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79. 誕生日には友達が出来ます(本編)




「ディノ、誕生日おめでとう」



優しい声でそう言ってくれたドリーに、ディノがこくりと頷く。



「私からも国を代表して…」

「また卵の料理があるよ!」

「ヨシュア!」

「ふぇ、…………僕の好きな料理なんだよ。君も食べたかい?」

「ああ、私もこの料理は好きだ」



ヴェンツェルの挨拶を見事に遮ってしまったヨシュアは、イーザに叱られると、そんなヴェンツェルに話しかける事で躱そうとしたようだ。


不意打ちで雲の魔物に話しかけられ、ヴェンツェルは少しだけ驚いている。

しかし、すぐに大国の王子らしく返事を返し、なぜか卵揚げ大使と化したヨシュアから、美味しい食べ方を指南されている。


イーザは頭を抱えてしまっているが、幸いにもお祝いされる本人であるディノは、ほくほくと卵揚げをいただいているので気にしてはいないようだ。



(そっか、この場合はヨシュアさんの方が階位が高いから、ヴェンツェル様が場を均したんだ…………)



会食堂には、お客のヴェンツェルとドリー、ヨシュアとイーザの他に、エーダリアとヒルドに、グラストとゼノーシュ。

そしてネアとディノが揃っている。


ノアの姿がないのは、夜の部でディノにあげるとっておきの贈り物を取りに行ってくれているからだ。



因みにこのような時、ネアはディノがしょんぼりしないようにそのままの理由を告げてしまう派である。


サプライズは良いものだが、せっかくのお誕生日に家族の一人がふらりと姿を消していると思ってしまったら、ディノはきっと悲しいだろう。


そんな要素はいらないのだ。




「はふ、……中がとろりとしていて美味しいんだ」

「僕も、この卵の揚げたのは好き!リーエンベルクのタルタルソースも美味しいんだよ」



ほっくりと卵揚げを頬張り、ヨシュアの言葉に同意したのはゼノーシュだ。

隣の席に座ったグラストは、二年目となって、謎の豪華メンバーによる昼食会にも慣れたらしい。



「ディノ、お気に入りの卵揚げがあって良かったですね」

「うん。…………このソースも美味しい」

「むぐ、今年はタルタルソースと、トマトクリームソースの二種類の心憎い演出です」



今年のお誕生日昼食は、ディノの好きな卵揚げにウィーム風の牛コンソメの琥珀色のスープで、しっかりと食べたい人には鶏肉の香草パン粉焼きがつく。


一口料理の盛り合わせのお皿には、キノコとチーズのクリームソースの棘牛詰めラビオリに、盛装鮭と霧檸檬のカルパッチョ風、雪菓子でマリネしたハム、ディノの大好きなトマト多めの酢漬け野菜だ。


盛装鮭は、喉元にある黒い模様が蝶ネクタイに見えるからつけられた名前であり、実際には夜映えの鮭と呼ばれる夜の系譜の魚であるらしい。


檸檬の香りが爽やかで鮭には脂が乗っていてとろりと美味しく、ネアは、たった二口でなくなってしまったお皿を呆然と見下ろした。




「今年も、ウィームの森の木馬に乗ったんだな」


そう話しかけてくれたのはドリーだ。

高位の人外者は皆そうなのだが、所作は見惚れる程に優雅で、この中では一番大きな体を滑らかに使って食事をしている。



「ええ。今年からは、海底花火の見える赤い木馬さんにも乗れるようになったので、そちらにも乗ってみる事にしたんです。ドリーさん達も、昨年は黒い木馬さんに乗ったのですよね?」

「ああ。ヴェンツェルはすっかり気に入ってしまって、実は、あの後に三回乗っている」

「ふふ、その気持ちも分かります。私とディノも、ノアと一緒にもう一度乗ったんですよ」

「あのようなものは、ヴェルリアにはないからな。私の立場では、イブメリアのミサ以外で祝祭の季節のウィームを訪れる事も難しい。あの木馬から見ることの出来る季節は、ウィームが最も美しい情景のそれだろう。良いものを知った」



ウィームの人間とヴェルリアの人間は、生来の気質や嗜好が違うと言われているが、ヴェンツェルはウィームの雪景色がお気に入りらしい。


そんな事が何だか嬉しくてエーダリアの方を見ると、エーダリアもウィームを褒められたのが嬉しかったのか、小さく唇の端を持ち上げて誇らしげにしている。


イーザのお皿の卵揚げをじーっと見ているヨシュアは、気に入ったもの以外を多く食べる事はなく、スープはイーザが最初から断っていた。


今年も、伴侶だったムグリスのぬいぐるみと、お気に入りのアヒルの人形は持ってきており、隣の椅子に並べて座らせてある。



そんなお祝いの輪を静かに見回し、ネアは隣のディノを見上げた。

賑やかな昼食の席で、ネアの大事な魔物は、時折、不思議そうな目をしている。



(まるで、自分がここにいることが、まだ信じられないみたいに…………)




やがて昼食が終わると、ヴェンツェルが見慣れた氷河の酒の瓶をことりとテーブルに置いてくれた。



「毎年のものだが、私からは氷河の酒にした。この、封蝋が黄色のものは珍しいらしい」

「む!氷河のお酒です!!しかも、アルテアさんが前に話してくれた、特別まろやかな満月版のものではないですか!」

「知っていたのか。城の保管庫で見付けたのでな」

「ふぁ、………ディノ、満月の夜の氷河のお酒ですよ!」

「可愛い…………。弾んでる………」



ヴェンツェルがディノへの贈り物にしてくれたのは、毎年恒例の氷河のお酒だ。

おまけに今年は珍しい氷河のお酒とあり、ネアは椅子の上で弾むばかりである。

そんなネアの大歓喜の様子に、ディノは目元を染めて恥じらってしまっていた。

ヴェンツェルにお礼をいいながらも、ネアの頭をそっと撫でてくれる。


「ディノへの贈り物ですが、………」

「私の城で、二人で飲むのだろう?」

「はい!お城で二人で飲みましょうね。や、約束ですよ?」


意地汚い伴侶は、飲む人数を増やすと飲める量が減ってしまうと必死なのだ。

しかし、袖をくいくいっと引っ張られてそう強請られてしまった魔物は、きゃっとなって嬉しそうなのでこの作戦のままで良いだろう。


むふんと満足げに頷いたネアが氷河のお酒の瓶を抱き締めると、ディノは、もう一度手を伸ばしてそんな強欲な伴侶を撫でてくれる。



「俺からはこれだ。今年は、二人が伴侶になってからの初めての誕生日だからな」

「……………有難う」



珍しく受け取ってすぐにお礼を言っているディノは、このドリーからの贈り物がいたくお気に入りで、ディノの宝物部屋にはこの陶器の置物の特別な飾り棚がある。



白い箱をぱかりと開けて、丁寧な手つきで中の置物を取り出すと、ディノは、今年の贈り物を見るなりくしゃくしゃになってしまった。



「まぁ!ムグリスディノと私の、婚礼の置物なのですね。………ほわ、何て可愛いのでしょう…………」

「…………ネアが可愛い………」



それは、森の中の小さな教会を模した素敵な置物だった。


額縁のように茂る綺麗な花は、ラベンダー色のライラックだろうか。

祭壇の前で、ネアを模した青灰色の髪の白いドレスの少女が、手のひらに乗せたムグリスディノに口づけをしている。


諸事情から結婚式がまだ出来ずにいるからこそ、この置物はディノの心を揺さぶったようだ。


ディノは見てはきゃっとなるの繰り返し運動に入ってしまったが、ネアは、口づけの場面の気恥ずかしさよりも、ムグリスディノがネアの手のひらの上で三つ編みをへなへなにしている表現の可愛さに堪らなくなってしまう。


「見て下さい、ディノ。私のドレスが白一色にミントグリーンのリボン飾りで、ムグリスディノの三つ編みのリボンと同じ色なのですよ」

「……………ネアが、……ずるい」

「ふふ、ディノはもう、今年の置物もすっかりお気に入りですね」

「ほぇ、シルハーンとネアだ。僕とポコの反対みたいだね」

「そう言えば、ヨシュアさんの奥様はムグリスでしたものね」

「僕達の置物も、その職人に作らせたんだよ。僕とポコのものと、イーザやルイザ、ハムハムも入れたものとの二つなんだ。今度、見せてあげるよ」

「見せてくれるのですか?ドリーさんがくれたディノのものも世界一ですが、そちらも、きっと素敵な置物に違いありません」

「僕達のものが世界一なんだよ!何しろ、ポコやイーザがいるからね」

「むむ、負けませんよ!」



ネア達がそんなやり取りをしている間も、ディノはドリーに貰った置物を眺めていたようだ。

そっと指で撫で、またしてもきゃっとなっている魔物を、ドリーは優しい目で見ている。




「僕達からは、これだよ。今年はね、グラストが選んでくれたものを僕が探してきたの」

「むむ、ゼノの手に不思議な小瓶が現れました。小さな氷の欠片が入っているようです…………」

「おや、…………ハートリの薬飴かい?」

「うん!グラストがね、今年はこれかなって思ったみたい。とっても珍しいんだよ」

「…………ハートリの、くすりあめ、でしょうか?」



初めて聞く名前を復唱すれば、檸檬色の瞳をきりりとさせて、ゼノーシュが頷いてくれる。


「秋告げの舞踏会の代わりに、真夜中の座の主催の、ファンデルツの夜会に行くんだよね?この飴を割って出かける前に二人で食べておくと、出かけた先ではぐれないようになるんだよ」

「なぬ。それはとても素敵です…………」

「ネアが逃げない…………」

「効果は一晩だけだから、ファンデルツの夜会にはぴったりだよね」

「ゼノーシュから、贈り物に向いた品物のリストを貰い、その中から選ばせていただきました」

「有難う…………」



小瓶の中の飴を、ディノは嬉しそうに見ている。


ハートリの薬飴は、伴侶や恋人達の専用のものなのだそうだ。


本来は、家族に反対されていたり、何らかの陰謀の影に引き裂かれることを警戒する夫婦や恋人達が、安全のお守りとして使うものらしい。


どうやらディノは、その専用感も嬉しいようで、瓶の中でからりと鳴った飴を見て、唇の端を持ち上げている。



(夜会には、アルテアさんやウィリアムさんも来てくれるけれど、この飴があればディノも、心配の度合いを減らしてゆったり安心して楽しめるかもしれない…………)



秋告げの舞踏会に行けないのだと知り、ネアは理由が理由なのでと素直に頷いたつもりだったのだが、表情のどこかに落胆が浮かんでしまったようだ。


代替案をと考えた魔物達が、真夜中の座の精霊王の主催のファンデルツの夜会への参加を提案してくれたのだ。


由緒ある大きな催しの中であり、ミカという、真夜中の座の精霊の中でも高位そうな知り合いがいるので、人外者達の夜会の中では最も安全なものに近いというのが、選考基準である。



「ハートリの薬飴は、物語の中のものだとばかり思っていた…………」

「お前がそう考えていたという事は、人間の手には殆ど渡らないものなのだな」


そう顔を見合わせる兄弟に、ドリーが自分も知らないものだと顎に手を当てる。

どうやら、相当珍しいもののようだ。


「妖精に聞けば、それは無粋なものだと言う者もいるでしょう。かつて、闇の妖精の王子が恋をした乙女を攫いに行ったものの、ハートリの薬飴に阻まれたという話は有名ですからね」



そう微笑んだヒルドが、それだけの効果が得られるものだと教えてくれたので、ネアはほほうとディノが手にした小瓶を見つめた。

妖精による侵食はとても恐ろしく、ネアが闇の妖精達に遭遇した時には、ディノ達ですら苦戦したのだ。


(そんな闇の妖精さんからも、守ってくれるものなのだわ…………)


薬効という魔術の理を利用したこの飴は、祝福や守護ではなく、魔術そのもので互いを縛るからこそ強い効果を持つ。


魔術の守護は、階位ではないところでより有用なものがあったりと、複雑で奥が深い。




「僕からはこれだよ。昨年はイーザからのものが目立ったから、今年は僕が選んだものにしたからね」

「…………ヨシュア?」



先程からそわそわしているなと思ったが、白銀の瞳で微笑んだ雲の魔物の言葉には、ディノも驚いたようだ。


高位の魔物が他の魔物に対して贈り物をする事は、その贈り物に自身の守護や祝福を込めてしまうことになる。


巧妙に魔術の繋ぎを絶って贈り合うこともなくはないし、例えば、ウィリアムの誕生日にチョコレートの箱を持ってきたグレアムのように、祝いの席への持ち込みの食べ物としての魔術を組み上げれば不可能ではない。


しかしそれは、余程親しい者でなければ、本来はしないものなのだ。



(あ、……………、)



驚いたように瞳を瞠ったディノに、ヨシュアは高位の魔物らしい艶やかさで微笑む。


すぐに小さな子供のように泣いてしまう困った魔物だが、ネアは、この魔物が時折見せる思慮深く聡明な眼差しがとても好きだった。


狂乱を乗り越え、系譜の配下達を大勢従えた王としての統治も日々こなしている。

頼りない面を見る事も多いヨシュアは、その一方で、公爵位の魔物としての責務をそつなくこなしてしまう有能で安定した魔物なのだった。



「僕にとって、シルハーンはやっぱり友達だからね。友達には贈り物をするんだよ。イーザやルイザにだって、ハムハムやポコのぬいぐるみにも贈り物はするからね」

「…………万象の君は、あなたにとって王でもあるのですけれどね…………」

「ほぇ、…………でも僕も雲の王だからね」



さらりと一言噛ませたイーザも、敢えてその言葉でヨシュアの行いを咎める礼儀を見せただけで、ディノがそのようなことを気にしないのだと分かっているのだろう。



そして、ヨシュアがごとんとテーブルの上に置いたのは、大きな霧雨の銀水晶を嵌め込んだ美しい白い台だった。


これは何だろうと首を傾げたネアが隣を見ると、ディノにも分からないのかこちらも首を傾げている。



「ヨシュア、ご説明しないと分かりませんよ」

「これはね、雲の寝台なんだ。僕の奥さんも大好きだったから、シルハーンはネアに乗せて貰うといいと思う。ムグリス用だよ。この嵌め込まれた宝石はイーザからなんだ」

「ムグリス用、なのだね………」

「も、もしや、これは私の愛くるしいムグリスディノが、雲の寝台でぷかりと眠れるようなものなのですか?」



ディノはまだ困惑していたが、いち早くその性能の素晴らしさに気付いたネアは、俄かに鼻息を荒くした。



「この台座の上に乗ると、雲が出来上がって浮かべてくれるんだ。僕の一番気に入っている昼寝用の雲だから、すぐに眠れるからね」

「ムグリスディノがぷかりと浮かんだ雲の上で寝ていたら、可愛いに違いありません。その情景を思うと、胸がいっぱいになってしまいます…………」



ほうっと熱い吐息を吐いてそう告白したネアにじっと見つめられ、ディノは、これはご主人様からの、贈り物を試してみたらどうだろうという要請だろうかとおろおろしたようだ。


次の瞬間、ぽわりと真珠色のムグリスディノになった魔物に目を輝かせ、ネアは、ヨシュアの贈り物の上に、ふかふかもこもこの素晴らしい手触りの伴侶をいそいそと乗せた。



「キュ?!」



するとどうだろう。

台座の上にきりりと乗ったムグリスディノの下から、もくもくぽわんと湧き上がった白い雲が、ムグリスディノを乗せてぷかりと浮かぶではないか。



「…………雲が生まれた。これは、祝福と資質による、派生魔術なのだろうか………」

「エーダリア様?」

「っ、…………すまない。つい…………」

「……………ムグリスだな」

「ヴェンツェル、念の為に言うが、ここにいるのはディノなのだからな。勝手に撫でるような事はしてはいけない」

「……………ドリー、私とてそのくらいの分別はつく」



ヒルドに叱られてしまったエーダリアと、ドリーに戒められているヴェンツェルは、どこからどう見ても兄弟だった。


伸ばしかけた手を見るに、どうやらヴェンツェル王子は、やはりというか、小さな毛皮の生き物に目がないらしい。

ドリーも小さな生き物が好きだと聞いているので、この二人は案外趣味も合うのだろう。



「雲の寝台はどうですか、ディ………ほわ、こてんと寝てしまいました」


ネアは、早速雲心地を聞こうとしたのだが、雲が定位置であるらしい台座の少し上で固定されると、ムグリスディノはちびこい三つ編みをへなへなにしてぱたりと倒れてしまった。


最初は転んでしまったのかと思ったネアは、幸せそうにすぴすぴと寝ている伴侶の姿に、恐るべき雲の寝台の寝心地を知ってしまう。

霧雨の銀水晶は、就寝時の程よい湿度も添えてくれると言うのだから、高性能な贈り物ではないか。


ぷかぷかと浮かんだ雲の上でこてんとなったムグリスディノの可愛さに、ネアもぱたりと倒れてしまいそうだ。

三つ編みはへなへなぴーんとなっており、無防備なふくふくのお腹が堪らない。



「ほら、すぐに寝るだろう?僕は、ムグリスには詳しいんだ」

「…………ヨシュアさん、素晴らしい贈り物を有難うございます。この様子だと、ディノも愛用するでしょうが、ディノが疲れていそうな時や、私がムグリスディノのふくふくお腹を堪能したい時に使わせていただきますね。ふふふ…………」

「ほ、ほぇ……………」



残念ながら、今日はお誕生日なのでこのまま寝かせておいてやる訳にはいかない。

ネアは渋々ムグリスディノを雲の寝台から抱き上げると、少しだけむくむくお腹の毛皮を指先で撫でてしまってからそっと揺り起こした。



「…………キュ?」

「ディノ、素敵な雲の寝台でしたね」

「キュキュ?!」



自分がこてんと寝てしまっていたことに動揺するムグリスディノの可愛さに、またしてもネアは胸がいっぱいである。

ゼノーシュが羨ましそうにじっとヨシュアを見ているのは、クッキーモンスターが枕を買い集めるくらいに質のいい睡眠を追い求める魔物だからだろう。




「ディノ、素敵な贈り物でしたね」

「うん。…………すぐに眠ってしまった」

「僕は偉大だからね!」

「…………この台座に、触れてみてもいいだろうか?」

「エーダリア様」

「ヒルド……………」



人型に戻ったディノは、あまりの入眠の早さにまだ動揺しているようだ。

ふかふかもふんとしている雲はいい匂いがして、堪らずに体の力を抜いたところまでしか記憶がないらしい。


寝かしつけられてしまったのが少しだけ恥ずかしいのか、目元を染めてヨシュアにもう一度お礼を言っている。


友達だよともう一度言われ、こくりと頷いたディノはきっと嬉しかったのだろう。

ネアは、窓の外の空には虹かオーロラが出ているのかなと考えて、小さく微笑んだ。



(この雲の寝台は、エーダリア様も興味津々だから、尻尾ははみ出そうだけれど、ちび狐にして貰って試してみればいいのでは…………)



聞けば、大きさの上限はあるものの、ムグリス姿ではなくても雲の寝台は使えるそうだ。

残念ながら、銀狐が乗るのは無理そうである。



ネア達はその後ものんびりと昼食後のお茶を楽しみながら、あれこれとお喋りをした。

ヴェンツェルは二度目の同席ということもあり、ヨシュアともそつなく会話をしている。



「ああ、その人魚なら知っているよ。何しろ僕は空の上にいる事が多いからね。この前はコカランの海域で見かけたかな。人間の貴族にしか求婚しなくて、求婚用の目玉を沢山持っているんだ」

「まさしく、探していた人魚だ。………盲目の人魚の筈なのに、求婚の被害が出ている事が謎だったのだが、目玉を沢山持っていたとはな…………」

「フズリは人魚の中の悪食だからね。煩い人間を海に沈めるから、僕は嫌いじゃないよ。でも、君は卵を揚げた料理の美味しさを知っているから、退け方を教えて欲しいかい?」


そう尋ねたヨシュアは魔物らしい美貌で、ヴェンツェルは、魔物との取り引きだからと躊躇いを見せた。



「むむ、その場合は、情報と引き換えに対価が必要になってしまうのですか?」

「ほぇ、人間に特別な事を教えてあげるのだから、当たり前だよね。人魚の話だから、目がいいかな」

「それは困ったな。盲目の人魚の退け方は知りたいが、さすがに目を差し出す訳にはいくまい」

「…………当然だ」



低くそう呟いたドリーは、心配そうにヴェンツェルの方を見ているが、ヨシュアへの不快感を見せる様子はない。

人外者との交渉は、対価が伴うのは当然の事なのだ。



「ヨシュアへの対価であれば、他にもやりようがありますよ」

「ほぇ、イーザが意地悪するよ………」

「ここは、万象の君の祝いの席でしょう。そのあたりは考慮しましたか?」

「………ふぇ、してない。それなら、卵揚げにするかい?」

「おや、それであればこちらでお代わりのものを準備しましょうか」

「それで決まりだな」

「ヒルド、頼んでもいいか?ヴェンツェル、リーエンベルク側に手間をかけているのだから、後できちんとお礼をするように」

「ドリー……………」



交渉の対価は卵揚げになり、ヨシュアは美味しい揚げたて卵揚げをもう一つ貰えて、大喜びではふはふと食べている。

ネアは、ディノにもお代わりが欲しいか尋ねてみたが、ディノはふるふると首を横に振った。



「それにしても、盲目の人魚さんの大好物が林檎のお酒だとは思いませんでした」

「多くの場合、海で陸の者達を損なうものには、陸の品物に弱点があるんだ。それもまた、魔術の理だからね」



そう教えてくれたディノに、ネアはあらためて魔術の奥深さに感嘆させられる。

陸の品物と言っても、今回のようにその品物が分からないと手の打ちようもないが、林檎のお酒に弱い人魚というのも面白い。


フズリは酒飲みであるらしく、渡したお酒はその場で飲んでしまい、保存は出来ないのだそうだ。

であれば、林檎のお酒さえ備えておけば間違いなく退けられるので、海に出る者達にとっては朗報だろう。



「夜は誰が来るんだい?」

「ウィリアムさんとアルテアさんに、グレアムさんとギードさんも来ますよ。私が名付け親になっているほこりは、統括先の土地で騒ぎがあったそうで、お誕生日明けの訪問になりました」

「…………ふぇ、ウィリアムも」

「ヨシュア、であればこの場で、先日の長雨のことを謝っておけばいいのでは?」

「どうして僕が謝るんだい?あの町は、雨で流して遊ぶと決めたんだ。もしウィリアムの仕事が増えたとしても、それは知らないよ」

「終焉の君は、そうは思われないでしょうね」

「ネアがいるから大丈夫だよ。ネアは、僕を守るべきだからね」

「なぬ。なぜ巻き込まれたのだ。そのような事は、当事者同士でお話しして下さい」

「ふぇ?」



ドリーはやはりイーザと気が合うようで、ネアは、こんな風に誰と一緒にいても相性の良いイーザのような人物が近くにいた事も、ヨシュアの安定感の理由の一つかなと思ったりもする。


グラストとドリー、イーザでの会話の輪は、見ていてほっとするような和やかさだ。



「今日は、カードまでやるからね」



お茶のお代わりもなくなった頃、ヨシュアがそう宣言した。


さっと振り返ったイーザが何か言おうとしたが、友達のお祝いだからねと付け加えたヨシュアに、ディノがこくりと頷いてしまったのでこのまま夜の部にも参加となりそうだ。



「突然ご無理を言い、申し訳ありません。ヨシュア、そのような事は、予めお伝えしておくべきことでしょう」

「ほぇ?」

「イーザも残ってゆきますか?」


そう尋ねたヒルドに、イーザは苦笑して首を横に振った。


「いえ、私は失礼させていただこうと思います。ウィームにはおりますので、ヨシュアが粗相をしたら呼んでいただければ」

「シルハーン、僕はカードをするよ!」

「うん。今夜もカードをするのかな……?」

「ふふ、折角なので、ヨシュアさんが起きていたらみんなでやってみましょうか」

「ゼノーシュは参加しないのかい?」

「うん。僕とグラストは夜は参加しないの。それに僕、カードではウィリアムに勝てないんだ」

「じゃあ、僕がウィリアムを負かせば、ゼノーシュより強いんだね。僕は偉大だから、きっとそうなると思うよ」

「ウィリアムには勝てないから、そうなっちゃうのかも」




(夜も賑やかになりそう…………)



ヴェンツェル達はこの後、リノアールでお忍びの買い物をしてから王都に戻るのだそうだ。


個人的な手紙などの、立場上機密性の高い文書を書く際のインクは、王都での市販品よりウィームのものが良いらしく、お気に入りのものを買い足すのだとか。


それでやり取りをする相手にはアフタンもいると知り、ネアは、ランシーンの優しい目の家族の姿を思った。



次の訪問の際には、ネア達の乗った移動木馬にも乗りたいそうで、シュタルトの湖水メゾンにも興味があるらしい。

ドリーとグラストは、今度のエーダリアのガレン訪問の際に、ヴェルリアで食事をするようで、ヴェンツェルはイーザの一族から、霧雨の結晶石を購入する段取りをつけていた。


これからの季節、ヴェルリアの海にも霧が立ち込める事が多くなるので必要なのだそうだ。




「…………ありゃ。何でヨシュアがまだいるんだい?」

「ノアベルトも来たんだね。仕方がないから、君もカードに混ぜてあげるよ」

「え、ここは、僕の家でもあるんだけど」



ヴェンツェル達とイーザが帰るのと入れ違いで、ノアがリーエンベルクに戻って来た。

さっそくヨシュアとわしゃわしゃしているが、こちらも最近、少しずつ仲良くなってきているような気がする。



ネアは、窓の外を覗き、沢山の花が満開になっている庭の芳しい香りを胸いっぱいに吸い込んだ。


昼の部で貰った贈り物は、さっそくディノの宝物部屋に飾られるらしい。







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