4話:甘い生活
早朝の爽やかな空気と、穏やかな陽光が、部屋の窓から差し込んでくる。
「ん……うぅ……」
寝ぼけ眼をこすりながら、俺は寝台から起きた。
ぼんやりとした頭で、きょろきょろと見回す。
俺の家は、ボロい家を大家から間借りしているものだ。
賃料を限りなく低く抑えるために、寝室なんて上等なものはない。
居間と台所と寝る場所が、ほとんど一つのスペースに閉じ込められている。
その生活機能が密集した台所で、ローレライがエプロンを身に着けて何か炒め物をしていた。
「ふんふんふーん♪ わったしのフランはせっかいいちー♪」
謎の歌を歌っている……。
けど、こういうのはちょっと良かった。
起きた時、誰かが側にいてくれ、料理を作ってくれているというのは、暖かい家庭を感じる。
「ローレライ、早いな。メシ作ってくれてるのか」
「あ、おはよー、フラン。そうだよ、簡単な料理だけどね」
「いつも悪いな。根源精霊のお前にそんな使用人みたいなことやらせちまって」
「ううん。私が好きでやってることだから」
そう言って、ローレライは幸せな表情を浮かべて、むふーと笑った。
俺は寝台から降りると、桶に溜めていた水で顔を洗った。
「フラン、ご飯できたよー」
「お、そうか。食わせてもらおう」
手ぬぐいで濡れた顔を拭いたところで、ちょうどローレライがやってくれていた朝ごはんの準備が整ったようだ。
狭いテーブルの上に食器と質素な(俺が貧乏だから)料理を並べ、2人声音を重ねて、合掌。
「「いただきます」」
今日の朝ごはんは、ライ麦パンと、卵とニラの炒めものに、野菜スープだった。
スープをすすると、優しい野菜と塩の味がする。
「美味いよ、これ」
「ありがとー」
ローレライはにへら、と嬉しそうに笑う。
そのまま談笑しながら2人で食卓を囲い、今日の予定を話し合う。
「そろそろまた仕事をしないと、金がなくなる。今日は冒険者ギルドで依頼をこなそうかと思う」
「じゃあ、私もフランについていくね」
「そうしてくれるか」
「もちろんだよ」
その即答は、ローレライからの確かな信頼を感じる答えだった。
こうして、今日も俺とローレライの、平和な2人だけの世界が始まっていく。
◇
朝起きて自宅で朝飯を食べて、ローレライと並んで歯磨きし、お出かけの際にローレライからほっぺにキスを受けた俺は、冒険者ギルドに向かった。
日銭を稼ぐためだ。
王都の中央区にある冒険者ギルドは、いつも多くの冒険者たちで賑わっている。
俺が冒険者ギルドに入ったときも、がやがやとした喧騒に満ちていた。
俺とローレライのことを、ちらと見た者もいないわけではなかったが、みんな俺のことを無視している。
と言うより、俺に積極的に絡んでくる様子がない。
みながそれぞれのやるべき事に集中、あるいは仲間内でのしょうもない雑談に興じている。
こういうところは、大都市のギルドの良いところだった。
俺はローレライを連れて、受付嬢の元へ行く。
「あ、フランさんー。おはようございます」
「おはよう、ドーラ。何か仕事はあるか?」
受付嬢のドーラと挨拶を交わし、俺はカウンターのスツールに座りながら尋ねた。
「ええと……そうですねえ。王都の下水道の掃除とか、そういうのならあるんですけど……」
「下水の掃除か。仕事を選り好みするわけではないが、それはなるべくやりたくないな……」
下水道の掃除は、誰でもできる代わりに、キツくて報酬が低い。
みんなから避けられているタイプの仕事だ。
「ですよねー。他のランクの低い冒険者ならともかく、フランさんのような人がやる仕事ではないです」
そう言って、受付嬢のドーラはパラパラと羊皮紙のリストをめくる。
「ロザミア山岳の関所護衛は……あーダメだ。5人以上のパーティーで仕事にあたるが必須ですね。
錬金術士が使うための薬草の採取はここから遠い森まで行かなければならないから、旅費がかかるからボツ……」
ドーラは渋い顔で羊皮紙をめくるが、どれもイマイチな仕事のようだ。
「うーん……、フランさんに頼んだ仕事は、きっちり完了までこなしてくれるし、冒険者ギルドへの進捗報告も早いですから、私どもも斡旋したいのは山々なんですけど……」
「美味い仕事がない?」
「そうなんです。ソロでおいしい仕事はどれも獲られてて、あとはパーティー用の仕事しか……」
ガックリ、と肩を落として、ドーラは落ち込んでみせた。
「参ったな……。俺もまたそろそろ仕事をしないと生活資金がなくなるから、多少条件が悪い仕事でもいいんだ」
「そうですねぇ……」
ドーラがもう一度、羊皮紙を眺めようとしたその時。
「なんだ、フラン。仕事がないのか?」
カウンターに座っている俺の背後から、声がかけられた。
振り返れば、そこには男なのに端正な顔立ちをした、金髪のイケメン男子が立っていた。
「レイシス……」
その男は、冒険者の中でも上位グループの、Aランクパーティー『スワロウテイル』のパーティーリーダをしているレイシスという人物だった。
王都の冒険者ギルドに所属している者なら、レイシスのことを知らないものはいない。
イケメンを鼻にかけない性格で、後輩の面倒見もよく、女の子には常に紳士な態度をとるため、皆から慕われている人気者だ。
日陰者の俺とは、大違いだった。
「なんだ、レイシス。俺に何か用か?」
「仕事探してるんだろ? よかったら俺たちと組んで、パーティー用の仕事をやろうぜ」
そう語るレイシスの背後で、彼のパーティーメンバーたちが悲鳴を上げた。
「ちょっとレイシス! フランなんかに声かけるなんて、いくらなんでも」
「そうですよ。レイシスさんが優しいのは私たち皆が知っていますけど、フランさんにまで同情で優しくしなくたって……」
散々な言われようだった。
俺の隣でローレライが静かに「かちーん」と声を立てていた。
「別に同情で誘ってるわけじゃない。冒険者はみんな食い扶持を稼ぐのに必死だ。だから、困ったときは互いが支え合うものだろ。フランが困ってる。だから俺は仕事に誘った。それだけだ」
いかにも皆から慕われている、人気者の男が言いそうな、優等生セリフだった。
正直言って、仕事は欲しい。
Aランクパーティーともなると、かなり報酬額が高い仕事をやっているだろうし、それをメンバーで分けあっても十分利益は出る。
金は喉から手が出るほど欲しかったが、そこで俺はレイシスの背後からこちらを睨んできているパーティーメンバーたちの視線に感づく。
「そうだな……。いや、今回はやめておくよ。まだ蓄えもあるし、なんとかするさ。行こう、ローレライ」
「あーい」
俺はローレライの手を引いて、レイシスたちの横をすり抜けて冒険者ギルドから出て行った。
◇
「なにあれ。むかつくー」
噴水通りを歩いて行く俺の隣で、ローレライが憤慨していた。
「『フランさんにまで同情で優しくしなくたって……』ってなにそれ。ああいうナチュラルな上から目線が、一番腹立つよね」
ローレライの言葉に、俺は苦笑する。
「レイシスは善意で言ってくれてたけどな。そこは分かってやろうぜ」
「私だってそれは分かってるよ。でも女たちの方は、言っちゃいけないこと言ってたじゃん」
「まぁ、なぁ……」
そう言って、俺とローレライは噴水通りを抜け、南区にある自分を家まで戻ろうとしたところで、背後から呼ばれた。
「フラン! おい待てよ、フラン!」
驚いて振り向くと、そこにはレイシスが走って追いかけてきていた。
「なんだよ、レイシス。まだ何か用か?」
「はぁ……ふう。さっきはうちのパーティーの奴らも悪かった。思慮が足りなかったよな。すまない、嫌な思いをさせちまった」
「別に。気にしてない。それだけ言いたかったなら、受け取ったから、じゃあな」
踵を返そうとしたところで、「待てよ」と前に回り込まれる。
「うちのパーティーメンバーも悪いが、お前のそういう態度も悪いんだぞ」
「…………。何が言いたい?」
「その、そういうところが、みんなに良く思われてないんだって、理解れよ」
俺は失笑を浮かべた。
「はっきり言ったらどうだ? 『卑怯者の大賢者』だから、みんなから嫌われてるんだ、って」
「なっ……! 俺はそんなつもりじゃ!」
レイシスは顔を真っ赤に染め上がらせた。
「分かってるよ。お前は多分、いい奴なんだろうな。俺みたいなつまはじきものにも声をかけて、みんなの輪に入れようとしてくれる明るく優しく、みんなから好かれている奴だ」
「不満がありそうな口ぶりだな」
「別に。ただお前の自己満足に付き合って、俺がパーティーメンバーのやつらから針のむしろにされなければならない苦労を思うと、偽善者だなって思うだけだ」
俺の言葉に、レイシスは柳眉を逆立てる。
「お前……ケンカ売ってんのか」
「俺のことは放っておけばいい。ローレライと2人で生きていくために、冒険者として日銭を稼いでいるだけだ。それなら、ソロでもなんとかなる」
「待てよ! お前はたしかに世界で唯一、精霊を契約している大賢者かもしれない。でも、人間は1人じゃ生きていけないんだぞ。なにより、仲間がいないと寂しいだろ!?」
「俺が寂しかったら、お前がお友達になってくれるとでも言うのか?」
「お前が望むならな」
レイシスの言葉に、俺は苦笑を浮かべて肩をすくめた。
「ありがとうよ、レイシス。ただ残念なことに、お前はそう思っても、お前のお仲間さんはそうは思わないだろうな」
「……。あいつらも、悪いやつじゃないんだよ」
レイシスは苦い感情を絞り出すように、そう言った。
「知ってるよ。だから無用な苦労をしないよう、お互い積極的には関わらないようにしようぜって話だ」
「だが……とりあえずフランにも目先の金は必要だろ」
「そこは事実だ」
俺は頷く。
「なら、今回は俺のパーティーメンバーはうっちゃっておいて、俺とお前、それからフランの相棒の根源精霊さんで、3人でパーティーを組んで仕事しようぜ」
レイシスは、呆れるほど、イイヤツだった。
「はぁ……。分かったよ、レイシスがそこまで言うなら。ローレライもいいか?」
「別にいいけど、私は仕事中、フラン以外の人間が死にそうになっても助けないよ」
「だそうだ、レイシス」
「構わない。自分のケツは自分で拭く」
こうして俺たちは、一時的にレイシスとパーティーを組むことになった。




