春の宴と黒露の妖精
美しい夜の深さに目を瞠り、ネアはうきうきと弾んだ。
今夜は、仕事での狩りというとても楽しい時間がこれから待っている。
なんと、同行者はディノとノア、そしてエーダリアなのだ。
「黒露の妖精を、一匹でも捕獲出来るといいのだが………」
期待と興奮を隠しきれずにそう呟いたエーダリアに、ネアは微笑んだ。
今夜の狩りは、このわくわくしているウィーム領主に同行し、一匹でも多くの黒露の妖精を狩る事だ。
勿論、有用であれば他の生き物を狩っても構わない。
実は先日の夜、プライベートな狩りをしていたところ、その黒露の妖精というものを初めて目にする機会に恵まれたのだが、またしてもな、森に暮らすには色々な問題のありそうな生き物の姿に、ネアは愕然とした。
ネアが、そんな初めましての出会いを果たした黒露の妖精は、森をしゃっと滑空する封筒姿の生き物だっただけでなく、質の良い厚手の紙のお誕生日カードなどが入っていそうな封筒のような生き物だった。
そんなものが森を飛び交っていたのだから、善良な人間は愕然としてもいいと思うのだ。
(寧ろ、どうして誰かが、そんな生き物が森に暮らしているのかは、調べたりしないのだろう…………)
とても奇妙な生き物だったのでディノに知っているかどうか聞いてみたのだが、魔物の王様である筈のディノも知らない生き物だと判明し、その日は狩らないようにしてリーエンベルクに戻ることにした。
これはもうエーダリアに聞いてみるしかないとなり、晩餐の席でネアからその妖精の特徴を聞かれたエーダリアは、椅子から飛び上がってしまったのである。
「エーダリア様、今日の獲物のあの封筒生物には、どのような祝福があるのですか?」
「……………大まかに七種類あるのだ。はずれもあるが、総じて素晴らしい…………」
「なぬ。はずれを背負って生きる妖精さんが哀れなので、はずれはやめていただきたいですね…………」
「はずれの生き物がいるんだね…………」
あんまりな種属性にディノもしょんぼりしてしまい、素早く周囲を見回すエーダリアの姿に不安になってしまったものか、もそもそとネアの背中に隠れてしまう。
エーダリアは現在、ウィームっ子達に愛されるウィーム最後の王族としての儚げな感じはどこかに置いて来てしまい、脱走して魔術書を探しに行く時用の使い込まれた濃紺のフードマントのようなものを羽織っている。
魔術の障りから目を守るクッキー祭り用のゴーグルと、腰に巻いた太めの墨色の革のベルトには、ガレンで前線に出ていた頃に愛用していたという魔術道具入れだ。
もしもの時用にネアが授けてあるきりん札だけでなく、ヒルドが持たせた宝石の剣や、ノアが持たせた毛玉のお守りもそこに納められているらしい。
そんなエーダリアの、魔術師で冒険者な雰囲気にネアもすっかり楽しくなってしまい、形から入る残念な人間は、こちらも冒険者風な装いで森を訪れていた。
(エーダリア様は、こんな服装も似合うのだわ…………)
先日の火の慰霊祭で着ていた新しいケープも素敵だったが、こちらの装いも良いではないかと、上司自慢なネアはふんすと胸を張る。
銀髪に怜悧な美貌のガレンエンガディンが今夜のような装いをすると、物語的な翳りがはっと目を引く。
暗い森を旅して、誰も知らない秘密の魔術などを隠していそうな謎めいた眼差しだが、そんなエーダリアが絶賛捜索中の生き物は、上等な紙封筒がひらりと飛んでいるような何とも言えない姿をしている妖精なので、こちらは物語的と言うには、若干おかしな様相の生き物である。
「おっと、同業者がいるみたいだね。さすが、黒露の妖精だ」
遠くを見て、そう呟いたのはノアだ。
確かに、その視線の向こうに灯りのようなものが揺れた気がする。
同業者と言うことは、その者達も黒露の妖精を狩りに来たのだろうか。
「…………素敵なカードが封入されていそうな紙封筒妖精さんは、そんなに人気者なのですか?」
「そりゃそうだよ。黒露の妖精を捕まえて封筒に見立てて開くと、中から祝福が現れるんだ。それだけ希少な祝福が得られるから、みんな張り切るよね!」
「むむ、そんなノアも、腕捲りしてます………」
「僕は、季節の上位特性の祝福が欲しいんだけど、なかなか見付からなくてさ。今回で三回目の挑戦なんだ」
「そのようなものを持つ生き物だったのだね………」
ネア達が来ている森は、ウィームの街を挟んでリーエンベルクの正反対にある豊かな森の一つ。
先日にここを狩り場としたのは偶然だったが、この森のように、風通しが良く足場に起伏がある土地を、黒露の妖精達は好むらしい。
名前から察せられるように、特殊な環境下の森に凝る露から派生した妖精なのだが、すらりと立つ背の高い木の枝葉や幹を伝って根元から窪地に凝る魔術が、その妖精の派生を助ける土壌となる。
ネアは、薄手で柔らかく、通気性が良くて涼しくて暖かいという高性能なウィームの春の夜用セーターを着ており、勿論の乗馬用パンツと戦闘靴だ。
柔らかく鞣した革のようなフードつきの冒険者な守護の風ポンチョコートは、軽い素材ながらにとても強靭なのでと、狩り用に使う事もある。
熟した林檎めいたこっくりとした赤色が可愛くて、ネアの中では赤ずきん風戦闘服と呼んでいた。
ネアが狩りに何回か着ていったので、ディノが頑強な守護をかけてくれているのだ。
なお、斜めがけ鞄にはさっぱり意味がなく、こちらは冒険者風のイメージ作りでしかないのだった。
「確か、土地の怨嗟や障りが強まった日から何日かしてから、今度は土地の祝福が強まると派生する妖精さんなのですよね?」
「ああ。そのような意味では、元々の祝福が強いウィームは良い土地なのだ。だが、土地の質が落ちる程の怨嗟や障りは滅多に来ない上に、蝕や気象性の悪夢の後では安全に森を歩けないので、派生に遭遇出来ないことも多い。やはり希少な生き物に変わりはないな…………。お前が見てなかったことからも、どれだけ希少なものなのか分かるだろう?」
「言われてみれば、狩りの女王たる私ですら知らないとは、なかなかに珍しい獲物です!」
「わーお、狩る気になったみたいだぞ…………」
「ご主人様……………」
万象の魔物あるあるなのだが、ネアが狩りに挑むと、狩り場の危険と、はぐれないようにしなければという精神的な負荷から胸がどきどきしてしまうのか、ディノはご主人様がとても魅力的に見えてしまうらしい。
拳を握って戦いの意思を示したネアに、きゃっとなって目元を染めてしまう。
そんなチームネアに余裕たっぷりに微笑みかけてくれたノアも、契約したエーダリアがしゃっと茂みの方に走り出すと慌てて追いかけて行った。
「むむ、あちらで揺れている灯りが、同業者さんなのですね。獲物を取られてしまわないよう、私達も頑張りましょうね。私にはこんなに頼もしい伴侶がいるのですから、封筒狩りは負けませんよ!」
「ご主人様!」
かくして狩りは始まった。
リーエンベルク班は、それぞれ別の方向に狩りに行こうとする人間達を、それぞれの担当の魔物が頑張ってはぐれないように誘導しつつ、森の奥深くに分け入ってゆくことになる。
(むむ……………!)
少し分け入ったところで、列の真ん中を歩いていたネアは、ふと目を止めた。
どこからどう見てもただの草という茂みが、さわさわゆらゆらと揺れているではないか。
明らかに風に揺れている動きではない。
しかし、隣を歩きながら三つ編みを持たせてくる悪い魔物を見上げたところ、これは知らないと悲しげに首を振るので、こちらもエーダリアに尋ねてみる。
「…………エーダリア様、こやつは何でしょう?」
「…………夜鳴き草だな。揺れている時は、鳴き喚く準備をしていることが多いらしい。触らないようにした方が良いだろう」
「愛情がなければちょっぴり面倒そうな草なので、引き抜かずに放置しましょう…………」
ふすんと、夜の空気を吸い込んだ。
この辺りの森は、背の高い木々が整然と立ち並び、下草も一定の高さ以上に茂る事がないので見通しが良くて歩き易い。
土地の特性を気に入って生える植物にそのような特徴があるらしく、夜明けの霧などはあまり深くならないが、風が強く吹く事が多いのだそうだ。
今夜のような夜の光が透明な月夜には、月光の角度で木々の影が森に長く伸び、森のそこかしこを列柱の立ち並ぶ聖堂のように見せてしまう。
何とも幻想的な光景であった。
「む!なにやつ!!」
ここでネアは、木の影からこちらに出てこようとした大きな獲物をすかさず捕獲する。
しゅばっと駆け寄って腕を掴んでしまうと、恐ろしい狩りの女王に見付かってしまった生き物は、白金色の瞳を瞠って淡く微笑んだ。
ふわりと広がったケープは白かったが、こちらに現れた途端に、擬態で漆黒に染まった。
「もしかして、俺はネアに狩られたのかな?」
「うむ。こうして手を掴まれてしまったのですから、その通りですね。ディノ、ウィリアムさんを狩りました!」
「ウィリアムを…………」
「わーお。この森って、ウィリアムが住んでるんだっけ?」
捕まえた終焉の魔物を仲間達に自慢していると、ノアの隣で何やら手をもしゃもしゃしていたエーダリアが、蝶や蜻蛉を羽を傷つけないようにして捕獲するかのように、ぱたぱたと暴れている封筒を手にしているではないか。
狩りの女王としての誇りを胸に挑んだものの、最初の獲物を取られてしまったネアは、悲しい声を上げた。
「むぎゅる…………」
「つ、捕まえたぞ!立派な黒露の妖精ではないか……………。私は、初めて本物を見るのだが、このように大人しいのだな。………琥珀色か薄い金色の封筒のようだが、古文書の記録によれば封筒の色は関係ないらしい」
「大興奮です。そして、古文書が作られた頃から生息している生き物なのですね…………」
エーダリアがつけている手袋は、かつてネア達が、お料理の美味しかったツダリの草原地の仕事先で捕まえた、地精の毛皮で作った特別なものだ。
そんな手袋を装着した指先で摘んだ封筒生物を、エーダリアは、反対側の手に持ち直して器用に封を開けている。
ネアは、封を開けられてしまうこの部位が妖精的にはどのあたりに相当するのかを不思議に思いつつ、封筒を開けたエーダリアの手元がぺかりと銀色に煌めいたのを見逃さなかった。
「わーお、その銀色の祝福だと平穏や静謐だね。どれどれ、…………ああ。土地の浄化や平定の祝福だから、エーダリアの持つ魔術と相性がいいや」
「この種の祝福を得るのは初めてなのだが、確か、あまり得られないものだった筈ではないだろうか」
「うん。かなり珍しいよ」
ノアにそう言われて笑顔になったエーダリアに、ネアは羨ましさに弾んだ。
どちらにせよ、ネアには扱えないものならエーダリアにあげるのだが、それでも良い獲物を捕まえた称号は欲しいのだ。
「ウィリアムさんも封筒さんを狩りに来たのですか?」
「いや。俺の場合は、その祝福目当ての騒乱が起きないように、視察に来たんだ。時折、黒露の祝福目当てに悪質な商人が私兵などを投入するからな」
そう教えてくれたウィリアムの向こうで、やっと終焉の魔物の合流に気付いたエーダリアが呆然としている。
獲物に夢中で、全く気付いていなかったのだ。
「であれば問題ないようだね、私は知らない生き物だったけれど、今夜は、随分と多くの高位の者達が採取に来ているようだ。そのような荒れ方はしないだろう」
「ええ。向こうでアイザックやアルテア、真夜中の座の精霊達にも会いました。これだけの顔揃えであるなら、特定の者が場所を独占する為に武力行使をする可能性はありませんね」
「わーお、アルテア達もいるんだ」
「ぐぬぬ。負けません!!」
かなりの競合揃いに、ネアは慌ててディノの腕を引っ張った。
一匹の収穫もないままに、ここで負けてはいられないのだ。
「ネア、夜の森ではあるのだから、転ばないようにね」
「は!あの茂みに何かいます!!」
「ネアが逃げた…………」
「シルハーン、ええと、森の監視がてらご同行しても?」
「うん。君がいてくれると、ネアも安心だろう。…………ほら、それは夜鷺だから危ないよ」
「封筒ではない奴めはぽいです!」
「よ、夜鷺ではないか…………!!」
「ありゃ、エーダリアが食いついたぞ…………」
散々違う獲物ばかりと遭遇していたが、やがてネアにも、念願の初封筒の機会がやってきた。
しゅっと夜空を滑空した白い縁取りの封筒をわしりと指先で挟み取り、ぱたぱたする封筒を誇らしげに掲げる。
立ち位置的に真っ先に終焉の魔物に見せられてしまった黒露の妖精は、恐怖のあまりにくしゃりと気絶したようだ。
「初封筒です!」
「…………待ってくれ、なぜ白い縁取りがあるのだ」
「ご主人様…………」
「あら、綺麗な水色に白い縁取りだなんて、爽やかでお洒落な封筒ではありませんか。夏の先取りですね」
「ネア、それってただの封筒ならお洒落だけれど、生き物の場合は白持ちってことだからね?!」
「……………む。取り敢えず開封してみます?」
「危ないものではなさそうだな。ネア、指先に気を付けるんだぞ」
「はい!」
封筒を開けると、 ぺかりと淡い金色混じりの光が弾けた。
どうやら、封筒を開けると目の前に与えられた祝福が浮かび上がるようで、ネアはそれを読み上げる。
「むむ、比類なき極上の豊穣と出ました」
「わーお…………」
「ネア、指先を見せてご覧。………うん、このような形のものであれば、君でも扱えるようだけれど、どうするかい?」
「今夜はエーダリア様に差し上げる封筒狩りですので、エーダリア様が欲しいものならエーダリア様にお渡ししたいです」
そう言ったネアの言葉にエーダリアは暫し考え込み、負担になるものでなければ、その祝福は暫く預かっていて欲しいと言われた。
豊穣の祝福はどこでも喜ばれるが、暫くはネアが持っていた方がより良い品物の収集に生かせる可能性が高いのではと考えたのだそうだ。
帰ってから、ヒルドやダリル達と相談するらしい。
「ていっ!」
「ふ、ふぇ……………」
「そして、次なる獲物として、ヨシュアさんを狩りました」
「わーお、夜の雲でも容赦なしだ。って言うか、ヨシュアもいたのかぁ…………」
「ヨシュアが狩れたのだね………」
「こやつは私の獲物なので、好きにしてもいいのですか?」
「僕をそんな風に扱うなんて、君も、少しは僕を恐れた方がいいのかもしれないね。ぎゃあ!た、叩こうとする…………」
「…………手を振り上げただけでこの様子なので、ウィリアムさんは剣を抜かなくても大丈夫ですよ?」
「はは、まぁ、念の為にな」
「………………ほぇ、何でウィリアムがいるの?」
にっこり笑って剣を鞘に戻してくれたウィリアムに、ヨシュアは震え出してしまい、自分を狩った恐ろしい人間の影にさっと隠れてしまった。
「申し訳ありません。ヨシュアがご迷惑を………」
そこに、慌てたように駆け付けて来たのはイーザだ。
どうやらヨシュアは、ディノを見付けてこちらに走って行ってしまったらしい。
一応は公爵の魔物であるヨシュアはとてもすばしこく、すぐに逃げてしまうのだとか。
「まぁ、イーザさんです!ヨシュアさんはうっかり狩ってしまいましたが、イーザさんと一緒に居られるように野生に返しますね」
「いいえ、ご迷惑をおかけしたのでしょうから、ご入用でしたら構いませんよ」
「ふぇ、イーザが僕を取り戻そうとしないんだ…………」
「あらあら、泣いてしまいそうなヨシュアさんは、イーザさんの下に返して差し上げますからね。慈悲深い狩りの女王を崇めるのですよ」
半泣きのヨシュアは野生に返されると、びゃっとイーザに駆け寄り、べったりになった。
ネア達は暫しイーザと歓談し、霧雨の結晶石の採取の際にも会話をしたものの、あらためて事後処理などがひと段落ついたからと、火の慰霊祭での協力についての感謝を重ねた。
近い内にその時の者達とリーエンベルクで食事会でもやろうということになり、その際には、ヒルドの事が大好きな弟さんもどうぞと言えば、イーザは嬉しそうに微笑む。
イーザの弟のナルザは、闇の妖精の事件で知り合ったヒルドを師のように慕っており、いずれはヒルドのようになってウィームのどこかで働くようになりたいと家族にも語っているのだそうだ。
家族思いのイーザにとって、そう言って貰えるのは一番嬉しいのだろう。
加えて、実はそんなナルザを、ダリルはリーエンベルク直属の職員として狙っている。
目的は狩りなので、立ち話もあまり長くならないようにと手を振ってイーザ達とも別れ、ネアは二度も公爵位の魔物を狩ってしまった己の手をじっと見下ろす。
「ネア、疲れたのかい?」
「いえ、今夜は高位の魔物さんではなく、封筒妖精さんを狩りたいのに、運命はままならないものだなと思っていたのです……………」
「それ以前に、黒露の妖精と人型の魔物ではそもそも形状が違うではないか……………」
「あら、動くものは全て狩るのが、狩人としての正しい反応なのですよ。あちらを歩いているお肉屋さんの息子さんなネイアさんなどは、既に大物を狩ってしまったようですね……………」
「一緒にいるのは、エドモンのようだな……………」
ネアが視線で指示した方向には、やはりどこからか黒露の妖精の噂を聞きつけてきたものか、少しばかりお久し振りな、ネアの知る限りの最高の狩人の姿がある。
肩には立派な夜猪を担いでおり、あの猪肉はきっとお店に並ぶのだろう。
以前、ワンワンと鳴くようになってしまいネア達の下に原因究明の仕事が来たネイアだが、回復した後はその技量を買われ騎士達の臨時講師などもしていたそうなので、リーエンベルクの騎士のみならず、ウィーム各地の騎士達にも慕われているのだそうだ。
二人でお喋りをしながら森を歩いている様子からすると、どうやらエドモンとは個人的な付き合いがあるらしい。
「……………む。愚かな封筒めが、私めがけてぶーんと飛んで来ました」
「今度のものも、少し変わった封筒だね……………」
「ありゃ、マーブル模様って何だろう……………」
「……………マーブル模様の黒露の妖精を捕まえた者は、これ迄にいるのだろうか………」
「ネア、念の為にシルハーンに見て貰ってから開封しような」
「はい。ディノ、こやつを開封しても良いでしょうか?」
「四季特性の上位祝福のようだね。危険はないと思うよ」
ディノがそう判断してくれ、ネアはおやっと思って顔を上げる。
するとなぜか、伴侶な魔物以外の同行者たちが何とも言えない目をしてこちらを見ているではないか。
「ノアの欲しかったものですよね?」
しかし、青紫色の瞳は喜ぶよりもどこか無防備に震えているので、ネアはこてんと首を傾げた。
「……………ノア?あげますよ?」
「え、季節特性じゃなくて、四季なんだ……………」
「むむむ、ノアが欲しがっていたものではないのですか?」
「……………うん。だけど僕が必要だったのは、一つの季節で良かったんだけどさ、まさか全部貰える黒露の精霊がいるとは思わないよね……………」
「まぁ。四つセットのお得な封筒だったのですね!」
そうはしゃぐネアを、エーダリアは呆然と見るのだが、その手には五匹目の黒露の妖精が捕獲されているので、こちらも決して一般人枠ではない筈だ。
そこにまた、森を訪れていた知り合いから声がかかった。
「やぁ、ネア達も来ていたんだな」
「まぁ、アレクシスさんです!」
「ネア達も、黒露の妖精の祝福を貰いに来たのか?……………ああ、その色合いの封筒なら向こうにもいたぞ」
「なぬ。多数属性持ちの獲物が向こうにも………!!」
「え、他にもいるってどういう事………?」
エーダリアと目が合ったアレクシスは、領主への会釈をし、ふわりと微笑んだ。
「………それと、折角会えたのだから土産を渡しておこう」
「お土産をいただけるのですか?」
「ああ。娘…………ネアとディノは、うちの上得意だからな」
アレクシスは、手帳型の金庫から、お土産だという植物を乾燥させたものが入ったお茶の瓶のようなものを渡してくれたので、ネアは、すかさず大量買いしたスノーの葡萄酢をお返しにした。
スープにも使えそうだと喜んでくれたのでほっとしたネアに対し、ディノは貰った瓶の中に詰め込まれているのが、精神汚染などを排出させる効能のある薔薇の根で作ったお茶だったことに少しだけ動揺したようだ。
「アレクシスも来ているとは思わなかった」
「黒露の妖精は、様々な条件が一致しないと派生しませんからね。ですが、目的の白封筒は見付けたので、これからまた、収穫の途中だったサナアークの薔薇園に戻るつもりです」
「…………白封筒もいたのだな」
「氷雪系の系譜の最上級の祝福なので、以前から、スープの素材の収穫用に欲しかったんです。いい夜になりました」
「最上級の祝福……………」
呆然とするエーダリアの傍らで、ディノも何やら驚いたようにしている。
「…………これは、以前に貰った薔薇の根の、品種改良されたものなのかな………」
どうやら、お土産で貰った瓶詰めのお茶のようなものは、薔薇の祝祭で貰った薔薇の根と同種のものの品種改良版であるらしい。
聞けば、アレクシスの友人に薔薇の品種改良に生涯を捧げている人物がいるらしく、以前のものをその人物にも渡しておき、更なる効果の根として改良して貰ってから収穫したのだそうだ。
ディノとノアは顔を見合わせてふるふるしているし、ネアも、そもそも植物の品種改良はこんなに短期間で出来るのかなと驚いたが、アレクシスの知り合いなら出来そうな気がする。
そんなアレクシスとも別れ、四人は再び狩りに戻った。
「黒露の妖精さんのお陰で、色々な方にお会いしますね」
「ああ。商工会や医師会などの方でも有用な祝福があるので、関係各所の責任者には、黒露の妖精が派生したという共有はしてあるからな。そこから各方面に連絡が入るのだろう」
エーダリアとそんな話をしていると、ネアは群れて飛んでいる封筒妖精を発見し、強欲な人間の例に漏れず諸共狩ってしまった。
一気に四匹の収穫となったので、獲物の数の更新に幸せいっぱいで弾んだネアは、手の中でパタパタかさかさしている黒露の妖精達を、歓喜の笑顔で伴侶な魔物に自慢した。
「見て下さい!こんなにたくさん捕れましたよ!」
「……………ずるい。ネアが可愛い」
「しかしながら、普通の色の封筒のようですので、これは、このままエーダリア様にお渡ししますね」
「わーお、判断が残酷だぞ…………」
「開いてみて楽しいのは、変わった色の封筒だと学んでしまったのです」
悲しい事だが世界はそんなものなのである。
神妙な顔で頷いてみせ、ネアは他にもいないかなと周囲を見回した。
直後、黒っぽくて大きな生き物が茂みの中から現れたので、すかさず狩ってしまおうと思ったネアは、突然体がふわっとなった。
目を丸くしたネアの耳元に落ちたのは、ウィリアムの声だ。
「………まぁ。今度は、私がウィリアムさんに捕獲されました」
「これは、森の亡者の穢れが凝ったものだから触らない方がいい」
微笑んでそう教えてくれたウィリアムは、ネアを抱えていない方の手で剣で串刺しにした、獣の形をした黒い影のようなものを見せてくれる。
すぐにぼろぼろと崩れて消えてしまったが、触ると病気になったりすることもあるので危険なのだそうだ。
「ネア、知らない生き物は狩ってしまう前に、確認するからね?」
「ふぁい。草むらでがさがさやられると、咄嗟に狩ってしまいたくなるので気を付けますね…………」
夜の森には知り合いが多いらしい。
ネアがそう反省していると、今度は、エーダリアが誰かを見付けたようだ。
そちらを見たネアも、愛くるしさ満点で駆け寄って来てくれたゼノーシュに目を輝かせる。
「ゼノ!………むむ、向こうにいるグラストさんもご一緒なのですね」
「うん。僕達も、休憩時間に黒露の妖精を取りに来たんだよ。グラストは、食べ物に困らなくなる祝福を貰ったんだ」
「そ、そんな祝福もあるのですか?!」
「うん。黒露の妖精は森をもう一度元気にする為に派生するから、食べ物の祝福が多いんだよ」
「知りませんでした。……………ふぎゅわ……………」
「お前の狩ったものにも、豊穣の祝福があっただろう」
「しかし、そのように広域なものではなく、もっと直接的に食べ物を示してくれた方が、より確実に食べ物を得られそうな気がしませんか?」
ネアは、豊穣の祝福もその系統ではあるが、もっと分かりやすい食べ物と銘打ってくれるものが欲しいのだと、地団太を踏んだ。
先程エーダリアに預けたものを調べて貰ったが、残念ながら食べ物の祝福はなかった上に、一つははずれ封筒だった。
(…………そんな祝福があったのなら、美味しそうな雰囲気のものを探して狩れば良かったのかも…………)
黒露の妖精は、障りや穢れで森の質が落ちたところに再び祝福が宿り始めると、夜風に乗って流れてきた祝福を木々が集めて、森のあちこちに配達する為に派生する。
そんなものを狩ってしまうのはとても身勝手で残酷な気がするのだが、なんと黒露の妖精には再配達システムがあり、一度目の配達で祝福を失うと同じ物を宿し、二度目は必ず成功させるのだ。
つまり、黒露の妖精一匹につき誰かが貰える祝福は一つまでであり、加えて乱獲で森を貧しくしない素敵な補償付きの獲物として、ネア達は安心して狩りが出来るのだった。
合流したという封印庫の魔術師と、そのまま夜にだけ開く封印庫の仕事に出かけてくると手を振って去って行ったゼノーシュを見送り、ネアは、教えて貰った食べ物の祝福を欲してその後も黒露の妖精を沢山捕獲した。
しかし、当初の七種にはない謎の祝福ばかりを見付けてしまい、肝心な食べ物の祝福を得られないままにどんどん焦燥感が募ってゆく。
「た、食べ物です!食べ物の祝福を持つ生き物を、この手に授けるのだ!!」
「ネア、暴れると危ないから落ち着こうか。同じ個体から二度の祝福は取れないのだから、もういないのかもしれないよ」
「……………ぐぬぬ、絶望しかありません」
「食べたいものがあるのならば、私がどんなものでも食べさせてあげるから、妖精になんて頼らなくてもいいのに……………」
「むぎゅわ……………。……………む!」
ここでネアは、美味しいものを食べたいという願いが呼び寄せてしまったものか、擬態をしてるがきっと使い魔に違いない黒髪の男性な獲物を発見し、しゃっと駆け寄る。
こちらに気付いた赤紫色の瞳の男性は呆れたような目をしたが、一緒にいるウィリアムに気付いたのかすっと表情が暗くなった。
その手をむんずと掴んでしまい、ネアは振り返って仲間達に獲物を自慢した。
「ディノ、私の食べ物の祝福担当を見付けましたよ!」
「アルテアは、もう狩らなくていいのではないかな…………」
「既に使い魔さんですので、ここで果物系のタルトの発注をかけておき、食べ物の祝福相当としますね」
「何の話だ……………」
「食べ物の祝福を持った黒露の妖精さんが残っていなくても、私にはアルテアさんがいますものね?」
「は……………?」
「アルテア、ここで会えて良かったです。何度か探しましたが、姿が見えませんでしたので。…………シルハーン、俺は、ここで少しアルテアと話をしてゆきますので、また後で伺います。そろそろ帰られるのであれば、リーエンベルクに寄りましょうか?」
「では、………いいかい?……………うん。そうしてくれるかい」
会話の途中でエーダリアの了承を取ったディノに、エーダリアが頷く。
このあたりの連携は、最近とても自然になった。
(………もう、帰る時間になっていたんだ…………)
狩りに夢中になっていたが、確かに、夜空の満月の位置はその頃合いだ。
リーエンベルクでは、本日得た祝福を管理する為に、ヒルドが帰りを待ってくれている。
そんな事情から当初より狩りの時間には上限があった為、ネア達はそろそろ帰らねばならない。
何やらあまり顔色の宜しくないアルテアと話をするそうで、ウィリアムは、後程リーエンベルクに立ち寄ってくれることにして、二人の魔物達とも別れる。
「黒露の妖精の収穫としては充分だろう。そろそろ、帰るとしよう」
「食べ物の祝福のやつめはおりませんでしたが、代わりに、アルテアさんを見付けて果物タルトを頼んだので良しとしましょう。他にはカワセミと謎の尻尾生物を狩り、綺麗な結晶石を幾つか拾いました」
「わーお、その変な尻尾、いつの間に捕まえたのさ」
「黒露の妖精をたくさん捕まえた時に、足で踏んでいたものかな………」
なお、ネアが狩った尻尾な生き物は、森に住む獰猛な夜芋の一種だと判明した。
ネアは、にょろり系の尻尾生物にしか見えないこの毛皮が、なぜお芋なのだろうかという心の迷路に入りかけたが、こちらの世界ではそうなのだと割り切るしかなく、あまり追及しても意味がないのだ。
ともあれ、当初の目的は充分に果たしたので、ネア達はリーエンベルクに戻ることにした。
今日は仕事が休みだったヒルドは、アーヘムとの観劇の後でリーエンベルクに戻り、のんびりと会食堂でお茶を飲んで待ってくれていたそうで、ちょっぴり興奮気味に狩りの成果を報告するエーダリアを見る瑠璃色の瞳には、ふっと嬉しそうな色が宿る。
「ヒルド、珍しいものを幾つか得られたぞ。それと、ネアが豊穣の祝福のかなりのものを得たので、このままネアに持たせておくか、他の者に引き継がせるかを、ダリルを含め話し合う機会を設けたい」
「おや、ネア様は宜しいのですか?」
「はい。今回はお仕事でしたし、相応しい方にお預け出来れば、ウィームが豊かになりますから」
仕事を終えて会食堂に集まり、みんなで美味しいお茶を飲む。
それは何て素敵なことだろうと考え、狩りの興奮の名残りと心地良い疲労感の残る体にじわっと染み入る、きりりと冷やした香草茶の美味しさに、ネアは唇の端を持ち上げた。
「そう言えば、ゼノ達は、これからお仕事なのですよね?偶然遭遇した封印庫の魔術師さんと、そのまま封印庫に向かうと話していました」
「ええ。夜にしか扉の開かない封印庫がありまして、そこに収めた夜の集落を訪ねて貰う予定です」
「…………封印庫の中に、集落が収められているのですね」
グラストとゼノーシュの仕事の内容に、ネアは目を丸くした。
とは言え、あの封印庫であれば、そのようなものも封印されている気がする。
「かなり古くからあるらしく、私もウィームに来てから教えられたものだ。ウィームという国が出来る前から存在した、祝福結晶で武器を作る職人達が暮らしていた集落なのだが、人々が去っても道具達にその仕事への執念が残り、集落そのものが祟りもののようになったらしい」
「ビムスの結晶細工の村だね。懐かしいなぁ。昔、そこの宝石のナイフを女の子にあげたんだけど、別れた時にそれで刺されてさぁ…………。ありゃ、悲しくなってきたから、葡萄酒を開けてもいいかな………」
「なぜいつも刺されてしまうのかな…………」
思い出話にぶるりと身を震わせ、ノアはどこからか葡萄酒の瓶を取り出す。
それがスノーのものだと気付いたのか、エーダリアが脱いだ上着をどこかに片付け始めてしまい、ヒルドはやれやれと肩を竦めた。
「僕の妹も飲むよね?」
「ふふ、では私も、少しだけご相伴に与りますね。ディノはどうしますか?」
「その間、椅子にするかい?」
「なぜその返答をいただいたのか、ちょっとよく分かりません…………」
「アルテアと話を終えたら、ウィリアムも来るんじゃないかな。何だか、みんなここに住んでるみたいで変な感じだけどね」
そう呟き苦笑したノアに、エーダリアは、鳶色の瞳を瞠ってから柔らかな苦笑を浮かべた。
何だかおかしな関係だが、いつの間にかそんな風に共に時間を過ごす事も多くなった魔物達に、言葉では言い尽くせない感慨もあるのだろう。
今ここにいるのは家族だけれど、家族ではなくても準家族的なウィリアムや、一緒に来てしまいそうなアルテアも加わり、みんなでわいわいお酒を飲むのだろうか。
(となると、ヒルドさんも参加してくれるといいな…………)
そう考えたネアがさっと視線で訴えると、こちらを見たヒルドが微笑んで頷いてくれた。
一時間ほどなら付き合えると言うことで、リーエンベルクの会食堂では、黒露の妖精狩りの打ち上げを兼ねた飲み会が始まることとなる。
くったりと力の抜けた優しい空気の中に、身内な感じの気取らないおつまみが持ち寄られ、賑やかな夜が始まろうとしていた。
本日は継続理由が開始して100話目の更新でしたので、賑やかなお話とさせていただきました。
少し長くなってしまいましたが、今日まで読んでいただき有難うございます!




