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アスセナ



真夜中の森の喧騒に微笑む。


時計の針が真夜中からかちりと動けば、ここはもう夏至祭の森なのだ。

楽しげな音楽がそこかしこから聴こえてきて、アスセナは新調したばかりのドレスの裾を翻した。



細やかに煌めくのは黎明の祝福を紡いだもので、純白にも見える清廉で美しいドレスに華やかさを添える。


黄白のドレスは階位としてはいまいちだが、アスセナは、こうして他のシー達が好まないものを自身の工夫で美しく飾り立てる事が大好きだった。




「どう?美しいでしょう?」



くるりと回って見せて無邪気に尋ねれば、こちらを見ていた一人の美しい男は、やはり底の見えない整った微笑みで頷いてみせる。



「たいへんお美しいですよ。その美貌であれば、高位の方々のご寵愛も間違いないことでしょう」

「……………あら、お前のような者でも心にもない事を言うのね。望んだ方の心を得られなかったからこそ、私は愚かにも愛を請いにゆくのではないの」

「その為の装いであるからこそ、私はアスセナ様は美しいと思うのですが、お気に召されませんでしたか」



僅かに揺れたのは、男が吐いた吐息だろうか。


アスセナは白百合のシーだ。

複数王家で五人いる王女の一人とは言え、花の系譜の中では最高位に近しいものの一人。


そんなアスセナの前でこの振る舞いは不敬と言ってもいいものだったが、アスセナはその振る舞いを咎めようとは思わなかった。



「私は自分が美しい事を知っているわ。それこそ、あのみすぼらしい小娘などとは比べ物にならないくらいに。…………でも、あの方はそんな小娘を選んだの。それを知っているお前だからこそ、もう少し中身のある返答を期待していたのに、つまらない男ね」

「おや、やはりあなたは手厳しい方だ。…………ご期待に添えるような言葉をと言う事であれば、かの方がその醜い人間の小娘を選ばれたのは物珍しさからでしょう。魔物は、そのようにして己の愚かしさすら楽しむ性分がありますからね」



さらりと、長い金糸の髪が揺れる。

柔らかな声は美声とも言えたが、目の前の褐色の肌を持つ妖精は、所詮作られたものから派生した妖精に過ぎない。


どれだけ美しくとも、それは加工され研磨されて作り出された偽物の美貌に過ぎず、そのような者たちが執着を糧にして大きな力を得ている事を、アスセナはあまり快くは思っていなかった。



(夜空の月のように眩い美貌ではあるけれど、私はやはり、黎明の光や木漏れ日から育まれる結晶石や祝福石の方が美しく思えるわ……………)



とは言え、強く美しいものなのだから閨で遊ぶのには悪くはないだろう。


珍しいシーを侍らせていれば姉達が羨むだろうと思えば、この男を籠絡するのも悪くはないだろうと考えた。


夏至祭の魔術を纏い、あの愚かな小娘を叩き潰した後は、この宝石妖精で遊べばいいのだと考えてアスセナは微笑む。



(勿論、私だってすぐにあの方の側に寄り添いたいわ。でもそれは、あの方が姿を晦ました薄情な人間に愛想を尽かしてからでいいのだもの。あの小娘を破滅させた後は、この男で暇潰しをしましょう…………)




「…………それにしても、あなたは不思議な方だ。なぜいつも、厳重に守られている人間達を籠絡し、警戒を怠らない筈の人間達を破滅させられるものか…………」

「勿論、理由はあるわ。けれどそれをお前に明かすとは思わない方がいいわね。知識と術は各々の財産ですもの。こんなに愉快な財産を、他者に分け与える程に慈悲深くはなくてよ?」

「それは残念です。あなたは、白百合ですのに」

「あら、白百合の妖精達が皆慈悲深いだなんて、つまらない幻想を抱いているのなら捨てておしまいなさいな」



そう窘めると、男は僅かに恥じ入るように頭を下げ、瞳を伏せた。

このような男でも、そんな勘違いをしているのかと思えば、不快感を覚えるよりも愉快さが勝り、アスセナは唇の端を持ち上げた。




(そして、あの娘を捕らえる為の手順を伝えておいたのに、賢く見える筈のこの男にも、どうしてあの娘がその罠を避けられないのかが分からないのだわ………)



それもまた、愉快なことであった。




アスセナは愚かな妖精ではない。


なので勿論、考えなしに、高位の魔物の寵愛を受ける人間を損なうような愚かな真似はするまい。

周到な罠を敷き、人間というものの心の脆弱さを知り尽くしているからこそ、その罠に誘い込めるのだ。



(それは、とても簡単なこと……………)



まずは、夏至祭の喧騒に紛れてその人間に声をかけ、無垢なる美しき隣人として心を開かせる。


その後は妖精の領域でこの宝石妖精に籠絡させてしまい、妖精の誘惑に溺れた哀れな小娘が正気に返ったところで、魔物の怒りから逃がしてやると持ちかけて妖精の国に連れ去ってしまえばいいのだ。



言葉にしてしまえば何とも稚拙なばかりなので、この作戦への協力を持ちかけてきたこの男も、なぜそんな仕掛けが有効なのかは分からないのだろう。


けれども、アスセナはこのやり方で、大国の王子や王女、高位の魔術師達も容易く破滅させてきた。

誰も彼も、妖精になど害されまいと信じて来た愚か者達ばかりだ。



(妖精の国に連れ去った後は、獰猛な妖精達の餌にしてしまえばいいのだし、例え妖精の国に引き摺り込めなくても問題はないわ)



もしその人間が最後に僅かばかりの賢明さを見せ、寵愛を与えてくれている魔物の元に戻ると言い出したとしても、魔物は自分を裏切った人間を決して許さない事をアスセナは知っている。



なぜならば、妖精の誘惑はその人間が生きている限り解ける事はない。



(だから、魔物はその人間を捨ててしまうか殺してしまうかしかないの)



魔物は残忍な反面、情深いところもあると聞くが、気紛れで与えた恩寵などの為にあの方が心を損なう事はないだろう。

罪を犯した愛妾などずたずたに引き裂いてしまうか、振り返りもせずに打ち捨ててしまうに違いない。





「ふふ……………」



魔物を裏切り、妖精の褥で目覚めた小娘がどんな顔をするだろうと考えると、アスセナはこぼれる微笑みを抑えきれず声を上げて笑った。


すると、近くに集まっていた下位の妖精達が、きゃあっと声を上げて喜び跳ねる。

こちらの会話など理解しておらずとも、高位のシーが微笑めば喜ぶ小さく可愛らしい生き物達だ。




「……………楽しみだわ、とても」




ドレスの裾を翻してくるりと回ってみせると、歓声を上げた系譜の妖精達が輪になって踊り始める。


足元には妖精の輪が出来上がり、踏み示された円環の足跡はどこかで誰かを妖精の領域に引き摺り落とす為の門となる。


人間達がこの輪を見付けると、さも妖精達がわざわざ作り上げたかのように眉を顰めるが、そもそも妖精の輪はこうして宴やダンスの中で作られるものなのだ。

そこに妖精達の羽から粉が落ち、輪になって踊る事で錬成された魔術が扉となるだけのこと。



だからこそ夏至祭の夜には取り替え子が多いのだと、人間達は一向に理解しようとしない。




(愚かで哀れで、それでも一生懸命な醜い生き物たち)




篝火を焚いて妖精達に体の内側を食い荒らされないようにしている人間達を見ると、アスセナはいつも、あまりの脆弱さに声を上げて笑ってしまう。



遊ぶときには遊ぶのだし、興味がないものに手出しをする程に高位の妖精達は酔狂ではない。


どれもこれも、妖精の気分次第。

それなのに、怯えて篝火を焚く人間達の何と憐れなことか。



すっかりいい気分になったアスセナは、ひっそりと輪の外側で控えている男を手招きした。



「ねぇ、お前。まだ時間はあるのでしょう?こちらに来て、私の手を取りなさいな」

「……………お戯れも程々に。私は所詮、宝石妖精です。白百合の王女に触れる事などできましょうか」

「あら、今の言葉にはほんの少しだけ真実が混ざり込むのね」



そう微笑めば、そんな妖精などはやめてこちらに微笑みかけて欲しいと周囲の枝葉の影や茂みの奥の妖精達が羽を光らせる。

けれども、アスセナが輝くような黄色の瞳を向ければ、畏怖に打たれてさめざめと胸を押さえて泣くのだ。



(そう、これが普通の反応なのに…………)



目の前の男は懇願に顔を歪める事も無く、後退りして恐怖に涙する事もない。

だからこそ変わりものを好むアスセナが喜ぶのだと、或いは知っての事かもしれない。



「真実しかお伝えしておりませんよ。私のようなものが、白百合の王女の肌に触れるべきではありません」

「だからこそ、慈悲を与えてあげようというのよ。明日の夜までには醜い人間の小娘を籠絡しなければならない憂鬱を、私が慰めてあげましょうか」

「……………困った方だ」



そう微笑んだ目の前の男の瞳は、月光を研ぎ澄ませたよりも遥かに鋭く冷たい色。

そんな、月と星の色を持つ髪と瞳は、褐色の肌に映えて優美な獣のような色香がある。



(特別に妖精の誘惑に弱い人間なんて、微笑みかけられただけで簡単に籠絡されてしまうでしょうね…………)




なぜ、人間は妖精の誘惑に弱いのだろう。

その理由ばかりは、アスセナも知らない。


だが、高貴なる魔物や精霊の誘惑を退けた人間の王族や魔術師達が、なぜか妖精の誘惑には抗えずに身を滅ぼす事が多い。

それは、妖精が最も守護を与える生き物が人間である事と何らかの因果関係があるのだろうか。



けれども、アスセナにとっては、人間がとりわけ妖精の誘惑に弱いという事だけが重要なのだ。



(そして、妖精の男達からの誘いには警戒する人間の女達は、なぜか同性の女の妖精達からの誘いには弱いのよね…………)



愚かな人間の女達はいつも、アスセナが声をかけると嬉しそうに付いて来るのだ。


誘惑に長けた異性の妖精は警戒しても、同性であれば純粋な好意に違いないと考える浅はかさにも気付かず、友達になりたいのだと微笑めば簡単に心を開く。



そんな事に気付いたアスセナは、系譜の山百合の妖精達を唆して何度か今回の作戦のおさらいをしてみたが、ウィームという人外者への対応に長けた土地の、それも用心深いと言われていた牛乳商人達ですら同性の妖精からの誘いには容易く応じてしまった。



(これは私が見付けた一等に楽しい遊びですもの。この男になんて教えてはやらないけれど…………)




それはとても、簡単な事ではないか。



自らを律して身を守っていても、人間達はやはり、美しい妖精達への憧れをどこかに持っている。


本来なら出会う筈のない階位の、それも誘惑をしかけてこない同性の妖精から、真摯な眼差しで友人にならないかと持ちかけられれば、いとも容易くその命をこちらの手のひらに預けてくれるのだ。



あの牛乳商人達も、牛乳商人を襲う筈のない階位の山百合の妖精だということと、相手が同性であることに簡単に警戒を解いた。


女には女で試し、男には男で試しどちらも成果を上げたが、友情という餌に弱い性別なのか、どちらかと言えば女と女の方が容易く落ちる。


男の場合はその人格と技を認めてやり、友情と共に何某かの力や名誉を与えてやるという言葉も渡さなければならず、言葉の魔術に背けない以上はこちらからも奪われるものが出てしまう。


勿論それを用意するのはアスセナではないが、それを知ってからはアスセナは人間の女達を破滅させる事の方を好んだ。


一片とは言え、人間如きに望んだものを渡さねばならないのが癪だったのだ。




伸ばしてやった手を取り、跪いてそこに口づけを落とした男に微笑みかける。


仕掛けた罠にあの人間がかかるまで、この夏至の夜をたっぷりと楽しむ事としよう。




夏至祭は、まだまだ始まったばかりなのだ。












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