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57. 夏至祭のダンスを踊ります(本編)




ゆっくりと陽が翳り、その薄闇で妖精達の煌めきが細やかに浮かび上がった。



夏至祭の日に現れるという夏至祭の怪物には何種類かの区分があるらしく、今まさに顕現しようとしているのは、その中でも特に珍しい獣の個体なのだとか。




(願い事を司る、グレアムさんの系譜の怪物……………)




「このような祝祭の怪物には種類があってね、一纏めにして怪物と呼んでいるんだよ。一年の最後の日に現れる怪物にも、精霊なども混ざっているだろう?」


そう教えてくれたのはディノで、ネアは、何とか怪物の出現の前に終わった夏至祭のダンスの輪から、無事に残った参加者達が慎重に退避してゆくのを手に汗握って見ていた。



(間に合って良かった…………!)



エーダリアの詠唱が効いていたようで、花輪の塔の内側は、あわいなどの隙間からの介入はあれど、大掛かりなものの接触は防げているらしい。


なので、塔の上部に顕現した怪物を塔の魔術が遮っている内に、そろりそろりと視界から外れようとしているようだ。



「うっかり、現れる獣さんと目が合わないようにしなければならないのですよね?」

「まぁ、この土地の奴等は禁則対応には慣れているだろう。放っておけば、集まった妖精共が餌食になるだけなんだがな」

「…………その場合、叶えられてしまう願い事もあるのですよね?」

「叶えられた願いは、願い事の持ち主を殺せば潰える。選ばれた者はその場で分かるからな。視認してその場で対処すればいい」



手を打てないような者が願い事を得た場合が厄介なのだと、このような事態も初めてではないアルテアは言う。



見つめた先で、実体化しつつある獣の毛並みがさあっと風に揺れた。



昨年の夏至祭の怪物のように、どこかの文献には記されているかもしれないがここでは知られていない恐ろしいものとは違うが、やはり得体のしれないものがやって来るという恐ろしさがある。



この獣についても、どのようなものを齎す生き物なのかは判明していても、そうして認識されているのはたった一日の姿なのだ。


何年もあわいの隙間で眠りについていて、こうして時折目を覚ますものなのか、どこかに、ネア達があわいの列車で訪れた駅のようなこの獣の住処があってそこでは普通に暮らしていて、夏至祭の度に地上に顔を出しているのかもしれない。



(エーダリア様達は大丈夫かしら…………)



ネアは、夏至祭の怪物の真下にいるエーダリア達が心配になったが、ここにいる魔物達の落ち着き方を見る限り、ノアやヒルドもいるので危険が及ぶ事はないのだろう。



「………どうにかして、穏便にお帰りいただく方法があるといいのですが……………」

「国によっては、敢えて意識を呪縛した奴隷たちなどに囲ませてしまい、王や貴族達の願い事を叶えるのに使うこともあるようだね。どれか一つを取り上げ、どれか一つを退ける訳だから、想像がつく範囲で収められるという意味では有用だろう」

「つまり、運用の方法を見付ければ、案外素敵な獣さんなのですか?」

「夏至祭の怪物だ。対価を取られないにせよ、土地の祝福を大量に食うぞ」

「……………お帰り下さい」




有効活用も出来ないのではとネアが半眼になったところで、ばさりと大きな森色の翼が振るわれた。


ヒルドの髪色のような青緑色に、森の木々のようなこっくりとした深緑色、そこに僅かに混ざる淡いエメラルドグリーンやミントグリーンが目にも鮮やかな美しい翼だ。



(竜に似ているのかしら……………?)



ダナエや雪竜などの毛皮を持つ竜種に似ているようだが四肢はそれよりも長く、造形としては、足がすらりと長めの森狼に鷲の翼があるという感じだろうか。


長い尾も狼のものに似ているが、細く繊細な毛並みがふさふさしているように見えるので、愛玩用の室内犬などの尻尾に近いのかもしれない。


ふぁさりと実体化して揺れた毛並みを目の当たりにし、ネアはびゃんと直立した。

ぎくりとした魔物達がすかさず手で進路を封じたが、ネアは窓を突き破って突進したい思いを何とか押し留める。



その結果、あまりの感動にぶるぶると打ち震えることになった。



「……………きゃわ、……………きゃわわです!!お尻がもふもふではないですか!何という愛くるしいの極み!」

「あんな獣なんて……………」

「……………そうだな、お前は窓から離れろ。魔術で切り離してはあるが、くれぐれも妙な願いをかけるんじゃないぞ」

「願い事なんて必要ありません。この至高のもふもふを鑑賞出来ただけでも幸せな事なのです。………ふぁ、綺麗な獣さんですねぇ……………」

「ネアが夏至祭の獣に浮気する…………」



荒ぶる伴侶にしっかりと三つ編みを持たされたネアは、手の中の三つ編みを無意識にぎゅむっと握りしめ、夏至祭の獣のふかふかもふんなお尻を眺めて熱い溜め息を吐いた。



幸いと言うべきか、残念ながらと言うべきか、その獣がネア達の方を向くことはなかった。




大きな翼を振るい、ゆったりと飛んでいた獣は、とあるリーエンベルクの騎士の願いを叶え、その騎士の近くに潜んでいた黄昏の系譜の妖精を破滅させたらしい。



「では、エーダリア様が魔術を使って誘導したのですね?」


危うく大惨事になりかけた二段階攻撃を乗り越え、よれよれでリーエンベルクの中に戻ったエーダリア達から事情を聞いたのは、それから半刻程経ってからのことだ。



椅子の上にくしゃりと座り込んだエーダリアは、どこか切ない目をして、お前がいない夏至祭はそう言えばこういうものだったと呟いているので、どうやらこの大騒ぎは決して初めてという訳でもないらしい。



「ああ。折角結ばれた夏至祭の祝福を、食い荒らされては堪らないからな。ノアベルトから、願いと対価を決めてから食事をすると聞いていたので、何とか上手く気を逸らせることが出来た…………」

「やはり、エーダリア様は凄いのですね!あんなに大きな獣さんを操ってしまうだなんて………」

「ノアベルトがあの獣の習性を知っていてくれたお陰で、食事の前に土地の祝福ではなく、上空に現れた夏至惑いの妖精達へ注意を向けさせる事が出来たが、私がウィーム領主に着任して二年目の夏至祭では、あの獣に夏至祭の祝福を食べられてしまって大変だった………」

「………食べられてしまうと、どうなるのですか?」



その問いかけに対し、エーダリアはとても遠い目をした。


これは確実に実害を知っている眼差しであると続きの言葉を待つネアの方を、エーダリアが再び見るまでには少し時間がかかっただろうか。



「夏至祭の祝福は、妖精達やあわいの者達にとっては恩恵なのだ。………あの時は、それを大きく欠いてしまったことで、境界が不安定になったまま三日も夏至祭が続いてしまった。儀式などだけで補えればいいのだが、妖精達を怒らせた上で長引くのだから、その分犠牲者も増えるからな………」



からりとグラスの氷を慣らして冷たい薬草茶を飲んだヒルドが、王都でもその噂が入ってきて気を揉んだのだと話してくれる。


そこの頃はまだヒルドの立場も安定しておらず、ウィームに駆け付けることも出来なかったのだそうだ。



「ダリルが妖精達を指揮しなければ、もう少し長引いたでしょうね。ウィームは夏の系譜の管理が弱い事が浮き彫りになった事件でもありました」

「その時のエーダリア様の側に、ダリルさんが居てくれて良かったです…………」

「…………私も二日間は徹夜で働かされたな……………」



どうやらエーダリアを遠い目にしてしまうのは、夏至祭が終わらなかったという混乱に加えて、ダリルからかなり酷使されてしまった記憶のせいでもあるようだ。


その夏至祭の後、この職場は思っていたのと違うという理由で、騎士服が格好いいからなどという不埒な理由で入隊した見習い騎士が五人も辞めてしまい、リーエンベルクはその日から暫くの間、慢性的な騎士不足に悩まされるようになる。


そんな時期を支えたのが、戦前からウィームに暮らす領民達であり、更にそれより古くからウィームに暮らす者達だったのだとか。




「半年後には、兄上が視察という名目でヒルドを半月こちらに滞在させてくれたのだ。…………ヒルドから、今夜の執務は自分が引き受けるので一晩ゆっくり眠るようにと言われた時は、どれだけ有り難かったことか…………」



リーエンベルクの大浴場に出会ったのもその頃のようで、まさにエーダリアにとっては激動の時代の一つであったらしい。



「今年は、鯨さんもざぶんと顔を出していましたものね…………」

「ああ。祝福を食べる夏至祭の鯨は、何年かには一度現れるのだ。今年はゼベルが腕を上げたのでいつもの半分程で送り返せたな」

「…………鯨さんは、あまり珍しくないのですか?」

「夏至祭の鯨であればな。三年以上出現が空いた事はないので、今年は現れるだろうと考えて対策はしてあったものの、それでも少し予備の祝福を削られてしまった。今度の夏至祭には、もう少し花輪の塔の魔術の組み立て方を変えた方が良さそうだ……………」

「それなら、花輪の塔を建てて一通りの儀式を終えた後に、領域の置き換えの魔術を上から重ねるといいかもね」



ここでノアがうっかり希少魔術について触れてしまったことで、エーダリアはその後暫し、魔術の系譜と錬成の組み立て方の講義に夢中になってしまった。


ネアは、ヒルドから今年の金鉱脈情報を入手しようとしたが、残念ながらまだ誰も鞠妖精達の姿は見かけていないようだ。



なお、鯨を追い返して被害を最小限で抑えたグラストとゼベルには、リーエンベルクの騎士に適用される討伐手当てが加わり、特別な賞与が出されることになるらしい。



話題が騎士達の事に移れば、ネアはやはり、夏至祭の怪物について尋ねざるをえなかった。



「……………アメリアさんの、その後のご様子は如何でしたか?」

「…………感涙していたな。あの獣に涙を落とさないようにと、隣でゼベルが心配していたらしい」

「………あの至高のもふもふに、ぼふんと顔を埋められたのです。アメリアさんの喜びを思うと、私はすぐにでも白けものさんに会うしかないのでは……………」

「やめろ。こっちを見るな。夏至祭はまだ終わっていないんだぞ」



花輪の塔の上に現れた夏至祭の獣が、その願いを叶えたのはアメリアだった。



これは、うっかり願い事を拾われてしまった訳ではなく、今回はまず最初に対価が取られたので、その直後に周囲の者達は一斉に願い事をかけたのだそうだ。


対価として取られたのが、アメリアの近くにいた妖精だったので、夏至祭の獣はあまり頓着せずに獲物を一度に選んだ可能性もある。


対価として取られた妖精が何を願ったのかは分からないが、アメリアは咄嗟に夏至祭の獣の胸毛に飛び込んで、その美しい毛皮を撫でてみたいという願いをかけたらしい。



「……………もふもふ毛皮に、…………ぐぬぬ、もふもふ毛皮にぼふんと………」

「あんな獣なんて…………」

「あの怪物が現れた際には、お前が我慢出来る筈もないと思ってしまったが、よく耐えてくれたな………」

「あちこちで事故が起きたら取り返しのつかない事になりますので、窓からあのもふもふお尻を見るだけで我慢しました…………。とても良い毛皮ぶりのお尻でしたので、今年は良い夏至祭でしたと思うばかりですね」

「…………わーお、もう締め括ろうとしてるぞ………………」

「む?」




そうこうしている内にも、ヒルドの手元には次々と行方不明者の情報や、怪我をしたり亡くなってしまった人々の報告が入ってくる。



どうやら、妖精と結婚すると言い残して行方不明になった者達もかなり多いようだ。


この日だからこそ出会えるような者達から貰える祝福や契約目当ての魔術師達よりも、恋人探しの一般人の方が森の奥深くに分け入ってしまうのが解せないが、物事とは得てしてそのようなものなのだろう。




窓の外は、先程よりもいっそう賑やかになってきていた。


花びらから滴る祝福の輝きに、するすると茎を伸ばして花を咲かせる不思議な木は、一定の高さまで成長するとざらりと崩れて塵になる。


ゆっくりと午後の光を傾けてゆく夏至祭の日は、どこまでも色鮮やかで美しい。




「…………さて、私とヒルドは、夜のダンスまでは屋内の執務になる。広間の準備は出来ているようだぞ」

「まぁ!では、ディノとダンスをしてきますね。アルテアさんは白けものさんになりますか?」

「なんでだよ」

「もふもふお尻…………」

「アルテアなんて………」

「えーと、ネア。白けものになっても、それはアルテアのお尻になる訳だからね?」

「むむ、けものさんはけものさんです。もふもふしていれば、撫で撫でするしかなく…………」

「わーお、清々しいくらいに真っ直ぐな目なんだけど…………」

「やめろ。いいか、絶対にだぞ」

「む、使い魔さんが逃げました…………」



白けものにされてお尻を撫でられては堪らないと考えたのか、アルテアは、何かがあれば名前を呼ぶようにと言い残してふわりと姿を消してしまった。


ネアは行き場のなくなった両手をわきわきさせたが、残念ながら今日は白けものを撫で回すのは難しそうだ。

とは言え、アルテアは失念しているようだが、人間はとても執念深い生き物なので、狡猾に次の機会を狙うこととしよう。

白けものになって貰えば、後はもう尻尾の付け根をこしこしして動けなくした後に、撫で回すばかりではないか。



「僕は、エーダリアの執務室にいるよ。でもさ、妹になったばかりのネアがせっかく可愛いドレスを着ているんだから、後で僕とも少しだけくるっと踊って欲しいな」

「ふふ、では戻って来たら踊ってくれますか?」

「勿論。夏至祭は結びの祝福だからね」




また後でと手を振って別れ、ネア達が訪れたのはリーエンベルクの大広間の一つだ。

エーダリアが話していた通りに、大広間は既に準備を整えていてくれたらしい。



扉の隙間から、水色の花びらが廊下に落ちている。


その薄っすらと開いた扉に手をかけてぎいっと押し開けると、ぷんと森の香りがした。




「わ、………見て下さい、ディノ。森の中になっていますよ!」




そこに広がっていたのは、美しい太古の森だ。


扉を開けて進めば、周囲を囲んだ深い森の真ん中に出来た広場に立っているような、不思議な場所に出る。


そこは細やかな水色の花が咲き乱れる草地になっていて、魔術で敷かれた景観なので満開の小花の絨毯を踏んでしまっても、可憐な花が潰れてしまうことはない。


見上げれば、遥か天上に大きな木々の枝葉の天蓋が見えた。


古く大きな木々の幹には森結晶が育ち、ぼうっと光るその輝きと、ぽわりと光る花々が不思議な大広間を照らしている。


差し込んだ木漏れ日の光の筋には、きらきらしゃわりと祝福の粒子が揺らいでいた。



「踊ってくれるかい?」



こちらを見てそう尋ねた魔物に微笑んで頷くと、どこからか取り出した見事な花冠をそっと頭の上に乗せてくれた。



「……………ディノ、これは?」

「君は、本物の花冠を頭に乗せて踊れるなんてと、夏至祭の花冠をとても喜んでいただろう?元々、夏至祭の花冠は結びの魔術の一つなんだ。だからこの花冠には、私の伴侶としての結びの魔術を編み込んであるよ」

「淡いラベンダー色の薔薇と、ディノが薔薇の祝祭でくれる白薔薇の花冠でした!こんなに綺麗なものを準備しておいてくれたのですね…………」



その問いかけに淡く微笑んで頷いてくれたディノの真珠色の三つ編みにも、大広間の木漏れ日が落ちる。

水紺色の瞳が鮮やかに浮かび上がり、その美貌が描いた愛おしげな微笑みは堪らなく優しい。


「うん。君に花冠をあげたいのだとノアベルトに相談したら、夏至祭でも使われる白や水色一色のものではなく、他の属性の色も重ねれば夏至祭の魔術に取り込まれないだろうと、一緒に花選びを手伝ってくれたんだよ」

「……………とっても嬉しいです。これはずっと取っておきたいので、今日が終わったら魔術で残しておけるようにしてくれますか?」

「……………うん」

「私の宝物がまた増えてしまいました!」

「弾んでる。可愛い………」




音楽の小箱を叩けば、柔らかな旋律が流れ始めた。


いつもの音楽ではなくどこか夏至祭らしい音楽に、ネアは唇の端を持ち上げる。



(少し早くて、胸の奥が浮き立つような不思議な感じがして、美しくて少しだけ恐ろしい…………。何て魅力的な音楽なのだろう………)



差し出された手を取り、腰に手を回して貰ってディノの瞳を見上げれば、幸せそうにしている魔物の喜びの温度にまた嬉しくなった。



ゆっくりとステップを踏めば、こちらも今日の為に誂えて貰ったドレスの裾がふわりと膨らむ。


満開の花の花びらのように広がって、くるりと揺れて窄まり、またふわりと広がる。


ターンでは、ふわっと浮き上がる軽やかな感覚にネアは笑顔になった。

このふわっとターンを目指して練習した日のことを思えば、こうしてディノと踊るダンスはこれまでの日々を積み重ねたからこその優しさなのだ。



二人は沢山踊って、夏至祭で生まれた懸念やまた夜の夏至祭で現れる良くないもの以外の沢山のことを、取り留めもなく話した。



時折、柔らかな口づけが落とされ、甘い吐息の中に魔物らしい美貌の暗さを見ることもある。


でもそんな魔物は、ネアがえいっと伸び上がってこつんとおでこを合わせる頭突きをしてやれば、きゃっとへなへなになってしまうのだ。



「……………ふぁふ。沢山踊りましたね!」

「うん。ネアが可愛い……………」

「ディノとのダンスは、お喋りも楽しくてとっても踊り易くて安心出来て、世界一のダンスと言わざるを得ません」

「……………ずるい」

「そんな大事な魔物にはこうです!」


ネアが手に取った三つ編みに口づけを落とせば、魔物は目元を染めてくしゃくしゃになってしまった。



「ネアが虐待する……………」

「むむぅ。これだけの素敵な夏至祭を準備してくれた伴侶には、大好きだと伝えたかっただけなのですよ?…………滅びました」



そうして、既に儚くなっていた魔物は、ネアがこっそり買っておいた夏至祭の花輪の塔の絵があるカードで、夏至祭の手紙を贈呈すると、更にくたくたになってしまった。


何か夏至祭らしい思い出を形にしてあげたかったので手紙にしたのだが、もし他に欲しいものがあれば来年からは注文を受け付けると伝えたところ、ディノは、夏至祭のお昼に広場の屋台で売られる夏至祭フラッペのようなものを二人で分け合いっこして食べたいらしい。



「まぁ、そのようなものがあったのですね?」

「その食べ物を伴侶に分け合って貰えなかった魔術師が、一人で森に入って行ってしまったと、エーダリアが話していただろう?」

「…………言われてみれば、そんな理由の行方不明者がいましたね」



そのフラッペは、恋人同士のような甘やかな二人でいられるという恋の祝福の詰まった、夏至祭の魔術入りのクリームが乗せられているのが売りであるらしい。


夫婦間の事情によっては、そのようなものを共に食べるのはもう御免だと思われる場合も少なからずあるだろう。

行方不明になった魔術師の例だけではなく、フラッペを一緒に食べてくれない恋人に絶望する者達は少なくはない。


告白のきっかけにも使われるそうで、お店の前で泣き崩れる青年を回収して、自棄を起こさないように言い含めるのは街の騎士の仕事なのだと、ヒルドが話していた。



(だから、ディノは、特別な恋の告白を貰える食べ物のように感じたのかもしれない………)



来年の夏至祭ではそのフラッペをいただこうということになり、新しい約束を一つ増やしたディノは、嬉しそうに口元をもぞもぞさせている。




「フラッペはお昼までの販売でしたので、今年の夏至祭では、一緒にいつもの林檎のケーキを食べましょうね」

「……………うん」

「ではそろそろ、戻りましょうか?…………むむ、ノアにくるっと踊るのは大広間の方がいいのかどうか、まずは尋ねてみますね」




気分だけでも大広間がいいかなと考えたネアが、ノアに連絡を取ってみると、エーダリアの執務室は阿鼻叫喚の大惨事となっていた。


ノアは勿論そこを離れる事は出来ず、ネアは、助けてと悲しげな声を残して途切れた魔術通信の余韻に慄きながら、そっと伴侶な魔物を見上げる。




「……………ディノ、街の騎士団で悲しい事件が起きたようです……………」

「ご主人様…………」

「騎士団の皆さんの憧れのひとだった、事務方の業務を引き受けていたお嬢さんが、かなり高位の妖精さんから、良縁と結びの魔術を授かってしまい、騎士さん達は誰がお嬢さんの花婿になるのかを巡って大騒ぎです…………」

「赤羽の妖精なんて…………」

「きっとその妖精さんは、買い占めたお菓子を落として悲しかった時に、拾い集めてくれたお嬢さんに良い祝福で恩返ししたかったのでしょうね……………」



通りすがりの少女の優しさにお礼をした妖精も、その少女に想いを向けている騎士達が十人以上もいるとは思いもしなかったのだろう。



祝福を贈ったのがローゼンガルテンの紅薔薇の妖精だった為、その祝福は必ず効果を上げる程に高階位のものであった。

その結果、騎士達は夏至祭の見回りどころではなくなってしまったのだ。



一瞬にして使い物にならなくなった街の騎士団の穴埋めをするべく、エーダリア迄もが人員の再編成に追われる大惨事になってしまっていた。



「…………君は、夏至祭には一人でローゼンガルテンには近付いてはいけないよ?」

「そもそも、夏至祭の日のローゼンガルテンは、匂い立つような美人さんの多い薔薇の妖精さんへの求婚者で溢れています。迂闊に単身で近付こうものなら、恋敵だと勘違いされて八つ裂きにされると聞いていますので、絶対に近付きません……………」

「八つ裂きにされてしまうのかい………?」

「友人の薔薇の妖精さんに、薔薇の朝露を貰いに行った事のあるエドモンさんの体験談なのですよ。二日間生死の境を彷徨ったらしいので、この日は決して近付いてはいけない場所なのです……………」



その恐ろしい事件のあらましを聞いてしまい、すっかり怯えた魔物はご主人様を八つ裂きにはさせないと、ネアをぎゅうぎゅう抱き締めてくれた。


勿論、ローゼンガルテンでも夏至祭を楽しむ恋人達を受け入れているので、その全ての土地が危険区域になってしまう訳ではないのだが、美しい薔薇の花を少し離れた位置から楽しめるリストランテやカフェなどの区画を外れると、恋に狂った者達の餌食になってしまうらしい。


ウィームでも毎年この時期には、観光客向けに注意喚起のチラシを配っているのだが、怖いもの見たさで近付いてしまった観光客が還らぬ人となる事故も珍しくはないそうだ。


薔薇の妖精達への求婚者は、人間だけではないどころか、全種族に渡る。

精霊や竜なども荒ぶるので、なかなかに過酷な戦場になるのだろう。





「エーダリア様、ここに、喉の疲労を癒す香草茶を置いておきますね。きりりと冷えていますから、きっとすっきりしますよ」



今日は夏至祭なので、寛大な領主の下、リーエンベルクに勤める家事妖精達は簡単な仕事を終えた後に休みを貰っている。


人員の再編成で喉を酷使した領主にそのお茶を届ける者がいなかったので、ダンスを終えたネアはまず、そのお茶を作って仲間達に届ける事から始めた。




「助かった。続けて三人に断られたところだったのだ……………」

「わーお、冷たいお茶だ。これで生き返るよ……………」

「……………ネア様、有難うございます。…………っ、あなたもですか!」



ほっとしたような微笑みでグラスを受け取ったヒルドが、魔術通信の向こうから聞こえてきた返答に、珍しく荒々しく呻く。


件の少女の信奉者はその騎士団に留まらず、事情を話して見回りの兼任を託そうとした者達が、自分も花婿に立候補すると持ち場から離れてしまう二次災害も起きているらしい。




「…………もはや、そのお嬢さんに早く一人に絞って貰うより他にないのでは…………」

「ああ。…………それを祈るばかりだ」



かくりと項垂れたエーダリアの願いがどこかに届いたものか、数分後にその少女がお相手を選び、めでたく婚約となったという一報が届いた。



やり取りが漏れ聞こえて来て、ネアはこれでひと段落だと安堵の微笑みを浮かべたのだが、どうやら事態はそう簡単には収束しなかったようだ。




「…………連絡をくれた騎士は、誠実で丁寧な仕事をする気のいい男なのだが、今日はもう泣けてきて仕方ないので、まともに仕事が出来ないかもしれないと報告があった」

「……………もういい大人なので、しっかりお仕事をしていただきたい」



ネアはぎりぎりと眉を寄せて渋面になったが、そもそも、薔薇の妖精の良縁の祝福があって起きた騒動なので、選ばれなかった男達にもより恋心を掻き立てるような効果が及んでしまっているらしい。


となると、一概に冷静になれとも言えない事であるので、今度は無事だった騎士達が彼らの元を訪れて魅了の呪縛の解毒剤を飲ませ、自暴自棄になって見ず知らずの人に求婚したり、森に突撃したりしないようにと言い聞かせる必要があるのだとか。



「ほわ、とても恐ろしい事件でした……………」

「その女性を射止めたのは、騎士団も贔屓にしていた飲食店に出入りのある牛乳商人の男性のようですね。先日の牛乳商人の会合にも参加していたようですので、ネア様もご存知の者かもしれませんよ」

「まぁ、どなたでしょう。その方にとっては、幸せな夏至祭になりそうですね」




祝福を貰った少女は、年の離れた長兄の伴侶である薔薇の妖精から生誕の祝福を受けたという、筋金入りの人気者であったらしい。


愛情の祝福は得難い幸運でもあるが、このようにして度が過ぎた騒ぎにもなりかねない、諸刃の剣であるのだそうだ。


婚約者になった男性については、牛乳商人らしく常日頃から妖精の魅了避けの魔術を施しているので、程よくぞんざいに扱ってくれたことがその少女の心を捕らえたのだとか。


ネアは、議論を交わした牛乳商人の中になかなか眉目秀麗な男性がいたことを思い出してそちらかなと思っていたのだが、その少女が選んだのは、ぼさぼさの山羊髭を生やして髪の毛もくしゃくしゃだった剛毛の精のような中年男性だったと知り愕然とした。




ともあれ、夏至祭は恋の日でもある。


夕刻に向かい、妖精達もいっそうに活動的になるので、まだまだエーダリア達の心休まる時間は遠そうだ。










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