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46. バルバの材料が減りました(本編)




その日は、朝からからりと晴れた。

バルバ日和である。



ネアは、本日の為に沢山食べても腰回りが苦しくならない柔らかな生地の服にしておき、朝食の後は森に繰り出して小さな祟りものを狩ってきた。


はしゃぎ過ぎたせいか、力一杯踏み滅ぼされた祟りものはじゅわっと塵になってしまい、あまりの恐ろしさに目星をつけていたリズモかもしれないぽわぽわの影はさっと逃げて行ってしまった。


収穫の祝福を逃した事は手痛いが、祟りものを滅ぼしただけでリーエンベルクの平和には繋がるので良しとしよう。


そうほくほくしながら戻って来たネアは、バルバ会場に現れた使い魔から、恐ろしい話を聞く事になった。




「…………食材がない」

「そうだ。どこかの竜が市場の食材を壊滅させたからな」

「……………ほぎゅわ」



絶望のあまりがくりと床に崩れ落ちたネアの前で、無常な知らせを告げたのは、バルバの魔物こと最近とても懐いている使い魔だ。


「ネア!」


慌てたディノが抱き起こしてくれたが、ネアはすでに虫の息だった。

しかし、外に二頭の棘牛が繋がれていたことを思い出し、かっと目を見開いた。




「私は、…………あまり食べてないと思う」



犯人ではないことは分かるのだが、ネアがついそちらを見てしまう前に釈明してくれたのは、本日もどこからか棘牛を持って来てしまったダナエで、そんなダナエの側に寄り添っているバーレンも表情が固い。


「ダナエではない。俺は…」

「ああ、すまない。誤解させたな。犯人は分かっているのだが、伝え方が悪かった。…………その、アルテアは、……」

「アルテアは今、作り置きの料理を破棄しなくちゃいけなくて、その竜に怒ってるからね。ちょっと言葉足らずだったんじゃない?」

「おい、そもそもこの状況で説明なんぞしなくても分かるだろうが」

「つくりおきをはき………」

「ネア!」


ここでまたぱたりと儚くなりかけたネアは、ディノにしっかりと抱き締められる。

そんなネアの様子を見て、眉を下げたのはダナエだ。


「…………竜が悪さをしたのかい?」

「うん。何しろ疫病の竜だ。誰が連れ込んだのか、どこからか迷い込んだのか、市場の食材のかなり多くを廃棄に追い込んだ上に、潜伏期間が分からないから、昨日に販売済みの品物も残っているものは廃棄になったんだよね」

「………そうか、疫病の竜だったのだね」



ほうっと息を吐いたダナエの安堵の顔に、ヒルドが歩み寄ってリーエンベルク特製の黎明の雫入りレモネードを渡してやっている。

そうして飲み物を振舞って貰った事で、ダナエは嬉しそうに目元を染めており、そんなダナエを見たバーレンもほっとしたようだ。


やはりこの二人には、何か心を傷付けられるような出来事があったのかもしれないと感じ、生き返ったネアはまず、大量に買い込んだお土産を明かしてしまう戦略を取る。



「しかし、そうなるとせっかくのバルバが…………。ダナエさん達には、せっせと買い貯めた倉庫一つ分くらいのお土産食品がありますが、そちらはお土産ですし………」

「お土産…………?」

「この子は、君達に持たせるのだと言って、随分と沢山のものを買い込んでいるんだ」



ディノの説明に、ダナエはぽわわっと頬を緩め、こくりと頷いた。


隣にいるネアにそろりと人差し指を伸ばすと、微笑んで頭を差し出してやったネアのことをちょびっと撫でてきゃっとなる姿に、ネアは、蝕の時のお礼も兼ねているとは言え、沢山のお土産を買い揃えることを許してくれたディノに感謝した。


その魔物も労わねばと、膝の上の三つ編みを手に取れば、真珠色の髪の魔物は期待に満ちた瞳でこちらを見てくる。

ちょいっと引っ張ってやれば、うっとりとした目で微笑むではないか。



「夜市か……………。昨日は買ってないだろうな?」

「はい。ただ、夜市場に出かけてしまったのですが、そちらは大丈夫でしょうか?」



ネアがそう言えば、ヒルドが微笑んで頷いてくれた。


「夜市場については、元より迷い込むものが少なくない場となりますから、特殊な魔術が敷かれております。勿論抜け道もありますが、店主以外の何者かが商品に手を加える事や、品物を売ったりお客を騙す事は基本的には出来ないんですよ」

「…………まぁ」

「特定市場の誓約の第二条だな。売買の場は古くから魔術が交差し易い。不利益を警戒して客がつかなければ、商人達は立ち行かなくなる。各種族の高位が集まって、かなり早くから制定されている魔術の規則の一つだ」



仕事で商売にも手を出しているアルテアがそう補足し、ネアは、商売という場がどれだけ厳密に管理されているものなのかを思い知らされた。


個人商店についての規則はその土地の規則や為政者達に委ねられるが、市場と呼ばれるものについては、世界的に統一された商売の規則が存在しており、その規則を外れた者は商人としての身分を剥奪されてしまう。



「どれだけ悪辣でも、どれだけ愚かでもそれは商売である限りは問われない。現に、ウィームでは第二種以外は許可されていないが、奴隷商達や、客の魂や肉体を担保とする、あわいや影絵に籍を置く商人達も珍しくない」

「………けれど、市場の品物に悪さをするのは、それが夜市場のようなものになれば、かなり難しい事なのですね?」

「ああ。勿論、規則の中での売買とは言え、その全てが一概に安全とは言えまい。だが、今回の問題からは除外出来るのだ」



ふと、そんなエーダリアの言葉に、ネアは微かな違和感を覚えた。

現れたのは疫病の竜で、だとすればそれは祟りものや凝りの竜などのように、災害の括りに近しいものではないのだろうか。


だが、エーダリアの話を聞いていると、まるで誰かの悪意で品物を損なわれた事件のように聞こえるのだ。



「…………その竜はどうしたんだい?」

「ダナエ…………」



それはとても静かな声だった。

ほんわりと話すことの多いダナエがそんな声を出すと、魔物達の剣呑さにも慣れた筈のネアですらひやりとする。


人外者達は種族によってそれぞれの気配を持ち、竜種の静かな激昂はネアにとって不慣れなものであった。

おまけにダナエは、かなり高位の竜なのだ。

慣れない精神圧にぎくりとしてしまい、ネアは淡い色の瞳が孕む怒りを見て悲しくなる。



「………ダナエ、君が心を荒らすと、この子が悲しむんだ。心を鎮められるかい?」



ひたりと、その静謐な声が届いたのはその時だ。


思わぬ発言に薄く息を飲み、ネアは慌ててディノの顔を見上げる。

こちらを見て小さく微笑んでくれた魔物はいつもと変わらない優しい目をしていたが、気付いて和らげてくれた事に驚いた。



「…………ディノ。…………ごめん。ネア、怖かったかい?」

「…………いえ、怖いというよりは、不快感は心にとって嫌なものですから、ダナエさんがそんなものを抱えてしまったのが悲しかったのです」


ネアがそう言えば、ダナエは瞳を揺らしてこくりと頷いた。


「…………けれど、その竜は、ここを損なったのだろう?捕まえてしまおうか?」

「まぁ、ダナエさんはそれで怒ってくれたのですね?」

「うん………。それなのに君は、私を案じてくれたのだね………」


そう口にしてから少しだけもじもじすると、嬉しそうにバーレンの方を見ているダナエの姿に、こんな風に案じられる事に慣れていないような気がしたネアは、ますます胸が苦しくなる。



「…………ふむ。その竜さんは、どこにいるのでしょう?」

「ありゃ、滅ぼす気満々だけど、今回の事はちょっと色々とまずい連中の逆鱗に触れたから、もういないよ」

「…………主にアイザックだな。ローンに回収させるまでもなく、自分で駆除しに出て行ったぞ」

「市場にも、アイザックさんのお店があったのですか?」



アイザックが自らその竜を処分しに行ったと聞いて、ネアは不思議に思った。

その程度のことと言えば語弊があるが、あの欲望の魔物自らが動く程の大事にも思えなかったのだ。



「商売には、信用と流通の二つの大きな要がある。市場への出店はないが、ウィームの市場はアクスにとっても失い得ない中継地点であり、港の一つだからな。その重要な拠点を半日も閉鎖されてみろ。商売の場は、そこを自身の領域と定めたあいつの聖域みたいなものだぞ」

「……………ほわ、とてもぞくりとしました」

「まぁ、ウィームの市場は彼の丹精込めて育てた港でもあるからねぇ。そういう意味では、復旧が早いってのはこちらとしては助かるよね」



そう呟いたノアはひらりと手を振り、だからさと付け加える。



「と言うわけで、今日のバルバは、場所を変えよう。使える食材と道具を持って、ネアの家のある土地の庭を借りてもいいかい?」



陽気にも思えるその提案に、ネアは目があった塩の魔物の瞳の静かさを認めた。

ノアもこちらを見てふっと微笑んだので、ネアが察しても構わないのだろう。



「そこで出来るのなら、勿論構いません。ディノ、アルテアさんにいただいたお屋敷のお庭を、バルバ会場に提供してもいいですか?」

「うん。事前にノアベルトから相談があったんだ。君が嫌でなければそこにしよう」

「バルバは、やってくれるのだね」



ほわりと嬉しそうに微笑んでそう言ったダナエに、アルテアは呆れた顔をする。


「当然だ。一部の食材は廃棄だが、それ以外のものは、お前達に食わせなきゃどうにもならない量だろうが」

「…………うん」

「ふふ、せっかくみんなで楽しむ予定だったバルバが、無事に出来そうで一安心です!」




かくして、第三回目のバルバは、ネアがアルテアから贈られた、別宅の敷地内で行われる事になった。



到着が遅れていたベージもやって来たので、ネア達はさっそく移動する。


当初は、屋敷の方の庭で行おうとしたのだが、バルバ用の小さな会場を設営するのに向いた場所が森の方だったので、もう一つの不動産な贈り物である森の教会の隣で行われる事になった。


折しも、その森は美しい晩春の花々が咲き乱れる時期を迎えており、アルテアの監修の下、丁寧に手入れされたものであるからこその計算し尽くされた美しさでバルバ会場を彩ってくれる。


綺麗なところだねとダナエが呟いたので、ネアはほっと胸を撫で下ろしていた。

ベージは、友人達の仕事を手伝ってから駆け付けてくれたそうだ。

お久し振りですと微笑んでくれた氷竜の騎士は、今日は騎士装束ではなく休日の装いだ。




「……………俺の方はこんなところでしょうか」

「わーお、こりゃいいや。アルテアは今日は料理担当だから、続きは僕がやるよ」



まず、その森に足場を造ってくれたのは、そんな、この時期にはあまり外に出る事のない氷竜のベージだ。

以前会った時にバルバに招待していたのだが、いらっしゃいと言うだけではなく、思わぬところで力を借りる事になってしまう。


そして、ベージが造った青く白くきらきらと光る氷河のような台座の上に、ノアが、瞬く間に円形の美しい温室めいた建物を造ってしまった。



「…………ほわ」



ネアは、にょきにょきと植物が伸び上がるように足下から現れ、輪郭を鮮明にし、バルバ台を囲む長椅子までを完璧に造ってくれた塩の魔物の技量に呆然とするしかない。


連れてこられ木に紐で繋がれている棘牛達も、驚いてワンワン鳴いているではないか。



(と言うか、一頭の棘牛さんはやけに水っぽいというか、びっしょり濡れているけれどそれでいいのかしら…………?)



少しだけそんな事が気になったが、きっと美味しい棘牛の亜種に違いないと、ネアは唇の端を持ち上げる。

なお、心の中の善良な部分が痛んでしまうので、棘牛達とは目を合わせないようにしている。



「…………バルバ会場が、一瞬で建造されました」

「うん。僕は、城を作るのも好きだからね。こういうのは得意だよ。拘って普通の建材を使いたがるアルテアより早いんじゃないかなぁ」

「この手の魔術におけるお前の器用さが、異常なだけだ……………」

「わーお、僕の事褒めちゃう?」




(そう言えば、塩の魔物と言えば、城造りが趣味だって……………)



そう聞いていた事を思い出し、ネアが尊敬の目を向ければ、にっこり笑ったノアはもっと褒めてもいいよと微笑んだ。



「もしかして、ディノにも、こういう事が出来るのですか?」

「うん。ノアベルト程に早くは出来ないけれどね。もし造って欲しいものがあるのなら言ってご覧。城でも造るかい?」

「…………まぁ。出来てしまうのですね………。なお、不動産については、現在のもので充分に満足しているので、いらないです」

「ご主人様…………」



ノアが建てたバルバ会場は、優しい白茶色の鉱石化した木材のようなもので枠取りをした硝子とステンドグラス窓の宝石箱のような建築物だった。


温室のような作りではあるが、建材である白茶色の木が鉱石になっているので、硝子細工のような繊細さがそこかしこにある。


けれども、藍色の素朴な草花の絵付けのあるタイルと木の天板の大きな作業台や、水周りの蛇口やシンクなどの素朴さには温もりがあり、なんとも言えない居心地のいい空間だ。


バルバ台を囲む椅子は、一人がけや二人がけの体が沈まない程度にふかふかした絶妙な座り心地のソファを連ね、長椅子に見えるようにしてある。


こうして、一人がけや二人がけのものを並べる事で、しっかりと自分のスペースを確保しつつ自分だけの肘置きも使えるのが、堪らない心配りではないだろうか。


長椅子に長時間座っていると隣の人との距離が取り難くなる事もあるが、明確に自分の陣地を持てる座り方はバルバのような会でこそ伸び伸びとさせてくれる。


そこに色とりどりのクッションが置かれ、重ねて背中の後ろに突っ込む事で丁度いい背もたれを自分で作り上げられるのが、また素晴らしい。


特別な装飾がなく、調度品も置いてはいなかったが、壁一面な大きな硝子窓から見える森の景色や、奥に見える美しい教会だけで充分だった。



みなが席に着き、飲み物が行き渡る。


本日のバルバのお客は、ダナエとバーレン、ベージ、そして後から来る予定の特別ゲストだ。



アルテアがまたかと呟きながら棘牛を解体しに行った後は、ヒルドとノアが火をおこしてくれた。


やがて、銀のお盆にお肉を盛って戻って来たアルテアが、網の上に最初のお肉を乗せたところで、口火を切ったのはバーレンだった。




「…………で、狙われたのは誰なんだ?」



ぎくりとして顔を上げたネアは、こちらを見ていたノアやエーダリアに頷いてみせる。


ふうっと息を吐いて、ニワトコの花のシロップを真夜中の氷河の水で割ったものを一口飲み、エーダリアが重たい口を開いた。



「…………恐らく、私かネアのどちらかのようだ。真っ先に狙われたのが、リーエンベルクに食材を卸している店ばかりでな。騎士達もと考えたが、騎士達であれば他にやりようがある。…………ただ、これは印付けのようなもので、実際に疫病に冒された食材が我々の口に入るとは思っていなかったというのがダリルの予測だ………」

「疫病の印付けをし、そこに向けられた悪意があるのだと示した訳か。そちらで犯人の目星はついているのか?」


考え込むようにして翳った瞳が冷ややかにも見えるせいか、バーレンの表情が、最初に出会った油断のならない敵の頃のものに重なった。


最近ではすっかりダナエの弟分といった感じだが、彼とてこのヴェルクレアの第一王子と選択の魔物を相手取り、大きな事件を起こそうとした人物だったのである。



「……………とある妖精達が絡んでいるのは確かだ。だが、まだそれ以上は特定されていない。こうして、ベージにこの建物の土台を造って貰ったのも、私達があえてこちらに移動したのも、悪変や侵食を剥がす意味合いもあってだな…………」

「そうか。君を避難させる意味合いもあったのだな。………彼が遅れて合流したのは、それでだったか」



得心気味に頷いたバーレンに、ネアもはっとした。


言われてみれば、ベージは特に理由も聞かずにこの会場の土台を造ってくれていた。

事前に、エーダリア達と何某かの会話があったと考えるのが妥当ではないか。



「すまないな、気軽に食事を楽しんでくれと言っておきながら、その力を借りるようになってしまった」

「はは、このくらい何てことはありませんよ。俺がここでいただいたものが役立つのなら、それが何よりです」


そう微笑んだベージは、まずは何も聞かずに悪変や祟りものなどを排除する効果のある魔術の領域を構築して欲しいとノアから言われたのだそうだ。

二つ返事で快く応じてくれたのは、この氷竜の性格もあるのだろう。


そんなベージの隣に座ったバーレンは、どうやらベージとは気が合うらしい。

ネアは、後から参加してくれる予定の特別なお客様とその輪に合いそうだと考えているので、またここでも一つの交流が生まれるのかもしれない。


春を司るダナエと、氷竜であるベージは、本来出会う事のない竜種同士だ。

こちらの二人は、おっかなびっくりと言った様子で、おずおずと話をしているのが何だか微笑ましかった。



出ている話題は不穏だが、目の前にはバルバの料理が網に乗せられて焼かれている。

すると、不思議なことに心がそこまで圧迫されないのだった。



「…………むぐ。妖精さんが犯人だと判明したのは、疫病の竜さんからだったのですか?」


ネアは、まずはタルタルからと一口食べ、あまりの美味しさに小さく弾む。


ここに移動した流れで、ネアを守ろうとしてくれたらしいダナエが隣に座ってくれたので、お誕生日席に座ったアルテアから世話を焼かれる席配置になる。


バーレンはそんなダナエの向かいで、ベージがディノの向かいの席となる。



「ああ。捕まえたのがアイザックだったからな。喋らずとも情報を引き出す技術は幾らでもある」

「………ぞくりとしました。そしてこの、からっと揚げた蛸と、細切りにしたお野菜をたっぷり酢漬けにしたもののお料理は、とっても美味しいれふ」

「うん。美味しい…………」



アルテアはきっと、破棄しなければならない食材でもとびきり美味しい何かを作ってくれていたのだろう。

そう考えるとネアは泣いてしまいそうだったが、急遽幾つかの料理を作り足したと思われるものがあり、この揚げ蛸と酢漬け野菜の前菜もその一つと思われる。


何となくだが、焼き物以外の海産物系の料理は、一括調理の工程を経て作られたものが多く、後から足された料理のような気がした。



(お魚を揚げて酸っぱ辛いソースを絡めたものもそうだし、幾つかの調理を途中まで同じ工程で作れるようにして足してくれたのかしら…………)



新鮮な白身魚のカルパッチョ風と、揚げた蛸のものはよく見れば使われている野菜が同じものだ。


凝り性なアルテアではあまり見ない野菜の重なり方なので、ネアの目からも何品かの料理の共通点が見えてくる。



「………ぎゅむ」

「おい、口に詰め込み過ぎだぞ」

「……………タルタル様と真摯に向き合う為には致し方ありません」

「………ったく」



ダナエ達が持ってきてくれた棘牛は、まずは、ネア待望のタルタルになってくれた。

ダナエだけでなく、バーレンやベージも美味しそうに食べており魔物達もそれぞれに食事を始めている。



ここで、ネアからお口にからりと揚げた蛸を押し込まれて弱っていたものの、元気になってくれたディノが首を傾げる。



「ウィームの市場の管理は、とてもしっかりしていると思うよ。昨日の品物を廃棄したのは、別の理由ではないのかい?」

「うん。シルの言う通り、そっちは宝石の侵食を警戒したんだよね。疫病なら、添付されて時間を経ると症状が悪化する。市場を閉じる際の見回りで見つけ出せないって事はまずないよね」

「…………もしや、宝石の侵食ということは、タジクーシャ絡みではありませんか?」

「あ、そっか。ベージは知ってるんだよね」

「ええ。戦前のウィームで、一人の騎士が宝石の侵食に遭いました。宝石の侵食と言えばやはりタジクーシャが連想される。現在、隣国に門が開いていることも重なりますしね」




(宝石の侵食……………?)



それは何だろうと首を傾げたネアに、謎の平べったい乾物を焼いてお皿に乗せてくれたアルテアが、どんなものなのかを教えてくれた。



「タジクーシャの妖精共は、一定の期間ごとに特定の獲物を宝石にし、宝石狩りを行う。指定された獲物は、体が宝石になり切る前に逃げおおせれば勝ち、捕まれば宝石にされてそのままバラバラにされる。あの町は加工された宝石たちの住処だ。そうして力のある宝石を作り足してゆかないと、魔術基盤が弱体化するからな」

「……………そうなると、私は残念ながら可動域が、…………とても上品ですので、狙われたのはエーダリア様ということになるのでしょうか?むぐ?!…………このペラペラの美味しいやつは何でしょう?」

「……………鯨の鬣の干物だ」

「たてがみ……………?」



謎めいた干物を齧りながら、ネアは、果たして鯨に鬣はあっただろうかと眉を寄せる。


しかしながら、現在目の前の網の上で焼かれている新鮮な鯨も青い胡瓜にしか見えないので、謎に満ちた生き物なのは間違いない。


ダナエはこの鬣がかなり気に入ったようだが、この部位はかなり希少なのだそうだ。

市場に出回る量が少ないと知り、少ししょんぼりしていた。



「ああ。……………恐らく狙われたのは、私だろうな。だが、今回のタジクーシャの宝石狩りの獲物は人間ではなかった筈だと聞いていた。その辺りに少し疑問もあるのだが……………」



エーダリアがそう言ったのは、先日、アルテアからタジクーシャについての情報共有があったからなのだとか。



「やれやれ、まさかデジレが王になっているとは思いませんでしたから、あちらも一枚岩ではないのかもしれませんね。…………ドレドと話が出来ればいいのですが、王宮を出られたのなら、彼は二度と戻らないでしょう」

「そう言えば、ヒルドさんはお知り合いの方がいらっしゃるのでしたよね?」



ネアの質問に頷くと、ヒルドは随分昔に会ったきりですがと微笑む。



「現王のデジレの兄であるドレドは、私の古い友人の一人です。彼は、妹がいささか……………我が儘で浅はかな野心家でしてね。愚かな妹が周囲に災いをもたらさぬようにと、その為だけに王宮に留まっておりました。画家になりたがっており、王宮での暮らしは好んでおりませんでしたね………」


いささかという前置きにしてはかなり辛辣な意見を述べ、ヒルドは雪月と薬草のお酒を口にする。


確かに話を聞いただけでも強烈そうな妹だが、そんなタジクーシャの王女は、既に亡くなっているのだそうだ。



「前々回の宝石狩りで、人間を標的にしたことがあったらしい。だが仕損じてその兄王子のかけた呪いに触れ、身を滅ぼしたということになっている。王家としてはきな臭い話だが、それをそのまま開示しているのであれば、恐らくは事実だろう」



ヒルドの古い友人がいたからか、タジクーシャの妖精王がとある人間を探しているという噂が持ち込まれ、エーダリア達はすぐさま調査をしたようだ。


最初は、ヒルドの友人が、ヒルドが共にいる人間に興味を持ったのではという理由からだったが、どうやら状況が変わってきたとなれば、特に王の周囲は綿密な調査を重ねなければならず、ある程度の情報は握っていると言う。



「へぇ、人間でも逃げ延びられたのかぁ……………。前々回ってことは、前の王の時代だよね。あの強烈な王をよく出し抜いたなぁ」

「むむ、そんなに怖い王様だったのですか………?」



お皿に届いた青い胡瓜ならぬ鯨焼きをはふはふ食べながら、ネアがそう聞いてみると、面識のあったというディノが、タジクーシャの前王の人となりを教えてくれる。


ディノも前回でこの青い胡瓜に慣れたようで、今日は二つあるソースの内、香草を刻み入れたマヨネーズソースのようなもので鯨焼きを食べていた。

なお、ネアは魚醤を使ったピリ辛ソースだ。



「ダウル王はね、屑石の妖精だったと言われている。その代わりに、とても強欲で残忍で、王としての力だけで己の階位を凌駕した珍しい妖精だよ。あの町の王族は金剛石の妖精達だから、時折屑石が生まれてしまうようだね」

「ええ。そして、デジレは黒、ドレドは白でした。妹のツドラは黄で、それぞれに気質がまるで違いましたね」



ヒルドのその言葉に、ネアは、ブラックダイヤに通常の無色透明のダイヤ、イエローダイヤモンドだったのかなと思いを馳せる。


宝石から妖精が生まれるとなればこちらの世界らしいことだが、タジクーシャについては、自然のものではなく、研磨されカットされた宝石の妖精達だ。


装飾品として人々の手から手へ受け継がれ、その美しさに畏怖や執着を受けた特等の宝石からしか生まれない。



「ディノ、こちらでも、金剛石をダイヤモンドと呼びますか?」

「うん。そのような呼び方をするね。魔術的な階位は高いが扱い難い宝石とされるけれど、君であれば身に着けられるだろう。好きな宝石であれば買ってあげるよ?」

「難しい宝石なのですね…………」



ダイヤモンドは、その煌めきに虹を持つ宝石として、こちらの世界ではあまり重用されない。


良質なものは身に着けるには階位が高く、その輝きを上回る高位の人外者は、他の系譜の資質を持つ輝きを喜ばないのだ。

また、宝石自体がその煌きの色に耐えられず自壊することも多い。

故に、タジクーシャの金剛石の妖精達は、狂気を孕みやすいとも言われている。



「私のいたところでは、上質なダイヤはとても高価でしたし、小さなダイヤは一般的な宝石でもありました。殆どの宝飾品につけられていたのではないでしょうか?」

「うん。君のいたところでは、無色や白が扱いやすい色としてかなり多用されていたようだったね。こちらでの金剛石は、小さなものはかなり安価だよ。内包物が多く虹の光を持たないものもすぐに割れてしまうから、よく屑石と呼ばれている」


ネアが、他にも価値が変わってくるものがあるのだろうかとこちらの世界の宝石について思いを巡らせていると、じゅわっとお肉を焼く音が響き、視線がそちらに釘付けになった。


肉の焼けるいい匂いにくんくんしていると、目が合ったアルテアが少しだけ意地悪な微笑みを浮かべる。



「まぁ、お前は宝石より食い気だな」

「肯定しかありませんが、私とて美しいものを愛でる気持ちはありますよ?」



思わずそう言い返したネアに、エーダリアが、アルテアがそれを指摘した理由を話してくれた。



「タジクーシャの妖精達の力が及ぶのは、彼らの持つ美貌に掌握される者までなのだ。お前のようにそれよりも優先するものを明確に持つことは、いい宝石除けになる。だが、宝石を愛でずとも、宝石よりも美しいものを知らなければ取り込まれる可能性が高い。美貌は階位そのものだからな。とは言え、お前はそちらの心配もないだろう……………」

「む……………」



どこか遠い目をしたエーダリアが、ぐるりと周囲を見渡す。


確かにそこには、宝石から派生した妖精達よりも美しいに違いない魔物達が座っている。


同じような理由から、伴侶がいる者達や子供や、主人を持つ家臣達、宝を持つ竜などもその魅力には屈し難いのだそうだ。



(つまり、心の隙間があるような人の方が狙われやすいのだ……………)



であるなら、身を挺しても一族の若者を未来に繋げようとしたベージや、恋人も食べてしまう悪食のダナエは大丈夫だろう。


ちょうど同じ事を考えたのか、バーレンがぽつりと呟いた。



「ダナエは、大丈夫だろうが……………」

「宝石の妖精は、あまり食べないかな」

「……………それを聞いたのではない。だが、食べたんだな」

「うん。好きな女の子がいたんだ」



そんなやり取りをしているダナエとバーレンを見ていると、バーレンも大丈夫そうな気がする。


視線を感じたのかバーレンがふっとこちらを見たので、ネアは、お皿の上に使い魔便で現れたお肉をもぐもぐしながら、青い瞳をじっと覗き込む。



「…………なんだ?」

「バーレンさんにとって、一番綺麗なものはなんでしょう?」



突然そんな事を尋ねられてしまった最後の光竜は、目を瞬いて一拍置き、小さく頷く。



「ダナエだな」



大真面目にそう答えたバーレンに、魔物達は目を瞠ったようだ。


エーダリアとヒルドも、あまりにもきっぱり言われたので思わず頷いてしまったようで、ベージは確かにダナエは美しい竜ですねと穏やかに微笑んでいる。



「ふふ、それなら、バーレンさんはどこかでその妖精さんに遭遇しても安心ですね」


ネアにそう言われ、それまで微かに不安そうにしていたダナエもこくりと頷く。

人間のように謙遜する事はないが、バーレンが自分の名前を出してくれたことは嬉しかったのか目元を染めている。



「君が一番と思うのは何だろう?」

「ディノ?」



けれど、この話題を聞き流せなかった魔物が一人いたようだ。



人間とは強欲なもので、そう問われると困ってしまう。

この世界には美しいものが沢山あり、本音としては甲乙付け難いと言わざるを得ない。



(でも、純粋な美しさだけで判断するというのは、人間には難しいのではないだろうか…………)



ネアはとても利己的な人間なので、この質問の返答にはやはり自分の心が響いてしまう。



「生き物で言うなら、魔物さんの瞳や髪の毛は綺麗だと思います。ヒルドさんの羽も綺麗ですし、実は竜さんの輪郭も好きだったりします。…………とは言えやはり、ディノの髪の毛や瞳かもしれません。無機物で良ければ、私のお部屋でしょうか…………」

「部屋、なのかい………?」

「ええ。宝物がそこかしこにありますし、私の大事な魔物も生息していますから、自慢のお部屋です!」

「ご主人様!」

「ほお、よくそちら側で持ちこたえたな」

「むむぅ。ローストビーフ様やタルタル様は、美しいというよりは尊いものですものね!」




ネアは厳かにそう告げ、この世界の中でもかなり尊いに違いない選択の魔物が作った棘牛のタルタルを口に入れた。


なお、現状でもまだ、びっしょり濡れてワンワン鳴いていたあの棘牛が、ただの棘牛だったのかどうかは判明していない。






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[気になる点] >「タジクーシャと言えば、そろそろ昔馴染みが王になっている頃かもしれませんね。七代目の王には息子が一人しかおりませんでしたから」 宝石竜を見つけた回でヒルドが言った事と今回出たデジレ…
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