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水路の魔物と水の流れに現れるもの




その日は、ネア達に珍しく街での事件解決の仕事が入った。


先日ハムの祟りものが暴れたばかりの水路に、今度は、ウィームを経由したどこぞの商人により、くたびれた敷物の怪が不法投棄されているという一報が入ったのだ。


どうやらその敷物が魔物になっているようなのでネア達に声がかかったのだが、これに関しては、見付けるのが得意なグラストゼノーシュ組よりも、討伐が得意なネア達が選出されたという背景がある。



何しろその敷物は、既に領民を襲い始めているどころか、駆けつけた一人の騎士を一晩意識不明にまでしてしまった。




「…………ディノ、今日のお仕事は少し危ないので、私から離れてはいけませんよ。何しろ、リーナさんも被害に遭っていますから、なかなか手強い敷物に違いありません」

「うん……………」

「獲物を、刺激臭のする臭い体で包んでしまい、水路にぽいっと投げ捨てるようです。なんて恐ろしい生き物なのだ……………」

「君が攫われたら困るから、三つ編みを離さないようにするんだよ」

「む?今日は、ディノが攫われたら困るのでは……………」

「ご主人様……………」

「私は水路探索用に乗馬服で来ましたが、ディノは三つ編みが汚れたら困りますし、綺麗な服装なのでとても心配なのです。臭いものも苦手でしょう?」



被害にあったリーナの惨状を知り、ネアは、実際に乗馬に使われたのはせいぜい一回程であるお気に入りの乗馬服を戦闘服とした。


相手は激臭の敷物なので、まずは汚れなどがつかないように排他魔術を敷いてもらい、その上で攻撃を躱せるような動きやすさを追求している。



敷物に襲われたリーナは、昨晩は意識不明の重体であった。


自分を襲った敷物のあまりの臭さに失神してしまい、その後よりにもよってその敷物に包まれて運ばれたので、激臭攻撃の重ね打ちを受け、すっかり弱ってしまった美麗な騎士は哀れにも一晩高熱に魘され続けていたのだ。



(今日は、助けを呼ぶ事は出来ない……………)



地方伯を招いての魔術大学での重要な視察研修会があるエーダリア達や、本日より所用とやらで二日間不在にしているアルテアと、新しい鳥かご案件が始まってしまったウィリアムの力は借りられないので、何か問題が起きてもディノと二人で対処せねばならない。


なのでネアは、いつでも敷物と戦えるように万全の備えでここに来ていた。



(…………絶対に、その敷物に捕まってはならない……………)



ごくりと息を飲んだネアは、生い茂る木々で影になっている水路を覗きながら、静かな歩道を歩き始める。



ウィームの夏は、まだまだ過ごしやすい。

時刻は午前とは言え、本来ならお昼前の穏やかな時間であった。

それなのになぜか、周囲には人影の一つもない。


あたりをぽわりと飛び交う妖精達や、小さな毛皮の生き物達の気配もなく、穏やかで美しい風景とは対照的にどこか不穏な気配を漂わせる静けさではないか。



「誰もいませんね。…………ここは街外れではありますが、この時間は、お散歩の方々や草花の結晶石の採取をする職人さんをよく見かけていたのですが…………」

「街の騎士達から、解決するまでは近付かないようにと注意喚起されているのかもしれないよ。水路に投げ込まれるだけとはいえ、捕縛にあたって狂暴になるかもしれないからね」

「むむぅ。通行人の方の様子を見ながら歩けば、あっという間に見付けられると思っていたので、当てが外れました。…………ところでディノ、あれは何でしょう?」




少し離れた位置のゆるやかなカーブを描く歩道の先に、ネアが立ち止まらずにはいられない奇妙なものが落ちていた。

落とし主がいる様子もなく、ただごろんと転がっている。



「……………魚の骨かな」

「大きな魚の骨のようです。……………鮪的な」

「まぐろ……………」



ネアは残された尻尾から鮪を想像してしまったが、青々とした尾の様子などからすると直前までは新鮮だったかなり大型の魚であることは間違いない。



「誰かが食べたのかな……………」

「つるんと綺麗に骨になっています……………」



何となく呆然としてしまってディノと顔を見合わせると、その辺りにいるかもしれない何者かを警戒し、静かに歩き進める。

なお、その間も敷物の怪を見逃してしまわないように水路を覗き込みながら歩いてゆくしかないので、かなり心臓に悪い時間が続いた。



(こんなに綺麗なところなのに、なぜ激臭の敷物を探さねばならないのだ…………)



それは勿論仕事だからなのだが、時として人間は、問いかけても仕方のないことを自分に問いかけてしまう。

だからネアも今は、なぜ刺激臭のする敷物に自ら近付いてゆかねばならない過酷な運命を背負わされたのかと、空の高みに問いかけるのだ。



このような中心地から外れた小道ですら絵になるウィームの歩道は、水路沿いの花壇には三色菫がこぼれんばかりに咲いていて、水路を挟んだ向こう側の木立との対比が美しい。


この水路沿いの花壇の花々は人の手で植えられたものだが、ボランティアの管理という訳ではない。

季節の花々から祝福石や色紡ぎなどをする各職人や業者たちが、それぞれに好みの花を植え管理している花壇なのだ。



歩く人々に愛でられ、また行き交う人々の動きも魔術を育み、鮮やかに健やかに育った花々が最盛期を迎えると、早朝や夕暮れに花を管理する者達がやって来て目当てのものを収穫してゆく。

そんな光景も、ウィームの風物詩であった。


勿論、誰もが触れられるところに咲く花なので、何も知らない観光客がたまたま見付けた祝福石を持ち去ってしまうことも少なくないが、そのあたりは鷹揚に受け止められているようだ。


ダリルの号令により、ウィームの水源地や水路などの周辺はその殆どが、人間の手を介さない人外者達の管轄か、ウィーム領の直接管理地とされていた。


そのような公共の土地の中から、無償で良い場所を開放して貰えるというだけでも削減される予算もあり、この辺りの花壇の空きは滅多に出ないらしい。



(だからこそ、いつも手入れがされた綺麗な花々を楽しめるのだから、ダリルさんの政策はさすがだわ…………)



統一戦争の際に、ヴェルリアからの侵攻は一部の川などからも進められた。

生活用水となる水源地も含め、人外者達なら致し方なしとしても、信用のならない人間にだけは預けられない要所は幾つもあるのだ。



「…………どうにもあの魚の骨の辺りが怪しいですが、こうして水路を覗き込むのは少しだけ怖いかもしれません」

「魔術の証跡としては、この中にはいないようだよ。…………ただ、少しだけ妙な気配が朝靄のように残っているんだ。探している魔物が隠れているのは、そう遠くではないだろう」

「…………ぎゅ。お仕事と言え、いよいよ激臭の敷物さんに会うのかと思うと、せめて今だけはこの綺麗な花々で心を慰めていたいです…………」



ネアは、こんもり咲いた菫を眺めて楽しみ、まずは心を緩めてから、えいっと息を詰めて水路を覗き込むという合わせ技を駆使し、何とかお役目を全うしながら推定鮪惨殺現場まで辿り着いた。


気配がなくとも、確認を怠り敵を逃してはならない。

そう理解してはいても、僅かな道のりが長く感じられた。




「…………そして、ぜったいにこのちかくにいます。なんというくささなのだ」

「どうやらこれも魔術の一種のようだね。歪み腐った魔術の匂いのようだ。ネア、臭気の排除をしようか」

「……………はなこきゅうできるようになります?」

「うん。これが魔術の領域によるもので良かった。…………ほら、もう大丈夫だよ」

「ふぁ!臭くありません!」



明らかに怪しい場所があるのに、そこに近付こうと一歩前に進むだけで儚くなりかけていたネアは、しっかりとご主人様を守ってくれた魔物を沢山撫でておいた。



(………………怪しい)




ネアがそう思うのも、仕方ないだろう。


そこには、石畳の歩道の一部分にだけ不自然な水溜りが出来ている。

そして、誰かにぺろりと平らげられてしまったとしか思えない、立派な尻尾だけを残した魚の骨がどこか悲しく転がっていた。



ぴしゃんと、頭上から雫が落ちてくる。



あまりいい予感はしなかったが、その先を見上げたネアは、水路の向こう側から伸びている木の枝の上に、真っ黒なぼろぼろの敷物を見付けてしまった。




「ぎゅわ……………」



一目見ただけで、ネアは震え上がった。

使い古しの敷物と聞いて想像していたものより、はるかに年季が入っている。

もはや敷物の面影はなく、ずたぼろになった黒っぽい布のようなものの残骸とでも言えばいいだろうか。


何よりも恐ろしいのは、布の端が綺麗な橙色をしているので、このぼろ布が元はその色だったと想像出来てしまうことだ。


となると、そんな敷物を漆黒に染め上げた汚れは何だろう。


目を眇め観察してみれば、べっとりとした黒さと独特の刺激臭から、長年の皮脂汚れやその他の生活汚れがこびりついた油染みのようなものに見えた。



(…………さ、触りたくない!)



人間はなんて罪深い生き物なのだろうか。

どんな汚れだろうと考えると、その臭気が想像出来てしまうのだ。

ぴゃんと飛び上がったネアは、慌てて伴侶の魔物の胸に顔を埋め、大切な魔物のいい匂いをくんくんして心の崩壊を免れた。



「……………ずるい。可愛い」

「ディノ、ちょっぴり心のお手入れが必要になったので、伴侶の回復に力を貸して下さい」

「…………くっついてくる…………」



突然取り乱した人間にくんくんされたディノは、とても恥じらいながらも、包容力のある男性らしく暫しネアを抱き締めていてくれた。



被害者の一人であるリーナは、飛び付かれた瞬間にあまりの臭さで失神してしまい、水路に投げ込まれたと聞いている。

失神したら負けだと思った方がいい。


(そして、不法投棄の現場を見た方の証言によると、馬車の足元からずるりと引き摺り出されて捨てられたようだから…………)


長年にわたる、商人達の靴汚れが染み込んだ敷布だったのだろうか。




そして今、とうとう対峙したそんな敷物は、じっとこちらを見下ろしているようだ。

ひとまずどこが顔なのだろうかと視線で探ってみたが、該当する器官は今のところ確認出来ない。


その代わり、みちみちっという張り詰めた布紐が切れるような不吉な音が聞こえてきた。



「ぎゅ。…………何の音でしょう…………」

「威嚇しているようだね……………」

「威嚇なのですね………。ぎゃ?!」




次の瞬間、ネアはディノに抱えられていた。

体の内側が持ち上がるような浮遊感に、ディノが回避行動を取ったのだと理解して目を丸くしてしまう。



(何が………………、)



その直後、木の上から敷物の食べかけの鮪の頭が降って来る。


ごすっと鈍い音を立てて歩道に叩きつけられて転がる勢いを見ているに、あの敷物は、ネア達を攻撃するつもりで魚の頭を投げつけたらしい。


あまりにも例のない攻撃を受けてしまい、ネアは堪らずに魔物の腕の中でふるふるしてしまう。



「臭い敷物の食べかけの生魚の頭が投げつけられるだなんて、こんなに恐ろしい攻撃を受けたのは初めてです…………」

「魚の頭を投げてくるんだね…………」

「と、とりあえず今回は討伐依頼ですので、ここは手早くきりんさんで…にぎゃ?!」



ここで一つ誤算があった。

それは、派生したばかりの魔物でありながらも、敷物の魔物が、ネア達の言葉を解していたことだ。


こちらに敵意ありと見做されたようで、ネアがそう口にした途端、今度は木の上から何らかの串揚げを纏わせていたに違いない細い木の串が何本も投げ落とされる。


しゅっと打ち出された木の串はなかなかの凶器であり、尚且つごみはごみ箱へ案件ではないか。



(思ったより攻撃的なようだから、長引かせて誰かが巻き込まれたりしない内に滅ぼしておこう…………)



ぐぬぬと眉を寄せ、ネアはポケットからきりん札を取り出すとばっと敷物に向けてかざしてみた。



「……………は、反応がありません!」

「汚染や穢れの系譜の者は盲目であることも多いんだ。見えないのかもしれないよ」

「そうなると、頭上の生き物に激辛香辛料油は危険過ぎますし……………」

「動かないようだから、捕まえて下に落としてみようか」

「お願いしてもいいですか?」



ネアがそう言うと、木の上の敷物に変化があった。



見えない魔術に拘束されたものか、突然ぎゅっと小さくなると、何とか木の上にへばりつこうと抵抗しながらもばりばりと引き剥がされて地面に落とされる。


その際に、この魔物が木の上に隠し持っていたと思わしきものもぼさっと落ちてきた。




「……………誰かが食べられています」

「…………やはり、人間を襲うようだね」



引き落とされて地面でびったんびったんと暴れる生き物と一緒に落ちてきたのは、歩道に落ちていた魚のように、つるりと骨だけにされてしまった人骨だ。

模型や拾っただけのものにも思えたが、どうも捕食後の残骸という気がしてならない。



「そしてふと思ったのですが、…………この刺激臭に激辛香辛料油をかけても良いのでしょうか」

「魔術的なものだから、問題ないと思うよ。…………ただ、このまま私が壊してしまっても問題ないようだ。それでも良ければ壊してしまおうか」

「…………むぐ、ディノに任せきりになってしまいますが、混ぜるな危険的な事故を避けるべくお願いしてもいいですか?」

「うん」



ネアは、大事な魔物を守るのだと息巻いた割には情けない伴侶であると眉を下げたが、ディノはそんな伴侶を慰めるようにそっと頭を撫でてくれると、そのまま捕縛した敷物の怪を滅ぼしてくれた。


さらさらと灰になってゆく黒い布を見ていると一抹の物悲しさもあるものの、ここはやはり、人間の組織に属する者らしい高慢さで安堵させていただこう。



「…………どちらかと言えば、元は妖精の質を帯びたものだったのだろう。汚れによる侵食から魔物になったようだけれど、…………」

「…………ディノ?」



ふと、酷薄な目をして言葉を切ったディノは、不安げに名前を呼んだネアの方を振り返り、冷ややかだった水紺色の瞳を柔らかくする。



「…………これは、エーダリア達に報告をする時にしようか。ここまでの穢れが溜まるとなると、それを投棄した商人達はあまり良い者ではなさそうだ。ただの穢れから他の生き物を襲ったというよりも、元々その種の穢れを蓄積していたように感じるんだ。…………その商人達は、恐らくかなり多くの人間を殺していると思うよ」

「………………まぁ」



思わぬ言葉に、ネアは目を瞠った。

そんな事も分かってしまうのだろうが、となると、そんな商人達がウィームに滞在していた間に、事件などが起きていないか調べる必要がある。


既に地面に落とされた敷物は全て灰になってしまい、後はもう、僅かに残った灰が大気に解けるばかりであった。




「……………む」



その時、どこか遠くから不思議な音楽が聞こえてきた。


夏至祭の妖精達の音楽のような、賑やかで楽しげだが、ふっと背筋が冷たくなるような奇妙な音楽だ。



「……………ネア、持ち上げるよ。とても厄介なものだ」

「…………は、はい」



耳元で落ちたディノの静かな呟きに、ネアは慌てて頷く。

すぐさま持ち上げて貰い、しっかりとディノにしがみつけば、ふっと日差しが翳るような良くないものの訪れの予兆である暗さにぞっとした。



水路沿いは木陰になっているところも多く、ウィームを流れる水路はこの季節も雪を湛えた山々からのもので、水路周りはひんやりと涼しい。

なので、この季節でも水路沿いの歩道を歩けば、確かにそこまで暑くはなかった。



(でも、これはおかしいわ……………)



ぐっと下がった気温は、まるで冬の入りのよう。


ディノの腕の中で守られているので、かたかたと震えてしまう事はないが、吐き出す息が白くなる。

ディノのお陰で肌には触れずに済んでいるその凍えるような気配が、どこからかゆっくりと近付いてきた。



「……………もう安心していいよ。魔術の理があるからここから離れる事は出来ないけれど、何重にも周囲を閉じて隔絶を敷いてあるから、やってくるものに触れてしまう事はない。声も出して構わないからね」

「……………な、何がやって来るのですか?」

「ああ、こんなに震えて可哀想に」

「……………ふ、震えています?」

「うん。…………君は人間だから、テルナグアを本能的に恐れるのだろう。理の領域のものとして避けられないと、どこかで知っているんだよ」

「テルナグア……………」



その名前を口にして、ネアはふと、強烈な存在感を持つものが、ゆっくりと水路を流れて来るのを感じた。

決して水路の中を泳いで来るようなものではなく、小さな儀式用の船がゆっくり流れてくる感じに近い。


賑やかで楽しげな音楽も大きくなり、ネアは見てもいないのに、花に飾られた小さな小舟が水路を流れてゆく光景をいとも容易く脳裏に思い描けた。



(宴だわ……………)



船の上では宴が行われている。

それはもう確信に近く、何とも悍ましい気配であった。



すっかり縮こまってしまっているネアをしっかりと抱き締めてくれながら、ディノはそのテルナグアというものについて教えてくれた。

もしかしたら、ネアの恐怖を紛らわせる為に話しかけてくれていたのかもしれない。



「災い流しの小さな飾り船や、妖精達が幼い子供の亡骸を川や海に流すことから生まれた存在だと言われている。また、一切の飲み物や食べものを持たずに船で漂流し、辿り着いた場所を終生の地とするという信仰もあるようだね。……………テルナグアは、そうした風習から派生した存在だが、出現の厳密な条件は分かっていないものなんだ。曖昧で意思の見えない存在ということこそが、その資質だからね」

「……………よく分からないもの、なのですね?」

「そう。終焉や穢れのあった土地の流れる水を渡り、賑やかな宴の音がどこからともなく聞こえてくる。とても悍ましいものだが、その宴の音楽を耳にしてしまうと、その場から立ち去ることは許されないとされているね。私も遭遇するのは三回目くらいだけれど、実際に、転移は叶わないようだ」



静かなディノの声を聞きながら、ネアは、目の前の水路を得体のしれない恐ろしいものが流れてゆくのを感じていた。


こちらに気付いた様子はないが、最も近付いた時にはあまりにも異様な気配に全身を冷たい汗が覆う。



ややあって、ディノが息を吐いた。



「……………離れたね。もう少しだけ待ってから、ゆっくりとこの場を離れるよ。ウィームではあまり聞かないものだから、やはりあの敷物に呼ばれるようにして現れたのかもしれない。テルナグアを知らない者達が犠牲にならないよう、ここを離れたらすぐにダリルに連絡をした方がいいだろう」


引き攣るような恐怖に震えながら、ネアはなぜダリルなのだろうと考え、今日のエーダリア達はすぐに通信を受け取れないかもしれないからだと遅れて理解した。



やがて音楽が聞こえなくなると、ふっと視界が明るくなり、同時に体も軽くなる。

どこからか、鳥の囀りも戻ってきたようだ。



「……………この辺りがやけに静かだったのは、テルナグアが現れるからだったのでしょうか?」

「あの魔物の気配のせいかなと思っていたけれど、あれが、テルナグアを呼んだからかもしれないね。……………テルナグアは、船に引き摺り込むものを見付けると、停泊するんだ。船から何かが降りてくるのを見てしまった者は、正気を失うと言われている。……………あの敷物を早めに壊してしまって良かった。ここで船から降りられたら、君を余計に怖がらせてしまったからね」

「……………ふぁい」


ディノは、すぐにダリルに一報を入れてくれ、そこで告げられた言葉を聞き参考にしながら、ネアもリーエンベルクに残っていたグラスト達に一報を入れた。

すぐさま、暫く流れる水には近寄らないようにと領民達に伝達が成されたが、その伝令が届かないようなところにいたのだろう。

夜までに三人の行方不明者と、一人の心神喪失状態の者が報告された。




「ディノ、礼を言う。私達の昼食会の場所は、川沿いの店だったのだ。テルナグアについて知る者も少なかったこともあり、あの中の誰か一人であっても、もしものことがあれば、ウィームにとって大きな混乱を招く事態となりかねないところであった」


帰ってきたエーダリアは、よほど肝が冷えたのだろう。


そうディノにお礼を言ってくれ、同行していたノアも顔色が悪い。



「ああいう、よく分からないけれど理の縛りがあるものが一番厄介なんだ」

「連れ去られた者達は戻らないだろうね。……………どこに行くのか、他の土地で確認されるものが、ここに現れたものと同一の存在なのかもわからないんだ」

「ディノが一緒でなければ、良くないことになったような気がします……………」

「シルが一緒で良かったよ。テルナグアは階位の高さでも知られている。ネアの可動域だと、呼び寄せられていた可能性があるからさ」

「……………ディノ、今日は個別包装はなしです!」

「うん。ずっと傍にいるから安心していいよ」



ウィームにテルナグアが出現したという一報を受け、仕事で手が離せなかった筈のウィリアムやアルテアが慌てて駆け付ける場面もあったので、やはりかなり危うい場面ではあったのだろう。


調べによると、やはりあの敷物に呼ばれた可能性が高く、件の商人達は、過去に、虐殺された集落などの歪み壊れた死霊を商品として取り扱っていたことが分かった。


今はもうその商売からは手を引いていたようだが、過去の販売履歴を消す為に、アルビクロムの仲介業者を介してギルドの登録証を偽造していることも判明し、その商人達が滞在していたヴェルリアの方では、なかなかに大きな捕り物になったようだ。



なお、テルナグアとは、ウィリアムのような終焉の系譜は却って呼び込みかねないので相性が悪く、全属性を持ってどのようなものであれ満遍なく回避出来るディノか、アルテアのような選択の魔術が有用であるらしい。


リーエンベルクの中で最も有利な魔術を持っているのは、意外にもエーダリアだったのだそうだ。

認識させないようにしながら興味を削ぐ禁術が有効だと知り、テルナグアが高位の魔物達にとっても得体のしれないものであると知ったばかりのエーダリアは、ほっとしたように息を吐いている。



(誰にもよく分からないまま存在する、怖いものもいるのだわ……………)



美しい生き物達ばかりの世界ではないのだとあらためて実感し、ネアは水路の向こうから聞こえてきたそら恐ろしい賑やかさを思い出す。


だからこそ、高位の者達がただ君臨するばかりな世界ではないのだが、その船の中にはどんなものがいて、何を思うのだろうと少しだけ考えた。


すっかり激臭の敷物の怪への印象は薄れてしまったが、テルナグアのようなものを呼び込むものが持ち込まれた事件としては、今後のウィームでの入領審査や警備に生かされる事件になるようだ。



その夜、ネアは勿論、恥じらう伴侶な魔物に乗り上げてしっかり掴まって眠ったのだが、翌朝の朝食の席で会ったエーダリアによると、そちらも警戒した銀狐が、けばけばになりながら一時間おきにエーダリアとヒルドの部屋を行き来するので、仕方なく二人と一匹でのお泊り会就寝となったのだそうだ。



なお、ゼノーシュのような目のいい人外者達は、テルナグアのようなものは決して直視しないらしい。


愚かな好奇心から心を損なわない為であるのだが、それでも目や耳がいい彼らは、テルナグアの出現に遭遇してしまうとひと月ほどは具合が悪くなるそうで、なぜかネアは、愛くるしいクッキーモンスターの厄を肩代わりした偉人として、リーエンベルクの騎士達から菓子折りなどを頂戴したのである。













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