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53. 粉々にしたのは正当防衛です(本編) 




ネアがリーエンベルクに帰ると、まずヒルドにしっかりと抱き締められた。



「申し訳ありません。……………私のせいで、ネア様を危険な目に遭わせてしまいました」



しっかり抱き締められた腕の中で、そう詫びたヒルドの声は苦し気だ。

だからネアは、そのきつく抱き締められた腕の中でむぐぐっと伸び上がり、ヒルドの瑠璃色の瞳をしっかりと覗き込む。



ヒルドの持ち込んだ縁で巻き込まれたのだとしても、そんな事よりもこの美しい妖精が当たり前のように共に暮らす家族でいてくれて、こうして無事でいてくれる事に勝る安堵があるだろうか。


ネアはそんな風に考えてしまうのだが、前置き上、さすがにそこまで明け透けには言えないのが難しいところだ。




「確かにヒルドさんをご存知の方が犯人ではありましたが、ヒルドさんの所為だとは思いません。こういうものはやはり、降りかかってきた災難こそが悪いのですから、どうか、理由を追及する以上の責任は感じてしまわないで下さいね……」

「ネア様。………とは言え、デジレが私に縁のある者を狙ったのは間違いありません。今回の一件は、しっかり…」



(あ、………………)



奥に立ったエーダリアが、途方に暮れたような目をしている。


ヒルドをと望み伸ばされた腕である事が事実ならば、誠実なウィームの領主は、こんな時に、ヒルドを責めないでやってくれとは言えないのだ。


だからネアはそちらに向かって任せ給えの目配せをして、単身でタジクーシャに乗り込んで宝石妖精を絶滅させてしまいかねないヒルドに向かって、へにょりと眉を下げた。




「その場合、………まんまと捕まってしまった私と、き…」



ぴしりと、空気が凍りつく。


ネアは、その場にアルテアがいることに気付き、決して視線を揺らさないようにヒルドだけを真っ直ぐに見たまま、言いかけた言葉を飲み込んだ。


それは、この場にいる全員が只ならぬ緊迫感に包まれ、銀狐が塩の魔物であることを知らないアルテアを交え、どう会話を進めるのかを、誰しもが必死に考えた一瞬だろう。



実は、アルテアにどう説明すればいいのか分からなくなったディノより、今回、ネアがノアが擬態した何かと一緒にタジクーシャに落とされた事までは、選択の魔物にも共有されている。


だが、まだ全員での密談の場を設けられておらず、どのような話で進めるのか、或いは、もう諦めてそろそろ告白してしまうのかの結論は出していなかったのだ。



(ど、どうすれば…………!)



全員が無言になったが、ネアは、背後に立っているノアが、ぎゅっと肩を掴んだのを感じた。



どうやら、まだ真実を打ち明けるのは早いようだ。




「……………なんだ」

「……………ノアを、銀色ちびふわにしたと知ったら、元祖ちびふわなアルテアさんは荒ぶりますか?」

「なんでだよ。シルハーンの説明だと曖昧過ぎたが、あの獣にしたのか…………。お前はいい加減控えろ」

「むぐ、むぐぐ…………で、では、安心してお話を続けられます」



(私の不注意で事故が悪化したみたいになった…………!)



たいへん不本意だが、ここは兄の為に罪を背負うしかなさそうだ。

ネアは無実の罪に口を噤み、こくりと頷いた。


あまりにも危うい綱渡りが行われた事で、ヒルドは、自責の念に駆られるより、この状況を無事に乗り越えられたことへの安堵が勝ったらしい。


ほっとしたように息を吐いているヒルドに、ネアは共に死線を潜り抜けた戦友の気持ちで微笑みかけた。


幸い、思わぬところでヒルドの気が逸れたが、ここは手を緩めずに、不必要な罪悪感など引っこ抜いて捨ててしまおう。



「そんな銀色ちびふわこと、ちょっぴり狐さん風な銀ふわノアと私も、まんまとあの妖精さんに攫われてしまいました。つまり、ヒルドさんが責任を感じてしまうと、玉突きで私やノアもしょぼくれてしまうので、どうか気にしないでくれると嬉しいのです………」



そう告げたネアに同意したのは、義妹が宝石妖精を一撃で粉々にしたショックから、漸く立ち直ったばかりのノアだ。


銀狐の正体が明かされる危機でもあったとあらためて気付いたのか、顔色はあまり回復していない。



「そうだよ、ヒルド。僕に至ってはさ、ネアの肩の上にいたのに、………ええと、銀……ふわ状態が解けないままだったんだ。無力さを恥じる上では、この上ない失態だと思わないかい?」

「確かにその点に於いては、もう少し短い時間で、強制的に擬態を解けるようにしておいた方が良さそうですね」

「…………ありゃ、甘やかしてくれないぞ………」

「ですが、あなたがいてくれたからこそ、ネア様が一人にならずに済みました。感謝の言葉もありません」

「そりゃ僕は、ネアのお兄ちゃんだからさ。それに、君の友人でもあるんだ。…………え、何で驚いてるの?!友達だよね?…………えっ?!僕達すごく友達だよね?!違うの?!」



ヒルドの方としては、まさかここでそんな言い方をされると思わずにいたので驚いてしまったようだが、ノアは、目を瞠ったヒルドの表情を見て何か誤解したものか、すっかり動転してしまう。


取り縋ったノアにヒルドはますます何も言えなくなったのか、しどろもどろで口元をもぞもぞさせていた。



「ふむ。ヒルドさんとノアは仲良しですよね。エーダリア様も合わせて時々三人でお出かけしてしまうくらいの仲良しです」



ネアにそう言われてしまった三人は、巻き込まれたエーダリアも含め何とも言えない雰囲気になってしまったので、まずは会食堂に移動し、みんなでタジクーシャ報告会を行うことになった。



ウィームの時刻は晩餐の時間には遅めというくらいで、美しい森の様子や月光のヴェールの色合いは、同じ大きな木々と月光であっても、やはりタジクーシャのものとはだいぶ違う。


この季節でも土地から失われない雪やあの冬の美しさの気配の何かが、ウィームをどこまでも清廉に磨き上げている。




「ウィームです………」



万感の思いでネアがそう呟けば、そんな伴侶にしっかりと三つ編みを握らせたディノが、そっと頭を撫でてくれる。


こんな時だが、ネアはまだその手つきが、昨晩頭を撫でてくれたアレクシスよりも控えめであることに気付いてしまい、こちらを心配そうに見つめている水紺色の瞳の魔物をじっと見上げた。


すると、ディノは心配そうな眼差しから一転、目元を染めてもじもじし始める。



「……………かわいい」

「なぬ。またしても抵抗力が落ちてしまうのは何なのだ……………」

「動いてる……………」

「いいですか?ご主人様は、元から動く仕様ですからね。………むぐ?!」



無断でひょいと持ち上げられ、一瞬本能的に怒り狂いかけてから、ネアはすとんと落ち着いた。

事前に断りなく持ち上げたのは、この魔物がとても怯えていた証だろう。



(でも今回は、私が落ち込んでしまっていたから、ずっとディノは慰めてくれていたのだわ………………)



隣を歩く伴侶の三つ編みのリボンは、ネアが結んでやれなかったからか縦結びになってしまっている。

攫われたあの日、ディノはちょうどお風呂に入っていたのだが、その事で大好きな入浴を怖がるようになったらどうしてくれよう。




そんな事を考えながら会食堂に入ったネアは、ディノに床に下ろして貰った直後、テーブルの上に広がった地上の楽園を見付けてしまった。


あまりの眩さに、ぼさりと床に倒れて危うく春告げの舞踏会の祝福を一つ減らすところだったが、何とか堪えその名前を呼んだ。




「……………グラタン樣?」



そろりと振り返ってアルテアを見上げると、呆れたような表情を作りながらも、どこか気遣わしげな赤紫色の瞳がこちらを見る。


あちこちをしっかりと検分する眼差しでどこも損なっていない事を確認すれば、ほんの少しだけ息を吐いたようだ。



「カードから注文をつけられたからな」

「……………おかずパイもあります!…………あ、あれは、葡萄ゼリー?……………ほわ、お祝いの時用の、リーエンベルクの分厚いローストビーフ様まで!!」



ネアが感極まって弾むと、振り返ったエーダリアが淡く微笑む。



「タジクーシャでは、殆ど食事が出来なかったのだろう?それを聞いた料理人達が、すっかり張り切ってしまってな。それと、つい先程までは、グラストとゼノーシュもいたのだ。二人ともお前を案じていた」

「…………はい。なぜでしょう、美味しい匂いのあまりに涙がこぼれそうです…………」



やはりタジクーシャで困窮した事は、ネアに大きな精神的な負荷を与えたようだ。


幸せのあまりに震えてしまうネアは、微笑みの形を崩さないまま、その表情の影ですっと眼差しを暗くしたヒルドに気付き、その腕をさっと掴んだ。



「ネア様……………?」

「美味しいご飯が食べられて、こうして、大事な家族のヒルドさんが、どこにも連れて行かれていません。やはりここが私のお家なのです」



姑息な人間がすかさずそう言えば、ヒルドは僅かに瞳を瞠る。

ゆっくりと持ち上がった羽にざあっと光が流れ、ネアはその美しさに唇の端を持ち上げた。



(あまり使わない言葉を、少しだけ背伸びして切り出した…………)



その気恥ずかしさと、不相応ではなかろうかという馬鹿馬鹿しい限りの僅かな不安と。

でも、妖精はそういうものを好むのだ。

だからこそ、代理妖精達は、その主人に仕え時には命すら捧げてくれる。



「………では、これからもネア様のお側にいないといけませんね」

「はい!ヒルドさんが攫われてしまったら、私だけでなく、エーダリア様やノアもくしゃくしゃになってしまいますから。…………そうですよね?」

「えっ?!…………う、うん。僕よりエーダリアが大変な事になるだろうけど、僕も困るかな」

「当然ではないか。ヒルドはもう私にとっては家族のようなものなのだ。…………ノアベルト?…………そ、そうだな。お前ももうそのような存在で…」

「わーお。エーダリアが虐待するんだけど………」

「ノアベルトも虐待されてしまうのだね…………」

「どうしましょう。収拾がつかなくなりました………」

「やめろ。こっちを見るな」



とは言え、このやり取りでヒルドが少しでも強張りを解いてくれたのなら、これからの報告もし易くなる。


いそいそとテーブルにつけば、保温の魔術のお陰かまだ表面のチーズがくつくつとしているグラタンがすぐ近くにある事に、ネアはまたご機嫌度を上げた。


ずっとチーズの香ばしくていい匂いがするし、真っ先に取り分けられるからだ。



「む…………。そんな私のグラタンを奪う者が現れました」

「取り分けてやってるんだろうが。………っ、お前は弾み過ぎだ」

「まぁ、弾まずして、どうやってグラタン様への思いを示すのですか…………?」

「ネアが可愛い…………」

「ディノ、見てください!ざっくり切り分けて、お皿に私のグラタンを移設して貰いました!断層を調査したところ、ミートソースの入ったポテトグラタンという私の大好物の一つであるようです」

「うん。君の好きなものを作ってきてくれたのだろう」



アルテアはネアのグラタンを取り分けると椅子に座ったので、まずはご主人様のものだけを取り分け、後はお好きにどうぞの仕組みにしたらしい。



ネアの大好きなおかずパイは、一人一皿の贅沢さだ。


藍色の絵付けのある白いお皿の上には、小さな円形の黄金色のパイが鎮座している。

そこに、とろりとクリームシチューのようなものをかけていただくのだが、既にあつあつのシチューが注がれており、いただきますの言葉と共に多くの者が真っ先にこの美味しいお皿に着手した。




ネアは沢山食べた。


ノアも珍しく食べているような気がするので、やはり銀狐も腹ぺこだったに違いない。



食事の合間に今回のタジクーシャでの事を話し、美味しそうな屋台の食べ物に未練などないと自分に言い聞かせながら、お皿の上のパイを崩してシチューと一緒に頬張る。




「……………そうか。そのタジクーシャの妖精王は、お前を保護したという前提なのだな?」

「はい。だからこそ魔術の契約に触れなかったのだと仰っていました。…………むぐ!これは、私の密かな好物のオリーブ詰め様!」

「僕もさぁ、とは言えネアを攫ったんだから無理があるでしょって思うんだけど、契約魔術が動いていないのは確かなんだよね。ってことは、あいつが手を打たないとかなり厄介な事になったっていう逆算の証明にもなるってことなんだ」



こうして、みんなで遅い晩餐をいただきながら、事件の話をするのがネアは大好きだ。


今回だって、ネアの帰宅は遅い時間だったのに、エーダリアもヒルドも、当たり前のように待っていてくれた。


グラストとゼノーシュも、もし早く帰れるようならと待っていてくれたらしいが、この二人は現在、リーエンベルクを訪れた宝石妖精達が、どのような経路でここを訪れたのかを調査している。


宝石妖精にも様々な資質があるが、リーエンベルクを訪れたスフェンという妖精の資質は、夜にこそ探しやすいものなのだそうだ。


よって、夜間にその調査をしているグラスト達は、ネアがリーエンベルクに戻る少し前に仕事に出なければならなかった。

なお、今回は妖精の探索調査なので、エドモンも一緒に動いているらしい。



(ここが、私の今の家で、この人たちが私の新しい家族なのだわ……………)



タジクーシャで蘇ったかつての暮らしの翳りは、こんな贅沢を知ってしまった後で触れると、思っていた以上に恐ろしいものだった。



だからこそ、やはりここなのだと思い胸がほこほこする。

もうここが、ネアにとっての帰るべき場所になったのだと。



「確かにあの副官はかなりの切れ者だろうな。タジクーシャの政治は、信仰と恐怖による治世に近いが、そうなってくると王は象徴でもある。どれだけ王が聡明でも、象徴である王として、敢えて手を出さない政治的な議論も多い」

「成る程ね。それを引き受けているのが、スフェンって男な訳かぁ」

「副官とされているが、宰相や軍師に近い立場だな」



その説明を聞き、ネアは少しだけ不思議に思った。


王の補佐で実質第二席の人物が副官という肩書きであるのならば、タジクーシャは王制というよりも軍事政権に近いのだろうか。



「…………何というか、肩書きが複雑なのですね………」

「タジクーシャの治世は、治める王によって、その統治の仕方が変わるのが常です。王となる宝石妖精がどのような文化圏で育まれた宝石なのかによって、王であったり皇帝であったりと様々なのだとか。…………妖精王の責務を契約者が背負うという理は初めて知りましたが、宝石狩りの際の裁定者として、私の一族の王族が招かれていたのは知っていました」



それを知り得ているからこそ語る度に、自分の領域の問題なのだと噛み締めざるを得ないのだろう。

ヒルドの眼差しには、微かに翳りが見える。


それは遠い過去に喪った一族を見たからか、やはりまだ、自分の存在が引き金になったと自分を責めているからだろうか。



「僕もそんな契約の理があるのは知らなかったくらいだから、ヒルドが知らなくても当然なんじゃない?そもそも、妖精王が人間に膝を折る事自体珍しいし、その上で自分の責務を果たせずに契約者にそれを委ねるっていうのも、かなり珍しい事例だよね?」

「ええ。それはそうでしょう。庇護する為の契約を結んでおきながら、自身の責務を背負わせる訳ですから、妖精の気質としては倦厭されるべき事態です」



そんな稀有な契約を、タジクーシャの妖精王が知っていたという事が、まず最初の驚きだったようだ。


ネアは、誰しもが知っている事かのように言われていたその決まりごとが、当人であるヒルドも知らなかったどころか、ノアですら知らなかったものだとは思わなかった。



「アルテアさんは、ご存知だったのですね………」

「それを逆手に取って、国落としで使われる事もあるからな。だからこそ、あまり表には出されない義務の内の一つだ。その顛末に立ち会った事があるウィリアムあたりも、恐らく知ってはいるだろう。かつてのウィームであれば、王家にその知見が残されていた可能性はあるが、王家の記録は殆ど焚書に出されていたからな」

「……………そうかもしれないな。私の母は、ディートリンデと契約をする筈であったと聞いている。であれば、あの戦乱がなければ、ディートリンデとそのような話もしただろう」



(………ヒルドさんの一族は、そのような形で人間と関わってこなかったから、ヒルドさんはその決まりごとを知らなかったのかもしれない………)



以前、ヒルド達の一族が暮らした深い森の近くには人間の国もあり、その国の王子や王女がヒルド達の国を訪れた事があるという話を聞いた。


けれども、ヒルドの親族の誰かが人間と特定の契約を結んだという話は聞かなかったので、互いの領域を分けて暮らしていたのだろう。


ふむふむと頷きながら、ネアがフォークでさくりと刺したのは、茹でて山積みにしただけのアスパラだ。

そんな柔らかなアスパラに合わせるのは、ピリ辛のタルタルソースのようなもので、この素朴な組み合わせが意外に癖になる。


市場での疫病の竜の事件も無事に収束し、今ではまたウィームの市場には新鮮な食品が集まるようになったそうだ。

そしてまた、こうしてリーエンベルクにも新鮮な野菜が届くようになった。




「…………今回の材料でリーエンベルクを狙うなら、アルテアだったらどう使う?」

「疫病の竜で市場を荒らし、仲間内でその企てをした者がいるかと、謝罪と調査協力を兼ねてリーエンベルクに誰かを送り込む。となれば、こちらと足並みを揃え同じ議題を囲む事が目的か、侵食魔術で内側に忍び込むのが目的か……………」



そう呟き、グラスを傾けたアルテアは顔を顰めたままだ。

如何せん、今回は宝石妖精側の目的が未だ不透明である。


デジレの思惑と執着の中心にはヒルドがいるが、ここを訪れたスフェンという妖精の目的は判明していない。


何しろ、デジレを陥れたいのか、デジレを喜ばせたいのかによって、その目的と必要な材料が大きく変わってきてしまうのだが、今のところのネア達の立ち位置は、巻き込まれ多大な迷惑を被ったという程度のものに過ぎないのだ。




「……………だからこそ、デジレさんは今回のような回りくどいやり方を取る必要があったのでしょうか?」

「…………そうかもしれない。リーエンベルクを訪れた妖精は六枚羽だった。人間に対し、謝罪の為の訪問だと嘯く事の出来る高位の妖精はとても珍しい。………確かに、君があの妖精に攫われていなければ、私達は来訪者をそこまで警戒しなかったかもしれないね…………」



ディノはそう言いはしたものの、当然ながらあまり愉快そうには見えない。

だから構わないというものではないのだから当然だろう。



「そっか。品物だった宝石から派生した妖精だからこそ、それが出来るんだろうね…………。となると、他にもタジクーシャの妖精の特性を押さえておいた方がいいのかな。わーお、ちょっと面倒そうだぞ………」



低く唸ったノアの言葉に、ネアはそういう事もあるのだと、新しい学びを得ていた。



(妖精さんの気質であれば忌避するような屈辱的な事であっても、派生するまでは人間にも所持される宝飾品だった宝石妖精さん達なら出来てしまうのだわ…………)



となるとやはり、デジレは自身の置かれた状況をこれ以上なく的確に説明はしていたのだろう。



(まだ、捕まえられる程には形を結んでいない悪意があることを証明する為に、敢えて王自ら動いた…………)



疑いをかけている副官と直接対峙する事なく、我が儘に振る舞っただけのように見せてそちらの思惑を潰し、尚且つ前王派すら引き摺り出してみせた。



「そう考えると、王としての評価も下げる事なく、誓約にも触れないようにしている。その男が巻き込もうとしているのがヒルドでなければ、なかなかの御仁だと言いたいくらいなのだが、底が知れないという不安も残る一件だな」

「…………ええ。妖精達が力をつける夏至祭までには、ある程度の見通しをつけたいところですね……………」



そう考え込んだエーダリアとヒルドに、ネアは頭の中で今回の戦略立案に向いてそうな人物を二人ほど擁立してみた。


完全にネアの持つ印象だけで決めているが、そう間違ってもいない気がする。



「何となくですが、デジレさんの思考を追えるのは、ダリルさんやアイザックさんが向いていそうだと思うのです」

「…………ありゃ。確かに悪くないかも」

「あくまでも、私が話をしていたデジレさんの印象から考えた相性ですし、アルテアさんも同じ棚には入っていそうなのですが、その中の何かの要素が、アイザックさんやダリルさんに向いている気がしました。お二人にご相談出来れば、他にも裏がないかどうか新しい意見が貰えるかもしれませんね」



ネアがそう言えば、共にデジレに対面していたノアが頷いてくれる。



「欲も動かすし享楽的だけど、少しだけ狂ってもいて、冷徹なくらいに傍観者でもある。うん。ネアの言う通り、アルテアに比べると少し平坦なんだよね。…………それに、タジクーシャの妖精達の本質って、やっぱり商人であり高価希少な品物だからさ。………ってことは、ダリルの方が向いてるけど、妖精よりは魔物にも近しい気質があるからアイザックもかなりいいのかぁ。…………エーダリア、市場の問題から巻き込んで、アイザックと交渉出来るかどうか、ダリルを交えて会議をした方がいいかもしれないね」



そう提案されたエーダリアは、早急に手配しようとしっかりと頷いた。


今回の一件では、アイザックも他人事ではない部分がある。

今後も引き続きタジクーシャの妖精達から接触があるかどうかは分からないが、アイザックがこの問題を自分事としている内に巻き込んでおいた方がいいのだろう。



「ただ、……………その、………デジレさんの、ヒルドさんへの執着については、極めて個人的な甘やかな想いもあるようですので、その辺りは予測不可能な感じがします」



ネアがそう付け加えた途端、リーエンベルクの会食堂はしんと静まり返った。



「い、いや、……………まさかな。そのような方向に読むのは、お前の悪い癖だぞ?」

「まぁ!偏見がないので視野が広いのだと言って下さいね。それに、選定者として呼びたいというのは建前でという会話の流れから、ではお友達として向き合いたいのかなと思ったのに、そんなものでは足りないと仰っていましたので…………」

「わーお……………言ってたね………」

「……………ネア様、………ある程度、織りの深い執着があったとしても、それは私しか残っていない上位種族への思慕だと思いますよ」

「むむ、そうでしょうか。幼い頃に共に語り合った思い出をとても大切にされているようでしたので、恋ではなくても拗らせた友情くらいの執着は抱えていらっしゃると思いますよ?」

「デジレが、…………そう言ったのですか?」



ネアが何気なく出したその言葉に、ヒルドは思いがけない反応を示した。


あまりにも驚いているので何故だろうと首を傾げたネアに、片手で口元を覆い、ヒルドは考え込む様子を見せる。



「ヒルド…………何かあったのか?」

「……………今回の件で、エーダリア様にもディノ様方にもお話したように、私はデジレという宝石妖精の事を殆ど知りません」

「ああ。そう話していたな…………」

「…………私がタジクーシャを訪れたのは、父が選定者としてタジクーシャを訪れた際に同行した時の一度きりです。一月の滞在で、ドレドとは同じ王子として語らい友になりましたが、市井から召し上げられたばかりのデジレは、大広間で顔合わせの際に遠目で姿を見かけたばかりで、言葉すら交わしていない筈です」



ヒルドの印象では、市井から王宮に連れてこられたばかりのデジレは、獰猛で野心家な、けれどもまだ幼い少年という印象だったという。


大人同士であれば、宴席などで知らずに言葉を交わしていても不思議はないが、当時のヒルドはまだ少年であったし、デジレは更に幼かった。


見た目で言うなら、シチュー屋の髪食いの女児くらいですよと言われ、ネアはちびころデジレが想像出来ずに固まってしまったくらいだった。



「おや、とすれば、もしかするとタジクーシャの現王は、ヒルドの友人である妖精なのではないかい?宝石妖精には、巧妙な擬態魔術がある。偽物を本物に見せるという事に於いては、彼等ほどに長けている者もいないだろう」

「……………ドレドが、………………」



そう呟くと、ヒルドは珍しく頭を抱えてしまった。



ネアもすっかり混乱してしまい、ひとまずは、アルテアから四度目のグラタン補給を受け、はふはふしながら頬張り、何度お口に入れても変わらぬ感動に打ち震える。

ローストビーフは三切れ目だが、こちらも堪らない美味しさで、ローストビーフとグラタンの組み合わせの妙に、ネアは新しい世界が開かれるのを見た。



「……………まぁ、一応向こうは落ち着いたみたいな感じだったし、自浄作用にも期待しつつ、それはおいおい探ってゆけばいいんじゃないかな。アレクシスも、あの妖精とは知り合いだったみたいだしね」

「………そうだな。タジクーシャの門が閉まるまでは引き続き注視してゆくとして、ここから先は、ダリルとも話をしながら方針を定めてゆこう。その際に、アレクシスにも同席して貰い話を聞けるといいのだが…………」



(デジレさんが、…………ヒルドさんのお友達だったのかもしれない……………?)



グラタンを頬張ったまま、ネアはその可能性を知らされとても慄いていた。


そんな事を知りもしないまま、危うく、デジレをハンマーで狩っていたのかもしれないのだ。

一族を滅ぼされたヒルドにとって、かつての友人というものがどれだけ大切なのかを考えると、この手でそれを奪いかねなかった事に戦慄してしまう。




「ネア…………?」

「ほゎ……………。危うくヒルドさんのお友達かもしれない方を、ハンマーでがしゃんと粉々にしてしまうところでした…………」

「ご主人様……………」

「おい、いい加減人型の妖精にハンマーを振り下ろす前提なのをやめろ。…………ノアベルト?」



呆れ顔でアルテアがネアにそう言い含めた瞬間、ノアの体がぐらりと揺れた。

その様子に眉を寄せ、ゆっくりとアルテアがこちらを振り返る。



「…………まさか、ハンマーを使ったのか?」

「むむ、そうでした。粉々にした宝石妖精さんをお土産に持って帰って来たのです。今回はたいへんな出費でしたので、そやつめを売り払って……………ディノ?」



ここからはお土産の話にしようぞと意気込んだネアが誇らしげにその話をすると、なぜか伴侶な魔物と義兄の魔物は、部屋の隅のカーテンの影に避難してしまうではないか。


愕然とした面持ちでこちらを見ているエーダリアに、グラスを持ち上げたままの姿勢で固まったヒルド。



「……………悪い奴めが襲って来たので、アレクシスさんが特製スープをかけて宝石に戻してしまったのです。宝石への戻り方が甘く、まだ動く奴めがいたのでハンマーでがしゃんと………………」

「………………お前の場合、竜はけだもの扱いだが、妖精は人型だろうが…………」

「しかし、派生元は宝石で生まれた品物そのものの形にも戻れると伺いましたので、本体は宝石なのでは…………」



なぜかアルテアまで無言で首を横に振るので、ネアは、仲間達に、アレクシスはその宝石妖精でスープを作ることも話してみたのだが、皆の顔色は悪くなる一方だ。



「せいとうぼうえいです」

「………………そうか。お前はとうとう、宝石妖精をハンマーで倒したのだな…………」

「そ、そうです!デジレさんから、今回の事の慰謝料として、庭園の宝石のお花を貰って来たんですよ。宝石妖精さんの売り値によってはこちらも売らなければですが、一輪はエーダリア様に差し上げますね」

「……………いいのか?」

「むむ、エーダリア様の顔色が戻りました」

「…………デジレが、よくそれを許したな。あの庭園の花は、普通は一輪手折っただけで死罪だぞ」

「なぬ。普段はそんなに厳しく管理されているのですね…………。今回の事のお詫びとして、三輪くれると仰っていましたので、デジレさんなりにきちんと謝罪の意味を重く捉えていたのかもしれませんね。………これです!」



ネアが、腕輪の金庫から取り出した宝石の花を掲げると、またしても部屋は沈黙に包まれた。



「あらあら、あまりにも綺麗で見惚れてしまいましたか?これは百合で……アルテアさん?」

「…………許可されたのは、三輪なんだな?」

「はい。なお、二人で三輪という指定はなかったので、私とアレクシスさんの二人でそれぞれ三輪摘んでお持ち帰りにしたんですよ」

「いいか、それはひと株だ。どう見ても、一輪じゃない」

「………………お花は一つしかついていません」

「それでもだ」

「むぎゅう」



ネアは、今回の迷惑料としてはこのくらいは然るべきだと判断したのだが、他のものも見せてみろと荒ぶる使い魔に渋々薔薇も取り出すと、アルテアは黙り込み、エーダリアはがくりとテーブルに突っ伏してしまった。



「菫については、一株に沢山お花がついている作りでしたので、こんな感じなのです…………」



そう前置きして、ぱらりと小さな三色菫の花をテーブルに乗せる。

するとエーダリアは、青い顔でそれがいいと言うのだ。



「根っこ付きなら育てられるかもしれないのに、それで良いのですか?」

「……………いや、是非にそちらにしてくれ」

「ふふ、エーダリア様は可愛らしいお花の方がいいのですね。ディノには、可愛い宝石の林檎とディノを思わせる色の宝石の小枝のお土産もあるので、後でノアと枝を分けましょうね」

「ご主人様!」




その日の夜遅く、やっと戦場の鳥籠を閉じてリーエンベルクに駆けつけたウィリアムは、ネアが無事に帰ってきた事をとても喜んでくれた。


祝福を付与されたハンマーが活躍したと話せば、これからも悪さをした宝石妖精はどんどん粉々にしていいと頭を撫でてくれたので、ネアは、ヒルドの友人かもしれないデジレ以外は、手加減せずにそうしてゆこうと思う。




ウィームは、翌々日より復活祭を迎える。


宝石妖精の動向は引き続き懸念されるが、今暫くは、今年は、羽目を外した若者が何人死者の国に突撃するのかの心配をしなければならないようだ。









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