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59. 牢獄の妖精に出会います(本編)




その日、ウィームにあるシカトラームの中にある特別な部屋の中で、ネアは、久し振りにこの世界の常識と自分の認識との違いに愕然としていた。



煌々と燃える魔術の火を灯したランタンがあるものの、周囲は真夜中の色を宿している。

シカトラームの外はまだ昼なのだが、ウィームの魔術銀行の中では、同じ時間が流れていないらしい。

がこんと、どこか遠くでトロッコのようなものが動く音がしたが、見上げたその向こうは分厚い壁に遮られていた。


ここは、シカトラームの内部にあるウィームでどこよりも堅牢な牢獄なのだ。



「……………どうした?」



そう不審げに尋ねるのはアルテアで、この牢獄へは、そんな使い魔と胸元にムグリスになって収まっているディノ、更にはエーダリアとヒルドとでやって来た。

すぐ隣には、こちらで合流したダリルとリーベルがいる。



そして、これまでの人生で訪問したことはなかったが、寧ろ、異世界だからこそ初めてお目にかかるのかなと思っていた場所が、思っていたよりもずっとファンシーだった事に、ネアはとても衝撃を受けていた。




「ろうごく……………」



そう呟き、ネアがぎりぎりと眉を寄せていると、その部屋の中央に置かれた椅子に座った美しい男性が、困惑を滲ませた淡い微笑みを浮かべる。


美しい男性だと、誰もが言うだろう。

さらさらとした淡い金髪はけぶるようで、砂色の肌にこの上なく美しく映えていた。


スフェンという名前であるらしいこの妖精は、ネアの知っている魔物達とはまた違う、どこか異国風な繊細さに見惚れてしまうような美貌の男性だ。


色合いからは太陽や砂漠の系譜を彷彿とさせるが、ネアは、真夜中の篝火や夜の砂漠に浮かぶ淡い金色の満月を思い描いてしまう。

身に纏う金色の輝きが明るく鋭いので、光の角度によっては銀色にも見えてしまうからだろうか。


琥珀交じりのふくよかな黄金色に見えることもあるのだから、金と銀の両方の輝きを持つ稀有な人外者なのは間違いない。



けれども、きっと劣悪な環境に違いないと思っていた牢獄とやらは、素敵な絨毯が敷かれた、こぢんまりしているものの素敵なお部屋と言えるくらいの場所ではないか。


寝台と簡素な浴室があり、暖炉や座り心地の良さそうな長椅子まである。

現在座っているのは、書き物机兼食卓になるところなのだろうが、水はシカトラーム内部にある湖から汲み上げられ、食べ物もこのどこかから宝石の果実や普通の食べ物が届けられるらしい。


もしかして貴族の囚人待遇なのかなと思っていたネアは、ここに連れて来てくれた魔物達や囚われた当の本人が、なかなかに劣悪な牢獄だと考えている様子を見て、あまりの感覚の違いに途方に暮れていた。



「この通り、あなたのお陰で牢獄に繋がれている」



直接触れることがないようになっている特殊な封印結界を挟み、スフェンはそう自嘲気味に微笑むが、ネアからすれば何を甘えているのだと物申したくもなる。



「……………これはろうごくではありません。旅行気分の優雅なお宿で、うきうきのんびり楽しくやっているとは思いませんでした」

「……………優雅?」



整った顔に滲んだのは、僅かな困惑だろうか。


けれどもネアは、ここはさすがに物申させていただきたいと我慢出来なかった。



「牢獄とは、剥き出しの石造りで陽光も差し込まないような地下にあり、鉄格子で区切られたお部屋です。地下水でじめじめしていて、先住者の血や爪の跡、更には骨などの残骸などが散らばっているところです。虫さんが蠢き、恐らく手足は手枷などで拘束された上に、簡単に体を休められないような角度で壁に鎖で繋がれているのですよ。おまけに、食べ物は金属の平皿で腐ったトウモロコシの粉などを盛ったものを乱暴に投げ込まれるばかりで、床に散らばったその食事を泣きながら拾って食べなければなりません」



一息に全てを説明してのけた人間の悍ましい主張に、シカトラームの牢獄に重たい沈黙が落ちる。



だがこれは、当然の主張ではないだろうか。

ネアの育った世界の牢獄はもう少し文明的であるが、そもそもこちら側とは法制度から設備から違っている。


軽視される訳ではないにせよ、人ならざる者達の残忍さから命の価値がより軽く、魔術と呪いのある世界であれば、やはりネアの思い描く牢獄の方がしっくりくる筈だ。



(…………寧ろこれは、私の生まれ育った世界の価値観で見ても、狭いけれど頑張っていい雰囲気に仕上げたお洒落な小部屋なのでは…………)



ネアが暗い声で牢獄の定義を語る間、同行した魔物達だけでなく、なぜかダリルとリーベルも振り返り、呆然とした顔でこちらを見ていた。


そして、よりにもよって綺麗な織り模様の絨毯まで敷かれた一室で、品のいいカップで優雅に紅茶を飲んでいた虜囚は、まさかの大幅環境劣化案を叩き出した人間の言葉に顔色を悪くしている。



「……………うわ、ネアちゃんの知ってる牢獄ってえげつないなぁ…………。妖精なんか入れたら、三日で死ぬね」

「む。通常の牢獄に入れると、妖精さんは死んでしまうのですか?どれだけ繊細なのだ」

「妖精には、それぞれ住処があるんだよ。己の資質から引き離されると途端に弱っちまう。王都じゃ辛酸を舐めたヒルドだって、あの王宮には見事な庭園や儀式用の森もあったしそこかしこに宝石もあった。だからこそ生き延びられたんだ。っていうか、その環境だと人間もかなり危ないよね?」

「そのような環境で、何十年も耐える方も珍しくはないと聞いていましたが、こちらではないのですね……………」



驚いたネアがそう答えると、またしても部屋は静まり返った。


何十年もと呟いているリーベルに、なぜこのような人物迄も驚いてしまうのだろうと、ネア的には不衛生な地下の牢獄くらいご存知なのではという枢機卿をじっと見れば、リーベルは首を振って後退った。



「キュ…………」

「まぁ、すっかり怯えてしまいました。私の育った所では、このような場合で使われる牢獄はかくあるべきと聞いていましたが、こちらでは違ったようです」


諸事情からムグリスな伴侶が震えているので、ネアはそんな愛くるしいむくむくを撫でてやる。

ひしっと指先にしがみついた小さな手に、人型だったら羽織りものだったのだろうかと考えた。



「……………以前から思っていたが、お前のその文化知識は何なんだ」

「……………む?アルテアさんに困惑されると、妙に釈然としません」

「なんでだよ」


ディノがムグリス姿なので、ネアの隣にぴったりと立っているのは、青みがかった艶のある灰色のスリーピース姿のアルテアだ。

今日は、敢えて階位的に侵食を許さない真名をそのまま使い、その代わり、髪色を金髪にして瞳を淡い水色に擬態させている。


スフェンとも一応面識はあるのだが、タジクーシャでデジレ王に対面した時には人間に擬態していたそうなので、こちらでは初対面であるかのように振舞っているらしい。



「ネア様、装飾品や道具から派生したタジクーシャの宝石妖精達は、不衛生な環境や湿度に弱い妖精です。仰るような環境下の牢獄に入れますと、場合によっては心を損ないかねません」

「……………何とか弱い生き物なのでしょう」



ヒルドの言葉に悲し気にそう呟いたネアに対し、スフェンは、淡い金色の瞳を眇めて表情を硬くしている。


この妖精については履歴を含めて説明を受けたが、錫杖だったと言われれば納得するのは、どこか聖職者らしい禁欲的な気配があるからだ。


それがゴーモントやカルウィの文化のものだと言われれば成る程と思えるくらいに、穏やかに微笑んでいても獰猛そうな気配はまさしくそちら寄りである。




ネアは今日、ダリルからの要請をディノが受ける形で、このシカトラームの牢獄を訪れた。



ネアは勿論知らされていなかったが、夏至祭の日に捕らえたスフェンの尋問には、エーダリアの代理としてのダリル派の者達と、アルテアが加わっていたのだそうだ。


その囚人と会って欲しいという連絡が入ったのは、昨晩のことだった。


接触を嫌がりそうな魔物達が受け入れているので、何か大切な理由があるのだろう。

そう考えたネアは快く了承したが、続き間のようになっている隣室にはエーダリアも来ているのだから、ウィーム領主までもが立ち会うとなるとなかなか珍しい。


なお、こちらについては二部制の後半になっていて、ネアとの対面の後で政治的な交渉があるのだとか。



(……………安易に滅ぼすだけではなく、交渉の余地があると判断されたのかもしれない……………)



詳細を知らされないまま、少しこの妖精と話をして欲しいと言われてやって来たのだが、何しろ相手がダリルなので、ネアはそれ以上の情報を望まずにいた。


ダリルにそのような取りこぼしがある筈もないのだから、言わない部分には言えないだけの理由があるに違いない。


なお、それが単なる思い込みですれ違うと怖いので、そうではないかなという推論をムグリスなディノに伝えたところ、どこか悲しげに頷いたので、まだ言えないような事情は確かにあるらしい。



「無知なふりをして私を脅しているのかとも思いましたが、どうやら、実際にそのような悍ましい牢獄もあるようだ」



スフェンの声は静かで整っていた。

澄んだ湖面の静謐さというよりは、やはり誰もいない夜の砂漠のよう。

魅惑的な声というよりは、ただただ、静かな声だ。


「私のようなか弱い人間に、あなたを脅すような材料などあるでしょうか。そちらについては専門の方とお話しして下さいね」

「奇妙なことを言うのですね。私を捕らえたのは、あなたでしょうに」



夏至祭の日に捕らえられてから、スフェンはここで、魔物達やダリル達と様々な会話をしてきたのだろう。


一刻も早く解放しろと荒ぶる事もなく、とは言え自死を願うような投げやりな様子もない。


その落ち着きは何であろうかと考えれば、彼にとっては不利益なことはないのだと断定せざるを得ない。

そう感じられる事が、尋問にあたった者達を警戒させるのだろうか。


ネアがスフェンと話し始めると、ダリル達もアルテアも傍観者の眼差しになった。

さぁどうぞという指示がなくても、もうネアの持ち時間は始まっているのだ。



(こんな時、やっぱりダリルさんは私を甘やかさないし、アルテアさんの進め方は、ディノやノアとは違うのだ…………)



静かに息を吸い、立ち位置は変えずに少しだけ背筋を伸ばす。

求められているものを知らないままだが、ひとまずは前だけを見据えよう。



「あなたは、真意はどうであれ私を指名して会いに来た方の中にいました。そんなお客が知り合いの方に悪さをしようとしたのですから、捕まえてしまうのは当然なのでは」

「そんなあなたを、彼等がここに呼び寄せた理由は想像がつきますが、聞き手を変えても返答は変わりません。このように囚われた身です。私は、話せる限りのことはお話ししていますよ。デジレを失脚させる為に、このリーエンベルクで守られた人間を、誰でもいいので傷付けようと思った。それだけです」



顔色の悪さは戻ったものか、静かな声でそう語るスフェンは掴みどころのない目をしている。


王の副官であったという妖精なのだから、政治的な立場からも弁は立つだろう。



(普通に考えれば、到底私の手に負えるような人ではない。それなのに、なぜ私は呼ばれたのかしら…………?)



ネアの疑問は、まさにそこに尽きた。


尋問を行っていたのは、ネアの手助けなどを必要としない老獪な者達ばかりだ。

おまけにリーベルが同席しているのであれば、確か彼は、人の心を操り自白を促すような魔術が使えたのではなかっただろうか。


眉を寄せたままそんな事を考えていると、ダリルがくすりと笑うではないか。



「ネアちゃんは、どうして自分がここに呼ばれたのか、不思議かい?」

「ええ、さっぱり分かりません。もしや、竜さんのようにこやつが踏まれて懐いたのかとも思いましたが、今のところその気配もありません」

「おや、そのような状態であれば、ネア様をここにお連れすることは、私が許可を出しませんよ」

「ヒルド……………」



微笑んでそう言ったヒルドに項垂れたエーダリアが立つのは、ネア達とは一層離れた場所だ。


ここは、正方形の牢に、透明な結界の壁を挟んで対面する形でネア達のいる部屋があるのだが、エーダリアとヒルドだけは面会室の左手に立っている。


一見するとまるで同じ部屋に立っているようでも、実際には高位の魔物達の叡智により、透明なあわいを挟んだ違う場所に立っているのだった。


僅かにだが色合いが霞んで見えるのは、呪いや災厄を退ける為に霧の系譜のあわいを挟んでいるからなのだとか。



足を踏み替えたダリルのドレスの衣擦れの音に気を取られたようにしてそちらを向けば、漆黒のドレス姿は溜め息を吐きたくなる程の美女ぶりで、だがその微笑みは決して良き隣人のものではない。


ネアの隣に立つアルテアは、ヒルドが厳密には違う空間にいるからか珍しく煙草を吸っていた。


ちらりとそちらを見たネアは、この煙草は何某かの魔術に使われているのではないかなと考えている。



「アルテアには他の意図もあるみたいだけれど、私がネアちゃんを呼んだのは、実際にタジクーシャを見たネアちゃんがこいつをどう思うかを聞きたいからさ。向こうで襲撃されたりもしているからね」


そう微笑んだダリルは、はっとする程に美しくそして意地悪にも見えた。

ネアは、説明されたようで曖昧なままだが、どのような目線を求められているのかが分かっただけでも良しとしようと、依然として材料が少ないままに頷いてみる。



「このような場面においてはてんで素人に過ぎませんが、これだけ落ち着いているのであれば、この方はそれなりに満足しているのでしょう。この状況下で満足しているとなると、最初からこうして捕縛される、或いは粛清されるのが目的だったのではないでしょうか?」


ネアがそう指摘しても、スフェンの表情は揺らぎはしなかった。


そこまでは特に隠してもいないのだろうし、ネアの指摘に乗ってくれたダリルの表情にも、特別にでかしたという色はない。



「ふうん。つまり、踏み石になろうって魂胆だと?この状況で、前王派にとって踏んでみたい石になったかと言えば、そうは思えないね」

「ええ。そもそも、宝石妖精さん達がデジレさんを罠にかけたいのであれば、夏至祭にリーエンベルクを訪れようとしなくても、もっと好機はあったことでしょう。……………頭のいい方が、そのくらいのことを考えられないとも思えません」


だからと、ネアは思うのだ。

そしてこれは、ただのネアの勝手な推理でもあった。


「だから寧ろ、スフェンさんはデジレさんの為に、殉じようとしているのではないでしょうか。悪い人たちを束ねてここでひと暴れし、前王派と呼ばれる方々を引き摺り出して諸共という覚悟で、デジレさんにとって最も厄介な旗印となるべき自分ごと、……………もしくは、…………あの町ごと、滅ぼして欲しいのではありませんか?」



ネアがそう問いかけた時、スフェンの体が初めて揺れた。



(でも、そう考えれば辻褄は合うのだ)



スフェンは自分の益にはならないことをしようとしているし、評判を聞く限りは、綱渡りよりも細い糸を踏むあの計画の全てが、上手くいくと安易に考える程に愚かな人物でもなさそうだ。


それならばこの妖精はきっと、自分の為には動いていないのだろう。


それに、スフェンが、自分がしようとしている事を正確に理解しているのなら、魔物達に手を出すなと言われたウィームを狙うなど、限りなく破滅に近い道行きをわざわざ歩き過ぎている。


デジレを陥れるだけなら、ウィームではなくて、ヴェルリアやカルウィなど、反応の苛烈な国は幾らでもあるではないか。



(そして宝石妖精というものが、誰かに支配される事を好むのであれば……………)



現王交代の旗印にされている彼にとって、自分より眩いと思うのは誰だろう。

ネアは最初、その選択肢に前の持ち主やヒルドも入れていたが、ここはもっと簡単に考えるべきなのではないだろうか。


彼の隣には、高階位の魔物達からの評価も高い、有能な王がいるではないか。



「……………は、馬鹿な事を。なぜ私が、あのような王の為に」

「とても動揺しているので、やはり仲間です。この妖精さんの悪事を理由に、あのデジレめを滅ぼしましょう!」

「やめろ!あの方は関係ない!!……………っ、」



そう声を張り上げてから、スフェンは己の失態に気付いたようだ。

ぞっとしたような顔でこちらを見たが、どう考えても手遅れだった。



「うーん、やっぱりネアちゃんはいい腕だね」



色を失ったスフェンを見つめ、そう笑ったのはダリルだ。


けれどもまだ腑に落ちない部分があり、ネアは、首を傾げて美しい書架妖精の青い瞳を覗き込む。



「……………けれど、ダリルさんや、恐らくはアルテアさんも、既にご存知でしたよね?」

「ほお、どうしてそう思う?」

「こんな簡単な計算式です。物語の知見くらいしか判断要素のない私が繋ぎ合わせられる事は、ご自身の経験を重ねているお二人には容易でしょう。…………であれば、私がこの方と話し合う必要性は、また別の部分にあるのですね」



そう問いかけたネアに、アルテアが肩を竦める。


ネアは、ちびこい三つ編みをしゃきんとさせてこちらを見ている伴侶の頭を撫でてやり、ふと、なぜか先程から熱心にスフェンを見ているエーダリアと、そんなエーダリアを困惑したように見ているヒルドが気になった。



(エーダリア様……………?)



一瞬、まさかと思ったが、侵食などの影響ではなさそうだ。


表情だけを見るのであれば、遠い昔に出会った誰かを思い出そうとしているようにも見える。



「お前に問いかけをさせたのは、魔術的な顛末の理から、こいつがお前には侵食魔術を展開出来ないからだ」

「……………む」

「勿論、この牢獄のこちらとあちらで侵食はないが、生かして捕らえ続ける為に、牢の中での魔術は使えるようにしてやっている。あの魔術は用途の幅が広いからな。言わば、お前という試験薬を使っての確認作業だ」



どこか苦々しくそう答えたアルテアに、ネアはこくりと頷く。



「ただ、スフェンさんと私の間には、理……のようなものがあるのは初耳です」

「…………もう忘れたのか。こいつの乗り換えによる橋を、お前が力ずくで外しただろうが」

「キュ……………」



ムグリスディノにも少し拗ねたように見上げられ、ネアは眉を寄せた。

思い当たる行為は一つしかない。



「もしや、引っこ抜きの収穫の事でしょうか?」

「侵食を阻止するだけではそうもならないが、橋を外すという意味合いを持つ行為には、魔術の理で双方に対価と成果が紐づくようになる。こいつが、橋かけの魔術を応用してリーエンベルクに入り込もうとしたからこその顛末だな」

「……………ほわ。それなら、より従順になるように、森の仲間のおやつを与えて、強化しておきますか?」

「やめろ。妙なものを増やすな」



ネアが、顔を顰めたアルテアにそう言われたところで、エーダリアが、あっと短く声を上げた。


何やら合点がいったのか、場違いなくらいにすっきりとした顔をしている。



「……………月呼びの錫杖。そうだ。その身に記した魔術の組み合わせをどこかで見たと思っていたが、月呼びの錫杖だ。お前は、リーエンベルクに所蔵されていたことがあったのだな……………」

「……………馬鹿王子。喜んでどうするんだい」

「………っ、すまない。ダリルは知っていたのか……………」

「馬鹿だねぇ。王宮での収蔵品名簿があるのに、知らない訳がないだろう。私は書架妖精だよ」

「まぁ、この妖精さんはリーエンベルクに収められていた品物だったのですか?」

「そのような記録があるのだ。ウィームを出てしまった方の王家の所有ではあったが、亡国の姫がウィームに持ち込んだ嫁入り道具にあったものらしい…………」



エーダリアが指摘した事は、既にダリル達と話していたものか、スフェンは動揺するような事はなかった。

ええと、短く肯定はしたものの、それ以上何かを語る様子もない。



その国がどのようなところだったのかの記録は、もうあまり残っていないのだそうだ。


ただ、その年の春に隣国から滅ぼされた国の姫が、守護を与えた魔物の縁からウィームに嫁いで来た。

途中でウィームを追われた方の王族達には側室を持つ文化もあったので、その姫は言うところの第二夫人であったらしい。


国から落ち延びる事が出来たその姫は、ウィームに二つの至宝を持ち込んだとされている。

だが、当時のウィームを守護していた人外者達の助言から、それらの品物が世に出る事はなかった。

そしてそのまま、数年後に国を追われた王子と嫁いで来ていた姫と共にウィームを離れた。



「そうなると、こちらにあったのはあまり長い期間の事ではなかったのですね……………」

「そのようだな。メーゲットの宝剣と月呼びの錫杖をリーエンベルクで所蔵していたのは、十年程のことだったようだ」



そう教えてくれたエーダリアの言葉に、ヒルドが目を瞠る。

この時、たまたまスフェンの方を見ていたネアは、金色の錫杖妖精の瞳がさざ波のように揺れたのを見た気がした。



「おや、であれば彼は、ドレドと共に管理されていたようですね」

「むむ、ヒルドさんのお知り合いの宝石妖精さんと、……………幼馴染的な?」

「へぇ、メーゲットの宝剣と同時に管理されていたのは初耳だ。何の記録だい?」

「……………ネアが、夜市場で買ってきた魔術書に、僅かだが、別の記録の補足事項としてその記載があったのだ」

「おかしいねぇ。魔術書の類を手に入れたら、目録に記載するから必ず報告するようにと言わなかったかい?」

「……………す、すまない」


うっかり隠し持った魔術書が露見してしまい、エーダリアはがくりと項垂れた。

スフェンの派生した錫杖に使われた魔術式が古い時代の特殊なものだった為に、その部分に触れる一節であったらしい。



少しばかり話題が逸れてしまったが、ネアがそう首を傾げた時の事だった。

胸元に配置されていたムグリスな伴侶が、びゃっとなるとちびこい三つ編みをぷるぷるさせてこちらを見上げてくる。


ネアは慌ててスフェンに背中を向けると、胸元からすぽんと取り出したムグリスディノに、以前も活躍させた文字を浮かび上がらせることの出来る小さな魔術板を手渡してやった。



「……………ウィリアムさんが、何かをご存知だそうです」


ネアは、こちらに付き合って一緒に背中を向けてくれたアルテアに手早くそう耳打ちしたのだが、なぜかアルテアは片手で耳を押さえている。


おやっと思って首を傾げると、耳打ちの仕方が雑だと叱られてしまった。



「いいか、お前は、適切な距離感と行動の繊細さを学びなおせ」

「解せぬ」

「耳打ちをするのに体当たりをする必要もなければ、手を添えるのが面倒だからと唇を寄せ過ぎだ」

「むぐぅ……………」

「それから弾むな」

「必要なひと弾みではありませんか。伸び上がる為には、勢いをつけるしかなかったのです」



そう釈明しながら、ネアは、どこか困惑と諦観の滲んだ表情でこちらを見ているスフェンの方を見た。


器用に先程までの冷静さを引き続き装っているが、その表情の下では必死に策を探っているような気がする。


だが今は、己の履歴に触れる発言をしているネア達の言動を、注意深く観察もしている気がした。



(種族的な気配は違うけれど、アイザックさんのような無機質さと、グレアムさんみたいな物静かで理知的な老獪さがあって、…………)



そして何よりも、この妖精はどれだけ穏やかに微笑んでもネアの事があまり好きではなさそうだ。


頭のいいこの妖精は一度もその感情を露わにはしていないが、そのような事はなぜか伝わるものである。



「……………メーゲットの宝剣であれば、ウィリアムに聞くまでもない。あの国が落ちた際に国を支えた魔術基盤の核として、怨嗟に汚染されたものだ。…………宝剣に使われた宝石は、黒く変化したと聞いている」

「キュ!」

「そうなりますと、……………ドレドも黒いダイヤであったと?」

「いや、私が読んだ文献には、メーゲットの宝剣の宝石は無色透明、冬の日の夜明けの光の色と書かれている。ウィームに来るまでに浄化を済ませたのではないか?」


そんなやり取りの合間に、ダリルはじっとスフェンの表情を窺っていたようだ。


「……………と言うよりも、ウィームで浄化を施されたんだろう」



そう断定したダリルに、僅かに翳ったスフェンの瞳を見たネアは、その焦燥はどんな感情に結び付くのだろうかと考えた。



(それでも、この人は全ての感情の動きがとても薄い。掘り出せる感情が浅いから、本物を覗かせたのか偽物を敢えて見せたのかが判別し難いのだわ。だからこそ、魔術的に欺かれる事のない私がここに呼ばれたんだ……………)



以前、ダリルから様々なことを教えられた時、書架の全ての書からの叡智を有している美しい書架妖精は、どのような時も全ての判断材料を同じテーブルに乗せるようにと話していた。


限りなく正解に近い選択肢があったとしても、そこには、全く同じ条件を備えた他の選択肢が隠されているかもしれない。


勿論、政治的な判断や材料集めこそが困難な場合もあるにせよ、揃えられる限りを揃えるとしたのがこの書架妖精の信念であるのなら、恐らくネアはその選択肢の一つを切り出す為のナイフなのだろう。


自分が他のナイフとは違う要素はどこだろうと考え、ネアは、短い接触であったが束の間の邂逅を得た、タジクーシャの王かもしれないと思う。


言葉にして言われたように、スフェンとの魔術的な因果関係から、ネアがいると質問の手間が省ける事もあるが、それはあくまでも確認の為のものだ。



(それだけなら、予め与えられた質問を私がするだけでも良かった筈だもの…………)




「色々な仮定を仮定のまま進めますが、デジレさんはあの日、あなたがそこにいると知って、リーエンベルクを訪れたのではありませんか?」


再び自分に話しかけた人間を、スフェンは冷ややかに一瞥する。

従順そうで無機質な微笑みを浮かべてはいるのだが、淡い金色の瞳はどこまでも冷たい。


残念なことに、この妖精達は、これまでに出会ってきた他の人外者のようには人間を侮りはしないのだ。


そんな反応の違いが僅かな足枷となり、ネアは、品物から派生した生き物らしい警戒心にむしゃくしゃする。

警戒し、身構えて企んでこちらを見ている老獪な人外者に、ネア程度の経験でどう太刀打ちするべきか。



「私が、その場所に居たと?」

「アスセナさんという百合の妖精さんが、私を白百合の魔物さんの歌乞いだと誤解したのと同じような人違いの事件が、あの日にありました。聞いたところ、あなたが扱うような魔術は、他の宝石妖精さんにはないものなのだそうです。であれば、あの日あなたはあの場所に居て、デジレさんはあなたが悪さをしようとしているのをご存知だったのですね」

「…………これはこれは。私と王が共謀しているという考えはもういいのですか?」

「ふむ。今は道が分岐していますが、最終的に一本道なので少し待って下さいね」



ネアがそう言えば、スフェンは少しだけ憮然としたようだ。


ネアに相対する時に、人外者達は様々な反応を示すが、スフェンにとっては道端の小石のような認識なのだろう。


だからこそ、その小石に足を取られる事を嫌悪して、隙が生じる。



「……………仮に私があの場所に居たのだとしても、王にはまた、王なりの思惑があるのでしょう。あの王の思惑など、私の知った事ではありませんね」

「タジクーシャをなくしてしまいたいのは、デジレさんを画家にしてあげたいからですか?でもきっと、あの方は喜びませんよ」



がりっと、耳障りな音がした。


気付けば、スフェンは腰かけた椅子の肘置きの一部を、握り割ってしまったようだ。



「……………何を、」


その声は軋むような響きであったが、ネアは、続ける言葉を考えるような素振りで短くダリルと視線を交わし、今少しばかりと、刃物のような金色の瞳と向かい合う。


これだけ守られているのだから勿論怖さはなかったが、それでも、混じりけのない怒りや憎しみの目を向けられるということは、あまりいい気分ではない。



「自身への火の粉であれば、恐らくあの方は違う払い方をした筈です。前王派の対抗勢力があるにせよ、問題がない限りは国内で手を打って済ませたのではないでしょうか。………でもあの方は王様で、国そのものを火の粉から守る為に、その事態こそを引き起こさせない為にわざわざ手のかかることをしたのでは?」



ふっと揺れたのは、怜悧な失笑だ。

あまりにも冷たい侮蔑の眼差しに、ネアはたじろぎそうになる。


ただの宝石ではない。

タジクーシャの宝石妖精達は、求め崇められた宝石達でもあるのだ。



(ああ、…………誰に似ているのかが少しだけ分かった)



畏怖と執着の対象であったからこそ、その眼差しと高慢さは、信仰の魔物のレイラや、ガーウィンで出会った聖職者達に似ている。



「……………あなたは部外者だ。その僅かばかりの出会いから、王の何を知るというのです」

「勿論、ほぼ何も存じ上げておりません。ですが、込み入った手を選択しても都合よく運ぶだけの才のある方で、自分が望まない事はしない我が儘な方なのだろうなという印象を受けました。だからこれは、私の意見でしかありません。………ただし、ここで分岐していた道がまた一つになるのですが、ご存知ではなくともこのような場合、責任を取るのはやはり王様なのですよ」

「馬鹿馬鹿しい、であれば……、」

「……………そろそろ時間だぞ。いい加減に帰れ」



スフェンはそんなネアの無責任な発言に何かを言おうとしたが、ネアは、あちこちからの目配せでそのまま言葉を収めた。


会話の切りどころを見計らってくれていたアルテアが割込み、ちょっと自己解釈の激しい意見を述べたネアが、良識のある大人達に追い出されるような形になる。



(でも、これでいいのだと思う……………)



ネアは、なかなか湖面を乱さない湖に投げ込まれた不格好な石で、スフェンが評価するような好敵手ではないからこそ生じた僅かな緩みに、その石が落ちた。


スフェンの視線を振り切るようにして部屋を出て、がたんと重たい扉が背後で閉じれば、ネアは一緒に部屋を出たアルテアを振り返る。



「あんなもので、良かったのでしょうか?きちんと、私の分の判断材料になります?」

「確認の為に呼んだと話した筈だが、………お前は踏み込むんだな」



ふと、静かな声でそう言われた。


でもそれは、恐らく階位的に絶対に優位なアルテアが同席していて、確認用の存在なんて入り用だろうかとネアが考える事くらいまでは、事前に想定していたからこその声だった。


アルテアの口調も責めている声音ではなく、なぜか少しだけ、諦観にも似た苦笑めいたものを閃かせる。



「ノアは、敢えて姿を見せないようにしているので、であれば、今回の一件でデジレさんと接触を受けた者の目線で語られるのは、私しかいませんでしたから。確認用としての用途は、…………実はそこまで必須という訳ではなかったのではありませんか?」

「……………ダリルは確かに、判断材料を稼がせる役割も想定していただろう」

「………となると、アルテアさんには他の目論見があったのでしょうか」

「……………俺やシルハーンがお前をあの場に呼んだのは、スフェン自身とはまた別の宝石妖精からの繋ぎを、スフェンを介して付与されていないかの確認の為だ」




(あの人を介して……………?)



そう告げたアルテアの表情は慣れない擬態の色彩ながら、真摯にさえ見えた。

首を傾げたネアにゆっくりと歩み寄ると、頭の上にぼさりと手を乗せる。



「宝石妖精自体の固有魔術ではないが、魔術道具としての錫杖は、本来は媒介の道具だ。お前が橋かけの魔術の繋ぎを得た際に、スフェンを媒介として他の誰かへの繋ぎを取られた可能性も考えたが、違ったようだな」

「………もしかして、…………私を呼んでくれたのは、その危険がないか確かめる為に…………?」

「ああ。エーダリアもそれで同席させられている。…………だが取り越し苦労だったな」



ふうっと息を吐いたアルテアに、今回はアルテアが前面に出るからこそ、こちらは隠し球にしておこうと身を隠したムグリスなディノも、ほっとしたように三つ編みをへなへなにしている。


ネアの伴侶が万象の魔物である事を宝石妖精達は知っているので、ディノは今回、敢えてネアの周囲にあまり姿を出さないようにしておき、こちらの距離感を掴めないようにした。


これは、本物の上に偽物を幾重にもかけておき、相手の判断を鈍らせるノアの手法だ。



「そんな怖いものがかけられていなくて、良かったです…………」

「ああ、繋ぎの印をつけられると、またこちらへの道を開かれかねない」



(………こうしてまた、ディノやアルテアさんは、私の知らないところで魔術の怖い繋がりを調べてくれていたのだわ……………)



ネアが事前に事情を知らされなかったのは、知る事と知られる事の結びの魔術を避け、より正確な確認が出来るようにという計らいであったらしい。


段階を上げながら色々と調べたので、途中からダリルが幾つかの理由を明かしてくれたのだそうだ。


もしかしたらという危険もあったのかとひやりとしつつ、ネアは胸を撫で下ろした。



「ふふ、ではもう安心して帰れますね。……アルテアさん?」

「……………おい、何でこっちに曲がった。反対だろうが」

「む。アルテアさんも、一緒に歩いて来たではありませんか。……………ぎゃ!ここはどこでしょう?」

「キュ?!」

「…………元来た道は、…………なくなっているな」




呆然と立ち尽くすネア達の前には、カモミール によく似た花をつける不思議な木々の森がどこまでも広がっていた。



どうやら、帰り道の順路は迷子から始まるようだ。


これは難儀な帰り道になるぞという予感に、ネアはへにゃりと眉を下げたのだった。









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