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『廃病棟ねんねこりんと腐快な仲間達』編(上)

 緒言:『死ぬ気でやるな。殺す気でやれ』


 得も言われぬ感触と言うべきなのだろうかこれは、と、倒記海人は吟味検討した上でそのような結論を下したのではない。

 ただ夢現の中にあってはボンヤリと、漠然と、夢心地に、曖昧模糊として感じている、その蕩けそうな感触を彼に代って代弁し、形容してみたまでである。

 それは何よりもまず柔らかく、そして暖かい。次いで絡みつくように優しく、儚げで切なげで。腰から背筋にかけてゾクゾクとした快楽が湧き上がるようである。

「はみゅ、……はみゅ、……あむちゅ」

 何やら湿り気を帯びた水音が、眠れる意識をやや覚醒向きに、しかしくすぐるように微々とした淡い力加減で、彼を誘って行く。徐々に徐々に、本当に徐々に、徐々にではあるが確実に。

 それに比例して、拡散していたその得も言われぬ感触が、ある部分に向けて収束してゆく。

「あみゅ、……あみゅ……はみゅ。っはーあ。お兄ちゃん結構たくましいいのよねぇ、ふふふぅ」

 ――――下半身である。

 脳内をアラート信号と共に血流が激流の如く駆け巡って、意識は瞬く間に覚醒し、彼は棺の中で目覚めたドラキュラ伯爵のようにクワっ、と充血した目を見開いて上半身を起こした。

 そしたら、

「あ、おはようお兄ちゃん。お目覚めいかがぁ?」

 と、彼の義妹であるリリアナが、何と言うか何と言う事か何と言うべきか、極彩色綾乃的に言えば連載中止を恐れぬ暴挙に及んでいた。

 それは数日前に史上最強の女子高生乃枯野雲水と完全無欠の絶式√と深淵のリリアナが、瞬きの間に殲滅した学園グランドに顕現した世界終末的概念など、そんなものなど吹けば飛ぶような現世終末的な暴挙であり、それに対して彼は顔色を紅白紅白時々金とめでたい感じに点滅させつつ、

「り、り、り、り、り、り、り、」

 倒記海人が指をさすその先、そこに彼女は――リリアナはいたのである。

 ベッドの上、開いた両足の間に猫のように四つん這いになっていて、目を妖しく細め、頬に垂れている一房のブロンド髪を手の甲で流しながら、やはりさながら猫のように愛苦しく微笑んで、ぺろりと舌舐めずりをしている。

「おっはぁ」

 宝石が煌めくかのようなウィンクをしてから、彼女は倒記海人が震わせている指に顔を寄せた。

「じゃぁ今度はぁ、場所を変えて続けようかしらぁ?」

 とそんな風に、そんな具合に、一体全体彼女はその口で、その唇で、その舌で、果たして果たして彼の下半身に何をやらかしていたのかだろうか。そしてその答えを示すが如く、

「はむ」

 っと無邪気に指を咥えた。

 解を知りたもうた倒記海人は固まった。

 顔色変化に青も混ざっていよいよ賑やか千万であるが、しかしそんなことなんか全然お構いなしに、リリアナはその指に小さな舌を絡ませ、薄い唇で愛撫し、白磁の様な歯であまがみしながら

「っはーあぁ。はみゅ、……あみゅ……あみゅ」

 っと、再び倒記海人を蕩けさせ再び失神に追いやった。倒れ込む彼に、しかしリリアナは容赦なくじゃれつく猫のようにふんわりやんわりと覆いかぶさって

「まぁだ全く全然足りないわぁ、私の可愛い可愛いお兄ちゃん、ふふふ」

 今度はその唇を彼の唇に――ドタドタドタという騒々しい足音が響いてきて、バンと扉を乱暴に開けてそこから覗いたのは、もはや鬼の如くというか、むしろ鬼が命乞いしてもブチ殺されそうな史上最強の女子高生、乃枯野雲水の怒りの剣幕である。

 そしてしかし彼女は、目に飛び込んできたその、一応描写可能ながらもしかし彼女の我慢の限界を遥かに超えているディープ○○という行為に対し、乃枯野雲水の顔は鬼神からムンクの叫びになって、ムンクの叫びから大理石になって、大理石から仏像になって、仏像になってから乃枯野雲水に戻った。

 リリアナはその千変万化の騒ぎに顔をあげ、そして乃枯野雲水の姿を認めると、フランス人形さえも嫉妬するような笑みを浮かべて

「おはよぉ雲水ちゃん。お迎え御苦労さま。朝から顔芸お疲れ様ぁ」

「いやぁどうもどうもこれはあたしの隠し芸の一つで……って、そうじゃねーだろテメェ!!」

 リリアナにズカズカと近付いて、彼女を借りて行く猫のように首根っこを掴みあげ、

「朝からカイトに何やってんだテメェは!? 何やってくれてんだデメェは!? 何しやがってんだテメエは!? ええこら!! アタシだってまだカイトの寝顔にちょっとドキドキするぐらいしかしたことないのに何その遥か先みたいなところに鎮座しちゃってんだテメェは! なにしやがった!? ひっく、アタシのカイトになにしやがった!? ううう、言えリリアナ! ひっぐうう、言ってしまえ!」

 雲水ちゃんは泣いていた。もう本気でボロボロ泣いていた。

 今まさに自分の見ていた光景には、『萌』とか『恋のABC』とか『キュン』とか『きゃぴ』とか何とか、そんな淡いピンクでストロベリーな自分の憧れトキメキその他諸々全てを『ガキのザレゴト』と蹴っ飛ばすような衝撃が含まれていたのである。なんじゃこりゃぁである。死んだぜアタシもうダメだぜ。あはは、である。

 しかしながら元が純然たる破壊衝動であったリリアナは、そんな崩壊寸前・陥落間際の史上最強に対しても、善悪の別などなく追いうちには微塵も欠片も容赦がない。

「連載中止になったらヤヴァイからぁ、控え目に言うけれどぉ、私お兄ちゃんのオ○ン○ンに朝○ェ○してたんだけれどぉ?」

 乃枯野雲水は死んだ。

 比喩表現でなく死んだ。

 滞りなく死んだ。

 心臓とか止まった。

 止まったった。

 オイ奇跡師極彩色綾乃早く来い。直ちに来い。直ちに影響のある問題だ。レギュラーヒロインが第二章にして早くも死亡二回目だぞ。良いのか連載こんなんで。

「全く、これだからリリアナを倒記君と同居させた上で、目覚まし役を乃枯野さんにするなんてのにボクは反対だったんだけれどね。案の定こんな展開になっていたか」

 寝室入口で腰に手を当て、心肺停止状態になっている乃枯野雲水と、その様子に今尚クスクスクスと笑っているリリアナを見ながら、絶式√は溜息を吐いた。

「乃枯野さん。大丈夫だよ。大丈夫。倒記君はまだ純潔だよ。彼女が最初に舐めてたのは『倒記君の内腿』だよ。オ○ン○ンとかじゃない」

 13日の金星人ジェイスンもかくやという感じにムクリと乃枯野雲水は目を覚まし、そして赤色の涙をこぼしながら、椅子で足を組むリリアナを指さして

「てめぇの血は何色だぁ!?」

「もう真っ赤だよぉ? ちゃんと生○も来るし」


 四人でギャーギャー言いながら倒記宅を出ると、そこには玄関で小半時ほど待たされていた死体少女の廃病棟ねんねこりんが腕を組んで胸を反り、斜めに構え、下から見下すような器用な目つきで不機嫌さを全開にアピールしていた。

 上から下まで真っ黒なダークドレスに漆黒のように黒いミドルヘアー。それと好対照なぐらい異様に白い肌、真珠の様な淡い白の瞳。全身でモノトーンな少女。

 ――廃病棟ねんねこりん。

 身も蓋もない言い方をするならば、彼女は学園の保健室に間借りしている死体である。血圧上5、下5。心拍0。体温気温。瞳孔常時拡大中。経験値上昇中。毎日の食卓に防腐剤。死んだふりをする事にかけては他の追随を許さない、本日の主役である。

 彼女は憔悴しきった様子の倒記海人の顔を認めると、しかし用意していた小言二三言――ex:レディ待たせるとか何様? お前ただれろ的なニュアンス――を飲み込み、代わりにやや呆れたような様子で

「一体何があったんですか倒記さん。ワタクシが言うのもなんですが、朝からまるで死人みたいにゲッソリしてますわね。ミイラ取りがミイラにならないでくださいます?」

 倒記海人はヨロヨロと手を挙げて、

「おはようございます廃病棟さん。そして助けて下さい。このままでは原因不明のまま、俺も姫狩りの犠牲者になっちまいます」

「ほ、ほら聞いたか御姫さんよぉ!? 今カイトの口から明確に露骨にあからさまにまさに理路整然とお前とは別居したいって言ったぜ!? だからカイトの為にお前は絶式邸に帰っちまえって!」

「はぁ? なぁに支離滅裂で意味不明で無知蒙昧なこと言ってるのかなぁ雲水ちゃんはぁ? お兄ちゃんは今確かに間違いなく「雲水うざいビッチしね」って言ってたんだけれどぉ?」

「あはは、この中にはまともな聴力持った人がいないみたいだね」

 絶式√、早くも本日二度目の溜息である。その憂鬱な笑みを浮かべる端正な横顔に、一瞬だけ頬をピンクにしたのは廃病棟ねんねこりん。

 他のメンツはそうでもないのだが、やはり絶式√の私服姿には、誰もが初見は銘々様々な反応を強いられる事になる。

 それもそのはず。プライベートの彼女には、学園で見られるような百合を連想させる、清純なお嬢様という雰囲気が全くないのだから。全身が赤と黒とで構成された毒々しいゴシックパンクスタイルなのである。肩ひものついたビスチェ、ミニスカートにニーソックス。腰には太く大きなスタッズベルト。左手首には手錠を模した銀のブレスレットがジャラっと揺れている。アクセサリーはまだある。縫い跡だらけの不気味なクマの人形。飾りか本物か大きなバヨネット(銃剣)。それが腰から下がっている。髪も普段のポニーから一転ツインテールに流し、頭にはシルクハットカチューシャを乗せている。もはや別人。

 色白でモデルクラス(事実モデル)のスタイルを持つ彼女にそれが似合ってるかと言えば、言うまでも無い。途方も無い。

 そんな感じの絶式√に廃病棟ねんねこりんがウッカリ赤面した事など、別に誰も気付いちゃいないのだが、しかし念のためにと彼女は善後策として「コホン」と咳払いをして、さらに

「な、なんだか随分とモテモテのようですわね倒記さん。いったいあの二人とはどのような関係なのですか?」

 等と話題を振り、

「カイトの恋人だぜ!」

「ソウルメイトですぅ!(おいクラスチェンジしてないか」

 とか仰る乃枯野雲水とリリアナなど構いもせず

「ただの知り合いです」

 醜くいがみ合っていた二人は、消え入るようにして呟かれた倒記海人の一言に、仲良く揃って石化した。ご覧あれ、自己中道化の末路とは所詮こんなものである。

 さて。

 それでは本日休日土曜日この日に、こうして巻き込まれ不幸体質の倒記海人の元が、騒々しくギャーギャーとしている理由について触れて見ることにとする。

 それは『生きてはいるけれど死んでいる・死んではいるものの生きている』と言うそんな状態、そんな矛盾、そんな混沌へ、この廃病棟ねんねこりんという少女が追いやられた理由を、皆で明らかにしようと言うものである。

 現時点で五人が共有している情報を端的に言うならば、まず廃病棟ねんねこりんが尾喰坂を震撼させた『姫狩り』の犠牲者である事。そして木偶と呼ばれる『姫狩り』の実行犯達を生んだのがリリアナである事。そんな木偶達を手榴弾一つで皆殺しにしたのが絶式√であること。そして、その後その木偶達を声一声で皆蘇らせたのが極彩色綾乃である事、である。

 他にも銘々にしか知りえない情報が幾つかあるのだが、差し当たって共通認識となっているのはその辺りである。

 木偶に殺されて生きる死体となった廃病棟ねんねこりん、彼女を被害者とするならば、短絡的結論としてその木偶を生んだリリアナは加害者である。そうなると常識的な考えとして、こうして二人が揃ってラブコメ仲間のように倒記海人を取り巻くというのはなんとも異常な話であるが、しかし今この雰囲気に、それを感じさせるものは何一つない。

 二人は出会ってから互いの素性を明らかにしても、どちらがどちらを忌避したり嫌悪したりするという事はなく、ごくごく普通の知人友人の如く話をしたし、誘われれば食事に付き合ったりもしたし、笑い話をすれば軽い冗句を叩きあえるぐらいの中だったりした。

 そして二人を囲む他の三人も、『姫狩り』という視点で見た場合の二人の関係を理解ながらも、別にどうということもなく、努めず平然。まるで平常と変わりはない。傍から見ても学生仲間が群れている以上には見えないだろう。

 ならばむしろ、この状況に対して評価を下すのは極めて単純と言える。要するに揃いも揃って非常識なのだ。だから常識人達にとってこれは不快で不可解な事なのかも知れないけれど。当人たちにとってはこの関係、造語してしまうならば『腐快』だった。

 

「ここまで来てしまったなら今更引き返して御茶でも飲んでいて、とも言えないかな? けれども相応の覚悟はいるよ?」

 その日の17時頃である。

 倒記海人と廃病棟ねんねこりんは、絶式√に導かれるままに辿り着いた尾喰坂下町の河川敷、そこに面したマンションの一室、その扉の前で立ち止まっていた。

「最もそれも承知で二人はついて来たのだとは思うけれど、先に言っておくね。この部屋の中で、廃病棟君を殺したヨガラシ・シロヒデは死んでるよ」

 微笑む絶式√のその黒曜石の様な瞳の中に、倒記海人は『あの言葉』が比喩ではないことをこの後すぐに理解する事になる。

 ――――箱の中身を確かめる時、振って音を聞いたり重さを測って推定するなんてのは回りくどいし不正確だと思わない? 中身を確かめる時はね、箱を引きちぎって中身を取り出して、それを直に見たり、直に触れたり、直に舐めたり、直に嗅いだりしないとそれが何なのかを正確に知る事は出来ないよ。

 彼女がドアノブを捻ると、鍵はかかっていなかったらしく、扉はキィと軋むような音を立てて開いた。

 中へ入る。

 そして倒記海人も廃病棟ねんねこりんも目を背けた。

「……きついな」

 死んでいるとは聞かされていた。

 そしてそれは他ならぬ絶式√が言ったのだから、そこに嘘偽りがないとも知っていた。だから玄関をあがってすぐの廊下。そこで壁にもたれて息絶えていた男を見たその瞬間も、正視は難しくとも顔を背けるまではいかないと思っていたのだが。

 苦悶と恐怖に歪んでいたその目、腫れあがった形相と奇怪な体勢。

死体は自分の手で自分の首を絞めたまま硬直し、紫色の唇から吐き出した舌は顎の下まで伸び、黄ばんだ両目は眼球が反り出すほど見開かれていた。

「結局は絞殺自殺を選んだんだね。全く他人に厳しく自分に優しい人間には辟易とするよ」

 絶式√は土足であがり、死体のそばへ。

「さて、ヨガラシ・シロヒデ。年齢は20前後で性別は男。髪は染めた金髪のミドルで右耳にリング状のピアスが二つ。左の頬にはナンセンスな蝶のイレズミ。……これで間違いないよね? 廃病棟君?」

 廃病棟が目を背けたまま絶式√の問いに頷くと、彼女は屈みこんだ。

 倒記海人の視線がそれに引かれた。

 絶式√は腰からバヨネットを抜き、その冷たい刃を一口舐めてから、微かにこちら向いて微笑んだ。

「なにするつもりだよ絶式」

「ここから先は死体性愛ネクロフィリア人肉嗜食カニバリズムに対する理解がないとキツイよ?」

 言い終わるや否や左手で死体の髪を掴んでグイと顔を横に向け、

「お、おい絶式!」

 露わにした青白い首に向け、握ったバヨネットの切っ先をグチっと押しこむように突き刺した。そして刃を返し、開いた傷口から溢れて来た赤黒い血に口を寄せてゴクゴクと喉を鳴らしながら――倒記海人と廃病棟は同時に駆けだした。

 争うように外に飛び出し、彼はベランダの前で口を抑えて蹲って吐き気を飲み下し、彼女は頭を抱えて悲鳴をあげた。

 再び扉が開いたのは十分後の事で、放心状態だった二人がキィと扉の開く音に飛びあがって振り返ってみれば、ケロっとした顔で絶式√が立っていた。

「終わったよ」

 別にその口元は赤く濡れてなどない。

「何もかも理解できたけれど、ヨガラシ・シロヒデを殺したのは失敗だったよ。参ったね」


 廃病棟ねんねこりんを殺害した犯人。その名前と居場所を絶式√が示したのは、その時より3時間ほど前の14時の事。

場所は尾喰坂下町で評判の喫茶店。

『桜咲くメイド喫茶ルーチェ』の中だった。

 朝に倒記海人を起こした――正確にはリリアナが起こしたのだけれども――乃枯野雲水は、そのままの足で陸上部の休日練習に向かい、終了後に改めて合流する予定である。

 リリアナもまた、何か乃枯野雲水と話したい事があると言って共に学園に行ってしまった。四六時中義兄である倒記海人ベッタリな彼女としては珍しい事である。

 なのでこの御昼過ぎ、店の窓側の席に並んで座っているのは倒記海人と廃病棟ねんねこりん、そしてその向かいに座っている絶式√の三人である。

「伏線を張っておこうかな」

 絶式√はそう言ってから、テーブルに用意されていたアンケート記入用のペンを取り、グラスのコースターへ何かをサラサラと走り書き。そしてそれを倒記と廃病棟の方へ指でツイと押した。

 二人そこへ視線を落とす。

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 書かれていたのは11桁のナンバーである。

 ハイフンの入れ方からして携帯番号のようにも見えるが、

「例え話だけれどね」

 二人顔をあげると、彼女は手元のアイスティーを持ってカラカラと氷の音を立てて揺らした。

「この紅茶のグラスを床に落として割ってしまったとしようか。それで散ったガラス破片をパズルピースに見立てて元に戻すとする。その場合、倒記君と廃病棟君はそのパスルをどのぐらいまで完成させられるだろうか? 制限時間は30分で、使って良い道具はセロテープのみにしよう。完璧な状態を100点として、点数で表現してみて? 大体で良いよ」

 倒記海人は想像する。絶式√の手から滑り落ちたグラスが床で割れ、辺りにそれらの欠片がキラキラと光っている。それを制限時間30分でセロテープを使って元に戻す場合、どこまでやれるか。

「……そうだな。壊れ方にもよるだろうけど、このテーブルの高さから落とした程度なら粉々にはならないだろうし、30分あればそれなりに戻るんじゃないか。大まかな破片ぐらい集めてもさ。だから、ん~。まぁ50点で。ただもう少し時間があればまた違うかも」

「廃病棟君は?」

 廃病棟ねんねこりんもまた同様に想像し、その鋭い破片を意識しつつ

「そうですわね。指に傷がつかないようなものを選んで、丁寧にやっても30分で相応の形にはなりそうですわね。なのでわたくしも50点前後かと」

 絶式√はアイスティーを一口だけ飲んでテーブルに置いた。

「ではこれが最後。もしもいま君達二人の前にマフィアがやって来て、ボクの頭を拳銃で撃ち抜いたとしよう。そしてその銃口を、今度は茫然としている君達のこめかみに突き付けて彼は言うんだ。『お前もこうなりたくなければ割れたグラスを完璧に元に戻せ。道具は何でも揃えてやる。時間はたっぷりある』ってね。さて、それだと何点ぐらいまで頑張れるかな?」

 倒記海人は「何だか物騒な例えだなそれ」と言い

「けれどまぁ、時間無制限で命がけって言うなら、もしかして100点もありえるんじゃないのか? あ、けど『何でも揃えてやる』っていうなら、新品のグラス持ってこさせてそれを完成品って言い張るのはどうだ?」

 絶式√は「倒記君らしいね」とクスリと笑った。そして

「廃病棟君はどう?」

 絶式√の視線にピクリとなった彼女は、しかしそれを打ち消すようにコホンと咳払いしてから

「わたくしはたぶん、精々で80点ですわね」

 その理由は? と絶式√が問う。

「はい。まず絶式さんは最初に『これはパズル』だと仰いました。当然のことですが、パズルはパズルピースのみで完成させるものです。なので本来は、パズルピースであるガラス破片のみでグラスは完成させなくてはなりません。そうすると接着剤にしてもセロテープにしても、それらはパズルピースではないので使用した時点で100点は有り得ませんわね」

 絶式√は答えに満足したのか微笑んで、どうしてか廃病棟ねんねこりんは顔を赤らめた。

「言われてみれば、それは確かにそうだな。……それに粉状になったガラスや、欠片に入ったヒビまで考えたら、とても100点は無理って感じか」

 倒記海人は同意してから、今度は「けれどさ絶式」と出題者の方を見て、恐らくは廃病棟ねんねこりんも考えていたであろう疑問を口にする。

「その比喩といい、さっきのペンで書いた数字といい、いったいそれらが今回の事とどんな関係があるわけ?」

 今回の事、それはもちろん廃病棟ねんねこりんに関する事である。

 絶式√テーブルに顎肘をつく。左手のブレスレットが冷たい音を立てた。

「廃病棟君を殺した『姫狩り』の木偶を含め、全ての木偶をボクが手榴弾で皆殺しにしたって話なんだけどね。あの後の部屋は本当に混沌としていた。服の繊維に、血、肉片に骨欠片、臓物に木屑、石屑が混じり合って、本当に原型がさっぱりな有様でね」

「ああ、確かにそりゃひどそうだな。そんで話が昼食後で良かったわ」

 あははと絶式√は笑う。

「うん、本当に混沌としていたから、ボクも『今の記憶からでは40点ぐらいが限界』だったね。はい、これがその40点」

 彼女が指差した先には、例の10桁の数が書かれたコースター。

 二人は揃ってポカンとなったが、絶式√は続ける。

「パズルは角や縁から作っていくのが定石だけれどさ、欲しい絵柄が決まっていたら、そこから優先的に作っていくのも良いとボクは思うんだ。例えばそう、携帯電話とか?」

 廃病棟ねんねこりんはその意味を理解し、目を見開いた。

 改めてコースターに目を向けつつも、果たして自分のこの答えが正しいかどうかを尋ねようとして、しかし彼女はその非現実さ加減に言葉を失くしてしまった。

 果たしてそんな事が可能なのだろうか、出来るのだろうか、有り得るのだろうか。否、断じて否。不可能だ。出来るわけがない。そんな馬鹿げたことが出来るわけなどないと、自分の理解を否定して無意識ながらに首を左右に振って、そして失笑と共に溜息を。

「廃病棟君は分ったみたいだね?」

 しかし当人によりそれを肯定され、愕然とした。

 倒記海人にはそれが何かまだ分らない。検討するのもバカバカしいような一つの可能性なら頭を過ったが、しかしそれは余りにもありえないので早々に却下されている。ちなみにそれは、『姫狩り』の木偶達が集まった地下室に手榴弾を投げ込み、絶式√がバラバラにしたそれを、改めて『パズルピース』に見立てて再構築するというもの。さらに出来あがったパズルから、廃病棟ねんねこりんの殺害に関わっていると思われる者の携帯電話を探し出し、電源を入れてアドレス帳を参照し、電話番号を入手するというもの。それも頭の中で。

 自分の考えに倒記海人は失笑した。

「昔取った杵柄だよ」

 失笑に微笑みを返す絶式√。

「ボクはもう古今東西ありとあらゆる物理法則を全て五感で学習し『終えて』あるから、部品さえ揃えばなんであれそれを完成させてその挙動も『完全』にシミュレート出来るんだ。頭の中でね」

 そう、頭の中で。

 ――――冗談じゃねぇぞ。

「そんな無茶苦茶ありえるのか!?」

 思わず倒記海人は立ち上がった。

「そんな訳も分らん難易度のパズルを頭の中で解いて! あまつさえその一部の精密機器に電源まで入れて情報を入手するだって!? 」

「すごく説明的な驚き方で助かるよ。そしてその通りだよ。後、座った方が良いよ倒記君。あんな可愛らしい店員さんが目をパチクリとさせてるじゃないか」

 確かに倒記海人は、グラスに御水の御代りを入れに来たであろう可愛らしいメイドさんを、テーブルの傍で硬直させていた。 

「あ、どうもすいません。以後静かにします」

「いえいえノーマターですマストビー」

 愛想笑いを返しつつお水を入れてもらっているのだが、倒記海人は目眩がしていた。

 もしもしこの比喩として、割れたグラスをパズルに見立てて元に戻す、などという話をしていたのなら、まるで次元が違って話にならない。仮にバラバラに壊れた携帯電話の部品のみを渡されて、『動くように戻せ』とそれだけを言われても無茶苦茶なのに、絶式√が挑んだパズルは、そこへミンチ状の人間多数と部屋の内装と、その他諸々をパズルピースとしてさらに追加したものである。

 なにより一番ふざけていると彼が思うのは、絶式√が現場で格闘した末にそのナンバーを入手したのではなく、今この場で頭の中でやったと言う点である。

 これが無茶苦茶と言わずに何と言うのか。

 100歩譲ってそれを脳内で元通りにしたとしようか。さてそれで、どうやってメール内容なりアドレス帳なりの情報をそこから引き出すんだ? そんな電気的に保存されている情報が、バラバラになった部品からどうやって復元されるんだ?

 目眩に加えて頭痛がし始めた。これは最早『出来るか・出来ないか』の問題ではない。出来てはいけない種の問題である。

「ようやくその顔になってくれたね倒記君」

 絶式√の声。

「ではそれが出来た証明を手っ取り早くやろうか?」

 彼女は携帯電話を取り出してテーブルに置き、オプション画面に入って設定をスピーカーアウトにした。液晶ディスプレイを二人に見せながら、コースターに記した番号をゆっくりと入力していく。

 程なくベル音が響く。

 絶式√は耳に当て、ニコリとした。

「実証に勝る、証明法は存在しないんだよ」  

 プツ、っというノイズ音が一つ。

”誰だお前? 知らねぇ番号だが”

 寝起きのように気だるそうな男の声がした。

 廃病棟ねんねこりんがその声を聞いて、身を固く縮めた。この反応はつまり――当りなのだろう。

 絶式√はその表情を見つつも

「初めまして。こんにちわ。先月にお嬢様専用SNSでネカマやって誘い出した廃病棟ねんねこりん君を路地裏に連れ込んでレイプしようとして失敗した挙げ句に彼女をナイフで滅多刺しにした『世辛子白英』さんでい……」

 ツーツー。

 と。

 携帯が切れたようだった。

 茫然としている倒記と、震えている廃病棟の前で、彼女はすぐにリダイヤルボタンを押してから再び耳に当て、二人の顔を見て肩をすくめておどけた。

 再びベル音が響いてきた。

 そして通話を知らせるノイズ。

 絶式√が目をナイフのように細めて笑った。

「誰が切れと言った殺すぞ低能が」


 16時。

 休日練習のあとのシャワーも終え、部室の外に出て来た乃枯野雲水は、まだ少しシャンプーの香りが残った髪にバスタオルを当てつつ、近くの芝生に腰を降ろしているリリアナに尋ねた。

「それで、アタシに悩み相談ってなんだよ御姫さん?」

 リリアナは飼い主から御叱りを受けた猫のようにションボリと項垂れていて、野花を積んでは花弁をむしるという、生産性のない作業を繰り返していた。

 それは今朝に目撃した乃枯野雲水的に致命的ともいえる事件さえ、水に流してしまえるぐらいの気の毒な様子である。しかしそれでも、これでも。まだ今朝に比べて随分と落ち着いてきた方だなと、彼女は思った。

 朝に倒記邸を出て、倒記海人達と別れてからしばらく。あれだけ憎まれ口を叩いて元気一杯だったリリアナが、突然ボロボロと涙を零し始め、そのまま道路に座り込んでえぐえぐと泣き出したのである。

 今朝のショックが抜けてなかった乃枯野雲水はむしろ自分が泣きたかったし、そもそもリリアナが泣く意味が不明だったので『なんでか~!?!?』と妙な声を発しつつ頭を抱えた。

 しかしそれでも、『お、おいどうしたんだぜ?』とか『どっか傷むのか?』とか、丸まっているリリアナの頭や背中を撫でて気遣ってはみたのだが、彼女は首を左右に振っては泣きじゃくるばかりで、何とも手の施しようがなかった。

 立ち上がる気配は全くないし、このまま放って行く訳にもいかない。

 乃枯野雲水はその場にしゃがみ、背を向けて、『ほれ掴まんなよ御姫さん。今日はアタシがあんたのナイトだよ』と、そんな感じで彼女をおぶった。それから背中で泣いているリリアナに声を掛けながら、学園に向かったのである。

 学園に着くころには、一応リリアナは泣きやんでいた。しかし全く元気はなかった。

 部活練習中も、リリアナはずっと陸上部のグランドの角で膝を抱いて座り、茫洋とした様子で走者用トラックばかりを見つめていた。

 昼食時に、乃枯野雲水は後輩や同輩の元を離れてリリアナの傍に行き、自分のお弁当の半分を無理にでも食べさせようとしたのだが、しかし。彼女は『ありがとぉ雲水ちゃん。……でも、今はいい。だけど、後でお話聞いてぇ』とだけ、鼻声でボソボソと言った。

 そんな具合にして、16時現在に至り、乃枯野雲水は彼女の横に腰を降ろしたのだった。

「腹減ってないか?」

 リリアナは小さく顔を否定向きに振った。そして自分の膝がしらに顔を埋めるように縮こまる。

 練習中、何となくだが乃枯野雲水にはリリアナの悩みに察しがついていた。難しくない単純なお話である。人が哀しむ時とは喜びが失われた時に他ならない。それは人により千差万別にして星の数ほどあれど、今のリリアナには差し当たって一つしかない。だからまずはそれを尋ねてみる事にした。

「……もしかしてカイト絡み?」

 リリアナはコクンと頷いた。当りである。乃枯野雲水は頭を掻いた。

 朝にあんなものを見せつけられた上、さらにその加害者的人物が被害者的人物へ、当該事項の相談まて持ちかけてくるとなると、もう踏んだり蹴ったりである。あれ以上のことをやっておいて、その上で何を今更言おうというのか、である。まさに泣きっ面に蜂。弱り目に祟り目。藪から棒に、いやこれは違う。

「よりによって御姫さんが、カイトに関する悩み相談をアタシにもちかけますか。……はぁ」

 正直に心情を吐露してからの、心底の溜息である。

「でもまぁ、うん。いいさ。そんな顔されて、そんな事を相談されたらアタシの負けだね」

 勝負と勝利に区別のない、史上最強の女子高生乃枯野雲水は苦笑した。ハッキリ言えば、彼女は倒記海人の事が好きである。それもニュアンス的にはベタに惚れていると言うより、ピュアに恋しているという感じである。

 例えばジュースの回し飲みの機会があれば、彼女は興奮するより緊張し、けれどもすすめられた以上は断れないと恐る恐る口をつけようとして、でも思いとどまり、顔を真っ赤にして『アタシのバカバカバカ何考えちゃってんのさこんなの関節キスとかじゃねーノーカウントだほいほい123!』などと目を閉じて首をブンブン振ってしまうような、そんな今の御時世では天然記念物的に面倒臭い生物である。そのくせ普段の距離や振る舞いは幼馴染補正のせいなのか、たまにどうやっても男女の友達としては一線を越えているような事もするのだが、しかしそれを指摘されると沸騰して、卒倒するようなタイプである。要するにアホですね。

「雲水ちゃんって、本当は負けるのぉ?」

 ともあれ、乃枯野雲水が『負ける』と言った事が、リリアナには意外だったらしい。少なくとも少し消沈から回復するぐらいには。

 乃枯野は「まっさか。アタシは負けないよ」と向日葵のように笑った。

「だってあんた、さっきとは違ってキョトンとした顔してるじゃないさ? それに話題もカイトから違ってるしね? だからアタシまだ負けてない~」

「それぇ、屁理屈じゃないぃ?」

 不服そうにしたリリアナの、その鼻を乃枯野雲水が指でツンと押した。

「そ。最低限その顔だね。その顔で話すなら、悩み相談に乗ってやるぜ? けど、さっきみたいに萎れた花みたいな顔するなら、アタシ今から帰るぜ?」

「雲水ちゃん。私を置いて帰っちゃうのぉ?」

 眉根を寄せて哀願するようなリリアナには、本当に禁忌的な愛らしさがあった。だからなのか、乃枯野雲水はたとえギャグであっても冷たい事が言えなくなった。

「いいや。あんたをまた負ぶって帰るさ。ただし、悩み相談は聞かねーけどね。負けたくないから」

 プイとソッポを向いた。その仕草がわざとらしくて、リリアナは微かに笑ってから、大きく一つ息を吐く。そしてまたアゴを膝の上に乗せて丸まり、

「……優しいよねぇ雲水ちゃん。私、前から結構ヒドイこと雲水ちゃんにしてるのに、ホント優しいよねぇ。……っはーぁ。これじゃぁ、お兄ちゃんが好きになるのも納得かぁ」

 このとき乃枯野雲水の顔には発火現象が生じた。しかし幸いにして、リリアナはグランドのフェンス奥に広がる森を見つめていたので、全く全然気付いちゃいない。

「毎日毎日、私は時間を見つけてはお兄ちゃんとお話をしてるんだけどねぇ、……いつも何かドギマギしてるしぃ、……目は見てくれないしぃ、……近付けば後ずさりするしぃ、……どうにもこうにもうまくいかないのぉ……」

 リリアナはいよいよ本題の悩み相談を始めたのかも知れないが、しかしさっきに彼女が呟いた一言があまりにも衝撃的で結論的過ぎていて、乃枯野雲水は上の空全開だった。マジで? マジで? おいマジで? マジでカイトがあたしのこと好きなのか? マジでカイトが雲水ちゃんの事好きなの? ぞっこんラッビーなのか? ときめいちゃってるのか? きゅんきゅん来ちゃってるのか? 一体どんなシチュでそんな事言われて、御姫さんはそんな結論に辿り着いたんだ? は!? まさかまさかアタシと同じように一人で名前でも呟きつつ恋歌をしたためたりとか!? ありうるぜカイトポエマー説! わうシンクロニシティ! 

 史上最強かつ学年成績トップ(現在絶式と同位)がバカであることは別に矛盾しねー好例である。

 乃枯野雲水はそんな訳で沸騰しつつも

「そ、それは…・…ほ。ほら。えっと。な、何かおかしな事、き、聞いてるんじゃねぇの御姫さん!?」

 しかしギリギリ冷静な応答をする事が出来た。史上最強は伊達じゃない。リリアナは思い返すように人差し指を口に当てて、頭上を漂う雲を見上げる。

「私が聞いてる事ってぇ、……ん~、今日のお弁当美味しかったぁ? とかぁ。今晩何食べたいぃ? とかぁ。お風呂のお湯加減どぉ? とかぁ、そういうのだけれどぉ……ん~」

 何だよその新妻めいた発言は、とか突っ込みそうになったけれど、しかし。別にドギマギするような内容でもなければ、後ずさりするような内容でもない事は確かである。

「……けれどねぇ、お兄ちゃんはねぇ。雲水ちゃんのお話をしたらぁ、その時だけはすごく楽しそうに聞いてくれるしぃ、嬉しそうに話してくれるしぃ、その態度も何時も通りになってぇ――――雲水ちゃん何そのポーズ?」

「え? え、ああ! これねぇ!? なんだろねあははは!」

 と、リリアナの指摘に乃枯野雲水は慌てて『両手でハートを作ってときめき純情アピールタイプ1』を解除する。別に深い意味はない。無意識の行動である。

 そしてここで、リリアナは意を決して尋ねる事にした。

 アタフタしている彼女の目を真正面から見て、

「……雲水ちゃんも、お兄ちゃんが好きなんだよねぇ?」

「へ、あたし? 好きだよ」

 即答だった。

「……」

 真っ直ぐに、さも当然と言うような表情で。乃枯野雲水は照れもクサも無く、確かにそう言った。

 沈黙の中、一陣の風が二人の間を抜けて、髪を軽く弄ぶ。 

 乃枯野雲水が前髪を手であげる。

「カイトってさ。馬鹿なんだ」

「馬鹿?」

「そ。馬鹿。へへ」

 照れたように俯いて笑った。

「そうだね……。まぁ、アタシは周りから史上最強史上最強って言われてるようにさ、本当に何もかもに負けたことないんだ。勝負にしろ、賭け事にしろ、遊びにしろね。一応、クラスでは自分はか弱いとか何とか言ってるけれどさ、もちろん自分が強いのは分ってる。負けないのも知ってる。それはまぁ良いとしてさ。それで昔ね、二年ぐらい前かな。夜遅くまで友達と騒いでて、それで翌日に睡眠不足のままアクビ噛み殺して登校してるときね、ボーっとしてたせいでトラックに跳ねられた事があるんだ。ちなみにその件では全力でアタシが悪い。フラフラして道路のど真ん中堂々と歩いてたし、眠気覚ましにヘッドフォンつけてガンガン音出してたしね。……で、結果はトラック大破で、アタシは無傷。運転手さんも意識は失ってたけど、大した怪我はなかったかな。ほんと不幸中の幸い。電話して警察と救急呼んでさ、アタシは正直に何もかも話したんだ。けどいくら説明しても分ってもらえなくて、アタシかなりむきになったの。間違いなくハネられた。アタシが悪い。アタシが堂々と道の真ん中歩いてたって。ほんと逆切れ状態で詰めたんだけどさ、でも、相手にされなかった。結局、トラックは電信柱にぶつかったってオチにされたんだよね。運転手さんも、なんかそれで納得しちゃったしね。へへへ」

 乃枯野雲水は苦笑したけれども、リリアナは真剣な眼差しを向けていて、どうやら先を促しているようだった。

「それでアタシさ。何だかその日は学園行くのが面倒臭くなっちゃって、担任の先生に『トラックに跳ねられたので学園休みます』ってメールして家に帰ったの。そしたらまぁ、クラスメイトから色んなメールが来るわけ。『トラック大丈夫だったか?』『運転手ブっ飛ばした?』『災難だったな運ちゃんは』『喰鮫雲水に新たな歴史!』とかさ、そういうのがわんさか」

「お兄ちゃんからはどんなのが来たのぉ? お兄ちゃんの事だからたぶん雲水ちゃん心配してたと思うんだけれどぉ?」

 乃枯野雲水は首を左右に振って苦笑した。

「カイトからは何も連絡来なかったよ。電話もメールもね。正直言うと、少し残念だった。若干待ってたし、携帯にも新着問い合わせとかしたしね。けれど、何も連絡来なかったよ」

 少しだけ、リリアナは俯いた。

「なんかぁ、……ちょっと信じられない。ウソついてない雲水ちゃん? お兄ちゃんはそのぉ……えっとぉ」

 言葉を探しているリリアナに、乃枯野雲水は肩をすくめる。

「アタシも正直信じられなかったさ。だってさ。カイトって、メールも電話も連絡も何もなしに、いきなりアタシの家まで来るんだぜ?」

 リリアナが顔をあげて、それに乃枯野雲水はまた照れ笑いを浮かべた。

 乃枯野雲水は回想する。

 家のインターフォンが鳴り、『あ~頼んでたシーフードピザようやく来たか。ちゃんとシュリンプマシマシオーダー入ってるかね~』とベッドからゴロ寝をやめて起き上がり、一階に降りて、玄関の扉を開けた。

 そこには配達業者ではなく、倒記海人が突っ立って肩で息をしていた。

 ――トラックに跳ねられたって聞いたぞ雲水!? マジかそれ!?

 ――……ほぇ? ああ、うん。そうだけど……えっと、……何しに来たんだよカイト? っていうか学園どうしたのさ?

 ――外傷は……なさそうだな。よし、タクシー止めてあるから行くぞ

 ――は? いや、あの何処に?

 ――病院だよ! 保険証だけ持って来てくれ。金はこっちで足りるからそのまま来い

 ――いや、運転手さんならもうとっくに搬送されて意識も……ってちょ!

 そうして手が掴まれ、そのまま玄関の外へ――

「って感じにさ。……笑っちゃうよね。クラスメイトどころか親も心配しなかったっていうのにさ。……カイトは心配どころか、アタシを病院まで引っ張り出して、その日は頭の天辺から足の先までモルモットみたいに検査させられたよ。もちろん診断結果は健康そのもの。つまらないオチつき。だからまぁ、帰り道でアタシはボヤいたんだけどさ。『どうしてくれんのさ頼んだピザ持って帰られちゃったよ!』って。そしたらね。カイトが本気で怒ったんだよ」

「お兄ちゃんがぁ?」

 リリアナの意外そうな表情に、乃枯野雲水は頷いた。

「うん。本気で。あたしちょっとビビったよ」

 ――うっせーよ! 昼飯ごときでなにキレてんだお前はよ! もっと自分を労れよ! 大事にしろよ! 可愛がれよ! おまえにスペアでもあんのかよ! 代わりがいるのかよ! なわけねーだろふざけんな! そんな事故に合っててのんきにピザとか頼んでじゃねーよ! バカ雲水!

 帰り道でそんな大声を出す倒記海人は、目と鼻から無様に涙を零していた。 

「ってさ。しかも泣いてんのよね男のくせに。……それでたぶん、アタシ好きになったんだと思う。やべぇ、カイトってまじバカだわ~ってさ」

 思い返すに、倒記海人はとことん馬鹿だと乃枯野雲水は思った。一体誰に向かってアイツは、『もっと厚着しろ』とか、『しっかり食え』とか、『予防接種しておけ』とか、『心配させんな』とか、『ヒヤヒヤさせんな』とか、そんなアホらしい事をこれまで言ってきたのだろうか。小さい頃からずっと自分を見てきている癖に、何も分っちゃいない。何も学んじゃいない。何もかも、本当に理解ちゃいない。だから馬鹿だ。

 そんな馬鹿を一度本気で心配させてやろうとして、今度は自分で『か弱い』だの『乙女』だの言いだしてみたら、倒記海人は逆に『か弱いっていうけど、お前今まで何かに負けた事あるわけ?』とかニヤニヤしながら生温かな目で見てくるし。訳が分らない。理不尽だ。意味不明だ。『姫狩り』の時だってそうだった。鮫の件にしてもそうだった。

 だから、そう。きちんと彼は、乃枯野雲水の事は理解しているのだ。

 理解している上で、心配しているのだ。

 やっぱり馬鹿だ。

 ほんと不可解で、愉快なヤツ。

 腐快で、

 腐愉快だ。

 と。

「やっぱりま~~だ不合格ねぇ」

 唐突かつ急激なリリアナの一言に「はぁ!?」と我に返って目を戻すと、彼女はクスクスクスと栗鼠のように笑っていた。

 それはいつも、乃枯野雲水が学園の平日に見るような、リリアナらしいリリアナめいた笑みである。

 その態度急変具合に、乃枯野雲水がポカンとしてたら彼女は立ち上がり、そして腰に手を当てて見下ろしてきた。目つきは悪巧みを働く前の猫のそれである。

「お兄ちゃんに悪い虫つかないようにぃ、私が目を光らせて見張ってたらまず飛び込んできたのは雲水ちゃん。でぇそれでぇ、私の判定結果は害虫ではないけれど益虫でもないわねぇ」

「は~!?!?」

「お兄ちゃんの気持ちを弄んでる様な害虫だったならすぐにでも木偶に換えて自殺させてやろうとか考えてたんだけれどぉ、雲水ちゃんの気持ちは本物だったみたいなのでそこはOK~」

 完璧雲水置いてけぼりにして、リリアナは語る。

「けれども~、そこから先にワンパン足りないわねぇ。そんなウブで鈍感だとす~ぐに浮気されちゃうかもぉ?」

「は~~!? え~~!?!?」

「雲水ちゃんさ~、私が今朝にも前にも大ヒント上げたのに全く全然気付かないんだねぇ」

 その不気味な言葉に、「な、何がさ?」と恐る恐る聞き返すと、リリアナはその顔をス~っと寄せて、にやり。

「お兄ちゃんがぁ、どうしてどうして『今日のお弁当美味しかったぁ?』とかぁ『今晩何食べたいぃ?』とかぁ『お風呂のお湯加減どぉ』程度の話に『何かドギマギ』したり『目は見てくれな』かったり『近付けば後ずさり』するんだと思うぅ?」

 ひたすらに嫌な予感がする。

「今日もねぇ、お兄ちゃんは私の『おはようの挨拶』程度で『何かドギマギ』してたのよぉ? どうしてなのかなぁ? 兄妹なのにねぇ?」

 乃枯野雲水の頭の中に今朝の致命的な光景が蘇った。

 即ちひたすらに嫌な予感が的中である。

 めでたくその場にぶっ倒れた。

 今朝と同レベルな大惨事が日常茶飯事的に倒記海人を襲撃している事に思い至り、史上最強は死ぬ前に失神したのだ。

 目をクルクルとラブコメの1キャラの如く回している乃枯野女史を見下ろしながら、リリアナはまた栗鼠のように笑う。

「うふふふふふふぅ。やっぱりどうしようもないぐらいに雲水ちゃんって可愛いなぁ。うふふふふふふ」

 そしてそこにしゃがみ込み、語りかける。

「うん、合格ぅ。雲水ちゃんなら私の可愛い義姉ちゃんになってくれても良いわねぇ。とっても良いわねぇ。じゃぁ可愛く失神してる御褒美に教えてあげるね雲水ちゃん。お兄ちゃんは雲水ちゃんの事がたぶん本気で好きだしぃ、きっと裏切らないと思う。雲水ちゃんも本気でお兄ちゃんが好き見たいだしぃ、きっと裏切らないと思う。だから安心して告白したら良いと思う。私だって応援するわぁ。本当に本当にぃ、とってもとってもピッタリにピッタリでピッタリな恋人同士になれるわぁ。だからねぇ……あれ?」

 リリアナは、自分の目からボロボロと零れ始めたそれに首を傾げた。

「……あれれぇ? えぇ?」

 それは拭っても拭っても拭う傍から溢れて来て

「えぇ? ……何だろこれ? やだ、止まらない……」

 それは拭えば拭うほど零れてきて、止まるどころか嗚咽までが喉から漏れて来た。

「なに、……これ。またぁ? ううう、ひっく、変なの私ぃ……、えっぐ……なんか壊れてるぅ。嬉しいはずなのにぃ、……ひっく。うううう。お兄ちゃんがぁ、えっぐ。好きな人がぁ。うううう。お兄ちゃんの事ぉ、ひっく、ううう、……好きだって分ってぇ、えっぐ、嬉しいはず、なのにぃ……なんで、これぇ。うううう」

 彼女は目をこすりながら、壊れそうな自問をした。乃枯野雲水の頬に、宝石のような涙を零しながら自問した。

 それはリリアナの知らない、とてもとても不思議な気持ち。

 暖かくて、辛くて。

 嬉しくて、哀しくて。

 胸がキュンとなって、張り裂けそうで。

 壊れてしまいそうで、穏やかで。

 造語するなら本当に、それはとても腐快な気持ちだった。

セフセフ??


どうも無一文です^^

突っ込みどころ満載ですね(爆)

次回はもっとヒドイです。今のうちに申し上げときます(自爆)


今回も上中下の構成となりますが、中と下はもう少々お待ち下さいませ^^

それではまた!




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