表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

2/12

その2『大人と子供の読み物の違い』(1)

 

 どうも皆様こんばんは。

 この度このページにアクセスしてくださった皆々様に感謝いたします。矢暮と申します。


 えーと僕は、このサイトでいつもふざけたことを書いたり時には真面目な観点から何かを語ってみたり、好きな感じでこのサイトを利用しております。


 で、今回は、先日の活動報告でも予告したとおり、


『大人と子供の読み物の違い』


 などを取り上げてみようかと思います。


 それに関してなのですが、最初は真面目パート。そして最後ははっちゃけ題名パロディパートなんかで締めくくりたく存じます。


 まだ、全然風邪をこじらせた体調が戻らないものですから、テンションがかなり低いので、その点を考慮してお読みいただけたらと思う次第でございます。


 ☆☆☆


 さて、本題をぶっちゃけて申しますれば、大人向けと子供向けの読み物の違いがどこにあるのかを一言で表現するのなら、


 その物語の中にある『絶対性』ではないかと。 


 つまり、

「この必殺技が決まれば勝てる」

「このヒーローが出てくれば必ず悪がやっつけられる」

「この武器があればこの戦いに勝てる」

「うひゃひゃうひゃうひゃひゃ、俺絶対に女にもてる」


 などなど、そういう短絡的な『絶対性』が、物語の核であったり、物語の随所に見られるものは、大概は子供、もしくは若年層向けであることが多いのです。


 しかし、これは僕の子供のころに例外がありました。


 それは、あの『機動戦士ガンダム』が世に認められた時です。

 

 ☆☆☆


 僕らの年代(40歳前後)の方なら当然ご存知なことだろうと思いますが、あのブームに乗るが乗るまいが、少年少女から若年層に至るまでの熱狂は半端なかったですよね。


 そこには、ある要素が隠されていました。

 それが、今までの子供向け番組にない、


『絶対性の無さ』


 なのです。


 ☆☆☆


 子供向け番組の特徴と致しましては、ヒーロー物から何かに至るまで大抵の物は、


『ヒーロー、ヒロインによる解決、または大団円』


 が、カタルシスとして物語を締めくくります。


 しかし、あの初期の『ガンダム』という物語には、


『絶対的なものがない』


 のです。


 メインロボである《ガンダム》ですら、必殺技もなければ、


「当たらなければどうということはない」


 と、敵将校に言わしめられたビームライフルなど、強力な武器であるにもかかわらず生身の相手ですら無力である時がある。


 僕は当時、小学四年生だったのですが、

「これなんだよ、これ! ボクの言いたいことは!」

 と、一人テレビを観ていて興奮していたのを覚えています。

 だからこの物語が一発で好きになっちゃったんですよ。

(※確かに客観的に見れば変なガキですよね)

 

 話は逸れましたが、あの物語に登場する人物たちにもすべて共通するのが『絶対性の無さ』なんですね。


 ホワイトベースに搭乗する人物それぞれに絶対性がないのは当然ですが、敵側の赤い彗星シャアにしろ、デギン公王にしろ、ギレン総帥にしろ結局は絶対性がなくどこかにほころびを持って不幸な道をたどる。


 連邦軍のレビル将軍にしてもあっけなく命を落とし、結局連邦は優秀な面々を戦死に至らしめることとなり数を減らし、やがて連邦政治は弱体化する。


 ――などの、あらゆる現存する思想主義の弱点をことごとく表現して、完璧性や絶対性はどこにもないことをそれとなく物語っているのだと思うのです。

(※もともと生い立ちによりニヒリスティックだった赤い彗星のシャアは、続編であるΖガンダムに登場し、その辺りに苦悩している様がたびたび表現されていますね。「自分のやっていることに果たして意味はあるのか……」というふうに) 


 つまり、どれを取っても『完璧はない』『絶対はない』『欠陥はあるよ』という意味合いが含まれているのだと思うのです。


 それを踏まえて表現したのが続編たる『機動戦士Ζガンダム』だったりします。


 ……えーと、長くなるのでこの話題はこの次にします。


 ☆☆☆


 というわけで、この番組が放送された辺りから、子供の視聴者の振り分けが大きく二つに分かれました。


『絶対性のある物』と『絶対性が無い物』とに。


 かといって、ガンダムを始めとした俗に言う《リアル路線》という物が好きだった少年少女全員が、そういう哲学的な命題を好んだのかと言うとそうではありませんでした。


 やっぱり、

「モビルスーツ、AT、バトロイド、ソルティックアーマー、ウォーカーマシンなんかがカッコいいから」

 的なノリの友人が大多数であったし、

「シャアカッコいい、キリコかっこいい」

 的な女子もいたし、

「アルテイシアむふふ。ミンメイむふふ」

 的な、今で言うアキバ系なノリの人も大半だったのではないかと思います。

 つまり、あんまり昨今のサブカルのノリと変わらない部分は多かったのではないかと。


 だだ、現実とリンクした意味で語ると、


 今のようにここまで『絶対的』な感覚がどこかにあるという幻想が、老人から子供たちに至るまで浸透してしまったのかは考慮すべき点であるということ。


 ただ、こんな僕でもこれだけははっきり言えます。

「経験上、絶対という事実はどこにもなかった」

 と。


 まあ、実生活で相場の激しい物を扱っていた経験が長かったから、そう思うのかもしれません。

 ああいうのを相手にしていると、智恵と体力と経験でカバーするしか方法はないですからね。


 ☆☆☆


 そう、絶対がないから答えは一つではないんです。

 だから僕のモットーは『ケースバイケース』。

 その『いい意味での不安定さ』を物語でどうにか表現したくて、僕も未だに四苦八苦してます。

 現実でも。


 

 

  

  


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ