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66. いきなりの展開です(本編)





その日のネアの行事は、たいそう盛り沢山であった。




危険を避ける為にと、夏夜の宴を利用して、ウィームに出回っていた物語本を物語のあわいにしてしまい、その序章とも言うべき万象の魔物とその歌乞いの物語の部分を終えたばかりだったのだ。



作家の魔術を警戒してのことであったが、ディノと出会ったばかりの頃の出来事をもう一度辿るような数日間を物語のあわいの中で過ごし、すっかりやり終えた感満載で目を覚ましたのは、美しい夜の砂漠だったというのが先程までの経緯である。


ぐったりと疲れる長い夢を見たような感覚であったが、ディノが砂漠の上に敷いた敷物の上には、ネアが物語のあわいの中で、こちらの世界に来たばかりの頃のネアハーレイになって強欲に買い占めて来た、沢山の品物が積み上がっていた。



ネアがいた物語のあわいの中は、イブメリアの時期のウィームだったが、こちらは現在その後半に差し掛かったとは言え夏なのだ。


ひとまず、夜の砂漠は霜が下りるくらいには寒いには寒いのだが、砂が入ってしまうと困るので大事なラムネルのコートは脱ぎ、たくさんのお土産を金庫にしまい、リーエンベルクに戻ったところまでは覚えている。




けばけばになった銀狐がとうっと飛び付いて来たので、抱き締めたような気もする。




「……………そして、どうしてこうなったのだ…………」

「……………すまない!……………恐らく、私のせいだろう」



そして現在ネアは、見ず知らずのウィームに似て非なる謎の街で、深々と頭を下げているエーダリアの前に立っていた。


二人が立っているのは、そろそろ陽が落ちそうな午後の街角で、歩道の交わるところにある小さな噴水と木陰のある円形の小公園のようなところだ。



三方向からの歩道が交わる位置にあるその公園は、公園とは言え、四人も集まればいっぱいになってしまいそうな広さしかない。

ウィームには、このような魔術的な設計で作られた小さな公園や緑地が幾つもあり、人ならざる者達の休憩所となっていた。


噴水と大きなライラックの木があるので、上手い具合に目隠しにもなって、密談にはもってこいである。

このような場所が意外に注意を引かないと知っているのは、エーダリアとネアがウィームで暮らしているからであった。



「……………その、私はもう物語のあわいから失礼させていただいた筈だったのですが」



半眼でそう呟きはしたものの、エーダリアが悪い訳ではないのはネアにも分かった。

寧ろ、退出したばかりの参加者を呼び戻したこの夏夜の宴への抗議だ。



「なので、きちんとそう伝えておきますが、エーダリア様を責めている訳ではないのです」

「ああ。…………それは伝わるが、今回は私の所為なのだと、…………思う…………」

「むぅ。エーダリア様が落ち込んでしまうので、是非にこの夏夜の宴を開催する方には、今後の運用を見直していただきたいです…………」



こんな話をするにあたり、目の前のエーダリアに音の壁を立ち上げるだけの魔術的な階位があったことに、ネアは感謝していた。

そのお陰で、遭遇してすぐに魔術遮断された空間で話が出来ているのだ。


もしエーダリアにこの階位の魔術が使えなければ、ノアがくれた白い布を二人で頭から被るしかなかっただろう。


不審者として捕まる危険を避けられたのは、とても大きいと言わざるを得ない。



「私もよく分からないのだ。……………気付いたらこの街の中に立っていたが、以前に夏夜の宴に参加した時とは、招かれ方がまるで違う。あの時は、自分が異質な場所に迷い込んだという自覚があったものの、今回は、この中でふと、夏夜の宴に呼ばれてここにいるらしいと自覚してな……………」

「……………まぁ。そのような開始だったので、うっかり私も巻き込まれてしまったのですね…………」

「すまない、お前の事を考えてしまい、気付いたらお前がここにいたのだから、私の失態なのは間違いない。……………夏夜の宴には自身の愛用の武器や魔術書などを持ち込めるのを、すっかり忘れていた」

「……………なぬ。そのような仕様があることは、初めて聞きました」



ぎりぎりと眉を寄せたネアにエーダリアが説明したことによると、夏夜の宴は突然の招聘という形で呼び落とされる為、その内側から一つだけ自身に有用なものを呼び落とせるのだそうだ。



(……………とても良心的なようだけれど、参加者をその本来の力を発揮出来る状態で管理するのは、夏夜の宴の趣旨を損なわない為には必要な措置なのかもしれない……………)



呼び落とすのは道具ばかりではなく、例えば使い魔や契約の魔物などでも構わないが、あまりにも魔術的な質量が大きなものはそもそも夏夜の宴の魔術階位が及ばない為に、呼び落とし不可となる。


また、自身に召喚の権限がないものを招くことは出来ないのだとか。




「……………そして、エーダリア様は私と狐さんを呼んでしまったのですね?」

「……………狐?」

「まぁ、私が抱っこしているけばけば狐さんが目に入っていなかったのですか?幸いにも、狐さん姿だったので容量規格外として弾かれず、持って来られてしまったノアです!」



ネアが両手で抱えていた銀狐を持ち上げてみせると、エーダリアはへなへなと座り込みそうになってしまった。

鳶色の瞳がふにゃりと歪み、銀狐は冬毛疑惑のまま夏を超えそうな尻尾をふりふりする。



「……………そ、そうか。予定通り、ノアベルトをこちらに招けたのだな……………」

「……………む?」




どうやらエーダリアは、ネアが物語のあわいに入るにあたり、ノア達と様々な話し合いをしたらしい。


なぜエーダリアにも対策が求められたのかというと、実はこの夏夜の宴、王冠を得た者が夏夜の宴に呼ばれないことははっきりしているが、過去の参加者はこれまでに二度の参加があったという事例が報告されていないだけで、呼ばれないかどうかが未知数であった。



なので今回、ネアが内側に入ったことで魔術の縁が結ばれ、エーダリアがもう一度呼ばれてしまう可能性もあり得るとし、リーエンベルクでは前々から対策会議が行われていたのだそうだ。



だが、自身もあわい入りを控えていたネアには、敢えて伏せられていたという。



「話しておくことで、却って魔術が繋がってしまう可能性もあったからな」

「むむむ、……………と言うことは、エーダリア様が落とされた際に呼べるよう、ノアは敢えて狐さんになって待っていたのですね?」

「ああ。しかし、それだけの備えをしておいても、私は、ノアベルトではなくお前を思い浮かべてしまったのだが……………」

「……………むぐぅ」



ここで、ネアの腕の中の銀狐がムギムギ鳴いて腕をたしたし前足で叩くので、はっとした様子のエーダリアに誘導されて路地裏に移動すれば、エーダリアの展開した魔術結界の中で、銀狐はすとんと地面に降り立つと魔物姿に戻った。



髪色は擬態してあるようで、青みがかった灰色の髪を黒いリボンで束ねている。

白いシャツの上には、擬態を解いた際に魔術の風でふわりと広がった軽めの漆黒のコートを羽織っているが、ネアはふと、その装いが不自然ではない気温の街なのだということに気付く。



どの季節に位置するあわいなのか、七分袖のドレスなので寒くはないものの、袖はもう少し長くてもいいかなというくらいの気温だった。


書の中に引き込まれないよう、ネアは問題になった物語本を自分では読ませて貰えなかったのだが、晩秋の気温に近い。




「……………はー。驚いたよね。でもまぁ、来られた訳だから結果良しとするかな。………あ、ネア。言えてなかったけど、お帰り」



人型の魔物に戻ったノアは、ぐぐっと体を伸ばしてから淡く苦笑する。

まずはお帰りと言ってくれたのは、ネアが、物語の序章を終えてリーエンベルクに帰って来たばかりだったからだ。



「ふふ、ただいまです。ノア。そしてもう一度お出かけしてしまいました…………。ディノがしょんぼりしているといけないので、連絡してしまいますね」

「うん。シルも目の前での事だから分かっているとは思うけれど、安心させてあげた方がいいね。にしても、魔術の理は熟知している筈のエーダリアが珍しいなぁ…………」

「…………ここがあわいだと確信するまで、あわいの中に降り立ったという感覚が不明瞭だったのだ。ふと、ぼんやりした意識のまま、物語の序章でこちらに降りていたネアがそのまま残ってくれていれば心強いだろうかと考えてしまったのだが、お前が一緒に居てくれて助かった……………」



がくりと項垂れたエーダリアに対し、ノアは、僕がいるから大丈夫だよと、小さく笑ってその背中を手でばしんと叩いている。


排他結界の展開もノアが代わって引き継げば、ほっとしたような顔になったエーダリアを見ながら、ネアは、いつの間にやらここも良い家族になったと温かな気持ちで頷いた。



「エーダリアはさ、ネアがあわいに落ちた際にはもう、こっちに呼ばれてたんじゃないかな。実はさ、ネアとシルがあわいに下りた後、エーダリアまでいなくなってリーエンベルクは大騒ぎだったんだよ」

「…………っ、リーエンベルクは、」

「おっと、心配しなくてもヒルドやダリルが上手くやってるよ。………それで僕は、帰ってきたネア達に、エーダリアがそっちにいなかったかどうか聞こうと思って飛び付いたところで、…………一緒にこちらに呼ばれたみたいだね」

「…………言われてみれば、私の過ごしたあわいのリーエンベルクの中にいたエーダリア様は、エーダリア様本人だったとディノから聞いたような気がします。……………確か、ディノが念の為に守護をかけておくと話していたような……………」

「わーお、それだ」



ノアは腑に落ちた様子で頷いているが、エーダリアはまだ困惑しているのか首を傾げている。


そちらのやり取りはひとまず二人に任せ、ネアは、遮蔽魔術を有り難く使わせていただき、いそいそとカードを開いた。

ぱかりと開けば、既にディノからのメッセージが揺れていて、また怖い思いをさせてしまったと胸が苦しくなる。



「……………つまり、私は、ネアのあわいにも、呼ばれていたという事なのだろうか?」

「うーん、と言うよりも、どうせ呼ぶつもりだからって理由で最初から押し込まれていたか、或いは、あのガーウィンの歌乞いの認識にエーダリアが予め組み込まれていたかのどちらかだね。つまり今回は、ウィーム領主役と、後半の魔術師役の両方で呼ばれたって感じになるんだと思うよ」

「…………ノア、もしかして、私が無意識にエーダリア様を呼んでしまったという事はないのでしょうか?」



ディノのカードに、もう一度物語のあわいに戻されてしまったことと、エーダリアとノアが一緒だと書き返事を貰ったので、一息吐いたネアが不安になってそう聞けば、ノアはそれはないと安心させてくれた。



「ほら、君は参加者役じゃなかったから、取り寄せの権限は持っていないんだよ。夏夜の宴の意思による召喚か、ネアとシルが呼ばれたみたいに、作中に指定がある登場人物の召喚に引っかかったかのどちらかしかないね」

「……………そうか。あの歌乞いは、ウィームへの赴任を希望していた。後者の可能性もあるのだな……………」

「……………ところで、この中ではどう過ごせばいいのですか?」



ネアのその言葉に、ノアとエーダリアがこちらを向いた。


このあわいの中がどうなっているかは分からないが、時刻としては夕刻に差し掛かろうとしている。

夜を迎えるのであれば、宿と食事の確保は大事ではないのだろうか。


そう考えてもぞもぞしたネアに、ノアはにっこりと微笑んだ。

青紫色の瞳が煌めく微笑みは、頼りになる家族が側にいてくれるのだと心を落ち着けてくれる。


お陰様ですっかり安心してしまっているネアは、ここでは何か美味しいものが食べられるかなと考える余裕があるくらいなのだ。



「まずは、二人の擬態を済ませて、宿と食事だね。安全な場所でやるべきことを確認しよう」

「ふむ。食事は大事ですよね。なお、初回のあわいの中で色々食料を買い込んでいますので、野宿になっても食べるものは沢山ありますからね」



ネアがそう発言すれば、お前がそう言うくらいなら相当な量だなと、エーダリアもほっとしたような顔になる。

今回の旅には引率者がいるだけでなく、三人であるというのも心強いのだろう。



まずは擬態をという事で、ネア達はすぐに髪色を変えることになった。


エーダリアは淡い砂色の髪になり、ネアは黒髪だ。


お互いに瞳の色を変えないままであるのは、今回のような場面においては、完全に姿を変えてしまうとはぐれた際に咄嗟の認識が出来なくなるからなのだそうだ。


知り合いから隠れるというよりは、遠目で目立たなくすることを課題としての擬態になるので、完全に別人になる必要はないのだった。



「………まぁ、悪さをする方がいれば、片っ端からきりんさんで滅ぼしてゆけばいいのですよね」

「ま、待て…………!」


今夜は自室でのんびりディノと過ごそうと思っていたネアからしてみると、敵を全滅させれば安心して王冠とやらを探せるのではないかなと思ってしまったのだが、そうではないらしい。


仮にも物語のあわいであるので、自身の役割を逸脱しない範囲で王冠と呼ばれる成果物を手に入れなければいけないのだそうだ。



(であれば、あっという間に王冠を手に入れてしまったアレクシスさんは一体どんな手を使って……………)



こうして本編に放り込まれると分かっていれば、成功談を聞いておいたのにと歯噛みしたが、時既に遅しである。



「特にお前は、本当であれば序章から引き続きウィームの歌乞いであってもいいのだが、今回は私に召喚された部外者という役割だ。物語のあわいの中では、名無しの端役と呼ばれる存在なのだからな……………」

「それはもしかして、蝕の時のムガルさんのように透明な存在になってしまうものでしょうか………?」

「いや、正規の召喚であるので存在自体は認識されるのだが、物語の中で訪れる恩恵を受けられず、助けになるような人物には…………そうだな、あまり好意的に認識されない。主人公として動かされる魔術師たちの王冠を奪わぬよう、個人では動けないように制限がかかっていると思ってくれ」

「なんと嫌な設定なのだ……………」



(確かに、契約の魔物を呼び込んだ人がいて、その魔物さんが全てを解決してしまえば、趣旨から外れるような気はするけれど……………)


つまり、参加者が道具などではなく生き物を呼び寄せてしまった場合には、その扱いへの制限があるらしい。

これを嫌い、愛用の杖などの道具を呼び寄せる魔術師も多いのだとか。




「それにしても、……ウィームのようだが他の街並みが随分と混ざり込んでいるようだな」


そう呟いたエーダリアが見上げているのは、ネア達の背後に聳えている大きな建物の壁面だ。

ネアも気になっていたのだが、このような建物はウィームの街にはない。


「ウィームにガーウィン、後は少しだけ奥にヴェルリア風の街並みがあるね。あんな所に湖はなかったし、湖畔の街並みはまるでヴェルリアだ。書き手が、ヴェルクレアの街の描写を切り貼りしたんだろうけどさ………」

「……………言われて見れば確かに、継ぎ接ぎの街のようですね………」



先程からノアがうんざりとしたような目で周囲を見ていると思ったが、魔物の目からすると、この街並みの構成は少々煩いのだそうだ。


それは、シカトラームのような空間を作ってしまうノアでも苦手であるらしく、独立した土地の基盤や気風が際立っているものを、無理矢理繋ぎ合わせてしまう行為は醜悪であるという評価になるらしい。



(…………ここは、ウィームだとどの辺りなのかな。正面の風景が見慣れないから、位置の把握が出来ない…………)



擬態も済ませたので少し歩いてみれば、ネアがエーダリアに呼び落とされたのは、ちょうどウィームとガーウィンの街並みの境目であったらしい。


狭い路地裏の道の壁の一方は壮麗な教会の外壁になっていて、これだけの大きさの教会が、いきなりこの裏道りに面して建っていていいのだろうかと不安になってしまう。


ウィーム側のこの細い通りは職人街なので、職人街の店と教会の裏口がそのまま向かい合ってしまうではないか。


出来れば教会のような建物は、その外周部分も合わせて切り取って欲しいと思い、ネアは渋面になった。



「うーん、でも参ったな。こういう舞台設定だと、外見的な特徴での振り分けは出来ないかぁ。あの本は折角ウィームが舞台になっていたから、地の利もあるし、参加者の区別もつけ易い筈だったんだけどなぁ…………」

「……………ああ。ガーウィンと、ヴェルリア、………だがこの教会の造りは、ガーウィンの建築としては少し妙だな。他の文化も混ざっている可能性がある。ヴェルリアが入り込んだだけでも、人種的な特徴はかなり広がってしまうからな……………」



ヴェルリアは、王都でありながら商人の街として栄えて来た側面がある。


さすがに王家や高位貴族達は血統を重んじるが、伯爵家くらいからであれば、亡命してきた異国の貴族や、異国より移住した商人や職人との婚姻の話も珍しくはないそうで、ウィームとはまた違った気質で純血に拘らない民族性を持つ土地なのだ。



「……………という事は、海ではなく湖に改変されていますが、そちらにゆけばヴェルリアのような美味しい魚料理のお店があるのでしょうか……………。じゅるり」

「ありゃ、凄く期待してるけど、今夜は避けようか。少しでも地の利のある、ウィーム側の土地で宿を取るよ」

「……………ふぁい。然しながら、ウィームのお料理はどこでも美味しいので、勿論そちらでも吝かではありません」



かくして、ネア達はまず今晩の宿を押さえるべく、ウィームの区画の中心地へと向かうことにした。



エーダリアが魔術的な配置で確認したところ、物語の中の季節は、晩秋であるらしい。


しかし咲いている花々や店頭の品揃えを見れば夏のようでもあるので、この物語のあわいを最初に始めた誰かの中では、ウィームの夜は晩秋のような寒さであるという認識なのかもしれない。


基盤となっている物語の中では季節や気温などの描写はないと聞いていたし、どちらかと言えばあまり心は踊らない物語だったなと、ネアは遠い記憶を探る。


好まれる物語にするというよりも、多くの人々に読ませる事を目的にしたのかもしれない。


ウィーム側の街並みに入ればいつものウィームのように思えてもいいものだが、ここが物語の中だと理解するには、歩道を歩くだけで充分だった。



「……………花壇に咲いているお花が、ほぼ薔薇か百合ですね」

「ああ。……………書き手か、最初にこちらに呼ばれた者によるウィームの印象なのだろうが、ここまで階位の高い薔薇ばかり植えていたら、魔術酔いをする者が出てくるのではないか…………?」



エーダリアもそこは気になっていたようで、物語の中のウィームの住人達を心配している。


ウィームの街は雪の降る季節でも花々が咲き乱れている印象があるが、魔術が潤沢なので咲いてしまう森の草花と違い、領民の生活に密接な場所に設けられた花壇に植えられている花々は、きちんと種類が管理されているのだ。


例えばそれは、赤い薔薇のような愛情の祝福を色濃く持つ花を、日常の行き来で使われるような場所に沢山植えないという事であり、このあわいの中のウィームのような花壇の具合だと、近隣の住民の中で起きなくてもいいような愛情関連の諍いが増えかねない。


どれだけ豊かな祝福を持つ花々であっても、不必要な場所に過剰に集められれば毒となるのだ。



「……………うわ。見てるだけで酔いそうだなぁ。僕のウィームに趣味の悪い改変を加えないで欲しいんだけど……………」

「ローゼンガルテンの薔薇はあれだけ咲いていても綺麗なのに、こうして市街地の花壇を薔薇だらけにされてしまうと、くどいという印象になってしまうのですね……………」



本来のウィームの街並みの記憶を頼りにネア達が向かったのは、ザハのある区画だ。


この辺りにあるのは高級ホテルばかりだが、ウィームのホテルはそのままの要素が反映されていればだが、排他結界などの水準も高いので安心して過ごせる拠点となる。


そして幸いにも、ザハはそのままザハだった。



「……………いいね。このあわいを構成している記憶の持ち主は、ザハには来たことがあるみたいだ。っていうか、泊まった事もあるのかもしれない」



そう呟いたノアは満足げに微笑み、手早く宿泊手続きをしてくれた。

勿論、あわいの中でも宿代はかかるのだが、さすがザハという高額の宿代をノアはぽんと現金で前払いしてしまう。



しかし、タジクーシャでネアも学んだが、この先どうなるか分からないにせよ、宿を所定日数押さえておくというのは大事な事だ。

拠点があるかどうかで心の平静さは随分変わってくるし、この夏夜の宴の中で戦うにせよ、良い宿を押さえておく有利さは生きてくるに違いない。



(そう言えば、ザハに泊まるのは初めてだわ……………)



部屋に入るまでは澄ましていようと思ったのに、ネアはそんなことに気付いてしまい、わくわくと宿泊用の客室がある階を見回す。


こっくりとした葡萄酒色の絨毯を敷いた廊下は、秋の夜の月夜のような淡い金色の光を落とすシャンデリアが美しく、左右の壁に施された妖精と竜の彫刻も素晴らしい。

等間隔に置かれた花瓶にはふんだんに花が生けられており、瑞々しく甘い香りは心を和ませた。


細長いアーチ形の窓からは夜になったウィームの街並みと、その向こうに広がるヴェルリア風の街並みが見えていて、見慣れている筈のようで見知らぬ土地の不思議な風景を縁取っている。



「こちらのお部屋になります。部屋の鍵はザハの敷地を出ますと、フロントに預けられるように魔術拘束されておりますので、屋外で紛失することなどはありません。また、お部屋での食事を希望される場合は、こちらの銀のベルを鳴らして下さい。浴室のタオル類は、一日に一度の交換もありますが、使ったものをこちらの棚に入れておきますと乾燥だけは魔術で成されます」



深緑色のお仕着せのページボーイにそう説明され、ノアはゆったりと頷いている。


立ち振る舞いに気品が滲むノアやエーダリアは、このような格式高いホテルに泊まる際には、心強い同伴者になるようだ。


ザハのような老舗ホテルだと客を選ぶ事もあるのだが、ノアが押さえたのは、寝室が二部屋ある広めの客室で、金色の足のついた白い雪陶器の浴槽がなんとも美しい部屋だった。


ノアが気前よくチップを弾みページボーイが立ち去ると、ネアはその浴槽に駆け寄った。



「……………見て下さい!これが噂の雪陶器の浴槽なのですね。確か、もう職人さんがいないのですよね?」

「ああ。雪陶器は、ウィーム王族の血を引く女性にしか焼き上げられず、もう新しいものが作られる事はないのだ。私がウィームに移った数年後に、ザハから、リーエンベルクに一槽寄付したいという話はあったのだが、そのまま揃えられた場所に置いていてくれるよう頼んだのだ。初めて使うことになるな…………」

「ウィームの職人街に残っている窯で、雪陶器作りの体験が出来るらしくて、今度ディノと行こうと話しているんです。勿論、受け継がれた釉薬を塗って焼いても、もう白くはならないのですが、綺麗な青色にはなるそうで観光客にも人気なのだとか」



そう言ったネアに、エーダリアは目を細めて嬉しそうに頷いた。


雪陶器作りは体験したことがあるそうで、エーダリアが焼いたお皿は、王族男子の特徴である、雪の日の夜明けのような白に近い水色が出るのだそうだ。


僅かも黄色がからず、紫色も入らない生粋の白水色は、かつてであればウィーム王の証と称えられたのだとか。



「残されたものはもう、雪陶器として尊ばれたものではなくなってしまったが、どのような形であれ受け継がれてゆくのは喜ばしいことだ。……………自分の雪陶器が焼き上がった日のことは、今でも覚えている」


エーダリアの執務室には、そんな雪陶器のお皿が大事に飾られていた。

その話を聞き、ネアは雪陶器作りを体験してみたくなったのだ。



「ふふ。あの窯を維持されている方は、雪陶器の窯を守り続けてきたウィーム王家の血を引いていた一族のお嬢さんの、最後のお弟子さんなのだそうです。窯と釉薬のレシピなどを任され、初恋の女性が亡くなられた日に、最後の白い雪陶器を窯から出したのだとか。時々スープのお店でお会いしますが、エーダリア様の事が大好きで、お皿を焼きに来た日をご自身の記念日にされたそうですよ」

「わーお、記念日か。やるなぁ……………」

「記念日に……………」



エーダリアは少しだけ驚いてはいたものの、嬉しそうに目元を染めている。

そうして、かつてのウィーム王家を知る領民達に愛されることは、エーダリアにとってこの上ない喜びなのだろう。



「さて。下のレストランが込み合う前に食事を頼んで、今後の対策を話し合おうか」

「むふぅ。私はこの、鴨のコンフィのセットにします。一口チョコトルテも付いてくるのですよ!」

「ありゃ、もう決まったみたいだぞ…………」

「……………で、では私は、鶏肉の香草焼きにしよう」



エーダリアも既に心は決まっていたようで、ノアは少し迷ってから、ラビゴットソースのたっぷりかかった鱒料理にしたようだ。

明日以降行動に出た際に、今夜のように安心して食事を出来るような環境が整えられるかどうかは分からないので、しっかり食べておく作戦である。



部屋割りはあえて寝室を分けずに、一緒の寝室を使うことになった。


一台の寝台が充分に広い事もあるのだが、魔術可動域が低いネアが万が一攫われるといけないので、同じ部屋に居た方がいいということになったのだ。


勿論枕の堤防は設けられるものの、ネアとノアが同じ寝台で眠り、エーダリアは魔術基盤を繋いでその隣の寝台を使う。

スノーの街でも使われた安心睡眠仕様だ。




「さて、作戦会議を始めようか」



そして、ルームサービスが部屋に届くと、ノアが厳かにそう宣言した。

いよいよ、夏夜の宴に挑むのだ。










150話、151話と今回のお話の間に、ネアとディノが物語のあわいで過ごした5日間お話を別編に切り分けています。

そちらのお話が気になる方は、「薬の魔物と物語の婚約者」をご覧下さい。

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