49. 物価で躓きました(本編)
商人たちの街の朝は早い。
ネアがタジクーシャに引き摺り込まれたのは、夜明け前の時間だったようで、既に街中にはどこかへ出かけてゆく商人達の姿がちらほら見える。
リーエンベルクにいた時には午後だったので、このあわいと地上の間には時差のようなものがあるらしい。
(………不思議だわ。生きている街という感じがして、見慣れないものばかりなのに、そら恐ろしさのようなものは感じないみたい…………)
街の構図はとても簡単で、タジクーシャは二重円環状になっている。
元々は地上にあったオアシスの街だったそうで、円形なのはその当時の利便性の名残りなのだそうだ。
一番外周のこの区画より外側には見事な森が分厚く広がっていて、その向こうに広がる砂漠から街を守っている。
聞けば、砂漠の向こうにも集落や小さなオアシスがあるのだそうだ。
年に数回ある大雨の日には砂漠が海のようになり大きな帆船がやって来るらしいので、あわいの駅のように他のあわいと繋がっているのかもしれない。
(師匠達のこともあるから、あまりあわいの奥に入り込まないように、タジクーシャを離れない方が良さそうだわ……………)
タジクーシャを砂から守る森に繋がる外の輪の居住区には、中流階級の貴族達や商人達が暮らしていると言う。
この区画に暮らす爵位の上限は伯爵までと聞き、ネアは、宝石妖精にも爵位があるのだと驚いてしまった。
「タジクーシャの住人ではない者達が居住、もしくは滞在出来るのはここまでだ。橋の向こうにある中央特区に入れるのは、上級貴族と各商会の役員達、そして王宮に務める者達くらいだからな」
「身分による住み分けが徹底されているのですね……………」
隣を歩く男性をちらりと見上げ、ネアは、タジクーシャの王の使いであったというこの妖精が、街の成り立ちなどをしっかり理解している人物で良かったと胸を撫で下ろした。
あの後の展開は、思いがけず緩やかだった。
デジレと名乗ったこの妖精は、本来はその橋の向こうの区画の住人であるらしい。
王の使者になるくらいなので、ある程度の地位にはあるのだろう。
貴族かどうかは定かではなかったが、このような場合は貴族が使者に立てられる可能性もあるので、爵位はあるくらいの感覚でいようと考えている。
「あなたが、ヒルドさんを招聘出来ないと、何か問題になるのですか?」
「なるかもしれないな。タジクーシャの王は代々、その治世の最初の宝石狩りでは、この土地に森を根付かせた一族の王を裁定者として招いてきた。今代の王にはそれが出来ないとなれば、影でつまらぬことを囁く者達が増えるだろう。今の王は敵も多い」
そう答えながらも、さしたる不安は感じていないようなのだから、デジレが仕える王とやらは、政敵に付け入られない程度の権力は持っているのだろう。
現王はダイヤモンドに属する妖精なのだから、確かに頑強そうだ。
とは言えその宝石は、ネアの生まれた世界では意外に衝撃に弱く、ハンマーで叩くと割れてしまう。
ネアは、念の為にタジクーシャが去るまではと腕輪の金庫にとある祝福石のハンマーを借りて持っているのだが、役に立つような場面はあるだろうか。
「あなたは、前王派と仰っていました。前の王様は亡くなられたと聞いていますが、退位されただけだったのですか?」
「死んださ。屑石らしく、あれだけ惨めに生き永らえ続けながらもようやく粉々になった。………だが、前王を盛り立てていた連中が、甘い蜜を吸えなくなったことで不満を貯め込み、もう一度自分たちに恩恵を与えるような仕組みを作れないものかと暗躍しているようだ」
「…………今回の事を仕組んだのは、その方々なのですね…………」
「無様な宝石達だと思ってきたが、思っていたよりも利口な者がいたらしい。私を楽しませる事が出来れば、評価し直してもいいかもしれないな」
こうして陥れられながらも、デジレの瞳は愉快そうだ。
苛立つこともなく鷹揚に構えているのは、そんな者達に足を掬われることはあるまいと考えているからだろう。
それは不確かな自信などではなく、確固たる理由と基盤があり、そう知っているからこそのものに思えた。
ネアも、こんな状況に追い込んだ者達よりも、デジレの方が余程厄介だと思えてならない。
(ヒルドさんは、現在の王様のことはあまりよく知らないと話していたけれど、表情からすると、あまりいい印象を持ってなかったような気がする……………)
アルテアから、現在のタジクーシャの王はかなりの曲者だと聞いている。
その反面、頭が切れ、我欲の為に無謀な振舞いはしない賢王としての側面もあり、魔物からしても御しやすい王ではないのだとか。
(享楽的に残忍な振る舞いをしても、どこか瞳の奥が冷めている。冷静で慎重で、狡賢いと話していたけれど……………)
ネアはそう説明されたときに、それは出会った時のアルテアの印象そのままではないかと思ったものだ。
だが、それならば何となく想像が出来る。
幸いにも、あの使い魔との付き合いがそこそこ長いのだ。
(……………そんな王様に仕えているのだから、この人もそれなりに癖のある人なのだろう…………)
互いに今は身動きが取れないと知り、デジレは早々に和解案を出してきた。
あの場所に敵対勢力の者達が現れる事を警戒したものか、ネアを強引に小脇に抱えこの外周の街まで連れて来はしたものの、街中に出るとこうして普通に歩かせてくれているし、名前も教えてくれたことには驚いてしまった。
(でも、この名前は何か違和感があって……………)
その名前を聞かされた時、ネアは何か大切な事を忘れているような、不思議な違和感を覚えた。
もしかすると偽名に感じる違和感であるかもしれないし、名前そのものに秘密があるのかもしれない。
だから、名前を握ったということは、あまり収穫と言えるようなものではない可能性もある。
黒いフード付きの旅人のようなコートの下は、随分と簡素な服装のようだ。
王宮に出入りしている者の服装にしては随分と控えめだが、王の密命を受けて動くような目立たない方がいい役職なのかもしれない。
(でも、不思議な気品というか、………とても階位の高い人に思えてしまう。宝石妖精の事はよく知らないけれど、爵位があるような立場でもこのような仕事をしたりするのかな………?)
「デジレさんは、この辺りの事をよくご存知なのですね」
「私は、元々市井の出だ。庶子だったからな」
「……………宝石の妖精さんにも、そのような出生の区分があるのですか?」
「特定の一族は、同じ鉱脈から採掘された宝石や、同じ宝石職人によって加工された者達であることが多い。ある種の血統のようなものだ。私はその宝石の一族の中で、唯一同じ鉱脈からの採掘でもなく、同じ宝石職人の加工も受けていない。おまけに王冠でもなく錫杖でもなく、武具に飾られたものだったからな」
さらりと語られた言葉であったが、得るものはあったとネアはほくそ笑む。
つまりこの妖精は、王冠や錫杖に飾られるような宝石から派生したものなのだ。
姿も擬態はしているのかもしれないが、黒を好むのであれば黒い宝石である可能性もある。
黒いダイヤモンドから派生した王なのだから、同じ黒い宝石の妖精が仕えていても不思議はない。
(でも、もしかすると色を隠す為の黒なのかも………?)
そんな事を考えていたネアは、ふと思考を巡らせようとし、宿を見付けた後の支払いについての問題が解決していなかった事を思い出した。
この種の土地では宿泊施設の支払いが前払いのことも多いと思うが、手持ちの現金では二泊がせいぜいだろう。
資金源になりそうなものは首飾りの金庫にしかなく、安全を確保するにはまず、首飾りから品物を取り出せる環境を作り、取り出した品物を換金しなければいけないことに思い至ってしまったのだ。
「……………念の為に窺いますが、ここでは宝石の価値は低いのでしょうか?」
「言うまでもない。ありふれた物だからな」
「そうなると、普通のお金を使うのがせいぜいなのですね…………」
「言っておくが、ここは外の商人達がひと財産を抱えて訪れる場所だ。貨幣価値はかなり低いと聞くぞ。私のことはあてにするな」
ばっさりと切り捨てる一言を言い出されたものの、そう言われたネアは密かにほっとしていた。
金銭的な面倒を見るつもりがないのなら、少なくとも宿の部屋は別々に違いない。
しめしめと思いながら唇の端が持ち上がらないようにし、肩の上でじっとデジレを見ている銀狐の前足をそっと撫でた。
小柄とは言え普通の狐の重量はあるので、そろそろ左肩に疲労が溜まってきたが、デジレの見張りを任せているので致し方ない。
ネアが撫でると一生懸命頭を擦り付けてくれるので、何とか元気付けようとしてくれているのだろう。
(……………冷静に、落ち着いて足場を固めなければだわ)
このような状況に置かれると、これまでの経験があれこれと思い返された。
死者の国の時は身の危険に晒されはしたものの、ある意味出し抜きやすい相手だったような気がする。
妖精の国の時は、ユリウスがぐいぐいとネアを連れ回していたので自由はなかったが、事態が差し迫るまでは、ネア自身の判断が明暗を分けるような場面は少なかった。
(でも、今度はとても危うい………)
デジレは牙を隠したけだもののように隣に寄り添い、ネアがどう動くのかを愉快そうに眺めている。
油断のならない瞳をこちらに向ける妖精は、ネアを好きにさせているように見せかけながらこちらの手札を覗き込み、隙があれば容赦なく奪えるだけを奪い取ってゆこうとしているのは間違いない。
唆して油断させ、欺いて陥れる。
黒い瞳の妖精は、それを劇場の観客のように微笑んでただ見ているだけ。
(……………っ、)
ネアはなぜだか、とても嫌な予感がした。
ぞっとして口元が強張らないようにし、もしかするとこの妖精は、これ迄に出会った悪しきもの達よりも危険なのではないかと考える。
ネアに興味を惹かれて玩具にしようとした邪悪な者達は、やはりネアにそれなりの執着はあったではないか。
リンジンですら、ネアを傷付けたいという欲求があり、その思惑を予測することくらいは出来た。
でもこの妖精は違うのだ。
ネアはあくまでも釣り針の先の餌に過ぎず、見切りをつければ、かけた労力を惜しまずに容易く切り捨ててしまえるだけの冷静さがある。
歩いている石畳は、宝石質なふくよかな深緑色の石で、時折混ざる渋い青みがかった石の色が加わると、その複雑な彩りで足の下に森があるようだ。
夜明けの光が差し込んでくれば、タジクーシャの街がきらきらと光り輝く。
色とりどりで雑多なようで、お伽話のように美しい街並みに、ネアは目を瞬いた。
(…………建材がどれも美しいのだわ。宝石のかけらでパッチワークした街みたい…………)
波に洗われた硝子片のような質感の宝石質な煉瓦に、艶々とした玉のような滑らかなタイル。
ざらりとした質感で細やかに光る砂壁に、磨き抜かれて冴え冴えと光るのは街灯や階段の手すりの金属の部分。
その全てが、どこかに宝石の煌めきを湛えている。
この街を突然見せられて、どこだか当てるように言われても、きっとネアはタジクーシャに違いないと答えるだろう。
窓辺の飾りに紐を通して吊るしてあったり、花壇の彩りのつもりなのか、そこに無造作に転がしてあったり、あちこちで見かけられる宝石に気付いてしまえば、成る程、宝石の価値は低かろうと思い知らされる。
こんな土地で取引されるのはどんな宝石なのだろうと目を懲らせば、竜の宝石の専門店や、魔物、精霊もあれば人間もある。
一番近くにある竜の宝石店の入り口には、優美な文字の踊る黒板が置かれていて、水色のチョークで竜の瞳の宝石が入荷したと記されているのだから、どの店の宝石も元は生き物だったに違いない。
「デジレさんは、どうされるつもりなのですか?」
少し悩んだ後、ネアは当人に相談してしまうことにした。
少しばかりの獰猛さは既に見せてしまった後だが、これ以上の手札を晒さない為には、所詮つまらぬ人間だと嘲笑されようとも、少しでもこちらの出来る事は少なく見せておいた方がいい。
囮としての価値は失わないよう手間をかけさせず、けれどちっぽけな人間なりに足掻いている様を見せて、嘲笑わせておくのがいい。
本当の足取りを隠すには、そうして、幾重にも偽物の輪郭を描いておくのだと、ネアは魔物達から教わった。
「…………どうとは?」
「引き続き私を囮にはするようですが、自分でどうにかしろと仰るからには、私は自分で好きにお宿を取っても良いようです。その場合、私がどんな安宿を引き当てても、デジレさんは同じ宿のお部屋を取って側に張り付くおつもりですか?」
ネアがそう尋ねると、デジレは僅かに考え込む様子を見せた。
さてどうするのだろうかと傍観してはいたものの、その後の身の振り方については、ネアがどうするのかを見てから決めるつもりであったようだ。
危機感を覚えていないからこその気楽さに、ネアは眉を寄せた。
こんな風に飄々と振る舞い、何も考えていないようで幾つもの罠をしかけているに違いないのだが、ネアにはその影がさっぱり見透かせずにいる。
(いっそ、前王派とやらにもっと追い詰められてくれれば、このひとの選択肢も狭まるのに………)
大雑把な人間は、とうとうそんな事まで考え始める始末だ。
何しろ、おやつのワッフルは完全に食べ損ねてしまった。
「確かに、お前を逃がす訳にはいかないが、………連れて歩くのも煩わしいな。ヒルドを呼び寄せるにせよ、あの道を閉ざしてきたからには、最短でも二日はかかるか………」
「我々が使った道は、閉じてしまったのですか?」
「禁止魔術を使われた以上、同じ魔術に触れる要素は好ましくない。こちらにかけられたものに響くからな。………お前には言ってもわからないだろうが」
「けれど、タジクーシャが閉鎖されているのであれば、ヒルドさんはどうやってここに来ると言うのでしょう?」
「………どうやって自分がここに連れてこられたのかを、もう忘れたようだな。タジクーシャには、タジクーシャの王族とこの地に於いて上位権限を持つヒルドの一族の王だけに許された、魔術の理を横切る抜け道がある。閉鎖期間中でも、残された道はあるという事だ」
デジレが、タジクーシャへの出入りが禁止されている期間にどうヒルドを呼ぶつもりなのかが謎だったが、このあわいの上位権限を持つヒルドであれば、閉鎖期間でも特別な道を辿っての訪問が可能であるらしい。
「投獄しておいて身柄を確保するというのも手だが、あれが牙を剥くのなら、檻の向こうで殺されていてもつまらないか。………如何せんお前は可動域が低過ぎる」
「……………だとしても、抵抗値はそれなりにあります」
「それすらなければ、とうに殺して宝石にでもしている。ヒルドを呼ぶには、お前の瞳か心臓でも残しておけば充分だ」
過激な表現だが、抵抗値が低ければそもそもこの街を自由に歩く事も出来ずに死んでしまっている筈なので、デジレの言い分は間違っていない。
使われた言葉が許せなかったものか、ムギャーと怒りの雄叫びを上げかけた銀狐のお口をさっと押さえてしまい、ネアはけばけばの大事な家族を抱き締めた。
もう少しだけ、デジレがどんな考えを持ちどう話すかを聞いておきたかったのだ。
「…………宿を探しに行こうとしたからには、その手の経験はあるのだろう。であるならば、こうするのが順当か。……この宝石を渡しておく。私の懇意にしている商会の支払い用のものだ」
そう渡されたのは、内部に彫り物がなされた鮮やかな赤い宝石だった。
鶉の卵くらいと言えばこちらの世界の鶉に換算されてしまう危険もあるが、手のひらで包んで、落とさないように握り締められるくらいの大きさで、美しいカットが施されている。
「先程まで、金銭的な面倒は見ないと話しておられたのでは?」
「状況が変わった。私の手を煩わせずに保管するには、やはりある程度の管理費は必要なようだ。付け加えれば、これは足の付かない資金源の一つだが、身元の保証にもなる。これで自分の面倒を見ておけ」
(変わったという状況は、思っていたよりもこの玩具は面白みがなさそうというところだろうか。連れて歩くのが面倒になったのかもしれない……………)
デジレ自身は、この街にも親しい知り合いがいるのだそうだ。
二日後の夜に一度様子を見に行くと言い残し、呆気なく姿を消してしまった。
しなやかだが長身の男性にしては、デジレの歩き方は軽やかだ。
そこは妖精らしく見えたが、擬態のままで妖精の羽は見えない。
そんな後ろ姿を見送りながら、歩道に取り残されたネアと銀狐は顔を見合わせた。
「……………まぁ。思っていたよりも早く二人になれましたね」
そう呟くネアに、肩の上の銀狐が前足をぷるぷるさせながら伸ばすではないか。
体を伸ばしてネアが待たされた赤い宝石をげしげしと前足で叩こうとしているようだったので、ネアはそんな宝石を銀狐に近付けてやった。
すると、ぺしりと前足で宝石を叩いている。
「狐さん、これはあまり頼らない方がいい品物だと思いませんか?」
ネアがそう尋ねれば、銀狐はムギムギと胸毛をふかふかさせて頷いた。
内側に彫りつけた紋様めいたものが手のひらに影を落とし、ネアは顔を顰めると腕輪の金庫にしまうことにした。
主に獲物用のこの金庫であれば、存在していることを知られても構うまい。
「…………さて。まずは宿屋ではなく、先程見かけた通りから市場に向かいましょう」
ネアがそう言えば銀狐は首を傾げたが、狡猾な人間はきりりと背筋を伸ばす。
最も効率的な物価の調べ方は、市場で品物の価格を見る事だ。
「一刻も早くディノ達に連絡をしたいのですが、ノアが一緒だと知っている筈なので、安全を確保出来る迄は控えますね………」
大事なカードを、焦って危険に晒す訳にはいかない。
ネアは慎重に行動することにした。
なかなかの人通りのある通りを、さもタジクーシャには慣れていますが何かという顔をして歩くと、見付けておいた市場の騒めきに向かって角を曲がる。
その段階で二軒ほど宿を見付けておいたが、これぞという感じはあまりしなかった。
そこまでの道中で、同じように腕輪の金庫から取り出した綺麗なラベンダー色の革紐なリードを銀狐につけてやると、お互いにほっとした顔になる。
「可動性もさることながら、最優先課題はやはりはぐれないことですものね」
ネアがそう言えば銀狐は尻尾をふりふりしてびょいんと弾む。
そんな銀狐をよいしょと持ち上げて、今度は反対側の肩に乗せた。
下を歩いて貰うと市場で踏まれてしまわないか心配だし、肩の上に乗せておかないと使い魔として市場に連れて入れないかもしれない。
「…………ほわ」
そして、一歩踏み込んだ市場は思っていた以上の賑わいであった。
果物を山盛りにした籠が並ぶお店や、新鮮な野菜や、ごろっと積み重ねられたチーズ。
香辛料の山に、紡いだ糸を売る店にお鍋やフライパンのような道具屋まで。
中でも目を引くのは、一見普通の果物のように見えるのだが、よく見ると宝石の果物が並んでいる店だ。
最も多い店数があり、林檎や檸檬、柘榴に葡萄など目にも鮮やかな品揃えである。
(確か、タジクーシャの宝石妖精さん達は、この宝石の果物を食べるのだとか………)
そう聞いていたネアは、まずはそんな宝石の果物の値札をふむふむと覗き込み、なかなか高いぞと顔を曇らせた。
続けて、普通の果物を売っているお店を見に行ったが、やはり相場の二倍近くはすると思っていた方が良さそうだ。
「…………食品がこの値段であれば、取らない訳にはいかない外客用のお宿なんかは、かなり高くつくと思っていた方がいいかもしれませんね」
タジクーシャの食べ物は、人間は歯の強度の問題で食べられない宝石の果物以外は、自由に食べて構わないと聞いている。
そこは、事故る前提で講義をしてくれたアルテアに感謝するしかなく、ネアは林檎を二つと、宝石の果物を二つ買った。
宝石の果物が妖精の食べ物なら、小さな生き物などをこちらの食べ物で懐柔出来るかもしれないと考えたのだが、もし使う場所がなければお土産にも出来る。
一つずつ店を分けて店主と話しながら買い物をすれば、なかなか話せそうな店主が一人見付かった。
ネアは、買い物をし過ぎてしまい、手持ちの調整をしなければいけなくなったと語りつつ、商人の街だからこそ必ずある筈な換金所について尋ねてみた。
「まだ暫く滞在する予定ですし、その間も楽しく過ごしたいので、希少な植物や薬、道具などを売りたいのですが、そのようなものを換金出来る場所はあるでしょうか?」
「…………あー、それならダンタの店か、緑柱石の店だな。どちらも市場の奥の通りにあるぜ。道具はダンタ、他のものは緑柱石だな。現金が足りなくなって貴重品を売る商人は多い。買取額はあまり期待しない方がいいぜ」
「その二つのお店が良いのですね。教えていただき、有難うございました」
店主の青年にお礼を言って宝石の葡萄を買い、ネアはいそいそと腕輪の金庫にしまった。
周囲を見ていれば、買い付けに来たらしい商人達は皆、それなりに立派な魔術金庫を持っているようだ。
腕輪の金庫くらいなら不自然な持ち物には見えないと確認出来たネアは、ここでも一つの安堵を重ねて息を吐く。
目眩がする程に鮮やかな市場を抜けて奥の通りに向かうべく歩いてゆく中で、何人かの妖精達を見かけた。
色鮮やかで美しい妖精達は、タジクーシャの宝石妖精に違いない。
上手く説明出来ないが、周囲の者達とは身に宿す色合いが違い、ぱっきりとした鮮やかさが際立っているのだ。
「…………あの妖精さん達はお役人のようですね」
ネアの呟きに小さくムギムギ鳴き、銀狐は頬に体を寄せてくれた。
通りがかった美しい商人の女性が声をかけられているのを見て、ネアは、デジレに襤褸だと言われた事を思い出して胸を撫で下ろす。
美しい事も恩恵の内ではあるのだが、見ず知らずの場所で権力者の目に止まらないようにしたいのなら、邪魔なものでしかない。
ゆっくりとその近くも通り抜け、色鮮やかな織物の店の天幕をくぐる。
とろりとした美しいカフェオレ色の肌の者達も多く、造りだけならウィームに似た街並みのタジクーシャが、元はオアシスの街であることを感じさせてくれた。
「綺麗な人達が多いですね。…………ほら、あの女性なんか、とっても魅惑的です。青みがかった銀色の髪に肌の色が濃いめなのがとても映えて、髪の毛と同じ色合いの瞳が光るようです…………。こんな状況下でなければ是非にお友達になって欲しいくらいですが、今は慎ましく過ごさなければなりません……………」
万感の思いでそこから視線を引き剥がし、ネアは市場を出た。
まず訪れたのは緑柱石の店だ。
店名の通り、店の壁が緑柱石に結晶化しかけているのですぐに発見出来た。
ネアは、お店の扉をからりと開けると、使い魔の連れがいるが連れて入ってもいいだろうかと尋ねてからの入店とする。
これから品物を買い取って貰うので、感じ良くしようと心掛けたのだ。
(さっきの織物のお店を通り抜ける際に、いい具合に目隠しされて首飾りの金庫から、幾つかの品物を出しておけたから……………)
襟元に、銀狐のふかふか尻尾があるのも助けになった。
尻尾で手元を隠してもらい、無事にポケットや腕輪の金庫に移動させた品物は六品。
探せばもっと売れるものはあるのだが、まずは初回のお取引である。
「いらっしゃい。買い取りならこっち、誰かが売り払った品物を買いたいならこっちだよ」
店の中は思ったよりも広く、大きな天井までの飾り棚にはぎっしりと不思議な品物が詰め込まれていた。
香炉や針刺し、羅針盤や人形まで様々なものがあり、薬だけは薬棚に分けて収納されているらしい。
美しい王冠や籠に入った小さな竜の化石などもあり、今までにどれだけの者達がここでの換金を求めたのかは想像に難くない。
店の奥には大きな緑柱石のカウンターがあり、作業用の拡大鏡を持った店主が二人いる。
どちらも初老の男性姿な赤い髪をした妖精で、なんと双子のようだ。
ネアは買い取りだと示された左側の店主の方に向かい、まずはぺこりとお辞儀をした。
幸い、店内には他のお客の姿はなく、珍しいものを出したことで他のお客から狙われるという可能性は低そうだ。
(でも、物語の展開だと、このお店の店主さんに狙われる可能性もあるから、用心しなきゃだわ……………)
「持っている品物を換金したいのですが、珍しい薬草と珍しい植物、カワセミ、そして海結晶があります」
ネアはここで敢えて海の祝福石を混ぜてみた。
海の中で呼吸などを助けてくれるものだが、宝石が多い土地とは言えこのようなものはないのではと考えたのだ。
「海結晶とは珍しいな……。カワセミも在庫が少なくなってきたから有難い。地上の品物の中でも、こちらでは流通しないものがあり、そのようなものの一つだ」
「………兄者。買い取りの交渉が台無しになる。やめてくれないか」
「良い品物は幾らでも売れる。問題なのは求められた品物を用意出来ないことだ。客が流れるのだけは避けたい」
「…………まったく」
思わぬ兄弟の連携ミスもあり、ネアは満足のいく換金をすることが出来た。
カワセミの需要が高まっているのは、どうやらタジクーシャの王侯貴族達が戦支度をしているかららしいという思わぬ情報も得て、ネアはまた一つ報告するべき事柄を増やす。
一刻も早く宿を取り、カードからディノ達に報告しなければだ。
結果として、海結晶が二個、カワセミが三体、乾燥させて布に包んで持っていた薬草を一掴みに歌う葉っぱを一枚。
死者の国であれば充分に家を一軒買えるくらいの金額になったので、換金はその一店舗で終える事にした。
「いいお取り引きが出来ましたね」
そう話しかければ、銀狐も尻尾をふりふりする。
これだけあれば余裕を持って過ごせるに違いないといい気分になっていたネアの心は、その直後にあっさり粉々にされることになった。
「そうですね、一泊がこの料金になります」
「……………ふぁい」
呆然と頷いたネアに、三軒目になるホテルのフロントに立った女性は朗らかに告げる。
手元の琥珀板に記された金額表示に、ネアは血の気が引いていた。
戸建ても買えるくらいの金額で一週間の宿代がぎりぎりなので、もし延泊するようであれば更に何かを売りにいかなければいけないだろう。
かつてその貧しさで辛酸を舐めたネアにとって、お金が足りないという状況は耐え難い苦しみに近い。
あの頃の怖さと心細さを思い出し、じわっと涙目になりそうになる。
ひび割れそうになる声で何とか冷静さを装い、まずは三日間の宿代を前払いして部屋を押さえた。
後から合流する友人がいるので、多分、延泊する事になるだろうと伝えておけば、ネアのお財布からとんでもな金額のお金を持ち去りながら、従業員の女性はにっこり微笑んでかしこまりましたと頷く。
聞き流さず、宿泊者名簿のようなものに、延泊の可能性あり受領済みと書き足してくれているので、ホテル従業員としての質はいいのだろう。
商人達も多く集まるような場所なので、他の土地よりも良質なサービスを求められるのかもしれない。
買い付けに来る以上は、商人達も出費にはシビアだろうと思うのだ。
(ここに来るまでに何軒か、街の宿屋のようなところや他の宿泊施設も見たけれど、どうせ同じような金額を支払うのなら、ここが一番ではあったとは思うけれど……………)
タジクーシャが閉じている期間にあたるので、もっと部屋は埋まっているかと思っていたが、幸い、どうやらその心配はなかったようだ。
どの宿泊施設も何部屋かの空きはあり、ネアはその中でも一番大きく老舗ホテルだという夜と箱馬車というホテルを選んだ。
最初に見かけたホテルと言うよりは街の宿屋といった風情のところも料理が美味しそうで捨て難かったが、残念ながら使い魔禁止だったのだ。
「……………ふぇっく。沢山のお金を失いましたが、これでやっと隠れ家を得ました。カードでディノ達に連絡しましょうね」
部屋の中に入ると、まずは施錠がしっかりしていることを確認し、肩から下ろした銀狐を心が落ち着くまで撫で回した。
ムギーと鳴いて尻尾を振り回した銀狐がここにいるだけで、どれだけの怖さや苦しさが泡のように消えてゆくことだろう。
(やるべきことが沢山あるわ……………)
大きく息を吸い込むと、ネアはまず安全な環境を整えるべく行動に出た。




