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戦争と平穏




その夜、リーエンベルクの大浴場が開いたのは、タジクーシャの一件で頑張ったネア達へのご褒美に他ならないだろう。



「ういっく!お風呂に行きますよ!」

「よーし、これでもう脱いでも平気だね」

「今後の評判と、リーエンベルクで働く皆さんの心の平安の為に、更衣室まではご遠慮下さい…………」

「急に冷静になるのはやめて…………」



ネア達はすっかりいい感じに出来上がっていたが、ネアは勿論良識のある大人なので、酔っ払いがお風呂で溺死という事件は鮮やかに回避した。


通常のものよりは小さめの瓶の酔い止めの魔術薬を開け、ごくごくぷはっと飲めば、酔いが浅くなるのだから何と素敵なのだろう。

こちらは魔術管理が可能な世界なので、楽しいほろ酔い気分をほんの少しだけ残せるのだった。



「……………む、アルテアさんも飲みます?」

「………………くそ、お前が最後に出したあの酒は何なんだ……………」

「俺も初めて飲んだが、味は良かったな………」

「私は舐めるようにしか飲んでおりませんが、どうも妖精の系譜のもののようでしたよ」

「雨の系譜の妖精の酒のようだから、イーザあたりに聞けば知っているかもしれないね」

「むぅ、私も飲みたかったのですが、ディノに止められてしまいました」



ネアも、ぐびっといったアルテアがテーブルに突っ伏したのを見ていたので、自分の意思でもやめておいたのだが、こんな風に皆でその話をされるとちょっと悔しい。


エーダリアもヒルドに止められていたので飲んでいないが、そもそもエーダリアは自分の気に入ったものをマイペースにゆったり飲む派なので、謎の無臭の液体にはあまり興味を持った様子はなかった。



(エーダリア様が興味を持つ新しいお酒は、きちんとお酒の説明をされたものが多いから、元々知っているものや、説明から興味を引かれるのかもしれない………)



そしてそんなエーダリアは、とても慄いた目でこちらを見ている。



「い、いや、私はそろそろ部屋に………」

「まぁ!最初はすっかり乗り気だったのに、なぜ突然尻込みし始めたのだ。ここはみんなでお風呂です。それも打ち上げの一環ではないですか!」


ネアがそう言えば、エーダリアは途方に暮れたようにするのだが、なぜだろう。

海遊びもあるので、みんなの前で浴室着が恥ずかしいという事もない筈だ。



「おや、そのように警戒なされなくても、浴室着を着用されていますから、このくらいは宜しいのでは?」

「お前はいいかもしれないが……い、いや、……そうだな」


遠い目をしてこくりと頷いたエーダリアは、自分が退出するとなると一緒に外さなければならないと気付き、にっこり微笑んだヒルドを立てたのだろう。


なぜか、大変な事になったと呟きながら、上機嫌のノアに肩を組まれて付いてくる。



「ウィリアムさんも、一緒なのですよ。お仕事の疲れを癒して下さいね」

「ああ。あの大浴場は気に入っているんだ。偶然ここに泊まった日に入れるのは、運がいいな」


弾み歩くネアにそう微笑みかけてくれたウィリアムに、ネアはもじもじしながら隣を歩いているディノを振り返る。



「ディノ、ディノも今日は沢山頑張ってくれたので、ゆっくり疲れを癒して下さいね。明日は皆お昼までお休みですので、ゆっくり寝ていられますから」

「…………うん。可愛い、弾んでしまうのだね」

「こうして、みんなで大浴場に行きましょうとなるのは初めてです!家族風呂のようで素敵ではないですか」



かくして、タジクーシャ慰労会の総仕上げになる、大浴場での時間は幕を開けた。




「ネ、…………ネア?!」

「エーダリア様?………むむ、さてはまたノアが浴室着を着ていませんね?」

「そ、そうではない!…………その浴室着はどうしたのだ?!」

「既婚者用のものを、ダリルさんからいただいたのです。既婚者ともなれば、あまり子供っぽい浴室着ですと、子供料金を狙う悪者にされかねないらしく、きちんと目視で判別がつくように形が変わるのですよ」

「……………そうなのか?」



ダリルから聞いた説明をそのまま伝えると、エーダリアは不安そうにヒルドに尋ねている。

ヒルドはじっとネアの方を見て少し考えたようだが、そうなのでしょうねと頷いた。

そのあたりの違いは、さしものヒルドも知らなかったようだ。


せっかく脱ぐのでと傷を負った背中の目視と触診をネアがやろうとしたところ、なぜか大慌てでノアがやってくれたので、こうして見ても問題なさそうでほっとする。



「ただし、不特定多数の者達が集まるところでは、魔術の使用可能領域の問題などにより、敢えて未婚者用のものを着た方が安全な場合もあるかもしれません。その点は、ディノ様と相談して決められて下さいね。安全上の措置であれば、他の問題より優先されますので」

「むむ、確かにそのような面もあるかもしれないですね…………。はい、ディノに相談して決めるようにしますね」



確かに可動域は永遠の子供扱いのネアとしては、既婚者枠に収まる事で可動域上捻れない蛇口などがあったら一大事だ。


犯罪には問われないと知って、柔軟に対応出来るのであれば、有り難くそうさせていただこう。



「……………おい、またそれを着たのか。リーエンベルクの中でもその主張はいるのか?」

「む?」


なぜか渋面のアルテアからそう指摘されたが、ネアは、リーエンベルクの大浴場はとても優しい設計であるのにと首を傾げた。



「ありゃ、僕は可愛くて好きだけどなぁ?」

「ネアはいつも可愛い………」

「俺も可愛いと思うぞ。単に、アルテアの趣味だろう」

「ふむふむ、アルテアさんは、女性の幼い雰囲気の装いが好きなのですね。となると、本当はそのような女性との相性がいいのでは?」

「その妙な関連付けをやめろ」



賑やかな入場となったが、今日もリーエンベルクの大浴場は堪らないいい香りがした。




(……………ああ、なんていい匂いなのだろう…………)



汲み上げられ浴槽に湛えられたお湯には美しいシャンデリアの光が落ち、あまりにも精緻な造形に本物の葉や花が結晶化したような装飾に心を奪われる。


リーエンベルクには美しい場所が沢山あるが、こうしてふくよかな香りが体に染み渡るような香気に変わる浴室となると、そこから得られる癒しの効果は言葉にし尽くせない。



ネアは幸福の溜め息を吐くと、まずは洗い場で体を丁寧に洗った。

洗浄剤も何種類かあるのだが、いつも新品で現れる白い石鹸がある位置が、ネアの狙いの洗い場なのだ。


無臭のものや花の香り、お湯に混ざる柑橘系の香りのものもある中、この石鹸は少し狐温泉寄りのふくよかな森と香草の香りがする。



「ネア、僕の背中洗えてるかな?」

「む?手が届かないなら、あわあわにしますか?」

「…………ネイ?」

「ごめんなさい…………」

「ヒルド……………」



ここで、義兄の為に立ち上がりかけたネアは、かねてからの疑問であった、妖精はお風呂で羽をどうするか問題に直面した。

今こそ確かめる好機と気付いてしまい、ちらちらとヒルドの方を見てしまう。



「ネアが浮気する…………」

「むむ、ディノ、これは人類において最大の謎なのです。…………ぎゃ!終わってる!!」

「………………ネア様?」

「妖精さんが、羽をどう洗うのか見たかったのです…………」



ネアが悲しい思いでそう告白すると、ディノやエーダリアと同じ型のウィーム風の浴室着姿のヒルドは瑠璃色の瞳を瞠って微笑んだ。


すいっと手を伸ばして羽を掴むと、ぐいんと折り曲げる。



「手で、このようにして手繰り寄せて洗いますよ。意識して力を抜けば、この通り柔らかいものですからね」

「…………へなへなにもなるのですね!私たちが、手をだらんとさせるのと同じなのでしょうか?」

「かもしれませんね。しかし、もう少し肉体としての感覚は希薄ですので、上手く説明は出来ませんが、ネア様が髪を洗うのに近しい感覚かと」

「……………むぅ、気になって仕方がありません。今度洗ってみたいです」

「ネア、妖精の羽を洗えるのは、親と伴侶だけだからな」

「………むぐ」



ネアの知的探究心は、またしても種族のお作法に阻害されてしまい、がくりと肩を落とす。


なぜか目元を染めたヒルドからも、それはご遠慮させて下さいと言われてしまったので、まだ、まるで介護のようなものをされる経験はしたくないということなのだろう。



(仕方ない。今度、野良妖精を洗ってみよう…………)



大切な家族の心中を慮り、ここに恐ろしい通り魔が生まれた事は、皆には秘密だ。

犯人が分からないように目隠しをして捕まえてしまい、羽の先をちょびっと洗ってみたら解放すればいいのだ。



(人型の妖精さんは大き過ぎて攫えないから、ココグリスでいいかな…………)



残忍な人間がそう考えてにやりと笑うと、ぴっとなった隣の伴侶が、慌てておやつゼリーを取り出そうとするので、ネアは、このようなところではきりりと冷えた水か香草茶であると伝えておいた。



「そして、竜さんは角も洗うのでしょうか………。今度ダナエさんに…」

「おい、やめろ」

「むぅ、ダナエさんにカードで聞いてみるだけではないですか!」


アルテアからは疑わしげな眼差しを向けられたが、流石にネアもダナエを捕まえて丸洗いにはしない。



そんなこんなのやり取りを経て、ネア達は無事に浴槽に浸かった。




「ふぁ、…………気持ちいいです」

「可愛い、顎まで浸かってる……………」


こうして見ると、それぞれの入浴方法の違いが違うのがみんなでお風呂の面白いところだ。



深く息を吐いてゆったりと浸かるウィリアムは、目を閉じて仰け反るような姿勢で浴槽の縁に手をかけてお湯に浸かっており、入浴深度としてはやや浅めである。


ヒルドも、羽があるからかやや浅めのところを好んで浸かっており、ノアはとぷんと深めに浸かることもあるが浅めの時間が多い傾向と言えるだろう。


鎖骨程までの最も模範的な浸かり方をするのが、ディノとエーダリアだ。

ネアやアルテアは、時々顎先まで深めに沈み込む事が多い。




「えいっ!」


ここでネアは、まだほんの少し残った酔いからちょっぴり遊んでみたくなった。

手で水鉄砲を作り、ぴしゃっとディノに飛ばしてみると、魔物は目を丸くした後、ご主人様が可愛いとへなへなになってしまう。



「……………お湯をかけてくる」

「むむ、傾いても沈んでしまってはいけません!浴槽の藻屑に…………ぎゅ?!」


ここで、ネアもびしゃっとやられて振り返ると、ノアが、同じように手を組み合わせてにんまり微笑んでいる。



「僕の妹らしくないなぁ。隙があったよ」

「ぐぬぬ!負けません!!」

「お、おい、落ち着…………っ?!」


ここで、うっかり口を挟んでしまった事でノアから攻撃されてしまい、エーダリアは呆然と固まってしまう。

くすりと微笑んだヒルドが水鉄砲のやり方を自分の手で見せてやり、こうしてかけ合うのもある程度であれば、そして子供達によく見られるものだが、入浴中の楽しみではあると教えてやっている。



「こ、…………こうか?」

「ええ。何度かやられますと、飛距離や水量などを調整出来ますからね」

「…………今のは随分遠くまで飛ばなかったか?」



何だか微笑ましい水鉄砲講座のそちらは新兵の教育の場であるのでと、ネアはそんなエーダリアとヒルドを見守っていたノアをすかさず攻撃した。



「…………おっと。可愛い攻撃だなぁ。僕を敵に回していいのかな?」

「むぎぎ!逃げられました。…………使い魔さん、あやつを撃ち倒して下さい!」

「やめろ。巻き込むな。大人しく湯に浸かってろ。……っ?!」


共に戦わない兵士は許さぬと、苛烈な将軍はそんな使い魔にも水鉄砲をお見舞いした。

びしゃびしゃにされた前髪を片手で搔き上げて無言でオールバックにすると、すっと赤紫色の瞳を細めたアルテアは指先をぱちんと弾く。



「みぎゃ?!」


その途端に、小指の先くらいに丸められたお湯礫がぴしゃっとネアの鼻先に直撃する。

ぐるると唸ったネアに、前髪からお湯が滴っている濡れ使い魔がふっと意地悪な微笑みを浮かべた。


「始めたのはお前だからな」

「ゆ、許すまじです!裏切り者など、浴槽の藻屑にしてくれる!」


ざぶんとお湯の中から立ち上がり、ネアは両手で掬ったお湯をえいやっとアルテアに投げつけた。


ウィリアムはネアの隣でくてんと浴槽のへりに頭を預けて目を閉じているし、そちらの方面に浸かっているのはアルテアだけなので、周辺被害は出ないのだ。



ばっしゃんとお湯をかけられたアルテアがとても静かな目になると、その直後ネアを襲ったのはざばんと頭の上からかけられたお湯だった。


魔術を使ったその攻撃には、荒波がウィリアムの方まで届いてしまい、ゆったりと寛いでいたウィリアムが目を開く。



「……………ネア?」

「ぐるるる!アルテアさんに火力で敵いません!!」

「可哀想に、アルテアにやられたのか」

「っ?!待て、そいつを巻き込むな!」


形勢逆転を悟ったアルテアが声を上げたが、時既に遅し。

アルテアの頭上からは、先程ネアにかけたものの三倍程のお湯がざばばっと注がれてしまう。


せっかく搔き上げた前髪もべっしょりとしたアルテアに対し、こちらを見たウィリアムが爽やかな微笑みを見せてくれた。



「叱っておいたからな」

「まぁ!さすがウィリアムさんです!そして、お湯をざばんとかけられるのに、エーダリア様達の方に大波を行かせない気遣いもしてくれたのですね!」

「あちらは、…………まだ練習中のようだからな」

「………………っ、お前は、その状態で弾むな!」

「あら、これは裏切り者に勝った勝利の弾みなのですよ?」



とはいえ、入浴のお作法としてはやはりはしゃぎ過ぎなので、ネアはすぐにちゃぷんとお湯に沈み、隣の伴侶な魔物にぺたりとくっついた。

戦の間放っておいてしまったので、くっつきで誤魔化そうとしたのだ。



「ネアが、……………可愛い……」

「なぬ、こちらはまた勝手に死んでいます………」

「ありゃ、僕のこと忘れてない?」

「ぎゃ!そちらの国を制圧していませんでした!!」



少し離れた位置から、狙いすまされた軌道で狙い撃たれ、ネアはまたしてもびしゃびしゃになる。

ぐるると唸り、お湯の中から立ち上がろうとしたネアは、横から伸ばされた手に、指先でくいっとやるようにして浴室着の上のストラップを直された。



「…………む?」

「肩紐が落ちそうだったからな」

「まぁ、気付きませんでした!ウィリアムさん、有難うございます」

「ノアベルトに反撃をするなら……」

「ウィリアムさん?」


不意に途切れた声に振り返ったネアは、突然足を引っ張られたようにお湯に沈められたウィリアムに仰天する。

はっとして目を凝らせば、その向こうで涼しげな微笑みを浮かべたアルテアがいる。



「…………おのれ、よくも私の同盟国を滅ぼしましたね!」

「わーお、僕の妹は戦争をしてるのかな…………」

「しかし、まずはそちらを滅ぼします!」

「え、僕滅ぼされるんだ」

「裏切り者の使い魔を討つのに、障害になりかねない敵国など………むぎゃ!はだか!!」


復讐に燃える人間に恐れをなしたものか、ざぶんとお湯から立ち上がり場所を移動しようとしたノアだったが、ネアは、立ち上がった義兄がいつの間にか全裸だったことにあえなく浴槽の藻屑となってしまった。



「…………ネイ、いつ脱いだんですか?」

「僕は着ない派なんだってば。でもほら、浴槽に浸かるまでは着てたでしょ?」

「ヒルド!飛距離が安定してきたぞ!」

「ありゃ、エーダリアはずっと練習してたんだね…………」



ぶくぶくとお湯に沈みかけていたネアは、慌てて引っ張り上げられたディノの腕の中で、直前の記憶を頑張って消していたところであった。

いくらなんでも、正面に裸の魔物を配置するなど、淑女に対してあんまりな仕打ちではないか。



「大丈夫かい?」

「……………ぎゅ、衝撃映像に戦死するところでした。そして、ウィリアムさんとアルテアさんも戦争中です。最初に戦争を始めたところではない二カ国が、最後まで争うという事も珍しくはありませんね…………」

「そうなのだね…………」


ネアの説明にきりりと頷き、ディノが心配そうにそちらを見ていると、離れた位置で新兵の教育をしていたヒルドから声がかかった。



「ネア様、少しこちらにいらっしゃいませんか?湯あたりしないよう、冷たい香草茶をお出ししましょう」

「はい!行きます!!」


そんな申し出は有難く受けさせていただき、ネアはお湯の循環のある中央を上手く避けながら、ざぶざぶとヒルド達の方に向かう。

幸いにも、浴室着の着用のなかったノアは、ヒルドから厳しく叱られたことでまた浴室着を着てくれたようだ。



いつの間にか、浴槽の縁近くにある段差を利用して半身浴に切り替えているヒルド達のところには、魔術で浮かんだ銀盆に、からりと氷の鳴る冷たい香草茶のグラスが並んでいた。



「エーダリア様、水鉄砲は習得しました?」

「ああ。手の組み方と力加減などで調整するのだな。思っていたよりもずっと遠くまで飛ばせる事に驚いた」

「……………ふぅ。危うく耳を千切られるところだったよ。水鉄砲はさ、浴室の戯れだけじゃなくて、使い方によっては魔術的にも活用の幅があるからね」

「………………そうなのか?」

「ラグナターリッジの泉みたいに、魔術を使わずに中央まで泳いでいって、泉の水で儀式をするところではかなり有用だよ。能力の高い魔術師こその弊害だけれど、魔術が使えないとなるとどうやって水を飛ばしていいか分からない魔術師も多いんだ」

「……………確かにそうかもしれないな。私も、今までこのような方法は知らなかった」



それは即ち、子供の遊びを知らなかったという事なのだ。

そう考えるとネアは胸がちくりと痛んだが、今はとても楽しそうなのでよしとしよう。



「ぷは!香草茶が冷たくてすっきりとしていて、とても爽快です!……………そしてあちらは、静かな戦いが続いていますね」

「……………案外、しょうもない事で喧嘩するよね、あの二人。仲良しだなぁ………」

「ふむ。私もそう思うのです。………ディノ、なのであのような場合は、心配しなくても大丈夫ですからね」

「うん。…………どちらかが、死んでしまったりはしないのだね?」

「さすがに、一緒に浸かっている浴槽内での殺人事件はご遠慮願いたいですね………」



ばしゃーんと激しい水音がして、エーダリアが目を丸くする。

ウィリアムとアルテアのどちらもびしょ濡れだが、油断なく立ち魔物らしい眼差しでお互いを見つめている。


「……………今のは何が起きたのだ?」

「互いにお湯を激しくぶつけ合ったんじゃないかな。霧状になるからこっちには被害はないし、細かい魔術の調整が苦手なウィリアムも、この種類の魔術は得意だよね」

「持ち上げた湯が見えなかったのだが、展開までが早いのだな。………このような魔術の扱いでも、人間とは全く違うのか…………」

「むむ、エーダリア様がすっかり鑑賞気分になっています」



とは言え、あまり激しく大浴場で戦うのも考えものである。

この美しい大浴場は、恐らくリーエンベルクの気分でも出現するものなので、入浴を楽しむ以外の目的で大騒ぎしてしまい、嫌われてしまうような事は避けたい。



「さて、香草茶も飲みすっきりしましたので、困った魔物さんを仲裁してきましょう」

「わーお、僕の妹をあっちにやるのは心配だなぁ。僕が…」

「むぎゃ?!はだか!」

「ネイ…………」


ばしゃーんと水音がし、今度はノアがヒルドにお湯に沈められている。

よく考えなくても、こちらは酒席から酔い覚ましなど飲まずにここに来ている酔っ払いの魔物である。



「……………となると、あの二人も酔っ払いなのでは…………」

「アルテアは、一度かなり強いものを飲んでいたようだしね……………」

「ふむふむ。これはもう、酔っ払いの喧嘩の仲裁のようなものです。ぴしゃっと叱らねばなりません!」



ネアはしゅたっと立ち上がると、まだばしゃばしゃやっている魔物達の方に向かい、ずんずんお湯の中を歩いて行った。

近くに行けば蒸気の密度が上がり、お湯のいい匂いに包まれているような素敵な気分になる。


その匂いをくんくんしてしまい、ネアはうっかり足元が疎かになってしまったらしい。



「そろそろ喧嘩をやめて、湯あたりしないよう、冷たい香草茶を飲んで一休みしては如何で……ぎゃっ?!」



つるんと滑ってしまい、前のめりに転びかけたネアは激しい水音と共に誰かに抱き止められて、目を瞬いた。



「ほぎゅわ、……………酔っ払いの喧嘩を止めに来たら、転ばせられました?」

「………………ったく。自損事故だ」

「むぐぅ。私は酔っていない筈なのに、体がぐりんとなったのです」

「足が滑ったんだろ。………っ、さっさと起き上がれ」

「むぐ、アルテアさんを押し潰していますが、上に乗っかってしまっているのを、どうやって…」

「ネア、持ち上げるぞ」

「ウィリアムさんです!」


背後からウィリアムにひょいっと持ち上げて貰い、ネアはほっと息を吐いた。

どうやらアルテアも、押し潰されてしまったりしておらず無事なようだ。



「お二人も、湯あたりしないように、香草茶を飲みませんか?」

「ああ、そうしよう。呼びに来てくれたんだな」

「はい!時折冷たいお茶を飲みながら、のんびりお湯に浸かるといいですよ」

「…………おい、いつまで抱き上げてるんだ」

「ネアが、また転ぶといけませんからね」



そうにっこり微笑んだウィリアムに運ばれ、ネアはもう一度先程の場所に戻った。

ヒルドがもう一度ネアの分の香草茶を用意してくれたので、全員で冷たいお茶をぐびっと飲めば何だか賑やかで幸せな夜ではないか。



「ふぅ。戦争はもう終わりです。香草茶で一度爽やかな気分になったので、後はもうのんびりくたりとお湯に浸かり、上がった後は、ほこほこのままいい匂いで眠ってしまえばいいのでふ」

「…………うん」



いい気分でそう終戦を告げたネアの隣で、ディノはどこか無垢な幸せを滲ませた眼差しでこくりと頷いた。


それは、あちらでウィリアムと話しながら目を輝かせているエーダリアと同じような、今まではこうして誰かと時間を過ごして来なかった魔物の無防備な喜びの表情で、ネアはそれが嬉しくなる。



(私も、……………知らなかったから)



こんな風に、真夜中にみんなで大浴場に来られるだなんて、堪らない穏やかさではないか。


仲間達と夜まではしゃぐという経験は、この世界に来てから得られた幸福な経験であった。


子供の頃は家族で保養地への旅行などには行っていたが、弟のユーリが生まれたばかりの頃は体が弱く、そしてもう少し大きくなってからは入院が続くようになってしまった事で、こうした賑やかな時間を過ごしたという記憶はない。


復讐を果たした後は、飲んだ毒の後遺症からネアも体を弱くしてしまい、またそこまで親しくなるような友人達を得る事も出来ないままであったので、仲間達と一緒に夜を過ごすような事は出来なかった。



(だから、こうして過ごせる時間は宝物なのだわ………………)



柔らかな水音に重なり、誰かが気持ち良さそうに深く息を吐いていた。


お喋りなどはしていなくても、みんなでのんびりお湯に浸かり、心を緩めて大浴場の美しい天井を見上げている。




ほわほわしながら目を閉じても、ちっとも一人ぼっちではない安堵にネアは唇の端を持ち上げ微笑んだ。









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― 新着の感想 ―
[一言] 一言 いつも楽しみに読ませていただいております。 すみません。再度の読みなおしで気になった点があります。ムグリスディノですが、ムグリスであっても羽はないのでしょうか。三つ編みのある、ム…
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