その10『笑いや楽しさの考察』(1)
その10
書いちゃっていいスかね。書いちゃっていいスかね。
たった今(夜中の二時半に)帰ってきて夕飯の残りを魚にビールをグビグビやったら、なんか地方暮らしが窮屈でたまんなくなってきたですよ。辛気臭い人や根に持つ人がやたら多いし。
やっぱ世間ってやつが狭いせいだからかね。
もっとはっちゃけようぜ。なあ。
首都圏みたいにある程度の場所なら、真夜中まで飲んで歌ってウフフギャハハハとやったとしてもこんなに辺りがシーンとしてないし。
僕には地方暮らしが性に合っていないのは分かっているんだけど、こればっかりはね。大人の事情ってあるんですよ。実際。
ぬわぁんてさ、辛気臭い愚痴から書いたのには意味があって。
今日のお題は【楽しさ】そして【笑い】ってなに?
みたいなテーマを、僕なりの視点で書いてみようかと思います。
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僕が色々な観点から【笑い】だとか【楽しさ】だとかを意識し始めたのは、もうこれははっきりしていて小学校一年生のときだね。
小学校に入った時点でやたら人前に立つことが多くなって、そのときに機能的な注目を集めなければならないときにやったのが、小ネタでみんなを惹きつけることや、真面目な話の途中で恐ろしく奇妙な踊りを舞って場を和らげたりなんだりしたわけです。
そういうのを意識するようになって、いつもどうしたらもっとそういうのを向上できるのだろうと研究したのが、いわゆるお笑いであったり、テレビドラマであったり、映画だったり、アニメだったり、漫画だったりしたわけです。
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ここでこれを読んでくださっている方々に質問です。
あなたは、今ご自身が気に入っている有名な誰かのギャグを真似てみて、それでたくさんの人を爆笑の渦に巻き込める自信があるでしょうか?
多分、自身がある、ないというよりも、高確率で事実上笑わすことが出来ないと思います。
なぜなら、笑いであるとか、楽しさであるとかを生み出すものは、ギャグそのものではなく、ギャグをする人のかもし出す雰囲気を観客が求めているからです。
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本当はもっと細かく分類して明示したいところなのですが、それはめんどくさいんでぶっちゃけて申しますと、
(※文章が滅茶苦茶でしょう? それは酔っ払っているからです)
笑いというのは、僕の観点からすると、
【それを観る人たちの時間という概念を取り払ってあげる行為】
だと思っています。
いや、僕はお笑い芸人ではないんですけどね。
それでも言えることは、楽しいことであるとか、面白いことなんかは、時間の経つのが早いでしょう?
つまり逆を言えば、『楽しいってことは、時間という概念を忘れる行為』なのだと思うんです。
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と言うことは、【悩んだり】【苦しんだり】【辛かったり】などの精神状態のアレは何なのか?
『あの契約、時間通りに納期が間に合うだろうか?』
『明日、大事な面接があるんだ。遅刻なんかしないだろうか?』
『こんなダメ人間のまま歳を取ってしまっていいのだろうか?』
『死ぬのが怖いよう』
などなど。
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そんなふうに、人間は時間という概念によって辛さを感じたりしてしまいます。
では、時間を意のままに操れるようだったらどうでしょう?
結構、今抱えている悩みなどそれほど苦にならなくなる可能性がでてきます。
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どうやら人間という生き物は、
『時間という概念があるがゆえに人間なのだ』という感じさえします。
どこかで聞いたことがあるのですが、人間以外の動物なんかは、時間という概念を持っていないのだとか。
もし持っていたとしても、それほど長いスパンの概念ではないのかも。
それから考えると、もしかすると理性的な感覚が強い人ほど、より長いスパンの計略なりなんなりを考えられるのかも知れませんね。
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時間を排除すれば、楽になる
とろり教育




