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76. 不穏なクッキー祭りです(本編)



今年も、クッキーの荒ぶる祝祭となった。



ウィームの民達の夏の終わりと言えば、まさにこのクッキーに備えるところから始まると言われている。

毎年ゴーグルの確認をし、手袋に穴などが空いていないかを調べ、八月を終えるのだ。



クッキー祭りとは、開封されたのに食べて貰えなかったクッキーたちが、その非業の運命を呪い荒れ狂うお祭りである。


愚かで残忍な人間達への憎しみを胸に荒ぶるのだから、凄惨な様相となることは避けられない。

この日ばかりは、魔術の潤沢な美しいウィームは、苛烈な戦場へと姿を変えるのだ。



(霧の日がなかったから、朝の霧の中をお散歩しただけだったけれど、ゴーグルはぴかぴかしているから大丈夫かしら…………)



呪いのクッキーは、毎年被害者を出すので、ネアも今日ばかりは準備に余念がない。


それもこれも、ウィームのお菓子がとても美味しいことに由縁する悲劇なのだが、昨年の秋以降は残念ながら蝕の影響などもあり、開封されたものの食べきられずに果てたクッキーは予想以上に多かったらしい。


リーエンベルクからは、開始前に非常事態宣言がなされ、ウィームは朝から只ならぬ緊張感に包まれていた。



「ですので、今年は絶対に私から離れないようにして下さいね」

「……………ご主人様」

「エーダリア様達も、クッキーの気配が多過ぎると朝から蒼白ですので、私も出来るだけお力添えをしたいと思っています。水路沿いの道の指揮権をいただきましたので、クッキー達に負けないように奮戦してゆきましょう」


ネアのそんな覚悟に、水紺の瞳をふるふるさせた魔物も、悲壮な面持ちでこくりと頷く。


ディノは万象を司る魔物の王でもあるのだが、このクッキー祭りに於いては自分とネアの身を結界などで守ってくれるので精一杯だ。


何しろ、荒ぶるクッキーは魔物達さえも怯えさせてしまう獰猛さなのである。




きんと、氷が張るような音がして背後の結界が閉じられたのが分かった。

ネアは、堅牢な外門と庭木の向こうに見えるリーエンベルクの清廉さに、必ず生きて帰ると心に誓い、凛々しく頷いた。



クッキー祭りの日には、リーエンベルクは完全封鎖される。


何しろ元がクッキーなので、小さな生き物達を擦り抜けさせるリーエンベルクの結界では効果がない。


しかし呪いのクッキーであるからして、クッキー達はこの日には大きな力を持ってしまう。


万が一、リーエンベルク内に入って荒ぶり出し、魔術基盤などに損傷が出れば、大変なことになりかねないのだ。



よって、事前に呪いのクッキーが生まれないかをしっかり調べておき、その上で完全封鎖してクッキー達から守るのだが、昨晩は遅くまで家事妖精達がリーエンベルク内を見回って、食べ残しで悪くなったクッキーがないかどうか調べていたようだ。


銀狐になってしまう塩の魔物についても、ヒルドが何日もかけて厳しく聴取することで、うっかりの事故で内側からクッキーに占拠されないよう、万全の対策が敷かれていた。



「さて、我々はそろそろ行かねばなりません。アルテアさんも、ご武運をお祈りします」

「……………やめろ。お前がそう言うと、ろくでもない事が起こりそうな気がする」

「解せぬ……………」



本日のアルテアは、ネアが魔術の縁は切れてしまったものの名づけ親になっている星鳥のほこりの後見人としての参加だ。


昨年はもう二度と来ないと話していたが、きちんとお願いすれば来てくれたし、既に瞳には何の光も入らなくなっているが、首にはネアが贈った新しいゴーグルをかけてくれている。


このゴーグルは持ち主に合わせて作られるものなのだが、今回はオーダーメイドで作っている時間がなかったこともあり、そんな人用に売られている男性用のものを買って来てある。


有名な職人のお店のものであるし、購入時に、カードからアルテアに好みの素材などを聞いているので、そこまで使い難くはないことを祈るばかりだ。


先程渡したところ、悪くないなと言っていたので是非に活用して欲しい。



(少し苦手なゴーグル職人さんのお店に、頑張って行った甲斐があった……………)



リーエンベルクからもさして離れていない公園の一画にあるゴーグル職人の工房は、可愛らしい三角屋根に薔薇窓の美しい一軒家になっている。


しかしそこに住んでいる職人は、子供が乱雑に作ったぬいぐるみのような、たいそうホラーな気配を纏った生き物なのだ。


ネアは、そんなゴーグル職人を密かに苦手にしているのだが、すぐに事故ってしまう使い魔の目を守るには仕方ないと、頑張って再訪してきたのだった。



「ピィ」

「ほこり、今年は祟りクッキーが二体出ると予測されています。……………食べられますか?」

「ピ!」


アルテアと一緒に並んだ雛玉は、クッキー祭りの争乱に紛れてしまわないように、愛くるしいピンク色に擬態している。


ネアはあんなに大きな祟りクッキーが二体も現れたら、この可愛い雛玉のお腹は大丈夫だろうかと心配していたのだが、本人はご機嫌でどすばす弾んでいる。


ネアの足にすりすりしている可愛い雛玉を撫でてやると、嬉しそうに弾んで羽をばたばたさせた。



「…………現れ始めたな」

「むむ、いよいよです。気を引き締めてかかりますね」

「ピ!」



そろそろ時間のようだ。

リーエンベルクの西門前に集合したネア達の所にも、どこからともなく呪いのクッキーがぽこんと飛び込んできた。

今年初めてお目にかかる呪いのクッキーは、すぐさまアルテアが黒い手袋に包まれた片手で捕まえ、ほこりに渡している。


普通の人間や人外者は食べると呪われてしまうクッキーだが、ほこりには美味しくいただけるらしい。


ましてや、ほこりは祟りものが好物な悪食の星鳥で、元はお菓子の美味しいウィームのクッキーなのだ。

むぐむぐと初物のクッキーを踊り食いしてしまうと、ほこりは幸せそうにケプっと宝石を吐いた。



「ピ!」

「まぁ、くれるのですか?淡いピンク色で透明度が高くて、今日のほこりの色ですね」

「ピ!」

「ほこり、これからは別行動になりますが、向こうにはゼノとグラストさんもいます。困ったことがあったら、お二人にも相談して下さいね。……………アルテアさん、可愛いほこりをお願いしますね」

「寧ろ、唯一今日の祭りに耐性があるのはこいつだろ……………」

「ピ?」



アルテアは、昨年の悲しい記憶が蘇ったものか開始前から少し弱ってしまっているようで、暗い声でそう呟くと、喜び弾む雛玉を連れて街の方へ向かっていった。



(……………もう、街の方では騒ぎになっているのだろうか)



そう考えもう一度背後のリーエンベルクを振り返り、排他結界で守られた美しい冬狩りの離宮の姿に、ネアは安堵の息を吐く。


この美しく大事な住まいが、祟りクッキーに破壊されたりしたらと思うと怖くなるので、こうして隔離されることには大賛成だ。



「ふむ。こちらもだいぶ集まりましたね。そろそろ始めましょうか」



周囲を見回せば、昨年もネアに協力してくれた小さな生き物達が既に集まりつつあった。


皆そわそわとしており、小さなアヒルのような生き物や真ん丸毛玉、狼のようだが足元が黒い炎になっているものなど、様々な姿の者達が、きらきらと期待に満ちた瞳をネアに向けている。


この辺りはまだ水路がないので、より多くの生き物達が集まるのはこれからだが、ネアが捕まえたクッキーを片っ端から水路に放り込めば、この集まった小さな祟りものや悪食な生き物達が食べてくれるという方式なのだ。



巷ではクッキー祭りの死者の行列と呼ばれているそうで、狩りの女王としては満更でもない。



「ネア、今年はクッキーの数が多いようだから、危ないようだったら無理をしてはいけないよ?」

「はい。少しひやっとするような感じがしたら、ディノに助けて貰うようにしますね。なお、今年は例年より出現数の多い状況を考慮しまして、急遽、素敵な助っ人の方々に来て貰っております」

「……………浮気」

「浮気ではなく、作戦に協力してくれる頼もしい仲間ですので、荒ぶってはいけませんよ?」



そう言えば魔物は渋々といった様子で頷いたが、なぜにこんなに過敏になっているのかと言えば、本日のネア達と行動を共にする外部協力者の一人が、黒い軍服風の素晴らしい装いをした高位の竜であるからだろう。


もう一人の協力者は栗色の髪の柔和な顔立ちの青年なのだが、実は、コロールでご一緒したことのある真夜中の座の精霊のミカである。



(エーダリア様達も、心配してくれているんだろうな……………)



死者の行列と言われるだけの生き物達を率いる水路沿いは、ネアにとって有利な戦場ではあるものの、水回りでは様々な質の魔術が凝り変質しやすい。


もし、予期せぬ大型のものなどが現れたらと心配していたエーダリアに、ダリルを通じて協力の要請を入れてくれたのが、この二人だ。





「本日は、宜しくお願いします」



そう優雅にお辞儀をしたワイアートは、雪竜の祝い子だ。


白持ちで雪の降らない時期にも大きな力を振るえる珍しい雪竜であり、牛乳商人の事件でも共闘しているので、ネアとしては組みやすい相手である。


黒髪の巻き毛にシュタルトの湖のような水色の瞳の美しい男性姿だが、ネアはまだ、この雪竜の擬態していない姿を見たことはない。


ただ、以前に見た時には青年期から大人の男性になるところといった柔らかな雰囲気があったのに、今では青年らしさが抜け落ちているので、擬態を変えたのか成長したのかのどちらかだろう。



「久し振りだな。宜しく頼む」


そう淡く微笑んだ栗色の髪の青年は、コロールでの真夜中の座の精霊としての姿からがらりと変わり、雑踏に紛れたらそのまま見失ってしまいそうな姿に擬態している。


なんとワイアートとは二人で出かけるくらいに親しいそうで、ネアは、蝕で転じた儚げで凛々しく美しい女性姿のミカを覚えているだけに、なんとなくそわそわしてしまう。

だが、残念ながら二人とも男性なのだ。



精霊姿はそれはそれは美しい男性なのだが、本日の擬態は敢えて人間に寄せてあるらしい。


なぜだろうと首を傾げたネアに、くすりと笑ったミカは、系譜の者達に発見されると面倒なのだと教えてくれた。


こうして、端正だが印象の薄い容貌に擬態していると失念してしまいそうだが、ワイアート曰く、ミカは一族の中でも高位で、それなりに信奉者も多いらしい。


ご婦人方だけでなく、従者や部下達も含めた彼等にあまり干渉されたくないのだと言われれば、成る程と思ってしまう。



(コロールで見たミカさんは、確かに多くの人達の心を奪ってしまうような、吸い込まれるような綺麗な精霊さんだったもの………)



擬態の巧みさを感じさせるには充分な程、こちらを見て微笑んでいるミカは人間にしか見えないが、よく見れば、眼差しの澄明さにどこか人ならざるものらしい彩りがあるのだった。




「お二人とも、本日は宜しくお願いします」



ネアはぺこりと頭を下げ、厳かにゴーグルを装着した。


こちらのチームでゴーグルを嵌めるのは現状ネアだけだが、もしクッキーに蹂躙されるようであれば貸し出そうと、ネアは密かに三つのゴーグルを備えてある。


四人は頷き合い、リーエンベルクの外側を歩きながら水路沿いの道に向かった。





「確かに、去年より数が多いような気がします……………」



リーエンベルクの外周から水路沿いの道までを歩いただけで、ネアはその兆候を感じ取った。


この辺りは民家がないので、いつもならまだクッキーの数が少ないのだが、既になかなかの数がどこからともなく飛び込んできている。


ネアが、手際よく襲い掛かってきたクッキーを捕まえ、そのままぽいっと水路に放り込むと、ばりばりぼりぼりという音が聞こえて来るので、水路に集った生き物達は順調にクッキーを食べてくれているようだ。


部隊の並びは、ネアとディノが先頭に並び、ミカとワイアートが後ろに並んでいる。

水路の仲間たちにクッキーを投げ入れる役割を果たすネアは、勿論、水路側だ。



「今年はクッキーが多いようですので、皆さん、食べきれなくなってきたら教えて下さいね」


ネアが声をかけると、水路からは賑やかな声が上がる。



「ピィ」

「グキャ!」

「ワオーン」

「ギュウ!」

「パオーン」

「ニャ!!」



若干、気になる鳴き声が混ざっているような気がするが、ここはもう戦場なので深く考えないようにして前に進もう。



「…………去年より増えているね」

「まぁ、今年はクッキーの数が多いようなので、仲間が増えてくれるのは頼もしいです!そして、少し重ための曇り空ですが、雨が降らないといいのですが…………」

「祟りクッキーが二体も現れるのなら、魔術の場がかなり動いているのだろう。………それでなのかもしれないが、霧が出てくると少し厄介かもしれないね」

「まぁ、霧が出ると戦況が悪くなりそうなのです?」

「一般的には、祟りものや呪いを纏うものを強くしてしまうんだ。…………ただ、クッキーはどうなのかな…………」

「むむ、しけってふにゃふにゃになったら、倒し易くなるのかもしれません…………」



ディノは、クッキーの数が増えてくるまではと、ネアにしっかりと三つ編みを持たせていたが、時折そこに飛び込んでくる不埒なクッキーもいるので、ネアは容赦なく叩き落とした。



「…………おのれ、ディノの髪を狙うなど許すまじ」

「ご主人様……………」



呪いを宿しているだけでもう、このお祭りで荒ぶるクッキー達は正気ではないのだろう。

そんなクッキー達は、擬態をしていても、ディノが明らかに高位の魔物である事を理解しない内に、こちらに飛び込んでくる。


三つ編みで繋がった二人は、手を繋いでいるよりも狙い易く見えるのだろうが、そんな行いは、狩りの女王を自負する人間を激昂させるだけであった。



「…………愚かなクッキーです。私の大事な魔物を損なおうとするだなんて、余程、死に急ぎたいようですね…………」



ディノは、荒ぶるクッキー達を苦手としているのだ。

それでもと必死にネアを守ろうとしている魔物との間にある三つ編みを狙うのだから、その仕打ちが、どれだけネアの大事な魔物を怯えさせる事か。



ネアは、幼気な魔物の三つ編みを狙ったクッキーについては決して許さず、ぐしゃっと握り潰し水路に捨てた。


勿論、粉にし過ぎるとその状態で暴れる大惨事になるので、手の中から欠片を逃さないようにばさっと一気に水路に投げ込む方式だ。


ばりばりに砕かれてばしゃんと投げ込まれたクッキーに喜んだのは、そんな水路にいた小さな生き物達だ。


明らかに何かの雛的な者達が、ピヨピヨピィピィ鳴いて飛び跳ねているので、ネアは、偉大なる狩りの女王の眼差しで穏やかに微笑んで頷く。



「ふむ。食べ易くなったようで良かったです」

「…………鮮やかなものですね」




後方から、ワイアートの穏やかな声が聞こえた。


実はこの雪竜、牛乳商人の一件以来疑問に思っていたのだが、声質が少しウィリアムに似ている。


しかし、話し方や声の温度でしっかり聞き分けが出来るので、これもまた人外者の資質によるものだろうかと、ネアは不思議に思っていた。


昨年に比べればかなり忙しいが、今のところはまだ、手に負える範囲なのでとのんびり振り返ったネアは、背後の光景にぎくりとした。



「ぎゃ!既によれよれです!」


そこにいたのは、頭に乗せた小さなクッキーに跳ね回られているワイアートと、どんなクッキーに何をされてしまったものか、真っ青な顔をしてワイアートの肩を借りているミカだ。


ミカについては、コロールで高位の精霊らしい鮮やかな魔術に助けられただけに、一体何が起きたのだろうと呆然としてしまう。



「…………お二人が!」


慌てて駆け寄り、まずはワイアートの頭のクッキーを取ってあげようとしたのだが、ワイアートの身長が高くて届かなかったので、屈んで貰わなければならなかった。


ミカを支えていたワイアートにはもう、そのクッキーを排除する余力がなかったのだ。



「……………すまない。大きな獣型のクッキーに体当たりされてしまった。治癒魔術をかけたので、すぐに回復すると思う」



儚い声でそう謝ってくれたのは、瞳の澄明さをすっかり失ってしまったミカだ。


どうやら、昨年も現れたとても硬い竜用クッキーに体当たりされ弾き飛ばされた際に、水路の中に見てはいけないものを見てしまったらしい。


水路の中の行進はネアの大切な部隊なのだが、呪いのクッキーを美味しく食べる祟りものや悪食達でもある。

まさかの、仲間を損なう事故が起きてしまったようだ。



「あのような悍ましい者までを容易く従えてしまうのが、あなたの力なのだな……………」

「…………一体何を見たのだ」



眩しそうにこちらを見てそう言われても、ネアとしては慄くばかりである。


しかし、どの子を見たのかなと水路を覗き込んで首を傾げたネアに対し、慌てて手を掴んだディノもとても震えているので、こちらの世界の生き物にとってはかなり危険なものが潜んでいるのだろう。



(パオーンのものかしら…………?)



何とか目眩が治ったミカに、ワイアートは、誰かから送りつけられて心の傷になっているらしい竜用クッキーから逃げてしまった事を謝っている。


なかなかに高位の二人がやられてしまったのには、そんな理由があったらしい。



そして戦況を立て直せていないその状況で、ネア達は恐ろしい襲撃に見舞われた。



「………か、缶入りお好みクッキーです!!」



迫り来るクッキーの群れに声を上げたネアに、ぞっとしたような顔でワイアートが頭上を見上げる。


缶入りお好みクッキーは、このクッキー祭りに於いて、数々の手練れを葬ってきた恐ろしい刺客だ。


ご婦人でも手軽につまめるようにと、一つの缶に様々な種類のクッキーが入っているので、それ故に一つ一つが小さく薄くて脆い。

同じ缶の仲間達と素早く動き、掴もうとすると砕けてしまう、難敵なのである。



「…………むぐ」

「ネア!」

「…………っ、ワイアート?!」

「しま、……っ、……………」



ここで、部隊長であるネアを襲ったお好みクッキー達は、すかさずディノが結界で防御してくれた事に気付き、素早く標的を変えてワイアートに襲いかかったのだ。


ワイアートもお好みクッキー達の襲撃に備えていたのだが、なまじ動体視力が良いだけに、正確な読みをしていた事が仇になった。


急な進路変更でぎゅんと速度を上げたお好みクッキーが、一斉に雪竜の祝い子を取り囲んでしまう。


はっと息を呑み絶望に瞳を曇らせたワイアートは、こんな時でなければその嗜好の者達には大絶賛の美麗さだっただろう。


だがネアは、討たれることを覚悟してしまった仲間を、何とかして救い出さなくてはいけなかった。



「させません!!」



ネアは、手を伸ばしむんずとワイアートの手を掴むと、力一杯こちらに引っ張った。

驚いたように目を瞠ったワイアートは、体勢を崩してネア達の方につんのめる。



「ディノ、ワイアートさんを」

「うん」



引き摺り出されたワイアートは、よろめきながらも何とか自分の足で踏みとどまった。

はあっと苦しげな息を吐いた雪竜の祝い子は、どこか熱を孕んだ眼差しでこちらを見る。



「………申し訳ありません、お手間を」

「いえ、初めてのお好みクッキーはそうなってしまうんです。ミカさん、大丈夫ですか?」

「…………ああ。咄嗟にこちらで対処出来なくてすまなかった。まとめて水路に入れておいたが、これでいいだろうか」

「はい!あのちびこいクッキーの群れを、一瞬で捕まえてしまったのですね」

「このようなものなら。…………竜用クッキーには、力負けしてしまったが…………」



ネアは、真夜中の座の精霊を打ち負かす竜用クッキーの力は何事だろうと思わないでもなかったが、ミカは、一人で無事にお好みクッキーの襲撃を切り抜けられたようだ。


ワイアートが飲み込まれてしまったので対処に手間取ったものの、クッキーだけでいれば、ミカの魔術で一網打尽にして水路に放り込めたらしい。


一度自分で踏みとどまったものの、お好みクッキーの群れの殺気に晒されてしまい、よろりと体を傾けたワイアートのことは、ディノがきちんと支えてくれた。



「…………万象の王よ、感謝します。まさか、小さなクッキーがあのように鋭く早いとは…………」

「あのクッキーは、排除が難しいようだよ。アルテアも、結界の内側に入れてしまった事があるからね……………」

「あの方であっても、ですか…………」

「まぁ、ワイアートさんはアルテアさんをご存知なのですね。私も、そんなアルテアさんから注意喚起されていたので、お好みクッキーには近付かないようにしていたのです。まさか、木の上から飛び掛かってくるとは思いませんでした……………ぎゃ?!」



そう話していると、今度は岩のように硬い保存用クッキーがばちーんとぶつかってきた。

気付いたディノが結界で弾いてくれたようだったが、一瞬、顔面に直撃するかと思ったネアはぎょっとしてしまう。


このクッキーは、保存食として作られるものだが、そもそも市販されている段階から、スープや牛乳に浸したり、温めたりしないと食べられないくらいに硬い。


直撃されると体に穴が空いてしまうので、ネアなどが顔面で受け止めたら、頭がなくなるのは必至だろう。


ディノの結界に阻まれた保存用クッキーは、素早くワイアートが手で掴み、ごりっと握り砕いてから水路に投げ入れてくれていた。

ネアは、水路の仲間達に食べられる硬さかどうか気になったが、ガリガリという豪快な音が聞こえてきたので問題なさそうである。



「…………ほわ。ディノ、ワイアートさん、有難うございます。危うく頭がなくなるところでした…………」

「いえ、ネア様には、先程助けていただきましたから」



そう微笑んだワイアートは魅力的な男性そのものの美貌だったが、如何せんクッキーの粉をかぶっているので、どこか儚げな様子もある。


先程、お好みクッキーの群れから救い出した時の熱い眼差しには、命の恩人を見るような憧憬の念が込められていて、ネアはこの長身の竜を撫でてやりたくなったくらいなのだ。



しかし、苦難を乗り越えて仲間の絆を深めたばかりのネア達に、運命は更に過酷な試練を課した。



ふっと視界が翳り、嫌な予感に頭上を見上げたネアは、ぎりぎりと眉を寄せ、ディノにくっつく。



夏の終わりに咲き始めたばかりの、ココユリという水色の花を満開にした木のさらに上から、奇妙なものが見えた。

目にしたものが理解出来なくてぱちぱちと瞬きしてしまったが、そこに佇んでいたのは、ずうんと聳え立つクッキーの塔のようだ。


一瞬、祟りクッキーが現れたのかと思ってしまったネアだったが、それにしては大きさが足りない。

まだ流行りの続いているレーズンクッキー的なものが積み上がっている様は、ちっぽけな人間を少しだけ絶望させた。



「ぎゅわ……………」

「積み上がってしまうんだね……………。ネア、危ないからここにおいで」

「防壁型の羽織ものです………。ディノ、あの巨大なものを、一体どうすればいいのでしょう……………」

「崩すのかな……………」

「崩したら、石畳の道に落ちた衝撃で粉々になりそうですよね……………」

「粉々に……………」



ぎぎぎ、みしみしという、おおよそクッキーには似つかわしくない音が響く。


塔の形に積み上がったクッキー達が、勝利を確信しこちらを覗き込んでいるのだ。


クッキーな建造物からの悪意を感じるというのも奇妙な感覚だが、ネアの心は、肌が粟立つような怖さと、異世界でしか見られないクッキーの様子にちょっと感動してしまうのとで、相反する感情に引き裂かれる。



「ミカ、あわいの魔術で圧縮して隔離する事は出来るか?」

「出来るには出来るが、その場合はあの質量が粉になる。解放した時に、悲惨なことになりかねない」

「……………そうか、粉の状態で襲われるのは避けたいな」



これはもはや打つ手なしだろうかと、ネア達が顔を見合わせた時だった。



「あ、……………」



重なっただけで貼り付けられていなかったクッキーの塔は、前のめりにぐぐっと傾いたことで限界を迎えたようだ。


あっと思った時にはもう、ばらばらと崩れ始め、ネア達の方に落ちてくる。



(ぶつかる……………!!)



祟りクッキー程の大きさはないが、これが崩れて来たらどれだけの衝撃だろう。

その瞬間は防げるとしても、砕けたクッキー達を相手にしなくてはならないのだ。




「………っ、僕が支えましょう」



何か手を打つにも到底間に合わず、そんなワイアートの声が聞こえたのを最後に、ネアは、視界をクッキーの雨に埋め尽くされた。




「…………むぐ」



そっと目を開いたネアの前に、はらりと落ちたのは、季節外れの雪だろうか。



慌てて周囲を見回せば、魔術で生み出された雪が、ネア達の周囲にだけ降っている。


はっとして足元を見れば、急速に降り積もらせたふかふかの雪に埋もれ、崩れ落ちたクッキーの山は、恐れていたように粉々にはなっていないようだ。


ほっと胸を撫で下ろし、ネアは近くに落ちていたクッキーを掴んでえいっと水路に放り込む。


辺りの空気は少しだけ冷んやりとしているが、嬉しそうな声が聞こえて来るので、水路の仲間たちは元気なようだ。



(それと、…………クッキーの動きが鈍っているような……………)



「むむ、いきなり雪の中に倒れ込んで、寒さのあまりに動きが鈍っているようです。今の内かもしれません!」

「では、水路に投げ込んでしまいましょう。思わぬ効果もあって良かった」

「ワイアート、こちら側は私がやろう。……………っ、」

「むぅ、寒さに強い個体もいますね。よく見るとクッキーの種類が違うようです………」



手を伸ばそうとしたミカが、雪の中から飛び出してきたクッキーにばしんとぶつかられている。


幸いにもこちらは保存用の硬いクッキーではなかったようで、ミカの肩は吹き飛んだりはしなかった。


ぶつかってきたクッキーもすぐさま捕まえてしまい、鋭く投げるワイアートとは違い、優雅な仕草で水路に投げ込んでいる。



そこからは、せっせと寒さに麻痺したクッキーを拾い、時には寒さに強いクッキーが飛び出してきて襲われたりもしつつ、ネア達は、一度は塔を築いてみせたクッキー集団を水路に落としていった。


かなりの量なので心配していたが、水路の中で大喜びな生き物達には悪食も多く、ほこりのようにそうそう満腹にはならないらしい。


最後はワイアートが雪を消し、取り残したクッキーがないかどうかを確認して息を吐いたのは、暫くしてからであった。




「…………ほわ。何とか、クッキーの塔に打ち勝ちましたね」

「……………うん」

「雪がクッションになって、大惨事を免れられて良かったです。ワイアートさん、有難うございます」



ワイアートは柔らかく微笑んで頷いてくれたが、達成感と勝利に安堵を噛み締められた時間は短かったのかもしれない。


はぐれクッキーを狩りながら水路沿いをまた少し歩いたネア達がその後に出会ったのは、昨年の夏に流行ってしまった、世にも恐ろしいキャラメルましましクッキーだったのだ。



これは、なかなか高価なクッキーだったので、まさか食べずに無駄にした人がいるとは思わなかったが、もしかすると大事に食べようと思っていて、食べ損ねたのかもしれない。


大ぶりでずしりと重いキャラメルクッキーは、その質量だけが危険なのではない。


今回のキャラメルは、ざくざく系のキャラメルではなく、よりにもよってとろけるキャラメルなのだ。



「またしても難敵が現れました。今年のクッキー祭りはかなりの激戦続きなのです…………」

「普通のクッキーではなさそうだね………」

「キャラメルクッキーを食べずに無駄にするだなんて…………。じゅるり」

「ネア、呪いのクッキーを食べてはいけないよ?」

「は!危うく、捕まえて齧ってしまうところでした…………」



(でも、捕まえるとしても、ぶつかられてしまうと、べたべたにされる…………!!)



ネアがその危険にぞくりとしていると、キャラメルクッキーがやって来た方から、ぎゃーっと恐ろしい悲鳴が聞こえた。


目を凝らしてみれば、キャラメルクッキーに襲われている人々が何人もいる。


獰猛なクッキーであれば勇ましく戦うのだが、べとべとに追いかけられるとネアも逃げ腰になってしまう。



苦戦させられたのはネアだけではなく、人間の欲望を詰め込み、どっしりとろけるキャラメルを乗せた難敵には、全員が翻弄された。



最終的には、触れる事を躊躇いながら手で捕まえるのは難しいと判断したディノが、結界で追い込んで捕まえようとしたものの、結界に張り付いてしまったキャラメルクッキーがじたばたする事になり、ネアが手で引き剥がしてやらなければいけなかった。



そうこうしている内に、別のキャラメルクッキーがやって来てしまい、暴れるキャラメルクッキーの処理が出来ずにしょんぼりしているディノの頭に体当たりしようとする。



大事な魔物の髪の毛に、べたべたキャラメルクッキーがくっつこうとした途端、ネアは怒り狂った。




「私の魔物に近付いたら、容赦しませんよ!!」



素早く首飾りの金庫から引っ張り出したのは、どこかに落とされて野営でもしなければいけなくなった時用に備えてあった、料理が焦げ付きにくい高性能フライパンだ。



他にも適応する物はあった筈なのだが、キャラメルクッキーは食べ物だという固定概念が抜けきれなかったせいか、ネアが選んだのはそのフライパンだった。



怒りに満ちた声でそう宣言した人間に、嘲笑うかのように周囲を飛び回ろうとした呪いのキャラメルクッキーは、次の瞬間、フライパンでかきんと打ち返されていた。


物凄い勢いで水路に落とされ、そこに小さな生き物達の歓喜の声が湧き上がる。



「むぐるる!」

「ネア、落ち着いて!そんな風にフライパンを振り回したら、肩を痛めてしまうよ…………」

「…………一切の迷いがない。素晴らしいですね………」

「だが、肩に負担がかかるのは確かだ。…………これ以上にあのクッキーがこちらに来ないようにしなければ………」

「ぐるるる、むが!!…………まだいるのですね!ゆるすまじ!!」



慌てたディノとミカが、周囲へのキャラメルクッキー規制を敷くまで、ネアは合計十五個のキャラメルクッキーを水路に撃ち落とした。


これはもう、食べ損ねたキャラメルクッキーがあっただけでなく、恐らく店側で、注文を見越しての過剰生産からの破棄があったとしか思えない。



我に返ったネアは、そんな生産と消費の悲しみに思いを馳せたが、フライパンの振り回し過多により、多くの体力を奪われた後であった。







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