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80. 誕生日には優勝杯を捧げます(本編)




午後から夕刻への階段を渡ると、リーエンベルクは俄かに忙しなくなった。


これからのディノの誕生日会の晩餐に向けて、いよいよお祝いも大詰めになるのだ。


今年の誕生会の会場は、大きな花明かりのシャンデリアのある中広間である。


こちらは外客用の広間ではなく、広間という名前はついているものの住人用の部屋になっていて、かつてはウィーム王族達がダンスの練習をしたり、家族での演奏会などを楽しんだ部屋だ。


そのような部屋は意外に多いのだが、エーダリアがウィームに着任した直後から長らく修繕中だった床石がリーエンベルクに戻ってきた為、お披露目も兼ねての解放となった。



「この雪花石は、修復がなかなか進まずにいたものなのだ。雪竜や雪のシー達が減ってしまってからは、雪の花が咲いても雪花石は育たなくてな。だが、お前達がこちらに住むようになってからはウィームの祝福が潤沢になり、雪竜にも祝い子が育った。やっと、奪われてしまった床石を揃える事が出来た」



感慨深くそう教えてくれたエーダリアは、綺麗に並んだ雪花石を見下ろしている。

雪花石は、潤沢な祝福を宿した雪が降ると咲く花が枯れた直後にだけ、切り出す事が出来るものだ。


雪花が咲くのは真夜中だけなので、切り出しについては、降り出した雪を見て職人達が森や山に出かけてゆくことになる。


降る雪が雪花を咲かせるだけの祝福を宿すかどうかは、雪の系譜の者達の層の厚さも条件となる。

それまでのウィームにはニエークがいたが、そのひと柱だけでは育たない、難しいものなのだ。



「ほんのりざらりとした質感の白い陶器のようで、ほわりと色づく微かな色が何とも言えない美しさですね。それぞれに淡い色が入っているところが、まるでディノの色のようです」


雪花石の色合いは、切り出す場所によって微妙に変わる。


氷の祝福が影響して淡く水色がかった部分や、檸檬色に、森色、そして霧色まで。

そんな色彩が嬉しくて小さく弾めば、隣に立ったディノは、水紺色の瞳をきらきらさせて広間を見回していた。



「…………あのシャンデリアは、樹氷の祝福石とダイヤモンドダストの結晶か。…………明かり入れに使っているのは、……」

「あれは、星殻を使って光らせているんだ。星祭りの夜に降ってきた星の中の、願い事を宿すには足りない欠片を集めてある」


どこか唖然としているアルテアに、グレアムがシャンデリアの仕組みを説明している。

どうやらこの部屋を監修したのは、先代の頃の犠牲の魔物だったようだ。


エーダリアが凄い早さで振り返ったので、であれば知りたい事が沢山あるのかもしれない。



「ちょっぴりディノの色ですね。それだけでもう、このお部屋が大好きになってしまいました」

「…………ネアが大胆過ぎる」

「なぬ。振り分けの条件が未だに謎めいています…………」

「うーん、こりゃいいや。かなり好きな部屋だなぁ」

「………修繕が終わってからの検査には立ち会いましたが、全てのシャンデリアに灯りが入ると、部屋の雰囲気がだいぶ変わりますね。雪の系譜のものしかないのに、不思議と満開の花の下に立つような感覚がある」


そう呟いたヒルドは、羽が僅かに開いているのでやはりこの部屋を気に入ってしまったのだろう。



「…………ああ、俺もこの部屋は居心地がいい。系譜の相性があるとしたら、ギードもだろう?」

「ウィリアムもなんだな。この部屋にいると、心が穏やかに浮き立つような気がする。俺やあんたが気に入るという事は、夏の系譜や太陽の系譜の者達には、あまり響かないかもしれないんだな」

「ほぇ、僕もここは好きだよ。ニエークは苦手だけど、雪の系譜は僕とも魔術の繋ぎがあるからね」



ディノの誕生会の中でも、ケーキやネア達からの贈り物のある夜の部に参加するのは、ウィリアムとアルテアに、グレアムとギードが加わり、リーエンベルクからはネアとディノ、エーダリアとヒルドとノアになる。


昨年はギード達を警戒していたゼノーシュは、今年は参加しようとしてくれたものの、万象の魔物の祝福が豊かな夜の内にやりたい事が沢山ある騎士達と共に、今夜は仕事をする事になってしまったのだそうだ。


この夜の部では、グラストとゼノーシュは、乾杯だけに参加してくれる予定となっている。


仕事とは言え、騎士棟の備品や武具などを祝福にあてたり、魔術錬成で作り付ける自前の道具や騎士服などの手入れが主な仕事で、中には今夜を狙って武具を仕立て直してしまう猛者もいるらしい。


少しだけ無防備にしてしまう作業なので、グラスト達は敢えて騎士棟に残る事にしたのだ。



(でも、ノア曰く、少しだけ警戒しているゼノもいるかもしれないみたい………?)



本来の契約の魔物はそれだけ狭量なもので、特等の魔物がこれだけ揃うと、その輪の中に自分の歌乞いを連れてゆくのはかなりの覚悟が必要なのだとか。


ディノやノアの寛容さはやはり、特別枠なのだ。


なお、ほこりは気にならないらしい見聞の魔物が特に警戒しているのが、昨年以降グラストにも懐いてしまったヨシュアらしいと聞けば、ネアは、魔物達の心の動きの複雑さに行き当たる。


ゼノーシュがグラストに求めるのが、父親寄りの愛情だとすると、つまり、そちらの競合だと思っているという事になるではないか。




「では、任せてもいいか?」



一同が揃い、ヒルドが準備してくれたグラスも行き渡った。

こちらを見たエーダリアに、ネアはきりりと頷く。



いよいよ、夜のお祝いの始まりだ。



「では、皆さんを代表して私がご挨拶させていただきますね。………ディノ、大事な魔物を沢山お祝いしたいので何度も言ってしまいますが、本日は、お誕生日おめでとうございます!ディノを大事にしてくれる方々がこんなに大勢、お祝いに集まってくれましたよ」



グラスを手に微笑んだネアからのお祝いの挨拶に、ディノは、部屋の中を見回してくしゃりとなりかけてしまった。


澄明な瞳をきらきらさせて頷いてから、心の中に溢れた思いを噛み締めるように、ゆっくりと口を開く。



「…………有難う」



囲まれてしまうと堪らないのか、若干へなへなになりながらではあるものの主賓としての挨拶を終えたディノは、ぴゃっとネアの影に隠れてしまう。


昨年よりもとても心が動いている様子なのは、たっぷり柔らかくなった心が更に解けてきたせいだろうか。


そんな姿に感動してしまうのか、既に片手で目元を覆っているグレアムに、ギードが慌てて背中に手を当てている。



(ウィリアムさんにも本当の事を言えるようになったから、グレアムさんは安心して感動出来るようになったのかもしれない………)



そんな友人の様子を見てふっと微笑んだウィリアムは、けれども、アルテアやノアの近くのこちら側に立っている。


今はもうこちらの輪なのだと話していたウィリアムの言葉を思い出し、ネアは、三年前にディノと出会ってからの日々で育んだ、ウィリアムとの時間を心の中でそっと撫でた。



身勝手な人間らしい執着だが、ここにグレアムやギードが集まってくれた事に喜びながらも、ウィリアムがかつて多くの時間を共に過ごした仲間たちよりもこちらの近くにいてくれる事に、微かな安堵を噛み締めてしまう。


どれだけグレアムやギードが好きでも、こちらが家族の輪で、あちらが友達の輪というような、ネアの中でこれ迄に育てた境界はやはりあるらしい。



「そうそう。今夜の乾杯のシュプリは、ネアが手に入れて来たんだよ」

「…………そうなのかい?」



皆が最初の一口を飲んだところでノアがそう明かせば、目を瞬き不思議そうにこちらを見たディノに、ネアは、ふんすと胸を張る。


いつも素敵なお酒をみんなが用意してくれるので、ネアは、いつか自分が手に入れた素敵なものをばばんと披露したいという野望があった。


そして今日、とうとうそれが叶ったのだ。



「はい!今年のディノのお誕生日は、私の選んだシュプリなのです」

「僕、これ知ってるよ。凄く珍しいんだよね!」

「…………このシュプリ………。アイザックのところか?」

「ふふ、甘いですねアルテアさん。このシュプリはなんと、ジルクさんとの取引で手に入れたのですよ!」

「…………浮気」

「なぬ。正当な報酬を支払い、納品させただけですので、浮気ではありません。山猫商会さんには、私の伴侶の為にとびきりのものを用意するようにと命じたのです」

「わーお、躾けになってるぞ………」

「おい、あいつとの接触は最低限にしろと言わなかったか?そもそも、どうやって連絡を取ったんだ」



なぜかアルテアに詰め寄られ、ネアは、ぐぬぬと眉を寄せる。


こちらの魔物は本日の装いは漆黒のスリーピース姿なので、不在にしていた夕刻までは、魔物らしい仕事をしていたのかもしれない。


到着したところで、今年はほこりがいないので楽だなと話していたこの魔物は、ほこりの訪問のある後日にまた呼び出されてしまう事をまだ知らないのだった。



「ダリルさんに付き添って貰ったので、交渉に穴はありません。曰く、一度、緊急性が高くない案件で使っておき、やり取りにかかる時間を測るようにとのことでした」


なお、ネアがぴしりと指を立ててそう言うと、なぜか魔物達はすとんと鎮まったので、やはりダリルダレンの書架妖精はたいへん優秀であるらしい。



「その前にも、森で出会った魔物さんに献上させた月光と花嵐のシュプリを一本用意していたのですが、ノアに訊いたところ、こちらのシュプリの方が珍しくて美味しいそうですので、今回はジルクさんの商品を採用した次第です」

「え、お兄ちゃんは、森の魔物の方が気になるんだけど…………」

「ネア、危ない事はしていないだろうな?」

「むぅ、ノアとウィリアムさんに詰め寄られましたが、ディノと一緒の時でしたし、擬態をしていましたが、ディノ曰く、森に住む雨降らしさんに会いに来た通り雨の魔物さんだったようです」

「ラジエルか。二度と近付くな」

「むぐぅ」



ジルクに頼んでネアが用意したのは、イブメリアのシュプリだ。


最もシュプリが飲まれる祝祭の夜に仕込まれ、その祝祭の夜に瓶詰めされる特別なもので、シュプリの魔物にしか作れない特別なシュプリでもある。


瓶の中に入っている時には深い琥珀色に見えるそのシュプリは、祝福は目で見て分かるくらいの煌めきで泡に宿り、きゅぽんとコルクを抜くと、ふわりと雪煙と祝祭の気配が香る芳しいシュプリなのだ。



「ディノ、お口に合います?」

「美味しいよ。有難う、ネア」

「良かったです!ディノへのお祝いの乾杯用にと購入したのですから、ディノが喜んでくれるのが一番ですから。ほら、光の角度によって金色にも水色にも見えるんですよ」

「うん。………良い祝福がたくさん溶け込んでいるね」



ダリル同伴の買い物ならもうジルクは気にならないのか、ディノは、嬉しそうにシュプリを飲んで頬を染めている。



「ネア、美味しいシュプリを有難う。僕ね、これをグラストに飲ませてあげたかったんだ。だって、一緒に飲んだ相手とずっと幸福に過ごせるっていう祝福が貰えるから、グラストにぴったりでしょ?」

「ゼノーシュ…………」


あっという間にグラスを空っぽにしてお礼を言いに来てくれたゼノーシュの言葉に、グラストは目を瞠り、可愛くて仕方がないものを見る目で大切な魔物の後ろ姿を見ている。


そんなグラストの表情に、エーダリアとヒルドが顔を合わし、視線を交わして微笑んだ。


「あら、私としても、ゼノやグラストさんともずっと仲良しでいたいので、みんなで一緒に飲むと心に決めていたんですよ?」

「それなら、僕達は、これからもずっと友達だね」

「はい!」



ここで退出になるグラストとゼノーシュは、ディノにもう一度お祝いを伝えてくれた。


ディノは、その場ではもそもそとお礼を言ったものの、二人が立ち去ると、二度目のお祝いをどう受けとればいいのかが分からないのだと、困り果てこちらを見る。



「二度目も、…………有難うでいいのかい?」

「ええ、勿論それで構いません。ただ、二度目のお祝いと最初のお祝いで保有分量が二倍に増えますので、ちょっぴり贅沢な気持ちにしてくれるお祝いなのかもしれませんね」

「二倍になるんだね…………」

「例えば、私がディノに大好きですよという言葉を贈る場合も、一度目と二度目の両方の質量を感じてくれると思うのですが、そのように…………ほわ、死んでしまいそうです………」



例題の示し方が良くなかったようで、ディノはすっかり恥じらってしまい、混乱したのか、ネアに一生懸命にローストビーフを勧めてくる。



「むぐ。しかし、ローストビーフは吝かではありません」

「シル、ここで弱っていると、今年の誕生日の贈り物は凄いからね」

「…………そうなのかい?」

「ほぇ、まだ贈り物は出さないのかい?」

「……………ヨシュア、お前は二度と自分で料理を取りに行くな」

「……………ふぇ。ネア、アルテアが意地悪するよ」



乾杯が終わったのでと、ネアはまず、虫の息の魔物を、グレアム達の前に押し出して設置しておき、こちらは、お料理などから嗜んでゆこうという気持ちで軽やかに料理のテーブルを目指していた。


しかし、その道中でこちらに逃げてきた雲の魔物にへばりつかれ、ネアは、むむぅと眉を寄せる。

とは言え、その視線は、ヨシュアの取り皿の上にあるグラタン的なものに釘付けだ。


「あらあら、なぜ泣いてしまったのでしょう。アルテアさん、ヨシュアさんを虐めてはいけませんよ。ご自由にお取り下さいのお料理は、一種の戦場です。食べたい物が失われないよう、己の戦果を勝ち取るのも戦士の務め。私も、すぐさま戦場に赴かねばなりません」

「ほぉ、この有様を見ても同じ言葉が言えるんだろうな?」

「む…………?……………ぎゃ!なぜ、グラタンの上に乗っていたチーズの一番美味しいところを一斉に剥がし取ったのだ!!おのれ、これは許されざる行為ですよ!」

「ふ、ふぇぇ!」


怒り狂ったネアに怯えたヨシュアは、慌ててヒルドの後ろに隠れているが、こちらでも礼儀作法に厳しい森と湖のシーに叱られてしまう。


絶望の中にいたネアは、渋い顔でグラタンの大皿に何かを盛り付け、魔術の火でじゅわっと焦げ目をつけたアルテアを訝しげに見ていたが、新たなチーズの出現でグラタンが息を吹き返した事を知ると、今度は喜びに弾んだ。



「グラタン様!」

「…………ったく、弾み過ぎだ」

「わーお。アルテアって、なんの準備もなく、この場で料理にチーズ足せるんだ………」

「ふむ。ではこれから、敬意を払いグラタンチーズの救世主とお呼びしましょう」

「やめろ」

「アルテアは、グラタンの救世主になったのか…………?」



そこにやって来たのは、ネアも一押しの、栗と豚肉の小さなパイをお皿に乗せたギードだ。


オーロラのような瞳は穏やかで幸せそうで、ネアと目が合うと、こんなに幸せな夜は滅多にないと、大真面目にお礼を言ってくれる。


白藍の髪がさらりと揺れ、ちゃりりと揺れる耳飾りが、天井の大きなシャンデリアの光に煌めいた。



「ギードさん!今日は来て下さって有難うございます。ディノは、ギードさんが来るのをとても楽しみにしていたんですよ」

「そうなのか?………それは、俺もとても嬉しい。シルハーンは勿論だが、みんなが幸せに笑っていられるいい夜だ」

「ええ。………ところで、ギードさんの沼地との戦いは、落ち着いたのですか?」

「ああ。…………まさか友人が、沼地に恋をされるとは思ってもいなかった。仲間達で彼を守ったんだが、大変な戦いだった」

「…………ほわ、恋による襲撃だったのですね」



ネアは、深刻な面持ちで遠くを見たギードに、黒つやもふもふが沼地と戦う光景を思い描いて見たが、あまり上手くいかなかった。


恐らく、逃げ沼のようなものだろう。

最終的には沼は滅ぼされ、綺麗な泉に変わったのだそうだ。



なお、早速ネアのお口に入ってしまっている今夜の料理は、これまでの日々の思い出の中の様々な料理が、少しずつ食べられるように並べられている。


今年は大きな気象性の悪夢が訪れておらず、まだ食べていないハジカミと鰊のマリネや、ネア達が夏夜の宴で食べたザハの黒パンサンドを再現した一口サンドイッチもあり、ディノは、そんな料理からネア達と同じ味を知ったりもするのだ。


肉団子をお酒の風味のある濃厚なクリームソースと、木苺のジャムでいただく料理に、鴨肉のコンフィはスノーの葡萄酢と黒胡椒のソースと、薔薇の祝祭の薔薇ジャムを使ったソースを添えて。



奥には、ネアの手作りケーキが置かれているが、今年のディノのお誕生日のケーキは、グレアムが持って届けてくれたソムルという小ぶりな桃をふんだんに使っている。


なんとその桃は、小さな願い事が叶うという、グレアムの願い事を司る系譜の側の祝福を持つ、とても希少な果物なのだとか。


諸事情から、桃となると少し警戒してしまうようになったネアは、グレアムに何度もちびころの呪いがないかを確認しなければならなかった。



はらはらと、花びらが舞い散るような気がして顔を上げると、シャンデリアの煌めきがそう見えただけらしい。


ヒルドの言うように、この広間は、花盛りの木の下に立っているような不思議な艶やかさがあった。



ディノはグレアムとウィリアムと話していたが、ネアが、エーダリアが持ち込んだ流星雨のお酒をヨシュアと一緒に飲んでいると、すっかりお祝いされ尽くしてこちらに戻ってくる。



「あら、もうあちらはいいのですか?」

「グレアムから、贈り物が出てくる時間になるから、こちらにいた方がいいと言われたのだけれど、そうなのかい?」

「もうそんな時間なのですね。実は今年は、ケーキよりも先に贈り物を渡しておこうと思うのですが、心の準備は如何ですか?」

「…………虐待」

「も、もう少し生きていて下さいね?寧ろ、とびきりのお誕生日感が出てくるのはこれからなのです!」

「よーし、ここでそろそろ、シルの意識がある内に誕生日の贈り物かな。今年は、グレアムとギードからもあるんだよね」

「ああ。祝福魔術を考慮して、品物ではないのだが………」



一つ頷き、夢見るような灰色の瞳で柔らかく微笑んだグレアムが、ギードと顔を見合わせる。


どこからともなく取り出し、ギードがディノに差し出したのは、白い、一枚のカードのようなものだ。



「俺もシルハーンに何かを贈りたいと、グレアムに相談したんです。そうしたら、このようなものならばと、二人で共に準備しました。…………シルハーン、これをあなたに」

「…………ギード。………グレアム、いいのかい?」

「ええ。特別なものではありませんが、あなたなら喜んでいただけると思います」



そっと差し出されたカードを受け取ったディノは落ち着いて見えたが、ネアは、その指先が微かに震えたような気がした。


ネアの大切な魔物は、この二人が来てくれるだけでもう嬉しいのだ。

その上で贈り物も貰えたのだから、今のディノの心の中は、喜びにひたひたと満たされているに違いない。



白いカードは、表面には金色の箔押しの数字が刻印されている。

ディノがくるりとカードを裏返せば、そこには優美な装飾文字が記されていた。



「………ダンローラドの宿泊券。ここは、森と渓谷の国のダンローラドなのかな?」

「ええ」


聞きなれない地名を出したディノに頷き、まるで秘密を明かすように、グレアムが声を潜めたので、ネアはごくりと息を飲んだ。



「その国の森には、希少な山ムクムグリスが生息していて、そのホテルは、窓から朝の散歩をするムクムグリスが見られる事で有名なんですよ」

「ムクムグリス!!」


思わぬ贈り物にネアは興奮してしまい、びょいんと弾んで自分を見上げた伴侶に、ディノはまた少しへなへなになる。


「…………ネアは、ムクムグリスが見たいようだと、ウィリアムから聞いたんだ。山ムクムグリスはネアの見たい普通のムクムグリスとは違い水色だが、同じくらいに毛皮がもさもさしている」

「秋の終わりに行くと、子供のムグリス達を連れた親子が見られるらしいので、その頃がいいかもしれませんね。使用期間は五年間ありますから、安心して宿泊日を選んで下さい」

「ディ、ディノ、ムクムグリスはいつ見に行けますか?」

「…………ずるい、ネアが可愛い。………手を掴んでくる………」



恥じらう魔物に手と三つ編みを入れ替えられてしまったネアは、三つ編みをにぎにぎしたまま、じいっとディノを見上げる。

たいそう恥じらいながらではあるが、ディノは、君の行きたい時に行こうかと言ってくれた。



「グレアム、ギード、有難う」



その言葉をここで言える事には、どれだけの安堵が込められているのだろう。

ネアは、ウィリアムと顔を見合わせて微笑み、そんなディノが嬉しそうに口元をむずむずさせる姿に、また胸をほかほかさせる。



(きっと、ホテルに泊まった後も、あのカードはディノの宝物になるのだと思う…………)



そんな風に考えてにっこりしたネアは、すすっと隣に立ったノアを見て、きりりとした。



「ディノ、次は我々からの贈り物ですね!」

「……………うん。ずるい」

「あら、まだ何も渡していませんよ?…………はい。こちらが、私と、ノアとエーダリア様とヒルドさん、そしてウィリアムさんとアルテアさんからの贈り物になります!!今年の贈り物はかなりの自信作なので、喜んでくれたら嬉しいです」

「…………これは、……盃かな?」



ネアがディノに渡したのは、美しい夜結晶の繊細なグラスのようなものだった。

深い夜のあらゆる色を宿し、複雑に色を変える多色性の結晶部分を選んで作られた高価なもので、これだけでもかなりの価値がある。



「シル、これはね、エルクレスティアの盃なんだ。盃としても使えるけれど、優勝杯みたいなものかな」

「エル…………クレスティア」



ノアが種明かしをすると、ディノの水紺色の瞳がはっと瞠られた。

ふるふるしながら手にした盃をぎゅっと抱き締めたディノに、ネアは微笑んで頷いてやる。



「エルクレスティア…………。もしかして、ネアは、その戦いに出たのか?」

「優勝杯は、初めて見た………」


こちらも呆然としているグレアムとギードに、ネアは誇らしさにふんすと胸を張る。

勿論、ネア一人の力で手にしたものではなかったが、それでもネアも頑張ったのだ。



「年明けの予選会から、ネアが頑張って勝ち抜いたんだ。筆記試験は、エーダリアと僕が勉強に付き合って、妖精の部の実技指導はヒルドが、魔物の部の実技指導はアルテアが、でもって、最後の実戦部分ではウィリアムが組んで一緒に戦ったんだよ」

「……………戦ったのかい?」

「はい!エルクレスティアは、その年に世界で最も幸せな花嫁を決める戦いです。全ての敵を打ち滅ぼし、私が今年の世界最高の花嫁の座を勝ち取りましたので、ディノは、世界で一番幸せな私の伴侶になったのですよ?」

「……………ネア」



それは、伴侶としての様々な称号の中でも、世界最高の名誉とされる、至宝の授与だ。


婚姻の魔術に紐付く祝福の階位が高いこの世界では、新婚さんにしか得られない祝福というものも数多くあって、エルクレスティアの勝者にはその中でも最も力のある、エルクレスティアの盃が贈られる。


魔物と精霊、竜と妖精という四種族の総合部門で優勝した者だけに贈られる特別な祝福で、この盃を手にした者は望む限りの幸福な結婚生活を送れると言われていた。


そして何よりも、穢れなき祝福に満ちた婚姻という肩書を得られるエルクレスティアの盃を手にするということは、素晴らしい名誉でもある。

ネアは、新婚の一年間にしか得られないそんな称号こそを、大事な魔物に贈ってあげたかったのだ。


これでどうだとディノの顔を覗き込んだネアは、ふるふるしたままだった魔物の涙腺が決壊してしまったことに気付き、慌ててその頬に触れた。


「……………まぁ、……………泣いてしまったのですね?」

「……………ネア」

「でもこれで、ディノはこの先もずっと、自分の伴侶はエルクレスティアの盃を手に入れたのだと、自慢出来ますからね。これは、私がディノと出会った事で誰よりも幸せになれたことと、私の優勝を助けてくれた皆さんが、ディノをとても大切に思ってくれているという証なのです。本来、大切な人に向ける愛情は、誰かに評価されるようなものではありませんが、得られる祝福が素敵なものでしたので、総取りしてしまいました。ディノへの今年の誕生日の贈り物は、この、ディノがくれた幸せへのお礼の形なのです」

「……………有難う」

「どういたしまして。ディノ、私を幸せな花嫁にしてくれて、有難うございます」

「……………ありゃ、倒れそうだぞ」

「なぬ。石床なので、倒れる前に座らせますね。……………その盃は、一度テーブルに置きますか?」

「置かない……………」



ディノは、ノアが用意してくれた椅子に座ると、渡されたエルクレスティアの盃をしっかり抱き締めてほろほろと泣いていた。

グレアムの姿が見えないなと思っていたら、広間の端っこにいってしまい、ハンカチで目元を覆っている。

ギードも涙ぐんでいるし、ウィリアムもはっとする程に穏やかな微笑みを浮かべていた。



「ほぇ、僕も、ポコが喜ぶかなと思って、前に参加したことがあるんだよ。でも、竜の試験ですぐに落ちた……………」

「竜さんについては、筆記試験は個人的にまとめた飼育予定資料を見て勉強し、面接では、竜の媚薬があるので試験官をじっと見つめるだけでした」

「ず、ずるい!僕だって竜の媚薬があれば、試験に受かった筈なんだ!」

「竜なんて……………」

「実戦は、きりんさんの部分表示で一網打尽にし、生き残った方はウィリアムさんがずばんとやってくれたのですよ!」

「僕さ、最初から気になってたんだけど、何で一番幸せな花嫁を決める為に、実戦形式なんだろうね……………」

「幸せな花嫁は、魔術階位が上がったりするのだそうです。基準になる可動域より低い参加者は、一人だけ助っ人を呼べるというのもなかなか公平な仕組みだと思いました。なお、助っ人は、是非に花嫁を助けたいと思う花婿の友人に限られるので、そこでも伴侶力を見るようですよ」

「わーお、花嫁って大変なんだなぁ……………」

「とは言え、ネアが殆ど無力化してしまったけどな」



そう微笑んだウィリアムは、擬態はしていた筈なのだが、決勝戦で会場に現れるなり観客たちを震え上がらせた。

ネアは、だだ漏れだった優勝への意気込み故の殺気から、そこにいるのが終焉の魔物だと気付いていた観客も多かったのではと考えている。



「そろそろカードをするのかい?」

「なぬ。ディノへの贈り物はまだあるので、もう少し待って下さいね」

「早くするといいよ。僕は、カードでウィリアムに勝つんだからね」


そう言われてしまったウィリアムは、おやっと眉を持ち上げて微笑んでいる。

静かで酷薄な微笑みは冴え冴えとした美しさなのだから、こちらの魔物も負けるつもりはないのだろう。

例年通りなら勝者の想像もつくのだが、今年はこのままいけば、グレアムやギードも参戦してくれそうな気がする。


先の見えない混戦模様に慄きながらも、ネアはもう一つの贈り物の包みを掲げ、こちらが先なのだと足踏みしたのだった。





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