65. そこには終焉がありました(本編)
ウィリアムの誕生日会のその日、ハラハラドキドキ感は相当なものだった前半を終え、広間の中は穏やかな歓談の場となっていた。
相変わらず窓の向こうは静かな霧雨で、窓から柔らかく落ちる灰青の影が、何とも心を柔らかくする。
「ネアの唐揚げは、やはり美味しいな」
「今回は、じゅわっとお肉がジューシーになったので我ながら良い出来なんです!」
「じゅーしー……………?」
「ふふ、今回の唐揚げは、ディノも手伝ってくれたのですよね」
「おや、シルハーンもですか?」
おやっと眉を持ち上げてそう驚いてみせてくれた優しいウィリアムに、ディノは少しだけもじもじしてから頷いた。
狡猾な人間から、伴侶間で料理の手伝いをするのは仲良しの証だと教えられてしまっているのだ。
「……………そして、この夏野菜のムースがあまりにも美味しくて、…………む。目を離した隙に一瞬で消え失せました……………どこにいってしまったのでしょう」
「最初から最後まで、自分で食っただろうが」
「まぁ。使い魔さんが謎めいたことを仰っていますが、私はまだ二口程しかいただいていない筈なのです」
「やれやれだな……………」
「ネア、こっちのトウモロコシのゼリー寄せも美味しいよ!それとね、ネアのキッシュも凄く美味しかったから、もう食べちゃった」
「まぁ!ゼノにそう言って貰えて良かったです!実は、アルテアさんのレシピだったので、今日のキッシュは自信作だったんですよ」
ゼノーシュお勧めのゼリー寄せは、ピューレ状にしたトウモロコシのスープに夏野菜をたっぷりいれた、可愛らしい黄色のものだった。
黄色と緑、そして赤の色どりが鮮やかで、最初に見た時にはキッシュがかぶってしまったのかなと密かに悲しく思っていたネアは、お皿を経由させたゼリー寄せを嬉しい驚きと共にお口に入れる。
「ほわ………………色々な食感があって、つるんと濃厚でとっても美味しいです。一度にお野菜を沢山食べられたような、贅沢な気持ちになってしまいますね」
もぎゅもぎゅしながらネアが頬を緩めていると、エーダリア達と話していたイーザがこちらにやって来た。
歩くと長い髪が揺れ、羽にある銀色の細い筋がなんとも美しい。
相変わらず、ネアがヒルドに次いで美しいと思う妖精の座を今も守り続けているのが、この霧雨のシーのイーザである。
「イーザさん、今日は来てくれて有難うございます」
「いえ、こちらこそお招きいただき、たいへん嬉しかったです。ウィリアム様のお祝いに加われるだけでなく、ネア様にも直接お礼をさせていただきたいことがありましたから」
「私に、……………ですか?」
「ええ。末の妹が、先日はお世話になったようでして……………」
話を聞けば、ネア達がテルナグアに遭遇したあの日、イーザの末の妹がウィームに来ていたのだそうだ。
霧雨の一族の中でもネアは会ったことのないお嬢さんなのだが、ウィームにあるリボン専門店をご贔屓にしていることは以前から聞いていた。
その日も、姉達に連れられてリボン目当てでウィームに買い物に来ていたのだが、まだ小さな彼女は、目を離した隙に一人でどこかに行ってしまい、水路脇にある木立の上で遊んでいたらしい。
これには、小さな妹の思いがけない素早さに翻弄され続けて疲労困憊していた姉妖精達にも言い分があるらしいが、よりにもよってその日に水路沿いにいたのは確かにかなり危うかった。
「幸い、ネア様達からの適切な一報を受けたウィームの街の騎士が、水路沿いを手早く見回って妹を発見してくれました。まだ遊ぶのだと駄々を捏ねた妹を素早く保護し、家族の下に帰してくれたことには感謝しかありません」
「……………良かったです。小さな妹さん一人であれに出会ってしまったら、きっと物凄く怖い思いをすることになったでしょうから……………」
「ええ。現に、妹が保護された場所から殆ど離れていない場所で、男性が一人行方不明になったと聞きました。テルナグアは獲物の種族を選びませんから、危うく大事な妹を一人奪われるところでした」
なお、そのイーザの妹は、自分を保護してくれた騎士をすっかり気に入ってしまい、将来はその騎士のお嫁さんになると宣言し、家族を大慌てさせたらしい。
何しろ、イーザの妹は人間で言えば十歳くらいのまだ幼い妖精であるのに対して、その騎士は、父親だと言われても納得の壮年の男性なのだ。
実年齢では妖精の方が年長であれ、ぱっと見たいそう危うい組み合わせになってしまう。
「とは言え、あの子は妖精としてもまだ幼いですからね……………」
「確かに、お嫁さんにとなるとハラハラしてしまいますが、…………その騎士さんは、助けた可愛らしい妖精のお嬢さんからそんな風に言って貰えるというだけでも、とても嬉しかったでしょうね」
「彼は、妻子を蝕で亡くしたばかりだからな。助けた小さな妖精から求婚されたと、すっかり上機嫌で同僚に自慢しているらしい……………」
柔らかく苦笑してそう教えてくれたエーダリアによれば、街の騎士が保護した妖精の子供から求婚されたという話は聞いていたが、その妖精がイーザの妹であることは知ったばかりなのだそうだ。
騎士からしてみれば、亡くした息子と同じくらいの年頃に見える妖精を助けたら、幼い言葉で求婚されてしまったのだから可愛くてならないのだろう。
小さな妖精からお嫁さんになると言われたと話す彼の友人達は、久し振りに嬉しそうにしているその姿を心から歓迎しているらしい。
その騎士が、自身の危険を押しても水路周りを見回ったのは、自分のように大事な家族を失う者を少しでも減らせるようにという思いからでもあったようだ。
「私は、新年の警備について直接話をした事がありますが、気持ちの良い男ですよ。素行や気質にも全く問題のない人物ですので、イーザの妹が彼を訪ねても大丈夫だと話していたところです」
ヒルドの言葉に、イーザは兄としての複雑さも覗かせ、僅かに苦笑した。
「話を聞く限り、妹がますます気に入りそうな相手ですね」
「そうか。霧雨の妖精と言えば、かつてテルナグアで犠牲が出た事があったな……………」
そう言葉を挟んだのは、ウィリアムだ。
ネアが過去に何かあったのだろうかと眉を下げると、イーザはふっと美しい羽を揺らした。
「……………ええ。あの時は弟でした。心を寄せていた鈴蘭の妖精を守ろうとして駆け付け、二人ともそのまま……………。そのような事がありましたからね。妹があらためてお礼に行きたいと話していることもあるのですが、父も自らその騎士に挨拶に行くのだと、張り切っております」
その騎士は突然妖精王が訪ねてきたら驚くだろうが、その訪問は実現しそうな気がした。
霧雨の妖精のお城を訪ねた時のことを思い出し、ネアは、あの御仁であれば街の騎士を怖がらせることもないだろうなと考える。
「ネア、これ見てよ。酷いと思わない?」
「ノア………?まぁ、私のキッシュを食べてくれているのですね?」
「アルテアがさ、僕のはこれしか切ってくれなかったんだけど」
「むむ、確かに細めですね…………」
「自分が最後だからって、僕より大き目に切り分けたんだよね」
しょんぼりとその告げ口に来たノアに、ネアはあまり沢山食べないのに、沢山キッシュを食べようとしてくれた義兄をにこにこと見上げた。
こんな時に、自分にとっての大切な人が、この手で差し出した心を受け取ってくれるような喜びを感じる。
こんな日だからこそいっそうに、その思いは強く感じられた。
「また作りますね。そうしたら、食べてくれます?」
「勿論、君が作ってくれるなら喜んで食べるよ。わーお、求愛されたぞ」
「ネイ…………」
「ごめんなさい……………」
その後、テルナグアの話が出ていたからか、こちらに来たギードが、テルナグアに似ているが反対に祝福を落とすものを教えてくれた。
残念ながらウィームではあまり見ないそうだが、チャウチムという、林檎くらいの大きさのふわふわの茶色い子犬のようなものが籠に入って川を流れてくる事があるらしい。
このチャウチムを見ると数日以内に良い事が起こるそうで、砂漠の国で雨季に見られる祝福として尊ばれているのだとか。
なお、その年初めての雨の日にチャウチムを見ると、その人物は二年以内に大きな財を成すと言われているそうだ。
ただし、雨の日の川沿いには恐ろしい生き物達も現れるので、チャウチムを見る為だけに川沿いをうろうろするのはあまりお勧めではないらしい。
(そして、そろそろ食事は落ち着いてきたかしら……………)
誕生日会の宴は和やかに続き、ネアは、今はグラストとゼノーシュと話をしているウィリアムの方を見る。
皆の食事の手も止まり始めたので、そろそろ誕生日ケーキをカットする頃合いなのかもしれない。
すると、そわそわし始めたネアに気付いたヒルドが、そろそろケーキも切りましょうかと提案してくれた。
きりりと頷いたネアは、一度全員の視線が集まってしまったので、リーエンベルクの料理人が作ってくれた素晴らしいケーキもあるのだと慌てて告知する。
新作のケーキなので、いつもの面々だけならいざ知らず、それ以外のお客様に振る舞うにはいささか緊張してしまう。
シフォンケーキのようなふわっとした紅茶のケーキは、たっぷりの檸檬と檸檬のお酒をきかせたクリームでデコレーションしてある。
花の部分も含めほんのり檸檬色の白いクリームが、ネアなりにちょっぴりウィリアムを意識した部分であった。
(そして、食べやすさを重視してふんわりケーキを作ってしまったけれど、ナイフで切ったらぺったんこになるのでは……………)
「む、……………むぐ」
「ったく。貸してみろ」
「アルテアさん!その大きなお花がウィリアムさんで、小さなお花がディノの分です。ふんわり軽いケーキなので……」
ナイフを手に、果たしてうまく切れるだろうかともだもだしていたネアは、溜め息を一つ吐いたアルテアにその役目を代わって貰う事が出来た。
アルテアは、さすがの手際で素早く綺麗にケーキを切り分けると、お皿の上に乗せてくれた。
ネアがやるとケーキがぱたんと無残に倒れかねなかったので、ほっとしてお礼を言えば、器用に片方の眉を持ち上げて渋い顔をされたので、次回からはアルテアの分もケーキ特別区画を用意するべきだろうか。
「ネア、有難うな」
アルテアから受け取ったお皿をウィリアムに渡せば、終焉の魔物は微笑んでそう言ってくれる。
昨晩こちらに来た時の目の下の翳りは消えていて、穏やかな目をしているのが何だか嬉しかった。
(…………そして、さっき少しだけ一人で立っていた)
無言で立ち尽くしたほんの数秒の間、目を閉じて静かに天井を仰いだウィリアムの瞳は、少しだけ潤んではいなかっただろうか。
前髪をくしゃりと掻き上げた指先は、僅かに震えていなかっただろうか。
グレアムは近くにはいなかったが、それでも、ウィリアムの様子には気付いていたに違いない。
そんなウィリアムは今、フォークでケーキをぱくりと一口食べ、にっこり笑顔を浮かべてくれる。
「…………これは美味いな。紅茶の風味とクリームの檸檬の香りも良くて、あっという間に食べてしまいそうだ」
「お口に合って良かったです。あまり甘すぎないように…」
「僕はもっと甘い方が好きだから、次回からは気を付けるといいよ」
「ヨシュア?」
「ふぇ、何でウィリアムが怒るのさ?」
ウィリアムの静かな声に震え上がってしまったヨシュアは、慌ててネアの背中に隠れているが、こちらにおわすは、手作りケーキを駄目出しをされたばかりの制作者である。
小さく唸って威嚇したネアに、ヨシュアは悲し気に眉を下げた。
そうなると今度は何だか可哀そうになってしまうのだから、恐るべし雲の魔物と言えよう。
「…………むぅ。私のケーキについては、本日はウィリアムさんに準拠していますので、甘いケーキが良ければこちらのリーエンベルクのものをどうぞ」
「これは、ウィリアムの為に作ったのかい?」
「ええ。お誕生日なので、特別にお作りさせていただきました」
「ほぇ。……………ウィリアムともいちゃいちゃしてるよ…………」
思わずといった様子でそんなことを呟いたヨシュアに、なぜかウィリアムは、冷ややかに細めていた眼差しを緩めたようだ。
ネアがウィリアムの為に頑張って作ったケーキを擁護しようとしてくれたのだろうが、ヨシュアが特製ケーキだと理解したことで留飲を下げたのかもしれない。
「けれど、ディノはもう少し甘い方が良かったですよね?」
「ネアのケーキは、美味しい……………」
「む。少し頑固な目をしています……………」
「ご主人様……………」
「わーお。いいねこれ。僕はかなり好きだなぁ」
「おや、これは爽やかなケーキで美味しいですね。木漏れ日と檸檬のリキュールでしょうか」
そう気付いてくれたヒルドにネアが頷くと、隣では甘いものは食べるが甘党ではないエーダリアも、こくりと頷いている。
「………このようなケーキであれば、食事の量が多くてもその後で充分に食べられるな」
ここでネアは、はっとして広間の中を見回した。
(……………グレアムさんとギードさん、イーザさんまで食べてくれている!!)
いつの間にかネアのケーキは全員分に行き渡っており、ネアは嬉しい反面震え上がってしまった。
どきどきしながらゼノーシュの評価を待ったが、幸いにも美味しいと微笑んでくれたので胸を撫で下ろした。
すると今度は、かなり小さな一口でケーキをゆっくり食べているイーザが気になったが、ネアの視線に気付いたイーザから、美味しいものはこうして味わうのだと言って貰い、そちらの評価も悪くなくてほっとする。
「ネア、俺まで貰ってしまった。美味しかったし、ウィリアムの誕生日のケーキを食べられて嬉しい」
「ああ。ネアはこのようなものも上手に作れるんだな」
「むむ、ギードさんとグレアムさんにまで褒めて貰ってしまいました。今回のケーキは初めて作るようなものだったので、美味しく食べて貰えて嬉しいです」
「ウィリアムがケーキを作って貰えただけでも、凄く嬉しい……………」
そう呟き、ちょっと涙腺が弱くなってしまったものか、ギードはまた目元を押さえている。
離れた位置でその姿を見ていてウィリアムは苦笑してはいるものの、そちらも何だか落ち着かない様子だ。
となれば、全員がケーキを食べ終えたここしかあるまいと、ネアは、ケーキを食べ終わってしまって悲し気にお皿を見ているディノをつんつんした。
「……………ネアのケーキがなくなった……………」
「ふふ。綺麗に食べてくれて、有難うございます。そして、そろそろ贈り物なども取り出したいなと思うのですが……………」
「うん。取り出すかい?」
「はい。……………どきどきしますね」
「ずるい……………かわいい」
ここで、お誕生日の終焉の魔物をお祝いで追い詰めるべく、満を持して取り出された贈り物は、綺麗な泉結晶の小箱に入っているランチョンマットであった。
ウィリアムの性格も踏まえ、敢えてリボンなどの余分な包装はせず、透明な泉結晶の箱に入ったランチョンマットの色と、その上に乗せたカードの色を見せるようにした贈り物だ。
「ウィリアムさん、私とディノからのお誕生日の贈り物です。実はこのランチョンマットには仕掛けがあって、その中に、皆さんからの贈り物が沢山詰まっているのですよ」
ネアが、賞状の授与のように平べったい箱を両手で渡しつつそう付け加えると、微笑んで箱を受け取ったウィリアムは目を瞬く。
どのような贈り物なのかまだ分からない様子で、こちらを見た白金の瞳はどこか無防備であった。
「……………綺麗なランチョンマット……だな。実は、こういうものは持った事がないんだ。初めてしっかりと見たが、かなり高価な織物なんじゃないか?」
「内側に沢山仕掛けを施すにあたって、ディノと相談しながら、リノアールのお店で相応しい紡ぎ糸で織って貰ったんです。実は二枚重なっていて、下にあるくすんだ木苺色のものが温かいもの用、上に乗っている夜藍色のものが冷たいお料理用ですからね」
「……………二枚もいいのか?」
「ふふ。驚くのはこれからですよ!」
ネアはここで、ふんすと胸を張ると自慢の贈り物の説明を始めた。
このランチョンマットは、実はランチョンマット型食堂とも言うべき仕掛けがあり、テーブルの上に広げて特定の魔術を示せば、この上に一食分の料理が現れる仕組みになっているのだ。
なかなか複雑な魔術を織り込んであるので、ひと月に五食までの限定の上に、内二食はサンドイッチなどの軽食になってしまうが、スープなどを持たせても足らないようで、鳥籠の中では何かと食事を抜くことが多いウィリアムには、有用なものだと考えている。
「二食は、私の厨房から五品程で展開します。最初の一食を食べると、暫くした後に添えられたカードに新しいお品書きが出ますので、それを見て下さいね。毎月一食は、リーエンベルクの晩餐と同じ内容のものが。そして、軽食の二つはリーエンベルクの騎士さんのお夜食が一つと、私の厨房で作られるサンドイッチになります」
その説明を聞き終え、ウィリアムは暫し呆然としていたようだ。
ゆっくりと深く息を吸い、両手で持っている泉結晶の箱の中のランチョンマットに視線を落とし、もう一度息を吸う。
「……………ネア、これはその場限りのものじゃない。……………手がかかるだろう?」
「ええ。でも、ウィリアムさんについては、やはり、生活の補助となるような贈り物が一番ではないかと考えました。私とディノが一番心配なのも、その部分なのですよ」
(これだけ揃えれば、ウィリアムさんがその間に一度も自分で食事に行かなくても、一月は乗り切れると、ディノも保証してくれた…………)
予め特製水筒などで持って行って貰うスープやサンドイッチ、そしてリーエンベルクに来てくれる日の一緒の食事。
そしてこのランチョンマットで、漸く、過重労働な終焉の魔物の食生活の最低保証の図案が完成したのだった。
人間なら足りない量だが、魔物であればこれで事足りると聞き、ネアはランチョンマット運用にとても期待している。
作り置きのメニューは、状態保存の魔術で控えさせているので、一度準備しておけばそれ以上に手はかからない。
勿論、使わなかった場合は来月への持ち越しも可能なので、無駄にもならないのだ。
「………………ネア」
「睡眠は押さえましたので、次はお食事です!手がかかるのは確かですが、このくらいなら何の負担にもなりません。なお、初回は特典メニューの追加がありまして、アレクシスさんのお店の疲労回復スープのセットもありますからね」
「……………それは効きそうだな」
そう呟いたウィリアムの背中に、ギードがそっと手を当てている。
こちらはまたちょっと涙脆くなっているので、過保護な兄弟のようになってしまっていた。
「ランチョンマットに編み込んだ魔術は、ノアやアルテアさんに相談しながら、ディノが作ってくれたんですよ。そして、リーエンベルクのお食事は、エーダリア様とヒルドさんが協力してくれました」
「……………ああ」
短く頷いてから暫く贈り物を見つめ、ウィリアムはその一人一人にお礼を言っていたようだ。
少し距離を取ってその様子を見ていたネアの隣に、グレアムが立つ。
「…………今日はいい日だな」
目が合うと淡く微笑み、秘密めかして声を潜めてそう言う犠牲の魔物も、どこか無防備な揺らぎを瞳に宿していた。
さらりと耳元で揺れた白灰色の髪には、窓から差し込む霧雨の日の青白い影が煌めいている。
「こんなに素敵な日なのに、途中で帰ってしまうのですか?」
ネアがそう尋ねたのは、グレアム達が二時間ほどで退出してしまうと事前に聞いていたからだ。
もう少し居てもいいのにと思わざるを得なかったが、へにょりと眉を下げたネアに、グレアムは優しく微笑みかけてくれる。
「ああ。…………だからこそ、ウィリアムのやり方を挫かないように慎重でいないとな。それに、身内だけで祝うような時間も設けた方がいい。ウィリアムは、…………まだ、いつものようにネア達に甘えられていないようだから」
「むむ、それではウィリアムさんを甘やかしますね」
「そうだな。宜しく頼む。俺も、今夜はいい気分で眠れそうだ」
グレアムがそう呟いて本当に幸せそうに綺麗な瞳を細めたのは、ちょうどウィリアムがディノにお礼を言っていた時のことだった。
ネアはまだその後の事件のことなど知らずに、敢えて早めに退出して残りの時間はゆっくりと家族相当の輪で過ごさせてくれる、犠牲の魔物の心遣いに惚れ惚れとしていた。
けれどももしその全てが、高位の魔物らしく本能的に危険を察していたからこその行動であったら。
そう考えるとまた、その日の出来事の見え方は変わってきてしまうのだ。
「……………そう考えないと、おかしいではないですか。事故らない方々は一人も残っておりません!グレアムさんとギードさん、イーザさんと、イーザさんが一緒の時のヨシュアさん、更にはグラストさんとゼノです」
「おい、こっちを見るな」
「ありゃ、…………そう言えば僕、ゼノーシュ達が事故るのって見たことがないや」
「………………むぐ。なぜに私を見るのだ」
「…………なぜこうなったのだ……………」
ネアが荒ぶり、エーダリアが頭を抱えているのも無理はない。
沢山話し、沢山飲んだり食べたりした後、外からの招待客が帰路に就いた後、ウィリアムの誕生日会場ではとんでもない事件が起きていた。
それは、毛皮の会のウィリアムの為に、ネアが伴侶をムグリスにしてしまい、ちびこい三つ編みをへなへなにして困惑するムグリスディノのお腹を、ウィリアムにそっと差し出してみた時のことだった。
持ち込まれて楽しく飲んだお酒の中に、どうもかなりに強いものがあったようだ。
よって、ネア達はいい感じにほろ酔いであり、誰も危機意識などは発動させていなかったのである。
「……………ノアとアルテアさんは、何をしたのですか?」
「キュ…………」
震える声でネアが尋ねたのは、本日の事故の実行犯達だ。
本日の事故としてしまうが、そもそも、事故とは滅多に起きてはならないものではなかったのだろうか。
なのになぜ、ネア達は今、見慣れぬ地下の草原にいるのだろう。
「ええと、僕がさ、おかしな作りの床石を見付けたんだよね。色の組み合わせが少しずれていて、使われた石材がそこだけ他のものと違ってさ……………。で、これって仕掛け床だよねって、隣にいたアルテアと話して………ヒルド、目が怖いんだけど!」
「………………なぜあなたは、不用意にそれに触れたんですか」
「えっ、触れたのは僕じゃなくて、アルテアだからね?!」
「おい、表層の魔術の動きを計ろうとして手は翳したが、触れたのはお前の方だろうが。しかも、動いた仕掛けを踏んだのはこいつだぞ」
「……………踏んだのではありません。突然、足元の床がぺかっと光ったのです。寧ろ巻き込まれた被害者なのです…………」
「可哀想に。怖かったな」
「キュ……………」
ネアは今、主賓であるウィリアムに持ち上げられている。
最初の頃と比べると格段に安定した持ち上げだが、よりにもよって誕生日会に持たせてしまうなんてと自立を提案したものの、ウィリアムは危ないからと承知してはくれなかった。
ムグリスなディノが元の姿に戻ればいいのだが、この空間の許容量のようなものが判明しておらず、作り付けの併設空間で、ましてや今回のような大人数の時は、急な容量の増減は危険なのだそうだ。
かくしてネア達は、リーエンベルクの謎の地下収納にしゅぼんと落とされてしまい、今はこうして不思議な夜の草原で満天の星を見上げている。
「…………しかしながら、何だか綺麗な星空で、心がのんびりしてきました。夜風も気持ちいいですね」
「ああ。…………確かに、不思議なくらいに気持ちのいい場所だな」
さわさわと、夜風に柔らかな草原が揺れる。
草地には淡い水色の小花も咲いており、長閑な夜の草原はどこまでも続いていた。
月は見えないが、星空の明るさが素晴らしい。
「確かに、この様子からすると悪い場所ではなさそうですね………。ネイ、そちらには何かありましたか?」
「この空間の様子からして、不確定な空間と言うよりは、一つの部屋だと思うんだよね。元々用途を考えて作られていた空間なら、リーエンベルクの建造のあった年代的にはこの辺りに仕掛けの説明がある筈なんだけどなぁ………」
「…………いや、改修工事を入れていた時期があるな。その時だとしたら、…………この辺りか」
ネアにはさっぱり分からない魔術の証跡を探して、ノアとアルテアは草地の花を調べている。
商品に記された製造番号のような感じで、このような部屋には、どこかに部屋の成り立ちを示す魔術式が記されている筈なのだそうだ。
魔術式には膨大な情報が収められており、そこから帰り方や部屋の仕掛けなどが読み取れるらしい。
少し長くなりそうなのでと、ネアは首飾りの金庫から敷物を引っ張り出し、それを広げて臨時のピクニック会場を作り出した。
大容量金庫がある場合、持っていると重宝する携帯クッションなども並べ、のびのびと星空の下で寛いだ。
「あった!……………これだ。…………わーお。特定の要人と抜け出して、極秘裏な会談の場を設けたり、お気に入りの相手を連れ込む用の時間型の隔離空間だったみたいだね。……………って、何でピクニックしてるの?!」
「……………むぐ。我々はほろ酔いでしたので、こんな素敵な星空を用意され、肌には夜風が心地よいのです。これはもう、冷たいお茶などを飲みながらごろごろするしかなく……………」
「………………おい、お前は、ウィリアムに体を寄せ過ぎだぞ」
「これは、画期的な体勢なのですよ?全体的な筋力が足りないか弱い人間としては、地面の上の敷物の上にぴしゃりと座るのはなかなかの重労働なのです。こうして寄りかかると、ウィリアムさんの体が体止めになり、尚且つウィリアムさんは座ったまま私の安全を見張れるのだとか」
「アルテア、初めて来た場所なので、警戒は必要でしょう。それに、ネアもこの方が座りやすそうですからね」
「ほお、何とでも言えるな」
「わーお、腹黒いぞ…………」
ウィリアムもこの草原が気に入ってしまったのか、機嫌よく微笑んでそう説明してくれる。
エーダリアは、ヒルドと一緒に小花を調べており、持ち帰れるのなら是非に一輪欲しいようだ。
なお、ノア達の調査により、この空間は、触れた者を星空の下に呼び寄せる強い祝福を帯びた星空の事象石を応用したもので、一時間きっかりで元いた場所に、殆ど時差なくふわりと自然に戻されると判明した。
よく、舞踏会やお茶会で一瞬姿が見えないような気がしたがよく見たらやっぱりいたという人達は、このような仕掛け部屋に姿を隠していたのかもしれない。
「気持ちのいいお部屋ですね。夜が、こんなに綺麗だなんて、うっとりしてしまいます」
「キュ!」
「………………ああ、いい誕生日だな」
自分の胸に寄りかからせるようにして座らせたネアの腰に腕を回し、しっかりと安全対策をしてくれながら、ウィリアムはそう呟く。
事象石は、特出したその瞬間が結晶化されたものなので、きっとこの星空もその特別に美しい夜のものなのだろう。
「まぁ、確かに、…………ここは寝そべりたくなるなぁ」
「ノアベルト……………」
「ネイ、せめて敷物を敷いてからにして下さい」
「駄目。僕はもう立てないから、ここでごろごろするよ。ウィリアム、少ししたらネアを貸して」
「ネイ?」
「…………ごめんなさい」
そのままの草地にごろりと寝そべってしまったノアの隣に、溜め息を吐いたヒルドがこちらも敷物を広げている。
こちらに誘った時に微笑んで首を振っていたのは、ヒルドも持参の敷物を持っていたからであるらしい。
代わりにネア達の敷物にはアルテアが座り、伸ばした指先で、びしりとネアのおでこを弾く。
「むぎゃ!ゆるすまじ………」
「……………ったく。お前が近くにいると、想定外しか起きないな。…………だが、この魔術の織りを見たのは初めてだから、許してやる」
「……………む、アルテアさんも初めて見るものなのですか?」
「ああ。夜でもなく、星でもなく風でもない。……………終焉の系譜のものだな」
「まぁ。ウィリアムさんの系譜なのです?」
「みたいだな。終焉の系譜の中でも、最も穏やかなものだ。恐らく、失われた土地の最も美しかった風景を誰かや何かが惜しみ、こうして結晶化したんだろう」
(そうか。…………この土地がこんなにも美しいのは、そうして惜しまれたものだからなのだ……………)
ネアは、かつて訪れたイブの海辺の家を思った。
あの場所にも、このような穏やかで心を解きほぐす美しさがあったように思う。
「今年は、のんびりで締めるお誕生日会でしたね」
ネアがそう話しかけると、夜風に気持ち良さそうに目を細めていたウィリアムがこちらを見る。
「…………ちょうど今、俺は幸福な男だなと考えていたところだ」
そう微笑んだウィリアムが本当に幸せそうだったので、ネアは、最後に素敵な事故を起こしてくれたリーエンベルクに、こっそり感謝をしたのであった。




