その4『型通りでありながら型破り』的な。
その4.
型通りでありながら型破り的なものが最近あまり見掛けられなくなりましたね。
とはいえ、結構面白いと思って見ている物もあることはあるのですが、型破りとまではいかないようです。
型破りの例えとしてはやっぱ、日常的な部分とは裏腹の、非日常的な人間の底知れぬ狂気な部分とかな。
現代、特にここ二十年間ぐらいの日本は【マニュアリズム】に従うことが正解とされている風潮がありますからね。そういうの表現するのは色々と難しいみたいで。
そういった状況だと、しわしわになったストローの包み紙に液体なんかを一垂らしすると、まるで芋虫みたいにムゴムゴとうごめいたりなんかしちゃったりして。
なんじゃそりゃ。
☆☆☆
いつからか理屈先行型社会になって、サブカル作品もそういう台詞回しなんかが主流になって久しいけれど、文章体にしろストーリーにしろ台詞にしろ肉体的精神的経験値に基づいて創られたエンタメ作品が少なくなりすぎて寂しいですよ。
理由は分かるんです。そういうの、昨今はウケないみたいだから。
景気が悪い時ってのは、無意識に人の心の余裕がなくなるのは必定ですからね。そういう時は、原理的な答えにすがりつきたくなるものなんですよ。
ほら、よくあの震災の前後にも言ってましたが、今度やる都知事選の候補者の言い分みたいに、
『フレーズ化』
しちゃうんですね。フレーズってのは、中身が伴わなくっても聞く側にはとても心地いいものですから。
そのフレーズをさらに篩にかけると、原理主義的な感じになっちゃうんです。
原理主義ってのは、時間の概念がない時の止まった概念ですから。
一秒前にはその答えが正解だとしても、一秒後にはその答えが正解だとは限らないんですがね。
でも、現代は【マニュアリズム】の世の中ですから、どこかで時間が止まったままなんです。
さて問題です。
いつから日本は時間が止まったままなんでしょう。