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『絶式√と姫狩り殺し』編(下)

 緒言:『1を聞いて10を知るのが秀才。0を発見するのが天才』


 午前の授業の合間にすっかりと弁当を平らげた倒記海人は、今日も昼休みの全ての時間をインターネットに費やす事が出来た。それにしても早弁は良い。こうして学園で朝昼兼用の食事をとることによって朝はギリギリまで寝ていられるし、昼はこうして自由時間が増えるわけだからまさに一石二鳥だと彼は思った。否、正確には思っていた、なのであった。

「ねぇねぇお兄ちゃんお兄ちゃん。お兄ちゃん何見てるのぉ? ねぇ何見てるのぉ? 私にもそれ見せてよぉ?」

 と、一人分しかない座席の半分を占有する為に、倒記の尻を尻半分分だけ尻で押し退けたのは、月光で編まれたようなブロンドの巻髪を持ち、宝石のように青い瞳を輝かせ、透き通るような白い肌を持つと言う、まるでフランス人形のように愛らしい彼の『義妹』だった。

 彼女の名前はリリアナ。倒記リリアナ。

 彼女は倒記家の遠い遠い果てしなく遠過ぎてもはや他人と言わざるを得ない程遠い親戚ということで、つい先週、こちらに引越して来たという。

 しかしいくら親戚身内とは言え、しかしながらである。在学中から登下校に至るまで常に倒記海人にベッタリイチャイチャしていて、毎日毎日手作り弁当を持ってきては『はいお兄ちゃんア~ンしてよぉ。っはーあ』等という噴飯もののラブコメを毎回見せつけてくれるのでは、たとえ彼の男友達が滞りなく消滅したところで、誰も庇いはしねーのであった。

「へ~。お兄ちゃん本当に毎朝ニュース見てるんだぁ。すご~い、インテリ~。私またお兄ちゃんのこと好きになっちゃったかもぉ~」

 今でももちろん、この教室では、怨嗟と殺意の念が視覚化出来るほどの密度と濃度でトグロを巻いていて、彼は今日こそ夜道にバットで後頭部を殴られはしないかと内心戦々恐々としていた。

「ねぇ、リリアナちゃん」

「なぁにお兄ちゃん? あ、私の事はリリアナって呼んでよぉ。私それ前にも言ったじゃんかよぉ?」

 と可愛らしく口を尖らせて、そしてその尖らせた口をそのまま倒記海人の口に重ねようとして

「だぁ!?」

 とマヌケな声で回避し、その薄い花弁の様な唇は彼の頬にしっとりと張り付いた。うしろで壁殴りの音とかした。

「あれぇ? お兄ちゃんどうして私からのキスを避けるわけぇ? どうしてどうしてそんな意地悪するのかなぁ?」

 子猫がゴハンをねだるかのような甘い声を出して、彼女はその大きな眼を上目遣いにして倒記海人を見つめて来た。その魅力に倒記海人は思わず喉を鳴らすも、

「い、いや、意地悪とかじゃなくてねリリアナちゃん。ふ、普通人前でそういうことをするのは」

「人前じゃないと良いって言うなら今晩早速ベッドでにゃんにゃんしてよぉ?」

 倒記海人は飲みもしない紅茶を口から噴きそうになり、でもやっぱりそれは物理的に無理だったため、両手で頭を抱えて机にヘッドバッドした。そんな彼にしかし、リリアナと呼ばれた義妹は人差し指を口に当ててその長いマツゲの目を怪しく細め

「っはーあ。最初は私が上で次はお兄ちゃんが上ねぇ。ちゃんと二人が気持ち良くなるまでしようねぇ。あ、でもいきなりそこから入るのもロマンがないからぁ、ん~、私はまぁ自分のは自分で出来るけれどぉ、お兄ちゃんのは私がお口でたっぷり可愛がってあげるねぇ」

 うしろで壁殴りが壁壊しに発展していた。

「でもちゃんとお楽しみの時まで蓄えておかないといけないからぁ、ふふぅ。お口では最後までしないよぉ? ちゃんと我慢してねぇ? 間違って苦いのお口に出しちゃったら私」

 壁壊しはついに倒記殴りに発展し、後頭部にグーを叩きつけられた彼はそのままめでたく意識を失った。その段になってようやく、彼の義妹ことリリアナは先ほどからクラス中を恐怖のどん底に陥れていた存在がやって来た事に気付き、しかしキョトンした顔でその存在を見上げて言った。

「よぉいつかの史上最強の木偶。元気かよぉ?」

 そんな挨拶を受けた彼女は、額に青筋を浮かべ、八重歯を牙の如く剥き、倒記の後頭部からズボっと抜いた拳を、リリアナと自分二人の顔の間でギリギリとさせ

「朝から随分と刺激的な話しで盛り上がってるじゃんか御姫さんさ~。ちょっとグランドまでその可愛いツラ貸さないかい? アタシまじでさっきからブチ切れそうなんだけどさ~?」

 さらにこの段になってようやく、この史上最強の女子高生乃枯野雲水のやるかたない憤懣に気付いたリリアナは、しかし脅えるどころかフンっと鼻息一つを吐き、細い足を組んで机に顎肘まで付き、愛らしくも小馬鹿にしたような笑みを浮かべた。

「私の木偶風情が一体全体何を何を血迷った事を言ってるのぉ? その史上最強に空っぽな頭冷やして私の100万ドルの靴でも舐めちゃえばぁ? 今だったらまだ全裸になって首輪と鎖を付けて尾喰坂周辺御散歩の刑で許してやってもいいけれどぉ?」

 火に油を注ぐと言うのはこの場合不適当で、正鵠を射るならばストライクに火山噴火である。実際、乃枯野雲水は煮えたぎったマグマのように顔を煌々赤々と変色させており

「よ~く分かったぜ御姫さんよぉ。良いぜ~。やろうぜ~その素敵な御散歩の刑をさ~。ただし首輪はてめぇが着けて鎖はアタシが握るんだけどさ~」

 そしてバキバキバキ、バキバキバキとクルミでも砕く様な音で拳を鳴らし、

「たかが2週間程度とは言えカイトんとこで今まで御姫様宜しく育ってきただろうてめぇに犬の気持ちってヤツを教えてやるぜ」

 とその手でリリアナを掴もうとして

「それなら私もうお兄ちゃん相手に経験済みなんだけどぉ?」

 乃枯野雲水はその場に石化した。物理的にも精神的にも石化し、史上最強の石像は今ここに雄々しく建造された。

「聞いてんのぉ? 木偶が石化とかなに勝手に材質変化遂げてんのぉ?」

 リリアナは目を半眼にしてその物言わぬ石像を爪先でコンコンしつつ

「まぁ正確に言えば私の場合犬って言うより猫だったんだけれどねぇ、お風呂あがりたてのお兄ちゃんに可愛がってもらおうと思って首輪とニーソックスだけでニャンニャン飛びついてみたんだけれどぉ、湯あたりしてたのかお兄ちゃんその場で真っ赤になって失神しちゃったから私とっても心配してとっても献身的に介護したのぉ。具体的には風邪ひかないようにベッドに運んで私がず~っと抱きついて温めてあげてたし手は冷えないようにきちんと胸に」

「あはは、すっかり倒記君に懐いたようだね君は」

 リリアナが振り返ると、後ろの席では絶式√が朗らかに笑っていた。

 あの時――約一ヵ月ほど前――と比べて絶式√が一番変わったことと言えば、絶式√はその艶やかな黒髪を長く伸ばしてポニーテールにまとめ、制服のブレザーも女子用になり、そして何より前よりも断然可愛らしく、女の子らしい女の子になっていた。

 最もその事に関して驚いたのは絶式√とリリアナ以外の全員なのだが、彼、否、彼女自身はいつもと変わりなく、努めず平然で、朗らかで、拍子抜けするほどこれまで通りだった。ただしそれは表面上の事で、内面は劇的に変化していたのだけれども、それは――絶式√は本気で、真実に、今の生活が幸せだからである。

 彼女の挨拶にリリアナは軽く片手を挙げて答える。

「よぉ絶式ちゃん。今日も相変わらず女の子女の子してるねぇ? なに、もうすっかり本調子なわけぇ?」

「そんなことよりリリアナ。少し小言を挟ませてもらうよ? いい? ……よし。まず君はどうして何時もそうやって倒記君を失神するまでからかったり、乃枯野さんを石化するまでからかったりするのかな? ボクは悪ふざけも程々にしないさいとあれ程言って聞かせたじゃないか?」

 リリアナは両手を後ろ頭に当て、その大きな目を半眼ジト目にして答える。

「まぁその理由に簡単に答えておくとさぁ、お兄ちゃんの方は純粋に好きで可愛いからだし雲水ちゃんは面白くて楽しいからなんだけどぉ? それの何がいけないのかなぁ? 別に別に私は二人を破壊したりしてなんかないんだけどぉ?」

 実に面倒くさそうな、まるで昼寝を妨害された猫の様な表情である。絶式√は溜息を吐いた。

「どうみてもその二人壊れてるでしょうよ。みてごらんよ倒記君の目を。くるくるくるくる渦が巻いていて、まるで撃沈されたラブコメの主人公のような有様じゃないか」

「っはーあ。可愛いなぁお兄ちゃん。お兄ちゃん可愛いなぁ。いつもいつも食べたくなるんだけれど食べようとしたらいつもいつも失神しちゃうから私いつもお預けなのよねぇ」

「みてごらんよ乃枯野さんの立像を。髪の毛一本に渡ってまで見事に大理石化を見せていて、まるでルーヴル美術館にあっても違和感ないじゃないか」

「クスクスクス。面白れぇなぁやっぱり雲水ちゃんは。ていうかさぁ、何でこの子は自分がとっても綺麗で可愛い事に対して全く無自覚で男らしく振舞ってるわけぇ?」

 まるで聞いちゃいねーのである。

 呆れている絶式√をよそに、リリアナはモミモミと、固まっている乃枯野女史の胸を遠慮なく揉んで

「きゃう!?」

「よぉ蘇ったか雲水ちゃん?」

 赤面して自分の胸を両腕で隠すように抱いている乃枯野雲水に、またクスクスクスと栗鼠の様にリリアナは嗤った。再びそれがトラブルに発展しないよう、二人の間に絶式√は位置取りし、乃枯野に対してにこやかに微笑んだ。

「おはよう乃枯野さん。今日もお天気宜しいね。良かったら今日はボクとμと一緒にお昼どうかな? お弁当たくさん作って来たから食べるの手伝ってくれると嬉しいんだけど」

 そんな風に朗らかに話す彼女に、乃枯野は難しそうな顔をスーっと近付け、√の顔をマジマジと見た。彼女の陰でリリアナが倒記の耳たぶを甘噛みしているのが見えなかったのは、クラスにとって幸いだったかもしれない。

「ん~、アタシはやっぱりまだ信じられないね~。本当におまえ絶式かい? いや、面影とかはあるっちゃあるんだけどさ、どちらかと言えば絶式のお姉さんとか言われた方がしっくりくるんだよね」

 整った小顔に、大きな弧を描く優しげな眉、クッキリとした二重、黒曜石の様な瞳、ツンとした小鼻に、薄く上品な笑みをたたえた口元。大きな白のリボンで束ねた流れる様な黒髪、芯が通ったかのように姿勢の良い背中、胴に対してかなり長めの足、形の良いバスト、くびれたウェスト。どこをとっても、何を取っても、絶式√は乃枯野雲水にとって理想の形をしていた。なのでこう結論付ける。

「……モデルいけるだろこれ」

「やってるよぉ、絶式ちゃんは」

「え~!?!?」

 と振り向くと、精巧なフランス人形のようなリリアナが、何を今更と言う様な表情を浮かべて倒記の机に座っていた。

「い、いつそんなの始めてたんだぜ!?」

「っはーあ。まぁ、ん、正確には始めたって言うより再開したって言う方が正しいねぇ。たぶん雲水ちゃんも皆も知らないと思うけれどぉ、絶式ちゃんって高校一年生の頃までは今よりもっと可愛くてずっと綺麗な女の子だったしさぁ、正直シャレになってなかったよねぇ? 告られた回数も振った回数もぉ?」

「い、今より可愛いっていったいなんだそれ!? それ一体どういう意味で言っちゃってんだよ!?」

 がくがくがくと、リリアナは乃枯野雲水に肩を揺すられてその大きな眼をパチパチとさせる。

「っはーあ。あ~、ん、そうねぇ。端的に言えば私と今の絶式ちゃんの良いとこどりした感じぃ?」

 そう言われてから、改めて、乃枯野雲水はリリアナをマジマジと見た。

 今の絶式√は飛びきり可愛らしい『人間の』女の子という感じなのだが、このリリアナの可愛さは良い意味でも悪い意味でも『人間離れした』可愛さだった。まずリリアナはその肌にしろその髪にしろ、その質感があまりにも精巧で理想的で、まるでお伽噺に出てくるような表現がピッタリだった。髪はまさに淡い月光を束ねたようだし、肌も触れるのさえ禁忌を感じさせるほどキメ細かく精緻で、瞳は単純に白色人種のコバルトブルーと言う訳ではなく、本当に宝石の様な高貴な輝きを称えているのだ。まつげにしろ飾り物のように美しく長く、そして本当に綺麗にカーブしているし、だから彼女は瞬きするたび、周囲は宝石が煌めいているかのような錯覚を覚えた。身体はやや小柄だが、足が長くラインはキチンとくびれているし、怪しく微笑まれて手招きでもされたら、男女問わず足がフラフラと向かってしまうかもしれない。

 さて、そんなリリアナと。

 今の、絶式√との

 それの、良いとこどり?

「……」

「想像出来たぁ雲水ちゃん?」

 固まっている乃枯野雲水に、猫のように首を傾げるリリアナ。

「いや、全く。全然。正直に言うとさ、二人ともが二人とも、それぞれが別タイプの完成型って感じだからさ、なんていうかアタシにはここをこうもっと、っていう部分なんて全然二人に感じないんだけど?」

「っはーあ。まぁ、普通の感覚をしてたらそうだろうねぇ。けれどさぁ、神様ってのが世界創造してるんなら本当に本当に加減も容赦もないよぉ? 今の私や絶式ちゃんなんかより圧倒的で絶対的で、そして完璧だったのが昔の絶式ちゃんなんだからさぁ?」

 と、クラスが静まり返っていた。

 それに気付いて、絶式もリリアナも乃枯野も振り返ると、教室の入り口にクラス中の視線が集まっており、それの収束する先に、極彩色綾乃がいた。

「……静かじゃな」

 そんな彼女はクラスの誰や何処というより、その状況そのものを、その目端に紅を差した神社のキツネのような切れ長の目で一瞥だけすると、衣擦れの音もはんなりと中央列最後尾の席へと向かい、そこにそっと腰を降ろした。

 今も注目の視線は依然、彼女に集中しているのだが、もちろん声はピタリと止んでいる。皆が見守っているのだ。自称奇跡師極彩色綾乃、女子高生連続猟奇殺人事件『姫狩り』を奇跡的な方法で解決させた張本人、転校してきてから奇怪突飛な言動の目立つ彼女、さて。今日は一体全体、何をしでかすのであろうか、と。そんな具合に皆が見守る中、極彩色綾乃は桃色の帯から扇子を抜き、開かずにそれでポン、ポンと掌を叩き

「この沈黙は気に喰わぬ。誰か、誰か。何か面白い事を言ってこの微妙な空気を打破してくれまいか。親父ギャグでも駄洒落でもアメリカンジョークでも構わぬ。なぁに沸点激低なこの極彩色綾乃の事、布団が吹っ飛んだ程度のギャグでもしかと笑ってくれるわ。誰ぞおらぬか?」

 彼女の気品のある声だけが教室に染みた。またまだ妙な事を妙な理由で言いだしたぞ、という感じにクラスメイトが微かにざわついたが、それに応える生徒は今のところ

「はい!」

 一人だけいたようだ。視線がそちらに移る。手を挙げたのは中央最前列、クラスのお笑い担当(ローカルな共通認識)、達木図書委員である。ちなみに恐らくこれ以降彼に出番はない。

「あ、アメリカンジョークでも良いでしょうか?」

 彼が真剣な面持ちで尋ねると、極彩色綾乃は花が咲いた様な笑みを浮かべ、そして錯覚か手品か何か正体不明であるがその背後には確かに一瞬だけ満開の桜が咲き乱れた。その奇跡におおー、という驚きの声があがる中、彼女は頷く。

「その心意気や良し。どんと参れ」

 と。達木図書委員@たぶんもう出番なしはそれを受けて起立し、咳払いを一つ。そして声高らかに言った。

「アメリカ宇宙センターに隕石が落ちたってな! ヒューストン! ってさっあはははー」

 ――。

 恐らく彼の発したジョークによりクラスの室温は最低でも2度3度は下がったことだろう。実際としてクラスメイトの大勢が風邪をこじらせそうな半笑い顔をしているし、むしろ今の何が面白いのだろうかとユーモアにおいては致命的な考察を始めている者までいる。

 さてそして、極彩色綾乃はと言えば、その閉じて掌を打っていた扇子をゆっくり、パラパラパラと広げ、口元を隠し、その目を狐の様に細め

「そなた。達木と、いったか?」

 と、その高貴さが匂うように漂う声で言った。達木は指先まで揃えた起立状態のまま

「はい!」

 と元気よく声を出す。それに彼女は再び花が咲いた様な笑みを浮かべ、背後に満開の桜を出現させ、再びおおーと歓声を巻き起こし、クラス中を春の香気に包み、しかしそれさえ霞む様な神々しくも華やかで、そして色気のある笑みを浮かべて

「たわけめ」

 達木は顔真っ赤にして突っ伏した。

 極彩色綾乃。

 この人物こそ。

 あの絶望的な状況と今のこの滑稽な状況とを造作も無く接続した、自称奇跡師の、他に類をみない怪人物中の怪人物である。達木の振舞いに「ははは」と優雅に笑っている極彩色綾乃の横顔を見ていると、そしてそれを銘々の表情で見ている乃枯野や絶式、リリアナを見ていると、今でも倒記海人はあれは自分一人だけの妄想だったのではなかろうかと、あるいはこちらの方が妄想で、今でも自分はあの絶望的な状況の中で独り立ちつくし、茫然と自失しているのではないかと、そんな風に疑ってしまう。それだけこの状況接続は異常で、時間的連続は異質で、不可解で、不可能で、不可思議で。怪訝で、奇妙で、怪奇で、そして何より奇跡的なのだ。だからあれが現実であり、そしてこれも現実であると理解するには、正直、ただの凡人に過ぎない彼にはまだまだ時間が必要だった。


 尾喰坂の飲食店アーケードの中に、首無し惨殺死体が多数。

 その中央で、絶式√が妹の絶式μを落ちていた曲刀で刺殺後、直後に自殺。

 それに対する状況理解もままならないうちに、そこへ。既に乃枯野雲水が自ら通報していた警察の機動隊がやってきて、即座に展開。残された倒記海人と彼女を囲んで銃口を向けた。しかし倒記海人は、そんな自分の命が危機にさらされている程度のことで、次の瞬間自分は射殺されるかもしれないという程度の事で、頭を占有している混乱を振り払う事など出来なかった。事ここに至って自分一人の命など、如何ばかりと言うのか。ただ、しかし。ボロボロとボロボロと、訳も理由も分らない涙ばかりが目から鼻から零れていて、情けない事に口から嗚咽まで漏れていた。そんな濁った意識と滲んだ視界で、眼下で動かなくなっている絶式√と、絶式μを見ていたら、頭が割れそうになるぐらい痛くて、景色が白むぐらい呼吸が苦しくて、いっそこのまま死んでしまいたいと、殺して欲しいと、本能の部分で彼は願っていた。

 とにかく、これが嫌だった。

 ダメだった。

 今のこんなのは、

 どうしようもないぐらい、

 イヤだった。

 そんなとこに自分がいるのが、どうしようもなく、イヤだった。息している事が、耐えられなくなった。

 だから、

 いっそのこと、もう

 ――――――――。

「アタシが殺したぜ全員」

 と。

 乃枯野雲水の声。

 倒記海人は、たったその一言、本当にそれだけで、まださらに、自分がいる位置よりも遥かに深い絶望の奈落が存在する事を、感覚で理解した。

 世界から音が喪失した。

 世界から時間が消失した。

 世界から世界が消滅した。

 自分の世界が、この世界から乖離した。

 と。

 その横目にチラリと乃枯野雲水が八重歯を剥いたのが見えたという刹那、倒記海人は彼女の片腕によって背後から締めあげられるように拘束されていた。

 機動隊が銃口の位置をガチャガチャガチャと乃枯野だけに集中させる。

 これは、知っている。彼は知っている。これは倒記海人に対していつも日常的に、冗談で彼女がやっくるような類の、悪ふざけやジャレつきでやってくる類の、平和で迷惑千万の締め方だ。ただこの背後から首に腕を回すというこのジャレ方は、確かに。この状況では、まるで殺人犯が生き残りの人質を盾に取っているように見えた事だろう。そしてそれに相応しい様な笑みを、乃枯野雲水がニィと八重歯を剥いて浮かべているとあっては、どのような弁明も弁解も不可能であろう。

「やばかったぜ~? いやいや危うく画竜点睛を欠くところだったさ。何せ何せ姫狩り連続記録が100を前に途絶えちゃうなんて格好つかないしね」

 倒記海人の頭から、混乱が暴れる余地さえも完全に失せた。

 完全完璧に思考が停止した。

 機動隊が乃枯野の発言に低くざわめいているのだ。それは明らかにショックで動揺しているのだと誰の目にも明らかに――違う違う違う違う違う。倒記海人の頭の中でその言葉が弾けた。

「違う違う、それは違う」

「黙れカイト」

「違う違う違うだろ! 雲水お前ふざけ――っぐ!」

 乃枯野雲水は倒記を拘束している腕をグイと上に返して、その顎を押し上げて言葉を封じた。その角度はほぼ真上だったので、彼は息をするだけで精いっぱいになった。そしてその耳に、雲水は唇を近付け、小さく言った。

 ――もうすぐうっかり離してやるぜカイト。だからその時、全力で伏せて。

 倒記海人は我を忘れて暴れた。暴れたがしかし。凡人の全力、凡人の火事場力程度など乃枯野雲水の前には全くの無意味だった。機動隊の目にはきっと、拘束されている人質が苦しがっているようにしか見えないだろう。

 乃枯野雲水はさらに、片頬をひきつらせるような、牙をむく様な攻撃色の笑みを見せる。

「動くなよお巡りさんさ~? ちょっとでも動けばここでコイツの首がネジ曲がって、記念すべき姫狩り100人目が完成しちまうぜ?」

 血濡れた右手をこれ見よがしに、スーっと倒記海人の首の傍に、まるで刃物を突き付けるかの様に持って来た。銃口の全てが、乃枯野雲水の額、胸、首と言った急所に集中するのが、倒記海人には見えた。もがく。暴れる。叫んで声が詰まる。自由な両腕は全力で乃枯野雲水の片腕をはがしにかかるが、ビクともしない。そんな中、もう一度、彼女は倒記の耳元に口を寄せ、彼にしか聞こえないような小さな声で、囁いた。

 ――じゃね。ばいばいカイト。それからゴメン。あたしあんたが大好きだった。

 浮遊感。突き飛ばされたと理解が行く前に、彼女の言葉が頭を過った。


「そう、アタシがそこの機動隊と救急隊のみんなを殺したんだ。そういう勝負に、アタシがアタシ自身を追いこんだの。……アタシがこれまで一度も勝負に負けなかったってこと、カイトは知ってるよね? カイトだけじゃなくて、うん、アタシの周りの人なら誰だって知ってる。ジャンケンしたってそう。ケンカしたってそう。早さ競ったってそう。何したって、アタシは負けなかった。絶対に、確実に、アタシは勝って来た。だから皆、アタシを知ってる人はみんな史上最強なんて言うんだよね。けれどさ、実際は違うんだよ。アタシは勝とうして勝った事なんて、本当はほとんどないんだ。単にアタシは、負ける事が出来ないんだ。そういう風に、出来ちまってるんだ。だからそういう意味で、結果が確定してるって意味では、アタシって本当は勝負なんてしたこと一度もないかもしんない。人生からそういうのが、欠落しているのかもしんない。皆羨ましい羨ましい、すごいすごいって言うけどさ。息吸うように勝つしかなくって、息吐くように勝つしかなくって、それがどれだけ息苦しいか――なんて、そんなの分るわけないよね。でもさ、分っちゃう奴、アタシ見つけちゃったんだよ。今日になってようやくさ、息吸うように何かを強要されて、息吐くように何か強要されて、当たり前のことしてるだけなのに、そうせざるをえないのに、それをしたら大切なものも自分もボロボロになっちゃうようなヤツをさ。アタシと同じ不幸抱えて、アタシと同じ苦しさ抱えて、アタシと同じ哀しさ抱えて、アタシと同じ辛さを抱えてるヤツをさ。それでアタシは二択を迫られたんだよ。ソイツと勝負するか、ソイツ以外の全てと勝負するかをさ。それで、選んだんだよ。アタシ、ソイツと肩を並べるって。だから、ソイツと等しい向きを向いて、ソイツと等しい位置に位置して、ソイツと等しい罪と罰を背負いこんで、初めての仲間を手にいれようってさ。だから、アタシ、殺した。そういう勝負を挑まれて、降りなかった。それで殺した。でも、後悔なかったよ。本当に。これからもどんどんどんどん、ソイツ以外のヤツと勝負して、どんどんどん勝って行くつもりだったし。でも……でも、でも、なんでさ、カイト。……なんで、カイトがここに来ちゃったんだよ。どうしてこんなとこに、そんなときに、よりによってカイトが、来ちゃったんだよ。そんなことしたら……アタシさ――――もう」


 勝てないだろ?


 閃光と破裂音の連続。

 火薬の匂い。

 薬莢の落ちる金属音。

 崩れ落ちる様な湿った音。

 倒れ込み、振り返る。

 乃枯野雲水が、血溜まりに沈んでいた。


「――案ずるな。このような憂いごとにお前達を巻き込む気は毛ほどもない。早々早々に忘れてくれ。これに限らず世には不幸と難題に塗れておる故な、お前達はそのままラノベの主人公宜しく原稿用紙一杯にラブコメなり学園ドラマなりミステリなりを演じて尺なり時間なりをふんだんに使ってくれ。この極彩色綾乃は極彩色綾乃で読者の預かり知らぬところ作者の測り知れぬところで自由気まま勝手気ままにやる故、間違ってもナレーションなどのスポットを当ててくれるな。このような憂いごとが話の中心になるなど以ての外。最悪で連載中止もあり得る故な、それではな。ヒーロー並びにヒロイン達よ。バイバイブーである、ぎゃん!!」

 セリフ終了間際、実にタイミング良く、乃枯野雲水のゲンコツは講釈を垂れていた極彩色綾乃の頭頂部に炸裂し、何と言うか結構良い音を立てた。おおお、と机で頭を抑えている極彩色そっちのけに、乃枯野雲水は何食わぬ顔で

「さて、それじゃぁカイト。まだ時間あるしこの時代錯誤のクルクルパーが言ってた保健室行って件の死体とやらを見に行こうぜ?」

「え、いや、あの」

「え~、お兄ちゃんいくなら私も行くよぉ~?」

「あの、いや、え?」

「ん~、それならボクも少しお邪魔してみようかな?」

 と、今しがたようやく倒記海人が聞き出す事に成功した、極彩色綾乃がこの学びの園にやってきた事情に早速も早速、それもかなり乱暴かつ適当なノリで首を突っ込んでくる乃枯野とリリアナと絶式だったのだが、まずは乃枯野雲水が腕を組んでリリアナをジロリ。

「話がややこしくなるから御姫さんは留守番してなって。いくら衝動が抑えられる様になったか知らないけど、また発作が出てたらあんた死体損壊で逮捕だぜ逮捕」

「え~? 雲水ちゃんこそさぁ、万が一勝負とか挑まれたら死体だって例外なく躊躇いなく容赦なくブチ殺しちゃうわけでしょうぉ? 私はまだ自制効くけど雲水ちゃんの場合そうはいかないわよねぇ?」

 半眼になったリリアナは、どこまでも底意地の悪そうで高ビーな猫に見える。

「ばーか。死体に勝負なんて挑まれるわけないだろ。そんなことより、そろそろカイトにベタベタ張りつくのやめろって。いい加減目障りだからさ」

「はぁ? 妹が兄に抱きついて一体全体どんなどんな不具合があるわけぇ? 雲水ちゃんこそ勝手に人のお兄ちゃん呼び捨てにしないでくれるぅ?」

 ちっちとそれに人差し指を左右に揺らす乃枯野女史。絶式√はあくまでニコニコとやりとりを傍観するつもりらしい。

「オイタも大概にしようぜ御姫さん? 戸籍上は兄貴になったか知らないが付き合いはアタシの方が圧倒的に長いんだぜカイトとはさ~? これまで重ねたデートの数だって100や200じゃ効かないぜ? なぁカイト」

 ちょっと赤面しつつ言ってる雲水可愛いなとか、あれってデートだったのかとか、そういうの思っても口に出さない倒記海人はちょっと賢い。リリアナはしかしにやり。

「やれやれこれだから元木偶は困るのよねぇ。付き合いの価値は長さより質で決まるに決まってるでしょぉ? それともぉ、雲水ちゃんお兄ちゃんのオ○ン○ン見た事でもあんのぉ? 私はあるんだけどぉ?」

「はぁ!? なにぃ!? いきなり!? いや、ちょ、カイトおまえまさか!?」

 ガシっとブレザーの襟を掴まれて強制起立状態になった倒記海人は両手をサカサカと振って

「ないないないないない! そんなのない!」

 必死に否定し、そんな様子を目を線にしてニコニコとしながらリリアナは

「お兄ちゃんに覚えがなくても私には覚えがあるもんねぇ、ふふふ~」

 と嗤った。まぁそんな具合にして、多々色々と。本題から著しく脱線し、『なにこれこれじゃ私単なる殴られ損じゃん』とかそういう感じの展開になってしまい、流石にあの冷静沈着エセ高貴っぽい感じだった極彩色綾乃さんも、この辺りでブチ切れた。眼前でギャーギャー騒いでる乃枯野とリリアナに対してバンと両手で机を叩いてその勢いで立ち上がり

「なにすんねんアンタらアホちゃうかいきなり人の頭叩くとかホンマ腹立つことするわいったいアンタら何様やねんウチが一体何したいうねんホンマに言うてみいやイッペンいてこましたらろかこのスットコドッコイ!……は!」

 とりあえず叩かれた頭が痛かったらしい。そして言い切るだけ言い切ってから、直後、なんかクラスメイト全員が豆鉄砲喰らった鳩みたいな顔をしていることと、そのような顔をするハメになった原因もとい自分の言動に気付いた極彩色綾乃は、顔を真っ赤に染めて両手を口に当てて固まってしまっていて、なんだかすごく手遅れな感じを演出していた。一方その原因の直接的原因とも言える二人、例えばリリアナなどは一つ前の机に突っ伏して肩を引くつかせて、

「す、す、すっとこ! す、す、す、すっとこど! っふふふふううふふふううふふう!」

 と何かがツボにハマったらしく嗤い死に寸前で、乃枯野雲水は乃枯野雲水でそもそも何語か分らんと言う感じに頭に大きなクエスチョンを浮かべて腕を組んでいたし、絶式√は相変わらず、一緒にお弁当を食べに呼んでいた妹のμと仲良し子良しな感じに

「あはは、綾乃ちゃんって関西出身だったんだね。ウチとかスットコドッコイとか久しぶりに聞いたよ」

「ん~、まぁ見た目的には京都っぽいから、私は話すなら京都弁だと思ってたんですけどね。結構ギャップありますね」

 姉妹揃って朗らかほのぼのやっていた。

 そんなわけで保健室である。

 結局、昼休みの残り15分と言う僅かな時間を、極彩色綾乃が語った胡散臭い話の確認に費やす事に決めたのは、それを聞き出した本人である倒記海人と、彼にくっついて離れない義妹のリリアナと、自称それのお目付け役の乃枯野雲水、そして。単なる好奇心だけという理由の絶式√である。倒記海人とその取り巻き女子と言えば、クラスメイトの9割はこの五人メンバーを間違えることなく、男であれば舌打ちしながら、今となっては答えられる事だろう。しかしもともと、倒記海人はそれほど友人の多い方ではないし、プライベートに渡って交流する友人ともなればぶっちゃけると特殊な事情を抱えていた絶式√と、腐れ縁かつイジメ担当の乃枯野雲水しか居なかった。

 それがこんな有様に変貌したのは今から約一カ月程前、ちょうど女子高生連続猟奇殺人事件『姫狩り』が完全決着したと報じられたその日と重なる。その日、これまで累積されていた『姫狩り』犠牲者数のべ99人が、一転して0人になるという狂言めいた内容が、それを成し遂げたと言う事件解決の唯一にして絶対の立役者、自称奇跡師極彩色綾乃の写真と共にニュース速報サイトに掲載され、世間を大いに賑わせた――その翌日から、倒記海人は今の様な有様になったのである。その有様とは。

 フランス人形のように愛らしい、この世のものとは思えぬほど完成された容姿を持つ、義妹のリリアナ。

 なまじ振る舞いが変わらぬだけ、クラスメイトは接し方が皆目見当が付かない、人間女性であればほぼ理想に近い美しさを手にした絶式√。

 以前よりより露骨に、より親密に、より積極的に倒記海人に絡むようになった史上最強の女子高生、乃枯野雲水。

 ――――そして、

 あの、極彩色綾乃。

 この四人に、どういうわけか、倒記海人が常に周辺を取り巻かれていると言う、そんな有様である。そしてその事情を知る者は、当事者である四人に倒記海人を加えた五人の他、クラスには誰もいない。

 ガラガラとスライド式の扉を開け、五人は中に入る。カーテンで仕切られたベッドが三床、薬品ビンが整然と収まった棚、診療机に患者椅子。身長計に体重計、そして人体模型。血圧測定器には腕を差しこんでいる女子生徒が一人。後はこの白い部屋に何も見当たらないが、さて、極彩色綾乃が言っていた死体と言うのは果たして何処に存在す――――と、すぐにそれと分るものが、良く見ればベッドの一つに横たわっていたのだった。そろそろと言う感じに、倒記海人は歩み寄る。

「……」

 ボサボサの白髪、土気色の肌、薄く開いた目は白色。性別は男で、年齢は70ぐらいだろうか、白衣を着ている。死臭や腐臭はないが、見た目で判断する限り死後少しばかり時間が経っている様な気がする。

 さてそんな老人の死体を目前にしたわけであるが、倒記海人の心に湧いて来たのは恐怖ではなく、ごくごく単純な疑問だったりした。それは、極彩色綾乃の話によれば、保健室にあるという件の死体に気付いているのは今のところ彼女だけであり、しこうして騒ぎになってはいないものの、もちろんそれが学園側に発覚したら大変な事になると、彼女がそう言っていたことである。が、しかし。まだ死体出現から数日程度(極彩色綾乃曰く)しか経っていないとは言え、こんな風に堂々とベッドに寝かされていて、今の今まで学園の誰にもバレていないとは、あまりにも不自然ではなかろうかと、彼は疑問に思う訳である。現に、こうして訪れた自分にはいともあっさりと老人死体が発覚しているわけで、それと同様、何かの用事なり拍子なりでフラフラと生徒なり先生がこの死体を発見し、ギャー、等と言う展開はなかったのであろうか。

 改めて死体をマジマジと観察する。

 寝ているなどとは見間違えようも無い、歴然たる死体ぶりである。肌が土気色だし、唇は渇いて罅割れているし、目は半開きで真白だし――が急にガバっと

「ぎゃああああああああ!?!?!?」

「ぎゃああああああああ!?!?!?」

 死体と倒記は同時に悲鳴を上げた。

「分らん分らん分らんさっぱり分らん! 分らん分らんワシにはなんでか分らんがありゃぁ確かに死んどる! 間違いなく死んどる! 絶対死んどるわい!」

 半身を起した死体が頭を抱えてそんな風に絶叫したものだから倒記海人は思わず『お前こそ死んでるんじゃねぇのか』とか何とか突っ込みそうになったが、そこに極彩色綾乃がやって来て

「ようやく納得して頂けたようじゃな。左様、確かに死んでおるが、見ての通り生きておるであろう? この極彩色綾乃は奇跡師故、殺された者は死んでおらん故、それを生き返らせるのは造作も無いがな、死んだものをさらに死なせたり、あるいは生き返らせたりすることは叶わぬのじゃ。しかしそんな事より最早これが医学の問題ではないと納得頂けたなら、約束通りこの部屋は当分空けてくれまいか?」

 パラリと扇子を広げて口元を隠し、彼女はその切れ長の目を狐の様に細めた。

 倒記海人にはまたしても何のことやらさっぱりだったが、そんなものはここ最近の日常茶飯事だったので、とりあえず沈黙して様子見安定である。

 死体老人(?)は極彩色綾乃の言葉に納得したらしく、一拍の間を置いてから力無く頷いて、身体を捻ってベッドから両足を降ろし、スリッパを履き、亡霊かゾンビのような足取りで保健室から立ち去って行った。

 その後ろ姿を見ていた倒記が、極彩色綾乃に尋ねる。

「えっと、今のって?」

「彼女の最期を看取った医者じゃ」

「彼女って?」

 チラっと流し眼。

「件の死体じゃ。そなた、それを見に来たのであろう?」

 何やら疑問の真相が明らかになりそうだった。

「死体って、今の人の事じゃなかったのか?」

 と、倒記海人に真面目な顔でそう尋ねられた極彩色綾乃は、しばらくの沈黙を置いてから扇子で口元を隠し

「っははははははははははははははは! これは傑作じゃ! 確かにあの憔悴しきった姿ならば死体と見紛うても詮方無き事よな。っはははははははは!」

 と、高らかに声をあげて笑った。

「しかしじゃ倒記。それは見当違いじゃな。見当違い。この極彩色綾乃の言う死体とはな、ほれ、あれじゃ」

 畳んだ扇子を向けた先には、入口近くの血圧測定器。そこには先ほどの女子生徒がまだ座っていて、彼女の周りを乃枯野雲水、リリアナ、絶式√が囲んでいた。

「血圧は上が5で下が5。脈拍は0か。へ~、本当に君は死んでいるんだね。体温計はエラー表示だったけれどたぶん室温とほぼ一緒ぐらいかな?」

「ねぇねぇ。今錠剤みたいなの飲んでたけれどぉ、死んでてもお腹ってすくのぉ? 栄養摂取が必要なのぉ? あ~防虫剤とか防腐剤とかかぁ。ふ~ん」

「アタシにも確かに死んでる様にはみえないな~。ん~死因はなんだっけ? ああそっか。『姫狩り』か」

 さっきの医者を死体だと思い込んでがん見していた倒記海人は、今までこのような異様な会話が展開されていた事に全く気付いていなかった。何だその血圧? 何だその脈拍? 何だその錠剤? 何だその死因? 死因――――『姫狩り』。

「犠牲者の一人なのか? 彼女」

「左様。あのリリアナと関係している『姫狩り』の犠牲者じゃな。どういうわけか、この極彩色綾乃でも彼女ばかりは生き返らせる事が叶わぬのでな。ほとほとに参っておる」

「あの状態で、死んでいるのか?」

 極彩色綾乃は「左様」と頷いた。そして困ったと言う風に畳んだ扇子を自分の額に当て

「最も、彼女の取り巻きは生きていると思っているようじゃが、事の真相が露見するのも時間の問題であろうな。ああ、ちなみに、彼女の名は廃病棟ねんねこりんと言う」

「ね、ねんねこ……」

 りん? と、椅子に座っていた彼女が立ち上がり、倒記海人と極彩色綾乃の方に向けてカツンカツンと歩いてきた。

「……」

 彼女は1m程手前で止まり、無言のまま、まるで縄張りに入ってきた余所猫でも見るような、そんな警戒感を感じさせる目つきで睨んできた。

 その目が確かに、死者特有の白濁した瞳孔を有していたので、倒記海人は思わず一歩下がってしまったが、実のところ。実のところそれほどグロテスクな感じはせず、不快感も無く、むしろその真珠の様な乳白色の瞳には不思議な美しさがあったため、だから真実を言えば普通に睨まれたから驚いただけのことである。

 しかしもちろん、そんな以心伝心が二人の間にあろうはずもなく、

「……そう。貴方も同じなのね。まぁ無理もありませんわね。動く死体と普通に接する事が出来る人間なんてそうそういるものじゃありませんから」

 彼女は肩より少し長めのミドルヘアーを手の甲で流してながら、ややトゲのある口調で倒記に言った。それに対して弁明を試みようとした彼だが、しかし彼女は既に興味を失くしてその真珠色の瞳をもう極彩色の方に向けており、

「わたくしに関する事、何か分りましたか極彩色さん?」


「こちら特別機動隊『黒虎』。生存者一名を確保。事件の関係者と思われる女一名を射殺。こちらに被害は無し。繰り返す。生存者一名を確保。事件の関係者と思われる女一名を射殺。こちらに被害は無し。状況終了。続いて連絡の途絶えていた機動隊、救急隊の報告に入る。生存者は無し。繰り返す。生存者はなし。続いて報告に無かった犠牲者を新たに2名追加――」

 見慣れたはずの場所。

 見ず知らずの死体の山。

 囲まれた中。

 絶式√が死んでいて。

 絶式μが死んでいて。

 乃枯野雲水が死んでいて。

 自分ばかりが生きている。

 自分ばかりが息している。

 光景が付きつけるのはそうした事実で、どうしようもない事実で、ただそれが何なのか、それがどういう意味なのか、そんなとこまで倒記海人の思考は回らない。理解すれば彼は死ぬ。受け止めれば彼は死ぬ。受け入れたら彼が壊れてしまう。

 脇に腕を差し入れて、立ち上がらせようとする機動隊が、さっきから何か言ってるが、まるで知らない分らない。ズルズルズルと引かれるように立ち上がり、その時チラっと目に入る乃枯野雲水の、目。

 ――――泣いていた。

 まさに、そんな中での、出来事である。

「下がれ。道を開けよ」

 まさに、そんなただ中での、出来事ある。

「凡愚に衆愚に有象無象共。奇跡師極彩色綾乃が罷り通るぞ」

 そんなセリフと共に、夜の飲食店アーケードに現れた着物姿の彼女が――極彩色綾乃が、それからそのとき、一体全体、何をしたのかと問われて、何をしたのかを答えるのは易かった。

 ただ、しかし。

 何故それが出来たのかと問われて、何故それが出来たのかを答えられるものは、少なくともその場に皆無だった。

 だからそう、せめて。

 彼女が何をしたのか。

 それだけを有体に言うならば

 殺された者を生き返らせた。

「あとは奴らだけか。ふむ」

 その場に居合わせた者は、その現実感のない現実に対して棒立ちだった。

 ――――――引き続き、

 極彩色綾乃と名乗った着物姿の女は、まるで日当たりの良い場所に花瓶でも移動させる様な気軽さで、転がっている生首をむんずと掴み、転がっている死体の一つまで持ち運び、まるでマネキン人形の組み立てでもやる美容師のような手軽さで、それを首無しの死体に『くっつけ』た。それから

「いつまで寝ておるかたわけ」

 と着けたばかりの頭を引っぱたき、『叩き起こして』行くのである。

「定時連絡はどうした黒虎? 応答せよ。繰り返す。引き続き状況を報告せよ」

 という声が、阿呆のように呆けている機動隊の連絡員、彼の握る無線からは漏れていたが、彼は全くそれに応える様子はなく、応えられる様子も無く、ただただ、ただただ、目の前で現在進行形に堂々と展開されていく、奇跡としか言いようのない光景に、ただ突っ立っていた。

 胸を貫かれて死んでいたはずの救急隊員や、機動隊員も、頭をパチンと叩かれて『目を覚まし』、首を繋げられた白衣の不審者達も、頭を叩かれて『目を覚まし』、彼らはその場で事件の関係者として逮捕され、さて。

 いよいよ残り、

 絶式姉妹と乃枯野雲水と言う段になって、さて。

 極彩色綾乃は目端に紅を差したその切れ長の目で以て、倒記海人の周囲にいた機動隊員達を横目に睨んでただ一言。

「邪魔だ退け」

 呆けていた彼らは慌てて崩れるように円を解き、下がった。そしてその中を歩き、そしてこれまでの手並みと何ら変わることなく、彼女は絶式√の胸に開いた傷に掌を当て、ものの1秒。そんなものなどなかったかのようにそれは『塞がって』いた。そしてこれまでの『元殺された者』に対して取って来たそれと全く同じように、絶式√の頭をその手で引っぱたき

「風邪をひくぞたわけ」

 と声をかけると――。

 絶式√の目が、

 眠そうにゆっくりと開いた。

 しかしそんなことなど、そんな奇跡などどうでも良いとばかりに、今度はその妹μの背中の傷に手を当て、それを造作も無く『塞ぎ切り』、

「寝るなら家で寝ぬか」

 頭を引っぱたき、起こした。さらに最後は、乃枯野雲水。見るも無残に、穴だらけになっていて、蜂の巣のようになっていて、あらゆる意味で絶望的な有様の彼女、そんな彼女でさえ、否、そんな彼女に至っては触れもせず

「寝癖がついておるぞ」

 の一言で、全ての傷が『完璧に消え失せた』。

 そうこうして

 そんなこんなで

 あっという間の出来事で。

 眠そうな顔で三人は、その場でしばらく、互いの顔を、訳も分からず見つめあっていた。


「殺された者を生き返らせる程度できずに奇跡師などと称すは片腹痛いであろう? 案ずるでない。そなたの妹のみならず此度の憂いごとに巻き込まれし百五十余人、その全てが既に元通りじゃ。最も、この極彩色綾乃とて死んだものまで生き返らせる事は叶わんが、ま、そのような事今は瑣末じゃな。もののついでかもののはずみか知らぬが、今しがた殺されたそなたもこの極彩色綾乃が奇跡師の名にかけてスッカリと生き返らせてやった。礼には及ばぬ。造作も無い事じゃ」

 そんな具合に耽々と極彩色綾乃は語る。

 今となって、その場に居合わせているのは極彩色綾乃を含めて五人だけで、救急隊も機動隊も、犠牲者も怪我人も0となってしまった現状では、やることもなすこともなくなってしまい、しこうして狐に摘ままれたような心地で帰ったわけである。

「……ともあれ絶式とやら」

 極彩色綾乃が畳んだ扇子の先を、絶式√の鼻先に突きつけた。

「すまぬがこの極彩色綾乃、そなたばかりはどうにもならん。肉体はそれその通りすっかり生き返っておるがそれはそなたの身体が殺されたからじゃ。故に造作も無かった。しかしそなたの心、それは今よりも遥か昔に死んでおったようだ。殺されたのではない。死んでおった。故に絶式√とやら、この極彩色綾乃ではどうにもならぬ。故にそなた、そなたは自らの力で以て『生き返れ』。出来ぬ事は言わぬ。出来るから言う。自ら『生き返れ』。この極彩色綾乃の起こす奇跡はこれまでじゃ。そしてその時こそそなたは本来の絶式√として完成するであろうな」

 そう言って、彼女は狐の様な目を細め、笑った。

「ふふ、ではこの極彩色綾乃にはまだなすべき事が山積み故これで」

 茫然と立ち尽くす、その四人の一切を気にかけず、彼女は背向け、悠々と立ち去ろうとした。

「―――!」

 声をかけたのは、倒記海人だった。

「――。――――?」

 彼は自分の胸に手を当て、常軌を逸した、信じられない様な言葉を口走った。

 初めて、極彩色綾乃が眉を潜める。

「正気か? その者はこれまで99人からの人間を殺した大量殺人鬼でありそもそもこの世に存在せぬ者ぞ?」

「――――!! ――――!!!! ――――!! ――――――――!! ――――!?」

 彼は譲らなかった。そして続けざまの言葉に、重ねられた言葉に、乃枯野も絶式姉妹も絶句した。

「……出来ぬかと問われれば出来ぬ事はない。が、本来有りもせぬものであるからしてこれは生き返らせるのではなく新たに生み出す事になるが、その代償を払う覚悟、持ち合わせておるのか?」

 乃枯野も絶式姉妹も制止したが、しかし倒記海人は構わず続けた。

「――――。――――――――。――――――――?」

 倒記海人のその言葉に、三人は閉口した。極彩色綾乃は、しかし頷いた。

「……よかろう。この極彩色綾乃は確認を求めるが覚悟は問わぬ。後々に後悔しようともそれ共々に受け入れよ。さてそれでは」

 極彩色綾乃は扇子を素早く倒記海人に差し向け、目を狐のように細め、怪しく笑う。

「そなたの命を半分ほどもらおうか?」

 乃枯野雲水は我慢の限界が超えと言わんばかりに何か言おうとしたが、しかしそれを決然とした眼差しで以て倒記海人は制止する。

「……」

 乃枯野が俯くと、今度は極彩色綾乃の方を向いて力強く頷き、倒記は決心を露わにした。その様に極彩色綾乃は「ふふ」と笑い

「戯れよ。新たに生み出すものに既に生まれたものの命は使えぬ。されど覚悟は十全なようじゃ。さてしかし、身体は……、身体は……」

 首も顔も動かさず、目だけを左、右と極彩色綾乃は動かし

「そこな人形をもらおうか?」

 と扇子を差し向けた。

 その先には、絶式μが胸に抱いているフランス人形があった。彼女は逆らわず、それを極彩色綾乃に差し出した。

「それではこれより奇跡師極彩色綾乃が奇跡を開始するぞ」

 ――――そうして。

 その人形は、

 その目をゆっくりと、開けた。

 今やそれはただの人形ではなかった。まるで薄皮を一枚剥がれたかのような生き生きとした表情を、極彩色の腕の中で目覚めたそれは見せたのだ。

 皆がその宝石のように煌めく瞳を唖然と見つめていると

「ヒトガタがヒトになるまではおおよそ十日と言うところであろうな」

 と極彩色綾乃は言いながら、抱いていたそれをそっと降ろした。

 それは自らの足でキチンと危なげなく地面に降り立った。不安定さを全く感じさせない、しっかりとした足取りで、それは立った。

「倒記や、早速責任を持て。倒記や、早速覚悟をせよ。倒記や、僅かに後悔し、それも愛すと改めて誓え。今よりこのリリアナはそなたの妹じゃ。良いな?」

 当事者は頷いて、人形を見下ろす。

「ああ、もちろんだって。ちゃんと責任を持って、きっちり覚悟をして、後悔にさえ愛情を持って、俺はこの子を自分の半身にして生きていくよ。息を吸うように壊すしかないなら、息を吐くように直す事も知ってもらう。それだけだ。生き方を変えろとか、在り方を変えろと俺は言わない。この子はこのままで良い。在りのままで良い。それでもこの世界に許される様な子に、今ならきっとなれるから。取り返しのつかない事をしたのは事実だけれど、それをあんたがこうして取り返してしまったのだから、この子だってやり直したって良いんじゃないかって、俺が勝手に思ったんだ。初めからが無理なら途中からでもって。俺が勝手にそう思った。だから、その責任も何もかも俺が取るよ」

 倒記海人は断じてこんなセリフを言う様なヤツでない――と言うことは、絶式√も乃枯野雲水も十分知っている。だから本当にさっきから、本当に今をこそ、彼女達は狐に化かされた様な感覚に陥っていた。

「うむ。ならこの極彩色綾乃から言うべきは事は何もありはせぬ。ではな。今度こそバイバイブーである」

 バイバイブー? とその着物姿の背中を見送る一同だが、人形――リリアナだけは、倒記海人を見あげていた。ただじっと、見上げていた。

 これまでの倒記と極彩色のやり取りを、倒記海人本人さえ覚えていない常軌を逸した熱弁の一言一句を、息絶えていたμの身体で余さず聞いていた破壊衝動のリリアナ。彼女のその胸は、今、これまで感じた事のない感覚で満たされていた。

 自分がこれまでずっと空虚に、ずっと孤独に、ずっと寒く冷たく凍えていて、一生懸命に埋めようとして埋まらなかった胸の穴。底なしの穴。それを優しく力強く、熱く暖かく包み込むように満たしたそれは、一体何なのだろうか。それがリリアナに分らない。それがリリアナに理解できない。それをリリアナは知らない。だから。リリアナはそれを知りたい。リリアナはそれを理解したい。リリアナはそれを分りたい。破壊衝動以上にそんな衝動が、彼女の小さな全身を巡っていた。

 嘘偽りなく。

 真実の真実として。

「まぁ狭い家だけど、勘弁してくれ」

 倒記海人は彼女を抱きあげる。

「ただ出来る限りの事はするからさ、遠慮なく言ってくれよ?」

 そして不格好に笑った。リリアナは、コクンと頷いた。  

 

 廃病棟ねんねこりん、という名前――しかしマジか『ねんねこりん』とか(倒記印象)――の彼女の問いに対し、極彩色綾乃は『ふふふ』と微かに笑い

「すまぬが解決の役に立つ事はまだじゃな。しかし、役には立たぬが理解が深まる知識で良ければ、気休めに聞いてみぬか?」

「ええ。ぜひお願い致しますわ」

 極彩色綾乃は先ほどの老人@死体ではなかったが寝ていたベッドを閉じた扇子で差すと、彼女はそこに腰かけた。そしてその正面に、極彩色綾乃は立つ。

「廃病棟、そなたを蝕んでおるものの正体はな、そなたをそなたたらしめておるとも言える法則破壊と呼ばれる因子じゃ。そしてそれを有している者を極彩色綾乃はありのままに法則破壊者と呼んでおる。分り易かろう? 法則破壊をする者ゆえ法則破壊者と呼んでおるだけじゃ。この法則破壊者がいつからどれだけこの世界にいるのかは良く知らぬが、少なくともこの極彩色綾乃がそうなったのは数年前じゃな。切っ掛けは些細な事ゆえ省略するが、それを通じてこの極彩色綾乃は知る事が出来たのじゃ。法則破壊者による法則破壊が進むと、文字通り法則破壊が進み、行く先には法則が失われた世界が存在するであろう、とな」

 そう言ってから扇子の先で、傍に来ていた乃枯野雲水、リリアナ、絶式√、そして廃病棟、極彩色自身と、一人一人を順に、指示していった。

「法則破壊者どもじゃ」

 扇子をパラリと広げ、ゆるゆると自身を仰ぎ始める。

「この世界には何が何でも破る事が出来ぬ絶対の法則がある。そしてそれが破れぬことに理由はない。何故なら絶対は理由を必要とせぬからな。その上でその法則が破れぬ理由を強いて挙げるならばな、それは『この世界にそれが存在するから』とでも言うしかない。ともあれ、具体例を身近なもので挙げて見ようか。例えば、そうじゃな」

 彼女は乃枯野雲水を一瞥した。

「世界には勝負と言う概念がある。そしてそこを貫く絶対の法則はな、勝負をすればその結果には勝ちか負けかの二通りが存在するというものじゃ。これは言うまでも無くごくごく至極当然の事であろう? 勝ち負けを決める為に行うものが勝負なのだからな。結果に勝ちや負けがないのであれば勝負とは言えぬ。しかしじゃ。そこの乃枯野雲水には勝負の尽くにおいて負けと言う結果がすっかり欠落しておる。故にそこの乃枯野雲水には勝負と勝利に区別がない。全く等価交換が可能じゃ。そしてこれは単に圧倒的に強いという概念とは全く別次元じゃ。ふむ、将棋で例えるとな、圧倒的に強い指し手が飛車角金銀抜きで勝率100とすればな、負けが欠落した指し手と言うのは対戦者の玉将が欠損した状態で対局を始めるというわけじゃが、どうじゃ? まるで話にならぬであろう?」

 次にチラリとリリアナを見た。

「このリリアナも同様じゃ。このものは存在そのものが法則破壊であるな」

 今度は絶式√を見た。

「そしてそこの絶式√に至っては、法則を破るどころか自分そのものを法則としてしまう様な嫌いさえある」

 そして最後に、倒記海人を見た。

「そしてそなたは――」

 ちょうどそこで、午後の授業開始を告げる鐘の音が鳴った。

 極彩色綾乃は「間の悪い」と溜息を吐く。そしてその目を誰にやったものかと動かし、廃病棟ねんねこりんで止める。

「ひとまず廃病棟、そなたを殺した上に死なせたのは誰なのかと言うところから始めていこうと思う。細々と経過は知らせに参るから、当分はここで大人しく過ごしくれまいか?」

 廃病棟は立ち上がり

「はい、分りました」

 と深々と頭を下げてお辞儀すると、それに極彩色綾乃は頷き、今度は倒記達に視線をやる。

「さて。これでそなたらの好奇心も満たされたであろう? 以後、この極彩色綾乃の邪魔はしてくれるなよ。ではまだまだ為すべき事が山積み故、これで。そなたらはさっさと教室に戻って授業を受け、しかし上の空で聞き、グダグダと状況説明なり状況整理なりを三人称の視点で展開させやすいよう銘々に色んな場面回想とかしておいてくれ。特にそなたらが復活する場面とかすっごい描写不足であるからな」

 と、また意味のわからないことを言いながら、しかし去り際、再び、思い返したように極彩色綾乃は振り返った。

「もののはずみに、この極彩色綾乃の法則破壊についても少し話しておくかな。この極彩色綾乃のはな、既にもうその欠片はチラつかせておるが、世界の禁忌に触れる事じゃ。……左様、禁忌じゃ。撫でれば切れ、触ればひび割れ、抱けば壊れてしまうような禁忌じゃ。今からこの極彩色綾乃が話す事は嘘偽りなき誠であるが、そなたらはそれを実しやかな狂言と受け取ってくれい。理由は聞いてくれるな。それも禁忌であるからな。さて、では語るとするか。この極彩色綾乃はな、この世界が創作の世界であることを知っておる。誰が創作し、どこまで創作し、今後がどうなるか・どうならないかについてある程度知っておる。この世界の誰がまさに注目され、誰がまさに描かれているかを知っておる。例えば現在、この世界はこの極彩色綾乃ばかりで、他の一切は何ものも存在せぬ。そしてこの世界はある手法を通じてあらゆる世界の傍観者から垣間見えるようになっておる。例えば『液晶』なり『有機EL』なり『ブラウン管』なり『紙媒体』なりで眺めておる者がおるが、それは永久にそなたらには知覚出来ぬ。この極彩色綾乃ばかりだけが知る、孤独じゃ……はは。ただの狂言と思ってくれ。……そしてこの極彩色綾乃の法則破壊だけはな、世界中の何とも類似せぬ固有であることを既に知っておる。そしてこれからこの極彩色綾乃がしていくことは、この世界に今や数多く存在する法則破壊を、一つでも多く元に消し去るというだけの、冗談のようにつまらぬものじゃ。いつ終わるとも知れぬし、どこに面白みがあるとも知れぬし、物語として成立せぬ、気の遠くなる様で気の遠くなるほど退屈な物語じゃ。それがこの、奇跡師極彩色綾乃の物語。で、あるからな、この極彩色綾乃は頼み込むつもりじゃ」

「誰にだよ?」

 とりあえず尋ねる倒記海人に、しかし彼女はニコリとするだけだった。

「運命には従う。使命には従う。それゆえこの極彩色綾乃を、世界の中心には据えてくれるな、とな」

 問いには答えぬまま、そうして保健室の扉に手をかける。

「誰の知らぬところ、読者の預かり知らぬところ、作者の測り知れぬところで、自由気まま勝手気ままに、ひっそりこっそりと、それらを全うしていくだけの事よ、ぎゃん!!」

 デジャブだった。

「アタシは好き勝手をやって殺されたんだからほっといてくれてよかったんだぜ? それを断りも無く好き勝手にてめぇがアタシを生き返らせておいて、それ以後は一切関わるなって? それはあまりに無責任ってもんだろ綾乃?」

 頭を両手で抑えてうずくまっている極彩色綾乃に、攻撃色の笑みを見せている乃枯野雲水。

「その点はボクも同意見だね。ボクも自ら考え抜いた末、苦渋と共に下した結論をあっさりと覆されたんだ。相応の借りは返させてもらうよ?」

 いつの間にか廃病棟の隣に座り、彼女の髪を指で解かすように――ねんねこりんの顔が赤い。死んでるのに顔が赤い――撫でていた絶式√が、朗らかに言った。

 そしてそんな二人を見比べ、腰に手を当てて心底呆れたように「っはーあ」と溜息を吐いたのはリリアナで

「素直じゃないわねぇ二人とも。私はお兄ちゃんがいるからもう張る意地なんて全然全く皆無だからきっちり言えるわねぇ。だから私が代表者になってあげるぅ」

 リリアナは蹲っている極彩色に近付いて、彼女の前に屈みこむ。

「助けてくれてありがとう綾乃ちゃん。私『達』にもそれ手伝わせてよぉ? 絶対絶対役に立つよぉ?」

 そうしてリリアナは、極彩色綾乃が抑えている頭に手をのせて、まるで猫の子でも撫でるように優しく滑らせた。最近のリリアナに見られる愛情表現の一つだった。

 傍から見ればそれは何でもない、友人を悪意なくからかったりするスキンシップの類にしか見えないのだろうが、しかしリリアナが純粋な破壊衝動だった事を知る絶式√には、それが有り得ない本当の奇跡である事を知っていた。

 リリアナは息を吸うようにあらゆるものを破壊するし、息を吐くようにあらゆるものを破壊する。そういう純然たる破壊衝動としてのリリアナが、今は意識的に破壊衝動を自制しているのではなく、無意識的に破壊衝動を消失しているのだ。

 絶式√は生まれ変わったリリアナを見るたびに考えていた。衝動が衝動を喪失して、そこに何が残るのだろうか。何が残っているのだろうかと。分らない。AがAを失って残るものなどありはしない。単純明快。至極単純。そこにはどんな理屈も理論も、破綻する余地さえない。

 奇跡としか言いようがない。

 そしてそんなものを実現した事に対して、全く無自覚であろう本人に彼女は尋ねる。

「倒記君も、関わってくれるよね? ボク達に」

 咲きたての百合の様に美しい、清らかな笑み浮かべている絶式√。そんな彼女の笑顔に見つめられたら一も二も無く頷いてしまいそうになるが、けれども倒記海人は正直なところ、トラブルはもうたくさんだった。

 今のこの比較的に平和で平凡な状況でさえ、彼はまだ受け入れきれていないというのに、さらにこの上新たな混乱が巻き起こると言うなら、間違いなく自分は自我の破綻をきたしてしまうだろうと、倒記海人は思った。前後不覚で、現状認識が曖昧で、寝てるのか起きてるのか区別がつかず、日常的に妄言をブツブツと呟いてしまう様な、そんな廃人めいた存在になりかねないと、彼は思った。

 けれどもまぁ、それだけの事だったので、

「俺なんて正直役に立つとは思えないんだけどさ。それでも良いなら遠慮なく言ってくれよ。まぁでも、ぶっちゃけ今のメンツの中でまともなのって俺だけだと思うから、その点だけは期待してくれてもいいと思うぞ。常識人の意見だって必要かもしれないしな」

「バッサリ言ってくれるね~カイト」

「正論は時々人を傷付けちゃうのよぉ?」

 そんな風に笑われた。蹲っていた極彩色綾乃も釣られるように小さく笑い、倒記に少しだけ流し眼をして、微かに頷き、ただ口では何も答えずに立ち上がる。そして真っ直ぐに乃枯野雲水の目を見て、細め、ちょんちょんと、彼女は扇子で自分の額の辺りを差した。

「この極彩色綾乃の頭を二度も殴ったな? 今でもちょっとばかりジンジンするのだが、相応の落し前はつけてくれるのであろうな?」

「殺されたアタシを勝手に生き返らせた礼だよ。不足分はこれからアタシがあんたの手足になるってのどう? 言っとくけど、アタシ史上最強だからたぶん役に立つよ綾乃ちゃん?」

 ふふふ、と極彩色綾乃は笑った。

「しかしじゃな。この極彩色には多角的多面的に敵が多い。故に面倒事が多い。それでも構わぬか? そなたら?」

 その場に居合わせた者達から返事は無かった、否、返事するまでも無かったのだ。

「ちなみにどんなのだよ?」

「自分をこそ法則破壊だと勘違いしている輩がやってくるのだよ。日時場所を選ばず、あのようにな」

 と、扇子と目を向けた先――

 爆音。

 地響き。

 閃光

 そして悲鳴。

 倒記海人は反射的にリリアナを抱えて伏せようとしたが、伏せていたのは彼だけで、リリアナは逆に彼をそれらから守るような立ち位置に立っており

「大丈夫よお兄ちゃん。私はこう見えてすっごくすっごく強いんだからさぁ」

 と愛らしく嗤っていて、絶式√は全く何もせず表情すら変えず、小さくなって脅えている廃病棟の頭をリリアナのように優しく撫でていた。さて、乃枯野雲水は、乃枯野雲水は、

 乃枯野雲水は

「ちょっとアタシあの世界の終末的存在を蹂躙してくるわ」

 自らの拳で一撃の元に半壊させた、その保健室のグランド側半分の瓦礫へとゆっくりと進み、バキバキバキ、バキバキバキと、クルミでも砕くかのような音で拳を鳴らしていた。

 保健室とグランドが強制的に連結され、その乱暴乱雑な連結部位に堂々と屹立している史上最強の背中に対し、倒記海人は『地響きはお前かよ』と内心突っ込みつつも、そんな彼女の向かう先であるグランドに広がっている、有り得ない存在が有り得ない数だけ展開している様に、平常なかなか使う事のない、しかしながら似通った四字熟語を次々に思い浮かべていた。

 まさに魑魅魍魎。

 まさに阿鼻叫喚。

 まさに世界崩壊。

 まさに世界大戦。

 まさに世界終焉。

 そんな言葉をポンポンと連想させる様な存在が、そんな言葉をポンポン消し去るぐらいの数で以て、グランドのありとあらゆる場所を占有していた。夢か現か幻か、そんなものが希薄になる様な光景が、グランドで広がっているのだ。もしかしたらこのまま、世界は滅んでしまうかもしれない。もしかしたらこのまま、世界が終わってしまうかもしれない。もしかしたらこのまま、世界が壊滅してまうかもしれない。

 最早これが、学園だけで解決するような問題でない事は誰の目にも明らかだった。日本を巻き込み、世界を巻き込み、地球を巻き込み、否、下手をすればこの宇宙そのものさえを飲み込み兼ねない様な、そんな概念が目の前で容赦なく広がっているのだ。

 が、その程度だった。

「それが何であれ『勝負』である時点でアタシ達に負けは無いね」

 乃枯野雲水はニィと八重歯を剥いた。

「ボク達に欠点を求めるとしたら無欠である辺りだろうね」

 絶式√は朗らかに笑って、グランドに埋蔵された彼女しか把握していない(絶対)大量の仕掛けを発動させる、その手袋型起動装置をスルっとスカートから取り出して手にグイっとハメた。

「まぁそんなものはぁ、私がベタベタに補っちゃうんだけれどさぁ」

 リリアナは、ただ、猫のように目を細めた。ただその瞳の奥に、深淵に、あの絶式√さえも消滅を諦めた、抑え込んでいた破壊衝動の黒い炎を宿して。

 極彩色綾乃は思った。史上最強に、完全無欠に、架空の実在さえを味方に付けた奇跡師に、果たしてそれに、そんなものに、こんなものに、どんなものが、一体全体立ちふさがれると言うのだろうか。

 魑魅魍魎? まさか

 阿鼻叫喚? まさか

 世界崩壊? まさか

 世界大戦? まさか

 世界終焉? まさか

 ――――――笑わせろ。

 結局答えが見つからないから、極彩色綾乃は笑ったのだろう。そして、しかし。極彩色綾乃はベッドに腰を降ろして、静かに目を閉じた。

「いかないのか?」

 問いかける倒記。

「そうだ。当分はいかぬ。その当分とはこちらの世界で瞬きの間であるが、あちらの世界ではXXXXというところか。……最後の最後の最後に、この極彩色綾乃はもう一度法則破壊をしておこう。この世界の創造者には先に完結させるべき世界が二つある故、この世界の存続はそれまでの間、つまりは当分の間静止することとなる。なに、案ずるな。それをそなたらが知覚しうる事はない。しかしあちらの世界に住むこちらの世界の傍観者にとっては実時間を伴って待たされることになる。それへの断りじゃ。そなたらはそんなことなど気にせず、ただの狂言戯言の類だと一笑に付してくれ。それではそれでは、そういうわけで、予告『巻き込まれ海人の日常『絶式√と姫狩り殺し』編』はこれまでとなる。ではまた続編で。バイバイブーである、ぎゃん!」

どうも無一文です^^


『巻き込まれ海人の日常①『絶式√と姫狩り殺し』編』如何だったでしょうか? 


私は正月早々にどうしようもないもの投稿したなという気分満載です(爆)

活動報告で申し上げていたように、好き放題やったものなので後悔はないのですが、けれども原盤に比べるとインモラルな描写はかなり削いだので、実はかなりマルクなってしまったかなという感じもします。

具体的に何を削いだのか言いますとリリアナの私生活がヒントです。

むふふシーンですね(殴

まぁそんなことは置いておいて、続きはちゃんとございますが

メタ発言能力のある極彩色の言う通り先にルーチェとマタタビを完結してから動かそうと思います。しばしお待ち下さいませ^^

それではまた^^


極彩色綾乃『……それでは頭のユルイ世界の語り部が立ち去った故この極彩色綾乃が自らの法則破壊を用いて少しばかり益体のないことを垂れて見ようと思う。あの語り部はこの世界がしばらく動かぬようなことを申して居ったがヤツは救い難い軽挙妄動癖がある故どこまで信憑性があるのか果てさて分ったものではない。ともすれば1.2週間のうちにも再k(長いので略) そんな次第故に傍観者のお歴々にはちょいちょいと覗いて頂けると有難い。それではこれで、バイバイブーである。関西弁? しらへんなそんなん ノシ』

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