73. 怪物の夜は部屋で過ごします(本編)
ネア達はその後、大混乱のヴェルリア区画を抜けて魔術の道を使って湖に面した街から脱出すると、ウィーム側の区画に戻った。
王冠が湖にあったのでガーウィンの区画に行く必要はなくなったが、地上に出れば辺りはすっかり夜である。
ネア達は、崩れる地下神殿を脱出し一目散にヴェルリア区画を抜けたので確認していなかったが、街のあちこちで興奮した住人達が話している内容を聞いていれば、地下にあった神殿が崩壊した結果、湖の底が落ちるような形でその周辺には地割れなどの被害が出ているようだ。
だが、湖面が下がって今は湖の水が多少濁っているくらいのようで、住人達に大きな被害は出ていないと聞けば、ネアは少しだけほっとする。
ダーダムウェルの物語もそうであったが、物語のあわいの住人達は、普通の人間と変わらないように見えるので、やがて消えてしまうものだからとその不幸を受け流すのが難しいこともある。
ネアは善良な人間ではないので仲間の安全より優先は出来ないが、出来るだけ損なわない形でこの物語を終えたかった。
「そう言えば、ウィリアムさんがこの物語に呼ばれた表記はどのあたりなのでしょう?」
持ち上げ運びからは解放して貰い、そう尋ねたネアにウィリアムがこちらを見る。
おやっと眉を上げて優しく微笑む姿は優しいお兄さんのようだが、地面をぱかっとやってしまったたいへん危険な魔物でもあるのだ。
今も魔術の道を歩いているのでまだ擬態しておらず、ひらりと揺れる白いケープが軍服姿を際立てる。
「物語の主人公が傷付けられ、その結果、国土が両断される時だな。…………地の底から怪物達を引き連れて現れる、終焉と死を齎す災厄。それを鎮められるのは彼女だけだった、というあたりか」
「……………確かにちょっぴり割ってしまっています…………」
「うーん、言われてみればそうだな。………この物語のあわいの主人公をネアに置き換えると、意外に一致する表記が多い」
そこで振り返ったのはノアで、顎先に手を当てて考え込むように唸っている。
ネアは、ウィリアムやアルテアの捕獲の手を度々掻い潜り、ネアの腕の中でむにゃんと寛いでいるジルクのお腹を撫で、ごろごろする山猫に、初めて猫をごろごろさせた体験をしているところだった。
(…………これが、ごろごろ!今迄、巡り合わせが悪くて実現出来なかった、本物のごろごろ!)
勿論ネアにも、これまでの人生において撫で回してきた野良猫達は何匹もいたのだが、その猫は残念ながらごろごろしない系の猫ばかりだったのだ。
アルテアな白けものも、尻尾の付け根こしこしではふにゃんとなるが、ごろごろはしてくれない。
因みに、せっかくのにゃんこなので、今日はお疲れのエーダリアやノアにも撫でさせてあげようとしたのだが、断られてしまった。
ジルク本人は、誰に愛でられても構わないのか、撫でてくれるのなら撫でてくれ給えと落ち着いている。
「…………これは仮説だけれど、もしかすると、序章であわいに下りた事で、物語の運命線がネアに集まってきている可能性もあるのかもね。夏夜の宴の規定では端役だけれど、物語のあわいとしてはネアを主人公に据えようとしているとか」
「…………むぐ。あの主人公にはなりたくありません。王子様といい感じになって私もあなたが好きかもしれないと言った日の夜にはもう、私が彼を求めた訳ではないのに、みんなが私を妬んで嫌がらせをすると荒ぶるのです………」
あまり感情移入出来ない人物ぶりに、ネアは物語の粗筋を教えて貰った時には渋面になってしまった。
特に、ちょっとした事ですぐに落ち込んで食事に手をつけずに捨ててしまうのが断固として許せないので、苦手な主人公役を拝するとなるのは出来れば避けたい。
「………女の子達ってさ、そういう立場に置かれるのも案外好きなのかなと思うけれど、意思表示がふらふらする子は、僕は苦手かなぁ………」
「むぅ。王子様のような面倒……社会的な地位のある方と恋を楽しむのなら、苛烈な嫌がらせや、ある程度の嫉妬、陰謀に巻き込まれて暗殺されかけるくらいは当然あるのでは…………」
「え、そっち?!それと、何でそんな物騒な前提が常識なの?!」
「あら、王子様系を尊ぶ展開では、大抵そうなるのですよ。………そして私は、自分を捨てた魔物を、何としても破滅させてやろうぞと世界を呪い、けれども幸せになる機会があれば、さっさとそちらで幸せになるお姫様が出てくる本が好きなのかもしれません」
「え、やめて。それ、僕の事書いたあの本だよね?!」
「………むぐ。ノアの事は大好きですが、娯楽はまた別となりますので…………」
「エーダリア、ネアが虐めるんだけど。…………って、何でエーダリアも目を逸らしたの?!」
ネアが買い揃えた塩の魔物の転落物語は、エーダリアも読んでいるので、その後ろめたさが動揺となって顔に出てしまったようだ。
ノアが実際にそのような目に遭うようであれば断固として守り抜いてみせるが、塩の魔物の転落物語については、これは物語で実在の魔物への魔術証跡を繋げるものではありませんという注意書きが必ず最初にあるので、安心して読めるようになっている。
となると、抱腹絶倒の展開に夢中になり、繰り返し頁をめくってしまうのだった。
「ターレンの魔術師についても、その条件を満たしている部分はあったが、どちらにせよそいつはもういないからな。後はもう、残された時間で物語を収束させていくだけだろう」
「…………むぐ。つまり、今夜は怪物さんが出てくるからですか?」
「ノアベルトとも相談したのだが、怪物については接触せずに避けようと思うのだ」
エーダリアにそう言われ、ネアは、こてんと首を傾げた。
少々地面が割れてきているので、一度ホテルに帰って休むにせよ、またすぐに財宝を探しに向かうのだと思っていたのだ。
だが、アルテアもそうするべきだと頷くではないか。
「怪物については、生きとし生ける全ての者達が建物の中に隠れ、夜が明けて怪物が消える迄はやり過ごすしかなかったと書かれている。ここまで明確な表記だと、物語で補正されるのは間違いない。その方法で回避するしかないだろうな」
「……………むぅ。仕方がありません。怪物が出てくる事がおおよそ確定しているであろう今夜は、お部屋でゆっくりザハのお食事をいただき、明日の朝食では、黒パンのサンドイッチを注文しますね」
「……………おい、食い気しかないぞ」
こちらでの疫病祭りである祝祭が終わったばかりで、歩道にはふんだんに花びらが振り撒かれている。
物語の中とは言え、夜のウィームは美しかった。
歩道沿いの花壇に薔薇と百合が多過ぎるのは変わらないが、それでもヴェルリア側の街並みを見て来た後だとほっとする。
相変わらず建物の余白や道幅は狭めではあるものの、許容範囲の内といったところだろうか。
「…………不思議なのですが、ヴェルリア側の街並みはあんな感じでしたのに、ウィームの街は、とても美しく再現されているのですね」
「ウィームを舞台とした物語だけあって、この土地にはそれなりに執着があるんだろうね。ヴェルリアよりは、街をしっかり覚えていて書いたって感じかな……………」
ノアの言葉に頷いたエーダリアは、今日は魔物な乗り物への乗車時間が長かったせいか、ノアと目が合うと少しだけ足元がおぼつかなくなるようだ。
ネアとは違い成人した男性であるので、お姫様抱っこで運ばれてしまうと恥ずかしさもそれなりなのだろう。
ネア達は隣り合わせの区画での騒ぎを受け不安の声が交わされる街を抜けてザハに戻ると、正直に宿泊人数が増えた旨を伝え、他にも部屋を取れるかどうかを尋ねた。
ネアの感覚だと出費が気になってしまうが、このような時につまらない事で足を掬われないように、宿泊代金を出し惜しむような事はしないのだ。
「残念ながら、湖の事故の影響で、全てのお部屋が満室になっておりまして。もし宜しければ、浴室などはございませんが、寝室の数だけを併設空間で増やすことも出来ますが、如何いたしましょう?」
「ではそうしてくれるかい?……………ああ、追加の宿泊費はここで払うよ。暫くしたら、部屋から食事の注文をすると思うから、そちらは最後の清算に乗せておいて欲しい」
「かしこまりました。では、追加のお部屋代をこの場で計算させていただきますね。同じ日までのご宿泊で宜しかったでしょうか?」
「うん。……………あれ。騎士達が来ているみたいだけれど、湖の方での事故のことかい?」
「いえ、その前に湖畔域で起きた祟りものの顕現で、土地の魔術基盤にひび割れが生じているようですね。隙間からあわいが覗いているようですので、年の瀬のようにあわいから怪物が這い出す可能性もあるのだとか。外出禁止令が出るかもしれませんから、お早いお帰りで良かったかもしれません」
ノアはそこで、外出禁止令が出ると帰さなくてはいけない従業員がいるだろうからと、ルームサービスを早めに済ませた方がいいのかを聞いてくれ、状況に応じては注文はあと半刻程で締め切られる可能性もあるが、その場合は各部屋に連絡をすると教えて貰った。
ザハのホテルマンの対応が慎重な程に丁重なのは、擬態をしたウィリアムやアルテアも含め、こちらがどう考えても高位の人外者の一団だからだろう。
ノアが支払いを済ませて併設空間の鍵を受け取ると、ネア達はぞろぞろと部屋に向かった。
ジルクは猫の姿のままネアの腕の中で眠っていたので、もしかすると寝台は用意されていないかもしれない。
その場合は、猫の姿のまま同じ寝台で眠ればいいかなと思ったネアは、狡猾に策を巡らせ特に触れずにおいた。
しかし、ネアの使い魔はその辺りの確認を怠るような事はなかった。
「いいか、絶対に寝台にその山猫を入れるなよ?」
「…………そ、そんなやぼうはもっておりませんでした………」
「嘘をつけ。それなら何で手が震えてるんだ」
「きのせいなのです…………ねこさんをおかおのよこにせっちし、もふもふしながらねようなどとは思っていません!」
「ネア、それはジルクだからな。絶対に駄目だぞ?」
「……………ふぁい」
野望を暴かれ落胆したネアが、であればジルクの寝床は長椅子かなと考えていると、コンコンと部屋の扉のノッカーが鳴った。
追加のタオルや水差しなどを届けに来た従業員から、あと一時間で外出禁止令が発令される事が決まったと教えて貰い、屋内での過ごし方の注意などを伝えられる。
どうやら、従業員達は手分けをして各部屋を回り、宿泊客の不在確認も同時に行っているようだ。
正面玄関を閉じるにせよ、外出中の宿泊客がいると判断が難しくなるので、今の内に調べておくのだろう。
「ホテル内の通路迄なら出て良くて、階段付近は封鎖されてしまうのはなぜでしょう?」
「階の移動を推奨しないのは、階段は場になりやすいからだろうな。そのくらい慎重な方が犠牲を出し難い。お前は、絶対に部屋から出るなよ?物語の運命線が主人公として集まるならまだしも、本来の端役のままだと、何かと危うい」
「……………もし、まだ他にも魔術師さんが残っていたら、その方が、私を道具として捕まえてしまう可能性があるからなのですよね?」
「ああ。その場合は、お前との契約のある俺や、今ならジルクもそちらに取り込まれる。……………シルハーンが懸念していたのはそこだ」
今回の夏夜の宴において、最も危ういのはこのネアの立場であった。
ジルクも話していた通り、他者からの支配を退けられる魔術階位にないネアは、うっかり他の参加者に捕まると、奴隷や道具として所有されかねない。
これまでに発見された魔術師には、幸いにそのような者はいなかったが、心を縛る魔術を得意とする魔術師や、侵食を得意とする高位の妖精を連れた魔術師がいた場合、操られたネアがアルテアを使役してエーダリア達を襲うという、悲惨な展開もあり得たのだ。
(その最悪の事態を避ける為に、ディノは、敢えて私にアルテアさん達がこちらに駆け付けられる状態にあった事を言わなかった……………)
それはディノが、ネアならば避けようのない危険に見舞われた場合には、知り合いの人外者の名前を片っ端から呼ぶだろうと信じて託してくれた部分なのだが、今回は毒薬で思考を鈍らされてしまい若干裏目に出かけてしまった。
(その場所の魔術に対して、どのような形で優位になるか分からないので、一人でどこかに連れ去られたなら、ありったけの知り合いの名前を呼んで構わないと聞いていたのに…………)
そこには、グレアムやギードは勿論、ダナエやバーレン、ヨシュアやアレクシス、はたまたイーザやベージにリドワーン、場合によっては完全に味方とは言えないにしても、交渉の余地のある既存の人物までが含まれている。
今回、ウィリアムが思いがけずすんなりとこちらに入れたように、魔術の道筋はどこで繋がっているか分からないのだ。
(でも、ぎりぎりまで呼べなかった。…………アルテアさん達の事を伝えられていなかったから助けを求められなかったのだとディノが落ち込んでしまわないように、帰ったらこの辺りもきちんと話をしておかなければだわ…………)
そして、結果として無事に助けが間に合い今はこうして一緒にいて貰えるからこそ、今度は、アルテアとウィリアムが物語の中に入った事で考えられる危険をしっかりと避けていかなければならない。
こんなところでも、知るという事は知られるという事なのだと、魔術の扱いがどれだけ危ういものなのかを思い知らされる。
「……………そう考えると、最初に捕まったアスファ王子が私をぽいしてくれたのは、幸運だったとしか言いようがありません…………」
「うん。もしもって考えてみると凄くぞっとするんだけれど、悔恨の魔物とネアの組み合わせで使われたら、かなり危うい手札だったね。悔恨の幻惑で背景を作って、その中からネアに請われたなら、アルテアは飛び込みそうだからさ……………」
「…………どうだかな」
アルテアはそう言ったが、恐らくその可能性はあったのだ。
可動域の低さがこんな危険に繋がるのだと知ったネアが責任の重さに項垂れていると、ぼさりと頭の上に手のひらが載せられる。
「むが!首が縮んでしまうのでやめるのだ!」
「兎に角お前は、必ず誰かと一緒にいるんだな。それさえ守られていれば、後は俺達で何とかする」
「危ないので、一時的に使い魔さんの契約を破棄しておいたりは…」
「破棄は出来ないと、俺は話した筈だぞ。それに、何かがあったとしても俺の意識までが縛られる事はない。シルハーンがウィリアムと俺を同時にこちらに入れたのは、その為でもある」
スリーピースの上着を脱いでジレ姿になったアルテアにそう言われ、ネアはこくりと頷いた。
やはりその辺りはもう魔物達の方が理解が深いので、ネアが自分の考えでどうこうするよりも、言われた事をきちんと守る方に徹しよう。
そしてここで、頼んでいた食事が届き、夏夜の宴の中での不思議な晩餐が始まった。
「むふぅ。この肉詰めは香草の香りがして美味しいでふ!…………そう言えば、寝台の数が足りないようなのですが、ジルクさんには立派な長椅子がありますからね」
「それは構わないけれど、また手ずからあのクッキーを食べさせてはくれないのかな?」
「…………とても懐いてきました。自ら捕まりにきてしまいます」
「ネア、もし離反するようなら俺が対処すればいいだけだ。これ以上魔術の繋ぎを深める必要はないからな」
「個人的な感情を優先させて、お嬢さんを危険に晒さない方がいいんじゃないかな。俺は役名があってある程度の魔術の繋ぎもある。例えば、お嬢さんが他の魔術師に召喚された時に、そちらの支配が未熟な内であれば、俺を起点にしてこちらに呼び戻せるよね?」
そう言ってのけたジルクに、ウィリアムとアルテアは渋面になる。
ジルクは、先程までもふもふだったにゃんこ足でメニュー表を指して注文した、鴨肉のローストのセットを優雅な仕草で口に運び、ふっと微笑んだ。
「…………それに、俺が気に入った以上は、俺との縁は残しておいた方がいいかもしれないよ。君が何かと事件に巻き込まれ易い人間ならば、俺達の商会の情報網はその助けになる。…………例えば、一人になった時に商会の者達に遭遇した場合、このジルクのお気に入りだと言えれば、何かと便利だろう?」
「…………むぐ。事故…………」
「ほお、その場合お前は、何を利益としてこいつを繋ぐつもりだ?言っておくが、こいつには魔物の伴侶がいる。それがどれだけ狭量なものかは、お前も知っている筈だが?」
アルテアにそう言われ、ジルクは鮮やかな緑の瞳を眇めてにいっと笑う。
猫姿を見てしまったからか、そうすると悪巧みする猫のように見えてしまい、ネアは、そんな余裕を猫じゃらしでくしゃくしゃにしてしまいたくなった。
「俺の取り分は、時々こちらにお嬢さんが、狩りの獲物を卸すこと。それと、どこかで俺の手を借りるべきだと判断した場合は、俺に恩を売る機会を与えること」
「………………うーん、それくらいならいいのかなぁ」
「ノアベルト…………!」
「そう言うけれどさ、ウィリアム。今回の僕のように、誰がどこで役立たずになるのかは分からないんだ。ジルクの言うように、可能性を潰しておく必要はないよ」
「ノアは役立たずではありません!」
「わ、ネア、落ち着いて!うん、もう大丈夫だよ。元気になったから…………!」
ここで、もぐもぐと鴨肉を咀嚼していたジルクが、小さく首を傾げた。
「ところで、ずっと気になっていたんだけれど、…………アルテアはお嬢さんの使い魔、それも終身雇用なんだね?」
「……………お前には関係ないことだろ」
「関係なら、あるんじゃないかな。ある程度の自由が保証されるなら、使い魔をやってみるのも悪くないかもしれない。長く生きていても、自分一人では知れる事に限度がある。思っていたよりも悪くなかったから、こちら側を知ってみるのも悪くないと思ってね」
「こいつとの契約は、俺のもので上限一杯だ。お前が入り込む余地はない」
「けれど今は、こうして繋がっている。………ねぇ、お嬢さん。俺がまた山猫の姿になるのなら、欲してくれるかな?」
「にゃんこ………………」
「そんなにこいつに仕えたければ、まずは会の方を通せ。何番目になるのかは分からないが、あの連中を納得させるのが先だろう」
「…………ん?会?」
「下僕志願者達が群れている会があるからな。ニエークもいる」
「ニエークが?!」
「か、かいなどありません!!!」
結局、ノアの取りなしもあり、ジルクとは時折獲物を売りに行く程度の関係は残す事となった。
山猫商会やその母体である砂猫商会などが保有する商品は、基本的には彼等だけにしか接触出来ない知識をふんだんに有している。
また、山猫商会が夏夜の宴には必ず参加しているという事も大きかったようだ。
(……………リーエンベルクの騎士さん達にも、魔術師としての側面がある。もしその繋がりで私がまた夏夜の宴に落ちてしまった場合は、山猫商会を頼ればいいのだわ…………)
死者の国には仲良しになった墓犬がいるし、妖精の国には霧雨の妖精達がいる。
海には、顔見知りになった海竜がいて、その後は一度も会ってないがゾーイともかつては共に戦った。
カルウィにすら、一応は一年に一度は香草茶を送ってきて在庫を増やしてくる水竜もいるのだ。
確かに、ノアの言うように、そうして結ばれている細い糸を切る必要はないのかもしれない。
(あ、………………)
ここでネアは、ジルクに聞きたかった事を思い出した。
「ジルクさん、……………その、アルビクロムでのあのとても個性的な演目のある劇場が、お気に入りなのですよね?」
ネアがそう尋ねた途端、ウィリアムが咳き込んでしまい、ネアは慌ててその背中をさすってやる。
訝しげな目をしたエーダリアが首を傾げると、ノアが慌てて言葉を選んで説明していた。
「ああ。アルビクロムに立ち寄る際には、必ずと言っていい程に足を運ぶね。一緒に行きたいのかな?」
「……………それはきっぱりお断りしますが、もし、そちらの業界の方ならば、グレーティアさんと言う方をご存知かなと思いまして」
ネアの質問に、ジルクは目を丸くした。
無防備な驚きの表情に、ネアも目を瞠る。
「知っているとも。彼は古い友人だからね」
「………………まぁ。師匠のお友達でした!」
「…………師事してたんじゃないか」
「…………っ、そ、それは、少々事情があり、教えを請うたことがあるという程度なのです!何となくですが、師匠と色々な話をしていた時に聞いていたご友人達の中に、ジルクさんが含まれているような気がしたのですが、聞いておいて良かったです」
ここでネアは、グレーティアが事件に巻き込まれあわいの奥深くに迷い込んでしまい、今は、義父や良い感じに懐いた貪食の魔物と旅をしている事を伝えてみた。
前々から使命としていたのだが、もしどこかでグレーティアの知り合いに出会ったなら、今は不在にしているが必ず戻るからと伝えてゆこうと思っていたのだ。
「ウェルバと、ムガルだね。先週会って、時計の森の宿屋で一緒に食事をしたよ」
「なぬ。師匠達はお元気そうでしたか?はぐれてしまってから、一度もお会い出来ていないんです…………」
「元気なのは間違いないかな。ムガルからは、度々グレーティアには近付くなと言われるけれど、何しろこちらは昔馴染みだからね。あいつからも、訳あってあわいの階層を下から順に旅しているが、家に帰れない事を除けばかなり幸せだと話していた。心配には及ばないだろうね」
「………………たびたび?」
「この通り、山猫商会はあわいにもよく顔を出す。何度か商会の者が行き合って、グレーティアの家人への手紙を預かったりもしているよ」
「まぁ!テイラムさんへのお手紙を届けてくれていたのは、ジルクさんの商会の方だったのですね………」
思いがけない情報にネアは驚いてしまったが、普通に考えればこのような商会という組織だからこそ、その役目は相応しいものなのだろう。
図らずも、山猫商会との繋がりは情報を得る為にも有用であると判明してしまい、アルテア達は若干遠い目をしている。
エーダリアについては、元々山猫商会とウィームとの取り決めがあるので、以前の会談の時の事など、ぽつぽつと話をしていたようだ。
「……………っ?!」
その時、窓に何かがぶつかるばしんという音が響き、ネアは小さく飛び上がった。
いつの間にかお皿の上が空っぽになっているので、食事をしていた時間を考えれば、そろそろ怪物達が現れる時刻なのだろう。
怪物達は夜明けの光に触れると消えてしまう設定なので、明日は早起きして、王冠を手にしているからこそ得られる財宝を手に入れにゆく予定だ。
そこでネア達は、今夜は早めに入浴などを済ませてしまい、就寝する事になった。
(………………よく考えてみれば、今日は、色々な事があったんだ)
就寝準備をしなければと思うと、どっと疲労感が押し寄せてきて、ネアは、ふしゅると息を吐いてしまう。
けれども、魔術的な洗浄は済んでいると聞いていても、水櫃に入れられた以上は絶対に入浴はしておきたい。
「エーダリア様、ウィリアムさんとアルテアさんは入浴はいいそうなので、きっと一番時間がかかる私が、最後に浴室を使いますね」
「私は、ノアベルトと明日の話をもう少し詰めておきたいので、お前が先に使ってくれ」
「むむ、エーダリア様にも早めに休んで欲しいのですが、であれば、折角なのでしゃっと入って来ます!ジルクさん、先に入りますか?」
「…………………もう入りたくない。絶対に嫌だ」
「………………むぅ、脱走しました。では、……………アルテアさん?」
「ほら、行くぞ」
「…………なぜ、一緒に入る体なのでしょう?」
「俺は、一人になるなと言わなかったか?」
「…………………むぎゅわ」
ネアは、たいへんな一日の締め括りに、ゆっくりお風呂に入る事も出来ない無念さにじたばたしたが、さすがにここで我が儘を言ってまた事故るような事だけは避けなければいけなかった。
しかし、さも自分が入浴させるといった様子のアルテアに対して、ウィリアムとノアから物言いがついたので、魔物達は誰が付き添いになるのかを手早くカードで決める事になった。
結果として、浴室着でウィリアムと二人で入浴する事になったネアはとても緊張したので、髪の毛は洗ってやると言う使い魔の申し出を有り難く受けさせて貰って時間を短縮し、洗髪して貰いながらあまりの気持ち良さにぐぅと寝てしまうという恥ずかしい思いをした。
ノアから、洗われると寝ちゃうよねと理解の言葉をいただいているとエーダリアが怪訝そうにしていたので、エーダリアなちび狐は、一度狐温泉を堪能してみれば良いと思う。




