守って
それから事は迅速に進んだ。
武器庫なる部屋で武器を選定するように言われて、僕は手前にあった剣を選んだ。
金髪の少女――リナリーは武器を仔細に観察して、最後に選んだのは二振りの細剣だった。
館を出ると入り口には馬車が止まっていた。
街で見たのと比較して、豪奢な馬車だ。
御者の尻に敷かれた馬は並の馬ではない。赤い紋様のある黒馬だ。吐く息は荒く、爛々とした眼光が周囲を走っている。驚くべきは一本角があることで、黒い身体に浮かぶ白い角は一層神秘的であった。
「魔馬――ヒュポリタス」
リナリーのつぶやきに、大男――マッキノンは首肯する。
「こいつは力に従順だ。自分より強い者には従うが、弱者は違う。弱いと認められれば白き一角が胸を突き刺し心を喰らう。……安心しろ、お前らに危害は加えない」
マッキノンが魔馬を撫でると、馬は気持ちよさそうに目を細めた。想像に反して可愛い反応を見せる魔馬に多少恐怖心が和らいだのだろう。
リナリーは躊躇うことなく客車に乗り込んだ。
「あんたも早く乗りなさい。寒いじゃない」
「ああ。いま乗る」
客車に乗り込むと思いのほか狭いことに気づいた。隣り合って座ると、ふとした拍子に膝がぶつかりそうだ。
マッキノンは御者席に座ろうとしていた。
客車には僕とリナリーしか座らない。リナリーの斜め前に腰をおろす。
「私はリナリー。この前までは魔法学校に通っていたわ」
「僕はジオン。大道芸で生きてきた。この前までというと、魔法学校は卒業したばかり?」
「ええ。そうよ」
「驚いた。同い年だ」
僕が無為に人生を浪費しているあいだ、同じ時間を生きる彼女は有意義な時間の使い方をしていたということだ。
どうりで就職六連敗の僕と身にまとう雰囲気が違うわけだ。
「何だかあなた、年上みたい。顔が老けているとかではなくて……そう! 目が疲れているというか、妙に悟ったような感じがする!」
「最高だな、それ。笑えない」
「そうその顔! 何だか大人って感じがしていいと思う」
馬鹿にされているのか褒められているのか気になるところだけれど、この年の女性はこうも溌剌としているのだろうか。
記憶を探るも自分に同い年の知り合いなんて両手で数えるまでもいなかった。ちょっと悲しい。
寒空に魔馬が嘶いた。
腹の底に響くような雄々しい声で。
蹄鉄が響き、馬車がゆっくりと動きだす。
「表通りまではゆっくりと進む。それから目的地――サシャ村へと向かう。魔馬は並の馬よりも強靭だ。半日もかからずに着くだろう」
マッキノンの話を聞いて、リナリーは「着く頃には晴れるかしら」と呟いた。
「雪は嫌い?」
「あまり好きじゃないわ。寒いし、歩きづらいし」
「世界がいつもより静かになっていいと思うけれど」
「あら。あなた詩人肌なのかしら」
「大人って感じがするだろう?」
僕のささやかな意趣返しにリナリーは破顔した。
「ええ、そうね。面白い人。あなた……ジオンが見せる大道芸も見てみたいわ」
リナリーの警戒心を解くことに成功したおかげか、サシャ村への道程は最初に思っていたよりも苦ではなかった。
彼女は他人との間に大きな壁を設けていた。
道中、リナリーは自分でも言っている。
「私に友人と呼べる存在は限りなく少ないけれど、それでいいの。自分の身近な人が本当の私を知ってくれれば」
そのあとにリナリーは早口でこう続けた。
「まあ。異性でここまで私の心に近づいたのはあなたが初めてだし。どう形容すればいいのか分からないのだけれど、あなたは友人の一歩手前ってところね」
リナリー。嬉しいことを言ってくれる。
走り初めて数刻ほど経った時、馬車が休憩のために停止した。
先に降りた僕はリナリーの降りる補助として手を貸してやる。
彼女は一瞬ためらったものの、「ありがとう」と結局僕の手をとった。
彼女の手は冷たかった。
女性は男性よりも体温が低いと聞くけれど本当かもしれない。
「ここから村までそう時間はかからないが、魔物の襲撃の恐れがある。各自、警戒するように」
マッキノンが体の節々を伸ばしながら森の中へと消えていく。
リナリーは大丈夫そうだった。
「ジオンは、魔物と戦ったことはあるの?」
「あるよ。大道芸で旅をしていたからね」
魔物とは、一般的に現世をさまよう魂が負の感情に支配されることで発生するといわれている。
ケイシィが言っていた、死後の存在を視ることのできる眼のせいかそのような邪悪な存在は、子供のころから何度も見ているし、嫌な思い出だが幾度も戦ってきた。
「もしもの時は私が守ってあげてもいいわ。戦闘には自信があるの」
「それは心強いね。僕のピンチに颯爽と駆けつけてくれると嬉しいよ」
彼女は魔法学校を出ていると言った。
通ったことがないために詳しいことは知らないが、魔法学校に入学できる条件に、魔法の才能が必要というのは聞いたことがある。
彼女は優秀なのだ。
あたりまえのように生きて、あたりまえのように死ぬ。
まだ見ぬ明日に怯えるような人間ではない。
そう思うと彼女の浮かべる表情のひとつひとつが、とても意味のあるもののように僕には思えた。
「でも僕も、魔法にはすこし自信がある」
彼女の驚く顔が見たかった。
右手に意識を集中させると手のひらから冷気が漏れ出した。
それを繊細に操り空中へ蔓のように伸ばしていく。
想像するのは、一輪の花。
何の花でもいい。記憶にある花を再現する。
冷気が音を立てて収束する。この瞬間が、好きだった。
小さな光が僕の右手から霧散すると、氷の花が咲いていた。
「きれい……」と彼女がつぶやいた。
魂の抜けたような声だった。
「魔法ってのは、使い方次第でさまざまな変化をもたらすものだ。同じ魔法でも、人を殺める道具にもなるし人々に感動を与えることだってできる」
リナリーの反応を見るに、魔法学校ではこのような使い方を学ばなかったのだろう。
ちょっとだけ誇らしい気分になる。
「……本当に魔法学校を出てないの? というか、ちょっと悔しい気分」
「学校を出た人間にそこまで言われるとは光栄だな。この仕事がダメなら教員にでもなれないかな」
「素性が怪しい人間には無理ね」
「その通りだ」
リナリーと話していると森の中からマッキノンが現れた。
「仲良くやっているようだな」
僕とリナリーは顔を見合せて、お互いに肩を竦めてみせた。
「背中を守る相手を得ることは良いことだ。是非とも、ウチで活躍してもらいたいな」
「そういえば気になってたんですけど」とリナリー。
「何だ」
「魂導士って、死後の魂、霊魂が視えなければいけないのにその能力を確かめたりはしないのでしょうか」
「ウチには能力のない奴もいる。能力が無くても見込みのあるやつは採用だ」
館を訪れたときに出会ったシンスさん、彼女は事務の仕事をしていると言った。
彼女に霊魂を視る力はあるのだろうか。戻ったら聞いてみよう。
マッキノンは黒馬の頭を一撫ですると御者席に座った。
僕とリナリーも客車に乗り込む。
「出発だ」
黒馬の嘶きを合図に馬車はふたたび動きだした。
嵐の前の静けさ、という言葉がある。
大事件や異変が起こる前の不気味な静けさのことを指す言葉だ。
休憩から馬車が動きだしてすこし経った頃、先ほどまで降っていた雪は気がついたら止んでいて、遠くの空には晴れ間が見えた。
不安を煽る材料が無くなったのに、マッキノンの表情は険しいままだった。
悴んだ手で僕の造った氷の花をいじるリナリーにそのことを伝えると「もとからそういう顔だったわ」と答えた。中々に辛辣すぎる。
「マッキノンさん、村まではあとどのくらいなんですか」
「もうじき着く」
周囲を警戒しながら応えてくれるあたり、マッキノンさんは優しい人なのかもしれない。
このとき僕は、どうしようもなく暇だった。他人と同じ空間にいて、同じように生きているのに、自分だけがこの時間に価値を見出だすことができない。
孤独に慣れた人間が"和"に加わったとき、比較対象ができることで孤独者はさらに孤独を味わい、劣等感のようなものを覚えるのかもしれない。
「早く、着かないかな」
流れる風景にため息を吐いたときだった。
――もうすぐだよ。
そんな声が、聞こえた。
遠くからではなく、僕の耳元から。
「どうしたの?」
突然周囲に気を配る僕を怪訝に思ったリナリーが訊ねる。
「……ああいや。何でもないんだ」
また、これだ。
僕にはすこし空想癖がある。
幻聴や錯覚なんて頻繁に体験するし、決まって同じ声、姿で現れるのだから質が悪い。
「手……震えているけど」
情けないことに僕の腕は鳥肌たって、手は小刻みに震えていた。身体の一部が他人に乗っ取られたみたいな感覚がして気味が悪い。
「冷たいけど我慢して」
リナリーは僕のとなりに移動する。
先ほどまで氷を触っていた手で僕の手を優しく握りしめた。
「……男の人の手って、なんか岩みたいね」
「君の手は温かい」
「何それ。私、さっきまで氷触ってたのよ?」
「そういう温かさじゃないんだ。温かみを感じるのは手だけじゃない」
「……ジオンって、女関係に苦労しそうね」
「悲しいかな、親しい女性なんて一人もいないんだ」
「意外ね。三、四人くらい居そうだけれど」
「これからに期待するよ」
「さいてー」
リナリーが僕の手をつねる。
女性らしい弱々しい力だった。
馬車が跳ねて「きゃっ」とリナリーが体制を崩した。
そのとき僕と肩が触れあって、彼女との距離の近さに驚いた。
俯きながら小麦色の髪を耳にかけるリナリーは、女性的な魅力に富んでいた。
小さく震える睫毛には憂いが。
僅かに潤んだ瞳には妖美が。
そして、唇には凄艶が。
「……もう、治まったみたいだ」
このまま彼女と触れあっていたら何かを失うような気がした。
彼女の手から逃れてポケットに突っ込む。
ポケットというのはどうしてこう落ち着くのだろうか。
「おい」
御者席からマッキノンの低い声。
「前方三時の方向から魔物だ。――駆逐する」
車窓から顔を出す。
遠目からで詳細までは分からないが、熊のような姿をした魔物が六体、こっちへ向けて駆けている。
「歯ぁ食いしばれ」
「なん――」
何で、と言おうとした刹那、馬車が急に止まって世界が反転した。
視界に映るリナリーは、目をつぶって柱を掴んでいる。
頭から向かいの席に突っ込んだ僕は、思いきり舌を噛んだ。
「……大丈夫?」
僕のうめき声を聞いたリナリーが心配そうな顔でのぞいてくる。
「さ行が発音できなくなった」
「あら大変。……というか本当に大丈夫? 血、出てるわよ」
手で口元を拭うと赤い線が引かれた。
「このくらい、問題ない。リナリーは……大丈夫そうだな」
腕や顔に目立った外傷はない。
咄嗟の対応を見るに、リナリーは瞬発力が優れているのかもしれない。
ここに来る前に選んだ武器のレイピアの能力を引き出すには抜群の才能だろう。
リナリーの手を借りて客車を出るとマッキノンが僕を見て嘲笑した。
「情けない」
「本当に、その通りだ」
黒馬の僕をみる目も何だか嘲っているように感じられる。
マッキノンは言っていた。
黒馬は力に従順で、弱い者には従わないと。
御者席に僕が乗ったら黒馬はどんな反応をするのだろう。ちょっと気になる。
「ねぇ」リナリーが指をさす。「魔物、来てるけど」
姿形がはっきり見える距離まで近づいていた。
「――抜刀せよ」
二人は勢いよく武器を手に取る。
僕も同じように腰に下げた剣を抜こうとしたが、剣の柄を掴むことはできなかった。
「……客車の中じゃん」
さっきの衝撃で、外れていた。
取りに戻ろうにも魔物はすぐそこまで迫っている。
「リナリー、早速だけど僕を守って」