第三の性は子供のころから側に在った
私が子供だった頃。
女の子みたいだと言われ続けていた。
最初は気にも留めなかったけれど、囃し立てられたり、からかいのネタにされることでだんだん嫌気がさしてきた。
母の実家に行った時、親戚の女の子に『男らしくない』という理由だけで非難され、足を蹴られ続けた。
私は我慢していた。蹴り返す気も起きずにされるがままに攻撃を受けていた。
それが当時の私だったから。
子供時代の私はよく泣いた。
泣くと両親から「男の子だから泣くんじゃない」と叱られた。
男ってなんて窮屈な存在だろうと思った。
兄弟は「私〇〇よ、女です~」という歌を作ってからかっていた。私はその間だけ操り人形になりおどけたポーズを取らされて踊らされていた。男が女性っぽいというだけでダメだった昭和の時代。
成長するにつれて「男だから鍛えろ」と忠告されることが多くなって、男の発言や男という存在に嫌気がさしてきた。その癖、女の子扱いされることも苦手で、習っていたオルガンを辞め、紫の傘をさすのをいやがっていた。
兄弟がふざけて『赤い靴』というドラマを見せようとした時、必死に拒否を続けていた。うちの兄弟はなぜか私に女性的な物を勧めてくることが多く。身をよじって否定していた。私は自分がバレリーナになるという考えはなかった。あの衣装は女性が着て映えるものだから。
大学に入ってから少女漫画中心に読むようになっていく。私は主人公=女性視点でストーリィを追いかける。元々は青年誌で「女性心理を知る」ために読書を勧めていたが、漫画家の先生が織りなす世界はきらびやかで新鮮で面白く身も心もゆだねて楽しんだ。
昔見た奈良林先生の書籍では、自分を女性に見立ててある行為を行う男性が問題視されていた。彼は男性への矯正を要求されていた。LGBTもない時代。
今の時点でベリーと名乗ってツイッターでオネエ言葉で呟いている時、私はどっちだったんだろうかと思う。厳密にはどっちでもないような気がする。性自認は男でも女でもどっちでもいい。むしろとらわれたくないと切に願う。女性が好きなのでゲイではない。だからよくわからない。
今でもわからない。自己分析では男7割女3割といったところか。
私はクエスチョニングという世界でたゆたっています。いわゆるエポケーです。
男は男に生まれるのだろうか。教育や周囲の影響で男にさせられるんじゃないんだろうか。
それとも私が男じゃないから、そう感じてしまうのだろうか。