8. 傘祭りには犠牲がつきものです(本編)
その日は、爽やかな青空に牧羊的な小さな雲が一つ浮かんでいるという、絵本に描かれるような素晴らしいお天気になった。
とは言えこれは、エーダリアを筆頭にした魔術師達が数日前から天候安定の為の祈祷魔術を行い実現した天気であり、本来は雪曇りの日であったらしい。
数日前からウィームに敷かれた祈祷術式は、淡い藤色の煌めきがあるリボンのように見えたそうで、残念ながらそのようなものが見えないネアは、己の魔術階位の低さを呪うばかりだ。
はらはらと、花びらが降る。
雪に落ちるとしゅわりと消えるこの花びらは、祝祭に集う人々の気持ちを高揚させる為のもので、同時に地面に浸透して危ういものの立ち上がりを防いでいたりもするらしい。
人々は、朝一番で街の中心に建てられた雪と霧の魔術の大きな傘のモニュメントや、傘祭りの決行を知らせる為に戸口に挟まれる青いカードの有無を確かめ、いそいそと傘達と戦う為の服装に着替えるのだ。
やがて、自分が散歩させる傘を手に持った人達が会場に集まり始めれば、気の早い領民が張り切り過ぎて傘を手放してしまわないように、正装姿の魔術師達や騎士達が周囲を巡回している。
路地の方に隔離されて叱られている若者は、誰よりも早く傘を空に放とうとして見付かってしまったのだろう。
「ヒルドさん、あそこにいるのは、今年の学生さん達ですね?」
「ええ。今年は、影傘のようなものの出現は予測されておりませんからね。昨年の初参加の生徒達よりは、少しばかり気が楽かもしれません」
青いケープを羽織って頬を上気させている青年達は、本日の傘祭りの手伝いをしている魔術学院の生徒達だ。
何しろ傘も人も荒ぶるお祭りなので人手が足りないということもあるが、彼らはこのような祝祭に携わることで、魔術師としての晴れの舞台を経験し、ひと回りもふた回りも成長する。
そんな子供達を応援する為に傘祭りを観戦に来る親達は、我が子の凛々しい姿を一族総出で応援しつつお酒などもいただき、その観戦を邪魔する傘達は容赦なく排除するのだとか。
(傘祭りは色々な人達が来ていて楽しいな…………)
色とりどりの傘が乱れ飛ぶので、ある種分かりやすい祝祭の一つとして、傘祭りは観光客達にとても人気がある。
諸外国からの貴賓客や、上等な観覧席のチケットを購入した、ヴェルリアやガーウィンからの貴族達や裕福な観光客達に、傘との力比べを楽しみにしているアルビクロムの技師たちなど。
(…………そんな風に、中央からも貴族の人たちが来るお祭りだから、ヒルドさんは毎年お休みを取ってお手伝いに来ていたのだと思うけれど…………)
だからなのか、ヒルドは幾つかの祝祭には以前から携わっており、とても詳しい。
そんな説明を聞けば、彼がどれだけ大事にエーダリアを守っているのかがよく分かる。
「むむ、エドモンさんです!」
「ああ、客席への案内でしょう。彼は灯台妖精の血を引いていますので、目的地に辿り着くという行為に長けておりますから」
「それなら、お祭りの日の誘導は安心してお任せ出来ますね」
ウィームの騎士達は、そんなお客達の席への誘導も手伝ってくれるのだが、生活水準の高いウィームの中でも、高給取りであり、福利厚生もしっかりとしたウィームの騎士達は、観光がてら未来の伴侶も探してしまおうというご婦人達に大人気だという。
エドモンは案内を済ませると素早く立ち去ってしまい、ご婦人方を落胆させていたが、魔術師的な気質の強いウィーム中央の騎士達は、身近な女性達より外周のご婦人達への人気の方が高いので、そのようなところからも出会いに繋げ、結婚を見据えて意欲を燃やす騎士も中にはいるのだとか。
こちらの世界は、魔術的な誓約で個人の行動を縛ることが出来る。
それを徹底するだけの魔術的な背景のあるウィームでは、定められた手順さえ踏めば国際結婚にも寛容なのだ。
「傘の色があちこちに散らばって、街の中がお花畑のようです。華やかでわくわくしますね」
会場に向かう馬車の窓から、ネアはそんなウィームの街を眺めた。
商店や市場には傘祭りの飾り付けがあったり、家々の窓辺には、傘の形を模した可愛いオーナメントが飾られていたりもして、いつもの風景が今日は何だか陽気で楽しく見える。
そんな中、浮かれる人間のことが心配でならない魔物は、先程からネアにあれこれと注意喚起をしていた。
「……………ネア、クラ・ノイの扱いには気を付けるんだよ。彼は賢者という気質そのものとも言えはするものの、好奇心旺盛で気儘な竜でもあったようだ。このような祝祭では、羽目を外すかもしれない」
「………………なぬ」
「ケープを脱がないようにして、私から離れてはいけないよ。…………昨年の傘のようなものなら、安心だったのだけれどね」
「………………紫の傘さん」
「ネア様の傘は昨年に引き続き、アルテア様に縁のあるものなのですね」
そう苦笑したヒルドは、アルテアが傘祭りに参加しないことが意外だったようだ。
ネアもてっきり側にいてくれるつもりなのかなと思っていたが、このお祭りではネア達は中央会場の壇上に上がるので、それを避けてあえて別行動としたのだろう。
とは言え、ネア達と同じ檀上に上がらないだけで、会場のどこかには紛れているらしい。
「…………そう言えば、今年はエーダリア様の傘は予め決まっていたのですよね?」
「ええ。元々はバンルの使い魔の傘だったものが、思わぬところから傘祭りに上がってきましてね。バンルの使い魔は、歌劇を好みよく劇場に通っていたそうで、歌劇場の魔物が、劇場の屋根裏の拾得品の山の中にドロシーの傘が紛れているのを発見したのだとか。是非にエーダリア様にという話になりまして、昨年末から傘祭りに向けて準備がされておりましたが、何とか間に合いましたね」
「……………確かその方は、山猫さんだったのでは…………」
「ですので、山猫用の傘になります。使い魔用の道具になるので少し変わった形をしておりますから、傘祭りに出せるよう、魔術の接木を行い柄の部分を作り足していましたよ」
使い魔用の変わった傘とはどんなものなのだろう。
そう考えてこの世界の不思議さにわくわくしていたネアは、会場に着いたという声に、はっとして窓の外を見た。
(……………凄い熱気!)
今回は難しい傘が多い為、ネア達の傘の受け渡しが会場で行われることになり、エーダリアとノアは先の馬車で会場入りしていた。
次の馬車で向かったネア達は、道の混雑もあり少し遅れての到着だったのだが、領主であるエーダリアが壇上に上がっているからか、周囲は既に歓声に包まれ、領民達はすっかり準備万端のようだ。
「…………これは盛り上がりそうですね」
「また、暴れてしまうのかな………」
「ディノ?…………その、何度も前髪を撫でてくれるのはなぜなのでしょう?寝癖がついてしまっていたり…………」
「ネアの色が違う…………」
ディノが魔術で擬態させてくれたのに、そんなことを悲しげに呟く伴侶に、ネアはくすりと微笑む。
今日も、周囲の人々への認識をある程度操作する為の魔術を敷き、ネアは砂色の髪に見えるような擬態を組まれているらしい。
らしいと言うのは、鏡を覗いても、ネアにはいつもの自分が見えるからで、自分の姿を認識出来ないということが魔術的にはあまり好ましくない為に、あえて複雑な術式を組んでまでして、そのようにしたのだそうだ。
ネアなりに自分もそこそこにこのウィームに馴染んで来たと自負しているが、領外や国外からのお客が多く集まる祝祭では、こうして外見の印象を変えてみせ、ある程度の情報を掻き混ぜておくのが、ダリルなりの“嫌がらせ外交”であるのだとか。
「私は私ですから、元気を出して下さいね?」
「…………爪先を踏むかい?」
「…………傘の受け渡しがあるので、お昼の時にしましょうね」
「ご主人様……………」
馬車を降りると、封印庫の魔術師長が待っていてくれて、にこにこしながら、ネアのラベルの貼られた呪いの傘を手渡してくれた。
手の中に収まったのは、星闇の竜の骨を使ったという、瑠璃紺色の美しい婦人傘だ。
アルテアの手で呪物にされた後は既に滅びてしまったロクマリアという大国で凄惨な事件に関わり、その後封印されていた遺跡から持ち込まれて、この傘祭りの日を迎えている。
(管理していたのだから、当然と言えば当然なのだけれど、封印庫の魔術師さんは、普通に持てるのだわ……………)
魔物の第三席の作った呪物をさらりと持ち上げられるのだから、やはりこの御仁もなかなかに特等の魔術師なのだろう。
「…………そして、傘さんがたいそうぶるぶるしていますが、これはもしやお祭りで昂ぶっているのでは……………」
「…………随分と震えているね。人間は襲わないだろうけれど、取り扱いには気を付けた方がいいかもしれないよ」
「おや、確かに冷静という様子ではありませんね。竜骨の傘は頑強で好まれますが、傘祭りで暴れるのは大抵が竜骨の傘ですから、このような祝祭の場では、種族的に気持ちが高揚し易いのかもしれません」
そう教えてくれたヒルドにきりりと頷き、ネアは開始前に傘が脱走しないように、しっかりと柄の部分を握り締めておいた。
次に傘を受け取ったのはディノで、美術品のような美しい手が、問題の傘の華奢な持ち手を握る姿に少しだけひやりとする。
その傘を見たヒルドの眼差しが微かに揺れ、ネアは、下手に動揺して不手際がないようあらためて背筋を伸ばした。
しっかりとディノの手に渡されたのは、特別なところなどなさそうに見える、水色の紳士用の傘だ。
若干持ち手が細すぎるような気もするが、それ以外に特筆するべき特徴はなく、この傘が恐ろしい暗器として封印庫に紛れ込まされたものだとは、俄かに信じ難い。
こうして見ていても何だか緊張しているようだし、本当に怖い傘なのだろうかと思ってしまったネアだったが、ヒルドが受け取ったふくよかな濃紫色の傘がディノの傘をじっと凝視しているような気配を感じ、やはり傘達の中でも危険視されているのかなと考えた。
ディノに手を取られて石の階段を登れば、わぁっと歓声が上がった。
いよいよ壇上にリーエンベルクからの参加者が揃い、傘祭りが始まろうとしている。
しゃりんとネア達の手首で音を鳴らしたのは、ネアが頑張って作ったビーズの腕輪だ。
傘祭りにはこのビーズとリボンの腕輪をつけるのが習わしで、今年も白いリボンを使っているが、このリボンはディノの祝福がたくさん落ちたリーエンベルクの雪からヒルドが紡いでくれた糸を使い、ウィームの高級百貨店であるリノアールの職人にリボンにして貰った特注品である。
ノア曰く、カワセミリボンよりも魔術の質がいいのは勿論の事、ディノが元気な限りはリボンに織り込まれた祝福も色褪せないので、そうそうのことで傘には競り負けないそうだ。
認識上の問題から、より強い恩恵を受けるのはリーエンベルクに属する者達ばかりではあるものの、今年のリボンも特別なものであった。
「…………山猫さんの傘です!」
壇上でエーダリアの傘を見たネアは、不思議で美しい傘の姿を目に留めて、ぱっと顔を輝かせる。
特別な形の傘だと聞いていた通り、驚くべきことに、エーダリアの傘には持ち手がない。
いや、あるにはあるのだが、しゅわしゅわ光る魔術の光の粒子が持ち手を形成しており、エーダリアはそんな不思議な持ち手を掴んでいた。
(これが、エーダリア様が作りつけた、傘の柄なのだ…………)
魔術に疎いネアなどは、触れた肌は熱くはないのだろうかと思ってしまうが、勿論そんなことはないのだろう。
時折光の粒の中にぽわりと小さな花が咲き、あちこちから星屑のような形をした光がひっきりなしに零れ落ちている。
空に浮かぶようにばさりと広がったふくよかな葡萄酒色の傘は、それはそれは華やかであった。
ネアは、何て綺麗なんだろうと思わず見惚れてしまい、手に持った瑠璃紺色の傘にぐいっと引っ張られた。
「むぐる……………」
小さく唸ると傘は大人しくなったが、それでも早く自由にして欲しいものかもぞもぞしている。
けれどもこの傘祭りは、まずは開会の宣誓が必要なのだ。
やがて、すいっと手を伸ばした封印庫の魔術師の動きに、観客達が水を打ったように静まり返った。
(わ、…………)
そこに響くのは、厳かな魔術宣誓より始まり、その宣誓の言葉は伸びやかに詠唱へと切り替わってゆく美麗な音楽のような響きを持つエーダリアの詠唱だ。
やがて封印庫の魔術師達の詠唱が重なれば、より重厚さと豊かさを増した詠唱の美しさに、ネアはうっとりと聞き入った。
ずっと聞いていたいような美しい詠唱が終わると、エーダリアからの傘祭りの開始の宣言へと切り替わる。
「では、傘達の旅立ちを見送ろう。今年は少し変わった傘も多いが、空は充分に晴れ、魔術の備えも潤沢だ。彼等のウィームの空への道行きと、ウィームの空からの訪れに祝福があらんことを」
朗々と響いたその言葉の締めくくりで、檀上のネア達も一礼し、わぁっと人々から歓声が上がった。
空から舞い散る花びらは魔術を纏い、人々がいっせいに傘を開くばさりという音が重なれば、いよいよ、華やかな傘祭りの開始である。
「いいですか。領民の方々に悪さをしてはいけませんよ?そして、迷子にならないように、大はしゃぎでも、あまり遠くに行かないようにして下さいね」
「……………わーお。始まる前からお説教だ……………」
「ご主人様………………」
「ネア、傘祭りの領域は、魔術の覆いがかけられ、決められた場所からは出られないようになっている。今年はノアベルトの知恵も借りているからな。安心していい」
「では、困った傘さんが遠出し過ぎることはないのですね?」
エーダリアからそう聞いたネアは安心したが、広げて貰ったのだからもう離し給えと言わんばかりに、呪いの傘は引き続きぶるぶる震えていた。
(でも、傘が浮き上がるのは、あの不思議な風が吹いてからだもの…………)
ただ傘を投げ出せばいいのではなく、傘達が解き放たれるのにもきちんとした手順があることを忘れてはいけない。
領民達や、傘祭りを見に来た観光客達が固唾を飲んで見守る中、その瞬間は突然やってきた。
人々のざわめきが落ち着き、一瞬の欠落のようにしんとした沈黙が落ちた直後、手の中の傘がふわりと軽くなり、温度のない風がごうっと吹いた。
後はもう手を離すだけだ。
それだけで傘達は、ウィームの街の中を縦横無尽に飛び回るようになる。
ネアも、握っていた呪いの傘の柄からそろりと指を離し、浮かび上がる傘に唇の端を持ち上げる。
そして、事件は一斉に起こった。
「ほわ?!……………ぎゃ?!」
まずはネアの手の中の呪いの傘が、ぎゅんと勢いよく空に飛び出した。
浮かれているというよりは、若干必死さを感じる動きに疑問を感じる間もなく、遠くまで飛んで行ってしまったその姿を見送る。
それとほぼ同時に、エーダリアの手を離れた山猫の傘が、ぐわっとこちらに飛んでくると、ディノが手を離したばかりの水色の傘に襲い掛かったのだ。
そして、呆然と見守るネア達の前で、ぎゅるんと回転しながら体当たりした山猫の傘に吹き飛ばされた水色の傘は、べしゃりと壇上のすぐ下の地面に落ち、周囲から飛びかかってきた他の傘に、あっという間にばきばきにされてしまった。
「よ、容赦がありませんでした……………」
「私が持たなくても、問題なさそうだったね…………」
「もしかして、慌てて飛び上がった呪いの傘さんは、この騒ぎに巻き込まれたくなかったのかもしれません…………」
「うん。素早く逃げて行ったようだね…………」
一瞬で破壊されてしまった水色の傘は、どの傘よりも早く細やかな光の粒子になって空に昇ってゆく。
傘祭りでは、傘達の喧嘩で壊れた傘もこうして綺麗に昇華出来るのだが、これは魔術の階位を一時的に無効にする特別な効果であるらしい。
だからこそ、毎年の傘祭りでは、必ず一本は、曰く付きの傘の持ち込みがあるのだ。
恐ろしい獰猛さで、エーダリアを狙う傘を亡き者にした山猫の傘は、今は嬉しそうにエーダリアの周囲をくるくると舞い飛んでいる。
けれども、ノアが手を離した白い傘骨の傘が浮かび上がると、威嚇をするようにこちらに向き直って、傘の部分をばさばさと閉じたり開いたりした。
「わーお、エーダリアを守っているつもりなのかな?」
「傘さんの威嚇の仕方を初めて知りました。………………む?」
「ありゃ、……………」
ノアの持っていた傘も、木の枝と一緒に壁に磔にされていたくらいなのだから、それなりに厄介なものだったのだろう。
他の傘の心配がなくなったところだったので、こちらは大丈夫だろうかと視線を向けられたその傘は、なぜかふわりとネアの正面に飛んでくると、礼儀正しくぺこりとお辞儀をした。
白い傘骨を持ち、傘地は青緑色にそっと薄墨色の絵の具を刷毛で伸ばしたような、えもいわれぬ美しい風合いの傘で、昇華させるのでなければ是非に使ってみたいくらいに繊細で美しい。
「……………賢い傘さんでした」
「ネアがまた傘に浮気する……………」
「え、何の接点もないままに傅かせるって、どういうこと……………?」
呆然としたまま首を振ったノアの隣で、山猫の傘を従えたエーダリアも胡乱気な眼差しでこちらを見ているので、ネアはふんすと胸を張り、これこそが人徳というものであると宣言しておいた。
若干、観客席の方からネアのことを拝んでくる一団がいるが、そちらは怖いので早々に立ち去って欲しい。
見ず知らずの傘がネアを崇めてくれるのは、ネアという人間の偉大さと崇高さに尽きる。
決して、神の力などではないのだ。
山猫の傘に守られたエーダリアの向こう側で、ヒルドは、一度戻ってきた紫の傘をそっと撫でてやっている。
その傘も、先程の水色の傘の抹殺に加わっていたようで、ヒルドは満足げな眼差しで、頑張って領主を守ってくれた傘を褒めてやっているようだ。
「ネア。…………もしや、その傘もアルテアの傘なのではないか……………?」
「エーダリア様、確かに良い使い魔さんですが、アルテアさんの傘がみんな懐く訳ではないと思いますよ……………。それにしても、良く見ると木を模したような装飾がとっても綺麗な傘さんです………」
「これは、木の系譜の魔物の祝福を持つ傘のようだね。アルテアの手はかけられていないと思うよ。…………この白はね、私達が持つような白の色ではなく、終焉の白の領域のものだ。外的な要因を終焉により退ける祝福を得ているようだから、ウィリアムの系譜の魔術を帯びているのではないかな」
「と言うことは、私のブーツにかけられたウィリアムさんの守護に気付いて、礼儀正しくして下さっている可能性もあるのですね?」
「そうなのかもしれないね。…………ほら、同意しているようだ」
ネアの正面に浮かんだ傘は頷くように揺れてみせると、ではそろそろと言った具合にふわりと空高く舞い上がり、青空を色とりどりに染め上げている他の傘達の方へ飛んでいった。
その姿を見たエーダリアに促され、山猫の傘も、ヒルドの紫の傘と一緒に空に散歩に出る。
手を振ってその姿を見送り、ネアは、この壇上の周囲で起きている最後の戦争の方を眺めてみる。
「……………そして、ゼノの傘が、絶賛戦争中です…………」
「……………うん。他の小さな傘達とあまり仲が良くなさそうだね………」
ネア達の視線の先では、ゼノーシュが選んだオレンジ色の傘は、可愛らしい絵柄や楽しい色合いの他の子供傘達と、激しい戦いを繰り広げていた。
幸いにもこれは、先程滅ぼされた水色の傘とは違い、純粋に傘の喧嘩なのだろう。
しかし、子供というのは時として大人達以上の苛烈さを示すもので、子供傘達の戦いはなかなかに激しく、ネア達は更に激しさを増して観客達の中に飛び込んでゆく傘達の姿をそっと見送り、静かに視線を逸らした。
わぁぁと遠い声が聞こえてきた。
声が聞こえてきた方向を見れば、荒れ狂う赤い傘と領民達が戦っている。
ぎゅんぎゅん回って男達を翻弄する大きな傘は、竜骨の傘の一つであるらしい。
暴れ馬のように観客席に飛び込んでは、慌てた騎士達が連れ戻しているのだが、盛り上がった観客達も今度こそ負けないぞと声をかけてしまうので、傘も再び客席に飛び込み、その繰り返しの大騒ぎになっているのだ。
ずばんと激しい音がして振り向けば、今度は青地に灰色のストライプのある傘が、はしゃぎすぎて前を見ていなかったものか、本屋の壁に激突してへしゃげ、残念ながらここで試合終了の光の粒子になって昇華されていってしまっている。
かと思えば、フリルの美しい薔薇色の婦人傘をどこまでも追いかけるしつこい黒い紳士傘もおり、なかなかに傘達も自由に楽しんでいるようだ。
「………………ご主人様」
「さては、じわじわと怖くなってきてしまいましたね?」
「どうしてあのように戦うのかな……………」
「まぁ。なかなかに激しい女の戦いです…………」
魔物が目撃してしまったのは、なぜか花柄の婦人傘と取っ組み合いで戦っている黒髪のご婦人のようだ。
持ち主も傘も許してはおけないと叫んでいるので、何やら、持ち主から繋がる深刻な問題が影響しているのかもしれない。
慌てた街の騎士が割って入って止めようとしたのだが、ご婦人と傘の双方からくしゃくしゃにされて蹴り出されてしまっていた。
仲間のその様子を見てしまい、他の騎士達はすっかり怯えてしまったものか、手を出せずに遠巻きにしている。
さあっとまたあの不思議な風が吹けば、早々に満足したらしい傘達が、きらきらとした美しい光の粒子になって空に昇ってゆく。
雪化粧のウィームの街を個性豊かな傘達が舞い飛ぶ光景は、賑やかで奇妙で、けれどもなぜか儚いような美しさが胸を打つ。
観光客達は、思っていたよりも激しい傘との戦いに慄けばいいのか、空に舞い上がる美しさを楽しめばいいのか、忙しなく視線を動かしては屋台の食べ物などをいただき、楽しそうにお喋りしていた。
ネアは今年で三回目になるのだが、傘祭りには、毎年色々なことが起こるので、いくらでも見ていられそうだ。
昇華する傘の光をじっと見ていると、胸がじわりと熱くなるのはなぜだろう。
「むふぅ。あの光はとても綺麗ですね…………。見ていると胸がいっぱいになります」
「昇華してゆくものの光は、安堵や喜びの魔術だからね」
「……………そして、傘の柄に引っ掛けられて空中に連れ出されたご老人がいますが、大丈夫なのでしょうか…………」
心配な光景に眉を下げれば、そちらを見たエーダリアがどこか遠い目をする。
「…………あの医者は、空中戦を楽しんでいるのだ。毎年やるから放っておいていい」
「空中戦………………」
「………………わーお。振り回されて放り投げられたけど………………」
「私も最初に見た時には驚きましたが、あのご老人は、傘に空中から投げられるのが愉快なようですよ。可動域も高く頑強な方ですから、個人の趣味なのだと思っていただいても良いでしょう」
「ありゃ。…………投げられるのがご褒美とは随分拗らせたなぁ………」
そんなノアの呟きを聞き、ディノは瞳を瞬いた。
ぎくりとしたネアの方をゆっくりと振り返り、どこか不思議そうに少しだけ首を傾げる。
「………………投げられるということは、良いことなのかな」
「ディノ、ご主人様は、空中投下反対派に属しています。絶対に真似をしてはいけませんよ!」
「ご褒美ではないのかい?」
「と、特殊なやつです!ココグリスが木の皮を齧るような種族的なものなので、ディノは真似してはいけません!」
その後も続いたご主人様の精一杯の説得により、幸いにも魔物はなんとか空中投げへの憧れを捨ててくれたようだ。
これから、エーダリアやネア達は、広場を離れて会議を行う立派な施設の中で昼食の時間となる。
領主達が会場を離れている間に、領民達が少しばかり羽目を外すのもまた、傘祭りの醍醐味なのだ。
ネアは、お昼前にすっかりくたくたになってしまい、空中に放り投げられる代わりに三つ編みを引っ張って貰えてご機嫌の魔物と一緒に、議事堂に移動した。
(空白)




