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58. 夏至祭のダンスは想定外です(本編)




陽が落ちると、リーエンベルクの周囲は胸がざわつくような美しさであった。


森の木立の向こうには楽しげに踊る妖精達の姿が見えており、水辺の篝火では日中よりも多くの香木が焚かれている。

火の粉に混じってふわりと立ち昇る香気には、ダイヤモンドダストめいた祝福が煌めいた。



そこかしこから聞こえてくる楽しげな音楽に、気を緩めると足取りが軽くなる。

そのまま歩いていると気付かずに妖精の輪に加わってしまっていたりするので、森や草原を通り抜ける際には注意が必要だ。




「おい、何でお前は外に出ているんだ」

「アルテアさんが戻って来ました。まぁ、お洒落をしているということは、デートだったのですか?」

「……………よし、お前はもう黙れ」

「むが!頬っぺたは許すまじ!!」



ネアは今、リーエンベルクの中庭に立ち、背中をディノに預けてこぼれんばかりに花を咲かせた夜菫の花壇の前に立っている。


それをリーエンベルクに戻ったばかりのアルテアが見付けて慌ててこちらにやって来たところだ。



「ディノが、ヒルドさんのダンスを近くで見られるように、色々整えてくれたんです。今は、この夜菫のお花から良い祝福を貰えると聞いて、こちらに来たんですよ。なお、安全対策をしっかりと講じ、ディノに持ち上げて貰いながら来ました」

「……………夜菫は、幸運の祝福か」

「はい!お花の数だけ幸運がいただけるそうですので、このような積み重ねも軽視しない私は抜かりなく貰いに来ました」



そっと指先を近付けた夜菫から、ほろりと光の粒が落ちると、ネアの指先にその光が染み込んだ。


特に熱などは感じないが、祝福が触れた瞬間にはじんわりとした清涼感がある。

蒸し暑い日に肌に触れる涼しい風のようで、ネアはこの感覚がとても好きだった。



「……………ふむ。九個もいただきましたので、これで良しとしましょう。全てを取り尽くさないのも狩人の良心です」

「何でお前はいつもその目線なんだよ…………」

「むむ、ちびふわのご主人様目線もありますが、適用しますか?」

「やめろ」



アルテアは、いつの間にか漆黒の盛装姿に着替えたようだ。


夏近い夏至の日にこのしっかりと着込まれたスリーピース姿をしているだけで、ここにいるのは人ならざるものなのだという主張にもなる。



不穏で美しく、決してこちら側ではない生き物。



そう考えて振り返ったネアは、こちらも隔絶された向こう側の美貌であるディノを見上げ、夜の深い青さに光るような真珠色の三つ編みをそろりと撫でた。



「ネア…………?」

「夏至祭はやはり、人ならざる方々の祝祭なのですね。ディノもアルテアさんも、いつもよりもくっきりとした美貌に見えます」

「………………そうなのかい?」

「近くにいても、向こう側の存在という感じがして、手を離したらもう見知らぬ生き物のような不思議な感じがして…」

「虐待する……………」

「あくまでも、例えですからね?」




わあっと、どこか遠くから嬌声がきこえてきた。



ネアがそちらを向こうとすると、さりげなく視線を遮るようにアルテアが移動したので、あまり見ない方がいいもののようだ。




(そう言えば、あの宝石妖精はどこに行ったのだろう……………?)




ふと、そんな事が気になった。


けれどもそれは、なぜか自分の耳元で自分が疑問を呟くような奇妙な感覚で、ネアはおやっと眉を寄せる。


とても自然だったが、いつもの自分の思考の巡らせ方とは違うような気がしたのだ。




(あの美しい黄金の宝石妖精は、どこに隠されているのだろう…………)



そしてまた、そんな事を考える。

だからネアは、とても嫌な予感がした。




実は、庭に出る前に、ネアはディノから幾つかの説明を受けていた。


夏至祭の夜であるので、もしかすると軽微な妖精の影響を受けるかもしれないが、リーエンベルクの敷地内の魔術基盤を一時的に特殊な整え方に変えたので、問題になるような事は起きないのだそうだ。


ネアが既に何らかの影響を受けていた場合は、その影響を浮き上がらせて削ぎ落とした方がいいので、反応が出るのは決して悪いことではないらしい。

体調に異変などがあったら、落ち着いて報告して欲しいと言われていた。



であれば、これがそうなのだろうか。

もしかするとディノは、ネアが既に何らかの影響を受けていると考えて、敢えて外に出る事を許したのかもしれない。



(でも、………この違和感を声に出して伝えたら、私が気付いたことを相手に知られてしまわないかしら……………)



今度は自分そのものの心の声でそう考え、ネアは不安になった。

影響が庭に出たからなのであれば、まずは屋内に戻るべきなのではないか。



先程の思考が、本当に何かの影響を受けていたとしたらではあるが。




「…………ディノ、夜菫さんから素敵な祝福をいただいたので、一度屋内に戻りましょうか」

「噴水の周りを歩かなくていいのかい?」

「…………そう言えば、あの篝火の香りを嗅ぐのを楽しみにしていたのでした」



けれども、そう考えると、酷く嫌な気持ちになった。


じわりと冷や汗をかくような不快感に、ネアは少しだけ考え、無言でアルテアの方にも手を伸ばす。


手を伸ばされたアルテアは赤紫色の瞳を眇め訝しげな顔をしたが、短くディノと視線を交わした後、当然のように手を取ってくれた。

わざわざ手袋を外して手を繋いでくれたので、魔物らしくネアの抱いた不安を目敏く拾ってくれたのかもしれない。



かくして、ネアはディノとアルテアの二人の間を歩く形で噴水のある場所までゆっくりと向かう事になり、噴水が近付いてくるとばくばくと鼓動を強めた自身の内側を慎重に覗き込んだ。



やはり妙だ。

なぜ、あの篝火に近付くのがこんなに憂鬱なのだろう。



(あの宝石妖精を捕まえたからだろうか。あんな妖精は、手元に置いておくと良くないのかもしれない。…………例えば、誰もいない森に捨てて来てしまうべきなのだろうか………)



取り留めもないその心の声に、ネアの中のどこかの部分が、これはおかしいと首を傾げている。


そもそも、ネアは、捕らえた宝石妖精がどうなったのかを知らないのだ。



例えそれがネアを標的とした者であっても、ネアがその処分の全てに首を突っ込む必要はない。


魔物達は魔物らしく手を下したいかもしれないし、エーダリア達やダリル、ヒルドに関してもそれぞれの立場からの思惑でその妖精を利用するかもしれない。

だからネアは、あの宝石妖精がどうなるのかまでを尋ねはしなかった。


気にかけるという事は些細な事かもしれないが、その興味が思わぬ形で措置を鈍らせるかもしれない。

ノアとの会話で宝石妖精は執着を育てるとも知り、出来るだけ接点を持たない方向でいようと考えることにした。



よって、その行方には興味を持たなかったし、こんな風に考える理由もない筈なのだ。




(そうだ。あの宝石妖精は、森にいる緑柱石の宝石妖精にでも引き渡してしまって、この煩わしい思いから解放されよう!)




ぱちぱちと、篝火が燃える音がする。

ふわりと香ったのは、芳しい魔除けの香木の香りだ。



その豊かな香りを吸い込んだ瞬間、ネアは耳元で囁いていた思考がぼろぼろと剥がれ落ちるのを感じた。


どっと冷や汗をかき、剥離した何かの気配に、きっと良くないものに接触されていたのだと胸を撫で下ろしたネアの頬に、ひんやり気持ちよく感じる指先が触れた。




「…………君に語りかけていたものは、去ったようだね」



その静かな声に顔を上げると、心配そうな顔をしたディノが、そっと目元に口づけを落としてくれた。



「………ディノは、……………最初から気付いていたのですか…………?もしかして、だからここに連れて来てくれたのでしょうか?」

「…………懸念はあったのだけれど、影響が見えていた訳ではないんだ。ただ、タジクーシャには何日か滞在していたのだから、大事を取ったという感じかな」

「……………ふぁ。ディノが大事を取ってくれたお陰で、一人で対応せずに済みました…………」

「君の反応からすると、妖精の囁きだね。思考が二重になったような気がしなかったかい?」

「ま、まさにそんな感じでした!なぜか私は、そんな事を考える筈はないのにということを心の中で呟いていて、この篝火に近付くと思えば、それがとても憂鬱だったのです…………」



ネアがそう告白すると、ディノは短く息を吐いた。


魔物らしい酷薄で冷ややかな眼差しだが、ネアに触れた手はとても優しい。



「………ごめん、怖い思いをさせてしまったね。どこかでその系譜の妖精に触れたのだろうけれど、どんな事を囁かれたんだい?」




(誰かからの接触だとしたら、その妖精が近くにいたりはしないのかな…………)



ここで話していて大丈夫だろうかとネアがそわそわと周囲を見回すと、ディノは音の壁を作っているよと微笑んでくれた。


屋内に入るよりも、こうして悪意のある妖精を退けるという明確な目的で焚かれている篝火の側にいた方が、その魔術の誓約で守られているので安全なのだそうだ。



そこでネアは、まるで自分自身の囁きのように聞こえたそれが、捕らえた宝石妖精についてのものであった事を魔物達に伝えた。



「おや、宝石妖精がまだ残っていたのかな」

「緑柱石か。シルハーンが捕縛したのは青玉、あの副官がスフェーン、ウィームの市場の一件で現れたのは翡翠だったな」

「…………そう言えばタジクーシャのお花畑で、アレクシスさんがお持ち帰りしていた中に緑柱石がありました。私が翡翠だったので、緑の系譜の妖精さんが多かったと話していたので覚えています!」

「…………であれば、その時に君が緑柱石の宝石妖精と接触した事を知る者が、どこか離れた場所から君に囁きかけたのだろう」



妖精の囁きは、知る事と知られる事で結ばれる魔術の中でも、最もありふれたものであるそうだ。


まず第一に、それは、知覚や知識など系譜や属性の魔術を持つ妖精だけが使えるものであるらしい。

緑柱石の妖精であれば、知識という資質があるので扱う事が出来る。


ただし、使う事が出来るのは自分や同じ一族の妖精が会った相手のみであり、その全ての条件を満たせば、妖精は近くにいない相手の耳元に囁きかける事が出来るのだとか。


近くには誰もいないのにゆっくりと意識に沈み込む言葉は、時として、まるで自分の思考のように思えてしまうらしい。


妖精はその囁きで人間を操って遊んだり、意中の相手を自分の領域に誘い込んだりもする。



「…………そんな事が出来るのですね」

「通常であれば、リーエンベルクの内側に声を届ける事も、守護で守られた君にその囁きを落とす事も出来なかった筈だよ。今日が夏至祭だからこそ、そのどちらもが繋がってしまったのだろう」

「そうして、境界線を越えてしまってもいいのでしょうか?例えば、エーダリア様達に良くない影響を与えたりは……」



ネアはぞっとしてそう尋ねたのだが、なぜかアルテアはおかしな目をするではないか。


「…………いいか、見ず知らずの妖精の囁きが届くのは、子供だけだ。直接の接点があれば成人した相手にも繋げられるが、その場合は予め何らかの約束事などがないと不可能だからな」

「…………ぎゅむ。私の数字とて、立派な可動域ではないですか」



たいへんな可動域差別であるとネアは低く唸ったが、視線を森の方に転じたアルテアを見て背筋がひやりとした。


少しは夏至祭を楽しめるようにと外に出して貰い、夜菫の祝福を貰って気分が持ち上がっていたのに、こうして厄介なものの影響を受けた事でまた祝祭どころではなくなるかと思えば、ネアの心はくしゅんと不安の翳りを帯びてしまう。


何かを言いかけたものの上手く言葉に出来ず、ふと、ディノの表情に気付いてそちらを見る。



「……………ネア、祝福を一つ書き換えようか」

「…………祝福、ですか?」



少しだけ考え込むようにしてそう呟いたディノに、ネアは頷きながらも首を傾げた。

同じように、まだネアと手を繋いでくれているアルテアも怪訝そうにする。



「森なら、そいつを潰してくればいいだけだろ」

「…………いや、夏至が終わるまではここを離れないでいてくれるかい?思っていたよりも執拗な接触が、少し気になるんだ」

「根拠となるだけの備えがあるにせよ、潰しておいた方が後腐れないだろうが」

「そうかもしれないけれど、まだ彼等の目的が明らかになっていないだろう?手早く済むという保証もない。君は勿論宝石妖精に損なわれる階位ではないけれど、私は一度、そう考えて仕損じた事がある。この子に二度とそんな思いをさせたくはないからね」



そう言ってくれたディノに、ネアは胸の奥がくしゃりとなった。



「ディノ……………」

「君が怖いのは、失われることなのだろう?私達が外に出ていかなければ、怖くないかい?」

「………………ふぁい」

「うん。では、今回は他に対処する方法があるから、そちらで済ませてしまおうか。君がこれからの時間を楽しめないと困るからね」

「ディノ…………」



ネアは、両親の死に起因して不得手になっている特定の状況に対する不安を、ディノが理解してくれていた事に安堵して、へにゃりと眉を下げて大切な魔物の腕の中に体をぎゅっと寄せる。



こちらも逃げたら困るので、アルテアの手もしっかりと握ったままだ。



「だから、こちら側にある緑柱石の上位の守護を、有用な形で書き換えようか。良いものを貰っておいて良かったね」

「………………ぎゅ?」

「…………ああ、去年の夏至祭の妖精か……………」



目を瞬いたネアは、そこでやっと思い出した。


昨年の夏至祭のダンスの最中に召喚され、緑柱石の妖精達の村を黒い靄から救った事があるのだ。



「その時の妖精達は既に、君に緑柱石の守護を与えてはいるんだ。その守護は良質な緑柱石が得られるような祝福なのだけれど、それを緑柱石の宝石妖精からの守護に変えて貰おうか」

「…………まぁ、そんな事が出来るのですか?」

「君はまだその祝福を使っていないからね。…………あまり縁のない色彩を纏わない為に残しておいたものが、思いがけないところで役に立ったようだ」

「…………そして、宝石妖精めに対しての守護という事は、あのちびこい生き物の方が上になるのですね?」

「タジクーシャの宝石妖精は特異的に高位の妖精となるけれど、とは言え個別の宝石に過ぎないからね。総体的にその宝石を司る妖精のシーには劣るんだよ」



そうなればと、すぐさまその場に緑柱石の妖精達を呼び出す事になり、ネアは驚いてしまった。



「ま、待って下さい!ここは篝火を焚いているので、あのちびこい妖精さん達が滅びてしまいます!」

「緑柱石の妖精は、この程度では退けられない階位のものだよ」

「なぬ……………」



ネアは、黒靄に怯えてムグムグ鳴いていた円錐形の生き物達を思い出し首を傾げたが、どうやら思っていたよりもかなり階位の高い妖精であったらしい。




「緑柱石の妖精は、上位妖精だぞ」

「一緒にいたヒルドさんが、そこまで反応していなかったので、か弱きものだと思っていました…………」

「ヒルドは、森と湖、そして宝石の系譜の最上位だ。形のないものを司る闇の妖精と並んで、種族的にも最高位の階位に位置する妖精だからな」

「…………ほわ、重ねて、ヒルドさんがとても凄いということも知ってしまいました」



そもそもディノが万象だからかもしれないが、既に結んだ魔術の縁があるので、緑柱石の妖精達は簡単に呼び出す事が出来た。


近くから摘んできたセージの葉と、アルテアがどこからか取り出した美しいエメラルド、そしてこれもアルテアが取り出してくれた、水のように澄んだ森のお酒で簡易な召喚儀式を行うと、お酒を垂らしてくるりと描いた円の内側にしゃわんと円錐形の生き物達が現れる。



突然見知らぬところに召喚された緑柱石の妖精達は、不安がってムグムグ鳴いていたが、ネアを見付けるとぴゃんと飛び上がって慌てて崇め始めた。



「昨年、この子に祝福を与えたのを覚えているかい?」



そう尋ねたディノに、そちらを見た緑柱石の妖精達は、今度は白過ぎると驚きに飛び上がりそちらも崇めている。


体全体を使ってこくこくと頷いているので、ネアに祝福を与えた事は忘れていなかったらしい。



「実は今、この子を付け狙う、タジクーシャの緑柱石の宝石妖精がいるんだ。与えられた祝福が未使用だから、その者からの守護に切り替えてくれないだろうか」



そう提案したディノは、高位の魔物らしい高慢さや酷薄さでもあったが、相手が小さくてムグムグしている生き物達だからか、僅かに声音が柔らかい。


すると、その言葉を受けた円錐形の生き物達がムグムグと荒ぶり出したので、ネアは、今更祝福の変更はしたくないと怒っているのかなと少しだけ不安になる。


けれども、円錐形生物の中でも一際鮮やかで深い緑色の個体が、ムグムガーと力強く伸び上がってぺかりと光る緑色の祝福を生み出すと、それをえいやっとネアに向かって投げてくれた。


ぽわりと体に染み込んだ祝福に、ネアは目を丸くする。



「……………緑柱石の宝石妖精を…、」

「ディノ…………?」

「緑柱石の宝石妖精の上位に立ち、もしもの時には簡単に相手を破壊する祝福だそうだ」

「…………思っていたよりも過激な祝福を貰ったようです…………」



ネアは、同じ緑柱石同士でそれはありなのだろうかと慄いたが、ムグムグ言いながら満足げに帰って行った緑柱石の妖精達の主張によると、緑柱石の上位妖精として、その宝石妖精の振る舞いは許されないと認定されたようだ。



「…………彼らにとっての君は、救国の英雄なのだそうだ。英雄として特別な称号を授けられたから、緑柱石の下位の者達は、今後君に悪さを出来なくなったからね」

「過去の善行のお陰で、恙無く夏至祭を過ごせそうです。そしてディノは、あの妖精さん達の言葉が理解出来るのですね!」

「緑柱石の妖精はとても物知りで、魔物や精霊の言葉も話せるんだよ。先程のものは緑柱石の妖精王だからね、魔物の言葉を話してくれていたんだ」

「ほわ…………」



それを聞いたネアは、ムグムグ鳴いていただけにしか聞こえなかったので誠に解せぬという思いであったが、会話が出来たのであれば幸いだ。



「…………寧ろ、そんな緑柱石の妖精さん達を脅かしていた黒靄めが、何だったのかがとても気になりました」

「障りや穢れの一種かもしれないな。石の系譜の者達は、封印の核としての資質があるからか、その種の悪変との接触を忌避する傾向がある」

「ふむふむ。影響を受けやすいのですね…………」

「内側に取り込んだものは、他の種族による浄化の儀式がなければ取り除く事が出来なくなるからな」


ネアは、であればこちらは救国の英雄であるとふんすと胸を張り、貰った祝福のお陰で、またあの囁きを聞かずに済むのだと安心すれば心も軽くなった。



「これで、その宝石妖精めを滅ぼしにゆけるのです?」

「いや、君が損なわれないのであれば、今は敢えて森に行く必要もないだろう。夏至祭の森には、その妖精以外にも様々な者達がいるからね」

「はい。ではそうしますね。ただ、その妖精めの目的は人質奪還でしたので、私が使えないとなると、他の方を狙いませんか?」

「可動域上対処が限られるお前とは違い、外に出ているここの他の奴等は、朝の一件からそれなりに対策を取っている。こちらの手の内以外での被害は知った事ではないしな」



そんなアルテアの考え方は魔物らしくとても極端だが、ネアとて、所詮自分の大切な人が大事なのだ。


大切な人達が危険を回避出来るのであれば、輪の外側の誰かの為にまで、危険を冒す必要はない。


身勝手な意見ではあるが、危険を取り除く為にその危険に近付かずにいてくれて、ネアはほっとしていた。


「ノアベルトを通して、エーダリアやヒルドからここの騎士達には、森にはまだ、捕まえたものを取り返そうとしている宝石妖精がいるようだと共有しておくよ。確か、夏至祭の夜にはもう、森の見回りなどは行わなかった筈だ」

「ええ。この時間はもう人間の領域ではなくなるので、本人からの救助要請などがない限りは森に立ち入る事は避けると聞いています」

「であれば、夏至が終わるまでは、必要がなければそちらとは接触を持たない方向でいいだろう。…………アルテア、それで構わない?」

「消極的な施策だが、夏至祭に心の隙を作らせるよりはましだろうな」



アルテアはこのやり方は本意ではなかったようだが、ちらりとネアの方を見るとディノの提案に同意してくれた。



(でも、…………私を不安にさせないようにと、アルテアさんを行かせないでいてくれたのであれば、…………場合によってはレーヌさんの時のような影響が出るとディノは考えたのだわ…………)



正直なところ、魔物達が、森に潜んでいる確率が高い宝石妖精をそのままにしておくという選択を取ったのはとても意外だった。


であれば、ディノがここまで慎重になる宝石妖精達の目的の不透明さは、それだけ厄介な可能性も孕むのだろう。

こちらの出方によっては、相手方の益になるかもしれない。


夏至が終わってからの対処を話し合う魔物達の隣でそんな事を考えていたら、あっという間に時間が経ってしまったらしい。



「…………むむ、そろそろ夜のダンスの時間ですよ!」

「おや、ではそろそろ正門の辺りに行こうか」



夜のダンスについては、ネアは正門のこちら側から楽しめる事になっていた。


勿論魔物を乗り物にしての事ではあるが、ディノはずっと、ネアが今日の夏至祭を楽しみきれていないと心配してくれたようだ。


せめてこのダンスくらいは、近くで見せてやりたいと手を尽くしてくれたらしい。



(だから、先程のように影響を受けてしまったのが悲しかったけれど、きちんと対処出来てディノが怖がっていなくて良かった……………)



そう考えてふるりと体を揺らすと、ディノがぎくりとしたようにこちらを見た。



「……………怖いかい?」

「先程の事があったので、また私に何かがあると、ディノが悲しくなってしまわないかが少しだけ不安なのです」

「…………ネア」

「先程のあれは、毒出しのようなものだ。ここでなければ、もう付与効果は残っていないだろう」

「…………むむ、これ以上はもう出てきません?」



アルテアの言葉にネアが首を傾げれば、すいっと回した杖で何だかよく分からない葉っぱお化け的な飛翔物を滅ぼしたアルテアは、敢えて妖精の力が強まる夏至祭の夜に外に出た事で、ネアが知らずに受けていた妖精の影響が浮かび上がったのだと教えてくれる。



「こいつがお前を外に出したのは、知らずに受けた影響があればそれを表に出すのも、この夜しかないからだ。お前を外に出す為に基盤を整えた事を、逆手に取ったんだろう」

「けれど、結果としてはその影響を外に出さなければならなくて、君に怖い思いをさせてしまった。…………怒っているかい?」

「あら、ディノは、最初から私が不安にならないようにと、必要なことは話してくれていましたよ?確かにあの囁きは少し怖かったですが、何か懸念があってそれを表面化する必要があるのかなと思っていましたから、怒ってはいません」


魔物達にはネアよりも遥かに沢山のものが見えているのは当然であるし、であれば、必要ならこちらを上手く動かしてくれて構わないとネアは考えている。


勿論、双方の信頼関係が成り立っていることが大前提ではあるが、今回のように敢えて表面化させてから対処するものもあるだろう。



「ただし、何も言わないで危ない事をしようとしていたら、それは許しません!なお、私の天敵に関してはどんな必要性があれ、絶対にお会いいたしません!」

「うん、君はそれは怖いのだよね」



そう答えたネアに、ディノは少しだけほっとしたように水紺色の瞳を揺らすと、こくりと頷いた。


敢えて怖い思いをさせられたとネアが怒っていないと知って、ほっとしたようだ。



きらきらと美しい夜の庭を抜けると、篝火の明かりと、それ以外の星空のような眩く不思議な光に包まれたリーエンベルク前広場が、門の隙間から見えてきた。



その細やかな光の集まる美しい光景に、ネアは目を瞠る。



「………………なんて綺麗なんでしょう」

「夏至祭の夜になると、ダンスの前の花輪の塔は多くの祝福を宿すからね。いつもだと、この時間の君は向こう側に立っていたから、見た事がなかっただろう?」

「…………あんなに花輪の塔が明るい事も、きらきらの星雲を纏うようにしてダンスに参加する方々が立つことも知りませんでした。…………踊る側だった時には自覚していませんでしたが、星の海を踏んで踊るようになるのでしょうか?」

「踊る者達はその魔術の一部になるから、夏至祭の魔術の輝きを知覚出来ないんだ。気に入ったかい?」

「はい!こんな綺麗なものを見られるなんて、思ってもいませんでした!」



夏至祭のダンスでは、例えこの最初の組の参加ではなくても、踊り手は花輪の塔とその周囲の魔術の煌めきを見られないのだそうだ。


鼓動のように脈打ち光の強弱をつける事を知ると、ネアはますます感動してしまい、目を輝かせた。



花輪の塔のこちら側には、可愛く結い上げた黒髪に花冠を飾った可愛らしい少女と並んだヒルドの姿がある。


こうして見ると、夜に光るような髪や羽の色といい、ぞくりとする程に美しい妖精ではないか。


リーエンベルクの代表で踊るからと着替えたのであろうふくよかな濃紺の正装姿が何とも艶やかで、その、どこか排他的で怜悧な存在感はただならぬ雰囲気を醸し出している。



(こうして花輪の塔のダンスの輪に立っていても、妖精の王様という感じがするのだわ……………)



そんなヒルドが、ちらりとこちらを見たような気がした。

目が合って微笑めば、そこにいるのはいつものヒルドなのだ。



(あ、……………)



その表情の変化を見て、ネアは、たった今感じたヒルドの排他的な美貌が、見知らぬ人としての目線で見たヒルドの姿なのだと気付いた。



そんな事を知れただけでも、こうしてこの場所から夏至祭のダンスを見られて良かったと思う。



「ディノ、私をここに連れて来てくれて、有り難うございます!」

「うん。自ら何かを受け取らない限りは安全だから、安心して見ておいで」

「はい!」



何だか楽しい気分になってきたネアは、うきうきと唇の端を持ち上げて、優雅な音楽と共に始まったヒルドのダンスをじっくりと堪能した。


一緒に踊っている少女はすっかり夢見心地なのか、頬を染めて、ヒルドを見上げるたびに縺れそうになる足で何とか頑張っている。

何度か足元に不穏な影が動いたが、ヒルドがすかさず滅ぼしてやっているようだ。


ヒルド達の組は正規の恋人同士ではないので、予め夏至祭の結びの魔術は切られているらしい。


だとしても、夏至の夜に美しいシーと踊れた事は、きっとあの少女のかけがえのない思い出になるだろう。


喜びに煌めくその横顔は美しくて、ネアは謎の誇らしさに包まれてしまい、一人の少女の眼差しを幸福でいっぱいにしたヒルドを見ていた。



(これがきっと、ヒルドさんのあるべき姿だったのだと思う……………)



ヒルドの一族が生きていた頃にそのお城を訪れたというデビュタントの王女達は、あの少女のような目をして妖精の王子と踊ったのではないだろうか。


そう考えると、その二人の背後に壮麗な森と湖の妖精のお城が見えるような気持ちにさえなってしまう。



やがて音楽が終わり、残った参加者達が花輪の塔を離れると、ネアはまず、ヒルドが参加したこのダンスでは連れ去られた恋人達が少なかった事に安堵した。


そして、ヒルドと踊った少女は、ダンスが終わった後にヒルドに何かを懸命に伝えているようだ。


こちらからは会話の内容までは聞こえなかったが、ヒルドが穏やかに微笑んで何かを答えると、少女はがくりと肩を落とす。



「…………ほお、よくあの対応をした妖精に求婚したものだな」

「なぬ、求婚だったのですね!」



面白がるようにそう呟いたアルテアに、ネアは興奮のあまりに爪先をぱたぱたさせた。


ヒルドがその相手を選ぶかどうかは本人の問題だが、大切な家族のような人を生涯の伴侶として望む誰かがいると思えば、それはやはり誇らしく嬉しい。

あの家族は素敵なのだぞと勝手にご機嫌になってしまった浅はかな人間は、むふんと息を吐く。



(おや、……………)




「……………そして、可愛い獣さんが門のところでむきゅんとしていますよ」



ネアは、目敏くその姿に目を止めた。

リーエンベルクの門のところに、門扉の隙間に鼻先を寄せている、茶色のふわふわ兎のようなもふもふの生き物がいる。


気になってそう声を上げれば、ディノは不安そうな目をした。



「獣、…………かい?」

「む、警戒していますね。しかし、所詮そやつは門の外側にいるものなので、門越しに眺めてもいいですか?」

「門越しならいいのかな。…………何の生き物だろう…………」




ちょうどヒルド達もこちら側に来たので、扉越しではあるが話も出来るかなと考えたネアは、ついでに兎風もふもふも観察させていただくことにする。



けれども、門に近付いた瞬間にネアは気付いてしまった。


兎に見えたもふもふだが、縮こまって丸まっていたからそう見えただけで、安心して近付いてしまったネアににやりと笑い、すっと立ち上がるとまるで違う形状の獣だったのだ。



(兎のふりをしていた…………!)




「こ、こやつは…………!」



慌ててそう声を上げたのと、本来の姿もなかなかに愛くるしい野生のもふもふが何か白いものをこちらに向かってぽいっと投げ込んだのは、ほぼ同時のことであった。



排他結界があるので、投げ込まれた手紙がリーエンベルクの敷地内に落ちる事はなかったが、かさりと音を立てて地面に着地した封筒に記された文字は、くっきりと浮かび上がりこちらにも良く見えた。



「っ、恋文の魔術だ!封筒の文字を認識するな!」

「むぐ?!」



咄嗟にネアの目を隠そうとしてくれたのはアルテアで、ディノは、腕の中のネアをしっかりと抱き締めてくれた。


しかし、ほんの少しだけ手遅れだった。



ネアは既に、封筒に書かれた文字を読んでしまっていたのだ。




「…………挑戦状、恋の踊り…………?!」

「っ、馬鹿か!読み上げて結びの魔術を完成させやがって!!」

「にゅ?!」

「恋文の魔術は、境界のあちらとこちらを繋ぐ唯一の魔術なんだぞ」

「し、知りませんでした…………」



恋文の魔術は、かつて大河を挟んだ町に暮らした対立する一族の男女が、互いの恋文を交わす為に編み出した視認型の魔術であるらしい。


ネアは、そんな悲運の恋人達の為に開発された魔術を勿論知る由もなく、かくりと項垂れてしまい、ディノに頭を撫でて貰う。



「ご、ごめんなさい。愚かにも自ら飛び込んでしまいました」

「踊り狂いの精霊だったのだね。ごめんね、ネア。ああして、他の生き物のふりをして誘き寄せるのだとは、私も知らなかった」

「…………ったく」

「アルテア、今のリーエンベルクは、門の内側と外側の魔術の基盤の繋がりそのものを、しっかりと切り離してある。魔術の展開そのものは防げなくても、その輪に連れ去られる事はないだろう」

「とは言え、参加の承認になったからには、それは全うする必要がある。それだけなら命を損なうようなものではないから、守護でも排除出来ない筈だ。こいつが門を出ずに済むように、まずはあの精霊を駆除してくるか…………」

「な、何の魔術が結ばれてしまったのですか?………………ま、まさか…………」




踊り狂いの精霊と聞いて、あまりの恐怖に青ざめたネアが、力なくそう尋ねた時のことであった。



外のリーエンベルク前広場にざわめきが広がり、なかなかに背中がしゃんとした老人が、ずずいっと先程の狸らしき生き物の正面に立つ。


こちらを見てにやりと笑っていた邪悪な獣は、その姿にはっと息を飲んだように見える。


そのご老体は、こちらを見て短く頷くと、後は任せ給えとでも言うように、兎ではなく狸風だった獣に凛々しく向かってゆく。

すると、どこからか同じ狸風の獣達が何匹も現れ、ご老人をぐるりと取り囲んだ。



その緊迫した空気に、ネアはごくりと息を飲む。



「……………ハツ爺さんです!」

「やれやれだな、あの人間なら、任せておいていいだろう」

「踊り狂わなくて済みますか?」

「あの精霊とはな」

「……………なぜでしょう。一抹の不安の残る言い方のように感じてしまうのですが…………」



嫌な予感を覚えたネアがそう言えば、アルテアは、どこか意地悪な微笑みを浮かべてはいないだろうか。



広場では、わっと歓声が上がり、ハツ爺さんの視認出来ない程に素早い足捌きによる華麗なダンスが披露されていた。


あっという間に一匹の狸がぱたりと倒れ、見事な財宝の山となる。


集まってきた狸精霊達が全て財宝に変えられてしまう迄には、さしたる時間はかからなかった。



大歓声の広場を見て、こちらも門の内側から拍手していたネアは、ふと、体に現れた違和感に眉を顰めた。



「……………これで私はもう自由な筈なのに、なぜか爪先のむずむずが収まりません…………」

「承認型の魔術による、付与効果だからだ。中に戻るぞ。お前はこれからその効果が解けるまで踊る必要があるからな。仕方がない、付き合ってやる」

「……………なぬ。とても嫌な予感がします」

「シルハーンから、受け取らなければ安全だと言われていたのを忘れて、あの手紙の文面を読み上げたのはお前だ。自己責任だろうが」

「むぎゅう………」



果たして数曲のダンスで済むのだろうかと震え上がったネアは、その時はまだ、踊り狂いの精霊からの舞踏への誘いには、力尽きて倒れるまでという恐ろしい前提があるのだとは知らずにいた。


ネアを踊りの輪に引き込もうとした踊り狂いの精霊達が滅びても、そこで受け取ってしまった魔術の結びは、成す事でしか安全に解けないらしい。




今、決して体力に自信がある訳でもない人間にとって、過酷な挑戦が始まろうとしている。


あまりの過酷さに、ネア達が、森に潜んでいる緑柱石の宝石妖精どころではなくなるのはすぐの事であった。



幸い、森に潜んだ宝石妖精は、夏至が明けてこちらから対処に出る前に、英雄を狙うなど身内の恥であると、緑柱石の妖精達が先んじて抹殺してしまったらしい。


事情聴取は出来なくなったが、粉々になった残骸が、安心めされよというお手紙付きでリーエンベルクに届いたのだそうだ。



とは言えネアは、己の脇の甘さのせいで夏至祭の凄惨な思い出を作る羽目になった。


この年の夏至祭以降、狸というものに対してはとても警戒するようになったし、ハツ爺さんを尊敬してやまないのである。








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