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47. 湖の主が現れました(本編)



仮設とは言えない程に立派なバルバ会場に、じゅうじゅうという素晴らしい音が響く。

漬けダレに漬け込まれている肉達が、とうとう登場したのだ。


熱狂したネアは既に空っぽになっているタルタルのお皿をもう一度持ち上げてしまったくらいで、ダナエも目をきらきらさせている。



今回のバルバで現れたのは、果物たっぷりで作られた濃厚で香辛料の効いた熟成タレと、さっぱりだが不思議な深みのある香草薔薇塩タレである。


先程まで焼いていたものにも、何種かのソースが用意されていたが、お肉そのものを漬け込んだものはまた味わいが変わってくると思えば胸が躍った。



そんな中、魔術通信の為に立ち上がって部屋の隅に行っていたヒルドが戻ってくる。

その表情をそっと窺ったネアは、柔らかな瑠璃色の瞳を見て唇の端を持ち上げた。


良いニュースだったに違いない。



「…………ダリルから連絡が入りました。もう、ゆっくり過ごしていただいて結構ですよ」

「そうか。グラスト達も?」

「ええ。今回はゼノーシュも怒っていたようですからね」


ヒルドによると、ゼノーシュは今回の事件を知り、バルバに参加するよりも事件調査に向かうグラストに同行し、市場の食べ物を破棄させた犯人の証跡を追い、報復の材料を増やす方を選んだのだそうだ。


ネアは、見聞の魔物がどれだけ食べ物へ敬意を払っているのかを知っている。

決して許せなかったのだなと思えば、その気高さに胸が熱くなった。



「お、エーダリアも飲んじゃう?今の料理だと、こっちの蒸留酒が合うかもね。これが銀水晶の花と雨だれの酒で、こっちは紫陽花葡萄とミモザの酒だよ」

「どちらも、初めてのものだな………」

「勿論。僕が頑張って用意したからね」



ノアのお勧めで暫し悩み、結果、紫陽花とミモザの蒸留酒を選んだエーダリアは、ウィーム各所の市場での事件調査が完了したことを伝えてくれた。


今回、エーダリアがこのバルバ会場に来ているのは標的を安全なところに隔離するという防衛上の問題もあったのだが、エーダリア自身は、もしもの時に指揮を執ることを考慮し今迄お酒は飲まずにいたらしい。


ほっとしたように息を吐き、グラスに注がれた不思議なお酒に目を丸くしている。



「これは…………!」

「まぁ!エーダリア様のグラスのお酒は、淡い瑠璃色と檸檬色がグラスの中で混ざり合うようで不思議ですね…………」

「………味も変わってくるのだろうか?」

「うん。口に含むと混ざるけれど、どちらかだけの部分を飲むと、辛口でさっぱりした部分と、甘くてより瑞々しいところで分かれるよ。見た目も綺麗だし、舞踏会や女の子達に人気なんだ」

「わ、私も次はそのお酒を飲みます!」

「それなら、ノアベルトのものも注いであげようか?」

「………ぐぬぬ。うっかり目移りしましたが、今のグラスの中の葡萄酒もとても美味しいので、まずはこちらをじっくり堪能してからにしますね」

「うん。では、それを飲んでしまってからにしよう」



網の上に小さな火の結晶石の小鍋を置き、くつくつ煮えているのは、春アザミとキノコのオリーブ焼きだ。

いつもの春アザミが市場事件で破棄しなければならず、今年のバルバのアザミはこれしかないらしい。


ネアはおのれ宝石妖精めと思いながら、エーダリアを狙う悪い妖精を見付けたら、取り敢えず倒してしまおうと考えていた。



「ディノ、宝石妖精さんは鉄のハンマーか何かがあれば叩き割れます?」

「叩き…………割るのかい?」

「ええ。きっと硬度の高い宝石さんは硬い筈ですので、がつーんとやらなければ…………エーダリア様?」

「…………いいか、ネア。タジクーシャの宝石妖精達は人型だ」

「…………なぬ。では、踏むか、きりんさんで倒せそうですね……………」

「お前ならやるだろうが、害意のない者達もいるだろう。出会い頭に滅ぼすのはやめてやれ。くれぐれも、出会い頭に叩き割ろうとするなよ」

「むぐる…………。エーダリア様を狙ったのなら、許しません…………」



ネアがそう低く唸れば、エーダリアは微かに目を瞠り淡く微笑んだ。

そこにもまた、ダナエと同じような不慣れさが揺れるので、ネアは、まったくもうという気分になる。


だから勿論、そんなエーダリアやダナエを誰かが脅かすのなら、ネアはすぐさま滅ぼしてしまいたいのだ。



(私は多分、守りたかったのだわ…………)



守られるという経験をこれから沢山増やして欲しいエーダリアやダナエとは違い、ネアは守ることを望んだ人間なのだと思う。


それは犠牲や奉仕とはまた違う執着で、また、守られる方が楽なのは言うまでもない。

だが、大切な宝物を貰って、それをしっかりと抱え込みたいという欲求がずっとあった。



遠いあの日。



両親が乗った黒い車を行かせてしまったことへの後悔と、ジーク・バレットに復讐を果たした際に育ててしまった獰猛さが、ネアの魂の底に焦げついたまま残っているのかもしれない。


それをこそげ落とせないまま、守っている間はこの腕の中に宝物があるからと、近付く良くないものはみんな踏み滅ぼしてしまいたくなる。


ちりりと残酷な人間らしい我が儘な執着が燻ぶるのは、こうして、ネアの大切な宝物が脅かされる時。


かつて、大切なものを守る為の手がどうしても届かなかったのは、それがもう取り返しがつかない状態だったからだ。

だからネアは、守り損ねるという事がどんな恐ろしさなのかを、痛いくらいに思い知らされている。



(だから、…………)



取られたくないと考えるのは、強欲さ故なのだろう。

けれどこの人間はとても我が儘なのだ。



「うーん、どうせならもう、タジクーシャに押しかけて問題の妖精にこちらから接触するっていう手もあるけど、縁の糸を取り込まれると厄介だしなぁ…………」

「ネイ、くれぐれも自重して下さい。だからこそ今日も、こうして隔離された場所で待機としたのですから、自ら彼らとの間に繋がりを持たないようにしていただきたい」

「ありゃ、叱られた。………そうだね。問題を起こしたのも、宝石の侵食目的じゃなくて、魔術の繋ぎ目を作る為かもしれないからね。それに今日はバルバだし」



向いでは、ネアに心の動かし方がよく似ているノアが、ヒルドとそんな会話をしている。

隣では、ぱくぱく肉を食べてゆくダナエと無言で肉を網の上に乗せているアルテアがいる。



「これも食べるかい?」


そして、ネアのお皿に美味しそうな大海老のチーズ焼きを置いてくれたのは、大切な大切な真珠色の魔物。



「………はい。ディノは、すっかり私の欲しい物が分かるようになってしまいましたね。なんて素敵な伴侶なのでしょう」

「…………ずるい」

「そんなディノには、このほくほくお芋でしょうか」

「…………ずるい」



ネアだって勿論、伴侶な魔物のお気に入りの食べ物くらい分かるのだ。

素敵な藍色のグラタン皿で出て来たのは、夜葵と呼ばれる真夜中の系譜の美しい花から収穫出来る、ジャガイモのようなお芋だ。


半分に切ったそのお芋とアンチョビ、プチトマトとローズマリーも添えて、チーズを上にたっぷり乗せ、くつくつほくほくと焼いてある。


夜葵のお芋は旨味の強いジャガイモといった感じで、素朴な料理なのに手が止まらなくなる危険な一品だ。


これは、市場の惨状を踏まえてもし良ければとバーレンが差し入れで持って来てくれたお芋で、アルテアが手早く調理してくれた。



カランと、扉の外側に付けたベルが鳴った。

おやっと思って外を見れば、ざあっと灰色の霧が凝ったようなものが人型になり、耳下で切り揃えた髪がさらりと揺れる。


お待ちかねの招待客の到着の優美さに、ネアはぱっと目を輝かせた。



「グレアムさんです!」


こんな時、そつなくいつの間にか扉を開けに行っているのはヒルドで、グレアムは遅れた事を詫びつつも、こちらもさらりと手土産などを渡してくれている。


ここで開けずに、夜にでもゆっくりと食べてくれればと渡してくれたのが、ザハのケーキの箱だと気付いたネアは心を震わせるしかない。



「やあ、ベージ」

「か…………ええと、どう呼べば?」

「はは。ここでは、グレアムと呼んでくれて構わない。俺の名前を知っている者達しかいないからな」

「グレアム、仕事はもういいんですか?」

「ああ。片付いたよ。困った妖精達だ」

「むむ、グレアムさんも妖精さんに困らされていたのですか?」



ネアがそう尋ねると、グレアムは夢見るような灰色の瞳でこちらを見ると、僅かに悪戯っぽくくすりと笑う。



「ああ。こちらの領域を傷付けるものだったんだ。せっかくのバルバに遅刻してしまってすまない。………シルハーン、遅くなりました。それと、ウィリアムとギードは、やはり戦場を抜けられないようです。残念ですが、また誘って欲しいと」


グレアムがそう言えば、ディノは構わないよと微笑む。


「こちらでも、大きな戦乱があったようだから、今日は難しいだろうと話していたんだ」

「ええ。出来れば、先程まで見ていた仕事でも、ウィリアムの手を借りたかったんですが………」


どうやら、グレアムが直前まで関わっていた仕事は、終焉の魔物の手を借りたいようなものだったようだ。

アルテアもグレアムが何をしていたのかを知っているのか相変わらずだなと呟いているので、統括の仕事をしていたのかもしれない。



(…………今回は残念だったけれど、次のバルバでは、ウィリアムさんやギードさんも、グレアムさんの秘密を知ってここに居られたらいいのにな…………)



ネアは、ディノやグレアム本人と相談して、少し前からシェダーという通り名ではなく、グレアムという犠牲の魔物の本来の名前を呼ぶようになった。


それは、今代の犠牲の魔物の名前もグレアムであったことから、会う機会を重ねてゆき、やっと真名を預けられるくらいに親しくなったという理由を考え、やっと進めた一歩だった。


実は、ウィリアムは今代の犠牲の魔物の名前をあまり呼びたがらない節がある。


やはり、ウィリアムにとって、かつて無残に失った親しい友人の名前は重いのだろう。

そう考えたネアは、あえて教えて貰った通り名を卒業して、グレアムと呼ぶようにしたのだ。


ここにいるひとが、別の名前で切り分けた新しい誰かではなく、かつて共に過ごした友人だと気付かせてあげたい。

ギードも勿論だが、ネアとしてはやはり、ウィリアムにそれを知って欲しかった。


そう思って踏み出した一歩だが、果たして効果はあるのだろうか。

成果が見えてくるのはこれからだろう。



「ここに、グレアムさんセットを残してありますからね」

「棘牛のタルタルか。美味しそうだな。市場での話を聞いたが、その後でこれだけの料理を用意したのはさすがだな。アルテアが作ってくれたんだろう?」

「ぎりぎりここまで、だ。こいつらを見てみろ。まだ開始の時と同じ動きで食っているんだぞ?予定より三品少なくなったのが悔やまれるな………」



そう呟いたアルテアに、ネアは食べられなかったお料理が三品もあるのだと知ってしまった。

わなわなしているご主人様に気付き、隣の魔物がびゃっとなる。



「ネア…………」

「おのれほうせきようせいめ、ゆるすまじ…………」

「あ、料理を破棄した事にはあまり触れない方がいいと思うよ。僕の妹が、宝石妖精をハンマーで叩き壊す祟りものになるから」

「………ぐるるる」

「…………ったく」

「…………ぎゅ?!どこからか、お口になくなった筈のタルタル様を入れてくれた人がいまふ!」



どうやらアルテアは、荒ぶる人間を鎮める用のタルタルを隠し持っていたらしい。

もっとくれないかなとじーっと凝視してみたが、気付かないふりを決め込んだようだ。



「そう言えば、外の棘牛さんはなぜ一頭だけびっしょりだったのですか?」

「……………は?」

「二頭の内の一頭だけ、ずぶ濡れでしたよね?」

「ネア………私が持ってきた時には、乾いていたよ?」

「まぁ。ダナエさんが連れてきてくれた時には、乾いていたのですか?」

「うん。アルテアが濡らしたのかい?」

「するか。必要もないだろうが」

「私もあの棘牛達は見たが、水棲棘牛でもなかったが………」

「エーダリア様も見ていないのですか?」

「ありゃ、僕も立派な棘牛だなぁと思って見ていたけど、どっちも普通の棘牛だったよ?」

「なぬ………?」



誰も棘牛の異変に気付いていなかったと知ってしまい、ネアはぞっとした。


このバルバの度に、リーエンベルクでは凄惨な棘牛解体が行われてきた。

これまでに食べてしまった棘牛が化けて出たのを見てしまったのかもしれない。



「ホラー展開は無理でふ」

「ほらー?」


心配そうにこちらを覗き込んだディノに、ネアは手を伸ばしてしっかりと三つ編みを握り締めた。


こうなってしまえばもう、遠くのタジクーシャよりも目先の棘牛の亡霊の方が大問題だと言わざるを得ない。



「ディノ、食べられ過ぎた棘牛さんが化けて出た場合、もうあまり食べないのと、最後まで美味しくいただくのと、どちらの方が効果的でしょうか?」

「ご主人様…………」

「え、棘牛って亡霊になるんだっけ?その場合、標的はアルテアでいいのかな?」

「やめろ。その程度のことで祟られてたら切りがないだろうが」



俄かに騒然とした部屋の中で、うーんと唸ったベージが、心配なら周囲を見回って来ましょうかと提案してくれたが、エーダリアは無言で首を横に振る。

残念ながら、問題の棘牛は全てがこの部屋に持ち込まれている状態だ。

ダナエが、沢山食べてしまったと悲し気に自分の腹部を見下ろしている。



(でも、…………)



残されたお肉も美味しく焼かれるのを待っている状態なので、ネアは取り皿の上のお肉が冷めない内にと、そっとお口に入れてみた。



「……おい、この状況でよく口に入れたな」

「もうこの際、新事実が発覚するまでは美味しいお肉でいいと考えたのです。様々なソースで食べた後に、また香草塩だけのものに戻りたくなるのは、お肉そのものが美味しいからですよね」



ネアがそう言えば、くすりと笑ったのはベージだった。


「成程、最後に塩に戻るのもいいですね」

「最後にタルタルなお口になるのもいいのですが、残念ながら食べ尽くしてしまいました………」

「それなら、俺に残しておいてくれたものを、少し食べるか?」

「…………グレアムさんのお肉をとったりはしません。きっとそんなことはしないわたしであると信じているのです……………」

「やれやれだな。こっちに少し残しておいたものがある。最後に一口だけだぞ」

「使い魔様!」



ネアはタルタルがもう一口あると知り、俄然ご機嫌になった。

それにまだ、謎のからから玉や、こちらも謎食材な雨瞑りも美味しくいただくところだ。


からから玉は、ホオズキの実のような植物で、中の丸い実の部分がからからと鳴ると食べ頃なのだとか。

さっと茹でて、粒マスタードソースで食べるのだが、ぼりぼり齧れる甘みのあるトマトのような味わいでなかなか美味しい。


雨瞑りは、雨に触れると蕾が閉じる芍薬に似た美しい花だ。

観賞用として美しいのは勿論、まだ固い蕾を塩をふりかけて焼いて食べると、ズッキーニに似た美味しさで癖になる。


アザミ玉や雨の花の代わりに、アルテアは、きちんと季節の野菜を探して来てくれたのだ。



「雨瞑りか。ウィームでも、南西部でしか収穫出来ない季節の味覚だな。久し振りに食べたが、好物だったのを思い出したよ」

「まぁ、グレアムさんのお好きな野菜だったんですね」

「この季節なら、ブルスカンドリも好きなんだ。…………シルハーン?」

「見てみたけれど、棘牛は、肉そのものには特に問題はないようだよ。少し変わっているのは毛皮だけかな………」



和やかなムードに戻りかけたバルバ会場を、そんなディノの一言が一瞬で凍り付かせる。


ぎぎぎっと首を捻ってそちらを見たネアに、ディノは特に気に掛ける様子もなく微笑むと、毛皮には湖の気配がするねと重ねて言うではないか。



「わーお、不穏な気配がしてきたぞ。アルテア、毛皮ってどうしたのさ?」

「食用に捌く棘牛の毛皮は、毒が染み込んで使えないからな。燃やしたぞ」

「え、でもシルは、毛皮がおかしいって思ったんだよね?」

「そこに、少しだけ灰を持って来ただろう。棘牛の灰は、招かれていない妖精を除けるものになるからそれでなのかなと思っていたけれど、違うのかい?」



そう指摘されたアルテアは、なぜかふっと光の入らない瞳で遠くを見た。


その場の全員が、アルテアが持って帰ってきた訳ではないらしいぞとごくりと息を呑んだところで、ディノが見ていたバルバ会場の戸口のところが、きらきらと眩い光を放ち始めるではないか。



(本当だわ。灰がある……………)



戸口の横に不自然に盛られた灰があるのだが、それだけ不自然だとわざと作られたものにしか見えず、かえって見逃されていたようだ。


ディノが言うように、妖精除けとして認識されていたのかもしれない。

ネアは、棘牛の毛皮を燃やした灰を戸口に撒いておくと、招かれざる妖精を追い返す効果があると初めて知った。



やがて、きらきらと輝き出した灰の山から、しゅるんと音がして不思議なものが現れた。



強いて言うならば楕円形の石鹸に似ているが、つぶらな瞳があるので生き物に違いない。


とても眩しいのでお外に出ていただけないかなと思ったが、こちらを見ているので出番はこれからなのだろう。



「やはり悪意はなさそうだね。湖の系譜の生き物のようだ………」

「ほわ、石鹸………」

「わーお、精霊かな…………」



困惑の面持ちで話しているからには、ディノとノアにも正体が分からない謎めいた石鹸生物のようだ。


ネアは、しっかりと抱き締めてくれているディノの腕の中から、そんな光り輝く石鹸を見つめる。


すると、フォッフォッフォという不思議な笑い声が響き渡り、その石鹸は柔らかなご老人の声で語り始めた。




「私は、名のある湖の主である。邪悪な棘牛からよくぞ解放してくれた。そなた達には、美しい湖と出会える祝福を授けよう。これからは、行く先々で美しい湖に出会えることだろう」



そう言った途端、石鹸生物はぺかりと光を強め、ネアがあまりの眩しさに目を瞑ってしまい再び瞼を開くと、そこにはもう何もなかった。


あの灰の山も消え失せ、部屋の中はしんと静まり返っている。




「承認型の祝福のようですね」



そう切り出したのはグレアムで、この騒ぎの中、特に問題はないと判断し、美味しく棘牛のお肉を焼いて食べていたようだ。

お腹が空いていたのかなと思ったネアは、パン籠もそちらに押し出しておく。



「成る程、そういう事かぁ。棘牛を捌いて毛皮を焼いたアルテアが、異変を認識した事で顕現したっぽいね…………。認識していないと助けたっていう条件に該当しないから、今迄は出てこなかったんだ」

「湖の主だったのだね。ネア、怖くなかったかい?生き物というよりは、条件を満たした者に授ける祝福が残されただけの証跡魔術だ。祝福を齎すものだから、この建物から弾かれずに入り込んだのだろう」

「……………もしかしてあやつは、棘牛さんに食べられてしまっていたのでしょうか?」

「そうだと思うよ。その毛皮に宿り、解放してくれる者を待っていたのだろう」

「石鹸にしか見えませんでした…………」

「石鹸…………」



ネアは、やけに静かだがエーダリアは大丈夫かなと思えば、祝福を授かった事を噛み締めるように自分の両手をきらきらと輝く瞳で見つめており、隣のヒルドがそんなエーダリアの肩にそっと手を乗せる。



「たいへん言い出し難いのですが、湖の系譜の魔術は、私の方が上位だったようですね。同系譜の祝福が重なるので、エーダリア様とネア様については、今の祝福を受け取れなかった可能性が高いかと………」

「まぁ、名のある湖の主さんよりも、ヒルドさんの方が凄かったのですね!」

「受け取れていない…………」

「ありゃ、エーダリアが落ち込んだぞ………。ほら、僕は受け取れたみたいだから、今度一緒に湖探しに行ってみようか。…………でも、考えたら、行く先々で湖を見付けるのって結構迷惑な祝福じゃない?!」



はっとしたノアがそう言えば、アルテアとバーレンも、その煩わしさに気付いてしまったものか俄かに青ざめる。



「湖だと、美味しいものが住んでいるかな…………」

「ダナエ…………」

「大きな湖に住む魚は好きだし、魚がいると獣も寄ってくるからね。バーレンは気に入らなかったのかい?」

「いや………ダナエが気に入ったのならいいのだが…………」



そんなやり取りをしている竜達の横で、ベージは、色々な祝福がありますねと不思議そうにしている。


ディノ曰く、不要であれば簡単に剥がせるものであるそうで、ベージは数日間この祝福を持ったまま過ごしてみて、扱い難いようであれば剥がして貰うと話していた。



「そう言えば、 ダナエにカードから知らせてくれた者に会いに行って来た」


ネアが、バーレンに話しかけられて顔を上げたのは、バルバの席がいい具合に落ち着いた頃だ。


美味しくお酒を飲みながらお喋りをしていると、いつの間にか沢山の料理はなくなってしまっていた。

今、テーブルの上に乗っているのは美味しそうなデザートで、お酒を飲む男性陣の為には、チーズや果物なども用意されている。


今回の疫病の竜の話をまた少ししたが、その後は、ダナエ達の次の目的地や、先の事件でベージが得た祝福により現れた氷竜達の変化などについて話が弾んでいた。



「まぁ、テイラムさんにお会いしたのですね?」

「ああ。以前、西方の島国でも、やはり同系譜の種族から分岐したという竜に会ったことがあるが、彼等よりも血が濃いようでどこか近しい気配がした。それに、気のいい男で、色々なことを知っている」

「……………いろいろなこと」

「自身の血統について調べたのだろう。様々な竜種の歴史などを…………なぜ安堵しているんだ?」



不審そうにこちらを見たバーレンに、ネアは心を無にして微笑みを浮かべる。

アルテアの方から、絶対言うなという圧が来ているが、ネアとしても不要なのに言及したい事ではない。



「い、いえ。ダナエさんもご一緒に行かれたんですか?」

「うん。…………アルビクロムは、あまり食べ物が美味しくない」

「だろうな。あの土地は永住出来る人外者をかなり選ぶ。自然より派生した、血統が古い人外者の中で暮らせるとしたら、魔物くらいのものだろう」

「ふむふむ。アルテアさんは、アルビクロムが大好きですものね」

「ふざけるな、やめろ」

「そうか。それは知らなかったが、まぁ、あの土地は歓楽街が多いからな」

「グレアム…………」

「うーん、僕はそっちの女の子達は苦手なんだよねぇ。本気で毟り取りに来るからさ……………」

「毟り取られてしまったことがあるのかい?」

「お、覚えてないなぁ…………」



動揺したように視線を彷徨わせたノアに、ネアは、手痛い目に遭ったことがあるのだなと頷き、アルビクロムには近づかないのだと話しているベージにおやっと目を瞠る。


「ベージさんも苦手な土地なのですか?」

「ええ。雪竜程ではありませんが、氷竜には、あまり生き易い環境ではありませんね。身に持つ魔術の資質が濁り易いので、あまり近付かない方がいいと言われています」

「そう言えば、ダリルが試しにエメルを同行したところ、街に着くなり倒れたと話していたな。人間にもその土地の質は感じられるが、人外者には、顕著な影響を受けてしまう者達も多いのだろう」

「あまりお家からも出られない水竜さんを、どうしてアルビクロムに連れて行ってしまったのでしょう……………」

「有事の際に、どれだけ動けるのかを見ておきたかったようですよ。五分以上は意識が保てなかったと話しておりましたからね」



なかなか厳しい職場環境におかれている水竜の祝い子のことを思い、ネアはそっと無事を祈っておいた。



ずっと手元に置いているので、ダリルもなかなか気に入ってはいるようだが、そのような所では容赦がない。


エーダリアの時もそうだったと聞いているので、味方だからこそ、最悪の状況について学ばせるというのが、ダリルの教育方針であるようだ。



「むふぅ。お腹いっぱいでふ」

「かわいい、寄りかかってくる……………」

「ありゃ、いいなぁそれ。僕も寄りかかって欲しいんだけど」

「おい、膝の上の皿を置いてからにしろ」

「む?これは、最後にブルーベリータルトを食べる為の陣地なので、手放せないのですが……………」

「……………おい、幾つ目だ。腰は残っているんだろうな?」

「ふっ、そう虐められないように、今朝はバルバの前まで森で祟りものを狩っていたのです。きちんと運動していますので、私の腰の括れは失われませんよ!」

「日課のように妙な物を狩るな。触ったりはしていないだろうな?」



満腹の中、親しい人たちのお喋りを聞いていると幸せな気分になる。

家族の団欒とはまた違うその穏やかさに、ネアはうっとりとした。


エーダリアは、ダナエ達と、グレアムやベージと共に、ウィームに古くからある魔術についてあれこれ情報交換しているらしい。


ウィームを古くから知る者達と、なかなかにご長寿さんが混ざっているので、思わぬ話があれこれ聞けてエーダリアは楽しそうだ。


バーレンはヒルドと話す時だけはなぜか敬語になってしまうようで、ディノとダナエが話をしていると、グレアムが優しい目で見ていたりする。




(……………私の好きな宝石は何だろう?)



ふと、そんなことを考える。


何しろこの世界には、ダイヤモンドやサファイアという宝石の他にも、様々な結晶石や祝福石もあるのでたいへん入り組んでいる。


昨年貰った新しいケープの宝石を思えば、その美しい輝きに心が震える。

あのケープの宝石の殆どは祝福石だ。



そう言えば、自身の色を持つ人外者達はどのような宝石を好むのだろうかと考え、ネアがそんな質問をするとなかなかに盛り上がった。



どうやらこの世界には、滅多に手に入らない希少な宝石があるらしい。


階位の高い生きた灰色の宝石は殆ど存在しないと知り、ぎゃっとなったネアは、慌ててグレアムに特製のきりんカードと激辛香辛料油を持たせておいた。


色だけだと他人事ではないネアについては、ディノが練り直しの時に施した祝福以外の変化禁止の魔術規則があることと、身に持つ可動域が低いので、そもそも宝石に変えられてしまうようなことは出来ないらしい。



「ネアかな…………」

「もはや色ではありませんね………」

「ずるい…………」

「なぜ、その返答に…………」



殆どの人外者はやはり自身の色が落ち着くようで、エーダリアは、青みの強い青緑色の森結晶と、ウィームの雪の祝福石が好きなのだそうだ。



最近はノアが見せてくれた幾つかの塩結晶の中の、鮮やかで透明度の高い青紫色のものも気に入っているそうで、ネアはふむふむ成程と頷く。


そうして、何となく口元をもぞもぞさせているヒルドとノアに、にんまり微笑みかけておいた。









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