追跡と焦燥
深い森を抜ければ、その商隊に追いつく筈だった。
ウィームからヴェルリアへ抜けたばかりの馬車の轍を追い、静かに暗い影を踏みながら、深い深い息を吐く。
(……………恐らくこれは、ガーウィンの失態だ)
そう思わずにはいられないのは、件の女魔術師の外見についての報告を聞いた時だった。
合致する特徴の少女を、よく知っていたのだ。
ウィームの古書店にその本を持ち込んだのは、濃い紫色の髪に茶色の瞳の美しい少女だったと知り、つい最近処刑されたばかりの一人の歌乞いの姿が浮かんだのは、偶然ではないだろう。
このような時、運命というものは得てして必然へと転がるのだ。
公にはされていないものの、夏前のガーウィンで、王都をも揺るがせる事件が起こった。
一人の迷い子が己の正体を隠して教区主にまでなり、特殊な魔術門を使って呼び落とした迷い子達を己の手駒として国内に配置していたのだ。
それどころか、その迷い子達の中から一部のものを喰らい、己の力とした上で高位の魔物を得る歌乞いになろうとしていた。
アリスフィアという名前の女が起こした、悍ましい事件だ。
だからウォルターは、その事件において本来は被害者とされても良かった筈の一人の少女が、アリスフィアの手を取りその駒となった事で処分されるのを見ている。
(呼び落とされなければ別の人生もあったのかもしれない哀れな少女だと、……………少しだけ思ってしまった。けれど、それは仕方のないことだと判断し、全て終わったのだと考えていたが…………)
それでもなぜか、あの少女の事は記憶に残った。
なぜかと言えば、執行の前日までは、看守に取り縋って上の者達への取り次ぎを申し出ていたあの少女が、なぜか執行当日ばかりは嫣然と微笑んでいたと聞き、僅かな疑念を抱いたからだ。
執行の日とは言っても、本人には国外追放としか伝えてはいなかったが、人間とは得てしてそのような時ほど勘がいいものである。
念の為にと、死亡確認を取った医師に話を聞いたのは、もしもがあれば危うい駒だと理解していたからだろう。
もう二度と、アリステルの時のような事件だけは起こしてはならない。
それがどれだけ愚かで稚拙な理想を掲げる人間であれ、迷い子は、なぜか奇妙な程に人々を惹きつける。
そもそも、どんなに凡庸に見えても特等の人間の一人だからこそ、迷い子になるのだ。
そんな人間が、自身の歌乞いを助ける魔物を得て己の欲望を叶える喜びを知ってしまえば、齎される被害は甚大なものになるだろう。
だからウォルターは、確認したのだ。
確かにその日、一人の迷い子が命を散らし、その契約の魔物は崩壊している。
ウォルターの見たままに、それを執行したのはガーウィン領の役人であったのか、それとも姿を変えてそう見えるように振舞っていた人ならざるものなのか。
疑念はあれど、ウォルターはそれを知ろうとはしなかったし、知るべきではないと承知してもいた。
その上で最後までを見届けたのは、宰相の息子としてのガーウィンへの牽制でもあったが、同時にその矛先が、ウィームや中央に向かい、何かを結ばぬように監視する意味合いもあった。
(ああ、そうだ。あの少女は確かに死んだ………)
けれども、そこからこちらに戻る方法は完全にない訳ではないのだ。
今の世であれば誰もが一方通行だと疑わないその通路が、当たり前のように復路も解放されていた時代があったことは、閲覧にある程度の権限が必要であるとは言え史実にも残されている。
そこにはいつも、呪いと畏怖を込めてその薬の名前が記されていた。
曰く、復活薬と。
鬱蒼とした木々の中を抜けてゆけば、そこには異様な光景があった。
はっと息を飲み、ひっそりと立っていた一人の妖精の姿にぞくりと背筋が震える。
目に留まったと言うよりも留まらざるを得なかった内側から暗く光るような瑠璃色の瞳は刃物のようで、静かな眼差しは凍えるようであった。
おまけにそこには、その六枚羽の妖精の他に、その後ろ姿だけでぞくりとするような漆黒の装いの二人の男がいる。
一人は街の騎士のような装いであったが、身に纏う気配があまりにも異質で、直視出来ないような重さであった。
もう一人の黒衣の男は、長い黒髪に銀縁眼鏡、そして細身の煙草を見れば誰なのかは一目瞭然である。
他にも複数の男達がいたが、残りの者達は長い黒髪の男の配下だろう。
「アクスの代表と、…………もう一人は、」
「以前にお会いされていますよ、坊ちゃん。終焉の魔物の方ですよ」
「……………終焉の、」
ぞっとしてそう呟けば、こちらに気付いたのかその男が振り返った。
(…………会ったことなどあるものか!これは、…………あの時の魔物とは、まるで違う……………)
取り立てて特徴のない砂色の髪に淡い水色の瞳に擬態しているが、凍えた雪山で息を吸うように胸が冷たく、そして急に視界が暗くなった。
あの時のように、終焉の魔物を過保護な兄のようにしてしまう規格外な少女は、ここにはいないのだ。
ただ、ひたすらに暗く重い。
思わず足が縺れそうになったウォルターの前に進み出たのは、ガヴィレークだった。
「ご無沙汰しております、ウィリアム様。坊ちゃんと共に、ダリルの代理で参りました。我々も加えていただいても?」
「……………ああ、ヴェルリアぶりか。あの時は彼女が世話になったな」
(あ、……………)
ふっと、押し潰されそうな威圧感が抜けた。
周囲の空気も夏の森に相応しい温度に戻り、先程までの冷たさが嘘のようだ。
見苦しくないように冷たい汗を指先で拭い、ウォルターは丁寧に腰を折って挨拶をする。
見ず知らずの人外者への礼は時として危険を招くが、ここにいる者達は、ウォルターの側ではなくとも、ウォルターを引き裂いて遊ぶ事を良しとはしない誰かに紐付いている。
唯一、アクスと言えばウォルターの家でも取り引きがあり、父などは口には言えないような政治的な危うさを持つ品物を扱っているようだ。
「…………現場への到着が遅れて申し訳ない。急いだつもりだったのだが、到底追い付けなかった」
そう詫びたウォルターに微笑んだのは、見慣れた代理妖精の筈だった。
「おや、まだ残っておりますから問題ありませんよ」
そう告げたヒルドの眼差しに、ウォルターは、よく見知ったように思えていたこの妖精は線の向こう側のものなのだと理解する。
シーなのだ。
それも、妖精の中でも最高位である闇の妖精と同じ派生の、古き一族の若くも王だった男ではないか。
人間の領域を離れた妖精が、自身の庇護する者に触れた者をどう扱うのか、あらためてその事を思い出す。
八つ裂きにしてばらばらのままの苦痛で生かしておくような妖精は、決して珍しくはないのだ。
「…………ああ。そのようだ」
「もう少し残しておけばと思われるでしょうが、これでも必要なだけは残してありますよ。ダリルも、連れて帰って来いとは言わなかったと思いますが」
「今回の一件で使われたものが、世に出る事は望ましくなく、この歌乞い………魔術師の処遇はあなた方に任せて構わないと聞いている。王都からもその回答を得たが、…………ただ、その要求は引き受けていいものではないと理解しているが、………使われた災いと叡智が回収出来るのであれば、持ち帰るようにと付け加えられているが…………」
その要求を飲むつもりはない。
それでも、言わなければならなかった。
伝えた上でそれを却下されるなら兎も角、要求として伝える事もなく最初から交渉しない者を中央は歓迎しない。
交渉を知らない役人など、いても意味はないのだ。
だからと、震える指先を握り込んでそう伝えれば、ふっと笑ったのは死者の王だろうか。
けれども、その表情には微笑みの欠片もなかった。
暗い、と思った。
靄のような不透明さではなく、視界を黒く透明な硝子板で覆われるような暗さに、小さく喉が鳴る。
混じり気のない恐怖というものは、時にとても静かなものなのだと学ばされた。
「終焉の障りを受けたくなければ、それは推奨しない。禁忌に触れるのであれば、相応の対価が必要になる。少なくとも、ヴェルリアはなくなると思った方がいい」
「……………そのまま、あなたの言葉を中央に戻しましょう。個人の欲で追求する者達を残したくありません。御身の名前を出させていただいても?」
「そうする方が早ければ、使うといい。復活薬の災いについては、そちらの王も第一王子も理解しているだろう」
穏やかだが酷薄な声音に打たれ、また動けなくなったウォルターの隣で、子供の頃から共に過ごした代理妖精が愉快そうに笑う。
「どうぞ、坊ちゃんを責められませんよう。この問いかけはあまりにも恐れ多く、そして人間らしい強欲さでしたが、中央の飼い犬にはならずとも、やはり体面上共有しておかなければまずいこともあるようです。現在のバーンディア様が、ウィームや第一王子派に好意的である今であれば尚更に」
ガヴィレークがそう説明すれば、終焉の魔物は肩を竦めたようだ。
「その辺りの事情は、俺もある程度理解している。俺の名前を出せば、後は周囲の魔物がどうにでも説明するだろう」
そう告げた死者の王に、ああ、やはり王の近くには高位の魔物がいるのだろうなと考えた。
以前から、王の周囲には幼い少女のような美しい人外者が目撃されていたが、種族までは特定されていなかったのだ。
正妃の守護をする精霊達も一目置いているようなので、階位が高いだけではなく、あの精霊たちが敬うような似た気質の生き物なのだろうと、ヴェンツェルは話していた。
一通りの決まりきったやり取りが終わり、ウォルターは捕縛した少女を囲んだ輪に近付く。
あの時は魔術遮蔽の鏡の間から見ていたばかりなので、その髪色はこんなにも暗い色だったのだなどと、あの日の記憶の認識を訂正したりもする。
(これが、ガーウィンを欺いてみせた歌乞いか……………、……………っ?!)
「……………確かに、まだ残ってはいるようだ」
ウォルターは、現場を確認しようと視線を下げてゆき、それを見た。
見ているものを理解するのに時間がかかってしまったが、遅れて輪に入った自分がこれ以上に進行を妨げてはならないと、何とかそう発言してみせたものの、背中は冷や汗でびっしょりだろう。
既に、彼女が同行していたという商隊の姿はない。
排除されてしまった後なのか、この少女を引き取った後に解放され、巻き込まれてはならないと早々に姿を消したものか。
そこに拘束されて転がっているのは、艶やかな夜紫色の長い髪の美しい少女だけだ。
人外者達は、彼等を欺いた人間に優しくはなかったのだろう。
ましてや、この少女が損なったのは、彼等が大切に思う者であり、その拠点を置く土地なのだ。
拘束の仕方はまさに、“まだ残っている”という様相であったが、作家などという危険な魔術を扱うのであれば、このような措置も必然であるのかもしれなかった。
かさりと音がした。
奥にいた、恐らくはアクス商会の職員だろうと思われる背の高い青年が、足を踏み替えたのだ。
「……………やれやれ。いきなり問答無用で呼び出されたと思ったら、まさかシャーロットが、ラエタからの迷い子だとは思いませんでしたよ。ほんとうに、人間は狡賢くてしぶとい生き物ですねぇ」
(…………アクスの職員ではない?)
声に混ざるのは、僅かな苛立ちと飄々とした嘲りだった。
それを聞き、ウォルターは自分の推理を改める。
これは、アクスの一般職員などではない、もっと高位の者だ。
おまけに、よく見れば、その銀髪の男の着ているのは簡素な神父服ではないか。
「あの男との、接点は見えたか?」
「リンジンとの、直接の接点はなさそうですね。ただし、祭壇ではない魔物の証跡がごく僅かにありますから、王座の魔物から、直々に術式の一部を与えられたのかもしれませんね。迷い子になるからには、その時代でもそれなりに持て囃された人間だった筈ですから」
死者の王に、拘束された歌乞いの説明をしているその男は誰だろう。
複数名で拘束の輪の一部となっている男達は、てっきりアクス商会の者達かと思っていたが、声を辿って視界に捉えれば簡素な神父服を着ているのだから、ガーウィン側の者なのかもしれない。
しかし、その男性と目が合うと、にっこりと微笑まれ、異端審問局局長の命を受けて立ち会っておりますと、あっさりと特別許可証を提示された。
死者の王との懇意ぶりを見る限り、まず間違いなく人間ではあるまい。
けれど、彼が異端審問局に所属しているのも間違いはないのだろう。
ふうっと短く息を吐き、第三者に徹することにした。
ここに集まった男達は、殆どが人ならざる者達だ。
その身柄を預けた以上は、立ち会いに徹底しようと心の中で頷く。
正直なところ、この状況ではそれ以上は厳しいと言わざるを得ない。
「……………さて。シャーロット、僕はこれでも、君の暮らした教区を治める者として、君が思うよりも多くの権限を得ているんですよ。君があの場所で受けた恩恵と引き換えに、幾つかの誓約を結ばされている事を知っていますか?…………知っているようですね。では、君の意思や感情は、僕達にとっては何の価値もないものです。必要な情報だけを囀って下さいね?」
そう話しかけ、優しく微笑んだ神父を、シャーロットはどのような思いで見上げたのだろうか。
拘束され、長剣に貫かれて固定された美しい少女は、その身の一部をごつごつとした鉱石に変えられており、砕かれて落ちた片腕はさらさらと砂になってゆくところであった。
人間として崩されているというよりは、人の形をしたものが地中から這い出て来ようとしたところを剣で封じられたようにしか見えない。
虚ろな茶色い瞳が、絶望を湛えてその神父を見ている。
聴取に、声はいらなかったようだ。
その神父は、ただ微笑んだままシャーロットを見ていたが、何度か微笑みを深めて頷いている。
「…………ああ、黒ですねこれは。僕は拷問の類は好かないのでお任せしますが、…………ウィームにいる美しく力のあるものの噂を聞き、それを捕らえたという歌乞いを排除して、自分がその歌乞いの座を奪うつもりだったようです」
ややあって、神父はそう告げた。
「自身が作家の魔術を持っている事は知っていたようですが、扱い方を完全には知らなかったみたいですね。だから、本を書いた。本で書かれた事こそを正しいものとして置き換えるように」
「おや、それは欲深い事ですね。………なぜ、ウィームだったのかを?」
「自分を呼び落としたアリスフィアが、知る限り最も美しく豊かな土地だと語ったので、であれば、ウィームこそが自分に相応しいと考えたようです。残念な事に、シャーロットにはそう考えるだけの背景もあった。ほら、この子はラエタの、それも、より多くの恩恵を受けた魔術師でしたから」
その言葉に頷いたのは、アクス商会の代表である長い黒髪の男だ。
「復活薬を手にしたラエタの人間達は、命の取り返しが可能であるからか、清々しいくらいに高慢でしたからね。私はそれも嫌いではありませんでしたが、得られるという認識に関しては、なぜか我々からも多くを得られると信じて疑わない」
「…………つまり、問題の歌乞いを書き換えてしまえば、当然、自分がそれを得られると?」
思わずそう尋ねてしまったウォルターに、先ほどの銀髪の神父が頷く。
「そう思っていたみたいですね。……………うわ、嫌だなぁ。ウィリアム、何で僕の方を見ているんです?」
「彼女に復活薬を使わせたのは誰だ?ガーウィンで使われたのは間違いないだろう」
「仲良くしていたシスターの一人のようですよ。信仰上の問題があり、遺体の口にその聖水を注がないと死者の国に行けないと泣きついて、そう誓約を結ばされたようですね」
自分が処刑されると知ってしまった同僚に、そのシスターは同情したのだろうか。
その時にはもう、彼女は死んでいたから、その行為を咎める者はいなかったのかもしれない。
迂闊な事だとウォルターは思うが、そのような可能性を知らなければ、死者が蘇る筈もないのだ。
「シルハーンを指名したのは、理由があったのか?」
「高位の魔物は、各々が司るものの王である。そう認識していたから、王という表現を用いたようですね。白持ちの方々は、誰しもがどこかの王であると考えていたようですよ」
終焉の魔物の問いかけに神父がそう答え、誰かが深い溜め息を吐いた。
「…………ひとまず、ネイから連絡のあったように、本の結びを足させても?」
「ああ。そうしよう。その後の刈り取りは、アンセルムにやらせる。落とした後は、他のラエタの者達と同じ区画に収監する事になる」
「ふむ。そう考えますと、迷い子として呼び落とされた事で、ラエタの顛末を長く逃れた幸運な人間であったという話でもあるのですね。それに、手にした幸運を生かす術もあったでしょうに」
紫煙を吐き出し、そう微笑んだアクス商会の代表は小さく笑う。
(その通りだ……………)
復活薬が、どのようにして死者を蘇らせるのかをウォルターは知らない。
だが、ここまで逃げ延びたのであれば、その間は探されていなかったのだろう。
見事にガーウィンと中央を欺いたこのシャーロットという少女は、身を隠して静かにどこかで生き延びる事も出来たのではないだろうか。
それなのになぜ、ウィームを訪れ、高位の魔物を願い奪おうとしてしまったのか。
(…………わからないが、そうなってしまうものなのだろうか…………)
彼女を喪い崩壊した契約の魔物には、自分が戻る事は知らせていなかったのだろう。
それならば、その魔物はシャーロットにとってはさしたる執着の相手ではなかったのだ。
発見された本は、ウォルターも読んだ。
冒頭で語られる歌乞いと魔物の王の物語は、さらりと書かれてはいるものの、寄る辺ない迷い子が歌乞いとなり、そんな少女を愛した魔物の王が己の身分を隠して寄り添うという内容であった。
本編の方でも、そんな二人が残した財宝を巡る物語だからこそ、何度も繰り返し、彼等の成功と栄華が語られている。
自身が魔術を添えた部分を敢えて簡単に記し、それ以外の部分で補強させる手法は、かなり綿密な計算の上で編み上げられた術式のようだ。
シャーロットという少女を見た時には、まだその身勝手な理想に幼さも残る普通の少女のように見えたが、実際には、かなりの経験を積んだ狡猾な魔術師だったのかもしれない。
ここにいる人外者達は、シャーロットのことを、女魔術師と呼んでいる。
今回のことを、偶然成された魔術による事件ではなく、意図的に書かれた本を魔術書とし、シャーロットを術者としてしっかり認識しているという事に他ならない。
卓越した魔術を扱う魔術師は、それなりの可動域から誰の目にも異質さが際立つ。
しかし、迷い子となるだけの寵愛や魅了の恩寵を得ていた人間は、そうとも限らないようだ。
シャーロットの可動域は、一介の魔術師としては中堅どころの数値だが、潜在能力の高い者達が一般的な迷い子の中では注視されなかった。
迷い子だからこそその程度は使えるという事ではなく、今後は、彼らが元々はどのような生業でどのような気質だったのかを、あらためて調べ直した方が良さそうだ。
その特異さを感知し難いという危うさがあるのだという前提で、今後は注視してゆかねばならない。
「……………戻って、あの方と話をして来よう。ヒルド、すまないが、俺も同席させて貰って構わないだろうか?」
「ええ。ウィリアム様は、そちらを終えてからいらっしゃいますか?」
「ああ。夕刻迄には一度そちらに行こう。……………グレアム、やはり、無効化はされないか?」
「…………ああ。そのままだな。リンジンのものには遠く及ばないが、それでも魔術証跡が因果に結びついたままだ」
こちらの男も魔物なのだろうかと遠い目をしたウォルターの視線の向こうで、今度はあの神父が顔を顰める。
「うーん、…………これは確かに、廃棄が難しそうですね。認識されて読まれた物語は、読み手の中にも残りますからね。そうして魔術が途切れないで展開されるようにという意味でも、同じ術式を重ねて何冊も作るだなんて無駄にも思える事をしてでも流通させたんでしょう。……………この子は、思っていたよりも、ずっといい腕の魔術師だったみたいですねぇ」
「……………やれやれ」
そう呟いた終焉の魔物に、先程ヒルドと話していたもう一人の男が何かを伝えている。
そのやり取りの様子からすると、こちらも旧知の間柄のようだ。
「追記は、私が監修いたしましょう。そのような作業に向いた商品も取り扱いはありますが、ここは私の魔術を使った方が良いでしょうね」
「…………そうだな。ヒルド、アイザックに任せてしまって構わないか?」
「ええ。文章をこちらの指定に合わせて下さるのであれば、どのようなやり方でも構いません。さて、…………ここからは、少し手荒くなるようですが、…………ウォルター、見ていかれますか?」
ちらりとこちらを見て、そう微笑んだヒルドに、ウォルターはゆっくりと頷いた。
この状態からの手荒さがどのようになるのかという慄きはあったが、あの場に立ち会い、そしてこの少女にまんまと逃げられた失態を忘れない為にも、ここで起こる事を最後まで見届けよう。
その日、ウィームとの境界にあたる深い森の中で、かつて大いなる災いとされた薬と、古の魔術を持ち呼び落とされた迷い子が、その波乱に満ちた生涯を終えた。
失われた魔術には、世界の理においての復活がある。
作家の魔術を持つ者が、いつかまた現れる可能性もあるのだという事を、忘れずにいなければならない。
或いはいつかどこかで、また、死者達が何食わぬ顔でこちらに戻る為の水薬を、誰かが手にしているかもしれない。
残された本の書き換えを巡っては、当事者達で対処するようだ。
その内容から、満たさねばならない条件の厄介さは容易く予測出来たので、どのような方法であれ全てが無事に終わるようにと、ウォルターは静かに祈るばかりだ。
誰よりも凡庸に見えるが、どれだけの事を可能とするかについては、ネアという少女ほどに特等の迷い子もいないだろう。
彼女の話題になると、一様に柔らかくなる人外者達の表情を見ながら、ウォルターはその特異さを再び思い知らされたのであった。
明日、8/1の更新はお休みです。
TwitterでSSを書かせていただきますので、もし宜しければご覧下さい。
また、本日の更新(150部)と次の継続理由の更新(151部)の間の幕間のお話を切り出し、8/2より別の物語として更新させていただきます。
詳しくは金曜日の更新をお待ち下さいませ!
継続理由の本編は、そちらの連載終了後に更新再開します。




