その1
○登場人物
城前あかり・しろまえあかり(トップアイドル、過去に大きな傷を持つ)
水科幸太郎・みずしなこうたろう(あかりの育ての親、過去に大きな傷を持つ)
城前修吾・しろまえしゅうご(あかりの父親、酒とギャンブルにおぼれる暴君)
城前和子・しろまえかずこ(あかりの母親、修吾におびえながら毎日を過ごす)
あかりと出会ったのは十年前になる。
僕はそのころ精神的に最悪な状態にあった。最愛の奥さんに先立たれて失意のどん底
にいた。
何というぜいたくをのぞむわけでもなく、つつましやかな生活を送ってきた。僕も奥
さんも良くも悪くも普通だったから。高望みはせずに平穏な日々をすごしていくことが
なによりのしあわせだった。
なのに、それはあまりに突然やってきた。体調不良をうったえる奥さんを病院につれ
ていくと、医師から告げられたのは聞いたこともない病名と意味のわからない病気の説
明と余命の宣告だった。
回転のはやくない僕の頭では理解するまでかなり時間がかかった。いや、たぶん現実
からにげていただけだ。こんなことがあるはずがない、そう自分への恐怖に上書きして
いただけだった。
奥さんは診察に行ったその日から入院になっていた。僕はもちろん毎日できるかぎり
病室にいるようにしていたけど内心ではものすごくビビっていた。奥さんの死へのカウ
ントダウンが進んでくさまを目にするのがこわかった。
当の奥さんは弱気な姿をほとんど見せなかった。本当は誰よりこわかったはずなのに、
僕を気づかって気丈にしていてくれた。強い人だった。
僕は奥さんを言葉でかぞえきれないほどはげました。でも、家にかえって一人になる
と体がふるえるほど泣いてばかりいた。弱いやつだった。
数ヶ月の闘病の末、奥さんはかえらぬ人になった。たくさんの涙をながして、すこし
だけ肩の荷がおりた。スッと生きる気力がうしなわれたように。
どれだけ悲しいことがあっても生きてるかぎり明日はやってくる。僕には仕事があっ
たし、奥さんの入院費でそれなりに親への借金もあった。何もしたくない心情ではあっ
たけどそうもいかなかった。
僕は旅行に行くことにした。今の自分の心身の状態でこれから普通の日々をすごして
いく自信がなかったから、むりやりにでも心情を変えるために違う環境に身をおこうと
思って。
家族も会社も僕に気づかって傷心旅行をゆるしてくれたので二泊三日で温泉に行くこ
とにきめた。もやもやした思いをパッとなくすために娯楽の多い有名な温泉街をえらん
で心も体も洗いながそうと思った。
ただ、実際に着いてみるとのんびりと時間をやりすごすだけだった。娯楽はいたると
ころにあっても、つつましやかな生活を送ってきた普通な僕には手をのばすものはそう
なかった。
初日は歓楽街を見てまわってから温泉に入っただけで夜になった。結果、交通費にし
かお金をつかっていない。悪いことではないのになさけなく思えた。自分はなんて面白
味がないんだろうと。
そんな気持ちを落ちつけたくて、夜も遅めにはなっていたけど散歩に出かけた。歓楽
街は眠る気配もない華やかさがのこってたけど、もうすこし歩くと地方の田舎らしい部
分もあってよかった。普段いるような凝縮された空間のない、おだやかで大きく広がっ
た空間。
やすらかな気分になれたので戻ろうと思ったとき、ある姿に目がとまった。小学生か
どうかぐらいの小さな女の子がレジ袋をさげて歩いていた。下を向いたままでもくもく
と歩いている。こんな遅い時間にどうしてとは感じたけれど何をすることもなく宿へ戻
ることにした。
次の日は温泉街から近いところにある名所をまわっていった。自然がきれいで、空気
もすんでて心もあらわれるところだった。最近は雑な思いに振りまわされることが多か
ったけれど心内をなだめてもらえた。
けど、やはり思うのはこういうところに奥さんと一緒に来たかったということだった。
周りを見渡せば、家族や親子や夫婦やカップルや友達と今の感情を伝えあっている姿が
目にうつる。奥さんが今もいればあんなふうにできていただろうし、未来には子供とあ
あしていたことだろう。
でも、それもかなわない。
この先、年をかさねていけば奥さんはどんな女性になっていただろう。きっと素敵な
ままだったんだろうな。
この先、年をかさねていけば僕らはどんな夫婦になっていただろう。きっと今と変わ
らないんだろうな。
この先、生まれていれば僕らの子供はどうなっていただろう。きっとちょっと不器用
でかわいい子なんだろうな。
でも、それもかなわない。
希望をえがくたびに一つ一つがつぶされていく。まるで希望をえがくことがゆるされ
てないように。
やけに悲しくなった。旅行に来たところで、こんな名所に来たところで何も解決なん
かしちゃくれなかった。僕の失ったものは、僕らの思い出はそんなことでチャラになる
ようなものじゃなかった。
結局、何の成果もないまま宿へ戻った。明日にはここを離れて、また通常の毎日を送
ることになる。それを奥さんのいない悲しみをかかえながらいくことになると半ばあき
らめていた。
夜になると散歩へと出かけた。昨日と同じように、盛りのある歓楽街をぬけて田舎ら
しい人気のないところへと歩いていく。星がまたたき、涼しげな風が吹き、大きくおだ
やかな空間に心はやすらげられる。
ここでも、思うのはこの景色を奥さんと見れたらということだった。隣同士、すこし
寄りそいながらこの空間にいれたならどんなによかっただろう。
僕は奥さんのみじかい人生に何をしてあげられただろう。もっとしてあげられること
はあったはずだ。人生はながいものだと勝手に思いこんで、伝えられた言葉を伝えなか
ったり、送れた気持ちを送らなかったりしていた。今ごろ何を思ったところで後悔は後
悔にしかならなかった。
感慨にひたっていると、ある姿が目にとまった。小学生かどうかぐらいの女の子がレ
ジ袋をさげて歩いている。昨日と同じ光景で、同じ子であるのはすぐに結びつけられた。
ただ、下を向いたままもくもくと歩く姿に昨日はなかったものを感じられた。その子
は僕と同じ顔をしていると。希望を見いだせない、悲しみという薄暗い檻の中に閉じこ
められたような顔を。
その表情がひどく胸に打ちつき、気づくとその子の後ろを着いていってた。追いかけ
てるようで引きよせられてるような、その子を視界に入れていないといけないような感
覚だった。
その子の歩は公園で止まった。少しばかりの遊具があるこぢんまりした公園の洗い場
で蛇口をひねり、洋服の袖をあげて右腕を洗っている。
そっと近づいていくと、その右腕にひどく腫れたさまを見てとれた。この暗さとこの
距離で確認できるということは実際はもっと痛々しいものにちがいない。
その様を目にしたとき、心の奥底から体をおおうほどのものがわきあがってきた。頭
にきざまれた過去の映像、体にきざまれた過去の体験、心にきざまれた過去の痛みが一
気に瞬間的に開放されていく。忘れたくても鮮明に記憶されてしまったものが体にかぶ
さっていく。
そして、目の前にいる子にそれがリンクされる。その子が自分と同じ顔をしてると感
じた理由がわかった。
そのとき、その子が気配を察したのか後ろを振りかえった。
視線がばっちり合うと、警戒とともに疑心の目をされた。動きは止まったまま、アク
ションをおこそうとはしない。体がかたまって動けなくなってるのか、あるいは僕と同
様に同じ顔をしている人間がいると感じたのか。
「・・・・・・大丈夫?」
静けさをやぶる最初の言葉をたえきれず発した。不審者あつかいされないように、自
分が味方であることを伝えたくて。
その子は右腕を洗うのをやめて洋服の袖をもどした。こっちから視線をはずし、そこ
に立ちつくしている。不審者とは思われていない。逃げようとしていない、恐怖におび
えてる様子もない。
「・・・・・・誰にやられたのかな」
思いきって踏みこんでみた。さっきの直感が当たってるならこのまま放しちゃいけな
いことだ。ここでこの子を放すことは、あのときの自分自身を放すことと同じだ。一番
の決心から逃げるだけだ。
その子はなにも反応をしめさない。ただそこに立っている。でも、逃げない。きっと
自分から発信する勇気がないけど必死で叫んでるにちがいない。昔の自分を見てるよう
で泣きそうになった。
「・・・・・・お父さんとお母さんのどっち?」
その言葉で、その子の顔が僕へ向いた。さっきの不特定なものじゃなく、僕のことを
特定のものとしてとらえている。実にうろたえて揺れ動くさまのわかる、かげりのない
瞳だった。
「・・・・・たすけて」
かぼそくてこぼれるような言葉だった。自ら発信することのむずかしい体から振りし
ぼったものだろう。僕の存在を他の大多数のかわいた大人たちとは違う信頼のおけるも
のだと思ってくれ、体中にとどろく叫びをちいさな言葉で伝えてくれたんだ。
なら、僕はそれに応えないといけない。すがる思いでのばしてくれたこの子の手をし
っかりとつかまないといけない。
ごめんねとつぶやき、その子の洋服の両腕の袖をあげていく。この暗さだけど打撲や
火傷の跡がいくつもある。それ以上の心的な苦痛もあるはずだ。こんな小さな女の子に
耐えきれるものじゃない。この小さい体いっぱいに我慢をかさねてきたんだろう。希望
も信じることなく。
「・・・・・・よく今までがんばってきたね」
その子をだきしめると愛おしさがこみあげてきた。僕の腕の中にいるその子からは何
も反応はなかったけど、きっと解き放たれた新しい感情に救われていたと思う。
あのとき、僕にこんな言葉をかけてくれる人はいなかった。味方なんていなかった。
もし、あのときにこう言われてたら涙が出るほどうれしかったと思う。何も発信する
すべのない僕を分かってくれたら、閉塞された暗闇の中から一筋の光を見つけられただ
ろう。
だから、僕はこういうときがきたらこうすることを決めていた。あのとき、自分がし
てもらいたかったことをすると。
この子を守ってあげたい、この子を痛めつけたやつが憎い、そう募ってきた使命感は
心にたしかな形を作っていく。もう僕の中に決意は固まっていた。




