き星に吊るして使うのだが、隣同士でも隔絶された魔術遮蔽を保つ仕組みはかなり高度な魔術なのだとか。


ぺかりと光る浮き星は、竜も支えられるくらいに丈夫なものだ。

基本の魔術設定だと床から成人男性の身長くらいのところに留まっており、手で掴んで位置や高さを調整出来る。


実はこのハンモックが出されたのは、騎士達がディノに贈ってくれた誕生日の贈り物がきっかけであった。



「ディノ、お気に入りの毛布の、新しいものを貰えて良かったですね」

「…………うん。なくなってしまったのかなと思っていたからね」



ハンモックに揺られ、嬉しそうに微笑んだ魔物が貰った贈り物は、最初の巣材になっていたリーエンベルク支給の毛布だった。


さすがに三年も使っていると、まさか魔物の巣材にされてしまうとは予想もつかなかったであろう毛布は、床との接着面が摩耗してきてしまっていた。

手入れをすればかけ毛布としては使えるものの、魔物の巣の構築には向かなくなっていたのだ。


では新しい毛布をと買い替えを考えたところでその毛布を作っていた妖精達が既に引退してしまっていた事を知り、すっかりその毛布を気に入っていたディノは、かなり落ち込んでいたのだった。


最初から状態保存の魔術をかけておけば良かったのだが、巣材毛布の永続使用を考える以前に、ディノは使い込まれた毛布がへたってしまう事を知らなかったのだ。


しょんぼりしていた魔物のそんな悩みを、ネアは、ゼノーシュには話したと思う。


そして、騎士達が休みの日に同じ毛布を探しに探してくれて、本日の誕生日に至ったのだった。



(毛布を作っていた妖精さん達は引退してしまっていたけれど、これだけ質のいい毛布として商品を卸していたのだから、どこかに未使用分の品物や予備の在庫がある筈だと考えて探してくれたのだとか…………)



勿論、リーエンベルクの客間には、まだまだこの毛布がある。


しかし、全室一揃えのこの毛布を勝手に奪ってこない優しい魔物の為に、ネアは、是非に新しいものが見付かって欲しかった。


同じものを買い足す手段がないので、三年前に追加の毛布を要求したディノに渡された二枚の毛布が、リーエンベルクの最後の予備毛布だったのだ。



実は今回、騎士達は、リーエンベルクの隠されていた消耗品の蓄えの中にこの毛布の新品のものを見付け、買い取った後に贈ってくれている。

統一戦争後当時に、リーエンベルクの備品などの仕入れ担当をしていた人物が、シカトラームに、大量の発注品を保管してある事が分かったのだ。


エーダリアやダリルも知らなかったその蓄えは、リーエンベルクを正しく守るものがその真実に気付いた場合のみ、シカトラームの金庫を開くようにと遺言が残されていたらしい。


慌ててエーダリアに魔術署名書類を作って貰い、実際に金庫に入って毛布を取ってきてくれたのは、グラストとゼベルだ。


買い取りにしなくてもとエーダリアは言ったらしいが、騎士達はそれでは贈り物にならないと新品の毛布を三枚買い取り、毛布の左下にネアの印章の刺繍まで入れてくれている。

勿論、ディノは虹をかけてしまうくらいに大喜びだったので、騎士達の努力も充分に報われたに違いない。




(そこに、リーエンベルクの消耗品の数々を、隠し残しておいてくれたのは、誰だったのかしら…………?)



エーダリアは、今度ダリル達と正式な調査をすると話していたが、統一戦争直後にリーエンベルクの雑務を任されたのは、ヴェルリア側の者だった筈なのだ。


しかしその誰かは、リーエンベルクの備品の正式な注文先を知っており、予備を購入するだけの予算も得ていた。

そうして、外門に取り付けられた街灯の中に入れる木漏れ日の結晶石も含め、多くのものを後世に残してくれたのだ。


残されているものが主に消耗品ばかりであったから、以前にリーエンベルクで、備品管理を務めたことのある者ではないかというのが現在の推理だ。



(ヒルドさんは、戦後にリーエンベルクを守る為に、敢えて敵国の内部に紛れたウィームの民が、少なからずいたのではないかと話していたけれど、…………)



統一戦争後、二代目のリーエンベルク管理者は、アクス商会の息のかかった人物だと言われている。

また、当時のウィーム大聖堂の維持管理部門の職員達は、母体であるガーウィンからの管理体制から上手く離脱してしまい、密かにウィームの歴史的な遺産を守る事に尽力したと言われていた。


残念な事に、その者達は皆、既に亡くなっている。

当時から要職に就いていたのだから、年齢的なものもあるのだろうが、愛する祖国の激動に揉まれ、寿命を削ったのだと考える事も出来るそうだ。



「騎士さん達のお陰で、たくさんの備品に備えが出来てしまいましたね」

「ああ。食器やポットなどは、質が良いものが多く、戦後にリーエンベルクに入った者達にとって、簡単に手に入れられる略奪の対象だった。…………ここに住みウィームを管理してきた者達にとっての必要な備品だったことで最低限は守られたが、足りない数を補えたことは重畳だ」



そう語ってくれたエーダリアも、今は夜紡ぎのハンモックでくてんとなっている。

何しろこのハンモックは、素晴らしい心地よさで寝転ぶ者達を包んでしまうのだ。



「ありゃ。瞼が開かなくなってきたぞ…………」

「むぐ。ノアの気持ちもよく分かります。このハンモックと、お部屋に飾られた絵の相性が良過ぎるのでふ…………」



最初は、会話の中で触れられ、エーダリアがこんなものを貰った事があると出してきたハンモックを、試してみようというだけの事だった。

だが、一人また一人とこのハンモックに溺れてゆき、夜の森と夜の光を描いた体験型の絵画が設置されたこの部屋で試してみた結果、全員がハンモックの住人となってしまっている。



カードの後で帰ったグレアムやギード、ヨシュア達も、まさかその後のお誕生日会がこんな様相になっているとは思いもしないだろう。




「ディノも、…………むむ、幸せそうにすやすや寝ています。今日が楽しみ過ぎて、昨晩からあまり眠れていなかったからでしょうか………」

「…………おい、やめろ」

「むぅ。大事な魔物を撫でてあげる為に、ちょっとハンモックを揺らしただけではありませんか。反動で、アルテアさんのハンモックにぶつかったのは、私の責任ではなく自然の摂理なのでは…………」

「揺らした結果だ。原因がはっきりしているだろうが」

「そしてなぜ、捕獲されたままなのだ。私の腰を解放して下さい!」

「やれやれ、困った使い魔だな。叱っておこう」

「ウィリアムさん!」


無事に解放されたネアは、ぎゅいんと揺れたハンモックでディノに体を寄せると、手を伸ばして真珠色の髪をそっと撫でてやった。


撫でられるともにゅもにゅしながらも嬉しいのか、木々の間から差し込む月光の筋に、淡い虹がかかる。




現在、上半身を起こした体勢でハンモックを使っているのは、エーダリアとヒルド、そしてアルテアだけだ。


ハンモックを吊るす浮き星の角度を調整すれば、包み込むような心地よさで少し深めに座るような体勢を維持出来る。


とは言え、ディノとノアはもう目を閉じてしまっているし、ウィリアムもあっさり横になってしまった。

ずりりとハンモックに沈んでいっているエーダリアも、もはや時間の問題だろう。



「むぐぐ。起きてお部屋に帰らねばなりませんが、その力がもうありません…………」

「…………俺もだ。寝心地が良過ぎるのも困ったものだな」

「ふふ、ウィリアムさんもそうなら、間違いありませんね」

「……………今日はいい夜だった。ネア、エルクレスティアでは、優勝出来て良かったな」

「はい!偶然知ったものでしたが、皆さんと戦った長い日々が、漸く実を結びました。最後の実戦が、夏夜の宴と重ならなくて本当に良かったです」

「シルハーンは、とうとう会場に行った事は気付かないままだったか……………」

「私とウィリアムさんが戦っている間、ムグリス姿でのお腹撫でで儚くなってしまっているディノを、大事に預かってくれていたアルテアさんのお陰ですね」



実はエルクレスティアの最終戦は、つい先日行われたばかりである。


だからこそ、この誕生日当日にノアが優勝杯を受け取りに行ってくれていたのだが、そこでもまた、家族の協力の下に無事に間に合わせる事が出来た。



(優勝杯そのものは最終戦の時にも用意されていたけれど、やっぱり、私とディノのものだと分かる文字を入れて貰わなければだもの……………)



最高の花嫁を決めるものなので、優勝杯には、夫婦の名前を彫り込む事が出来る。


勿論、名前そのものでもいいが、名前に魔術の繋ぎが生まれるこの世界では、通り名や、本人を連想させるような文章を彫ってくれるので、ネアはそちらを選択させて貰った。



優勝杯には、フレンチトーストとグヤーシュの大好きな三つ編みの魔物と、ちくちくしないセーターな日々をくれた魔物が大好きな狩りの女王な伴侶という文字が彫られている。


この文章については、高位の人外者だと称号などの並びがえげつない事になるので、最大四百文字までをエルクレスティアの盃の裏側に入れてくれるのだ。

絵柄なども受け付けてくれるので、ネアは、自分の印章も彫り込んで貰った。


ある程度はくどくしておかないと、名前そのものを記さなかった分、全く同じ条件を持つ誰かに所有権が発生しかねないと警戒したのである。



「エーダリア様も………、ぎゃ!寝てる!!」

「はは、ヒルドも寝ているのは珍しいな」

「むむぐぅ。では私は、一度だけ頑張って起き、着替えて顔を洗った後にもう一度こちらに戻るようにします。今夜はもう、ここでみんなで寝てしまいましょう」

「ほお、その体を起こせるんだな?」

「む、……………むむぐ、………お顔、お顔を洗うのでふ……………」



意地悪な使い魔の言葉に、ネアは頑張って体を起こそうとしたのだが、吸い付くような素晴らしい肌触りのハンモックから体を起こせずにじたばたした。


その様子を見てくすりと笑ったウィリアムが、あっさりと体を起こして立ち上がると、ネアをハンモックから抱き上げてくれる。



「洗顔と着替えだったか?」

「ふぁい。…………ウィリアムさんに持ち上げて貰いました」

「やれやれだな。行くぞ」

「なぜに一緒に行く体なのだ」

「お前を一人にしておくと、どうせ事故るだろうが」

「解せぬ」

「ああ、アルテアは寝ていて下さい。俺が連れてゆきますよ」

「お前だと、こいつは洗顔後の手入れをしないだろうが」

「ん?何かしなければいけない事があるんですか?」

「とくにおおくはなかったとおもいます」

「ほら見ろ。面倒くさがって、一手間飛ばすつもりだったな」

「そのようなことはおもっておりません」



もう持ち上げてしまったからと話す魔物も、ネアの肌意識の低さを危ぶんだ魔物も譲らず、結果としてネアは、ウィリアムとアルテアに付き添われて着替えに行く事にした。


お誕生日の魔物が目を覚まして泣いてしまわないように、ディノの手には、顔を洗って着替えてから戻ってきますねとメッセージを書かれたハンカチを結んである。


ウィリアムとアルテアが付き添ってくれているとも書いてあるので、目が覚めてネアがいない事に気付いても、ディノは怖くならないだろう。


なお、そのハンカチは魔術でアルテアが出してくれたもので、ネアの伝言をさらりと魔術で記してくれた手際のよさに感動してしまったが、特に珍しいものではなく、紙のものだと伝言やメモを失い易い船乗りの魔術なのだそうだ。




「……………窓の向こうが、とても素敵ですね」

「ああ。シルハーンの喜びが、ウィームの地に祝福を育てたんだろう」



部屋までの道中で窓から見たリーエンベルクの中庭は、艶やかに咲き誇る庭園の花々が、祝福を宿してぼうっと光っていた。

奥に見える森の方にも様々な煌めきが見えていたし、空には淡い水色と菫色のオーロラが揺らめいている。



祝福に満ちた夜のその美しさに、ネアはうっとりと満足の溜め息を吐いた。




「明日は、二人でお城でのんびり過ごすんですよ。なので本当は、今夜は、こんな風にみんなで過ごせることがとても嬉しいのです」



ぽつりと呟いたネアに、ウィリアムは、俺もだと優しく微笑みかけてくれた。


アルテアは肩を竦めただけだが、それでも、自分は部屋に帰るとは言わずに付き合ってくれている。



ネアは、背中を向けて立つウィリアムに緊張しつつ寝間着に着替えてしまい、お気に入りの軽めのブランケットとディノ用の薄手の毛布を金庫に入れた。

恐らくみんなそのまま寝てしまうだろうから、途中で客間に寄って、エーダリア達の分も持ってゆくつもりだ。



その後は、アルテアに厳しく監視されつつ顔を洗い、クリームの塗り方まで指南されてしまう。



全ての就寝準備を終えて先程の部屋に戻ると、幸いにも、みんなはまだすやすや眠っていた。



「……………ネア?」

「まぁ、ごめんなさい。伝言ハンカチを解こうとして、起こしてしまいました。ディノ、今夜はここでみんなで寝てしまう予定ですので、ウィリアムさんとアルテアさんに付き添って貰って、毛布などを持ってきましたよ。………はい、どうぞ」

「あり、…………がとう」

「ふふ、この素敵なハンモックにかかると、瞼が落ちてきてしまいますよね」

「……………君が、いてくれて………………ずっと」

「……………ディノ」



途中でこてんと眠ってしまったので全ては聞き取れなかったが、ディノが言おうとしたことは、ネアにもきちんと伝わった。



(私も……………)



そんな言葉をくれる人と共に生きて行くことの贅沢さに、ネアは深く深く微笑んで、大切な伴侶の頬に口づけを落とす。




「ええ。私も、ディノのお陰でとても幸せです。私の心は、あなたに出会えたからこそ、漸く誰かを愛する術を見付ける事が出来ました。その結果、今はこんなにたくさんの大切な方々に出会えました。……………ディノ、今日は、素敵な一日を有り難うございました」




ほこほこした胸をそっと押さえてハンモックに戻ると、ネアは、そんなディノに並んで美しい花明かりの下から夜を見上げた。



しかし、お誕生日なディノに寄り添いたかったのかもしれないし、ちょうどネア達の場所が最高の具合な花枝の下だったこともあるかもしれないが、ウィリアムとアルテアのハンモックがきゅっと寄せられてしまったのは、この素敵な夜の下でハンモックで過ごす作法に反していると思う。







本日は短めのお話ですので、今日いっぱいまでにTwitterでSSを三話ほど上げさせていただきます!

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