狩りの密談と砂漠の晩餐
「さて諸君、狩りをしようか」
膝の上で両手を組み、そう微笑んだ男にわっと拍手がおこった。
中には立ち上がって涙を流している者もおり、その足元には冷たい灰色の床石に転がり、灰になってゆく獣の爪を持つ魔物の姿がある。
「我々が、獲物を宝石にするのは随分と久し振りだ。かつて何人かそれに値する者達が現れ、この街の繁栄に貢献してきたが、久しく宝石狩りはしていなかった」
静かな声は広い広い部屋の中にどこまでもさざ波のように伝わってゆき、最奥のエメラルドの扉を守る騎士達が恭しく礼をする。
「今回はどのような宝石にいたしましょうか?」
「………前回は妖精だったな」
「そうでした、そうでした。羽の黄水晶に緑柱石の模様がそれはもう繊細で美しくて……」
「あの瞳の緑は極上の宝石になりましたが、私はまだ王冠などに嵌められた事を許しておりませんよ」
「おお、あなたもそうお思いか。私も出来れば武具などに取り付けたいと思っておりましてな」
「馬鹿な事を言わないでちょうだい。素晴らしい宝石だからこそ、砕いて絵の具にしてしまうべきだったのよ」
暫くの間、議論で持ちきりとなった部屋はとても賑やかになった。
王座に座った男は、それを静かに見つめながら臣下達の議論が一点に収束してゆくのを待っている。
その部屋は、砂色の妖精石に精緻な彫刻を施し、そこに彫刻の形に削り出した色とりどりの宝石を嵌め込み、上から月水晶の釉薬をかけて焼いたタイルを敷き詰めた壮麗な大広間だった。
多くの客人達はこの部屋の床は絵付けのタイルだと思って覗き込み、宝石細工である事に驚嘆し言葉を失う。
天井から吊るされた三台のシャンデリアには、月雫の結晶石と星明かりから紡いだ宝石をふんだんに使い、間隔を空けて複雑な光を宿すようにカットした月光石を配置してある。
夜から紡いだ様々な宝石を集めて作られた今代の王の玉座には、長い黒髪を持つ男が座っていた。
いっそ簡素にすら見える漆黒の装束は、黒しか扱わないという仕立て妖精のシーに誂えさせたものだ。
その漆黒の装いを彩る宝石は、ぞっとする程に深い青緑の瞳と、膝の上にぞんざいに置いた赤い宝石ばかりを集めた半月刀のみ。
階位に合わせて調整した瞳だと、この妖精は随分と鮮やかに見える。
つまりそれは、階位に見合うだけの力を持つ者だという証なのだ。
「…………魔物と言う者が多いようですね」
そう呟いたのは王座に腰かけた男の隣に立つ、黄金を紡いだような髪の男であった。
王と同じように髪の一部を編み込み、下ろした髪の先は腰よりも下に位置する。
浅黒い肌の色に光の色そのものを湛えたような陽光の色の瞳は、怜悧な印象の強い美貌を殊更に際立て、王と並べば闇と光のような組み合わせだ。
「…………では魔物にするか。どうせ魔物ならば女がいいだろう。冴え冴えと光るような、冷たく美しい宝石になるような女がいい」
「…………デジレ様の趣味は、偏っていらっしゃる」
「甘ったるい色合いの宝石が良ければ、その辺の花からでも紡げるだろう。宝石狩りをする以上は、獰猛で希少な宝石でなければ意味がない」
穏やかな声で微笑みそう告げると、デジレと呼ばれた王は近くの卓に置かれていた青銀石の杯から葡萄酒を呷った。
長い黒髪は僅かなうねりを持ち、隣に立つ副官めいた金髪の男のさらさらとこぼれ落ちる髪質よりは、彩り多く色めいた曲線を描く豊かな髪だ。
「魔物となると、呼び寄せるのが厄介ではありませんか?我々が宝石狩りをする事くらい、魔物であれば殆んどの者達が知っているでしょうに」
「そうでもないさ。ここはタジクーシャだ。私の探し人を呼ぶついでに、餌でも撒いておこう」
そんな会話を聞きながら、白瑪瑙の鉢に盛られた果物の一つを取り上げる。
夜の花園の間と呼ばれるこの部屋に集められたタジクーシャの王の臣下達は、それぞれの主張をいつの間にか見事に纏め上げ、玉座の王と同じ結論に達したらしい。
金髪の副官らしき男がデジレ王の意向を伝え、彼が口にした特徴を備えた獲物の捜索が行われることとなる。
その巧みさと喧騒を見下ろし、成る程こうして統一意識を育てるのかと興味深く観察した。
「…………お客人。そのような宝石に心当たりがあれば、話してくれても構わないのだが、………あなたはそうなさらないだろうな」
「残念ながら、噂に聞く宝石狩りには興味があるが、見ず知らずの同族を売る程に退屈もしていない。君が獲物と定めるのであれば、それは厄介な気質の者だろう。騒ぎに巻き込まれるのは御免だからな」
「それは残念だ。手間を省けると思ったのだが」
「狩りであれば、獲物は自分で探し出す方が愉快だろう。だが、こちらの領域には手を出さぬ事だ。俺が君を訪ねたのは、それを伝える為なのだからな」
齧った林檎がしゃりしゃりとした歯触りとその爽やかな瑞々しさはそのまま、口の中で見事な宝石になる。
本来の植物の系譜の林檎とは違えど、こちらも嗜好品として流通しているタジクーシャの固有種だ。
宝石しか食べないタジクーシャの王族の為に育てられた宝石の木には、数千年前から見事な宝石の果実がなるらしい。
齧り取り嚥下した宝石は甘かったが、あまり好みではなかった。
やはり、果実は普通のものが一番だ。
この妖精達が興味を持たないような普通の土地で実をつける林檎の方が、遥かに良かった。
「成る程、あなた方の王とその伴侶には手を出さぬようにと?」
「森を奪われれば、タジクーシャの妖精達は宝石の果実を収穫出来なくなる。元はこの街は砂漠の中のオアシスだ。君達に繁栄を与えたのは、とある妖精王だと聞いている」
「…………随分と古い歴史をご存知だ。子爵位の魔物としては長命であるらしい」
「代替わりしようとも、司るものが唯一である以上はそれなりには」
そう微笑むと、タジクーシャの王は小さく笑った。
宝石の系譜の妖精らしい美貌は、硬質で清廉だが、そこにその宝石ごとの移ろわぬ輝きが差し込む。
慈悲深く穏やかな者もいるが、高慢で残忍な者もおり、奔放で欲深い者もいる。
(だからこそ、宝石の妖精の王は、絶対的な力を持ち畏怖を集めなければならない…………)
この土地の妖精達は、鉱脈から生まれた宝石ではなく、掘り出され嗜好品として集められた宝石から派生した固有種だ。
その他の資質の者達のように統一された嗜好を持たぬ一族を取り纏めるタジクーシャの王は、妖精というよりは魔物の質に近いのだとか。
かつて、最も古き宝石の妖精の王が、そんなタジクーシャの妖精達に情けをかけた。
あわいとして分離した砂漠の街が、再び砂に埋もれ派生した妖精達がただの宝石に戻ってゆくことを憐れみ、タジクーシャの周囲に宝石の森を作ったと言われている。
文献によれば、その妖精王は森と湖などをも司り、光竜すら狩る妖精種の始祖の片割れだったのだそうだ。
今はもう、その妖精達が暮らした島には、古き妖精の民は残っていない。
魔物が作った遺物を巡り、同じ島に暮らした森の精霊に裏切られ、海の向こうからやって来た人間に攻め滅ぼされたのだ。
(それもまた、珍しい事ではない…………)
古きもの達が、それまでは平穏であったからといってその先も共に理解し合える筈もなく、ほんの些細なきっかけで矮小なものが大いなるものを狡猾に滅ぼしてゆく。
だからこそ、こうして足を運び、歪みやすい土地に丁寧に針を打ってゆくのは、かつて、転がり始めた小石が全てを突き崩すのを止められずに見ていたからだろうか。
それとも、この行為自体も魔物らしい我欲故にだろうか。
「この街の興りを知られているのであれば、私はあなたを警戒するべきなのだろうな」
「それなりの階位の魔物達であれば、タジクーシャの森を枯らすのは造作もないだろう。だが、俺はあまり大きな変化は好ましくないと考えている。それなら、君に忠告しておいた方が確実だったからな」
そう告げれば、宝石達の王は僅かに考え込む様子を見せはしたがさして躊躇いはしなかった。
本質的な返答は決まっており、こちらの言葉に裏や含みがあるのかどうかを思案したのだろう。
「では、約束しよう。私は、魔物の王とその伴侶には決して手を出すまい」
「王として、約定を違えぬと?」
「しつこい男だな、あなたも。………その通りだ。王として誓おう。この名から頸木を外し、王としてそれを成す事もない」
「…………それを聞いて安心した。久し振りの訪問ではあったが、この宮殿を訪れたことは幸いだったようだ」
「……………構わないのですか?」
話を切り上げて立ち上がろうとしたところで、隣に控えさせていたこちらの従者が短く声を上げた。
一瞥すればぎくりとしたように押し黙ったが、放たれた言葉を回収するには至らない。
そちらを見たデジレが、片方の眉を持ち上げたので、小さく息を吐いて、慌てて言葉を飲み込んだ従者に発言の許可を与える。
「………いえ、魔物の王ともなれば気紛れなもの。その伴侶は人間だと聞いております。私の同胞ながら、人間もまた身勝手な生き物ですから、意図せざるところでそちらから不利益を被る事もあるでしょう」
その問いかけに片手を額に当てて溜め息を吐くこちらの隣で、タジクーシャの王とその副官が顔を見合わせて失笑するのが察せられた。
彼等は最初から、子爵位の魔物が人間の従者を連れて来た事に嘲りを隠そうともしない。
その上でこの発言ともなれば、笑わずにはいられないのだろう。
「人間の稚拙な問いかけに答えるには及ばないが、お客人の顔を立てて答えてやろう。…………万象の魔物の振る舞いは、それ自体が世界の災厄そのものに近しい。故に万象が我々を気紛れに損なうとしても、それを防ぐ手立てなど最初からありはしない。次に人間だが、…………それが例え万象の伴侶だとしても、魂と思考は人間である事に変わりない。そちらについては、指輪に紐付く肩書き以外は取るに足らないものだ。どちらにせよ、我々はそのどちらについても黙認する」
「…………タジクーシャは宝石と商人の街です。大いなるものも、矮小なものも、我等はそれ相当に扱い今日までの繁栄を保ってきました。無粋な質問はここまでにしていただきましょう」
王の言葉を引き継いだ副官のシーに、連れてきた従者は恥じ入ったように頭を下げた。
「すまないな。なにしろ成り立てで、まだ言葉の示す道理を知らぬようだ」
「いや、人間とはそのようなものだ。…………あなたのような方が、人間などを従者にするとは随分と悪趣味だとは思うがな」
「俺とて、時には退屈する。そのような余興も必要だからな」
そう答えて立ち上がればデジレも立ち上がり、差し出された手を取って握手を交わした。
このような習慣は魔物だけではなく妖精にもなかった筈だが、タジクーシャには独自の文化が色濃く根付いている。
立ち上がった王は、こちらを見た臣下達には、次の宝石狩りは魔物に決まったと朗々と宣言しつつ、客人のお帰りだと迎え入れた魔物とその従者を、副官のシーに丁重に外まで案内させた。
壮麗な宮殿を抜け、物言わぬ石像のような石造りの衛兵達に見送られて門を出たところで振り返れば、独特の青い宝石タイルに覆われたタジクーシャの宝石の宮殿が静かに佇んでいた。
ウィームに居を置くアクスの本社のように、或いは、カルウィに住む水竜達の領域のように、ここはタジクーシャの領主館の中庭の奥に併設された特殊な空間で、招かれた者しか立ち入る事の出来ない宝石の妖精達の棲家である。
だがやはり、ここでも少しだけ砂の香りがした。
「………さて。用事は済ませたが、他にも幾つか立ち寄るところがある。はぐれぬように着いてくるように」
「御意」
そう命じれば、恭しく頭を下げた従者は、栗色の髪に銀紫の瞳をした端正な顔立ちの人間だ。
家令か執事のような黒い燕尾服姿ではあるものの、こちらを見た瞳に宿る感情は辟易としている。
とは言え、所詮、このあわいからは出られない妖精達と手を抜かず、経由地を設けて監視などの目は振り切っておかねばならない。
(それまでは、)
それまでは、主人と従者らしく。
「…………今代のタジクーシャの王とは、初対面ではないのだな」
「百年ほど前から、前王が存命とは言えあれがほぼ実権を握っていたからな。………二度とやらんぞ」
「構わないさ。今回の事は、火の慰霊祭の失策の慰謝料のようなものだ」
「ヨシュアにも言ったが、それを、当然のように要求するつもりなら、魔物の銘を捨てた方がいいかもしれんな」
魔物には、そのような概念がない。
それは勿論、よく理解している。
それぞれが司るものの王である以上、自身の振る舞いで他者にどんな害が及ぼうとも、それは避けられなかった者の責任でしかないのだ。
不愉快に思えば報復するし、友人やそれ以上の関係の者であれば謝罪もする。
だが、その輪の外側の他の魔物に対し、魔物が頭を下げる事などはあり得ない。
それはつまりのところ、明確な境界のある領地を持たぬ生き物らしい、一般的な感覚であった。
だからグレアムも、あの時に狂乱に堕ちた自分を終わらせてくれて感謝していると、この魔物に言うことはない。
言わずとも知っているのだから、それでいいのだ。
「魔物らしからぬことは承知しているが、君とは、これからも隣人としての付き合いがあるからな。それとも、ネアに既存の種ではない、ウィーミアの術符を渡して終わりにした方が良かったか?」
「………やめろ。あいつは、今でもその術符を安易に切り出しすぎているくらいなんだぞ。これ以上、おかしな癖を付けるな」
顔を顰めてそう吐き捨てたアルテアに対し、同じテーブルに付いたもう一人の魔物が、わざとらしく腰の剣をテーブルに立てかけた。
「はは、あの件でネアがどれだけの危険に晒されたのかを思えば、従者の真似事くらい大人しく堪えてくれませんかね」
「その顔をあいつに見せてやれよ。案外、お前の帽子のように喜ぶかもしれんぞ」
「知らない事もないでしょう。ネアには、あまり望ましくない部分も見られていますからね。………ただ、彼女はそれでも俺を倦厭しない。それだけですよ」
「おい、さらりと自慢に切り替えるな」
さらさらと、風に大きく育った林檎の木が揺れる。
魔物には明確な領地がないものの、それぞれに己の根付いた土地にある程度の縄張りのような概念は芽生えるものらしい。
あれだけこの世界の最初の砂漠の記憶に苦しめられながら、なぜか終焉の魔物はこの近隣の砂漠とオアシスの街をそう定め、他の魔物達は、例えこのサナアークに屋敷やお気に入りの生き物を作ろうとも、ここが終焉の魔物の特定地である事を理解している。
タジクーシャからの帰り道で何箇所かの経由地を踏んだ後、グレアムとアルテアがサナアークを訪れたのはその為だ。
侵食の系譜の魔術を紐解く器用さはないが、付けられたかもしれない糸や、足跡のように残して来たものを断ち切る断絶においては、終焉の魔物以上に長けた者はいない。
そして、元々は砂漠のあわいの一つだったタジクーシャもまた、このウィリアムが上位権限を有しているのだ。
タジクーシャに住む者達の思惑を止められはせずとも、例えば、タジクーシャなど滅ぼしてしまおうと思えば、様々な手をかける事なくもっとも簡単にそれが出来るのは唯一終焉の魔物だけなのである。
(もっとも、高位の魔物達が同時に複数名で居を構えたウィームのような土地や、シルハーンの事のように、後からその土地に暮らすようになっても階位が高ければ、その土地の管理権限は上位者に移るが…………)
だが、そんなシルハーンは、ウィームという土地の手入れについては、これまで通りに古参の魔物達に委ねている部分も多いようだ。
アルテアやアイザックだけではなく、ニエークですらそのままの管理を許されているし、グレアム自身もかつて手入れをしていた土地の権限は好きなようにして構わないと言われている。
魔物の王は、容赦のない者だ。
タジクーシャの王が話したように、世界としての資質が強く、災厄のようなものでもある。
だが同時にそれは支配こそをとは言わずに、止まり木のように多くの者達に自身の領域での暮らしを許しているのだろう。
そういう方なのだ。
「それにしても、タジクーシャが絡むと厄介ですね。………宝石の妖精達は支配もするが所有もされたいという面倒な気質だ。何というか、…………ネアをあまり近付けたくない」
「同感だな。ひとまず、タジクーシャが開いているのが他国である事と、あいつが、自らは近付かないと決めた事は悪くない。…………後は、妙な事故に遭わないようにさせるしかないが、あの王が探しているのはヒルドだからな」
「うーん、やはり気にはなりますね…………」
微かに眉を寄せてそう呟き、ウィリアムは気付いたように肉にかける香辛料のソースの瓶をこちらに置いてくれた。
気付いたのかとは、聞けずにいる。
この対価上、そう尋ねられることはないだろうし、ウィリアムもまだ探りを入れるような事もしてはこない。
けれども時々、あの頃のような会話の温度が生まれ、ふと戸惑ってしまうことも少なくない。
(いつか、………君にあの日の事を詫びられるだろうか………………)
心を傾けたものを殺させ、狂乱させてしまったのは、転がってゆく小石を止めなかったグレアムの怠慢であった。
じわじわと染み込む毒のような崩壊は、急襲された訳でもなく、防げなかったものではなかったのだ。
オアシスの街の夜風に髪を揺らしている友の横顔に、今はまだその贖罪を隠して、浅く薄く微笑むばかり。
はらはらと、どこからか満開の花の花びらが風に舞った。
(だからこそ、シルハーンの事は必ず守ってみせよう…………)
目に付いた棘は全部抜いてしまえばいい。
それに、ネアであればその種の過ちは犯さないだろうという確信もあった。
魔物の伴侶は、独善的で冷酷でなければならない。
どれだけの宝や愛情を得ても、判断を迫られた時には伴侶の魔物だけを選び、時には自分の願いすら断ち切らなくてはならないのだ。
けれど、ネアはきっとそうするだろう。
その腕にはシルハーン以外のものも強欲に抱え込んでいるが、彼女はきっと、いざとなればその全てをたった一つの為に捨てる筈だ。
(……………シルハーンの伴侶が、ネアで良かった)
「…………タジクーシャ王から人間の側から齎される不利益の言質を取ったのは、ネアが彼らを狩る可能性を考慮したのか?」
「考えてもみろ。あいつならやりかねないだろ」
「そのような運命の質を持っているのは確かだな。…………今夜はリーエンベルクに?」
「そうそう毎日ウィームに滞在出来るか。明後日も呼びつけられているんだぞ」
「ああ、おまんじゅう祭りでしたっけ。ネアから教えて貰いましたよ」
「お前は来なくていい」
「アルテアは疲れているみたいですから、俺が代わってもいいんですが」
「お前な、幾つも鳥籠に育ちそうな国があるだろ」
「時々、死者達の回収なんて放っておいて、好きなだけ休暇を取りたいと思う事もあるんですよ」
「一つはタジクーシャ近くの領地だろ。まぁ、十中八九のところタジクーシャ絡みの騒乱だろうが」
「はは、うんざりだな」
ウィリアムがそう笑ったところで、ざざんと強い風がオアシスの木々を揺らした。
木々の枝葉が揺れると、こちらのテーブルに落ちる月光の色が変わり、グラスの中の酒の祝福に月の光が煌めいた。
「さて、そろそろかな」
そう呟いたのは、ウィリアムだった気もするし、アルテアだったのかもしれない。
手に取ったグラスの中身を飲み干しテーブルに戻せば、そこにはもう誰もいなかった。
ただ、経由地の魔術洗浄として立ち寄り、簡単な晩餐を共にしたばかりの短い邂逅だ。
用が済めば、皆それぞれの場所に帰ってゆく。
ふっと微笑み、静かな夜の月の光と風の音を暫く楽しんだ。
今夜はあの色鮮やかな妖精達の集いではなく、この清廉で美しい月の光を瞼の裏に焼き付けて帰ろう。




