花輪の塔と雨煙の影
夏至祭を控えたその日、リーエンベルク前広場には花輪の塔が建てられた。
安息日にもかかわらず人が集まっているのは、この花輪の塔を建てる作業を手伝うと幸運が齎されると言われているからだろう。
その結果、毎年関係者が多いのだ。
この夏至祭の花輪の塔は、彫刻を施した木の塔を建て、そこに立派な花輪を投げ込んで積み上げてゆくのだが、ネアはこの作業を見るのが大好きであった。
何しろこの花輪の塔、建てられる時と花輪を投げ入れる時ごとに、聖歌のような音階を持つ美しい詠唱が聞けるのだ。
(おまけに、今年は全部エーダリア様の詠唱!)
塔を建てた際の儀式詠唱は勿論エーダリアが執り行い、ネアは、その後の詠唱も続けて行っている、たっぷりとしたミントグリーン色の魔術師のローブを羽織ったエーダリアの儀式を心ゆくまで堪能している。
あまり合わせているのを見ない色調のそのローブは、騎士達に贈られて五年前の夏至祭でも使ったという、エーダリアお気に入りの一枚で、ヒルドとノアベルトが守護を重ねてかけたことで、もう一度お目見えした。
エーダリアの鳶色の瞳は、光の角度や衣装によって色合いが変わって見える瞳なので、そんなミントグリーンのローブを着れば、こっくりとしたオリーブ色に見える。
理知的で柔らかい印象なので、ネアはそんな瞳の色も気に入っていた。
(あ、この前の牛乳商人の元山賊さんに、バンルさんもいる……………)
エーダリアの詠唱が聞きたい放題とあって、周囲にはエーダリアの支持者たちの姿もあるようだ。
リーエンベルク側としてみれば、顔見知りの支持者たちが集まる事で安全面も底上げされるので、実はなかなか有難い観客である。
ネアは、元山賊な牛乳商人がどうしてその職業を選び、そしてウィーム領主の熱烈な支持者の一人でいるのかがとても気になったので、今度誰かにその理由を聞いてみよう。
「質のいい魔術詠唱だな。とは言え、これだけ上質な詠唱と祝福があっても、妖精達の力も強いのがウィームなのだが……………」
ネアの隣でそう呟いたのは、リーエンベルク界隈でよく見られるようになった魔物達とは違う、穏やかな白灰色の髪と瞳の美しい男性であった。
明らかに魔物なのだがあれは誰だろうという騎士達の視線を受けながら、ネアはそんな本来の姿に近い容姿に擬態中のグレアムにしっかりと手を繋がれていた。
美しい詠唱が途切れ、ばさりと花輪が投げ込まれる。
大ぶりで美しい花輪を乱暴に投げているようだが、そんな行為も全てが儀式の一環なのだ。
下の花輪と上の花輪がぶつかってぷんと香る祝福の甘い匂いに、花そのものの爽やかな香り。
僅かに散った花びらもまた、花輪の塔の足元に夏至祭の魔術を結ぶ。
「グレアムさんも、ウィームでこの儀式に参加したことがあるのですか?」
「というより、執り行う側だったことがあるな。王宮で魔術師をしていたことがあって、その頃は毎年あの花輪の詠唱をやっていた」
「まぁ、グレアムさんが詠唱をしたのなら、それはもう頼もしいですね!」
「はは、とは言え、ある程度は魔術の結びを押さえていたからな。……………だが、失われたくない人がいたから、夏至祭の準備はかなり入念に行っていたのを思い出すよ」
「夏至祭は危険がいっぱいですものね……………」
犠牲の魔物が自ら詠唱を行ってでも失いたくないのは誰なのかを、ネアは敢えて尋ねはしなかった。
ディノから、グレアムが伴侶に出会ったのはこのリーエンベルクなのだと聞いていたし、だからこそリーエンベルクのあちこちには、悪さをした者達用のお仕置きのしかけが今も残っているのだ。
現在、リーエンベルクのあちこちでは、夏至祭を控えた排他結界や侵食防止の為の魔術の展開などが行われており、ディノやノア達はそこに参加していた。
夏至祭の影響を強めている中で、そのような手入れが必要なところにネアを伴うのは避けようということから、ネアは、イーザと一緒に来てくれたグレアムに預けられて花輪の塔の儀式を見ているのである。
花輪の塔の儀式についても、今年は最後までエーダリアが詠唱を行う徹底ぶりだ。
何しろ今年からは花輪の塔の周りでの乙女のダンスに、ネアが加わらなくなる。
連れ去られてしまう領民達を少しでも減らす為に、念には念を入れて祝福を結ぶ必要があり、そんなエーダリアにはしっかりとヒルドが付き添っていた。
「…………タジクーシャの一件では、俺達の誓約の仕方が甘かった。今代の王の力を思いデジレさえ押さえておけばと思ったが、前王派がまだ残っていたとは思わなかったんだ。すまなかった」
不意にそんな謝罪をされ、ネアは目を瞬いた。
「いえ、グレアムさんやアルテアさんが事前に話し合ってくれていたからこそ、デジレさんは、私を放り出さずにあのような形であれ陰謀から遠ざけてくれたのでしょう。ディノも、エーダリア様と人違いされていなければ、敢えて私を攫うというやり方はしなかった筈だと話していましたから」
夏至祭は、妖精達が最も力を強める祝祭だ。
勿論他の種族もその夜には荒ぶり悪さをするが、タジクーシャの一件がある以上、リーエンベルクでは最大限に妖精への注意が払われる。
良き隣人たちもいるので、そんな妖精達は退けないようにするとなかなかに緻密な調整が必要になるようで、妖精達も多く働くリーエンベルクではその線引きが難しい。
いっそ、魔術の低い土地であれば領域内の妖精を一括で退けられるのだが、ウィームではそのようなことは出来ないのだ。
「まぁ、辛うじての堤防にはなったかな。だが、何も起きないというのが理想だったからな。…………正直、妖精との交渉は不得手でな。魔物は皆そうだと思うが…………」
「それだけ、好意的ではない妖精さんと接するのは難しいのですね……………」
人間にとって一番身近な人外者は、やはり妖精だろう。
だが同時に、一番身近で恐ろしい生き物も妖精なのだ。
それは、妖精という生き物の気質が多岐にわたるからこそでもあるものの、どれだけ古くからいる隣人であれ、人間とは違う生き物なのだという認識をしっかりさせておかねば、ふとしたところで侵食や略奪を許してしまう。
実は先日、ウィームの牛乳商人達の中に、牛乳目当ての妖精が入り込んでいたという事件が起きたばかりで、リーエンベルクを始めとしたウィーム各所では妖精達への警戒を強めていた。
何しろ牛乳商人達は、元々妖精に狙われやすい職種に就いているということで、各自自衛はしていた筈なのだ。
牛乳商人はそれなりに魔術に長けていなければ出来ない仕事なので、そんな牛乳商人達であってもという驚きの声はあちこちで上がっている。
だが、自分たちが扱うのが妖精好みな嗜好品であると知りながらも、犠牲になった牛乳商人達は特定の妖精達に心を許し、隙を見せて入れ替わられてしまったらしい。
どこまでが本物の微笑みで、どこからが獲物を狙う舌なめずりなのかを判別するのは難しいものの、歩み寄ってしまったからこそ起きた悲劇である今回の一件では、人間と良い関係を築いている妖精達も怒りの声を上げていた。
彼等からしてみれば、今までの良好な関係に今後は一滴の疑いを挟まれてしまうかもしれないのだから、堪ったものではない。
「……………確かに、妖精の侵食は侮れないな。その中でも、タジクーシャの妖精達のように、固有魔術や固有のしきたりが多く、独自の価値観を持つ種族の場合は憂慮するべき点も多くなる。人間の中でもそのような認識はあるかもしれないが、閉ざされた土地に住む独自のものには細心の注意を払った方がいい」
「……………物価があんなに高いとは思いませんでした」
ネアがぺそりと項垂れると、大変だったみたいだなとグレアムが頷いてくれる。
「俺やアルテアの場合は、ある程度は階位で優遇されるからな。商人の街らしく、今後の付き合いなどの為に、招待されて滞在出来る場合もあるんだ。その場合は、滞在費と滞在中の飲食の全ては王族持ちになる。ネアが渡されたという赤い宝石はデジレが個人的に持っているものだろうが、それによく似た青い宝石が渡されて、それで全ての支払いが賄われるんだ」
「……………ほわぎゅ」
そう言われてしまうと、ますますなぜ自ら自分払いにしたのだろうという絶望に襲われたが、花畑では前王派と思われる者達の襲撃があったのだ。
足跡を辿らせないことで避けられた危険もあったかもしれないと考え、ネアは悲しみに七転八倒する心を宥めた。
「元々、あわいにある文明などの地上とは切り離された土地の、公にされていない内情を掴みきるのは難しい。だが、剣筋が読めないのであれば盾を頑強にするという一般的な戦術すら退けかねない妖精については、いっそうに対処が難しくなる。………ネア、もし何かの理由でタジクーシャにまた連れて行かれるような事があれば、相手に招待されるという形を出来るだけ整えるといい」
「招待、………させるのですね?」
「ああ。今回デジレが、事情を話して招待と言う形を取らなかったのもその一端かもしれないが、妖精は相手を自身の領域へ招待すると、もてなしの義務が生じるんだ。安易に自宅に妖精を招いてはいけないと言われるのは、それでだな」
ばさりと花輪が投げ入れられ、ぷんと甘い香りが漂う。
ネアには見えないがきらきらとした夏至祭の祝福が煌めき、少しずつ輝きを強めているらしい。
どこか遠くで羽ばたきが聞こえ、漆黒の翼が閃いたような気がした。
以前にヒルドと見かけた鴉達だろうかと視線を向けたが、リーエンベルクの木立でその奥は見通せなかった。
またエーダリアの詠唱が始まり、ネアはその声の美しさに耳を澄ます。
柔らかな風にエーダリアのローブの裾が揺れ、足元からの浸食や攻撃を防ぐ為に施された精緻な刺繍に縫い込まれた結晶石が、きらきらと光った。
「そう言えば、シルハーンに頼まれていた擬態術符は、渡しておいたからな」
「むむ、銀色ちびふわ符ですね!お手数をおかけして申し訳ありません。諸事情があり、偽装工作の為に必要になってしまったのですが、案外ちびふわ要素のある擬態符は難しかったようです………」
「ノアベルトは、アルテアに告白出来ずにいるのか……………」
「ぎゃ!ばれています!!」
「はは、依頼の状況から何となくな。…………だが、このまま言えないでいると、本当のことが露見した時が心配だろう」
ずっと心配していることに触れられ、ネアはこくりと頷いた。
せめて秋の予防接種までに、告白から仲直りまでを終えてくれればと思うのだが、タジクーシャの一件が落ち着くまでは、貴重な戦力を森に帰すことは出来ないと、ノアは頑なに話し合いを拒んでいる。
とは言え、今は手勢を割けないという主張ももっともなので、ネア達は静かにその日を待っていた。
「………ふぁい。まず間違いなく心の旅に出てしまうアルテアさんの為に、ディノと傷心旅行の準備はしてあるのです。なお、その旅行でまずは傷付いた心を美味しいものなどで癒して貰い、その後にちびふわ化したアルテアさんを危機的状況に追い込み、颯爽と登場したノアに救って貰う作戦で仲直りさせる予定なのですが…………」
「そこまで決めてあるのか…………」
グレアムは少しだけ苦笑し、どちらも愛されているなと呟く。
言ってしまえばそういうことでもあるので、ネアは微笑んで頷いた。
「それと、今度シルハーンと泉の森に出かけると聞いたんだが、アルバンの向こう峰の麓の泉の森のことだろうか?」
「はい!そこにある泉の中には不思議な森があって、美味しいジュースを飲めるお店があると聞いたのです。おこづかい財政難の私にもジュースは奢れるので、うきうきと企画してみました」
ネアがそう話せば、グレアムは夢見るような灰色の瞳を細めて柔らかく微笑んだ。
はたはたと風に揺れる白灰色のフロックコートは、その色の持つ繊細さと優美さをこれでもかと表現するよう。
だがこの魔物は、わりかし大剣でずばんとやってしまう系の魔物なのだった。
「その泉の森は、シルハーンには思入れがある場所なんだ。シルハーンに影響を与えた包丁の魔物が、伴侶になった女性と初めて出かけた場所らしくて、何度もそこの話を聞かされていたみたいでな…………」
「…………もしかすると、ディノはそのお店に行ってみたかったのかもしれませんね」
「……………ああ。俺はそう思う。有難うな、ネア」
どれだけ、その言葉を優しい目で言うのだろう。
この魔物は本当にディノが好きなのだなと思えば、ネアはやはりグレアムが大好きである。
とは言え、そんな理由からではあるのだが、グレアムへ感じるともあれ大好きな魔物という評価を一度口にしたところ、ディノ以外のネアの周囲の魔物達はたいそう動揺した。
荒ぶるのではなく本気で落ち込まれる系の反応を示されてしまうので、ネアはこの魔物への無条件の好意や執着などをそれ以降公表しないようにしている。
(でも、そんな反応を示されるということは、グレアムさんは人気があるのだろうな………………)
代替わりではなく、かつてのグレアム本人である彼が、喪った伴侶以外の誰かを選ぶとは思えなかったが、肉体的には代替わりしているので本来ならそれは可能なのだ。
ネアは、この犠牲の魔物が万が一にでも新しく伴侶を得るような事があれば、すかさずお友達になろうと虎視眈々と狙っている。
「ふふ。帰ってきた後にお会いする際には、美味しかったメニューを共有しますね。ゼノに聞いてみたところ、お持ち帰り用のジュース瓶と、泉の森のお魚焼きという謎のお菓子が売っているみたいなんですよ」
「………魚……なのに、菓子なのか」
「ディノとも予想したのですが、お魚の形をしたお菓子なのかなというくらいの想像しか出来ませんでしたので、当日に謎を解明するのを楽しみにしているんです」
(あ、まただわ………………)
話しているネアを見ているグレアムは、どれだけ嬉しそうな微笑みを浮かべているのかを自分では認識しているのだろうか。
ディノが、こうして過去に手のひらですくえなかったものを手にしてゆくとき、グレアムは本当に嬉しそうな顔をしていて、ネアはそんなグレアムの瞳が星空のような煌めきを浮かべるのが大好きだった。
「なお、森の泉の近くには、エーダリア様が一度は乗ってみたい星空シーソーがあるんですよ」
「…………あれに乗るつもりなら、シルハーンに守護をかけて貰った方がいいだろうな。念の為に聞くが、ネアは、シュタルトのブランコが楽しく乗れたんだよな?」
「まぁ、あのブランコをご存知なのですね!あのブランコは、獲物も狩れるので大好きです」
「それなら怖くはないと思うが、くれぐれも無茶はしないようにするんだぞ」
そう言い含めたグレアム曰く、そのシーソーは、遊具のシーソーというよりは、空にかかった巨大な橋のようなものなのだそうだ。
しっかり欄干に掴まっていないと、がくんと傾いた際に吹き飛ばされてしまうらしい。
中央の一点で支えられているが、ばたんと一方に傾くと空が震え、流れ星が落ちてくるそうで、昼間には見えないのだとか。
またばさりと花輪が投げ込まれ、エーダリアが最後の詠唱に入る。
作業を見守る騎士や魔術師たち、花輪の塔の軸になる木彫りの塔を作った職人達が見守る中、最後の詠唱は殷々と響いた。
慌てて傘を取り出そうとしたネアに、グレアムが大丈夫だと微笑んでくれる。
花輪の塔が完成した直後には、その周囲だけに通り雨が降るのだ。
「ほわ………………」
「相変わらず、かなりの雨量だな」
最後の花輪が投げ込まれた直後、リーエンベルク前広場の周囲はバケツをひっくり返したような土砂降りになった。
雨の飛沫で視界が翳るくらいの豪雨に見舞われ、ネアは、不可視の壁でその雨を遮ってくれているグレアムにじわじわっと近付いてみる。
勿論、侯爵の魔物の魔術に不手際などないだろうが、魔術を自分で動かせない人間からしてみれば、何となく心許ない気分になるのだ。
そんな些細な行為が明暗を分けたのだと判明したのは、びしゃびしゃと音を立てて降る雨の中で、花輪の塔の作業に関わった者達が挨拶を終え、エーダリアとヒルドがこちらに戻ってこようとした時のことだった。
(え………………?)
ぎゅおんと物凄い音を立てて何か黒いものが先程までネアが立っていた場所を駆け抜けてゆき、ネアは、避け損ねた街の騎士の一人が吹き飛ばされるのを目撃してしまった。
一連の事件の全てが土砂降りの中で行われたので、黒いシルエットのような状態のものを目撃したに過ぎないが、そのせいか、いっそうに凄惨な印象である。
轢かれた騎士がばしゃぁんと離れた位置に落ち、仲間である街の騎士達が彼の名前を呼んでいる。
「……………グレアムさん、…………四つ足の何かに、街の騎士さんが撥ねられました」
「……………あの形状だと、雨煙だな。輪郭は猪に似ているが、正面から見ると猫に似ているという者が多い。雨煙の立つような状況で、ああしてわざとぶつかってくる精霊なんだ。階位としてはリーエンベルクの結界でも弾けないくらいに低いが、なにぶん質量があるからな。…………全力でぶつかられるとああなる」
(あめけむり………………)
その名前を教えて貰いながら、ネアはぎりぎりと眉を寄せた。
「何という嫌がらせでしょう。雨の中で転ぶことほど嫌なことはありません」
「確かにそうだな。地面は寧ろ柔らかいにせよ、持っている品物を落としたりしたら厄介だ」
ここでグレアムが、珍しく人外者あるあるの心遣いを欠いた発言をしたので、ネアは悲しい目で犠牲の魔物を見上げてみた。
「ネア……………?」
「私の場合は、それに加えてずぶ濡れでべしゃどろになります……………」
「……おっと、そうか。そうだったよな。一応魔物も、人間に擬態していれば、そうなるんだろうが…………」
聞いてみたところによると、ウィームの住人でも傘祭り用の傘があるくらいなのだから、魔術で勝手に雨風を弾けるのはやはり高位の人外者に限られるのだそうだ。
視界の向こうで仲間たちに助け起こされている騎士も、ずるべしゃになって回収されている。
その時、ばしゃばしゃと音を立てて、エーダリア達がこちらに駆けて来た。
なぜか一様に顔色が悪く、ネアはおやっと眉を上げる。
先程の騎士の容体が思わしくないのだろうかと首を傾げると、エーダリアは恐ろしい事を言うではないか。
「ネア、門の中に急ぐぞ!今の騎士を跳ね飛ばしたのは狂乱の黒と呼ばれる荒くれものの雨煙で、最低でも一度に三人は獲物を必要とする特殊個体なんだ」
「あらくれもの…………」
「獲物を求め、人が集まる場所を狙うようですね。私が見かけるのは三回目ですが、かなり執念深いので、急ぎ、リーエンベルクの屋内に避難しましょうか」
「は、はい!集まった皆さんは大丈夫なのでしょうか?ぎゃ!もう誰もいない!!」
残された者達の身を案じかけたネアは、あまりにも早い皆の避難にぎょっとする。
即ち、それだけこの雨煙は厄介な生き物なのだろう。
かくして、ネア達は大急ぎでリーエンベルクの中に戻る羽目になり、その後、屋内に避難する訳にはいかなかったリーエンベルクの騎士の一人と、たまたまこのタイミングでリーエンベルクの近くに現れてしまった鴉の精霊の一人が犠牲となったそうだ。
雨煙は、雨が上がると消えるのは勿論のこと、獲物を撥ねると満足して立ち去るのだそうだ。
綿菓子をあげると、ごろにゃーんと落ち着くそうだが、雨煙が立つほどの豪雨の中で綿菓子を差し出して認識させるのはなかなかに難しい。
外から帰って来たディノ達に雨煙を見たと言えば、ディノはご主人様が撥ねられなくてよかったとしっかり抱き締めてくれた。
しかし、雨煙に撥ねられるか轢かれるかをすると、その年は良縁がたくさん舞い込むらしい。
恋の縁も勿論だが、友人が増えたり、良い仕事を任されたり、人脈などが豊かになる事もある。
そんな祝福がある事はあまり知られていなかったようでエーダリアも驚いていたが、魔物達からそう聞いたネアは、であれば、同性の友人を得るための犠牲として一度くらい撥ねられることも辞さなかったのにと悲しく眉を下げたのだった。




