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牛乳商人と灰色の交渉人




その日、牛乳商人達の集いには見慣れない小娘が一人混ざり込んでいた。


老獪な男達や歴戦の女商人達があの新参者は誰だろうと首を傾げる中、牛乳商人の元締めでもあるハハカ老が厳かに開会を告げる。



「では、宜しいだろうか」



件の少女は本来なら、質のいいゴルク山羊の飼育で名高いタクスが座るべき席に座っているのだが、いそいそとタクスの名札をしまうと、タクス代理人という名札に差し替えている。


なぜか肩には灰色のムグリスのようなものを乗せており、上等そうな水筒を机の横に置き、小さな手帳と筆記用具も出しているので、しっかりと会議に参加するつもりなのだろう。



「それとな、タクスは、諸事情でこちらの代理人を立てておる。代理人殿、お名前は……………」

「タクス代理人とお呼び下さい。あくまでも代理人として発言させていただきます」

「そ、そうか。では皆の者、彼女のことはタクス代理人と呼ぶように」



ハハカ老がそう言えば、真っ先に手を上げたのは元は山賊という異例の経歴を持つ古参の牛乳商人だ。



「そんなお嬢ちゃんに意見なんぞ出来るのかねぇ。今回の議題は、害獣の駆除だぞ?」

「タクスさんの牧場には、以前雷鳥とキルコが出現しました。そやつらを駆逐したのは私めですので、充分に代理人のお役目を務めることは可能かと思います」

「……………雷鳥だと?」



その返答に元山賊は顔を顰めて疑わしげに笑ったが、少女は静かな眼差しを揺らしもしない。


ガレンの魔術師でもなければリーエンベルクの騎士でもない少女の、いささか度が過ぎた武勇伝を聞かされたことで俄かに会場が騒めき、静粛にと声を張ったハハカ老が、実際にその被害と駆除の報告は上がっていたと説明した。



(……………雷鳥を駆除した?あの小娘が、……………か?)



それを聞いてしまったキノスはひやりとしたが、事も無げにそう言ってのけた少女の魔術可動域は、どう見ても決して高そうに思えない。

寧ろ、消え入りそうなくらいの微かな気配ではないか。



(だが、タクスと、他に人手があれば、弱っている個体くらいは狩れるかもしれないな…………)



タクスは、元はガレンの魔術師だった男だ。

この場ではあの代理人がさも自分の手柄のように言っているが、実際にはその場に居合わせただけの可能性もある。


そう考えると腑に落ちたので、成程その種の人間なのだろうと気に留めるのをやめることにした。




「いいですかな、皆さんご静粛に。では、最近各所に被害の出ている、雨狼の対策についての議論を始めましょう。雨狼の被害が大きく出たのは、おおよそ二十三年ぶりのことになります。あの時は、最終的にはガレンからの魔術師の派遣を要請し、何とか迷い狼の駆除に成功しましたが……………」



その口上に、牛乳商人達は顔を曇らせた。



牛乳商人とは、主に牛乳だけを取り扱う商人を示す言葉だ。

牛や山羊の飼育から販売までを行う酪農家もいるが、牛乳の仕入れと販売だけを引き受けている荷運びの商人もいる。


何しろ牛乳は、酒に次いで人外者達を引き寄せる厄介な品物だ。


遠方まで運ぶには、品質管理の為に状態保持や氷の系譜の魔術が必須であり、牛乳を狙ってくる魔物や妖精達から品物を守らなければならない。


不思議と竜や精霊による被害は少ないが、特に厄介なのが小さな獣型や女性姿の妖精達で、牛乳商人の注意を仲間達が引きつけ、その間に他の妖精達が荷を奪ったりもする。


なお、加工されてチーズやバターになると、今度は精霊や竜による被害も出てくるので、種族ごとに厳密な嗜好があるのだろう。



そして、その中でもウィームの牛乳商人達にもっとも大きな被害を与えたのが、二十三年前の雨狼による襲撃事件であった。



「……………よく覚えているよ。あの時は父が一族の長だった。うちは代々の商人だけの家系だけど、牧場だけではなく商人も襲うっていうんで、大騒ぎだったね」



感慨深げにそう発言したのは、これもまた古くから牛乳商人をしているニクスファード一族の現在の長だ。


女性ながらに竜騎士のような屈強な体つきをしており、身に宿す魔術の質はかなり高い。

商品を積んだ荷馬車を守って旅をすることに長けた、魔術師に近しいだけの技量を持つ商人だ。


鮮やかな朱赤の髪を一本に縛り、実戦向きの魔術師のような服を着ている。

初見ではその大きな身体に気圧されてしまうが、よく変わる表情を見ていると美しい女だと言い出す者も多い。



(…………ん?)



ふと、視界の端での動きが気になって目を向けると、先程の少女は何やら地図のようなものをがさがさと広げている。


かなり大きいので、隣に座った水棲牛専門の牛乳商人夫婦も目を丸くして覗き込んでいるが、あれは一体何なのだろう。



「………ふむふむ。前回の被害があった地域は、雨狼さんがいても不思議はない地域でしたが、今回の被害地域はなかなかに不思議ですね。隣接している地域という事でもなく、場所の特性も重ならず、けれども、被害に遭ったのは全て、リーエンベルクの指定業者やアクス商会の指定業者なのです」



挙手するでもなく語られたその静かな声は、思っていたよりもよく響いた。

またざわりと揺れた人々の不安に駆られた囁き声に、先程のニクスファードの女長がにやりと笑う。



「目の付け所がいいね、お嬢さん。あたしもそこが気になっていたんだ。稼ぎがいいところばかり襲われるのは、いささか妙な話だと思うだろう?」



どかりと足を組み周囲を見回したニクスファードに、キノスは挙手して苦言を呈した。



「視点が偏り過ぎているな。稼ぎのいい牧場や商人の荷台には、雨狼の餌になる牛乳が潤沢だ。効率のいいところを狙ったという線もあるだろう」

「へぇ。そりゃ賢いものだ。だが、うちの荷運びは、気候条件の影響や魔物や妖精の襲撃などの影響を受けないように分割して行っている。それを丁寧に狙い潰してゆくとなると、人間の軍師並みの頭を持った雨狼が出たということにならないかい?」



青い瞳を光らせ、どこか挑発的な物言いをするので、こちらとしても溜め息を吐くしかない。


「それは俺にも何とも言えん。妖精達だって我々を騙そうとするのだから、雨狼が戦略的に立ち回っても不思議はないだろう。…………ただ、まだ不透明な事が多い状態だ。被害を受けた腹立ちはあるだろうが、誤解を招きかねない含みを持たせるのはやめておけ」

「誤解ねぇ………。別に仲間同士の足の引っ張り合いだとは言っていないんだがね。ただ、一部の情報が漏れているんじゃないかっていうところが気になるね………」



そう言ってふんと鼻を鳴らしはしたが、ニクスファードの長は、そこでひとまず言葉を収めた。

こちらも肩を竦めてみせて他の牛乳商人達の様子を窺えば、周囲の反応はそれぞれであった。


疑心暗鬼になり、親しい商人とこそこそと耳打ちをし合う者達に、まさか計画的なものではあるまいと呆れ顔の者達もいる。

立場を決めかねて考え込む様子を見せるのは、名うての老獪な商人達ばかり。




「なぁ、お嬢さんや。あんたはそれなりに下調べはしてきたみたいだが、俺達にはそれなりの経験がある。発言は自由だが、その発言には責任を求められると言う事を理解しておけよ?」



ふっと笑うようにそう忠告したのは、先程も少女に話しかけた、元山賊の牛乳商人だ。

ヘンドリクスという名前が本名なのかどうかは誰にも分からないが、そう名乗られるとそんな感じもする。



「存じ上げております。そして勿論、私には皆さんのような、牛乳商人としての経験を糧とした議論は出来ません。ですので、沢山の事実と物証を持ってきましたので、不恰好にそれを言い重ねる事しか出来ませんことを、ご容赦下さい」

「……………へぇ。なかなか骨はありそうだが、身があるかどうかはこれからか。そもそも、タクスの代理とあるが、タクスはどうした?」


その質問に、少女は僅かにでも躊躇しただろうか。


「タクスさんは、滅多にない高価なお酒を貰って少しはしゃいで酒樽を持ち上げてしまい、ぎっくり腰です」

「………………いや、薬を飲んで参加出来るだろ」

「更に悲しいご報告をするのなら、酩酊状態で自作の魔術の薬を飲んでしまい、現在腰回りが石化しております。明日には元気になれますが、今日のこの会議への参加は難しかったのです」

「……………何をやってるんだあいつは………」

「なお、ヘンドリクスさんへのご伝言を預かっておりまして、こちらに泊まっている事にして女遊びをしている事は、だいたい全部奥方にばれているぞ………だそうです」

「…………っ、会議の場で伝えるな!」



思いがけない切れ味の伝言に、ヘンドリクスは机の上に突っ伏してしまった。


周囲の牛乳商人達もざわざわしているが、こちらは苦笑いが半分、そりゃ気付くだろうという呆れが半分である。


ヘンドリクスの女遊びは、さして親しくもなくとも有名な話として殆どの者達が耳にしている筈だ。

今更聞かされても、特に目新しくもない。



「あんたのその証拠とやらを、もっと聞かせてくれないかい?儂も、今回の雨狼の襲撃には腑に落ちない事が多いんだ。タクスの所もかなりやられただろう?そっちの状況が知りたい」


次にその少女に話しかけたのは、好々爺のような外見だが、かなり老獪な商売をするウィーム西方の大牛乳商人であった。


貴族のような装いだが、口調は気取らない商人のもので、噂では、ザルツの音楽院に通う孫娘の為に貴族のような装いをしているらしい。



「では、こちらをテーブルに乗せさせていただきますね」



ごとりと、少女がテーブルに乗せたのは、よく見る牛乳庫の錠前だった。


特に珍しいものでもなく、ここにいる牛乳商人達は誰でも知っているものだ。


上等な牛乳は妖精達が盗もうとするので、乳搾りから行っている商人達の保管庫には、特殊な排他魔術をかけた錠をかけるのが常識であった。



「証拠はまず、こちらにあります、出荷前の牛乳瓶を置いてあった倉庫の錠前の残骸なのですが、…………この部分の、こじ開け方ですね。一見、狼の爪痕のようにも見えますが、雨狼さんの前足でこれをするとなるといささか不自然な爪痕ですし、そもそも、この錠前は狼避けの魔術をかけてあって、雨狼さんには触れられないものなのです」

「…………そりゃ、興味深いな。うちの孫娘も、襲撃のあった夜の狼達の遠吠えを聞いて、どうも奇妙な音が混ざっていると首を傾げていたものさ。何しろあの子は耳がいい」



(…………孫自慢か!)



物証としてこの上なく分かりやすい錠前がテーブルに乗せられた直後に、よくもその程度の孫娘の話を重ねたなと呆れそうになったが、睨まれてもろくなことはないので、平静さを保った。




「だが、触れられないというだけでは証拠にはならぬでしょう。触れられなかったという証明が必要なのでは?」



そう発言したのは、まだ若い牛乳商人の一人だ。


ガーウィン近くの丘陵地に暮らす一族の代表者で、藍色の織物を重ねた独特の装束を身に纏い、鈴を鳴らして牛達を連れ歩く姿は有名だった。


とても美しい女性なのだが、気難しいことでも有名である。



「いえ、その証明でもあるのです。こちらの錠前に特別な祝福を授けた方がいまして、その方曰く、祝福を損なったのは狼の気配ではなかったと言う事でしたので」

「であれば、我々にその人物を引き合わせ、尚且つその人物が信用に足りると納得させなければだわ。証明とは、その場にいる者達が納得してこそのもの。例え正しくとも、せめて半数以上の者達の理解を得られなければ、それは取るに足らない証拠なの」



そう言われた事で、少女は少し考える素振りを見せていた。

肩の上のやはりムグリスに見える生き物が憤慨しているようだが、その腹部を撫でてやりながら小さく首を傾げる。



「ふむ。このような場所での議論と証明は、法廷のそれとは違った難しさがあるのですね……………」

「それがたかが害獣の対策であれ、場合によっては利益が絡む事だもの。必要とされているものは、確かに商人独自の証拠かもしれないわ」



そう言われた少女は、藍色の装束の牛乳商人に淡く微笑みかけた。


静かだが不思議な怜悧さのある、決して華やかではないがどこか目を惹く眼差しに、ふと、いつの間にか会議がこの少女を中心に回り始めている事に気付いた。


だが、不思議と不快感はない。



「成る程、あなた方が求めるものが何なのかを見極めなければならないというのは、少しばかり商人さんというものを理解する一端になりそうです」

「あら、あなたは代理人でしょう。理解するのではなく、そうあらなければ代理人とは言えないわね。他の証拠を示してくれる?」



こつりと、誰かが指の背でテーブルを鳴らしたようだ。

その音のどこかに微かな苛立ちを感じたが、それが誰なのかまでは聞き取れなかった。



「他にも有用な証拠はありますが、いささか刺激も強いものなので、少しばかりの躊躇いもあるのですが、…………」

「構わないわ。皆さんもそう思うでしょう?」

「我がタクス牧場の立地は、雨狼さんがあまり好まないところにあります。ですが、雪竜さんのお一人にご贔屓にさせていただいておりますので、その方が錠前に特殊な祝福をかけてくれており、不届き者が現れればそれなりの報復をする処置が施されていました」



(雪竜の報復…………?)



それがどんなものなのか気になったが、今はまだ転がってゆきそうなこのやり取りの行く先が気になった。


皆もそう思うのか部屋の空気は張り詰め、なぜかハンカチを目元に当てて感涙している商人がいるのが気になってならない。



「報復されてしまうのに、雨狼は殺せなかったの。雪竜も大した事がないのね」

「さて、どうでしょうか。それはさて置き、実はここに証人……人?………………も連れて来ております。アルバンの山には雨狼が入らないのだとよく知る方で、尚且つ犯人を目撃していたかもしれないそうなのです」

「証人……………?」



恐らく、その瞬間に多くの商人達は気付いただろう。



(この少女は、犯人を知っているのだ。…………であれば、ここまでの議論は何の為に……………犯人が特定出来ているのなら、…………まさか、共犯者を探ろうとしていたのか…………?)




しかし、次の瞬間に少女がテーブルの上に置いたものを想像出来た商人はいなかったと、キノスは断言してもいいと思う。



またしてもがさがさと、先ほど広げていた、………地図であったらしい紙を取り出した布袋から少女が取り出したのは、よれよれになったハンカチにも見えるが、この場にいる牛乳商人の誰もが、その姿を見間違える筈もない生き物であった。



(え、……………?)



「ら、雷鳥だ!!」

「雷鳥だと?!」

「ば、馬鹿な!なぜこんなところに連れて来たのだ、気でも触れたのか?!」



一瞬にして騒然とした室内を鎮めたのは、やはりハハカ老であった。



「静粛に!この雷鳥は、タクス代理人の手によって拘束されておる。尾のあたりに、…………いや、…………尾と、紐を縛り付けられているからな」



あまりにも残虐な拘束方法に、室内には水を打ったような静けさが広がる。

四方八方から向けられる視線の先に座った少女の傍らには、明らかに恐怖に震えながら拘束されている夏毛の雷鳥がいた。


尾のあたりは、少女が持つ紐としっかり結ばれており、その容赦の無さに誰しもが震える息を飲んだ。



「さて、雷鳥さん。アルバンのお山では、雨狼さんが来たら大好物なのでぺろりと食べてしまうのですよね?」



静かな問いかけは、この状況を思えば狂気すら感じたが、雷鳥はここで確かに頷いた。


キノスは、雷鳥は頷くのだなというどうでもいい事に驚いてしまい、ごくりと息を飲んだ。



「では、ここにタクスさんの牧場の倉庫を荒らした方はおりますか?」



すると、雷鳥はまた頷くではないか。

そして、誰がどう見てもその一人しかいないと理解出来るようなやり方で、とある牛乳商人を選んだ。


つまり、体をとても細長くして時計の針のように一点を指し示したのだ。



「わ、私は知らないわ!よりにもよって、私を示すなど、不愉快にも程がある!」



がたんと椅子から立ち上がったのは、少女に最後に質問した藍色の装束の牛乳商人だった。


憤然と抗議を始めたその商人がふつりと黙り込んだのは、ゆっくりと歩いて来て、少女の後ろに立った一人の人物の姿を見たからだろうか。


あれは誰だと小さな誰何のざわめきが広がったが、その青年は最初からハハカ老の背後にひっそりと座っていた。

キノスは、新しく加わった牛乳商人だと思っていたのだが、そうではなかったようだ。



それは清廉な美貌が美しい一人の青年で、怜悧な刃物のような艶やかさで冷たく微笑む。

すらりと背が高く、漆黒の巻き毛によく光を集める水色の瞳は、冬の湖のようだ。


淡い水色の装いは貴族にも見える服装だが、ウィームでは魔術師や騎士でも不思議はない。

だが、指先の動きにまで沁みた優雅さにふと、ああこれは人間ではない生き物なのだと気付いてしまうのだ。



「残念ながら、あなたの壊した錠前には、雪の系譜の排他魔術が記されていて、その印を刻んだ者の号令と共に、犯人をずたずたに引き裂いてしまうようになっていました。証明してみせろと言われれば、それは容易いとお答え出来ますが?」

「………………っ、これは罠だ!!このような真似が許されるとでも…」



その言葉に、青年は恐らく微笑んだのだと思う。


その微笑みに滲んだ嘲りと怒りは、歴戦の商人達を呆然とさせるだけの精神圧であった



「許されるのだと思いますよ。私は竜で、あなたは人間の皮を被った妖精なのだから。あなたは人間の法に守られず、竜は自身の領域を侵される事を決して許さない。……………よりにもよって我が君の食卓に欠かせないものを荒らしたことは、許されざる行為です」




(妖精……………?)




一拍、その言葉を飲み込み理解するのに時間がかかった。


けれどもすぐさま息を飲み、がたんと立ち上がった者達が何人もいたのは、牛乳商人達が妖精の侵食の恐ろしさをよく知っているからだ。



先程まで憤りを示していたあの藍色の装束の牛乳商人は、異様なほどに瞳を見開いて、竜だと名乗った青年を見つめている。




「………………雪竜か。愚かな竜め、今の季節を知らぬのか」



そして吐き出された声音は、ぞっとするほどに嗄れていた。



「確かに我々の領域の季節ではありませんが、それでもあなたを排除するくらいの事は可能ですよ。何しろ、既にその身には雪竜の呪いがかけられているのですから。……………構いませんか?」



その雪竜が恭しく指示を求めたのは、あのタクスの代理人の少女であった。


であればこの少女こそが、雪竜が我が君と呼ぶ相手なのだろうか。


少女はどこか悲しげな顔でゆっくりと頷き、その途端、ざっと部屋の温度が下がった。


部屋の中で何人かの者達が、商人にはない動きで立ち上がり、すぐさま妖精に成り代わられていたらしい商人の女の周囲には排他結界が敷かれる。



その両隣の席の者達は、とっくに逃げ出していた。




「お前のような若造に…………」



軋むようなその声に微笑んだのは、雪竜の青年だけだっただろうか。

キノスは、なぜか見知った仲間達の中の何人かが、ひっそり笑ったような気がした。



それはまるで、目の前の青年の正体がただの雪竜の若者ではないと知っているかのように。



直後、ギィンと硬質な音が響き、隔離結界の中の女商人は結界の中を吹き荒ぶ雪嵐に見えなくなってしまった。

びきびきと音を立てて凍りついてゆく結界の表層を見ていても、青年がただの雪竜ではないのが一目瞭然だ。


その魔術は、どう見ても雪竜の属性の境界を超えている。



(上位貴族………いや、王族や祝い子の可能性もあるのか…………?)




「まぁ、一瞬で見えなくなりました」

「あなたに、お見苦しいものをお見せしたくありませんから。あれは恐らく、植物の系譜の妖精でしょう。荷馬車を狙って少しずつ牛乳を奪うよりも、商人に成りすまして情報を得て、より多くのものを手に入れようとしたのかもしれませんね」

「ご協力いただき有難うございました。…………むむ?雷鳥さんももう解放して欲しいのですね?ここにいる方々に悪さをせずに証人としての役目も果たしましたので、タクスさんのお家の花壇を荒らした事は許して差し上げます。アルバンのお山に返して差し上げますね」

「では、私が連れてゆきましょう。後は、騎士の方々にお任せしても?」

「ええ、勿論です。私の伴侶もおりますので、後はこちらで引き取りますね。またあらためて上の者からお礼もさせていただきますが、タクスさんの作るお好きだというチーズをお土産にして下さい」



そう言った少女からひと抱えの丸い包みを持たされ、青年は微笑んだ。


高位の竜がチーズくらいでと思わないでもなかったが、本当に嬉しそうにしているので、タクスの倉庫を守るくらいにそのチーズが好きなのだろう。


ただし、チーズを梱包した麻紐を見て立派な紐ですねと話しているが、その褒め方はどうかと思う。


一礼して、少女が紐を解いてやった雷鳥を連れて退出してゆく青年に、ハハカ老が深々と頭を下げる。


となると、ハハカ老もそれなりに今回の作戦には噛んでいたようだ。




室内では、商人の中に紛れていたらしいリーエンベルクの騎士達が、他にも三人の牛乳商人を捕縛していた。

悍ましい事だが、その三人についても、内側に妖精が入り込んでいたらしい。



「今回の事件は、そちらの妖精さん達が、牛乳欲しさに牛乳商人さんに成りすましていたという事件でした。牛乳商人として知りえた情報を使い奪った牛乳は、さも雨狼さんが奪ったように工作していたようですね」



そんな少女の説明に、思わずキノスも頷いていた。



ゆっくりと立ち上がり、彼女は仲間であるらしい騎士達と視線を交わすと品のいいお辞儀をして部屋を出て行った。


捕縛の協力に感謝しますと丁寧な挨拶をし、捕まえた妖精達を連行する騎士達は、あの女商人が収まっている凍りついた排他結界もそのまま運び出してゆく。




「なぁ、……………あれは誰だったんだ?」



全てが終わり、隣に座っていたこちらも古くからの大牛乳商人一族の二代目である友人に尋ねると、友人は、どこかうっとりとした眼差しであの少女が出て行った扉の方を見ている。



「我々の偉大なるご主人様だ」

「……………ごしゅ、……………いやいい。もう何も言わないでくれ」



友人の眼差しを見たキノスは、その日に出会った灰色の交渉人については追及しないことにした。


ハハカ老やニクスファードの長など、どうやらその正体を知った上で領民を襲った妖精の捕縛に協力していた者達もいるようだが、世の中には知らなくてもいい事もあるのだ。



ただ、恐らくタクスとはかなり懇意にしているに違いないので、今後、タクスとの衝突は避けようと心に誓う。


あの肩の上のムグリスが伴侶だったのかどうかだけは答えを知りたかった謎だなと思いながら、キノスは愛する牛たちの待つ、深い森と渓谷に囲まれた自分の牧場に帰った。



今度、幼馴染のネイアが遊びに来たら、とんでもない少女がいたのだと話してやろう。













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