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夏休みとしつけ絵本の逆襲 2




ゆっくりと暮れてゆく夕暮れの美しさを満喫し、湖に映る色彩の鮮やかさに心まで染め上げられ、ネア達は穏やかな気持ちで城内に入った。



指輪の中の避暑地というにはあまりにも贅沢な古城に入れば、見上げた天井画は素晴らしく、その森と夜空を現した絵画の美しさに、ネアはやはりウィーム風の建築様式が一番であるとふんすと胸を張る。



森や湖も素晴らしいが、こうして屋内に入れば、ますますここを造り上げた人々の嗜好が伝わり、ネアはそんなウィームの人々の造ったものがとにかく大好きなのだ。




(……………アルテアさんは、まだ来られないのかしら)



そう言えばまだ合流していない人がいるなと思ったネアがカードを開けば、アルテアは、仕事が立て込んでおり、こちらに入るのは夜になるらしい。



森で狩りをする場合はシルハーンから離れないようにだとか、森の木の実などをそのまま食べないようにという細やかな注意が並んでいるカードを見たネアは、目を丸くしてしまう。


また、湖でおかしなものを釣り上げた場合は、調理するのは到着を待ってからにするようにとも書き添えてある。



「……………お母さんがいます」

「わーお、食べ物の心配が多いなぁ」

「やはり忙しい魔物なのだな。……………考えてみれば当然なのだが、アルテアが遅れて来ると聞くと、珍しいなと思ってしまうのはなぜなのだろう……………」



エーダリアにもそう思われてしまうのだから、やはりこの夏はご一緒度合いが高かったのだろう。


秋はゆっくりして欲しいなと思うものの、どうしても傍にいて欲しい日もあるので、その日ばかりはご容赦いただくしかない。



「夏は沢山お世話になってしまったので、やはり、秋には少しゆっくりして欲しいとも思うのですが、クッキー祭りと狐さんの予防接種、そしてディノの誕生日にはこちらに来て欲しいのです。使い魔さんがいてくれなくてはな日ですので、ここは強欲にお願いしてしまいますね!」

「ご主人様……………」

「あら、どうしてディノが落ち込んでしまうのでしょう?」

「クッキーは大丈夫なのかな……………」



強欲過ぎたかなと首を捻ったネアだったが、どうやらディノは、アルテアがクッキーにやられてしまわないかが心配だったようだ。



「しかし、可愛いほこりが楽しみにしているので、後見人のアルテアさんは欠かせない存在ではないでしょうか?確か、白百合の魔物さんはアイザックさんとの相性が悪いので、祝祭周りへの参加は難しいのですよね……………?」

「うん……………。では、アルテアにもゴーグルを作ってあげるかい?」

「では、そうしましょう!いつもクッキーの粉まみれにされてしまうアルテアさんですが、ゴーグルがあれば心強いですよね。夏は沢山お世話になったので、そのお礼にも良さそうです」

「……………そう言えば、予防接種も近かったかぁ……………」

「そしてあなたは、いつになったらアルテア様に本当のことを話すつもりですか?」

「……………っ、ええと、……………言うよ!そろそろ時期を決めなきゃだね………」



ヒルドにその問題を指摘されてしまい、未だに銀狐が塩の魔物であると言う事実をアルテアに明かせずにいるノアは、露骨に視線を彷徨わせた。


無事に蒲公英尻尾も元に戻り、人型の姿に戻れたばかりなのだが、さっと窓の方を見たせいで、一本結びの髪がぴょこんとしてしまっている。



気付かないアルテアもそろそろ凄いのだが、銀狐を可愛がっているからこそ本能的にその可能性を封じてしまい、気付けない部分もあるのだろう。


真実を知ったらとても落ち込んでしまうのは間違いないので、銀狐不信に陥るであろう使い魔を慰安旅行に連れていかねばならないネアとしても、告白の時期は大事なのだった。



「ノア、………アルテアさんに真実を打ち明けても傷が浅そうな時期を選ぶのが一番なのですが、イブメリアの周りは忙しいので、使い魔さんを慰安旅行に連れて行けないのです。そこにかからないように調整して下さいね」

「わーお、そことの兼ね合いもあるのかぁ。だったら、春くらいまで……………」

「ネイ、さすがにそこまで延ばすと、言えないままになりますよ」

「……………でもさ、僕が銀狐だって知っても、アルテアは、こっそりボールを投げてくれるかな……………」

「アルテアが……………」



ここで、思わぬ秘密が暴露されてしまい、ディノは水紺の瞳を瞠って動揺している。

ふるふるしながらこちらを見るが、ネアも初耳だったので、どう受け止めていいのか分からない。


食事の時には、料理を一口サイズに切ってやるなど甲斐甲斐しい様子を見せていたが、あの使い魔は、さもボールなど投げてやっていませんという風を装っていたのだ。



「そう言えば、アルテア様も時々、ボールで遊んでくれておりましたね」

「……………私は知らなかったが、そこまでなのか……………」

「知りませんでした……………。思っていた以上に、狐さんが大切にされてしまっていますが、これは慰安旅行だけで済むのでしょうか……………」

「ネイが、足元に纏わり付いているので、引き剥がす意味合いもあるのでしょう。ですが、ボールを持ち帰られると更に何度か投げてやっていますので、かなり気に入っているのは間違いないかと……………」

「まぁ……………」



(でも、凄く可愛い光景なのだと思う……………)



何となくその光景が浮かぶようで、ネアは、慄かなければいけない状況ながらも、ついついほっこりしてしまった。


仄暗い雰囲気の美貌の魔物が、足元で弾む銀狐のボール投げをしている光景など、可愛い以外の何物でもないではないか。


そうなるともう、是非にこの目で見てみたいと思ってしまう邪悪な人間は、こっそり銀狐をけしかけ、物陰からアルテアと銀狐のボール遊びの様子を見守ってみせると心に誓う。



「…………ふむ。真実が明かされてしまう前に、狐さんとボール遊びをするアルテアさんを、絶対的に鑑賞しなければいけませんね」

「見てしまうのだね…………」

「あら、とても尊い光景ですよ?影からこっそりと見るのに適した位置を、早急に割り出さなければなりません」

「…………うん。僕も最後の思い出に、ボールで遊んで貰おうかな…………」



しょんぼりとしたノアにぎくりとしたネアは、告白後のボール遊び再開について思案してみた。


暫くは再開が難しそうだが、とても狐な感じでぐいぐい行けば、案外押し通せるかもしれない。



「ノア、ウィリアムさんも、今は時々ボールを投げてくれているでしょう?アルテアさんが狐さんの正体を知った後も、頑張ってぐいっと甘えてゆけば、また投げてくれるかもしれませんよ?」

「……………うん。ブラッシングもまたして欲しいな。アルテアだと耳の下の毛を上手に梳かしてくれるんだよね…………」

「……………むぐぅ、すっかり憂鬱になっています」



内容をよく噛み砕けばあんまりなお悩みなのだが、エーダリアは項垂れるノアが不憫になってしまったものか、その背中にそっと手を当てている。


やれやれと苦笑したヒルドも、困ったものだと思いながらも、真剣にそんなことを案じている友人が微笑ましくもあるようだ。



(避けて通ることは出来ない問題だから、しっかり考えなければいけないのだけれど…………)



これ以上議論すると、後にアルテアが合流した際にノアが挙動不審になってしまうかもしれないと判断したネア達は、顔を見合わせて頷き合うと、この話題を切り上げることとした。



今夜はヒルドの誕生日会でもあるのだ。


みんなで、わいわいのんびりと楽しい気分でいたいではないか。




「そう言えば、お庭での食事で大丈夫そうなのですか?」


話題を変えようとそう尋ねたネアに、こちらを見たエーダリアが微笑んで頷いてくれる。


今夜は、森が何やら特別な事になるらしく、外で食事をしようと湖畔で話し合っていたのだ。



「ああ。ノアベルトに周囲を見て貰ったのだが、今夜は湖の見える場所にテーブルを出しても問題なさそうだ。せっかくの森の星返しの夜なのだから、外での晩餐としよう」

「ふふ、ヒルドさんのお誕生日らしくて、とっても素敵ですね。わくわくが止まらない初めての星返しなのですが、何かお食事以外に準備しておいた方がいいものはありますか?」

「それなら、手持ちの森結晶をテーブルに出しておくといいかもしれないな。星返しの夜には、森結晶の中に流星が宿るのだそうだ」

「むむ、では、沢山並べますね!」



森の星返しは、流星雨の数日後に見られる珍しい現象なのだそうだ。



年初めの星祭りの日のように、星が沢山地上に落ちてくる日がある。

そんな日に森に落ちて迷い込んでいた星々を森の生き物達が木の枝に上げてやり、一定数の星が木の枝に集まると、今度は森から夜空に星が流れるらしい。



これは、落ちてきた星を拾う文化がない土地でしか見られないもので、例えば今のウィームだと、人間達だけではなく森の生き物達も星を持ち帰ってしまい、空に返さない事が多いのでここまで大規模な星返しは見られないのだ。



(この森の生き物達は、星を夜空に返してあげるのだわ………)



星返しの直前は、森の木々が星の実をつけたように輝き、それはそれは美しいのだと聞いたネアは、今からその瞬間が楽しみでならなかった。




やがて、夜がふくよかな黒紫色の艶やかさを帯びる頃、指輪の中にある避暑地の湖畔で、晩餐の準備が始まった。



外に出されたのは、くすんだ紫灰色の見事な夜結晶のテーブルで、お揃いの椅子には手触りも素晴らしい青インク色の天鵞絨が張られている。


テーブルは、結晶化された木の肌のように少しだけざらりとさせた質感に趣があり、立派なテーブルがあるのだから是非にこれを使おうとなった物だ。


テーブルを置く地面に敷物のように薄く結界を重ねれば、足元から何かがひょっこり顔を出す危険もなくなる。


魔術が潤沢で美しい場所であればある程、足元に穴を掘って忍び寄る悪いものもいるので、お酒などを飲んでのんびり寛ぎたいのならば、このような備えは必須となる。


勿論、人間でも魔術師を呼んでこのように楽しむ事は出来るが、ここまでの豊かな魔術を育む土地を晩餐の間管理するとなると、そもそもの魔術階位で劣る人間は、管理だけに徹底する要員が必要になってしまう。


見た目では分かり難いものの一つだが、広範囲の足元に気軽に結界を張れるような魔物達がいるからこそ出来る贅沢でもあった。



「……………むふぅ。何ていい匂いなのでしょう。美味しそうなお料理ばかりが、こんなに沢山で目にも幸せな光景ですね」



馨しい夜の香りと美味しい匂いにくんくんして笑顔になったネアに、ディノは目元を染めてなぜかそっと三つ編みを差し出してくる。


これから食事なのであまり引っ張りたくはないが、両手で差し出す恋文方式再びなので、ネアは一度だけ受け取ってきゅっと引っ張ってからリリースさせていただいた。



本日の晩餐はヒルドの誕生日会ということもあり、料理はリーエンベルクからの持ち込みとなった。


これもまた魔術の操作に自由があるからこそ可能なのだが、たっぷりと持ち込まれた料理はほかほかと湯気を立てている。


避暑地と言えばの素朴な料理ではないのが何だか不思議だが、立食形式ではないテーブルについての誕生日会も楽しいではないか。


ご馳走が並んだテーブルには、森水晶の燭台が置かれ、足りない灯りはグラスに入った月光薔薇が補ってくれる。



(この灯りも、なんて綺麗なのかしら…………)



ぼうっと青白く燃える薔薇は、この避暑地に蓄えられていた月光薔薇だ。


良質な月光水晶の保管庫に入れられ、月光をふんだんに浴びる窓際に置かれていた月光薔薇は、こうして外気に触れさせると綺麗な魔術の火を宿すのだった。




「せっかくなのでアルテアさんも間に合うといいのですが、夕方に貰ったメッセージだと、終わりの時間が読めないので先に始めていて欲しいそうです」

「うん。では始めてしまおうか。……………ノア、栓は開いたかい?」

「やっと開けられたよ!思ってたよりも祝福が貯め込まれていたみたいだから、こりゃ美味しいぞ」



そう微笑んだノアが手にしているのは、しゅわしゅわの泡が宝石のようなシュプリの瓶だ。


統一戦争前にシュタルトの湖水葡萄のメゾンで作られた稀少なシュプリで、真夜中に刈り取った麦藁に包んで熟成させることで、シュプリがよく眠り、祝福をいっぱいに貯め込むのだとか。



「祝福が詰め込まれ過ぎると、コルクが結晶化してしまうのですねぇ」

「私は、そこまでのものを見るのは初めてなのだ。ヴェルリアではかつて、そんなシュプリを巡って殺し合いになった王族がいたそうだが…………」

「まぁ、ヴェルリアであれば昔もそこそこに大きな国だったのですよね?商業をしていたので、沢山の珍しいものが入って来ていたとも聞いています。それでもなのですか?」


そう首を傾げたネアに、ノアが結晶コルクのシュプリが流通しなかった訳を教えてくれる。


「大抵の場合は、結晶コルクのものが出来ると、メゾンの上得意である高位の人外者に回されるからね。コルクが結晶化する前の物が人間の手に入ったとしても、結晶化までの管理はなかなか厄介だからね」

「むむ、そうなると人間の管理でコルクが結晶化するまでを保管するのは、難しいかもしれませんね……………」



実はこのシュプリは、ノアが、シカトラームの金庫の中に大事に保管してあったものなのだそうだ。


そうしていつか大事な誰かと飲もうと思って貯め込んでいたものを、リーエンベルクに来てからは何瓶も開けたのだと、ノアは幸せそうに教えてくれる。



「悔恨の魔物が僕に見せたのは、統一戦争前のシュタルトの城で過ごした日々と、その後の、統一戦争が明けた翌朝のリーエンベルク前広場だったんだ」

「ノア…………」

「でもさ、それは悔恨に過ぎなくて、僕は僕のままだったから、大事に揃えた湖水メゾンの葡萄酒やシュプリはみんなで美味しく飲むようになるし、雨の中で一つずつ確認してゆく亡骸の中には、僕の大切な女の子はいないんだって自分に言い聞かせられたんだよね。それに、背中にはエーダリアを背負っていたんだから、正気を失いようもないと思わないかい?」



そんな会話にずきんと胸が痛むが、今が幸せなのだと思えばこれは幸福な話なのだろう。


そんな事迄を話してくれたのは、今夜のノアが、とっておきのシュプリの瓶を開けられて幸せだからに違いない。



コポコポと音を立ててグラスにシュプリが注がれた丁度その時に、ネアの開いたままのカードに、光る文字が揺れた。



「むむ!アルテアさんのお仕事が終わったみたいです。エーダリア様の指輪をお借りしてもいいですか?」

「ああ。乾杯の前に間に合って良かった」

「わーお。抜け目ないなぁ。先に僕達だけで乾杯しちゃう予定だったのに」



ノアはそう言うけれど、そこももう家族なのだろう。


青紫色の瞳には穏やかな苦笑が揺れているし、じゃあ僕が迎えに行ってくるから、乾杯は待っていてねと席を外したくらいなので、選択の魔物と塩の魔物の間には、既に立派な家族の輪めいたものがあるのだと思う。




「……………外で祝うことにしたのか」



ややあって、そう呟きながら現れたのは、どこか暑い国にでもいたのか、麻素材のスリーピース姿のアルテアだ。


爽やかな水色の生地には素材独特のかすれがかかり、渋めの色合いに見えるのが何とも粋である。


装飾などは一切ないのに、白い髪と鮮やかな赤紫色の瞳がその装いに華やかさを加えてしまうのだから、高位の魔物らしい贅沢なお洒落ではないか。


しかし、ネアが注目したのはそんな使い魔の装いではなく、その手にある白い箱であった。



「そ、その白い箱は何ですか?!」

「…………落ち着け。森の星林檎と夜の雫のタルトだ。後で切ってやるから今は我慢しろ。ケーキならあるだろうが」

「どっちもいただけますよ?」

「ほお、腰がなくなってもいいんだな?」

「ぐるる……………ケーキ………」



ネアは抗議に弾まされてしまったものの、タルトは、全ての料理を食べてもまだお腹に余裕があればということにされてしまい、すぐのお目見えにはならなかった。


とは言えまずはお祝いだ。

アルテアのグラスにも麦藁色のシュプリが注がれ、細やかな泡が燭台の蝋燭の炎に煌めく。



「では、例年よりは遅い開始となったが、今年も夏までよく頑張ってくれた。そして、……………ヒルド。……………誕生日おめでとう」

「……………有難うございます」



何か特別な言葉を足そうとしたのだろう。

エーダリアは一瞬迷い、けれどもとてもシンプルなお祝いの言葉で乾杯の音頭を取ってくれた。



(でも、こういうお祝いの方が家族らしくて、ヒルドさんも嬉しいのではないかな)



お祝いは即ち祝福となる。


関係の浅い者達や、魔術的な繋ぎを避ける為にあえて外されることもあるくらい、言葉で成される祝福は鮮やかで重い。


こうして、短い言葉に万感の思いを込める方が、その祝福は澄んだ輝きを帯びるような気がするし、ヒルドの胸には響くだろう。

ヒルドの言葉に現れたのはきっと、そうして揺れた心の形だった。



「ヒルドさん、お誕生日おめでとうございます!」

「……………ネア様、有難うございます。……………不思議なものですね。こうして過ごす時間が、いつからか当たり前のようになってきたように思います」

「もっと当たり前にしていけばいいよ。これからはずっと、家族の僕達が祝うんだからさ」

「……………ネイ」



にっこり笑ってそう告げたノアに、ヒルドは瑠璃色の瞳を揺らした。

エーダリアも微笑んで頷き、ネアが拳を握り締めて頷くと、ディノも慌てたように頷いている。



ああ、なんて安らかな夜だろうと思えば、しゃりんと音を立てて最初の星が空に帰ってゆく。




「まぁ、森が!この全部がヒルドさんのお祝いのようで、何て綺麗なんでしょう……………」



乾杯の為に目を逸らしていたほんの僅かな時間の内に、お城の周りの森の木々は、光る花を満開に咲かせたようになっていた。



柔らかな夜の風にざわりと揺れると、光の波間が揺らぐようなえも言われぬ美しいさざめきがずっと遠くまで広がる。


そして、そんな森の木々から、輝く星が、一つ、また一つと空に帰ってゆくのだ。




「わーお、こりゃ見事だなぁ」

「私も、ここまでのものは初めて見る……………」

「……………私もですよ。長らく森の中にある国に住んでいましたが、妖精の領地として魔術隔離されていましたので、城の近くにはここまで星が落ちませんでしたから」

「ふふ、ヒルドさんも初めてだなんて、素敵なお祝いの夜になりそうで良かったです!」




ここでふと、どこか遠くから囁くような歌声が聞こえてきた。


はっとして耳を澄ましたネアは、ウィームの星祭りの日に皆が歌うような旋律だと、目を丸くする。

隣に座ったディノの方を見ると、星の歌だよと教えてくれた。



星々の歌声を聴くことは大きな祝福になるらしく、森の星返しでその歌声を聴いた場合、得られる祝福は帰路の祝福になる。



「……………つまり、この歌声を聴いた私達は、いつだって安心してリーエンベルクのお家に帰れるのですね?」

「うん。そうかもしれないね」

「……………む。アルテアさんについては、うっかりリーエンベルクに帰着してしまった場合は、そこからご自身でウィームにあるお家に戻って下さいね」

「俺がそういう帰り方をする時は、お前が事故った時だろうな」

「…………裁縫部屋…」

「やめろ。………それと、お前の皿の上がおかしなことになってるぞ」

「あら、美味しいお料理を一品ずつ取り分けただけですので、どこにもおかしなことはないのです」



本日の料理は、エーダリアも大好きな夏茜のスープが並んでいたりもするのだが、これは、ヒルドの誕生日である夏至祭の夜に飲まれることの多い夏茜のスープを用意した料理人の粋な計らいである。


夏野菜のゼリー寄せに、詰め物をして表面をかりりと焼いた丸鶏や、新しい香草の組み合わせが至高の味わいを生み出したローストビーフなど、エーダリアやネアの大好きなメニューもあるのは、家族でのお祝いだからという心遣いだろう。



上にたっぷりアルバンの新鮮なチーズを乗せて焼くフェンネルと鮭のジャガイモミルフィーユは、ほくほくといただけるものの、重たくならない絶品の味わいだ。


林檎のバターソースをかけた白身魚の料理は、夏至祭を意識したのかもしれないし、ヒルドの好きな一品なのかもしれない。

ソースに甘みが入るので、魚そのものには塩と胡椒が効いていて、しっかりとバランスの取れた味わいが堪らなく美味しい。


マスタードを使ったドレッシングのサラダには羊のチーズも入っていて、食べられる花びらやトマトなどと合わせての彩りも鮮やかだった。


そこに、リーエンベルクの美味しいパンが添えられ、更には、とびきりの美味しさのシュプリが喉を潤す。


きらきらと光る森からはしゃりんしゃりんと、夜空に星が流れてゆき、例えようもないほどに贅沢な晩餐となった。




「このケーキは、ネア様が作って下さったのですか?」

「はい!ただ、今回は初めてのレシピなので、スポンジの焼き方と美味しいムースの重ね方については、リーエンベルクの料理人さんに教えていただきながら作ってみました。ホワイトチョコレートと夜苺のムースで、生地には少しお酒の風味があります。上に乗せたクリームのお花は、夜苺クリームなのでちょっぴりヒルドさんの瞳の色を意識しているんですよ」



前回の反省を生かし、今回のクリームの花は小さな薔薇を一周ぐるりと配置した。

カットしたケーキの全てに、クリームの花が行き渡るようにしたのだ。


また、今回は軽やかなクリームケーキではなく、しっかりめのスポンジとムースの美味しいケーキなので、クリームの分量も調節してある。



「……………おや、これは妖精の酒を使ってあるのですね。とても美味しいですよ」

「はい。妖精さんのお祝いケーキの作り方を教えて貰い、それをウィーム風にしてみたんです。気に入っていただけたようで良かったです!」

「わーお、こりゃ美味しいや。このスポンジの感じは初めて食べるなぁ…………」



今回のケーキのポイントは、少し硬めでお酒の風味の豊かなスポンジなのだが、夜苺のムースに酸味が効いていて、全体的に重たくならないようにしている。


けれども、ホワイトチョコレートのムースを薄く挟むことで夜苺の酸味とスポンジを繋ぐ甘さと風味を足しているというのが、ウィーム風な一手間の美味しさなのだった。



アルテアはじっくり味わうようにケーキを食べた後、密かにはらはらしていたネアに凝視されてしまい、澄ました顔で美味しかったと言ってくれた。


妖精のケーキをアレンジしたものを初めて食べたそうで、他のお菓子への転用なども含め考えながら食べていたらしい。



「この食感は悪くないな」

「このような妖精のケーキは、シーから、階位の低い妖精達にも振る舞い持ち帰らせることを前提としているので、少し硬めのスポンジなんですよ。柔らかいケーキだと、持ち帰るまでに崩れてしまいますからね」

「まぁ、それでなのですね。妖精さんには焼き菓子の方が一般的なものの、シーの方々のお城のお祝いでは、このようなケーキがあると教えて貰ったのですが、理由までは伺っていませんでした」



ケーキが好評だったのでネアはますますご機嫌になり、森からは沢山の星が夜空に流れ戻ってゆく。

星の光で明るい夜なのだが、それは夜の美しさを損なうような無粋な明るさではなくて、ネアはまた、星の光を映したシュプリを飲んだ。



そしてここで、満を持して誕生日の贈り物を渡す瞬間がやってきた。


予め預けておいた贈り物の箱をエーダリアがそろりと取り出すのを確認し、ネアはむずむずする心に小さく足踏みする。


ちらりとこちらを見て頷いたエーダリアに、ネアは、折角の場面ではぁはぁしないように口をぎゅむっと閉じた。



「これは、皆からの贈り物だ。ぎ、…………ノアベルトがな、お前のブーツの守護を調べたところ少し薄いと言うので、今年はこのような贈り物にした」

「……………おや、」



エーダリアからヒルドに渡されたのは、大きな保存用の木箱だ。


テーブルが大きいので、空いているスペースに乗せて広げるようにすると、中から美しいオリーブグリーンの布袋に入ったブーツが出て来る。


勿論ネアもこの贈り物に参加しているので、ヒルドがそのブーツを取り出し、自慢の贈り物を手にしたヒルドの眼差しが優しく煌めく様子を見守った。



今年のヒルドの誕生日にネア達が用意したのは、見事な編み上げのブーツだった。



こっくりとした瑠璃紺色の革はしっとりと肌に負担をかけない柔らかさで、外側の傷付きやすい部分は巧みに流動結晶化されている。

それも、内側の足を締め付けないように、固定されている時により硬く結晶化するというかなり高度な魔術祝福なのだ。


「使われているのは夜影竜の革で、私が、ディノに手伝って貰い、竜を狩ってきました!」


しかし、誇らしげにそう告げたネアに、ヒルドとアルテアが同じ顔をしてこちらを見るではないか。


「……………ネア様が、竜を?」

「はい!アクス商会でも革の在庫をお聞きしたのですが、夜影竜さんは予約待ちくらいのものなのだとか。であればお山に行けば狩れますので、仕留めて来た方が早いかなと思いまして」

「……………おい、まさか新月の夜に行ったんじゃないだろうな?」

「む。当然、より大物が現れる新月に狩りにゆき、後はもうきりんさんで滅ぼすばかりでしたよ?」

「夜影竜が何を食うのかは、勿論知った上で行ったんだろうな?」

「ふむ。人間を食べる悪い奴なので、罪悪感もなく狩れました。月光草の夜光インクで描いた光るきりんさん札でぱたりとなる、儚い生き物でしたよ?」



渡されたブーツをそっと指先で撫で、ヒルドは唇の端をゆっくりと持ち上げた。



「………それとこの靴底の魔術は、ネイですか?」

「うん。革の加工と祝福の蓄積はエーダリアがやって、靴紐はダリルが死の舞踏を紡いだんだ。君は有事の時には前線に出るからさ、幾つかの祝福は無茶な詰め込み方をしているんだけど、シルが最後に全ての魔術の辻褄が合うように調整して、みんなで作ったブーツだよ」

「……………ダリルまで。…………素晴らしい贈り物ですね。こうして生涯の宝が増えてゆく喜びを、どう言葉にすればいいのか分かりませんが、………このブーツを贈られたことを誇りに思います」



静かな言葉でそう呟き、顔を上げたヒルドは艶やかに微笑んだ。

その微笑みの美しさに、ネアは思わず息を飲んでしまう。



エーダリアは嬉しそうに鳶色の瞳を揺らしているし、満足気に微笑んだノアも銀狐だったら尻尾がぶんぶん振られていたことだろう。

隣の魔物を見れば、贈り物に参加したディノも嬉しそうに、けれどもまだその喜びの輪に慣れないように、少しだけもじもじしている。


「そしてこれは、今日の思い出の贈り物なおまけです。この湖で拾った流星の祝福石なのですが、願い事を込められると知って、みんなでヒルドさんが喜んでくれるように、願い事を込めました」



立ち上がったネアが差し出したのは、先程拾ったばかりの祝福石だ。


綺麗な小箱に入れてはあるものの、きちんと包装された贈り物とは違い、拾ってきました感は否めない。

でも、ヒルドに隠れてこっそりみんなで願いを込めた、特別な贈り物なのだ。



もう一つの贈り物である祝福石を受け取ったヒルドは、目を瞠って美しい羽を少しだけ広げた。



「ネアが、この白銀の祝福石を見付けて来たんだよ。みんなで、ヒルドが大切なものを一つもなくさないようにって、願いを込めてあるからね。因みに、これについてはアルテアも、さっきテーブルの下でこっそり、僕達が託した願いが祝福石に根付いたかどうか見てくれたんだ」



そう説明してくれたノアを見返し、ヒルドが無言で頷く。

さあっと星返しの森のように淡く光った羽に、ネアは何だか胸がいっぱいになってしまった。



「……………この祝福石は、決して無くさないようにしなければですね。こうして新しく得た家族を、もう二度と失う訳にはいきませんから」



(ヒルドさんが……………)



ヒルドが、こんな風に言ってくれることがどれだけ嬉しいか、エーダリアやノアは勿論分かってくれるだろう。



嬉しくなって椅子の上でネアが弾んだ時、エーダリアとノアが同時にはっと息を飲んだ。



「…………む、どうしたのですか?」

「…………いや、気のせいだろう。………一瞬、城の窓に大きな影が落ちたような気がしたのだが、ひときわ大きな星が空に返されたところだったからな」

「うん。…………大きな本の影なんて、見えなかったと思うよ」



あまりにも具体的な描写に、ネアは半眼になった。


「…………それはもう、確実に何かがいたという事ではありませんか」

「…………躾け絵本の題名も見えなかった」

「…………まさか、あの本がまた抜け出しているのでしょうか?昨年の時にきっちり封印しましたし、その後にダリルさんが訪れた時にも、被害は出ていないのですよね?」

「おい、お前はまた何かしたんじゃないだろうな……………」

「お部屋に荷物を置いてきただけなのに、なぜ疑われなくてはならないのだ。たいへん遺憾に思います」



折しも、最後の星が森から夜空に返され、避暑地の城の前にある湖の畔は、先程の星の明るさが嘘のように、静かな夜が戻ってきていた。


とは言え魔術の豊かな森は真っ暗ではないし、きらきらと瞬く星を映した湖にも夜の光が煌めいているが、なぜだか急に辺りが暗くなったような気がする。



(でも、躾け絵本ならそこまで怖いものではないと思うから、今はまだのんびりしようかな………………)



そう思ったのはネアだけではなかったのか、単に現実逃避しただけなのか、ネア達はその後も暫くはシュプリや蒸留酒などを楽しみながら、穏やかな夜の中でのんびりとお喋りを続けた。



問題は、屋内に戻る際に、誰が一番先に扉を開けるかだ。















明日、9月1日の更新はお休みとなります。

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