表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
125/880

54. 夏至祭の朝の訪問者です(本編)




夏至祭の朝になった。


目を覚ますと既に森は賑やかで、窓を閉じていてもその向こうから優雅なオーケストラの音楽や、そら恐ろしい楽し気な歌声が聞こえてくる。


それは、はっきりと耳に届く明瞭さではなく、ふとした折にずっと聞こえていたのだと気付くような不思議な旋律で、一人でずっと聴いていると夏至祭の魔術に連れ去られてしまうのだとか。



「…………………むぐ。………ぐぅ」



僅かにひんやりとした朝の空気に、まだ青白い色を湛えた窓辺に差し込む淡い黎明の煌めきはいつもの朝よりもきらきらとしていて、カーテンの隙間から寝室の床に美しい模様を描く。




(夏至祭の朝だわ……………)



外はまだ、薄っすらと霧がかっている時間帯なのだろう。


夜明けの光特有の青白い影の落ちる部屋の様子に、もう少し眠れるだろうかと小さく微睡に焦がれる甘い息を吐いた。

けれども、夏至祭の夜明けには朝露を集めるのだと思い出したネアは、もそもそと体を起こして伸びをする。



「おはよう、ネア」

「おふぁようございます、…………ディノ。今年は早いのですね」

「うん。君が可愛かったから」

「なぬ。またしても観察されています……………」



寝顔を見られるくらいは気にならなくなったが、じっと長時間見られるのはご遠慮願いたい。



「時々、左右に動くのが可愛いかな…………」

「それは寝返りという現象ですね。そこまで観察されていたとなると、どれだけの間見ていたのか不安になってきました………」



もしゃりとした気恥ずかしさに襲われたネアは、顔を洗いにしゃっと逃げ出した。

ご主人様が早く動くと嬉しそうに追いかけてきた魔物は、長い真珠色の髪が孕む淡い輝きがふっと目を瞠る程に美しい。


人ならざる者達がその気配をより濃密にする夏至祭だからなのか、早く動くご主人様に喜んでいるからなのかは分からないが、そんな凄艶な魔物が今日結んで欲しいリボンを手にしているのだから何だか微笑ましい。



きゅきゅっと蛇口を捻ると、祝福の過分な夏至祭の水は、可動域の低いネアの目にも煌めいて見えた。


夏至祭の日は、蛇口から出てくる水も普通の日とは違う。

地下から汲み上げられる水にも潤沢な祝福が宿ると聞いたことを思い出したネアは、気持ちのいい祝祭の朝の水でいつもよりも長めに顔を洗ってみる。


ネアの可動域では肌にいいのかどうかまではすぐに判断出来ないのだが、きりりと冷たい水には微かな花や森の香りがして何とも心地よいのだ。



洗面台の上には、今日ばかりはヒルドの耳飾りを身に付けるのを忘れないようにと書いた、昨晩の自分からのメモがある。



そんなメモにそう言えばと思いながら考えたのは、恐らく今日は夜明け前から忙しくしているに違いないネアの一番大好きな妖精の事だ。



(今年のヒルドさんのお誕生日は、夏至祭で荒ぶる妖精さん達を警戒して延期になってしまった…………)



様々な要因が重なり延期続きのウィリアムの誕生日といい、大事な人たちの誕生日が延期になるのは寂しいものだ。


だが、タジクーシャの現王がヒルドの友人だった人物かもしれないとなると、かつての友人との魔術の道を繋いでしまいかねない生誕の宴はかなり危険であるらしい。



妖精の王族には、特定の条件が重なった場合には祝い事の訪問を避けられないという困った決まり事があるそうで、ヒルドはかつて自身の誕生日の祝いの日に一族を殺された過去がある。


その時の過ちを繰り返さない為にも、今年の誕生日は大事を取って延期にして欲しいと言いに来たヒルドは、せっかく準備をしてくれていたのに申し訳ありませんと深々と頭を下げてしまった。


ネアはこんな時に誕生日会を企画してかえって負担をかけてしまったのだとしょんぼりしたが、じゃあタジクーシャの門が閉じてからにしようよとさらりと提案したノアの言葉に、エーダリアはほっとしたような表情を浮かべていた。


やるのは絶対だからねと、さくさくと次の日程を決めてしまったノアの頼もしさに感動したネアは、その日の夜には銀狐と沢山ボール遊びをしてやった。



(だからその時は、素敵な誕生日会にしよう……………)



それは勿論、なかなか予定が合わずにまだ誕生日を祝われていないウィリアムにも言えることだが、こんな時に、もう二人分纏めてしまえと言う者がいないことに、ネアは密かにほっとしている。


その種の効率の良さは時として必要でもあるのだろうが、ネアは強欲なので、やっと大切だと思える人の誕生日を祝えるようになった以上は、どちらも簡略化したくないのだ。



もしかするとそれは、ネアなりの歪んだ飢えの形なのかもしれない。

そんな風に思うこともあったが、幸いにも初めて家族を得たその喜びに夢中になっている義兄も同じ様な欲求があるので、安心して強欲なままでいる。




顔を洗って部屋に戻れば、ふわりと甘い香りが漂い、ネアはテーブルの上に生けられた花に目を細めた。


これは、今年からは夏至祭のダンスに参加しなくなったネアが寂しくないようにと、家事妖精が花冠の代わりに持って来てくれた花束なのだ。


ネアが毎年の花冠を喜んでいたことをしっかり覚えておいてくれて、こんな気遣いをくれるのが何とも嬉しいではないか。


花冠と同じ水色の花束は、瑞々しい花びらがぎっしり詰まった小ぶりな薔薇や、鈴蘭のような可憐な花がたっぷりと束ねられていて、花瓶に生けただけでその贅沢さにうっとりしてしまう。



「今年は、ディノが伴侶になってからの、初めての夏至祭ですね」

「…………うん。花輪の塔の周りで踊れなくなるのは寂しいかい?」

「まぁ、私がしょんぼりしていないか、心配してくれていたのですか?」

「君は、夏至祭のダンスを楽しみにしていただろう?少ししか楽しませてあげられなかったからね」



どこか悲しげにそう言うくせに、その眼差しにはやはり老獪さもあって、ディノは勿論、であれば結婚を先送りにしてもいいよと思うことはなかったのだろう。


ディノ程に優しい魔物もいないと思うが、それでも勿論譲れなかった事で奪われた機会だからこそ、魔物はしたたかにこちらの心のさざ波を窺うのかもしれない。



だからネアは、そんな伴侶の瞳を微笑んで見上げる。



「今年はディノと二人で踊る約束をしているので、ちっともそんな事はありませんよ?」

「……………うん」



その返答にほわりと安堵の微笑みを浮かべた伴侶な魔物の髪を、いつもの三つ編みにしてやり、灰雨のリボンをきゅっと綺麗なリボン結びにしてやる。



夏至祭は白を多めにして擬態するディノの装いは、白灰色の優美な盛装姿だ。

上品な上位貴族らしい装いであるし、アルテアのスリーピースやウィリアムの軍服の様な際立った華やかさも暗さもないが、それでも滑らかな曲線を描く上着の輪郭には、整った艶やかさがある。


そんな魔物は、編み上がったばかりの三つ編みをそっとネアの手に押し付けると、水紺色の澄明な瞳を期待に輝かせた。

もじもじする魔物の為に三つ編みを引っ張ってやれば、魔物は嬉しそうにへなりと傾いた。

編み上がりには少しだけ引っ張って貰うのが、最近のディノのお気に入りなのだ。


「可愛い…………」

「とても楽しみにしていたので、ディノが覚えていてくれて嬉しいです。以前に着たことのあるものですが、今日にぴったりのドレスを用意しているので……」

「新しいものがシシィから届いているよ。君が気に入るようなドレスではないかな。君が選んだものと比べてみてはどうだい?」

「……………さては、私に隠れて注文してしまいましたね?」

「ご主人様……………」



今はまだ節約期間のネアからしてみれば、正式なお呼ばれではないこのような時くらいは既存のドレスでやりくりしたかったのだが、はしゃいだ魔物は、よりにもよって仕立て妖精のシーに新しいドレスをオーダーしてしまったようだ。


あまり反応の芳しくなかった伴侶に、喜んでくれないのだろうかとおろおろしている魔物を叱る訳にもいかず、ネアは、案内された衣裳部屋に吊るしてあった美しい水色のドレスに目を輝かせてお礼を言う。



「…………ふぁ。なんて繊細で綺麗な色のドレスなのでしょう………。霧の中の湖のようなとても素敵な色です…………。胸元のレースが繊細で、私の大好きな雰囲気で驚いてしまいました。ディノ、こんなに素敵なドレスを頼んでくれて有難うございます!」

「シシィが、君はあまり装飾が多いものは好まないだろうとこれにしてくれたんだ。とても動き易いドレスになっているようだよ」

「しっとりとした柔らかな生地なのですね。…………それなのに、こんなに軽くて薄い生地で、けれども縫製が絶妙なので体の輪郭を出し過ぎないのでたくさん食べても大丈夫そうですよ!」



淡い淡い白水色のドレスは、肘上までのぴったりとした袖に優雅にくれた襟元、そしてふんわりと布地をたっぷり使ったスカートの美しい、優美なラインのシンプルなものだった。


乳白色のドレスにディノの瞳の色のインクを落としてかき混ぜたような水色は冴え冴えとしたえもいわれぬ色合いで、襟元の透けるような繊細なレースだけが装飾になっている。


刺繍や結晶石の縫い付けはないが、透けるような生地を重ねたスカートが花びらのようで、上品な華やかさもあるそのドレスはたちまちネアの心を奪った。



(さすがシシィさんだわ……………)



夏至祭に着たいのはこんなドレスだと、どうして分かってしまうのだろう。


現にネアが着ようと思って用意しておいたものも、持っているドレスの中で一番シンプルだが、スカートがふわりと広がる青いドレスであった。


魔物には背中を向けていて貰い、いそいそと着替えると、襟元が程よく開いているので袖のあるデザインでも初夏の祝祭らしい抜け感もある。


ディノから貰った首飾りにもぴったりで、ネアは可憐なラベンダー色の生の薔薇の花飾りを手に取って、ひとまずぱちんと留めてみた。


鏡を覗いてみれば自己流のハーフアップはまずまずといったところだが、これだけでも充分に夏至祭気分で、ネアはうきうきでくるりと回ってみせる。



「どうですか?」

「可愛い……………ずるい」


通常の生活であまり取り入れていない動きをするとこの伴侶な魔物はすぐに弱ってしまうが、目元を染めて恥じらいながらも、きちんとネアのドレス姿を褒めてくれた。



「では、朝露を集めに行きましょうか。………ディノ、森に行くのなら、アルテアさんにも来て貰った方がいいですか?」

「アルテアは、念の為にリーエンベルクの関係者に妖精の侵食がないかどうかを見に行ってくれているよ。日付が変わったところから妖精達の宴が始まるから、もし、既に何らの接触を持たれているのであれば、こうして夜明けに調べるのがいいのだそうだ」

「まぁ、こんなに朝早くから調べてくれているのですね………!」



夜明けは、昼と夜の境界の時間である。

そんな時にはどれだけ巧妙に隠してあっても、魔術は必ず揺らぐらしい。



「ネア、アルテアが警戒しているようなものではなくても、君を掠め取ろうとする生き物はいるかもしれない…………」



衣摺れの音に視線を向け、ネアはすらりと立ちこちらを見た美しい魔物の眼差しに目を奪われた。


すぐにへなへなになってしまう儚い魔物だが、こうしてふと見せる立ち姿は、冷ややかな美貌がどこまでも魔物らしい排他的なものだ。


暗く艶やかに微笑んだその魔物にそっと口づけられ、ゆったりと唇の端を持ち上げ満足げな目をしたディノに、ネアはよろよろと後退りしかけて伸ばされた腕の輪の中に閉じ込められた。



「…………それなら、こうして誰にも触れられないように、こうして閉じ込めておこうかな。君は私のものだからね」

「…………あ、あさつゆをとりにゆかねばなりません!」



ネアが真摯にそう言い張れば、ディノは淡く微笑み、そうだねと頷いてくれる。

まさかの夏至祭の朝によれよれにされずに済んだネアは、ふうっと安堵の息を吐き、魔物を連れて慌てて部屋を出た。




そうして、かちゃりと扉を開けば、リーエンベルクの敷地内とは言え、そこはもう夏至祭の真っ只中であった。



さすがに今日は自室から庭への扉を開くのはやめておき、居住棟を出たところにある渡り廊下から外に出たのだが、夜明けはまだ人間の領域ではないからか、祝祭の魔術と人ならざる者達の濃密な気配に圧倒されてしまう。



(すごい…………。そこかしこに妖精さんがいるのだわ)



勿論リーエンベルクの軒下にも、ナナカマドの枝とライラックが飾られており、望ましくない妖精の侵入は退けているが、それでも遮蔽のしっかりした場所から出入りをしたいと考えてしまう。



「……………まぁ」



けれどもひとたび外に出てしまうと、その恐ろしさは勿論だが、夏至祭の日の美しさはやはり格別であった。



夏至祭は妖精達にとって恋の日だ。


森や花壇の花々、リーエンベルクに茂る木々はしゃわりと煌めき、水辺には美しい妖精達が長い髪や美しいドレスの裾をたなびかせる。


井戸や水辺で妖精除けに焚かれた篝火には香木が投げ込まれ、温度のない炎を燃やしてぱちぱちと音を立てていた。


その他の人外者達や、あわいの怪物まで。

賑やかで静謐で、美しく艶やかで、楽しげで悍ましい。


風の向こうに聞こえる囁き声や微かな笑い声が聞こえ、まるで幻のように木立の向こうに浮かび上がるのは、輪になって踊る妖精達だろうか。


噴水の近くまで来ると、水辺には美しい白い繊手が持ち上がっていたが、気付いた騎士の一人が篝火に新しい香木を投げ込むとふわりと消えてしまった。


残された水飛沫に夜明けの光が微かな虹をかけ、その色が朝露を含んだ花々に新しい色を滲ませる。



「………森が随分と賑やかなようだね。朝露は中庭でいいかい?」




あまりの目まぐるしさにネアが気圧されていると、ディノが、ふとそんな事を言い出した。

言われてみればそんな気もするが、ネアにはきっと魔物と同じものは見えないだろう。



「ディノが気になるのなら、森に入るのはやめておきましょう。リーエンベルクのお庭でも充分な量を集められますから」

「…………うん。そうしてくれるかい?薬草の収穫もすると話していたけれど、ここでも見付けられるものだろうか」

「ええ、お庭で充分ですので、安心して下さい。ローズマリーとセージ、ニワトコの花枝と夏露草を一輪ですね」

「おや、オリーブの新芽はいいのかい?」

「オリーブの新芽は、ラベンダーと合わせて家事妖精さん達がまとめて収穫してくれるそうなので、一枝貰う約束をさせて貰ったんです。……………まぁ、この薔薇の茂みから朝露を集めませんか?なんて綺麗なんでしょう」



ネアの言葉が聞こえたのか、見事な白薔薇の茂みは淡く光を帯びるようにして蕾をほころばせた。


しっかりとした緑の葉や、既に花を咲かせている薔薇の花びらの朝露は、宝石のように澄んだ輝きを湛えている。


早速取り出した小瓶に、エーダリアから借りている黎明で磨かれた霧水晶のスポイトで丁寧に朝露を集めると、魔術の煌めきがあまり見えないネアにも、小瓶の中の朝露がダイヤモンドダストのような細やかな輝きを帯びるのが見えた。


小さな瓶を朝露で満たしては夜の祝福のあるコルクで封をする作業は楽しかったが、夏至祭の朝露は妖精にとっても大切なものなので、集めるのは決められた量迄としておく。


案の定、ネア達が薔薇の茂みを離れると、ディノが怖くて近付けずにいた小さな妖精達が、我先にといい香りのする薔薇の朝露を集めていた。




夏至祭の日の朝に摘まれた薬草は、万病を治すと言われている。


実際にはそこまでの力を蓄えることは無いにせよ、ふくよかに祝福を増やすのは間違いない。


ネア達が庭を巡って予定していたものを集めてしまう頃になると、しっかりとした夜明けの眩さに、朝露は葉影に隠れ朝日が煌めくような時刻になった。



エーダリア達は、夏至祭の朝のミサに出かけて行った時刻だろうか。



後はのんびりと部屋に戻り、ダンスがないからこその穏やかな夏至祭を楽しもうと、ネアが朝食の時刻までの二度寝も満更ではないという思いを噛み締めた時の事であった。



屋内に入ろうとしたところで古参の騎士の一人に 声をかけられ、リーエンベルクの正式な訪問者の受付口に、ネアに会いに来たという美しい妖精のご婦人がいると告げられた。


黄昏色がかった銀髪に見事な黄水晶の瞳をした、淡い黄緑の羽の妖精だという。



(妖精の、……………ご婦人?)



思いがけない訪問者に、ネアは目を丸くしてこてんと首を傾げた。


近しい友人としては全く心当たりはないが、出会ったことはあるくらいの知り合いとなるとなかなかに候補が多い。



「…………心当たりはあるかい?」

「……………むぐ。親しくしている綺麗なご婦人の知り合いがいたら、とっくにお泊り会などをして楽しくやっております。寧ろ押しかけでも大歓迎という感じではありますが、あまりよく知らないのに押しかけて来てしまった麦食いの魔物さんのような方かもしれません」

「君に心当たりがないものであれば、追い返してしまおうか」

「……………審査を通過すれば、お友達になるのも吝かではなく………!」

「ネア、今日は夏至祭だ。いけないよ」

「む、むぐぅ!きりんさんを翳して弱らせておきながら、悪意がないかどうかを質疑応答で洗い出すのはどうでしょう?低い確率かもしれませんが、私を見かけて気に入ってくれた野生のお友達候補かもしれません!」



ネアが、この機会を奪われてなるものかと口惜しさにじたばたすれば、ディノは考え込む様子を見せた。



「きりんを見せたら、妖精は死んでしまうのではないかな……………」

「…………ほわ。儚い夢でした。しっかりと弱らせてからでなければ、夏至祭にはやはり、見知らぬ妖精さんとはお会い出来ないのです…………」

「その妖精があえて夏至祭に君を訪ねたのは、それが珍しい事ではないからだろうけれど…………」



ディノの言うように、恋の日でもある夏至だからこそ、リーエンベルクを訪ねてくる人ならざるもの達は、実は少なくはない。


見かけてすぐに手を伸ばして捕まえてしまう人外者も多いが、予め気に入った相手を見付けておいて、きちんと正式な訪問をしてくれる者達もいるのだ。


土地の領主として魔術誓約に守られるエーダリアは不可侵なので除くとしても、リーエンベルクには、見目麗しく魔術に長けた騎士達が数多く在籍している。

そんな騎士達や、こちらも目を惹く美貌の妖精であるヒルドを訪ねてくる女性は毎年かなりいると聞いていた。



(ディノは、そこに紛れて忍び寄ってきた妖精さんだと思っているのかしら………?)



水紺色の瞳を翳らせたディノは、顔を上げてその知らせを持って来てくれて騎士に声をかける。


「……………君は、思うところがありそうだね?」



ディノからそう尋ねられたのは、青みがかった銀髪を短い三つ編みにし、リーエンベルクの騎士の中でも年長者となる宝石魔術を扱う騎士だ。



「あまり良い隣人ではないかもしれませんね。名乗られませんでしたが、恐らくはシーで、百合の系譜の高位の妖精だと思われますが、牛乳商人の一件で捕縛された山百合の妖精達と近しい魔術の気配がしました」

「本人は名乗ってはいないのかい?」

「ええ。会いに来てくれれば分かると仰られるばかりで。………私が見たところ、リーエンベルクの守護魔術に触れてもとても落ち着いているので、自身の技量にはかなりの自信があるようです。ゼベルは血の匂いがすると言っていますから、人間を弄んだこともある妖精でしょう。…………そして、私とゼベル、はその妖精から僅かに白の印象を感じました」

「百合の系譜のシー達は、魔物に気質が近い。慈悲深いと言われている百合のシーだったとしてもそのような嗜好はあるだろう。………ただ、シーが派生しうる白百合の系譜の妖精は、二つしかなかった筈だ。青みがかった魔術の気配がないのなら、所謂白百合と呼ばれる者達の下位の妖精かもしれないね」



その言葉に重々しく頷いた古参の騎士、ユリメイアは、かつてはエーダリアの護衛も務めた実力を持つ騎士だ。


水晶の剣を持ち、ヴァロッシュの祝祭の剣技部門でも上位に食い込むだけの技量を誇り、かつて父親がその女官を助けて感謝されたという白百合の魔物の耳飾りを持つ美麗な男性でもある。


ただし、離縁した前妻に手酷く毟り取られたので、絶賛女性不信中だ。



「特に、黄白の印象がありますね。この耳飾りのお陰かもしれませんが、私も原種の百合の一族ではないかと思います。…………それと、これが厄介なのですが、僅かに宝石の魔術の残り香があるようです」

「おや、」



そう呟き、魔物は美しい微笑みを浮かべた。

残忍で恐ろしく、それでいて優雅で優しげな微笑みは鋭いナイフのようだ。



「訪問者が自身の系譜を明かしてはいないのに君がその妖精に会ったのは、エドモンの人選かい?」

「ええ。お察しの通り、最初は妖精の血を引くエドモンが対応をし、どうも私が同席した方が良さそうだということになりました」



灯台妖精は、その固有魔術で必要な場所へ導く力を持つとされている。


そんな灯台妖精の血を引くエドモンは、それぞれの騎士を系譜や属性の相性の良いところに導く事があり、今回の配置はその魔術が驚く程綺麗にピースを嵌めた例なのだろう。



「…………このようにして導かれるものなのだね。恐らく、他の騎士では気付けなかったことだと思うよ。君が対応してくれて良かった」

「百合の妖精は、原種ながらも白持ちの者もいると聞き及んでおります。ネア様はご不在だと伝えてお引き取りいただく事も出来ますが、宝石の魔術の残り香が気になりますね……………」




(…………宝石の魔術の残り香………)



即ちそれは、その訪問者には宝石の魔術を扱う知り合いがいるだとか、宝石の魔術によって何かをされた妖精だと言うことになのだろう。


タジクーシャのことを考えたネアはひやりとしたが、男達は、なぜか愉快そうにしているではないか。


むぐぐっと眉を寄せて見上げると、視線に気付いたディノは、そっと手のひらをネアの頬に当てた。



「残念ながら、君の友人にはしてあげられないようだ。…………でも、この訪問は案外朗報かもしれないよ」

「む、悪い奴かも知れないのに、朗報…………なのですか?」

「うん。何らかの思惑や計画がある場合、妖精には身を隠されてしまう方が厄介なんだ。…………アルテア、こちらに戻れるかい?」



その呼びかけは、虚空になされたかのように思えた。



けれども、ふつりと空気が大きく動いたように感じ、ネアは目を瞠る。


その刹那、ざあっと風景に輪郭を描いてから質量が現れるようにして、この夏至祭の風景からくっきりと浮き上がるような青みの濃い灰色のスリーピース姿の魔物が現れた。

トップハットに杖を持った、珍しく完全装備の選択の魔物だ。




「アルテア、この子を訪ねてきた妖精がいるようだ」



そう切り出され無言で眉を持ち上げたアルテアに、ディノからその妖精の話がされた。



「………………間違いないな。タジクーシャの思惑の釣り餌だろう」

「やはりそう思うかい?」

「………その印象と瞳の色は、第二席の氏族の白百合で間違いないな。であれば、六人の妃と王の妹、王女の肩書きを持つ六枚羽も四、五人はいたか………」


タジクーシャ絡みだと断定されたようなので、勿論それにも慄いたが、ネアは白百合の妖精に種類があると知って驚いた。



「…………むむ、白百合さんにも、種類があるのですね…………」

「ったく。早々に引き寄せやがって。白薔薇の魔物も、ひと柱は脆弱な野薔薇だが一応は二人いるだろ。白百合と呼ばれるのは、最高位の信仰と終焉の系譜のものと、原種のものの二氏族がある。とは言え、最高位の白百合はシーが不在にしている。現状で白百合のシーと言えば下位の方になる訳だが………」



アルテア曰く、その白百合の妖精達は、原種という事もあって能力面では個体差が激しいようだ。


現王や王妃、第一王女についてはかなり魔物に近しい質となるものの、個体差の大きい彼等には他の植物の系譜の妖精達のような強い一族の結びつきはない。



「王女の一人が自滅しようと、一族の他の奴らが報復を仕掛ける事はないという意味においては、扱いやすい相手だろうな」

「では、その白百合全てを排除してしまう必要はないのだね…………」

「……………するつもりだったのかよ」

「植物の系譜の妖精や精霊は、呪うと煩わしいだろう?この子を妖精の呪いには晒したくないんだ」



天気の話でもするかのようにさらりととんでもない事を言ったディノに嘆息しつつ、アルテアは片手を顎先に当て、思案顔になる。

何やらディノと視線を交わし、魔物達は無言で悪巧みを終えたようだ。


ゆっくりとこちらに向き直ったアルテアに、ネアは予感めいたものを覚える。


「門を挟んでなら、その妖精と会話させてやってもいいぞ」

「……………悪いお顔をしているので、確実にくしゃっとやってしまうつもりですね…………」

「リーエンベルクには都合良く境界の魔術があるからな。門のこちらとあちらに、より上位の領域の選択魔術を敷いておいてやる。その一線を挟んで会ってみろ」

「そう言えば、来訪者の待合室がある棟に、拘置所の面会施設的な、鉄格子的なお部屋がありましたね………」

「わざわざリーエンベルクを訪ねたんだ。よほどお前を誘い出す自信があるんだろう。であれば、その手札を持つ者と安全圏で交渉出来る機会は逃さない方がいい」

「むむぅ…………」

「私としても好ましくはない方法だし、君が嫌ならやめるよ。ただ、妖精の影は見付けた時に縫い留めておく方がいいと言われている。………妖精の呪いはとても厄介だからね」



心配そうに言い重ねたディノを見上げ、ネアは僅かに眉を下げる。

珍しく、心配性の伴侶がそんな事はしなくてもいいよと言わないのだから、それだけ大切な機会なのだ。


闇の妖精の事件の時も、あれだけ警戒していてもリーエンベルクから攫われたくらいなのだから、打っておいて損になる手もないだろう。


そうなってくると、ネアは、自分のせいでせっかくの機会を潰してしまわないだろうかという不安を覚える。



「ディノ達がいてくれるので、怖さはないのです。そして、ディノもそうした方が良いのではと考えるくらいに、そやつめの尻尾を掴むことは有用なら、是非にやろうとは思うのですが、…………なにぶん、私の交渉力で足りるようなものなのでしょうか?せっかくの尻尾なのであれば、私のせいで逃がしたくはありません…………」


ネアがそう言えば、ディノは、君が不安に思うのはそこなのだねと目を瞠る。


「……………そうだね、こう言えば気が楽になるかどうかは分からないけれど、確かに有利な状況ではあるから、君が出ることで余分に得るものがあるかもしれない。けれど、その差分は、君を摩耗してまで得なければいけないものではないよ。その妖精が門の向こうにいるのなら、捕まえてしまう方法は幾らでもあるからね」

「そ、それなら一安心です。踏み滅ぼすだけならお任せ下さいと言えるのですが、交渉ごとに関してはディノやアルテアさんの考える図を描けるかどうか、少し自信がなかったのです…………」



優しく微笑んで、捕まえる手立てもあるのだと教えてくれたディノに、ネアはふすんと息を吐いてから頷いた。



「こちらで、事前に準備しておいた方がいい回答はありますか?」

「まぁ、有り体に言えば、こっちもその妖精の狙いは皆目見当が付かん」

「なぬ…………」

「使い潰しの駒の動機なんぞそんなものだろ。であれば、会話の数だけ得られるものがある上に、境界越しなら不用意に呪われる事もないからな」

「むむ、私はそやつを喋らせ、そこからディノやアルテアさんが、黒幕の情報を拾ってくれるのですね?」

「宝石の気配があるのなら、十中八九、捨て駒にされたシルハーンあたりの取り巻きだろう。適度に相手をしてやれ」

「……………ほわ、爪研ぎ板に………」



(言われてみれば確かに、好意的な訪問者ではないのなら、私を訪ねる理由は想像は出来る気もするのだけれど…………)



ネアがこれまでに体験した高位の女性妖精からのご指名は、殆どが同じ理由である。

彼女達の主張はなかなか心を抉るので、好んで爪研ぎ板にされてしまう趣味もないのだが、その訪問に更なる裏があるのなら話は別だ。


ネアが取りこぼしても、その妖精に逃げられてしまうことがないのなら、多少爪研ぎ板になったとしても、犯人の目的の炙り出しに協力しよう。




「では、その方にお会いしてみますね!」




覚悟を決めたネアがそう言えば、畏まりましたとユリメイアが一礼し、魔物達は酷薄な微笑みを浮かべたのだった。










評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ