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悲劇のゼリーと小さな人形



その日の朝に起きたことは、幾つかの悲劇が重なった上での顛末だったのだろう。

後になればそう思わざるを得ないのだが、ネアにとっては絶望に満ちた夜明けとなった。




最初の悲劇は、前日の夕方より始まる。


ネアはその日、日帰り出張な仕事を引き受け、小さな村を訪れていた。


ウィーム領主としてのエーダリアの代理の仕事だったのだが、エーダリアの代理で特殊な事故の調査を兼ねアルバンの近くにある小さな村に赴いたのだ。


現在そこでは古い魔術史跡の発掘が行われており、作業員である魔術師の一人がちびふわ化するという痛ましい事故が起こったのは、昨日の朝のことである。


ウィーム領主は、ちびふわ専門家でもあるネアを急ぎ派遣し、ウィーム領としての調査研究での事故であるからして、お見舞い金などの説明と、作業員がどのようなちびふわになってしまったのかの調査、更にはその呪いが解けるまでの生活指導などが行われた。


幸い、作業員がかけられた呪いは、一晩で解ける洞窟ちびふわの呪いだったようだ。


ネアとて熟練のちびふわ博士である。

その呪いを残したのは先代の犠牲の魔物に違いないと判断し、ディノを通じて解術や史跡の由来などを教えて貰うことも出来た。


ちびふわの呪いが一過性のものであることを知らされて安堵した作業員からは感謝され、このまま、ちびふわの専門家になるのも吝かではないと、その時までのネアは自信満々であった。



(史跡の調査にも貢献出来たし…………)



作業員達が調査を進めていた大きな杜松の木の下にあった小さな礼拝堂のような史跡は、旧王朝時代に封じられたフライパンの魔物が眠っているらしい。


グレアム曰く、酷い焦げ付きを強要されてしまい祟りものと転じているので、うっかり掘り起こさないようにとちびふわの呪いが敷き詰められていたようだ。


だが、嵐や触などで経年劣化したものか、表層の流星鉱石が剥がれて露出したことを受けての今回の調査では、その封印が弱まっていることも判明した。


今後、恐ろしいフライパンの魔物はあらためて封じ直し、封印の儀式も執り行うこととなるそうだ。



そんな事故現場で、うっかり新たに見付かった史跡の割れ目を覗き込んでしまったネアを最初の悲劇が襲った。

高名な魔術師でもなかなか聞かないという、三度目の工房中毒になってしまったのだ。


最初にネアが覗き込んでしまったお陰で、調査員には被害が出ずに済んだのは幸いであるが、げふげふぜいぜいする羽目になったネアからすればとんだ災難である。


なぜか、やはり厄除けの祝福があるのだと拝まれながらよれよれになって帰路に就き、リーエンベルクに帰るなり寝込む羽目となった。




そして一夜明けた朝、ネアはリーエンベルクの会食堂にいた。


窓からは清しい新緑の森と中庭の花々が見えているし、咲き過ぎて枝を重くしていたという薔薇の花が昨日からテーブルに生けられている。


お気に入りだった冬聖の枝は冬の装飾の多い大広間に移動されているが、この季節のリーエンベルクの会食堂は窓そのものが絵画のような彩りで部屋を飾るのだ。



そんな中で、ネアは昨晩からの自らの行動を振り返っていた。



(塩っぽい野菜ジュースのようなものを飲まされて寝落ちする前に、スープを作ってくれたアルテアさんに桃のゼリーを頼んで、…………朝になってすっかり元気になって朝食の席に来たところで、置かれていた桃ゼリーを食べて………こうなった……………)



一連の行動について、ネア自身にも後悔するべきところはある。


まず、工房中毒で時間感覚が狂ったものか、ネアが会食堂に来た時間は、いつもより一時間も早かったらしい。


残念ながら、同行してくれた魔物はネアがお腹が空いたのだろうと考えその時間差を深く気にかけておらず、ネアはいつもの朝食の準備がなく、なぜか美味しそうな桃ゼリーがててんとテーブルの上に置かれていた会食堂にやって来た。


前日の桃ゼリー発注履歴を思い出し、これはもう使い魔からのお見舞いの品であると疑いもしなかったのだから、運が悪かったとしか言いようがない。


一つしかないがこれはご主人様用のお見舞いの品であると伴侶な魔物に厳かに伝えた後、ひんやり美味しい桃ゼリーをぱくりと食べてしまったことまでは記憶に新しい。


そこで誰かに毒味をさせるだけの慎重さを欠いた事については、反省するべき点だろう。

とは言え、美味しそうな桃ゼリーを食べた途端体が縮むなど、どうして想像出来ようか。



「ぎゅむ…………ぐるる」



現在ネアは、テーブルにも届かないくらいの身長になって、おろおろする魔物に抱き上げられ、会食堂の入り口に戻って来た邪悪なウィーム領主と、一緒にいた共犯に違いない義兄と対面していた。



「……………ネア、………………」

「わーお、もしかしてそこに置いてあったゼリー、食べちゃった?」

「むぐるるる!」

「ネアが減った……………」



威嚇の唸り声を上げて悲しみを表現したネアに、エーダリアは鳶色の瞳を呆然と瞠ってへなへなと床に座り込みそうになり、慌てたノアに腕を掴んで支えて貰っている。



「これは、使い魔さんに頼んだ桃ゼリーではありません!」

「……………その通りだ。お前が工房中毒に罹ったと知って、作業員の一人が村からの見舞いの品を届けてくれたのだが、敷かれている魔術が妙だとノアベルトが言い出してな。調べたところ、トウフェムの桃と同じような効果を持つ桃が使われていることが分かった。隣り合った二つの村であるからして、どうやら近くの村の住人達は長らくその土地に住んでいるからこその耐性があるようだ。尋ねたところ、その程度の桃は食べても支障がないらしい………」

「……………耐性」



ネアは悲しくそう呟き、美味しい桃のゼリーを美味しいまま食べられる選ばれし者達を心から呪った。

可動域が高ければ災厄を齎すことも出来たのかもしれないが、残念ながら九程度では何の反応も起こらない。



(……………は!)



そして、ここでネアは気付いてしまったのだ。


(もしかして私の可動域が増えないのは、こんな風に、容易く他人を呪ってしまう人格のせいなのでは…………。これで可動域が高かったら世界が滅びてしまうかもしれないし…………)



そんな事を考えると、何だかそれで間違いないような気がしてくる。


世界はかくあるべしというような魔術の理があるくらいなのだから、そんな制限がひそやかに働いている可能性もあるのではなかろうか。


そう考えたネアが、しょんぼりと項垂れていたところに、何か騒ぎが起きたようだぞと気付きやって来たヒルドが顔を出した。



涙目で項垂れているネアを見たヒルドは、すっと冷ややかな微笑みを浮かべ、会食堂の入り口に塩の魔物と固まって慄いている教え子に声をかけた。



「……………エーダリア様、ネイ、この状況の説明をしていただきましょうか?」

「そ、そのだな……………」

「…………ええと、事故だからね?」

「管理の不十分さをその言葉一つで済ませられるのであれば、このような組織など立ち行かなくなりますよ」

「…………ここはもう、責任を取ってエーダリアも食べればいいんじゃないかな。多分ヒルドは怒らなくなるよ」

「ネイ、仮にもウィーム領主である者が状態変化の魔術に触れ、かけられた守護や誓約が揺らぎかねないような危険を、私がみすみす見過ごすと思いますか?」

「ありゃ。言われてみればそうかぁ…………。でも、隔絶された空間、例えば避暑地でなら出来るってことか」

「いや、遠慮しておこう……………。幼児に戻った時に、それこそ不確定な要素があった場合、構築している幾つかの魔術の継続性が危ぶまれるからな。あまりなりたいものではない………」


犯人がとても真面目に自分だけは逃げて行こうとしているので、当然ながらネアは荒んだ気持ちになった。


むちむちちびちびした手を振り回して怒りを示せば、ディノはご主人様の手が足りないと悲しげに呟いている。



「私をこのように辱しめたエーダリア様も、避暑地ならちびころに出来るのです?」

「ネ、ネア……………その、紛らわしい置き方をしてすまなかった。私は立場上そのような姿になる訳にはいかないからな。………お、恐らく本来のものより効果は低い筈なのだ。三時間もすれば……」



ネアは、持ち上げてくれている魔物の腕の中から、くすんと鼻を鳴らしてエーダリアを見つめた。

この悲しい姿を見て何か心に響くものがあるかなと思ったが、ささっと目を逸らすので小さく唸る。


すると、ちびころになった人間を見ると孫を溺愛する祖父的な危険を孕むヒルドが、こちら迄来てそっと頭を撫でてくれた。


ネアを見下ろす眼差しはとても優しいが、この状況下においては、決して心を許してはならない。

前回、ふりふりドレス地獄を見たネアは、その瑠璃色の瞳の奥に奇妙な熱っぽさがあることを見抜いていた。



「ネア様、何か召し上がりますか?昨晩の消耗もあるでしょうから、何か温かいものがいいのかもしれませんね」

「………ぎゅ、ヒルドさん。今朝の朝食には美味しいトマトのスープがあると聞いているのです…………」



(あのスープ目当てで、頑張って工房中毒を治したのに!)



ネアはここで、狡猾にもそのスープが冷製であることは伏せて伝えた。


温かいものではなくなってしまうが、一昨日から楽しみにしていたこのトマトのクリームスープを外す訳にはいかないのだ。

そんなネアの主張に気付いたのか、ヒルドはくすりと微笑んで頷いてくれた。


これでスープは確保出来たぞとほくそ笑んだネアは、その直後、伴侶の裏切りに瞠目することになる。



「……………ネアは、前の時のような服装をするのかい?」

「ぎゃ!」

「そうだった!前回迷った、ラベンダー色のドレスがあったよね?」

「では、私は厨房にネア様の朝食の量の変更を伝えてきますので、そちらはお願いしても?」

「勿論。任せておいて!来年用に保管してあったからさ」

「い、いけません!立派な淑女にあのふりふりは刺激が強過ぎました。あのような装いはもっとお顔立ちがはっきりくっきりした…」

「そう言えばさ、赤いドレスもあったよね?」

「確かに、あちらのものもたいへん可愛らしかったですね」

「ヒルド…………」



ネアは、中身がこのままである以上は、外見に惑わされ浮ついた幼女ドレスなど着てなるものかと精いっぱい主張しようとしたのだが、残念ながらその願いは届かなかったようだ。


前回ご主人様が減ってしまったと悄然としていたディノでさえ、ちいさな子供の姿になったネアのふりふりドレスは可愛いと気に入っていたようなので、この場にいるのはほぼ敵ということになる。



すっかり短くなってしまった手を儚く伸ばしたものの当然届かず、ノアは素早く廊下に出て行ってしまう。



「おのれ!逃げられました!!」



本来ならこの時間はまだ寝台の上でぐっすりの筈の塩の魔物の思わぬ元気さに、希望を奪われたネアはディノの腕の中でじたばたした。



「可愛い。最近はあまり暴れなくなったからね……………」

「なぜうっとりなのだ。解せぬ」



ディノ曰く、小さくなったネアは細かく沢山動いて可愛いらしい。

暴れ疲れた上に敵を喜ばせただけで終わってしまったネアは、ぜいぜいしながら周囲を窺うしかない。


すると、洗練された淑女をちびころにしてしまったことを恥じているものか、エーダリアの顔色が真っ青になっているではないか。



(エーダリア様…………?)



ネアは、あまりにも怯えているエーダリアの表情に首を傾げた。


今回の事は、前回のちびころ事件に引き続き、危険物をどうぞ召し上がれという感じで置き去りにしてはならないというたいへん痛ましい事故である。

悪意があってのことではないに、少し責め過ぎてしまったかなと己の心の狭さを反省し、ネアは、誰にだって過ちはあるものだと心を緩めることにした。



「エーダリア様…」

「……………ネア、すまない。そのだな……」

「………なってしまったものは仕方ありません。ふりふりお着替えを止めてくれるのなら、…」

「あの桃のゼリーを出しておいたのは、非番の騎士に協力して貰い、トウフェムの人形との魔術の繋ぎを見るつもりだったのだ」

「……………エーダリア様?なぜ、じりじりと逃げてゆくのですか?とても嫌な予感がするのです…………」



なぜか、和解案を提示しようとしたネアに対し、エーダリアはじりじりと後退してゆく。

どうもエーダリアが自分の背後を見ているようだと気付いたネアは、不安を堪えてそろりと振り返った。



「みぎゃ!」



振り返った瞬間、見てはいけないものが目に飛び込んで来た。

悲鳴を上げたネアに、持ち上げてくれていた魔物がさっと抱き締めてくれる。



(こ、怖過ぎる………!!)



そこには、会食堂の壁を這い上がる、人差し指くらいの大きさの華やかな衣装の人形の姿があるではないか。

慌ててディノにしがみついたネアに、奇怪な人形を目にしてしまった魔物もふるふると震えている。



「ご主人様…………」

「よりにもよって、なぜあの人形を選んだのですか!」

「固有魔術の研究用に、ガレンに保管されていたものが、あれしかなかったのだ…………」



大きさとしては、さしたる脅威ではない。

だが、人差し指くらいの大きさの素朴な作りの人形が壁を登るというだけで、脆弱な人間の心にはたいへんな負荷がかかるのは否めない。


ネアを抱いたディノが慌てて戸口まで後退してくれたところ、壁を這い上っていた人形は、獲物が逃げてしまったことに気付いたものか首をこちらに向けるようにして体を捻った。


よりにもよってなぜそれにしたのだとネアが指摘したその人形は、赤や紫の羽のような華やかな衣装に猪仮面を付け、可愛らしくちょびっと作られた手には、誰がそこまで再現してしまったものか、どこかで見たことのある松の枝入りのちび花束を持っていた。


とても怯えている伴侶な魔物は、その人形がどのようなものを模して作られたのかを察してしまったのだろう。



忘れもしない、とある祭りで遭遇した恐怖と絶望をそのままに象り、明らかにネアを獲物として認識した人形がそこにいた。




「……確か、幼児化した村人さんは、お人形さんと遊ぶのでしたよね…………?」

「…………あ、ああ」

「ではなぜ、あの人形めは、私のお尻を叩く気満々で手に持ったものを振り上げているのですか?」

「………ウィーム各地の、祭り装束を再現した限定の人形もあるらしくてな。その中の一つなのだと思うが…………」



ここで、ネアは即座に理解した。


人気のある人形とは言え、収集家もいるほどに有名な人形の中から、限定のものをガレンの魔術師がこれぞと思い研究用に買って帰ったのには理由がある筈だ。



あの猪仮面の人形は、まず間違いなく、魔術師好みな特異性のある問題を起こした商品に違いない。



「人形と遊ぶというより、人形に追いかけ回される未来しか描けません。責任を取って回収して下さい……………」

「あの人形は借り物なのだ。破損しないように鎮める為には…」

「ぐるる!」



猪仮面の人形と遊ぶつもりは毛頭ないネアが威嚇すると、やはり実直な人柄がこのような時の不誠実さを許さなかったものか、エーダリアはこくりと頷き、死地に向かう兵士の顔で人形の回収に向かってくれた。


だがなぜか、その猪仮面の人形は近付いて来たエーダリアには、肉眼で確認するのがやっとというサイズの豆菓子を渡して慈しむではないか。


こちらへの反応との違いにネアが呆然としていると、ネアの朝食がお子様分量になってしまった事を厨房に説明しに行ってくれていたヒルドが戻って来た。


なおもエーダリアに豆菓子を与えようとする人形と、戸口で魔物と縮こまっているネアの様子を一瞥し、森と湖の清廉な美貌のシーはおやと呟き微笑んだ。



「エーダリア様?」

「ち、違うのだ。確かに、人形と幼児化した人間との間の魔術の動きを調査しようとはしていたが、この状況下でネアで試そうとはしていないぞ?!現に、こうして回収しているところではないか」

「だとしても、その人形の回収が必要になったという事は、管理を怠り紛失していたのだと告白するようなものだと思われますが」

「……………すまなかった」



冷静に問題を指摘したヒルドに、エーダリアはがくりと項垂れた。

その通りであるときりりと頷いたネアだったが、そのせいで、安全だからこそ避難して来た筈の戸口にまで危険が迫っていることに気付くのが遅れてしまった。


ひょいっと顔を出したノアに、ネアはぎくりと体を強張らせる。

手には、ラベンダー色のふりふりしたものを持っていて、思っていた以上のフリルに、ネアは竦み上がった。



「やっぱりさ、ラベンダー色の方にしようか。内側がふわっとするスカートが可愛いし、僕さ、ネアのあの髪型好きなんだよね……」

「……………ぎゅ。敵が現れました」

「よーし、お着替えしようか!」

「ディノ…………」

「私でもいいけれど、ノアベルトに手伝って貰うかい?」

「なぜなのでしょうか。着替える事が前提になってます………」



かくしてネアは、目元を染めた伴侶の裏切りにより、残忍な塩の魔物の手に引き渡され、隣室でお着替えタイムの狂乱の渦に放り込まれた。


お手伝いしましょうと名乗り出たヒルドの存在により脱走も出来ず、ネアは、大変可愛らしいですよと言われ死んだ魚の目をしながらラベンダー色のドレスに着替えさせられる。



可憐なラベンダー色の子供ドレスは、淡い水色のフリルでスカートがふわっとなっており、そんな内側を膨らませるデザインのスカート丈は膝上だ。


三つ折りの淡い水色のソックスに同色の靴を履き、控えめパフスリーブの袖は、袖口の細やかなフリルが上品でもあるのだが、やはりふりふりの膝上スカートの破壊力はかなりのものだと言えよう。


屈んでもフリルとペチコートでお尻は見えないが、大人の魅力に溢れる人妻には、たいへんな打撃だと言わざるを得ない。




「…………どうしよう。僕、こっちのネアもかなり可愛いや。子供とかそこまで得意じゃないんだけどさ、涙目で不機嫌そうな顔がちょっと癖になるよね…………」

「やはり、髪と瞳の色と合わせるには、こちらの色のドレスの方がネア様らしいですね。ディートリンデが見たらさぞかし喜ぶでしょうに」

「ネア、これ持ってみようか」

「…………どこから花籠が出てきたのだ。小道具まで用意して、幼気な人間を弄ぶ気満々でふ…………」



ここからネアが辿った道筋は、決して平坦なものではなかった。



花籠の次には、それは塩の魔物のウィーム公式グッズなのではと思われる銀狐ぬいぐるみを持たされ、やはりと、もう一度花籠に戻される。


案の定待ち受けていたツインテールのリボンは、菫色と白を試した後に、水色のリボンで満場一致の決定となった。




スカートがふりふり揺れるので歩くと可愛いと言われ、体を屈めたヒルドに手を繋いで貰いぽてぽてと歩きながら会食堂に戻ると、なぜかそこには、何に使ったのか分からない剣を鞘に戻しているウィリアムがいた。

こちらの気配に気付き振り返れば、目が合ったネアに、おやっと眉を持ち上げて微笑みかけてくれる。



「…………ウィリアムさんがいまふ」

「ん?昨晩も会っただろう。ネアは熱が出ていたから、記憶に残らなかったのかもしれないな」

「…………そして、何かを始末した感じしかしませんが、そこで椅子の上でよれよれになってるエーダリア様に何かあったのですか?」

「ああ。祝祭用の布人形が、エーダリアに豆菓子を食べさせようと暴れてな。朝食の時間かと思って部屋に入ったところでその状況に遭遇したから、人形を大人しくさせたところだったんだ」

「…………ほわ、斬ってしまったのですか?」

「いや、飛びかかってきたものを剣で壁に跳ね返しただけだ。小さくて捕まえるのが大変だったからな。幸い、布人形なので壊れたりはしていないようだから、エーダリアが、魔術を解いて箱にしまったようだぞ」



そう説明して貰い、ネアは疲れ果てて椅子に座り込んだエーダリアの方を見た。

手元にはあの猪仮面の人形を封印したと思われる小箱があり、とても遠くを見ている。



「よほど、エーダリア様を気に入ってしまったのですね…………」

「………あの人形は、尽きる事なく豆菓子を差し出して来た。私が受け取っただけでも、五十個にはなる。この人形の持ち主の魔術師にとっては、良い研究材料になるだろう………」

「五十個…………」



カチャカチャと食器の音を立てて、給仕妖精が、美味しそうな匂いのするリーエンベルクの朝食を運んで来た。


まずはこれから、いつもの美味しい朝食の時間だ。


冷製のトマトのクリームスープが出され、ネアは世界への悲しみに翳らせていた瞳をぱっと輝かせる。




「それにしても、またこの可愛い姿になったな」

「………ぎゅ?!ウィリアムさんに誘拐されました」

「はは、こんなに軽いのか」

「ウィリアムなんて……………」

「すみません、シルハーン。あまりに可愛らしくてつい」



ウィリアムはやはり、普通の人間の子供はこんな風に抱き上げられないからと、嬉しそうにネアを持ち上げてしまう。

トマトのクリームスープが遠ざかり、ネアは小さくぐるると唸ったのだが、それすら可愛いと言われて嬉しそうに微笑まれただけだった。



「この花籠はどうしたんだ?」

「…………むぐ、ノアがわたしてくれました。小道具などめという荒んだ気持ちですので、この中のお花を一輪、ウィリアムさんに差し上げます」

「…………くれるのか?」

「なぜにご機嫌なのだ……………」

「ネアが虐待する………」

「はいはい。では、ディノにはこの小さな薔薇を差し上げましょうね」

「ご主人様!」

「えっ、狡い!僕にも!!」

「お、おのれ!こうなれば、ノアと、ヒルドさんにも差し上げます!こうすればあと一輪で………………む?」



ネアはここで、横からすっと伸ばされた手に、最後に残った小さな紫陽花のような花の小枝をぽすんと乗せた。

ウィリアムに抱き上げられたままそちらを見ると、どこか呆れたような目をしたアルテアが立っているではないか。



「……………ぐるる」

「何をどうしたら、工房中毒の翌日にまた別の事故に遭えるんだ?」

「犯人はエーダリア様とノアですが、桃ゼリーの配達が間に合わなかった事で起きた悲しい事件という側面もあるのでは…………」

「は…………?」

「そして、アルテアさんもリーエンベルクに泊まったのですね。…………アルテアさん?」

「ほお、昨晩自分が何をしたのか、覚えていないようだな?」

「……………む?」



アルテア曰く、二回目以降工房中毒用の薬で酔っ払うようになってしまったネアは、投薬を終えた使い魔にとんでもない暴行を働いたらしい。


全く記憶にございませんと答えたネアだったが、朧げに白けものな尻尾を探して襲いかかった記憶が蘇りかけたので、慌ててその記憶には蓋をしておいた。



「エーダリア様には、この籠です」

「これを貰ってもいいのか………?」

「エーダリア様?」


エーダリアにはあげる花がなくなってしまったので、花の入っていた籠を差し上げたところ、執務室の机の上に置く銀狐のブラシ入れに丁度良いと嬉々として貰われていった。


ただの籠にどうしてそこまで大喜びなのだろうかと首を傾げていたところ、どうやらその花籠は、ノアが魔術で作った小道具だったらしく、籠は塩の結晶製だったらしい。

図らずも、ちびころ化の犯人に宝物まで与えてしまい、ネアはがくりと小さな肩を落としたのだった。




元の姿に戻るまでに有した時間は、三時間と少し。



ネアは朝食を終えると、魔物達の膝の上に抱っこされたり、高い高いどころでは済まないヒルドによる空のお散歩に連れ出されたりと、とても心の休まらない時間を送ったとだけ言い残しておこう。



後日、桃ゼリーが作られたフライパンの魔物を封じた史跡近くにある村の調査には、珍しくリーエンベルクを空けてまで、ヒルドが出かけて行ったようだ。


とても不穏な気配であるので、ネアは警戒を怠らぬように生きていこうと思う次第である。










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