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61. その場所に臨みます(本編)





朝から霧雨が降るその日、ウィームは霧に包まれ美しい朝を迎えていた。


しゃりん、しゃりん、と宝石のベルを鳴らし、きらきら光る宝石の花を撒いて現れたタジクーシャの使者は、足元までの長い髪が美しい青玉の伯爵であった。


見惚れてしまいそうな美貌のその女性は、会談の場に現れたダリルを見て僅かに顔を顰めたのだそうだ。


その美貌も武器となる交渉の場において、敢えて女性の使節を送り込んだ効果は、青玉の伯爵より美しかったダリルの存在で水泡に帰したのだろう。



その話を聞かせて貰ったネアは、おおっと目を丸くする。


「まぁ。エーダリア様をくらくらさせるつもりだったのでしょうか…………?」

「そこまで露骨じゃないだろうけれど、好意を得られれば………どれだけ僅かな差異であれ、取り分が増えるのは確かだからね。その辺り、タジクーシャは商人の町らしい狡猾さはあると思うよ」

「ノア、エーダリア様にもハンマーを渡しておきます?」

「わーお、…………僕もいるから、ハンマーはいいんじゃないかなぁ」



すっと予備のハンマーを取り出したネアに、エーダリアを誑かそうとする使節が気に食わないなと愚痴を言いに来ていた塩の魔物は青ざめた。



「むむ、…………私が留守にする間、皆さんを宜しくお願いしますね」

「うん。アルテアもいるし、場合によってはゼノーシュがほこり達を呼ぶらしいから、何かあっても心配ないよ。いざとなれば、ほら、ウィリアムも呼べるしね」

「とても大丈夫だという感じがしました。ほこりは、タジクーシャの妖精さんでも食べられるのでしょうか?」

「みたいだね。普通の星鳥は階位が下になるけれど、ほこりはほら、特別変異体だからデジレくらいまでは食べられるんじゃないかな」

「ほわ、王様まで……………」



友好的な条約締結の為には、絶対にタジクーシャに連れていってはならないと確信したが、いざという時にはとても頼もしい。


そんなほこりは、最近ウィームにハム退治に来たばかりなので、その時に立ち会ったゼノーシュが、それとなくタジクーシャの話をしておいたのだそうだ。


ネアが、タジクーシャでは貧しくて満足におやつも買えない滞在期間を過ごしたと聞いてしまった雛玉はぶるりと震えて怒りを示していたそうで、また悪い宝石妖精が来たら食べてしまうと伝えてくれたらしい。


この一件については、既にスフェン侵入の際に名前を使われてしまったジョーイにも話が届いていたそうで、ネアの可愛い雛玉と仲良くしてくれている白百合の魔物も、タジクーシャの妖精への印象が悪くなったばかりだ。



(助けを求めて、ほこりと一緒に白百合の魔物さんも来てくれるのなら、寧ろ戦力は過多なくらい………………)



あまりの頼もしさな選手層にネアはすっかり安心してしまい、かちゃりと扉を開けてこちらに戻ってきた魔物を振り返った。




「ディノ、擬態は……………まぁ!」

「……………三つ編みがない」

「格好いいディノです!髪の毛が短めで、黒髪のディノは初めて見ました!」



そこに立っていたのは、襟足にかかるくらいの長さにした黒髪に、ひやりとするような鮮やかな紫の瞳に擬態したディノであった。

ご主人様に持たせる三つ編みがないとしょんぼりしているが、初めて見るような擬態にネアは大興奮だ。


めそめそする魔物の周囲をびょいんと跳ねて回れば、落ち込んでいた魔物も目元をそめて嬉しそうな顔になる。



「…………ネアが気に入ったのなら、いいのかな」

「はい!いつものディノが一番素敵ですが、こうしてがらりと雰囲気が変わるのも素敵ですね」

「…………可愛い。ずるい」

「今回は、敢えて、他の誰かの擬態を思わせるような姿にしたんだ。タジクーシャ側で何かを画策する事はないにせよ、保険は多めにしておいた方がいいからな」

「グレアムさんが監修してくれた擬態のお陰で、いつもとは違う格好良さがあるディノに出会えてしまいました」



黒髪になったディノと一緒に戻ってきたグレアムは、夢見るような灰色の瞳で優しく微笑んでくれる。


グレアム自身は、犠牲の魔物としてそちらを訪れるので、本来の姿のままなのだそうだ。

とは言え、なぜかタジクーシャの妖精達は、今代の犠牲の魔物が派生したばかりの時の階位で認識しているので、勝手に少し下位に見積もってくれて気楽だとグレアムは笑う。



「髪色の雰囲気は、アルテアのよく使う擬態に似ているし、この紫の瞳は、君が前回一緒にいたアレクシスに寄せたんだ」

「……………むふぅ。少し軍服のようなこの装いも、ウィリアムさん仕様なのですか?」

「いや、こちらはリーエンベルクの騎士達の誰かかもしれないと考えさせる為に、騎士の制服のような要素を加えてみた。それにネアは、このような雰囲気が好きなのだろう?」

「はい!」



高鳴る胸を押さえて頷いたネアは、またしても限定ディノの周囲をぐるぐる回ってしまう。

すっかり恥じらってしまった魔物は、目元を染めてふるふるしているようだ。




「……………そろそろだな。渡した物は持ったのか?」

「アルテアさんが渡してくれたものは、全部持ちました!おやつもばっちりです!!」

「お前の場合、食べ物で引っ掛けられる可能性もあるからな」

「……………引っ掛かりません」

「ほぉ、ガーウィンでは、容易くグラタンに籠絡されかけていなかったか?」

「むぐぐ、作戦上記憶を封じていたのに、なんと厳しいのだ…………」



ネアはネアで、心配性な使い魔にしっかりと準備を整えて貰い、ウィーム代表としてタジクーシャ訪問の装いを整えている。


正式な訪問であるので、貰った白いケープを羽織れるのが何よりも心強い。

淡いラベンダー色のドレスは、隠しポケットが沢山あるもので、大量の武器を忍ばせてあった。


勿論、対宝石妖精の武器であるハンマーも装備済みだ。


いざとなればこれで粉々にしてくれると、ふんすと胸を張ったネアは、どこか疲れた様子でウィーム使節団の控え室にやって来たエーダリアの姿に振り返った。


公式な会談の場に出ていたので淡い水色を基調とした華やかな盛装姿だが、魔術師らしい気質も表に出し、他の領地の領主達に比べればすっきりとしたものなのだそうだ。




「エーダリア様、…………お疲れのようです。休憩時間ですか?」

「ああ。半刻の休憩だ。………あの宝石妖精と、ダリルのやり取りがな、…………寿命が削られそうだ…………」

「巻き込まれてしまっている感じです………」



話を聞けば、タジクーシャの青玉の妖精は、まさかの会談の冒頭で、エーダリアに求婚したらしい。

勿論、エーダリアは丁重にお断りしたらしいが、その後も彼女は何かとちょっかいをかけてきているのだとか。



それを聞いたノアは、にっこりと微笑むと、僕に任せてよと胸を叩いた。

しかしそうなると、標的は変われど今度は刃傷沙汰の事件が起きるのではと慄き、ネアとエーダリアは顔を見合わせてしまう。



「ネア、……………そろそろだな。今日は、すまないが宜しく頼む」

「はい。捕虜…………ではなく、ちょっとした悪さをして保護されたスフェンさんを、きちんと引き渡してきますね」

「交渉については、ヒルドが対処するが、場合によってはお前にも矛先が向くだろう。補償についてはこちらで進めている。くれぐれも会談で無理はしないでくれ」


そう言ってくれたエーダリアに微笑んで頷き、妖精についての細かな指示などを騎士達に伝達し終えたヒルドもやって来た。


こちらも公式な会談に向けての盛装姿で、ネアはその華やかさに目を輝かせる。

艶やかな深い瑠璃色の装いは、その瞳の色をより際立たせていた。



「本日は、宜しくお願い致します」


清廉な微笑みを浮かべ、ヒルドはまず、外部協力者であるグレアムに一礼する。

それに微笑んで頷いたグレアムの姿に、ネアは、何だか似た二人だぞと眉を持ち上げた。



「ネア様、向こうでは言えませんので…………、あちらで、もし少しでも不安な事がありましたら、アルテア様との間に結んだ置き換えを使って下さいね」

「はい。無理をすることでご迷惑をかけないよう、危険を感じたら撤退するようにしますね」


出かける前にもう一度そう言ってくれたヒルドに頷き、ネアは、同じように挨拶を受けて微笑んだディノの横顔を見上げる。



胸がどきどきするが、それは決して怖さではなく、このウィームの代表としてタジクーシャに赴くことへの緊張感であった。



「では、参りましょうか」



対外的にはネアが今回の使節団の顔となるが、指揮系統としてはヒルドが全面的に担ってくれる。

向こうに着くまでのネアは、どんと構えていればいいだけなので、安心して微笑んだ。




タジクーシャへの行程は、まずはウィームのあわいに降りる事から始める。



グレアムが通勤にも使っているあわいの列車の駅から敢えて転移をし、地上や、リーエンベルクの転移の間などにタジクーシャへの繋がりが残らないようにするのだ。


このような場合、こちらからあちらへという道行きの方が悪用され易いので、復路よりは、往路についての警戒が求められる。



大枠でこの世界では最高位の権限を持つディノに、とても器用な魔物であるグレアム、更にはタジクーシャでの最高位と同列の権限を持つヒルドのチームなので、比較的移動の難易度は低い。



あわいからゆっくりと転移の薄闇を抜け、どこか甘い香りのする暗闇の回廊を抜ける。

三ヶ所の経由地を経てふわりと肌に触れたのは、柔らかな夜風であった。



ひらりと差し込んだのは、鮮やかな夜の色だ。



「…………やっと来たか!すぐに排他領域内に入れ」

「む、いきなりデジレさんが荒ぶっています……………」



しかし、タジクーシャの地を踏んだばかりであったネア達を待ち受けていたのは、公式な使節団に対しどうしたのだと言わざるを得ない、焦ったように顔を顰めたデジレであった。



「………これは、どのような状況なのですか?」



静かな声でそう尋ねたのは、訝しむように瞳を細めたヒルドだ。


そんなヒルドを真っ直ぐに見返し、デジレの瞳に揺れた感情はとても深い。



(ああ、……………今のこの瞬間は、二人が再会した時でもあるのだ……………)



ネアは訳も分からずはっとしてしまい、息を詰めてしまったが、デジレはその揺らぎを一瞬で消し去り、王らしい尊大な眼差しでこちらを見返した。



「話しながらで構わないか。時間を無駄にはしたくない」

「ええ。では、そうさせていただきましょう」



疑問を呈しながらも、ヒルドはネア達を促して、デジレの示した排他領域内に移動するべく歩き始める。


ヒルドは、デジレの言葉を信じ、ここで質疑応答によって時間を無駄にしてはならないと判断したのだろう。

魔物達も、その決断には異論がないようだ。


ふわりと揺れた風にネアは周囲を見回したが、人影もなく、騒ぎが起きているような気配はない。


だが、排他領域へと促されるからには、身に迫るような危険が懸念されているのだろう。



「王宮前の広場で、こちらの管理下にない、そして妖精のものでもない、侵食魔術が確認されている。前王派による妨害かもしれないが、…………魔物の介入のようなのだ」

「……………成る程、そちらの手落ちではないと?」


そう返したグレアムに、デジレは、刺繍と金細工の装飾が美しい袖口を揺らして手を振る。


今日のデジレは、足下までの砂漠の国の王族のような豪奢な盛装姿で、前回出会った時の装いに比べれば王らしい装いだ。

けれども、その豊かな黒髪を見ていると、本当は違う色なのだろうかと考えてしまう。



「いや、我々の手落ちだ。どのような爵位の魔物であれ、条約締結のその日に王宮前だからな。このような場への介入を許すのは管理の不行き届きに他ならない」

「であれば、その管理を緩めた者こそが、現体制に反意のある者なのではありませんか?」


そう答えたヒルドに、デジレが短く頷く。


ゆるやかに波打つ黒髪に、あえて優美で華奢な王冠がよく似合うのだと、ネアはその王としての姿をじっと観察する。


隣に立つディノは、まるで要人を守る騎士のようにネアの手を取ってくれていた。



ネア達が降り立ったのは、宝石をふんだんに使った美しいモザイク床の広場で、複雑な幾何学模様を踏んで宝石の花壇の横を抜けると、前を歩くデジレがふうっと肩の力を抜くのが分かった。



(そう言えば、この人は王様なのに一人で迎えに来てくれたのだろうか……………)



そう考えて首を傾げたネアは、ここからはもう王宮の敷地内なのに、今もなお周囲に人の気配がないことに気付いた。



その異様な静けさに、ひやりとする。

なぜか、嘘の精に落とされた暗い街を思い出した。



例えば、ヒルドの立場を踏まえてデジレが直接迎えに出るとしても、そこにはタジクーシャの王に付き従う者達がいるべきではないだろうか。



しんと静まり返った王宮は、裕福で美しい砂漠の国の王宮のような壮麗さで、大きな月の下できらきらと白く輝いている。



(………………でも、なんて綺麗なのだろう)



それはまるで宝石のフィンベリアを見ているような美しさで、ネアは、使節団としての威厳を損なわない程度に震える息を飲み込んだ。



ここに椅子でも置いてしまい、この美しい光景を眺めながらお茶でも出来たらさぞかし素敵だろう。


思わず手をかけていたディノの腕をぎゅっとしてしまい、密やかに荒ぶるネアに気付いたのか、ディノが淡く微笑む気配がした。



「…………宝石狩りは、まだ続いているのですか?」

「ああ。だが、そちらに差し向けている騎士達が不在にしているから、王宮を閉じた訳ではない。王宮前広場に不審な証跡を残された以上、王としてこの領域を守らねばならないからな」


こつこつと響く靴音を聞きながら、ネアはいつの間にか並んで歩いている、ヒルドとデジレの後ろ姿を見つめる。


王らしい歓迎の言葉などはなく、それに対してヒルドが苦言を呈する様子もない。

魔物達も何も言わないので、ネアも口を挟まずに歩いていた。



目の前を歩くのはシー達なので、美しい妖精の羽が揺れる。


ヒルドとデジレの羽の色の違いが、森と湖の妖精と宝石の妖精の違いのようにも見えて、そのどちらもが最早好みで決めるしかないくらいに、甲乙つけ難い美しさなのだ。



見事な彫刻を施した宝石の壁は、透明度が高い宝石の区画に差し掛かると、その壁にこちらの姿が映る。

そうして重なり合う影が何とも不思議な感じがして、しんと静まり返った回廊にはどこまでも宝石のシャンデリアが連なってゆく。



「……………やれやれ、あなたは隠そうともしませんか」



ふいに、ヒルドがそんな事を呟いた。

どこか苦く、そして淡い安堵の滲むその声音にふっと微笑む気配は、デジレのものだろうか。


「…………ああ。お前には隠しても無駄だろう。それに、知られていた方が動き易い。……………スフェンは、その隔離金庫の中に?」



デジレが一瞥したのは、ヒルドが持っている小さな手持ちのランタンだ。


歩くたびにぼうっと揺れる炎が美しい普通のランタンに見えるが、実はこの中こそが、囚人護送用の隔離金庫となっている。



「ええ。引き連れて移動すると、襲撃などを誘発しかねませんからね」

「であれば、あれが表に出されない内に話しておくが、スフェンが今回の事を画策した裏には、私の問題も絡んでいるかもしれないからな」

「……………おや、ますますウィームとしては、しっかりとした補償を要求したいところですね」



冷ややかな声でそう言うと、ヒルドは僅かに微笑んでこちらを振り返った。



「……………彼はドレドです」



その言葉に、確かめるべきことが一つ解決した事に安堵し、ネアは息を吐いた。



「まぁ、あっさりと判明してしまいましたね」

「そう伝える為にも、王宮を閉じたのかもしれませんがね」

「さすがに、後から城の者達に説明のつかないような事はするまい。この話題を持ち出すには都合がいいとは思ったがな」

「とは言え、この状況は王としては不本意であると?」

「私が国興しの魔術を持たなければ、この王宮は落ちていただろうな。それを知らずに介入したのだろうが、言葉を返せば、それがなければ危ういだけの準備は成されていた」



(落ちていたという表現からすると、…………襲撃、のようなものなのだろうか…………………)



まだ介入としか言及されていないが、聞いている限りは、かなり深刻なものであったようだ。


となると、デジレが一人で行動しているのは、他の者達がそちらの対処に当たっているからなのかもしれない。



さわりと、また柔らかな夜風が揺れる。

夜は静かで優しく、ネアには、どこかで起こっているかもしれない襲撃の気配は感じ取れなかった。



宝石の薔薇の茂みが美しい外回廊から、見事なアーチ状の門をくぐって王宮に入り、歩き抜けたのは、エメラルドの回廊であった。


王宮そのものの外装に使われているのは、淡い砂色か淡い水色の宝石のようだ。

月光を浴びると白く輝くので、この世界における白という色の価値を思えば、希少な建築なのかもしれない。



(そんな白い輝きの王宮だけれど、庭園の花々やモザイク床、こうして王宮の内側に入った時の内装も含めて、色鮮やかな印象の方が強く残るのだわ……………)



そうなると、王宮の外装の白い光が瞼の裏側に残り、極彩色の宝石達の輝きを何とも上品に彩る額縁のような効果を果たす。


さすが美を競う装飾品達の集まる場所らしい、計算し尽くされた美しさではないか。



床のそこかしこには、ふくよかな薔薇色の花びらが敷き詰められている。



「……………タジクーシャの王宮は、宝石箱としての金庫魔術を展開している。有事の際や、王の崩御などの際には、こうして王宮を閉じて王以外の全ての者達の動きを一時的に凍結する事が出来るんだ」



そう説明してくれたのは、グレアムだった。


仲良し具合を声高に主張する場所でもないので、程よく他人行儀な話し方に、ネアも礼儀正しくそちらを見た。



「あまりにも静かなので、どうしたのだろうと思っていたのですが、そのような事が出来てしまうのですね……………」

「……………私からしてしてみれば、あなたがそれを知っている事が驚きなのだが」

「さて、魔物は代替わりするとは言え、その事象を背負うからかもしれないな」



こちらを振り返って不審そうに眉を顰めたデジレに対し、グレアムはしれっとそう言ってのける。



「……………そのようなものなのか。こちらの派生より後に派生したものでも、今後は魔物については警戒した方が良さそうだな」



月明かりだけの薄暗い部屋、ぼうっと明るい部屋、妖艶な赤いランプの部屋。


様々な部屋を抜け、幾重にも回廊の重なる不思議な王宮を、中へ中へと進んでゆく。

エメラルドの回廊に、ルビーの回廊、水晶に青瑪瑙と進み、ラピスラズリの間を抜けると驚くべき事に美しい中庭に出た。



煌々と降り注ぐ月光の下で、夜空を見上げたネアは、限りなく透明に近い水晶の天蓋があることに気付いて目を丸くする。




(なんて、大きいのかしら…………)




そしてここは確かに、宝石箱のような王宮だ。



それまではネア達を先導する為に背を向けていたデジレが、ゆっくりとこちらを振り返る。


美しい王冠に月光が煌めき、豊かに波打つ黒髪も宝石のようだ。

それは他の美しいものを見慣れたネアにとっても、圧倒されるような荘厳な美貌であった。



「さて、あらためて王として、タジクーシャの訪問を歓迎しよう。残念な事に、現在この王宮は閉ざされている。王宮内で動けるものは私ばかりだ」



そう告げた声には揺らぎはなく、詫びながらも尊大ですらあった。



「謝罪については、あらためてお聞きしましょう。その介入を図った魔物への対処は、誰が対応しているのですか?」

「王宮を閉じる前に、信頼のおける騎士達と貴族達に、調査と、可能であれば捕縛の命令をかけている。偶然などではあるまい。恐らく、この会談を知っての事だろう」

「だからあなたが一人で残り、我々、ウィームの使節団を王自ら引き受けたのですか」

「ああ。会談そのものは、私一人で対処出来るものなのでな。会談が無事に終わり、使節団がウィームに帰るまでをやり過ごせば、こちらの勝ちだ」



空高く張り巡らされ水晶の天蓋の真下に、涼やかな噴水とその中央にある宝石の木を楽しみながら会談を持てるような、大きな孔雀石の円卓があった。


デジレはネア達をそこに通し、飲み物などの準備はあるが、気になるようであれば好きに自分達のものを出して構わないと鷹揚に告げる。


ネアは、ひっそりと寄り添っているディノの隣に座り、グレアムとの間に挟まれる形になった。



(……………果たして、本当に魔物による介入はあったのだろうか………………)



デジレは、きっと頭のいい王だ。

彼が望んだ通りにヒルドがタジクーシャを訪れ、自分がドレドであると告白するのなら、こうして人払いを出来る環境は彼にとってはかなり都合のいい状況なのではないだろうか。


ネアはついつい、そこまで疑ってしまう。


だが、形ばかりの対等な条約締結ではなく、ここからはウィームへの補償についての話なども盛り込まれる。

そんな状況にある中で、敢えて謝罪するべきことを増やす必要はあったのだろうか。



(そして、会談が終われば勝ちとするには、会談で結ばれる条約によって、その魔物の介入が今後は難しくなる必要もある…………)



「さて、どこから始める?」

「……………色々とお聞きしたい事もありますが、まずは現状について共有していただきましょう」



ちらりとこちらを見たヒルドに、ネアは頷いた。


想定外の事態も起こっているようなので、今暫くは出しゃばらずに、交渉の主導権はヒルドに預けておこう。


政治的な立場での交渉に慣れていないネアにとっては、一度会話から外して貰い、客観的にこの状況を噛み砕く貴重な猶予となる。



「ふむ、まずは現状だな。要点は三つある。王宮前広場に魔術干渉をしかけた魔物は、恐らくカルウィの方面の砂の系譜の魔物であること。そしてその干渉は、砂の呪いであったこと。そして、どうやら前王派をけしかけていたのは、その魔物であったらしいこと」



このような時、国や王としての体裁に固執せず、勿体ぶらずに情報を手早く開示出来るのは、やはりデジレが有能な王だからなのだろう。


まずは要素として端的に説明した手際の良さに、ネアは、やはり油断のならない妖精だと、ひやりとする。



「……………ようやく腑に落ちた。君が、伝え聞いたような方法でネアを保護してみせたのは、その前王派に国際的に言い逃れの出来ないような事件を起こさせない為だけではないな。魔物の介入に対し、魔物である我々を取り込むことが目的か」



静かな声でそう問いかけたのは、グレアムだ。



(あ、……………。そう繋がるのだわ………)



無駄にも思えた動きが、一瞬で繋がりを得た。


手間のかかるようで効率的なのかもしれなかったデジレの証跡は、その面での必要性を持たせてみると、きちんと全てが必要な経路になる。



(グレアムさんが、ここにいてくれて良かった…………)



今回のグレアムは、万象の魔物の伴侶であるネアがウィームの使節団に選ばれてしまったからという理由で、同行した事になっている。

なので、あくまでも魔物側の代表者として同席しているのだが、グレアムの持つ穏やかで静謐な気配は、如何にも魔物らしい老獪さが覗くよりも、公式な会談の場においては手堅いだろう。



(私の緊急避難路を確保しやすいからだけではなくて、このようなところでも、アルテアさんではなくて、グレアムさんとして利点があるのかもしれない…………)



「私としては、最初はあなた方こそが裏で糸を引いているのではと勘ぐった。予め忠告をしておき、その約定を破らざるを得ない事件を起こさせて報復をする。初めて聞くような手法でもなく、使い古されても効果は失われない手法だ。…………であるからして、その人間をこちらに連れ込んだのは、保護であり、その場合の人質としての価値でもあった」


微笑んだグレアムの瞳は、夢見るような美しさであったが、その温度はぞくりとするほどに低い。


「どのような理由であれ、彼女が連れ去られた事を許す事は出来ない。我々がそう答えるとは、考えられなかったのか?」

「そのような陰謀が国内で生まれた時点で、タジクーシャがある程度の損害を被ることは避けられなかった。であれば、より損失を抑える為には致し方あるまいと判断している。…………どうであれ、そして、例え我々が利用されただけであっても、その人間が損なわれてからでは遅いのだからな」



かしゃんと控えめな音が響いたのは、デジレが使っている銀水晶の茶器をテーブルに置いた音だ。


まずは、王自ら淹れたそのお茶をヒルドが飲み、短く頷いたことで、ネア達にも振舞われる。


まるで毒味のようだが、ここでは魔術の理上、損なわれる可能性が最も低いヒルドだからこそ、可能な役割なのだ。



「……………そう選択をせざるを得ない程に、カルウィの魔物を危険視したのだね」



ふと、穏やかな声が響き、デジレは、このテーブルに着席してから初めて発言したディノの方を見る。



「まだ確証は得られていないが、…………今回の一件に関わっているのは、恐らくは宝石食いの砂蛇の魔物だ。それについては、スフェンが知っているだろうが、出すとあれなりの主張もあって騒ぐだろうからな。今暫し、牢の中に入れておいてくれ」

「……………砂蛇か。策謀と叡智、侵食と姦計の魔物だね」



小さな溜め息が落ちた。


ネアは、どこか酷薄な眼差しに鋭さを増したディノの方を見て、見慣れない黒髪の男性に擬態した魔物のぞくりとするような美貌に目を奪われる。



「それは、…………こちらにこれだけの方々がいても、厄介なものなのですか?以前に、そんな魔物さんを知り合いの方が呆気なく滅ぼしていたのですが……………」


おずおずとそう尋ねると、グレアムが白灰色の髪を揺らしてこちらを見た。


「砂蛇そのものは、二十程もの種類がいる魔物なんだ。その中でも、宝石食いの砂蛇の魔物は、精霊から魔物に転じた生き物で、宝石の系譜の生き物達と伴侶を持つ女性だけを食らう生き物だ。元々は医術などの叡智を司る精霊だったが、崩壊や終焉の多かった砂漠で、……………有り体に言えば、サナアークの崩壊で精霊としての体を失い、魔物に転じた」

「サナアークの、…………」



グレアムが砂蛇の魔物について説明してくれれば、ネアは、スフェンが利用したのが白百合の魔物を想う妖精であったことまでもが、一本の線で繋がっているような気がした。


ディノも同じ意見だったようで、だからなのだねと頷いている。


「ジョーイの名前を利用する事で、彼からの報復を受ける可能性もあった。なぜ、そのような線も取り込んだのかと思っていたが、元々そちらを恨んでいた者だったのだね」

「魔物同士の因縁が絡めば、こちらには踏み込めない領域もあるが、……………あの場には、その魔物と通じる者がいたのだろう。それは元々、私を王座から追い落とし、自身の餌となる宝石の潤沢なタジクーシャの利権を得ようとした、砂蛇の手の者だったに違いない」



そう告げたデジレが話したのは、アルテアとグレアムが、デジレと話をしたというタジクーシャの妖精達の宴のことだろう。


その場は元々、宝石狩りというタジクーシャの妖精達にとっては欠くことの出来ない大々的な儀式の開催を告げる場であり、だからこそ砂蛇の手の者は、そこに忍び込んでいたのだ。


(砂蛇の魔物からしてみれば、タジクーシャの統治に自分の息のかかった妖精を据えておけば、…………好きなだけ、食事が出来るということなのだわ………………)



現王を落としたい者と、タジクーシャを手中に収めたいもの。

それぞれの思惑が重なり、こうして今日に集約しようとしている。



(ウィームとの会談の邪魔をしたのは、ウィームとの約定の中身によっては、前王派の人達も、砂蛇の魔物も、暗躍し難くなってしまうから………)



「……………つまり、砂蛇の魔物にとって有益な情報を、偶然にも幾つも提示してしまったと、…………」


そう呟いたヒルドは、敢えてディノではなく、外部同行者であるグレアムの方を見る。

ここでディノの方を見ずにいられるのは、やはり政治的な場に加わる事の多い彼だからこそなのだろう。


その様子を見て、ついついディノの方を見てしまうネアは、密かに反省した。


こうして話していても、まだデジレ王が潔白だという証明もないのだ。



(……………既にもう、ただの儀礼に則った会話をするばかりの会談では、済まなくなってしまっている。これ以上に予定が変更されないといいのだけれど………………)




そう願い、美しい満月を見上げると、どうもそのようにはいかない気がした。










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