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7. 良くない傘が混ざっているようです(本編)





その日の夜、ネア達はリーエンベルクの外客棟にある遮蔽魔術の広間を使い、昼間に封印庫で出会った傘と場を繋げる魔術を敷くこととなった。



当初より参加予定だったネアとディノ、そして場の調整をしてくれるアルテアに加え、エーダリアとヒルド、そしてノアまでもが参加することになったので、短い時間ではあるが、リーエンベルク内が手薄になる時間が出来てしまう。

よって、その間については、エーダリアの代理妖精であるダリルが一時的にリーエンベルクに滞在し、領主取り込み中の対応をしてくれることになった。



「自身が画策したことでしたので、すんなり了承しましたがね」

「では、アレクシスさんに傘さんの回収を依頼したのは、ダリルさんだったのですね…………」



魔術を展開する部屋にみんなで向いながら、ヒルドから事情を聞いたネアは、やっと腑に落ちる。



今回の件へのアレクシスの関与の仕方には、ずっと違和感があったのだ。



(やり方がアレクシスさんらしくないというか、あの方が、こんな風にリーエンベルクに関わることはないような気がしたけれど、依頼主がダリルさんだったから、このような形になったんだ…………)



傘が決まったという一報を受け、その上で、今回の傘選びでの出来事を聞いたヒルドが、恐らくダリルが暗躍しているのではと目星をつけて、色々と事情を聞き出してくれて発覚したので、ダリルとしては、聞かれなければ言わないつもりであった可能性も高い。




「あの傘に使われている竜の骨は、かつてガーウィンの教会の一つで、聖遺物として祀り上げられていたそうです。どうもそれが、ネア様達の潜入調査を予定している教会の派閥上位にあたるところのようで、ダリルは、呪物としてその傘に竜の意識が残っていれば情報収集に良いだろうと、アレクシスに仕事を頼んだようですね」

「…………まったく。それを、アレクシスがよく引き受けたものだな。彼は、あまりそのようなことは好まないのではなかったか?」



そう尋ねたのはエーダリアで、今回は問題の外側に締め出されたことで、少々ご立腹でもある。


秘密を持たれたことよりも、あまり一般人の領民を巻き込んでくれるなというのが、このウィームを大事にしているエーダリアらしい怒りどころだ。

どれだけアレクシスの魔術階位が高くても、善意による力添えではなく依頼をかけるというやり方は、如何なものだろうと固い声で呟いていた。


その様子を見ていると、エーダリアが許可しないことを見越した上で、ダリルは個人的にアレクシスに依頼をかけたのだろうと、何だかまた納得してしまうところもある。



「彼であれば、受けずに断るだけの力も充分にあるだろう。……………何か、他に思惑があったのかもしれないよ」

「………………ディノ様?」



ディノの言葉に、エーダリアとヒルドが不思議そうにこちらを見る。

ネアも事情が分らなかったので無言で首を振ってみせたが、こうしてエーダリア達を同席させることといい、ディノには何か考えていることがあるようだ。



「まだ、あの、………………傘と話をしてみないことには確証はないけれどね。それに、アレクシスがネアにあの傘を託そうとした理由は、ダリルの依頼とは別の問題に起因しているのではないかな」

「むむ。責任重大な感じでしょうか?」

「私が対処するから問題ないけれど、…………ただ、あの傘………………傘でいいのかな。…………が気難しい竜であることは、私も知っている。ネアが話してくれた外見からすると、星闇の竜の賢者の一人だった、クラ・ノイだろう。彼は、気に入った者としか会話を持たない偏屈な竜だったからね」

「クラ、ノイさん……………。変わったお名前ですね。服装からは、砂漠の方のお住まいに思えました」

「星闇の竜の領域があるのは、カルウィの南西部にかかる、空の砂漠にある星闇の竜達の宮殿だからな。衣食住の文化は、あちらのものに近いだろう。ついでに言っておくと、あいつをばらばらにしたのはウィリアムだぞ」

「なぬ………………」



聞けばアルテアは、終焉の魔物が解体してしまったその星闇の竜の遺骸の一部が地上に残ったことで、それを終焉に崩されなかった聖遺物として教会側が祀り上げたことを知り、人間には過ぎたる玩具であるという見解の下に、早々に盗み出して呪物にしてしまったらしい。



「ウィリアムさんが、あの竜さんを……………」

「祟りものの討伐だったんだ。ウィリアムが他の種族の依頼を受けて駆り出されるのは、とても珍しいことだけれどね」



何があったのだろうと目を瞠っていると、ディノがそう教えてくれた。



舞台とする遮蔽のある部屋に着き、特別な機会にしか解放されない遮蔽室の鍵をヒルドが開けている。

美しい冬湖水の鍵を持つヒルドは、絵本の中の一場面のように美しく、ついつい見惚れてしまう。



「他の種族の方からの、依頼ということもあるのですね…………」

「クラ・ノイが粛清されたのは、ロクマリアの一氏族が、彼の庇護を受けていた妖精達をほぼ絶滅させてしまったことに起因している。あの国は何度か竜絡みの問題を起こしているけれど、その中でも二番目に被害の大きかったのが、その時の報復だったかな。彼は、星霞の花の妖精を狩り尽くしてしまった人間達を許さず、地上から一掃しようとして祟りものになった。粛清を願い出たのは、ウィリアムと顔見知りだった星闇の竜の王子だったと聞いているよ」

「まぁ、そのような背景があったのですね……………。守っていたものを傷付けられたのなら怒るのは当然ですが、加害者だけをくしゃりとやってしまえば良かったのにと思わざるを得ません……………」

「それは難しいだろうな。星霞の花は、兵士達の士気を高める興奮剤の原料になった。言わば、国による乱獲で滅びかけた種だ。報復の対象は国そのものでも間違いはない」



であれば、彼は戦うしかなく、ウィリアムは滅ぼすしかなかったのだろうか。


きっとウィリアムも悲しかったに違いないと思ってネアはしょんぼりしたが、二人の相性は最悪で仲が悪かったと知り、大切な友人の苦しみが少なかったのならばと、ネアは少しだけほっとした。



かしゃんと、硝子を触れ合せるような音がして鍵が開いた。



気象性の悪夢が訪れた時にこの部屋にも入ったことがあるが、外からのお客を受け入れる部屋として作られただけに、その壮麗さは目を奪う。


内側のものを外に出さないという魔術の遮蔽がある部屋は、問題のあるお客がいた際に、この部屋ごと隔離出来るような魔術で覆われており、かつては、国交のない国の使節などとの会談もこの部屋で行われたと言われている。


なお、魔術の潤沢なリーエンベルクの中で、内装を気紛れに変えないのが、この外客棟なのだそうだ。

お客達が驚かないようにと、不変の質を部屋の構築の際に書き加えてあるという。


閉鎖されていた部屋の空気が扉の隙間からこぼれると、なぜか微かな花畑のような優しい香りがした。

色とりどりのドレスの裾を翻した貴婦人達を思わせるその香りを、ネアは胸いっぱいに吸い込んで微笑みを浮かべる。



どの部屋も、どの部屋も。

例え、防壁の意味のある外交用に作られた広間でさえ。

やはりリーエンベルクはどこもかしこも大好きだ。




「一番大きな被害を出した竜さんは、どんな方だったのですか?」



遮蔽室に入り、アルテアが魔術を組み上げ始めると、ネアはくいくいっと伴侶の袖を引っ張って、気になっていたことをディノに聞いてみた。


ロクマリアと言えば、最盛期の国土は、かつてのウィーム国と国境を隣り合わせにしていた巨大な帝国だ。

ウィームを庇護していた竜だったりしたのだろうかと、気になってしまったのだ。



「ダナエだよ」

「……………………まぁ、ダナエさんだったのですね…………」

「その事件の少し後から、グレアムがウィームを含むこの辺りの土地を統括していたんだ。今よりも広かった禁足地の森を挟みはするもののウィームとの国境域でもあったので、統括が決まった頃から注視していたのを覚えている。………………確か、ダナエが守護を与えた子供を殺されたことが理由だった筈だよ。小さな国一つに相当するだけの国境域の大きな都を、ダナエは一晩で滅ぼしてしまったけれど、彼が狂乱させると危うい悪食であったことと、無差別の殺戮ではなかったことが考慮されて、その時はウィリアムは介入しなかった」



その話を聞いて、ネアはかつてその優しい悪食の竜が、自分を害そうとした妖精達が罠として投げ込んで来た妖精の子供の亡骸を、丁寧に埋葬していたことを思い出した。

恋をした女性を食べてしまうという困った竜ではあるものの、ダナエは小さな子供にはとても優しいのだ。



「諸事情でその様子を現場で見ていたが、器用に貴族や兵士達だけを食ってたぞ。あの件で糸を引いたのは、クライメルだが、あいつが妙な欲を出したお蔭で手痛い損失を出す羽目になった」

「僕は遠い国にいたけれど、それでも噂を聞いたことがある。当時の白夜が、白持ちの春闇の竜の角を欲しがっていたのは有名だったからね。結局、片方の角は手に入れたみたいだけど、損失が大き過ぎるってそこで諦めたんだっけ?」

「むぐる、許すまじ白夜………………」

「ありゃ、ネア、もう先々代の白夜はいないから落ち着いて!」



ダナエは、ネアにとっての大事な友達だ。

可愛がっていたかもしれない子供を殺されてしまったダナエが、どんな思いをしたのだろうと思えば、今は亡き先々代の白夜に対しての怒りが収まらず、だしだしと床を踏み鳴らす。

しかし、不幸なことにその直後に空間が繋がってしまい、クラ・ノイはぎくりとしたようだ。



ぶわりとリーエンベルクの広間だった筈のところに吹き込んだのは、いっそ艶やかな程に芳しい夜の風だ。


封印庫で見たのと同じ異国の宮殿のようなところに立ち、堂々たる振る舞いでこちらに向かい合った直後、低く唸っていたネアの姿を見てしまったこの記憶の欠片の持ち主は一歩下がる。


場合によってはボラボラの集落に放り込むと脅してしまったので、そうされてしまわないように距離を取ったらしい。




「……………何だ。まだ不満があるのか」

「いえ、これは先々代の白夜の魔物さんへの憎しみですので、気にしないで下さい」

「……………面妖だな。人間は、既に存在しない者まで呪う生き物なのか……………」

「世間話をしに来たんじゃないぞ。さっさと話を済ませろ」



ぞんざいにそう告げたアルテアに視線を向けたクラ・ノイは、銀色の瞳を冷やかにする。

向かい合ったアルテアもひやりとするような表情を浮かべているので、ネアは小さく息を吐いた。

何かが過去にあった二人にせよ、場の空気が悪くなる前に終わらせてしまった方が賢明のようだ。



(でも、アルテアさんが個人的にとても嫌いという感じを出しているのも、珍しいかもしれない……………)



「すっかり陽蜜鱒を食べ尽くした傘さんですので、約束通りお話をして下さるのですよね」

「…………………連れてくるのは、そなたの魔物だけではなかったのか。私は騒々しいのは好きではない」

「そんな私の魔物の判断で、私の上長も参加させていただくことになりました」

「…………………ふむ」



クラ・ノイとしては不服もあるのだろうが、ネアの隣に立つディノに顔を向けると、擬態なしの万象の魔物の姿に文句は取り下げることにしたようだ。

アルテアも充分に白い筈だが綺麗に黙殺し、ノアはひとまず後回しにしたものか、まずはディノに向き合い、異国風の優雅なお辞儀をする。


さらりとこぼれた髪は暗い光を湛えながらも星屑を宿す夜空のように光り、ネアは、異なる種族であるこの男性が、どうしてこうもディノに平伏するのだろうと不思議になった。

他の竜達を見ていても、畏れを向けることと敬うことはまた別の問題であるし、この男性の眼差しには深い感謝の気配すら見えた。



「御無沙汰しております、万象の王よ。この度は、もてなしも出来ぬ身をお赦し下さい」

「君に会うのは、随分久し振りだね。まだ魂を残しているとは思わなかった」

「アルテアめが私を術具としなければ、ここまで永らえることはなかったでしょう。御身には、私の息子達が世話になりました故、お聞きになりたいことがあればなんなりとお申し付け下さい」



その言葉におやっと思っていれば、ディノは淡く微笑んだ。



「であれば、ギードに感謝するといい。幼かった君の息子達は彼の庇護を受けた。ギードが友人であったから、私はその場に降りたのだからね」

「理由はどうであれ、祟りものになったのは私自身の愚かさです。息子達は、何とか私を救おうとして終焉の王に牙を剥いたのでしょう。………………そのことを恐れ、一族の者達は息子達を粛清する風向きであったと聞いております。ギードと、…………そしてやはり、あなた様がおられなかったら、息子達は殺されていた筈だ。ガーウィンで聖遺物にされた私に、一度だけ妻が会いに来ました。その話を聞き、万象の方にはどれだけ感謝したことか……………」



もう一度深々とディノに頭を下げたクラ・ノイに、ネアはそんなことがあったのだなと嬉しくなった。

父親は救えなかったにせよ、小さな竜の子供達が更なる悲劇に見舞われなくて良かった。




「では、最初に、君が私達に伝えるべきだと思うことを、教えてくれるだろうか。あの傘を私に選ばせたのは、どのような来歴の品物であるかを知っているからだね?」



鷹揚に微笑んだディノは高位の魔物らしい酷薄さで、その表情はネアの知る魔物の無垢で儚げな微笑みではなく、背筋が冷えるような凄艶な美貌は、湛える微笑みが優しい程に鋭さを増す。



「御身とは思わずのことでしたが、ええ、私はあの傘が暗器であることを知っています。私がかつて、ロクマリアの一氏族を滅ぼした術具、或いは呪具であるということを知り、あの遺跡に私を掘り出しに来た聖職者達がおりました。その者達の魔術の証跡があり、鼻につく血の匂いがする。………………彼等については、封印された身とはいえ、眠りを妨げた愚かな人間達の願いを聞き入れる筈もなく、耳障りな嘆願が煩かったので、黙らせておきましたが」

「アレクシスにはそのことを話したのかい?」

「彼もまた、何度も私の封印の下に通った魔術師でして、何かあったようだがと尋ねられたことがあるので、愚かな者達の顛末を話してやりました」

「彼のことは黙らせなかったのだね」

「あの男は愉快な人間です。呪具を使って滅ぼしたい者がいる訳でもなく、私の爪や牙目当てで通っていたようで、ふらりと訪れてはあの遺跡で何度か野営をし、様々な話をしてゆきました」

「………………では、その痕跡を調べたことで、アレクシスは、彼等の思惑をも知ったのかもしれないね」



そう頷き、ディノはなぜかエーダリアの方を見る。

困惑したように瞳を揺らしたエーダリアの代わりに、隣に立っていたヒルドの表情がさっと強張った。

ディノが言葉にしなかった何かを、鋭敏に感じ取ったのだろう。




「……………成程、そのような事情がありましたか」



そう微笑んだヒルドの瞳の鋭さに、ネアにも何となく描かれた絵の形が見えたような気がした。



(ディノが引き受けた傘が暗器だったのなら、それは誰かを害する為に作られた、或いは紛れ込まされたものなのだと思う。ディノの視線の運び方を見ていると、……………標的は多分、エーダリア様なのではないかしら…………)



ガーウィンの情報を求めて、ダリルは、この傘と交流のあったアレクシスに、回収を頼んだ。

アレクシスが了承したのは、エーダリアを害する者達が、この傘を狙っていると知ったからのような気がする。



(傘さんが封印庫で見付けたよくない傘は、偶然なのかしら。それとも、その情報も掴んでいて、特定の為に封印庫に入れたのかもしれない………)



ネア如きでは、聡明なダリルの手の全て読みきることは出来ないだろう。


けれど、分かる範囲で頭の中で推理を組み立てると、それだけでむかむかしてしまい、首謀者は絶対に滅ぼそうと心に誓う。

ネアがこちらに来てからもエーダリアを狙う動きなどは皆無ではなかったが、ネアの大切なものを狙うなど愚かにも程がある。



家族を奪われるだなんてことを、もう二度と許す筈もないのに。




「ふうん。君に最初に接触した奴らは、エーダリアを狙っていた訳か。その上で、ロクマリアの闇傘が手に入らないと分ったことで、別の傘に切り替えたのかな。傘祭りを舞台にしようとしたのは、……………まぁ、あの様子だから、暗器を混ぜてもいいと思ったのかな……………」



そう呟いたノアの表情も冷え冷えとしていたが、対するヒルドの辛辣さには及ばなかった。


「浅慮としか言えませんね。あれ程に人々が入り乱れる祝祭がありながらなぜ、その日に暗殺された王族がいないのかを、彼等は一度も考えてみなかったようだ」

「で、あろうな。あの水色の傘が眠っている間に、私の近くで他の傘達がひそひそと話しておった。我らのウィームの領主に何かをするようであれば、あんな脆弱な傘など皆で囲んで骨を折ってしまおうと」

「………………まぁ。傘さん達が………………」



傘達にも郷土愛があるらしいと知り、ネアは目を瞬いた。


傘祭りには荒ぶる傘に刺されてしまう領民も多く、毎年かなりの怪我人が出る。

とは言えそれは真っ向勝負だからこそ起こる事故であり、ウィームで愛用された傘達はやはり、大事な領主の暗殺などは許さないらしい。


胸の奥がもやもやするような事実を知らされた後のその話に、何だか嬉しくなってエーダリアの方を見ると、当人は、暗殺の動きがあることを不愉快がればいいものか、傘達の忠義に喜べばいいものか分らず、途方に暮れたような顔をしている。


だからネアは、あえて朗らかに話しかけてみた。



「エーダリア様、いい傘さん達ですね!ウィームは、傘さんまでがエーダリア様を大好きだなんて」



そう言えば、こちらを見たエーダリアは、ネアが伝えたかったことをしっかりと受け止めてくれたようだ。


ふっと瞠った鳶色の瞳に、微かな安堵にも似た柔らかさが戻る。



「……………ああ、…………ああ。私はそちらをこそ喜ぶべきなのだな。害を為す者達の影など、今更ではないか」

「おっと、エーダリアは僕と契約してるから、初めてじゃないからと言って、僕は許さないよ。あの傘を封印庫に紛れ込ませるだけのことはしたんだ。相応の報いは受けて貰わないとね」

「ノアベルト……………」



思わずその名前を呼んでしまったエーダリアに、クラ・ノイはぎょっとしたように後ずさりしている。

先程から、これは誰だろうという目で油断なく観察していた謎の白持ちの魔物が、塩の魔物であることに気付いてしまったのだ。



「……………成程、噂に聞くウィームの潤沢さよ」



小さくそう呟き、疲れたように頭を振っているクラ・ノイに、ネアは不思議な気持ちでその姿を見ていた。


視線に気付いたのかこちらを見た銀色の瞳には確かな力があって、今もこの竜がしっかりとここにいるという感じがしてしまう。

けれども、実際には一本の婦人傘になってしまっており、傘骨に使われている骨だけが、残された最後の一欠片なのだという。



「…………何だ、見惚れておったか」

「こんなに立派な竜さんなのに、ちょっと大人可愛い女性用の綺麗な婦人傘なのですね」

「やめぬか……………」


ネアの素朴な感想に、なぜかクラ・ノイは渋面になる。


「お前のような小娘に、私が昇華出来るのか甚だ疑問だ。どうせであれば、アレクシスであれば良かったが、あれにはもう爪と牙を与えてしまったからな」

「……………先程のお話からすると、武装解除的な意味ではなく、実際に爪や牙を差し上げてしまったのですか?」

「研鑽を重ねている魔術の分野があり、そこで使うのだという。星闇の竜を探していたと言っておったし、あれは愉快な男であったから、特別だ」



何だか楽しい思い出を振り返るようにしてそう言うので、ネアは途方に暮れて仲間達を振り返った。

けれども先程まで頼もしかった筈の仲間達は、なぜかさっと目を逸らしてしまい、誰とも目が合わなくなってしまう。



「ふぐ、………………」


孤独な戦場に残され、残酷な真実を告げるべきかどうか悩んだネアは、一人だけ目を逸らさずにいてくれたアルテアの袖を指先で掴む。


アレクシスが手に入れたこのクラ・ノイの欠片が、何に使われるのかは想像に難くない。

ディノが言うように、アレクシスにも彼なりの目的があり、双方の利害が一致した為に手を貸してくれたようだ。



ネアの救援信号に、アルテアはなぜか愉快そうに艶やかで仄暗い微笑みを深めた。



「いい事を一つ教えてやる。あの人間は、スープの魔術師だ」

「………………アルテア?」

「………………アルテアさんは、ずばっと言ってしまう派でした…………」

「言ってしまうのだね……………」

「スープの、魔術師……………?確かにあの人間の振る舞ったスープは美味であった。だが、それが何だと言うのだ。………………まさか」



愕然とした目でこちらを見る星闇の竜の賢者に、ネアは堪らずにさっと目を逸らした。

愉快な人間だと気を許して渡した爪や牙が、きっとスープのお出汁にされてしまっているだろうとは、悲しくて到底口に出来るものではない。



「……………まさか、スープに?……………ま、まさかな……………」

「黙秘権を行使します!」

「答えぬか!そなたは、私を昇華させるのだろう。責任を持て!」

「………………む、むぐぐぐ、……………スープになってしまったのかと……………」



必死の形相で詰め寄られ、ネアは耐え切れずに認めてしまった。

それを聞き、かつては大国を脅かしたという竜はがくりと崩れ落ち、うわ言のようにスープにと呟いている。



ネアはこの際なので、状況を最大限に活用するべく、その絶望に合わせた提案をしてみた。



「………………アレクシスさんは今は旅に出ていますが、帰ってきてしまうと、また傘さんに会いに来るかもしれません。もうすぐ傘祭りですので、早めに昇華された方が安全かもしれませんね…………」

「………………二度もスープなどにされては堪らぬ。傘祭りの日は、早々に昇華するぞ」

「はい。その心意気です!私もお手伝いしますし、当日、綺麗なウィームの街をお散歩する余裕はあると思います。良いお祭りにしましょうね」



攻め時かもしれないと言い重ねたネアに、クラ・ノイはこくりと頷く。



(落ちた!)



エーダリア達の方を振り返って拳を握って見せると、慌てたエーダリアから、ふるふると首を振られた。




さあっと、記憶の欠片のその中を、星が流れてゆく。

夜色の髪を持つ竜の服裾が、記憶の欠片だという不思議な空間の中を渡る風に揺れる。



相変わらず、ネアはこの傘がどれだけのことをしたのかを知らないし、生前から知り合いの様子のアルテアとクラ・ノイに何があったのかも分らない。



(それでもこんな風に会話が出来るのだから、何て不思議な世界なのだろう……………)



クラ・ノイは賢者の銘を持つ竜であるので、その魂の最後の欠片も昇華されれば、やがて、賢者としての知恵を継ぐ子供が、一族に生まれるのかもしれない。





ネアがそんな感慨に囚われている間に、かつての竜の賢者は、幸いにも心を立て直してくれたものか、またディノ達とあれこれ話をしているようだ。

そこには傘だからこそ知り得た傘達の内緒話なども含まれているので、思わぬところで手に入れた情報に、エーダリアはこんな風に知り得るものもあるのだなと驚いている。



そして最後に、クラ・ノイはネアに向き直った。



お別れではないのだが、こんな風に話をするのはもう最後かも知れないと思うと、このような人がいたのだとしっかり覚えておこうと思い、ネアはその銀貨の瞳を見上げる。



「最後に一つ、そなたには伝えておこう。お前達の側で今回の出会いを画策した妖精とやらの思惑とは違い、私はあまり教会に居た頃のことは覚えておらぬのだ。……………だが、一人だけ、忘れようとも忘れられぬ悍ましい者がいた。………………名前は知らぬし、一介の、それも下位の聖職者のように振る舞っていたが、あれは久しく見ない程に邪悪な人間だ」

「………………どのような方だったのですか?」

「名は知らぬ。そこの人間のような銀糸の髪を持ち、眼鏡をかけた冴えない長身の男だ。瞳の色は儚い青であったかもしれないし、淡い青紫であったかもしれぬ。……………そなたであれば恐らく、あれが普通の人間ではないと気付くだろう。冴えない容貌に見えるが、身に纏う空気でなぜか酷く美しい男だと感じる。であればまず間違いなく、力を持つ生き物が擬態しているに違いない。……………教会というのは特殊な魔術の場だ。信仰で呼び落とされ、或いは磨き上げられた者が、本来にはない力を持つこともしばしば起こる。もし会うことがあれば、用心するといい」

「……………教えていただいた情報を忘れず、しっかり注意するようにしますね」



思っていたよりもしっかりとした忠告をくれたクラ・ノイに、ネアはきちんとお礼を言っておいた。


そうすると、長きを生き、様々な経緯を経て傘になってしまった星闇の竜は、淡く微笑んで頷いてくれる。




「ふむ。可動域は低過ぎるが、悪くはない。賢い子供だ」

「私は子供ではな…」

「…………もう充分だな」

「むが?!なぜに持ち上げられたのだ。解放して下さい!!むぐるるる!」



その直後、なぜかネアはアルテアの小脇に抱えられてしまい、すぐさまクラ・ノイから引き剥がされると、空間の繋ぎを解く魔術の風にもみくちゃにされ、気付けば元のリーエンベルクの広間に立っていた。



とても雑に持ち帰られた人間は、唸り声を上げて精一杯アルテアを威嚇していたが、最後の瞬間になぜアルテアが帰りを急いだのか、少しだけ分ってしまったような気がする。



(クラ・ノイさんの足元に落ちていた影が、…………)



あの時、持ち上げられ視線の向きが変わったことで、ネアは、初めてクラ・ノイの影を見た。


そこにあったのは、竜の形でも傘の形でもない、巨大で得体の知れない何かの影。


何となくだが、それが祟りものの後に呪具になってしまった彼の、今の姿なのかもしれないとネアは思う。

或いは、そのような姿の祟りものになってしまったからこそ、彼はウィリアムに討伐されたのかもしれない。



「ネアが持っていかれた…………」

「むぐ、ディノがしょんぼりしてしまうので、解放して下さい」

「まったくだな。呑気に懐きやがって……………」

「きちんとご挨拶をしただけではないですか。なぜあれを懐いたの範疇にされてしまうのか、深い謎に包まれております…………」

「そう言えば、ウィリアムだけではなく、アルテアも、クラ・ノイとは相性が悪かったね…………」

「……………傘になってせいせいしたと思っていたが、またあの姿を見ることになるとはな………。当日は、さっさと昇華しろよ」

「むぐぅ……………」




後日、アルテアと星闇の竜の賢者の因縁について、ノアが教えてくれた。


どうやらアルテアは、クラ・ノイの治めていた土地の資源に手を出そうとして、手痛い反撃を受けたことがあったらしい。


アルテアがそのような形で損失を出すこと自体が珍しく、奪われたものを取り戻す前にクラ・ノイが祟りものになってしまい、その遺骨を呪物にすることで何とか溜飲を下げていたようだ。



なお、エーダリアが狙われているという問題については、ダリルが早々に情報収集と対策を行っていたようだ。


遺跡に呪いの傘を取りに来た者達は特定されたが、既にその者達は、昨年の内にヒルドとノアが壊滅させてしまった後だったようだ。


彼等の毒の一滴として残された暗器の傘については、クラ・ノイの傘では、却って力を与えてしまいそうなので壊すことは出来ないらしく、ディノが、エーダリアには害を為せないような魔術の網をかけて上手に管理してくれるらしい。



ネアの予測だと、他の傘達が早々に壊してしまう気がしてならない。

エーダリアの支持者達は、例え傘であっても、エーダリアの問題になるとなかなかに過激なのではないだろうか。




(眼鏡をかけた、銀色の髪の聖職者……………か、)




その忠告が少しだけ気になったが、まずは傘祭りだ。



ネアはその日を控え、嫌がるエーダリアに、たっぷりきりん符を持たせておいた。














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